■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
2016・北海道自治体学土曜講座 プログラム
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
2016・北海道自治体学土曜講座 プログラム

第1回 5月7日(土)
沖 縄 問 題 ~沖縄の人々の苦難は他人事ではない~
  宮本憲一 (大阪市立大学名誉教授)  
  松元 剛 (琉球新報編集局次長兼報道本部長)
  徃住嘉文 (北海道ジャーナリスト会議)   
  森 啓 (土曜講座実行委員)

第2回 6月18日(土)
私たちはゴミとどう向き合っていくのか ~迷惑施設問題が提起するもの~
  押谷 一(酪農学園大学教授) 
  久世薫嗣(核廃棄物誘致に反対する道北連絡協議会代表)  
  高橋 悟(日本文化行政研究会会員) 
  小坂 直人(北海学園大学経済学部教授)

第3回 7月23日(土)
北海道の持続可能な発展と自治の力 ~TPPから北海道を守るために~
  久田徳二(北海道新聞編集員・北海道大学客員教授)
  菊池一春(訓子府町長)  
  荒谷明子(メノビレッジ長沼共同代表)
  山口敏文(北海道生活協同組合連合会専務理事) 
  内田和浩(北海学園大学経済学部教授)

第4回 9月3日(土)
自治体がつくるワーキングプア ~その実態、背景と克服策を考える~
  川村雅則(北海学園大学経済学部教授)
  自治労単組関係者2名(※交渉中)
  稲葉典昭(帯広市議会議員) 
  鈴木 一(札幌地域労組副委員長)

第5回 10月22日(土)
北海道の自治体問題 ~首長と議員と職員のホンネ討論~
  高橋正夫(本別町長)  
  谷 一之(下川町長)  
  池田達雄(北斗市議長) 
  田村英樹(京極町議長)  
  三浦和枝 (自治労北海道本部書記長)
  神原 勝 (北海道大学名誉教授)   
  森  啓 (土曜講座実行委員)

会 場   北海学園大学3号館22番教室(札幌市豊平区旭町4 丁目1-40)
地下鉄東豊線「学園前駅」下車。3番出口直結。
参加費  全5回前納:5,000円  1回分:1,500円 (学生無料)
AKB総選挙に棲みついた魔物
(カテゴリー: AKB
AKB総選挙に棲みついた魔物
(秋元康氏への手紙)

2016・AKB総選挙は、ファンが「身銭で推しメンに投票する」選挙から、巨額の金で「投票権を買い取る」選挙へと変質したと思う。
「ダントツ1位の24万票」の背後に「多額のテレビ出演とプロダクションの商業取引(メカニズム)」が作動していると考えざるを得ない。指原さんは、「テレビでのバラエティ能力」はすぐれているが、アイドルとしての「可愛さ」「ひたむきな純粋さ」「ハニカム笑顔の清潔感」「狡さのない美しさ」の魅力不足は否めない。2位と7万票差の「ダントツ1位24万票」に相当するとはとても思えない。

 かつて、前田敦子さんと大島優子さんが1位・2位を争ったとき、二人のスピーチにはアイドルとしての「美しさ」「ひたむき」「優しさ」があった。今回の「1位とったよー」と叫んで躍り上がる姿には「アイドルとしての慎み」「思いやりの優しさ」は無かった。
 「1位に返り咲きます」と言い続けて7万票差で引き離された渡辺麻友さんの面前での姿には、前田・大島との違いが歴然であった。
 アイドル集団AKBの選挙は、今や「ファンが身銭で投票する総選挙」では無くなっていると思う。AKBの創設者である秋元康氏はこの変質を如何に考えているであろうか。
2016・北海道自治体学土曜講座・第一回「沖縄問題」  
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
2016・北海道自治体学土曜講座
第一回「沖縄問題」  
日時 2016年5月7日
会場 北海学園大学3号館
主題 沖縄の人々の苦難は他人事でない
 宮本憲一 (大阪市立大学名誉教授)
 松元 剛 (琉球新報編集局次長兼報道本部長)
 徃住嘉文 (日本ジャーナリスト会議)  
 森 啓 (自治体学土曜講座実行委員)

問題提起   
Ⅰ沖縄の自治と軍事基地 宮本憲一 (大阪市立大学名誉教授)
Ⅱ安倍政権の非情な強権発動 松元 剛 (琉球新報編集局次長)

討 論
以下は当日の論点を基にした筆者の所見である。
民主主義社会を維持継続するには批判的思考力の切磋琢磨が不可欠である。

沖縄の人々の苦難は他人事でない 
日本の人々は「沖縄は気の毒だ」と他人事のように思っているのではあるまいか。
米軍施設の74%が沖縄本島に集中しているのである。深夜も轟く爆音で眠れず、人家周辺に軍用ヘリが墜落し、女性暴行事件が繰り返され、山林破壊が日常化しているのである。少女暴行の米兵は早々とアメリカ本国に帰っていったのである。
これは「治外法権」である。明治のときは、政府は「不平等条約撤廃」に全力を尽くした。だか「日米地位協定」は1960年以来一言一句改定されていない。
ドイツ・イタリアなみの地位協定に改める交渉申入れさえもしない。そして日本の人々はその政府を支持し加担しているのである。

沖縄の米軍基地
沖縄の米軍基地は日本を守るためか。アメリカの世界戦略のためではないのか。基地の米軍兵士は日本の人々を守ろうと思っているであろうか。司令官も兵士も日本を守るための基地だと思ってはいないであろう。
では何のための基地なのか。米軍にとっては、沖縄の米軍基地は「母国では望めないほど快適ですばらしい」のである(米政治学者C.ジョンソン)。 
沖縄に米軍基地が集中したのは、内灘闘争(1952)、砂川闘争(1955)など基地反対闘争が全国に伝播し始め、岸信介が急きょワシントンに出向き「基地反対が反米感情に発展する」とアイク(大統領)に伝えて「沖縄ならばよい」となったからである。

米軍基地は必要か
問題は、米軍が「それなら、基地を全て引き上げる」と言い出したら「コマルのか」である。「それは困る」と(直ちに)言い始めるのは誰であろうか。誰が言い始めるかの見定めが重要である。
困るのは「隣国との友好平和を望まず、安全保障環境の緊迫を声高に言説する人達である。国際緊張が薄れ友好親善になっては(実は)困る人達である。武器輸出の解禁を喜ぶ財界人も「適度の国際緊張」を望み、沖縄の基地存続は必要と言説する。
しかしながら、米軍基地を日本防衛のため必要だと漠然と考えてはなるまい。
クリントン政権で普天間飛行場返還の日米合意を主導したジョセフ・ナイ元国防次官補(現ハーバード大教授)は、朝日新聞掲載のインタビュー記事で、「沖縄の人々の支持が得られないなら、われわれはおそらく辺野古移設を再検討しなければならないだろう」(2014年12月8日付)と述べた。
 駐日米大使として米海兵隊員の少女暴行事件(1995年)に対応したモンデール氏(元副大統領)は、米国務省系の研究機関の外交研究・研修協会「退任後インタビュー」で、「沖縄の米軍駐留継続を日本側が求めていた」と証言した。
 
戦争は殺戮と破壊
戦争は殺戮と破壊である。「国を守る」「国民の生命を守る」は口実である。軍隊は国民を守らないのである。沖縄地上戦がそれを証した。戦争開始を命令する地位・立場に居る人達は、危うい処には(けっして)出ていかない。「元海軍軍令部400時間討論テープ」がそれを証している。
戦争には莫大利益を手にする人が常に居る。イラク侵攻でチェ副大統領の会社は莫大利益を得たと報道された。軍産複合体制は「戦争開始を画策する企業」をも造り出す。戦争開始の元凶は「莫大利益」である。
「戦争を始めるのは金持ち、戦争で死ぬのは貧乏人」とはサルトルの言である。
「沖縄の民意」を一顧だにせず、警視庁機動隊を常駐させ、暴力的に辺野古に本格基地を建設する日本政府に、沖縄の人々は怒りを募らせている。そして、沖縄の人々の苦悩を他人事に思う(ヤマト)の人々にも怒りの情が萌している。

経済的徴兵制
 給付型奨学金(返済しなくてよい奨学金)を(言を弄して)創らないのは「経済的徴兵制」を目論んでいるからであろう。
「経済協力開発機構(OECD)に加盟する34カ国のうち、給付型がないのは日本とアイスランドだけ。だがアイスランドは「大学授業料が無料」だから、日本だけである。日本の若者は300万円から500万円の借金を背負って卒業している。そして多くは「派遣労働」か「飲食業就職」だから、返済できない、結婚できない、結婚しても子供を育てられない。
若者を貧困にしておいての軍隊勧誘が「アメリカの志願兵制度」である。日本にも「奨学金返済免除」を目の前に吊らす「経済的徴兵制」が始まるのではあるまいか。給付型奨学金制度を創らない意図を洞察しなくてはなるまい。
 
沖縄差別
 安倍首相も菅官房長官も沖縄を差別している。辺野古の基地建設を「沖縄県民の負担軽減だ」と言う。「負担軽減」と言うのなら、そして「米軍基地が日本の防衛に必要」と言うのならば、沖縄県外に (日本の何処かに) 建設すべきである。「オール沖縄の民意」は新基地反対である。「空港・軍港・爆弾庫」の本格基地を沖縄に押し付けるのは「沖縄差別」である。
安倍首相も菅官房長官も沖縄県民を差別しているではないか。「権力者は言説で人々を騙す」「政府は常に嘘を言う」は古今の真実である。

NHKの変貌
現在日本のテレビ・新聞は自粛・自主規制して「報道機関の使命」を果たしていない。世界180の国と地域を対象とする報道の自由度ランキング(2016年)で日本は72位である。(見識と気骨ある報道人が年ごとに少なくなる)
とりわけ、NHKの変貌はすさまじい。籾井勝人会長になってから、政治部が「ニュース原稿」「ナレーション原稿」を(安倍官邸から文句を言われないように)訂正している。番組も「安倍首相を刺激する内容はどんどん削られ」「ディレクターが書いた原案をプロューサーが(安倍路線を刺激しないよう)書き換えている。(小滝一志(放送を語る会事務局長)「マスコミ市民」2015-3月号 )
 
 自治体学土曜講座は受講者それぞれが「自身の思考力」を高める場である。問題提起と討論は「思考の座標軸」を確かなものにするためである。
1995年に開講し16年間開催した「北海道地方自治土曜講座」の内容は http://sky.geocities.jp/utopia2036/doyokoza/
2014年に名称を「北海道自治体学土曜講座」に改めて再開した講座内容は http://jititai.net/hokkaido/?p=527 を参照されたい。
憲法学者の思考論理
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
   憲法学者の追随思考

 朝日新聞(2016-5-24.)11頁(オピニオン欄)「砂川判決の呪縛」掲載の南野森(九州大学教授)の所見を読み「このような思考論理の学者が増えているのだ」とまことに残念に思った。
  南野氏は憲法学者であるのだが「裁判所の違憲審査権」を重大視しない。いとも簡易にスルーする現状追随型の思考論理である。その論理は「前段に尤もらしいことを書き、後段で現状を是認する」思考論理である。
 例えば、『いま、目的のためなら、長年積み上げてきた法の論理でも踏みにじろうとする傾向が顕著です。法の秩序を保ち、法の支配を安定させるには、為政者に憲法を守らせ、司法の判断を尊重させなければなりません』と尤もらしく書く。だが後段で、『でも最高裁には後ろ盾もなく思い切った決断をしづらい、最高裁が(憲法の番人)として振る舞うことはできないのです』と書く。
 これが憲法学者南野氏の所見である。(詳細は朝日新聞(2016-5-24.) をご覧あれ)
 昨今の現状追随思考の蔓延は身分保障ある大学教師にも及んでいるのだ。
 他のお二人(吉永満夫氏、春名幹男氏)のご所見は「まことになるほど」である。
 オピニオン欄編集者は「朝日新聞偏向」の批判を避けるため、執筆依頼の配慮をしたのであろうか。それにしても憲法学者の驚きの所見である。

オバマ大統領の迎え方
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
塩野七生さんの「オバマ大統領の迎え方」に賛成
 
「静かに無言で大統領を迎え、静かに無言で送り出す」
「謝罪を求める声」も、「星条旗の小旗をふる歓声」も無い
もし私が日本の新聞の編集者だったら
『無言で立ち尽くす米国大統領オバマ』の写真一枚だけ
「頭を下げる姿の大統領は(もし、そうしたとしても) 絶対に載せない。
 それが日本の品位を高めます

         (朝日新聞(2016-5-25)16頁・インタビュー)
福島みずほ議員は貴重な本物の国会議員である。
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
 貴重な本物の国会議員
昨夕(2016-5-15) 札幌駅前で
福島みずほ(参議院議員)の街頭演説を聴いた。
現在日本が直面している政治課題を次々と熱情こめて語った。
心に響く演説であった。
福島議員は数少ない本物の国会議員である。
「積極的平和主義」は「積極的戦争主義」であると
国会質疑で安倍普三の正体を見破ったのも福島議員であった。
国会議員の知性と倫理が低下しているなかで福島議員は貴重な存在である。
環境・人権・女性・平和の四本柱政策を掲げて全国を巡っている。
 http://www.mizuhoto.org/ 参照
現代語訳で読む日本の憲法
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯

現代語訳で読む日本の憲法

朝日新聞(2016-5-12の13頁)はとても良かった。
翻訳家の柴田元幸さんの「現代語訳でよむ 日本の憲法」の紹介である。紹介の視点が良い。
例えば、憲法前文の出だしは「日本国民」であるが、柴田訳は「私たち日本の人びとは」で、主語は「私たち」である。
65条の「行政権は内閣に属する」は、柴田訳は「内閣には、法律に従い国政を執行する権限を与える」である。内閣に「権限を与える」存在が別にいる、つまり主権者(私たち)が与えるのである。これは「市民自治の政府信託理論」である。
1975年に岩波新書「市民自治の憲法理論」(松下圭一)が刊行されたとき、「国家統治の憲法学者」は誰一人反論できなかった。反論できないので「学会」をつくり「国家学理論」を(みんなで渡れば怖くない)と講義して現在に至っている。札幌「自由学校・遊」で
 「松下圭一『ロック・市民政府論を読む』を読む」(五回講座)を6月1日に開講する。

「現代語訳で読む日本の憲法」(アルク・刊)を
 池内紀さんが紹介しています。
 時宜に合ったとても良い紹介なので「紹介」します。

「戦後70年」の意味深い成果

 ほとんど知られていないことだが、日本国憲法は二つある。一つは日本語、もう一つは英語でつづられていて、ともに一九四六年十一月三日に公布された。

 「英語でつづられ」とくれば、すぐさまGHQ(連合国軍総司令部)作成の憲法草案をいわれそうだが、ちがうのだ。GHQ草案をたたき台にして日本国憲法が完成した。当時、日本はGHQ占領下にあり、官報は日本語と英語で出されていた。おのずと新憲法は英訳されて英文官報に載せられた。HIROHITO(天皇)につづいて吉田茂ほか、田中耕太郎、石橋湛山(たんざん)、金森(かなもり)徳次郎など、戦後の代表的な知性が英語のつづりで連署している。

 訳者が「はじめに」で述べている。

 「この本は、それを現代日本語に訳したものです」

 おおかたの人はアッケにとられるかもしれない。日本国憲法は現代日本語で書かれている。英訳されたものを日本語に訳すと、元の日本国憲法にもどるのではないのか?

 日本国憲法と「現代語訳日本の憲法」とは同じものだが、しかし違っている。たしかに日本国憲法に書かれているが、すぐには見えないものが現代語訳を通して見えてくる。ひそかに隠されたかもしれないものが明るみに出てくる。現憲法の語りの特性、これをつづった人たちの語感、感情の高ぶりまでもが見えてくる。

 なぜそのようなフシギが生じたのか。柴田元幸という得がたい翻訳者の力である。彼は原文のもつ「観念」を、過不足なくつたえる役をつとめた。より多からず、より少なからずつたえる。それはとてもとても難しいことなのだ。個性的に、独創的に訳すことがどんなにラクであるか。現代アメリカ文学で数々の修羅場をくぐってきた人だからこそできたことだろう。

 法律にはうとい訳者のために、憲法学者の木村草太が監修をつとめた。両者の対談「英語からみた『日本の憲法』」が収録されていて、そのなかで柴田元幸は述べている。憲法だから全体的には「法律の文章」だが、「前文」と(戦争の放棄を明記した)「第9条」と(基本的人権にかかわる)「第97条」は、「英文の質」「気合いの入り方」があきらかに違っている。主語がきちんと明示され、誤解の余地のない言葉が使われている。ためしに現代語訳第9条前半。

 「正義と秩序にもとづく国際平和を心から希(ねが)って、日本の人びとは永久に戦争を放棄する。国として戦争を行なう権利を放棄し、国同士の争いに決着をつける手段として武力で威嚇すること、また武力を行使することを放棄するのである」

 つねづね日本国憲法は悪文として槍玉(やりだま)にあげられてきた。とりわけ改憲派は声高く、憲法正文の和文脈と欧文脈がゴッタになった文体を、それこそGHQに「押しつけられた」ことの証拠であるように言い立てる。

 風変わりな仕事を引き受けたばかりに、訳者は一つの「法律の文章」が成長していく過程をつぶさに知った。人類の希望を一段と輝かせる条項を盛りこもうとしたのである。日本語がねじれ、ぎこちないのは当然だ。

 「日本国憲法英文版は、全体としては非常に明快だし、日本語の正文も十分口語的で明快です。そもそもこの英文版から、正文とはかけ離れた、ものすごく分かりやすくくだいた日本語が出てくるべきではないと思うんです」

 言葉を尊重する人のこの上なく誠実な見方である。「戦後70年」のカラ騒ぎのなかにはじめて、まさに今、とりわけ意味深い成果がもたらされた。 (池内紀)
安倍政権の沖縄差別
(カテゴリー: 自治体学理論
安倍政権の沖縄差別

安倍政権は沖縄県民を差別している。
普天間基地の代替だと称して「辺野古に軍港をも備えた本格基地」の建設を強行している。
安倍首相も菅官房長官も「沖縄県民の負担軽減」だと言う。
「負担軽減」と言うのなら、そして「米軍基地が日本の防衛に必要」と言うのなら、沖縄県外に (日本の何処かに) 建設すべきである。 なぜ沖縄に「空港・軍港・爆弾庫」の本格基地を押し付けるのか。沖縄県民を差別しているではないか。
そして安倍政権を存続させている吾吾も「沖縄差別」に加担しているのである。

2016・北海道自治体学土曜講座 
  第一回(5月7日)
   沖 縄 問 題 ~沖縄の人々の苦難は他人事ではない~
「沖縄問題」と「福島問題」は現在日本の最大の緊急課題である。警視庁機動隊を常駐させて、軍港をも備えた本格基地の建設を暴力的に強行している実態を、日本の人々はどれくらい知っているか。日本政府が、沖縄の人々に「危険な米軍基地」を押し付け続ける理由は何か。日本の人々は「明治の琉球処分」から「現在の米軍基地」までの、再三再四の「沖縄差別の歴史」をどう考えているのか。本土(ヤマト)のメディアは、NHKを筆頭に沖縄差別に加担しているではないか。「沖縄の米軍基地」と「北海道の北方領土」は共通の問題である。これらを討論する。 
   宮本憲一 (大阪市立大学名誉教授) 
   松元 剛 (琉球新報編集局次長兼報道本部長)
   徃住嘉文 (北海道ジャーナリスト会議)  
   森  啓 (土曜講座実行委員)

会 場 北海学園大学3号館22番教室(札幌市豊平区旭町 4 丁目1-40)
地下鉄東豊線「学園前駅」下車。3番出口直結。
参加費 全5回前納:5,000円 1回分:1,500円 (学生無料)
お問合せ メール jichidoyo2016@yahoo.co.jp
電話 011-841-1161 内線 2737(北海学園大学経済学部 内田研究室)

2016・北海道自治体学土曜講座
(カテゴリー: 自治体学講座ー土曜講座の新展開
     2016・北海道自治体学土曜講座

第一回(5月7日)
   沖 縄 問 題 ~沖縄の人々の苦難は他人事ではない~
 「沖縄問題」と「福島問題」は現在日本の最大の緊急課題である。警視庁機動隊を常駐させて、軍港をも備えた本格基地の建設を暴力的に強行している実態を、日本の人々はどれくらい知っているか。日本政府が、沖縄の人々に「危険な米軍基地」を押し付け続ける理由は何か。日本の人々は「明治の琉球処分」から「現在の米軍基地」までの、再三再四の「沖縄差別の歴史」をどう考えているのか。本土(ヤマト)のメディアは、NHKを筆頭に沖縄差別に加担しているではないか。「沖縄の米軍基地」と「北海道の北方領土」は共通の問題である。これらを討論する。 
 宮本憲一 (大阪市立大学名誉教授) 
 松元 剛 (琉球新報編集局次長兼報道本部長)
 徃住嘉文 (北海道ジャーナリスト会議)  
 森 啓 (土曜講座実行委員)

第二回(6月18日)
私たちはゴミとどう向き合っていくのか
~迷惑施設問題が提起するもの~
ある日突然、あなたの家の近くにゴミの処理施設がつくられるとしたら、あなたは、それをどう受け止め、どう行動するでしょうか。ゴミには一般廃棄物、産業廃棄物、放射性廃棄物があり、その種類により、影響は大きく異なります。今回は、現代社会における最も重要な政策課題の1つであるゴミの処理に関連して、「迷惑施設」としての廃棄物関係施設の設置に着目し、市民と行政の両方の視点から公共政策とは何か・まちづくりとは何かを考える。
 押谷 一(酪農学園大学教授) 
 久世薫嗣(核廃棄物誘致に反対する道北連絡協議会代表)  
 高橋 悟(日本文化行政研究会会員) 
 小坂 直人(北海学園大学経済学部教授)

第三回(7月23日)
  北海道の持続可能な発展と自治の力
  ~TPPから北海道を守るために~
「大筋合意」されたとはいえ、TPPは多くの問題点をはらんでおり、北海道に暮らす私たちはそのまま受け入れることは到底できない。しかし、新たなグローバリゼーション強化の波は確実に進行してきており、私たちは持続可能な北海道の地域社会発展のために、守るべきもの守らなければならないものをしっかりと見据え、自治の力で守り発展させていかなければならないのだ。本講では、今私たちはTPPから何を守り、どのような未来を見据えて発展させていかなければならないのか。そして、基礎自治体は何をしていかなければならないのかを議論していきたい。
 久田徳二(北海道新聞編集委員・北海道大学客員教授) 
 菊池一春(訓子府町長) 
 荒谷明子(メノビレッジ長沼共同代表)
 山口敏文(北海道生活協同組合連合会専務理事)
 内田和浩(北海学園大学経済学部教授)

第四回(9月3日)
 自治体がつくるワーキングプア
~その実態、背景と克服策を考える~
貧困をなくす役割が自治体に期待されているその一方で、自治体そのものが貧困をうみだしている。官製ワーキングプア問題である。自治体に雇われて働く臨時・非常勤職員は、短時間・短期間勤務者を除く総務省の調査でも全国で約60万人にのぼる。彼らの多くは女性で、年収は200万円に満たない。民間労働者ではないからと労働条件決定における労使対等原則は採用されず、一方で、地方公務員法では彼らが長期で基幹的な業務に従事することを前提としていない。法の狭間に落ちた存在である。他方で、自治体は多くの業務を民間事業者に委ねている。財政難や入札制度における競争政策がそこに拍車をかけている。結果、公共事業・委託事業・指定管理者分野などで貧困が生み出されている。しかし、発注者側である当の自治体は、発注後のことに関心は薄い。2013年秋に札幌市議会で否決された公契約条例はそこに歯止めをかけようとするものであった。だが、札幌市で否決された後、道内自治体で、公契約条例の制定を目指す動きは聞かない。こうした問題状況を確認して是正に向けた各地の取り組みに学ぶ。
 川村雅則(北海学園大学経済学部教授) 
 自治労単組関係者2名(※交渉中)
 稲葉典昭(帯広市議会議員)      
 鈴木 一(札幌地域労組副委員長)

第五回(10月22日)
 北海道の自治体問題
~首長と議員と職員のホンネ討論~
 1995年の地方分権改革は進展したであろうか。後退しているのではないか。自治体首長と行政職員のまちづくり能力は高まっているか。「議会は何をやっているのかが分からない」から、「無関心」と「不信感」が増大して「議会は必要か」の声すらある。議員のなり手がいなくて「選挙しない議会」が増えている。自治体の「議会不信」と「行政不信」が、「国政と政権」を監視する批判思考力を衰退させ、民主主義を衰弱させているのではあるまいか。首長・議員・職員(労組)が(ホンネ)を出し合い、現状打開の道筋を討論する。 
 高橋正夫(本別町長) 
 谷 一之(下川町長) 
 池田達雄(北斗市議長) 
 田村英樹(京極町議長) 
 三浦和枝 (自治労北海道本部書記長)
 神原 勝 (北海道大学名誉教授)  
 森  啓 (土曜講座実行委員)

会  場   北海学園大学3号館22番教室
        (札幌市豊平区旭町4 丁目1-40)
参加費  全5回前納:5,000円  1回分:1,500円 (学生無料)
問合せ メール jichidoyo2016@yahoo.co.jp  
  電 話 011-841-1161内線2737(北海学園大学 内田研究室)
自治体学-市民政府信託理論
(カテゴリー: 自治体学理論
自治体学-市民政府信託理論

民主主義は「国家の統治」ではない。
「市民の自治・共和」である。
民主政治は「市民が政府を選出し制御し交代させる」である。
政府の権限は市民が信託した範囲の権限である。

序 説
1 代表民主制と日本の憲法理論
(1) 日本の憲法理論は特殊である
(2) 註解日本国憲法
(3) 学者の憲法理論  
(4) 学者は自由に発想できない
(5) ジョン・ロックの主著「市民政府論」

2 代表民主制と市民自治
(1) 市民自治と自治体改革
(2) 市民自治と自治基本条例 
(3) 自由民主党の政策パンフ

3 代表民主制と行政文化 
(1) 行政文化
(2) 思考の座標軸
(3) 行政文化の改革
(4) 掛川市の「ルームクーラー問題」
(5) 自治体職員の職業倫理
(6) 想像力の衰弱

4 代表民主制と市町村合併
(1) 合併とは何か
(2) 合併促進の経緯
(3) 市町村の対応
(4) さらなる合併促進策
(5) 合併と住民投票
(6) 市町村合併の検証
(7) 市町村合併の論点

5 市民自治の政府信託理論
(1) 政府信託理論
(2) 市民が直観する「行政不信」
(3) 実践理論

上記内容の『市民政府信託理論-(代表民主制の理論)』を執筆刊行した。 (北海学園大学開発研究所「開発論集」011-841-1161)
講座 松下圭一「ロック『市民政府論』を読む」を読む
(カテゴリー: 自治体学講座
講座
松下圭一「ロック『市民政府論』を読む」(岩波現代文庫) を読む

71 年前、日本中が焼け野原になり食べる物も無くなり「二度と戦争はしない」と覚悟して憲法を定めた。憲法は民主主義になったが「民主主義」は根付いていない。国会で安倍首相はデタラメ答弁を繰返すが支持率は急落しない。この講座は「民主主義とは何か」を考える講座です。

6月1日( 水) 第1回 市民政府の理論
 『日本国憲法』を含めて世界各国の憲法は、資本主義・社会主義の体制を問わず、ロックの市民政府理論が原型になっています。「市民政府論」が「アメリカの独立宣言」「フランスの人権宣言」に甚大な影響を及ぼしたのです。市民政府理論が民主主義の政治理論です。
 
7月6日( 水) 第2回 市民政府信託理論
 民主主義は「国家の統治」ではない。「市民の自治・共和」です。市民は国家に統治される被治者ではないのです。民主政治は「市民が政府を選出し制御し交代させる」です。

8月3日( 水) 第3回 市民社会の理論
 すべて政治権力の源泉は 市民(People、Citizen) の同意です。政府の権限は市民が信託した権限です。「国家」は政治権力の主体ではない。「国家統治」は擬制の言説です。「擬制の言説」とは「本当は存在しないものを存在するかの如く主張する」ことです。

9月7日( 水) 第4回 市民自治の理論
 市民自治とは「市民が政府を選出し制御し交代させる」です。選挙は白紙委任ではない、選挙は代表権限の信頼委託契約です。政府が代表権限を逸脱するときは「信託契約」を解除する。これが民主主義の政治理論です。

10月5日( 水) 第5回 理論とは何か
 理論には「説明理論」と「実践理論」の二つがあります。
説明理論は現状を事後的に実証・分析して説明する理論です。
実践理論は「何が課題で何が解決策であるか」を考える理論です。
「知識として知っている」と「本当に分かっている」は同じでない。
「人は経験に学ぶ」という格言の意味は「一歩踏み出し困難に遭遇して真実を知る」です。

  ●6月1日(水)開講 全5回 月1回水曜18:45~20:45
  ●会 場 さっぽろ自由学校「遊」(愛生舘ビル6F)011-252-6752
「言うべきコト」を「ハッキリ言う」
(カテゴリー: 民主主義
 「言うべきコト」を「ハッキリ言う」

一つは
 安倍首相は参院選挙での(三分の二当選)を見越してか、「憲法改定」を口にし始めた。
 全国各地で「安倍政治を許さない」の市民運動が起きている。札幌でも「衆院補選区の候補統一」の市民運動が展開されている。だが「安全保障関連法反対」と書いたチラシを配布している。なぜ「戦争法反対」とハッキリ書かないのか。
安倍政権は「武器」を「防衛装備」と言い、「輸出」を「移転」と言い換えて、「武器輸出三原則」を放擲し「平和憲法を蔑ろ」にした。

 安倍首相は (ヌケヌケと・平然と) 自分がやっていることと、真逆のことを言い続け、「新聞・テレビ」がこれを追随する。これが常套手段になっているではないか。なぜチラシに「戦争法反対」とハッキリ書かないのか。
 「自衛隊を海外に出動させるため」「アメリカの戦争に加担するため」強行議決したのは明白である。「安全保障法」ではない。「戦争法」である。市民運動は安倍論法に追随してはならない。権力はいつも「言葉のイメージ」で騙すのである。騙されてはならない。
 
もう一つは
 朝日新聞の「声欄」である。「このような声を」と不審に思う投書が掲載される。
「朝日は偏っている」とのバッシングを回避するためであろうか。腰の引けた「普遍中立」のアピールは、朝日経営陣に「見識ある毅然」が欠落しているからではあるまいか。
これに較べて、岩波『世界』の「読者談話室」には、毎号、爽やかでシッカリした投書が掲載される。爽やかな投書は編集者の見識の反映でもあろう。

さらにもう一つ
 これまでは、池上彰氏の「ニュース解説」を「言うべきコト」を「そこで言わない」のは良くないと思っていた。
だが二月十二日の「なぜ戦争は世界からなくならないのか」の三時間番組は良かった。とりわけ、ラストでイギリスBBCのラジオ局長が「保守党議員の報道批判」に対して、「愛国心に関して(政治権力から)説教を受ける筋合いはない」とスパットと反論した映像を放映した。 そして「報道機関は政治に左右されてはならないのですね」とコメントした。「放送免許の取上げもあり得る」との高市早苗発言が問題になっているときである。まことに時宜を得た正当な(勇気ある)解説であった。 
高市発言は「総務大臣の地位を弁えない」愚かな言い募りである。その高市発言を安倍首相は庇い支持しているのである。
市民政府信託理論-代表民主制の理論
(カテゴリー: 自治体学理論
市民政府信託理論-代表民主制の理論

民主主義は「国家の統治」ではない。「市民の自治・共和」である。 民主政治は「市民が政府を選出し制御し交代させる」である。市民は国家に統治される被治者ではない。

71年前、日本中が焼け野原になり食べる物も無くなり、広島と長崎に原子爆弾を投下されて「二度と戦争はしない」と覚悟して憲法を定めた。憲法は「国民主権」になったが「民主主義」は根付いていない。
戦争中は「国家統治」に疑念を抱くことも禁圧されていたから、人々の心の奥底に「国家統治」の観念が残っている。
現在は「国家」「統治」の論調が勢いを盛り返し明治憲法への郷愁すらも蠢いている。
 
そこで、下記内容の
 『市民政府信託理論-(代表民主制の理論)』を執筆した。


1 代表民主制と日本の憲法理論
(1) 日本の憲法理論は特殊である
(2) 註解日本国憲法
(3) 学者の憲法理論  
(4) 学者は自由に発想できない
(5) ジョン・ロックの主著「市民政府論」

2 代表民主制と市民自治
(1) 市民自治と自治体改革
(2) 市民自治と自治基本条例 
(3) 自由民主党の政策パンフ 

3 代表民主制と行政文化 
(1) 行政文化
(2) 思考の座標軸
(3) 行政文化の改革
(4) 掛川市の「ルームクーラー問題」
(5) 自治体職員の職業倫理
(6) 想像力の衰弱

4 代表民主制と市町村合併
(1) 合併とは何か
(2) 合併促進の経緯
(3) 市町村の対応
(4) さらなる合併促進策
(5) 合併と住民投票
(6) 市町村合併の検証
(7) 市町村合併の論点
Ⅰ 合併は長と議会だけで決めてよいか 
Ⅱ 直接民主制と間接民主制
Ⅲ 住民投票を開票せず焼却してよいか

5 市民自治の政府信託理論
(1) 政府信託理論
(2) 市民が直観する「行政不信」
(3) 実践理論

本論稿を北海学園大学「開発論集」(2016年3月)に掲載する。
関心ありて、ご覧下さる方に差し上げたく思う。
松下圭一著『成熟と洗練―日本再構築ノート』を読む
(カテゴリー: 自治体学理論
   さっぽろ自由学校「遊」講座案内
松下圭一著 『成熟と洗練―日本再構築ノート』を読む

 前期開講の「市民自治とは何か~民主主義の理論・松下圭一を読む~」に引き続き、後期は松下圭一さんのエッセイ集「成熟と洗練―日本再構築ノート」を読み込みます。2006 年ごろから東日本大震災を挟んだ2012 年まで、松下さんが日本の政治・社会が直面する時々の課題を、友人・知人、後輩と論議したスタイルになっています。
 憲法、労働問題、官僚制度、地方自治、震災対策…と取り上げるテーマは多彩です。そこにうかがえるのは松下さんのいう「転
形期」にある日本社会の姿です。これらに対し、松下さんの長年培った学識、豊富な社会経験を踏まえた「松下学」の精髄が綴られています。松下さんは今年5 月他界されましたが、まさに遺言の書といったところです。
 前期に松下理論の根幹を解説していただいた森啓さんに再びコメンテーターとして、レポーターを補足してもらいます。「松下学」を学ぶとともに、課題解決の糸口を論議する講座です。

●10月14日(水)開講 全6回 月1回水曜18:45 ~ 20:45
  10/14, 11/11, 12/9, 1/13, 2/10, 3/9
●会 場 さっぽろ自由学校「遊」(愛生舘ビル6F 604)
●受講料 一般5,000 円 会員4,000 円 ユース2,000 円 (単発 一律1,000 円)
●コメンテーター 森 啓(もり けい)
 中央大学法学部卒、神奈川県自治総合研究センター研究部長、北海道大学法学部教授を経て、現在・北海学園大学法科大
学院講師。自治体政策研究所 理事長。
(詳細はブログ「自治体学」http://jichitaigaku.blog75.fc2.com/ を参照)
●テキスト 松下圭一著『成熟と洗練―日本再構築ノート』(公人の友社、2012 年)2,700 円
       ※テキストは各自ご用意ください。
福島みずほ議員「戦争法案―国会報告」
(カテゴリー: 民主主義
福島みずほ議員「戦争法案―国会報告」
数少ない信頼できる(ホンモノの国会議員)、福島みずほ参院議員が、10月8日札幌で「このままでいいの?憲法と民主主義」の国会報告を行った。
1 9月17日の安保法制特別委員会の採決は不存在で無効
2 集団的自衛権行使の「新三要件」は曖昧
3 後方支援は他国の戦争への参戦行動
4 武器使用・駆けつけ警護の危険性
5 自衛隊の「主たる任務」の改定―自衛隊員の危険
6 予測される財政負担の増大
7 自民党改憲案の問題性
8 労働者派遣法の改悪
9 女性の格差増大
10 脱原発―電力は足りている
談話 強行採決・安保法制
(カテゴリー: 民主主義
2015-9-19 朝日新聞(北海道版) 談話

 8月30日、国会包囲デモに娘と参加しました。
 年齢層の多様さに驚きました。
組織に所属していない人がほとんどで、私が20代だった安保闘争の頃とは大違いでした。警官隊との激しい衝突はないが、集結行動で「戦争をしない国を守る」の意思は明白でした。

 なぜ、安倍首相は憲法無視の安保法制にこだわるのか。祖父(岸信介)のように歴史に名を残したいからだとの見方もありますが、私は「戦争利権」を求める産業界の後押しが大きいと思います。
安倍政権は昨年、武器輸出を「防衛装備の移転」と言換えて規制を緩めました。目先の利益を追う経済界・産業界は大喜びです。日本製品は性能が良いから武器輸出大国になるでしょう。
これまで、日本は「戦争をしない国」「武器で殺傷しない国」の信頼があった。これからは、外国旅行で日本人が狙われる危険が高まるでしょう。昨日の報道ではイスラム国が日本の大使館を標的にすると声明しました。

  かつての「保守」には良識と品性があった。「何をしてはならないか」の倫理観があった。今の安倍首相にはそれがありません。この人物に「日本の命運」を握らせたままでよいのかです。
人間の歴史は傾くことはあっても止まりはしない。「自分は関係ない」と思っている人々が、「強行採決」をおかしいと思い、声をあげ始めれば、「歴史の流れ」を戻すことができると思います。
  森 啓 (自治体政策研究所理事長)

自治体議会の権能と議員の責務
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
2015-北海道自治体学土曜講座   
第四講 議会の権能と議員の責務  2015-9-12

1 議会と議員の問題現状 ― 討論するべき問題は何か
・住民は、議会と議員を、どう見ているか
・議会は、信用されているか 議員は信頼されているか
・議会は何をやっているのか - よく分からない
・住民は、投票した議員が四年間、どんな議案に賛成したのか、何の議案に反対したのかを知らない。 
・投票は頼まれてしている。 
・議会と議員の実態が「分からない」→「関心がない」
・無関心→不信感→議員定数減に賛成―議会不要論の声すらもある。定数に満たない立候補で「選挙無し」が増加しているー議会制度の危機である。
・信頼されている議会、尊敬評価されている議員もいる。だが少数である
  
2 議会本来の役割は何か
・首長提出の「総合計画案 予算案 重要議案など」の審議・決議 
・住民提出の「陳情・請願」の審議・採決

論点 
・議会は首長が提出する議案の審議・採決だけでなく、能動的に議会みずから議案を立案して審議・決議をするべきだ。
・この見解に対して、議会は執行に責任を持たないのだから賛同できない。それよりも、議会は実質的な討論・審議をしているか、議案内容を理解していない議員がいるのではないか。との見解がある。 どう考えるのが良いか。

3 選挙の翌日には、住民は陳情・請願の立場に逆転し、(殆どの)議員は白紙委任を受けたかのような身勝手な言動をしている。
・なぜそうなるのか ・どう考えたらよいのか 
・殆どの議員は当選すると、地域住民の切実な活動の場に姿を見せず、「行政への交渉申入れ」や「陳情・請願」にも助力せず関与もしない。
・「議会改革」は議員だけでできるであろうか

4 陳情と請願  
「陳情と請願」の違い ― (ほぼ同一の扱い)
実態 
 多くの議会では、委員会で案件に対する執行部の意見を訊き、担当部局が(それはちょっと)と言うと、「継続審議」になる。そして毎議会「継続審議」を繰り返して、「議員任期」の終了時に「一括(審議未了)であるとして、陳情・請願者に「廃案通告」をしている。(各地の議会によって取り扱いに少し違いあり)

論点 
1 実質審議をせずに継続審議にして、任期終了時に法的根拠も無く「滞貨一掃」にしている。しかしながら、選挙で議員の顔ぶれが変わっても、議会責任は継続するのだから、「審議未了・一括廃案」の通告処分は「違憲-違法」であろう。
2 そもそも、「陳情」「請願」は「お願い」なのか、
 主権者住民の「政策参加」と考えるべきではないのか。
 現在の事態は国民主権に反する違憲の慣例処理である。議会は主権者住民の上位ではない。議会の権限は有権者住民から信託された権限である。現在の慣例処理は旧内務官僚の指導によって行われいてるのである。早急に改めるべき慣例である。
 
  以上の四項目を討論していただきたい。
松下圭一先生を偲ぶ会 9月27、札幌市
(カテゴリー: 追悼
 松下圭一先生をしのぶ会
松下先生は、北海道自治体学会、地方自治土曜講座、北海道地方自治研究所の研究学習の場に何度も来道してくださいました。
 松下先生を偲ぶ会を下記のとおり開催します。

 1 日時2015年9月27日(日) 午後1時~3時
 2 会場KKRホテル札幌5階丹頂の間
  札幌市中央区北4条西5丁目℡011-231-6711
 3 会費 6,000円(松下圭一『私の仕事―著述目録』含)
 4 申込先 北海道地方自治研究所の辻道(つじみち)
 メール mtsujimi@jichiro-hokkaido.gr.jp
 ファクス 地方自治研究所fax011-747-4667
9月18日(金)までにご連絡をお願いします。

(発起人代表)川村喜芳、神原勝、山内亮史、森 啓、
(発起人) 今川かおる、片山健也、桑原隆太郎、小林生吉
       小山裕、嶋田浩彦、辻道雅宣、渡辺克生
松下圭一先生追悼文
(カテゴリー: 追悼
松下圭一先生追悼  (2015-8-29・吉祥寺第一ホテル)

  ―なぜ学者は松下理論を読まないのか-

1 NHKは、大河ドラマ「花 燃ゆ」で「松下村塾」にスポットライトをあてた。そのことは問題であるが、それはさておき、現在日本には二つの「松下村塾」がある。
一つは、松下幸之助の松下政経塾である。おびただしい議員の数である。だが、それらは、野田佳彦、高市早苗、前原誠二のような人達である。「国家統治」を信奉する人達である。
他の一つは、松下さんの話を聴いて著作を読んで「市民自治」を自身の思考の座標軸にする人々である。全国各地に多数の方々がいる。北海道にも多数いる。

2 1975年に岩波新書「市民自治の憲法理論」が刊行されたとき、学者は誰一人、反論できなかった。「松下ショック」と言われた。その新書の編集担当であった大塚さんの「松下圭一 日本を変える」のご本の第五章210頁に、そのことが記されている。 
そして今では、新聞も官僚も松下さんが造語した「自治」「分権」「市民参加」「自治体」などの用語を使っている。松下理論は普遍用語になっているのである。
 ところが、大学の講義は「国民主権」を「国家主権」と言換えて、国民を国家の被治者とする「国家学」である。憲法・行政法の教科書は「国家統治」であり「国家主権」であり「国家法人理論」である。
 松下理論に反論できない学者は「学会」をつくり「みんなで渡れば怖くない」と「国家に統治権あり」の講義を今も続けているのである。その講義で学んだ学生が毎年春に社会人になっている。 

3 学者は「松下理論の本を読まない」のである。「読まないことにしている」のである。
なぜであろうか。
1996年1月、札幌で『政策型思考と政治』の読書研究会を始めた。最初は70人の読書研究会であった。2年と9カ月で全ページを読了した。最終回の座談会に松下先生も出席して下さった。そして「論集・政策型思考と政治を読む」を刊行した。その論集の冒頭に「なぜ学者は松下さんの本を読まないのか」を書きました。
1995年から16年間続けた北海道自治土曜講座が目指したのは松下理論の習得であった。松下先生は講師として六回札幌に来て下さった。
2014年にその土曜講座を再開した。再開第一日目の午後の討論を「なぜ学者は松下さんの本を読まないのか」にした。
その内容を時事通信社の「地方行政」(2014年7月14日号)に掲載した。 

4 松下先生の追悼は、松下先生が60年間、創り続け言説し続けられた政策型思考を、多くの人々に知らせて、それが「理論と実践の指針」になることである、と思います。
松下理論の基礎概念は規範概念です。規範概念でありますから、「松下用語を知っている」だけでは「松下理論が分かった」にならない。「松下理論の用語」を「松下先生の叙述」でなぞるだけの解説は解説ではない。

5 本年五月から、札幌自由学校の市民講座で「民主主義の理論―松下圭一を読む」の講座を始めています。
十月から「成熟と洗練ー日本再構築ノート」の読書研究会を始めます。
市民政府の理論
(カテゴリー: 自治体学講座
連続講座「市民自治とは何か」   さっぽろ自由学校「遊」
- 民主主義の理論=松下圭一を読む-

第四回 市民政府の理論            2015-7-29 (水) 
テキスト 岩波新書「市民自治の憲法理論」「日本の自治・分権」  
                        
1. 自治体とは
1) 自治体の概念
 「自治体」の概念をめぐって見解が錯綜する。 
・「自治体」とは「政府」のことであるから「市民」は含まない。
・「自治体」とは「市民」と「政府」の双方を包含する言葉である。
・役場の文書や会議で使う「自治体」は「都道府県庁、市役所、町村役場」のことだ。
・役所だけが「自治体」を僣称することに違和感を覚える。
・自治体とは「まち」のことで、自治体は空間的イメージである。

概念・用語は思考の道具である。
理論的思考力を高めるには基礎概念を曖昧に使用してはならない。

2) 自治体とは、行政機構・役所のことではない。
自治体の主体(主人公)は市民である。
長い間、国民は「国家の一要素」とされ、国家の被治者とされてきた。そのため、憲法が国民主権に転換しても「主権者意識」が希薄で、自治体とは行政(役所)のことだと思ってしまう。

3) 自治体は「地方公共団体」ではない。
「地方公共団体」の言葉は、1946年の憲法制定のとき、旧内務官僚が造った用語である。GHQとの英文=和文のやり取りで、知事公選に抵抗し反感を抱いた旧内務官僚が、全国を画一支配するために造った言葉である。英文はLocal Self-Governmentである。これを地方公共団体と翻訳したのである。(当時のペテン的翻訳は、有斐閣・ジュリスト416号「地方自治20周年号」高木鉦作)

4) 自治体は「市民」と「政府」の二つを包含するコトバ(概念)である。
ところが、「自治体とは役所のこと」だと考える人が多い。松下理論に賛同する人も「自治体とは政府のこと」だと述べる。自治主体である「市民」は出てこない。
「自治体とは」の設問に、いの一番に「市民」が想起されないのはなぜであろうか。
「市民」も「市民自治」も「自治体」も規範概念である。「規範的思考」に習熟していないから「市民」を想起しないのであろう。
例えば、月刊「職員研修」2015-8月号-特集「松下圭一、<自治>へのまなざし」の五人の論稿は「用語も叙述も」松下著作のままである。執筆者が松下著作の「規範概念」をどのように「理解したのか」、松下著作の「規範論理」に「賛成なのか」「不賛成なのか」は語らない。語れないのである。自身の言葉で語れないのは、「松下理論を咀嚼していない・理解していない」ということである。

2 松下理論の骨格
 松下理論の骨格は三つである。
 第一は「市民自治」
 第二は「自治体政府」
 第三は「市民政治」

1) 市民自治
「国家」が統治主体であると擬制する「国家統治」に対して、「市民」が民主政治の主体であるとして「市民自治」を提示した。
市民自治とは「市民(人々=People=Citizen)が公共社会を管理運営するため、政府(首長と議員)を選出し代表権限を信託する」である。
信託は白紙委任ではない。選挙は信頼委託契約である。代表権限の逸脱には信託解除権の発動となる。これが「市民自治」であり「市民政治の理論」である。

2) 自治体政府
科学技術が発達し前例のない解決困難な公共課題が噴出する現代社会では、政府は三層に重層分化する。(多元重層の分節政治理論)
① 地域レベルの公共課題を解決する自治体政府
② 全国レベルの公共課題を解決する中央政府
③ 国際社会の公共課題を解決する国際政府(世界政治機構) 

3) 市民政治 
工業文明が進展して普通の人々が<余暇と教養> を享受し、シビルミニマムの公共整備の要請とあいまって、生活問題の解決が必要なとき、構造必然として市民活動が始動する。現代社会では大衆政治と市民政治の「絶えざる緊張」が繰り返される。

3 松下理論は難解か
松下理論を難解だと言う人が少なくない。文体が馴染めないと言う人もいる。
 問題は「なぜ難解だと思い馴染めないと感じるのか」である。
 松下理論を理解するには、自分自身の「政治イメージ」と「基礎概念」の再吟味が不可欠である。自身の政治イメージを問わず基礎概念の吟味を拒む人は、松下理論を正当に理解することはできないであろう。
誰しも、自身の思考の枠組や基礎概念を問い直すのは緊張感が伴い苦痛である。だから、無意識的に自分を庇い「難解だ」の防御壁をめぐらすのではあるまいか。
 松下理論は通説である国家学理論を転倒するのであるから易しくはない。
追悼 松下圭一先生  -会報・さっぽろ自由学校「遊」7月号-
(カテゴリー: 追悼
追悼 松下圭一先生  
-会報・さっぽろ自由学校「遊」7月号-  

1 国会では、安倍普三がアメリカの戦争に加担するため、デタラメ答弁を繰り返し「憲法違反の戦争法案」を、国会会期を延長して、自民・公明の多数議席で強行採決しようとしている。これは、祖父岸信介の「安保条約の強行採決」と同じ「民主主義を蹂躙する」やり方である。
 沖縄では、辺野古に軍港と空港を兼ね備えた本格基地を、暴力的に(カメラに写らないときは殴り蹴りして) 建設工事を強行している。
 本土の人々は、沖縄の基地の苦しみに無関心である。日本政府は「基地の地位協定」の改定交渉を一度も行っていない。
 沖縄の人々は、自分達の「祖国復帰運動」は何であったのか、と今「沖縄の自己決定・沖縄独立」の声が起きている。  

2 政府も官僚も、防衛・外交の権限は「国家の権限」であると言う。国会議員も言う。学者の多くもそう思っている。人々も「国家の権限」だと思っている(思わせられている)。「国家」の観念は擬制である。明治憲法のとき伊藤博文がドイツから持ち帰ったコトバである。「ドイツ皇帝の専制支配を存続するための擬似理論」のコトバである。そして「国家三要素説」は二重概念の騙し説明である。

3 40年前(1975年)、松下さんは岩波新書「市民自治の憲法理論」で、民主主義の主人公は「市民」(=People=Citizen)である。民主主義は「国家が国民を統治する」ではない。「市民が政府を組織し制御し交代させる」である。政府の権限は市民が信託した権限である、と明快に述べた。この本が刊行されたとき、憲法学・行政法学・政治学の学者は誰一人も反論できなかった。当時「松下ショック」と言われた。 
 そして2003年刊行の「都市型社会の防衛論争」(公人の友社)で、「防衛権」も「外交権」も、本来は「市民の権利」である。政府の外交・防衛の権限は市民が信託した権限である。信託は信頼委託である。白紙委任ではないと明晰に論述した。

4 70年前(1946年)、「天皇主権の憲法」から「国民主権の憲法」に転換した。だが「国家統治の論理」は存続した。なぜであろうか。長い間、「国家統治」が正統学とされ「国家」に疑念を抱くことも厳しく禁圧された。だから、学者は「国家」「国家統治」「国家主権」の観念から脱することが出来なかった。
 
5 松下さんの「市民自治の理論」に反論できない学者は、「学会」をつくり「みんなで渡れば怖くない」と、「国民主権」を「国家主権」と言い換えて、「国家に統治権あり」と今も講義しているのである。その講義で学んだ学生が毎年春に社会人になっている。

6  「日本人の生命を危うく」し「国際社会での日本の信頼を低下させて」いる安倍政権の支持率が、急落しないのはなぜであろうか。メディアが萎縮し報道するべきことを報道していないからであろう。だが騙されるのは人々の思考力が劣化しているからである。今必要なのは、松下さんが55年に亘って創り続けた「市民自治の理論」である。
 自由学校「遊」の役割は、「思考の座標軸」を見定めて「考える力」を高めることにある。

  松下圭一先生は、2015年5月6日、85歳で逝去された。
  心からなる追悼は「松下理論」が多くの方々に伝わることで
  あると思う。
  本年5月から、さっぽろ自由学校「遊」で、講座「民主主義の
   理論・松下圭一を読む」を開講した。
  そして、北海道自治体学土曜講座も再開した。    (森 啓)
追悼・松下圭一先生
(カテゴリー: 追悼
   追悼・松下圭一先生

1 70年前(1945)、日本中が焼野原になり食べる物も無くなり、「二度と戦争はしない」と覚悟して憲法を定めた。その憲法を、安倍普三(自民・公明) が破り棄て「戦争をする国」にしようとしている。
 戦前は、「国家統治」に疑念を抱く者はキビシク禁圧された。そして文部省が「国家統治」を教えこんだ。だから今も、人々は心の奥底に「国家」「統治」「服従」が残っている。  
 憲法は「国民主権の民主主義」になったが「国家が国民を統治する」は変わらなかった。
いつの時代も、権力者は「コトバ」で人々を騙す。そして人々は騙され自分の命さえも奪われる。憲法は民主主義になったが、人々の心に「民主主義」は根付いていない。
 安倍普三の支持率が下落しないのはなぜか。考える力が劣弱になっているからだ。
 大学では今も、「国民主権」を「国家主権」と言い換えて「国家が統治権の主体である」と教えている。毎年、その教育を受けた学生が社会人になっている。

2 40年前(1975)、岩波新書「市民自治の憲法理論」(松下圭一) が刊行された。
 この本には、民主主義は「国家が市民を統治する」ではない。人々(市民=People=Citizen)が社会の主人公である。民主政治の主体は「国家」ではない「市民」である。民主主義は「国家統治」でなく「市民自治」である、と明快に叙述されていた。
 市民自治とは「市民が政府を選出し制御し交代させる」である。選挙は白紙委任ではない。選挙は「信頼委託契約」である。政府が逸脱するときは「信託契約」を解除する。これが国民主権である、と書かれていた。 
 この本が刊行されたとき、憲法学者も政治学者も誰も反論できなかった。「松下シヨック」と言われた。

3 松下圭一は、イギリス市民革命を理論化した「ジョン・ロック」を研究して、東大の学部在学中に、岩波書店から「市民政治理論の形成」を刊行した。
 「市民自治の憲法理論」、「日本の自治・分権」、「政治・行政の考え方」の編集担当であり、後に岩波書店の代表取締役社長を勤めた大塚信一氏は、2014年1月、松下の主要著作を全検証して「松下圭一日本を変える」(354頁)を刊行した。
  筆者は、北海道大学で5年、北海学園大学で10年、松下理論の基本書「政策型思考と政治」(東大出版会) を大学院でテキストにした。 

4 松下先生は、北海道自治土曜講座(1995年から16年間、継続開催)に、講師として6回札幌に来てくださった。北海道には松下理論に馴染んだ多数の市民と自治体職員がいる。
 NHKは、大河ドラマ「花燃ゆ」で吉田松陰の「松下村塾」に脚光を当てた。その意図を問題なしとはしないが、それはさておき、現在日本には「二つの松下村塾」がある。
 一つは松下幸之助の「松下政経塾」である。おびただしい議員の数である。だが、その議員は「国家統治」を信奉し推進する人達である。もう一つは、松下理論の「市民自治」に賛同し自身の「思考の座標軸」を見定める人々である。全国各地に多数の方々がいる。

5 松下圭一先生は、2015年5月6日、85歳で逝去された。
 心からなる追悼は、「松下理論」が多くの方々に伝わることであると思う。
 本年5月から、さっぽろ自由学校「遊」で、講座「民主主義の理論・松下圭一を読む」を開講した。そして、北海道自治体学土曜講座を再開した。 
                            森  啓
沖縄慰霊の日-NHKと朝日・TBSのテレビ特番の違い 
(カテゴリー: 民主主義
沖縄慰霊の日-NHKと朝日・毎日のテレビ特番の違い    

沖縄慰霊の日(6月23日)の夜のテレビを見比べた。
式典の安倍首相の取り扱いがNHKとテレビ朝日・TBSとでは明らかな違いであった。拍手と野次の採音も違っていた。翁長知事が「基地撤去」「新基地反対」を述べたときの安倍首相の表情を、NHKは写さず、朝日・毎日は放映した。
特集番組の内容もNHKとテレ朝・TBSとは明白に違っていた。その違いは、翁長知事が平和宣言で述べた「普天間基地撤去」「辺野古に基地を新設させない」の「オール沖縄の民意」に、番組企画が連結していたかいないかの違いである。NHKは基地を避けた及び腰の企画であった。 

政府の外交権限は国民が信託した権限である。防衛権限も日米地位協定を改定する交渉権限も、本来は主権者である国民の権利である。国民が政府に信託したのである。外交権・防衛権を「国家の権限」と考えるのは間違いである。
 「国家」の語は、明治憲法のときドイツから学んだ「政府責任」を隠蔽する「権力の隠れ蓑」の用語である。「国家」は擬制の観念であり、「国民を国家の一要素」と説明する「国家三要素説」は曖昧な二重概念である。それは明治憲法時代の騙しの言説である。

政府の権限は首相の地位にいる者の専権ではない。国民が信頼委託した範囲内での権限である。政府が権限を逸脱したときには、主権者国民は信託を解除するのである。これが国民主権であり 民主主義の理論である。
 然るに、昨今の安倍首相の言動は自分の専権であるかのごとき振舞いである。安倍首相は思い上がってはならない。有権者国民は安倍普三を思い上がらせはならないのだ。  

 選挙で沖縄の人々が明確に表明したのは「基地撤去」であり、「新基地反対」であり、「沖縄の人々の人権」である。これが「沖縄の民意」である。その民意を実現するのが首相の責務であるのだ。
テレビ朝日の特集番組は、イタリア政府もドイツ政府も、政府が「地位協定」の改定交渉で「米軍基地周辺の住民の人権を守らせた」と報道した。そして「日米地位協定の改定交渉」を日本政府はこれまで一度も申し入れたことはなかったと解説した。そして、ドイツ外務省アイラル法務局長が「沖縄の基地問題を打開する可能性はあります」「基地問題の打開解決は安倍首相がオバマ大統領と直接会談することです」とインタビューに答えた映像を放映した。日本の首相はどちらを向いているのか。そしてNHKも、とテレビを見比べながら思った。

安倍首相の国会答弁
(カテゴリー: 民主主義
       安倍首相の国会答弁
       -国民を欺き騙す-

1 70年前、日本中が焼け野原になり食べる物も無くなって、「二度と戦争はしない」と「戦争放棄(9条)}を定めた。それは被害者であり加害者でもあった反省の覚悟であったのだ。それを今、安倍普三(自民・公明)が破り捨てようとしている。
「戦争法案」を「平和法案」と、(よくもまあ) 言換えて、ワシントンで約束してきた「この夏までに国会で決めます」を、議席多数で強行しようとしているのだ。

2 なぜ、安倍(自民・公明)は、日本を「戦争をする国」にしようとするのか。 それは、背後に戦争で莫大利権を得る「軍需企業」と「アメリカ輸出の大企業」があるからだ。 既に、「武器」」を「防衛装備」、「輸出」を「移転」と言換えて武器輸出を行っている。
そしてまた、「アメリカの戦争」を隠すために「わが国と密接な関係の国」と言い換えているのである。

3 3月17日、参議院予算委員会で、社民党の福島みずほ議員が「労働時間規制を除外する改正法案」は「明白な憲法違反である」と迫り、安倍首相の「積極的平和主義」は「積極的戦争主義」であると論拠を示しての質疑に対して、質問に答えず「そうは思わない」と平然と述べて、「戦争主義」の批判発言を「レッテル貼り」だと神経を苛立たせて逆攻撃した。苛立ったのは、「戦争」を「平和」と言い換えて国民を欺く「狡猾な手法」が(バレル)のを怖れたからである。

4 今回もまた 「戦争法案」を「平和法案」と言い換えて、自衛隊員を「危険な戦争に行かせるのか」の質問には「危険になれば撤退させる」と「できないこと」を平然と言い、「参戦させるのではない」「後方支援だ」と答弁する。
 志位和夫議員(共産党)に、国際常識では「後方支援」とは「兵站部隊」のことであり、「兵站部隊が一番先に狙われるのだ」「兵站が最も危険である」と指摘追求されても、質問には答えずデタラメな自説をくり返し質問時間を消費する。
 安倍首相の国会答弁は国民を欺き愚弄する言説・態度である。

5 先日(5月18日)札幌市内で、ペシャワール会の中村哲氏の講演を聴いた。
アフガニスタンの「荒涼とした砂漠」が「一面の緑の小麦畑」に蘇った映像と、中村さんが現地の人々と「命がけで用水路を完成させる光景」を眺めて驚嘆した。「ペシャワール会の活動」こそが、本物の「人道支援」であり「平和の国際貢献」である。
 中村哲氏と安倍普三(氏)とでは、「志し」が「天と地」の違いである。その中村さんが、「集団自衛権が国会で法律になってアメリカの戦争に参戦する」と「私たちは命を狙われます」と述べた。

6 かつての自民党政権は今ほど「さもしく危険」ではなかった。保守の良識と賢明があった。「全方位外交」を唱えてアジアの国々の信頼を得る努力をした内閣もあった。かつての保守の方々には「人間として何をしてはならないか」の倫理観があった。人格性と品性があった。今の安倍にはそれがない。この人物に「日本の命運を託してよいのか」「決する権力を握らせたままでよいのか」を、答弁する安倍首相の表情と態度と言説を眺めて聴いて、「日本の命運」が「多数議席で決められようとしている現実」を考えなくてはなるまい。「日本人の生命を危険に晒し、国際社会での日本の信頼を消失させようとしている」のだから。
 
7  安倍の祖父・岸信介の「日米軍事同盟条約」のときには、「安保反対国民共闘会議」が結成され広範な国民運動に発展した。
 そのときは、総評・社会党・共産党などの革新団体が存在した。メディアには本物のジャーナリストが居た。だが今は、労働組合は純粋性と思想性を失い退廃し自己犠牲を覚悟する役員は居ない。労組(連合)も政党も (武器輸出・原発輸出の企業関連の人がいて) 「安倍政権の軍事法案」に真っ向から反対し阻止せんとする気概・気配は見られない。国会質疑は枝葉末節なことを質問して安倍普三に微笑を送られている。戦争法案に真っ向から反対しているのは社民党と共産党だけである。
 
8 有権者国民はしっかりして、「日本人の生命」と「国際社会での日本の信頼」を守らなくてはならぬ。
だが、いつの時代にも人々は騙されて、自分を苦しめ生命さえも奪う権力者を支持する。メディアは自粛萎縮し真相を伝えない。
 北海道自治体学土曜講座の第二回講座で「メディアの現状とNHKの変貌」を討論する。

2015-北海道自治体学土曜講座
(カテゴリー: 北海道自治土曜講座
  2015-北海道自治体学土曜講座

第1回 6月6日(土)
貧困・格差のないまちを創るために、今、自治体でできることは
 川村 雅則(北海学園大学経済学部教授)
 中囿 桐代(北海学園大学経済学部教授)  
 鈴木 一(札幌地域労組副委員長)
 佐藤 宏和(北海道生活と健康を守る会連合会副会長)

第2回 6月20日(土)
メディアの現状―日本の民主主義
 永田 浩三(元NHK番組ディレクター/武蔵大学教授)
 菅原 淳(北海道新聞編集局解説委員)
 徃住 嘉文(日本ジャーナリスト会議)
 林 炳澤(イムピョンテク・自由学校「遊」共同代表)
 森 啓(北海学園大学開発研究所特別研究員)

第3回 7月25日(土)
NIMBY(迷惑施設)問題は解決できるか?
 押谷 一(酪農学園大学教授)
 片山 健也(ニセコ町長) 
 神沼公三郎(北大名誉教授)
 小坂 直人(北海学園大学開発研究所長・経済学部教授)

第4回 9月12日(土)
自治体議会を考える ~議会・議員の権能・責務とは~
 森 啓(北海学園大学開発研究所特別研究員)
 渡辺 三省(NPO法人公共政策研究所理事) 
 神原 勝(北海道大学名誉教授)
 久保あつこ(旭川市議会議員) 
 菅原 文子(南幌町議会議員) 他(交渉中)

第5回 10月24日(土)
男女平等社会をはばむ「壁」を越えるには 〜女性の視点から〜
 妙木 忍(社会学者/北海道大学留学生センター特任助教) 
 下郷 沙季(札幌学生ユニオン共同代表)
 藤根 美穂(岩見沢市立総合病院小児科医師) 
 中村由美子(北海道女性農業者ネットワーク事務局長)
 宮下裕美子(月形町議会議員)

会 場 北海学園大学34番教室(札幌市豊平区旭町4 丁目1-40)
メール jichi_doyokoza2015@yahoo.co.jp
松下圭一を読む-「市民自治とは何か」-
(カテゴリー: 自治体学講座
市民自治とは何か
~民主主義の理論・松下圭一を読む~

 市民自治とは民主主義の理論である。国民の運命に関わる重大なことを、政府が秘密にして、それを知ろうとすると「懲役10 年」の刑罰にする「秘密保護法」、日本が攻撃されていなくても、同盟国が戦争を始めると、攻撃されたとして自衛隊を参戦させる「集団的自衛権」など、「安倍内閣の暴走」を止める論拠を見出すために松下圭一を読む。

●5月13日(水)開講 全5回 水曜18:45 ~ 20:45
●会 場 さっぽろ自由学校「遊」(愛生舘ビル6F)
●受講料 一般5,000 円 会員4,000 円 ユース2,000 円
     (単発 一般1,500 円 会員1,000 円 ユース500 円)
●講 師 森 啓(もり けい)
 中央大学法学部卒、神奈川県自治総合研究センター研究部長、北海道大学法学部教授を経て、現在・北海学園大学法科大学院講師。自治体政策研究所理事長。主な著作『文化行政』『自治体の政策形成力』『文化の見えるまち』『新自治体学入門』。(詳細はブログ「自治体学」http://jichitaigaku.blog75.fc2.com/ を参照)
●テキスト
 『市民自治の憲法理論』(岩波新書、1975)、『日本の自治・分権』(岩波新書、1996)、『政治・行政の考え方』(岩波新書、1998)いずれも松下圭一著。
 
●参考書
 『戦後政治の歴史と思想』(ちくま学芸文庫、1994)、『ロック『市民政府論』を読む』(岩波現代文庫、2014)、『政策型思考と政治』(東大出版会、1991)以上、松下圭一著。大塚信一『松下圭一 日本を変える』(トランスビュー、2014)

5月13 日(水) 第1回 「日本の憲法理論」
 憲法は1946 年、天皇主権から国民主権の憲法に変わった。だが「国家統治の憲法理論」は変わらなかった。今も大学では「国家統治」を講義している。なぜであろうか。なぜ戦前の国家理論が続いているのかを考察する。それは憲法前文に「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意して憲法を確定した」私たちの責務である。民主主義は「国家が国民を統治支配する」ではない。
 
6月3日(水) 第2回「国家統治と市民自治」
 「国家」の言葉は、権力の場に在る人達の「隠れ蓑」である。「騙しの言葉」である。「国家が国民を統治支配する」ではなくて、「国民が政府を制御し交代させる」のである。「国民」の語は、曖昧な「国家三要素説」によって「国家の一要素」にされるから、暫くは使わないのが賢明。「国家」でなく「政府」 「国民」でなく「市民」で考える。思考の道具は「言葉」である。

7月1日(水) 第3回「市民の成熟」
 民主主義の政治主体は人々(People) である。自由で平等な「市民」が「政治主体」である。「市民」とは。「市民」と「住民」の違い。皇民・臣民、国民、人民、常民、平民、住民、市民、大衆、民衆。

7月29 日(水) 第4回「市民政府の理論」
 自治体とは役所のことか、札幌市と札幌市役所は同じ意味か。自治体学は「政府」と「市民」の理論、市民自治の「政府信託理論」である。 選挙の翌日、市民は「陳情・請願の立場」に逆転する。国家学は、その「理論と制度」を批判しない。

9月2日(水) 第5回「民主政治の条件」
 人類史の二回目の大転換-都市型社会の成立。市民社会の成熟。「知っている」と「分かっている」の違い。
  ( 講座参加者による討論)

【講座会場】(お申込・お問合せ先)
  NPO法人 さっぽろ自由学校「遊」
〒060-0061 札幌市中央区南1条西5丁目愛生舘ビル6F
TEL.011-252-6753  FAX.011-252-6751
syu@sapporoyu.org/
自治体とは
(カテゴリー: 自治体学理論
   自治体とは

 質問があったのでお答えする。
 「自治体」とは「行政機構(役所)」のことではない。自治体の主体は市民である。市民が政府(首長と議会)を選出し制御し交代させるのである。これが「市民自治の政府信託理論」である。選挙は代表権限の信託契約である。信託は白紙委任ではない。四年期限の信頼委託契約である。重大な背信行為のときには「信託解除権」の発動となる。
 行政機構は市民自治の事務局であって「統治機構」ではない。
 
 自治体学会で「自治体」の概念をめぐって次のように見解が錯綜したことがあった。
(1) 「自治体」とは「政府」のことであるから「市民」は含まない。 
(2) 「自治体」とは「市民」と「政府」の双方を包含する言葉であ る。
(3) 役場の文書や会議で使う「自治体」は「都道府県庁、市役 所、町村役場」のことだ。
(4) 役所だけを「自治体」と僣称することに違和感を覚える。
(5) 自治体とは「まち」のことで、自治体は空間的イメージであ る。
 概念・用語は思考の道具である。理論的思考力を高めるには基礎概念を曖昧に使用してはならない。

 旧内務省の言葉遣いでは住民は行政の被治者であって「自治主体」ではない。お上の官庁を住民が批判し制御する「政治主体」を認めない。だから、「県庁や市役所」が「地方公共団体」であり「自治体」であった。
 だが、旧内務省用語で基礎概念を混同してはならない。
 「自治体」とは「自治主体の市民」と「制度主体の政府」を意味する言葉である。
 (詳細は「新自治体学入門」2章「自治体の概念」(16頁) に記載した)

 「地方公共団体」と「自治体」
 総務省官僚は意図的に「自治体」と言わない。「地方公共団体」の言葉を使う。なぜであろうか。
 総務官僚が全国の都道府県・市町村を統制支配したいからである。旧内務官僚の統制支配の意識が今も継続保持されているのである。そして、この統治意識を再生産しているのが、大学法学部の憲法・行政法学の講義である。

 試みに、憲法・行政法の大学教授に、「国家統治と市民自治の違いは」、「国家主権と国民主権はどう違うのですか」、「国家三要素説は機構概念と団体概念の曖昧な二重概念ではないのか」などを質問されては如何であろう。
大学の講義は明治憲法のままである。「憲法を国家統治の基本法である」と講義して「国家が統治権の主体である」とする。そして「国民主権を国家内の憲法制定権力である?」と曖昧に説明する。
 
 かくして、「憲法は変われども国家統治は変わらず」である。市民(Citizen、People)は国家に統治される被治者である。
自治体学会は「国家統治」の理論を「市民自治」の理論に転換する研鑽の場として設立されたのである。

 2015年5月13日から、さっぽろ自由学校「遊」で、「市民自治とは」の講座を開講する。この講座で「なぜ大学の講義は明治憲法のままであるのか」、大学の憲法・行政法の講義が 「みんなで渡れば怖くないになっているカラクリ」を解明する。
 

  
「安倍政権とジャーナリズムの覚悟」原寿雄 (岩波ブックレツト)を薦める
(カテゴリー: メディア批評
「安倍政権とジャーナリズムの覚悟」原寿雄 (岩波ブックレツト)を薦める

 メディアの役割は「権力の監視」だと言われている。
だが、現在日本のメディア(新聞・テレビ)は、萎縮して報道するべきことを報道していない。
とりわけ、読売新聞とサンケイ新聞は安倍政権を擁護支援し続けている。そしてNHKの昨今の変貌ぶりは凄まじい。

安倍自民党の言動は傍若無人である。福島みずほ議員(社民党)の予算委員会での「この法案は戦争法案である」との追求質疑を、(議席の絶対多数の力で)「不適切表現」だとして修正しようとする。
「何でもあり」の傍若無人の安倍自民党である。そして公明党は、「政権内に居たい」を最優先にして、何ごとも自民党に結局は賛同する。これまで賛同してきた。

 憲法遵守(99条)義務を平然と踏みにじり、憲法違反の言動を続ける安倍政権に、なぜ公明党は賛同し続けるのであろうか。「極右の道に随伴した公明党であった」との歴史評価を受けるのではあるまいか。
 「庶民の党」「平和の党」が立党趣意であるのならば、「歯止めの役割」などと弁明 (言い逃れ)をせず、明々白々な憲法に反し人道に反する自民党案であるのだから、真正面から批判し反対すべきではないのか。
 
そしてメデイアは、なぜこれらを厳正に批判し報道しないのか。
世界のジャーナリストから、日本のメデイアは「政権監視をしていない」と指摘・批判されているのである。
今の日本は、新聞が競って煽動した満州事変の前夜に似て来た、と半藤一利さんも言っている。 

 岩波ブックレツト「安倍政権とジャーナリズムの覚悟」原寿雄 を薦めたい。
(内容を摘記する)
1 安倍首相の「日本を取り戻す」とは「戦争のできる日本にする」である。(2頁)
2 特定秘密保護法とジャーナリズム (4頁)
「何が秘密か」は政府が恣意的に指定して刑罰は(懲役10年)。
特定秘密保護法は、役人や警察への「取材禁止法」である。
3 安倍自民党の異様なマスコミ対策 (20頁)
 新聞、放送への監視モニターを強化し、特定放送番組にも介入する。
4 NHK支配の狙い (25頁)
  籾井勝人(元三井物産副社長)を会長に就任させ「ニュース原稿」をもチェツクし変更している。
5 テレビの「政権批判番組」の減少と衰退 (28頁) 
6 朝日新聞への「反日」バッシングが意味するものは何か (49頁)
7 いま、ジャーナリズムに必要な覚悟 (59頁)
 ・「いま」とは
 ・メデイアが再び戦争に協力しないための「ジャーナリズムの覚悟」8項目
 
 多くの方々が、この冊子をお読みになり、「ご自身の考え」を確かなものになさることを祈念する。
 そして、2015北海道自治体学土曜講座の第二講「メデイアの現在ー日本の民主主義」(6月20日)で、上記論点を討論する。

民主主義と安倍首相
(カテゴリー: 民主主義
    民主主義と安倍首相 

Ⅰ 朝日新聞3月18日(2015)17面のインタビュー記事はとても良い。ロレット・ナポリオーニさん(対テロ専門家)」の見解を報道したからである。

―過激派「イスラム国( IS)」によって、日本人の人質も犠牲になりました。事件を巡る日本政府の対応をどう見ますか―
 『日本人がISに拘束されたことが分かっていたのに、安倍普三首相がなぜ「IS対策として2億ドル拠出」を表明したのか。私には理解できません。率直にいって、大きな政治的過失だったと思います』 

―安倍氏が表明したのは人道支援で、それを問題視するのは筋違いではありませんか―
 『真に人道的なことをしたいのなら「シリア難民受け入れ」を表明するとか、国際難民高等弁務官事務所(UNHCR)に支援するとか、ほかの道があります。民主的な選挙で選ばれた政府に代わってできたエジプト軍事政権の前で、資金拠出を表明する必要はありませんでした』

―日本は今後どう進むべきだと考えますか-
 『最善の道は局外にとどまることです。2人の人質を殺されたことは悲劇ですが、私なら報復はしません。ISを巡る状況を作ったのは、日本ではなく、私たち欧州とその同盟国で、イラクに侵攻した米国なのです。欧米が始末をつけなければならない問題です」
 「ISへの対抗姿勢を明確にした人道支援表明の背景に、安倍氏の憲法改正への意欲があったという理解が国際社会に広まっています」「どんな形の関与でも表明するべきではなかったのです。これまでなら、政治責任が問われたのではないですか』

 この「インタビュー記事」を良いと思うのは、ナポリオーニ氏の「即座の応答」である。安倍首相は「人道支援」と強弁し、NHKは政府追随のニュース解説をしている。そのため、「2億ドルは人道支援」が罷り通るかの如くである。即座に批判し反論する「視座と論理」を保有しなくてならない。

Ⅱ うすら笑いの首相答弁 
 国会には「よくもまあ、ぬけぬけと、質問には答えず、憲法違反の言明を平然と言い放つ」安倍普三首相の答弁が続いている。
 例えば、3月17日、参議院予算委員会で、社民党の福島みずほ議員が「労働時間規制を除外する改正法案」は「明白な憲法違反である」と迫り、安倍首相の「積極的平和主義」は「積極的戦争主義」であるとの論拠を示しての質疑に対して、質問に答えず「そうは思わない」と平然と述べる。
 3月20日、民主党の小西洋之議員が「集団的自衛権の閣議決定は『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意して、この憲法を確定する』と定めた憲法に反する」との質疑にも、質問をはぐらかし「冷静に論理的な話をしましょう」とうすら笑いで答弁した。
 (下記の動画をご覧あれ)
 ・https://www.youtube.com/watch?v=fV9q_Hihb1Y ・https://www.youtube.com/watch?v=6BRW0B4nP4U  
 安倍首相のこれら不遜な態度が罷り通るのは、自民と公明の議席が絶対多数だからである。そして自民と公明に「この態度と論理」を批判する声が不在だからである。それは「勇気の無さ」と「政権内に居たい」である。
 憲法違反の不誠実答弁の追及が不十分なのは、福島議員と小西議員の質問時間があまりにも少ないからである。 安倍首相が憲法を蔑ろにするのは、有権者国民の「批判的思考力の弱さ」が故である。

 集団的自衛権とは、「同盟国(アメリカ)が何処かで戦争を始めると、日本が攻撃されたと看做して自衛隊を参戦させる」ということである。憲法違反は明白である。「憲法の番人」である裁判所の出番である。
感想 「これでいいのか北海道」シンポジゥム
(カテゴリー: 自治体学とシンポジュウム

  感想 「これでいいのか北海道」シンポジゥム

1 北海道大学・公共政策大学院が「これでいいのか北海道-本当の地方創生とは?」のテーマで2015年2月21日(土)、公開シンポジゥムを開催した。
 多数の人が会場いっぱいに参集した。多数参集したのは、「5人の町長の討論」を聴きたい、「聴いて考えたい」と思ったからであろう。 
 シンポの論点は二つであつた。
 一つは10年を経過した「市町村合併は何であつたか」。
 二つ目は、安倍内閣の「地方創生とは如何なるものか」であった。

2 町長の発言に参会者が思わず拍手をする場面が幾度もあった。ところが、折角のその見識ある発言を、パネラー相互に討論して参会者の認識を深める運営ではなかった。
 順番に発言を促すだけの司会であった。
 もしかして、司会者は「10年前の合併は何であったか」「今回の地方創生の問題は何か」について「自分の所見」が無いのではあるまいか。漠然とした認識ではなかったか。
 問題の所在が分かっていれば、「ここは討論するべきところ」「ここは異なる見解が出るところ」「ここはシンポだからこその論点である」となる筈である。
 シンポの主催者(司会者)に、問題意識(論点は何か)がなければ討論は深まらない。
 シンポジゥムの成否は、参会者が帰途に付くとき、「来て良かった」と思うか否かにある。
 シンポは、司会者の問題意識と才覚次第である。

3 「地方創生」
 元鳥取県知事の片山善博(慶応大学)が、岩波「世界」2014-11月号(183頁)に、「地方創生に何ら目新しいことはなく、これまで取り上げられたことばかりである」「地方創生という新手のネーミングで新鮮さと期待感を与えているが、これまでの政策との違いは何か、何が欠けていたのか、その反省と改善がなければ、新しいレッテルに張り替えただけ」と指摘している。
 今回の地方創生は、「地方交付税を2兆円減額して」「自治体に戦略的総合施策を提出させて」「優れたものに補助金を出す」というものである。
 だが、省庁官僚には「人口減少を止め地域に雇用の場をつくる方策」は無いのである。
 「まちづくり」の言葉が流布した80年代以降、省庁官僚は自治体が考え出した智恵を「パイロット事業」と称して、補助金で地方を従わせてきた。今回も同じである。
 今回の「地方創生」は統一地方選挙目当てである。「地方交付の金」を削減して「地方を従わせる」のは不正義である。
 「若年人口が減少し」「雇用の場を無くさせた」のは政権党の政策であり省庁官僚の無策である。その反省なく「地方創生」を唱導するは間違いである。

4 「市町村合併は何であったか」
 2014年10月24日、北海学園大学で開催した北海道自治体学土曜講座の「市町村合併は何であったか」(第五回講座)の討論内容を、本年3月2日発行の時事通信社「地方行政」に掲載するのでご覧頂ければ幸甚。

5 シンポの後半、会場から「質問したい」と手が上がった。司会は「質問は先ほどの休憩時間に質問用紙に書いて頂くことになっていました」、「討論を聴かなければ質問は書けないではないですか」、「運営にはいろいろのやり方があります」と司会。だが、休憩時の質問用紙に「何が書かれていたのか」、「質問があったのか、なかったのか」の説明はなかった。
後方の参会者から「発言させてあげなさいよ」の声が出た。配布されたチラシには、4.「会場質疑」と書かれていた。
いま少し自由闊達なシンポジゥムであって貰いたいと思った。
参会者の質問も意見も聴かない、聴こうとしない「公開シンポ」の開催意図を測りかねた。
町長の発言は良かった。だが、討論をしない、論点を深めない「シンポジゥム」であった。