■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
福島みずほ議員「戦争法案―国会報告」
(カテゴリー: 民主主義
福島みずほ議員「戦争法案―国会報告」
数少ない信頼できる(ホンモノの国会議員)、福島みずほ参院議員が、10月8日札幌で「このままでいいの?憲法と民主主義」の国会報告を行った。
1 9月17日の安保法制特別委員会の採決は不存在で無効
2 集団的自衛権行使の「新三要件」は曖昧
3 後方支援は他国の戦争への参戦行動
4 武器使用・駆けつけ警護の危険性
5 自衛隊の「主たる任務」の改定―自衛隊員の危険
6 予測される財政負担の増大
7 自民党改憲案の問題性
8 労働者派遣法の改悪
9 女性の格差増大
10 脱原発―電力は足りている
談話 強行採決・安保法制
(カテゴリー: 民主主義
2015-9-19 朝日新聞(北海道版) 談話

 8月30日、国会包囲デモに娘と参加しました。
 年齢層の多様さに驚きました。
組織に所属していない人がほとんどで、私が20代だった安保闘争の頃とは大違いでした。警官隊との激しい衝突はないが、集結行動で「戦争をしない国を守る」の意思は明白でした。

 なぜ、安倍首相は憲法無視の安保法制にこだわるのか。祖父(岸信介)のように歴史に名を残したいからだとの見方もありますが、私は「戦争利権」を求める産業界の後押しが大きいと思います。
安倍政権は昨年、武器輸出を「防衛装備の移転」と言換えて規制を緩めました。目先の利益を追う経済界・産業界は大喜びです。日本製品は性能が良いから武器輸出大国になるでしょう。
これまで、日本は「戦争をしない国」「武器で殺傷しない国」の信頼があった。これからは、外国旅行で日本人が狙われる危険が高まるでしょう。昨日の報道ではイスラム国が日本の大使館を標的にすると声明しました。

  かつての「保守」には良識と品性があった。「何をしてはならないか」の倫理観があった。今の安倍首相にはそれがありません。この人物に「日本の命運」を握らせたままでよいのかです。
人間の歴史は傾くことはあっても止まりはしない。「自分は関係ない」と思っている人々が、「強行採決」をおかしいと思い、声をあげ始めれば、「歴史の流れ」を戻すことができると思います。
  森 啓 (自治体政策研究所理事長)

自治体議会の権能と議員の責務
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
2015-北海道自治体学土曜講座   
第四講 議会の権能と議員の責務  2015-9-12

1 議会と議員の問題現状 ― 討論するべき問題は何か
・住民は、議会と議員を、どう見ているか
・議会は、信用されているか 議員は信頼されているか
・議会は何をやっているのか - よく分からない
・住民は、投票した議員が四年間、どんな議案に賛成したのか、何の議案に反対したのかを知らない。 
・投票は頼まれてしている。 
・議会と議員の実態が「分からない」→「関心がない」
・無関心→不信感→議員定数減に賛成―議会不要論の声すらもある。定数に満たない立候補で「選挙無し」が増加しているー議会制度の危機である。
・信頼されている議会、尊敬評価されている議員もいる。だが少数である
  
2 議会本来の役割は何か
・首長提出の「総合計画案 予算案 重要議案など」の審議・決議 
・住民提出の「陳情・請願」の審議・採決

論点 
・議会は首長が提出する議案の審議・採決だけでなく、能動的に議会みずから議案を立案して審議・決議をするべきだ。
・この見解に対して、議会は執行に責任を持たないのだから賛同できない。それよりも、議会は実質的な討論・審議をしているか、議案内容を理解していない議員がいるのではないか。との見解がある。 どう考えるのが良いか。

3 選挙の翌日には、住民は陳情・請願の立場に逆転し、(殆どの)議員は白紙委任を受けたかのような身勝手な言動をしている。
・なぜそうなるのか ・どう考えたらよいのか 
・殆どの議員は当選すると、地域住民の切実な活動の場に姿を見せず、「行政への交渉申入れ」や「陳情・請願」にも助力せず関与もしない。
・「議会改革」は議員だけでできるであろうか

4 陳情と請願  
「陳情と請願」の違い ― (ほぼ同一の扱い)
実態 
 多くの議会では、委員会で案件に対する執行部の意見を訊き、担当部局が(それはちょっと)と言うと、「継続審議」になる。そして毎議会「継続審議」を繰り返して、「議員任期」の終了時に「一括(審議未了)であるとして、陳情・請願者に「廃案通告」をしている。(各地の議会によって取り扱いに少し違いあり)

論点 
1 実質審議をせずに継続審議にして、任期終了時に法的根拠も無く「滞貨一掃」にしている。しかしながら、選挙で議員の顔ぶれが変わっても、議会責任は継続するのだから、「審議未了・一括廃案」の通告処分は「違憲-違法」であろう。
2 そもそも、「陳情」「請願」は「お願い」なのか、
 主権者住民の「政策参加」と考えるべきではないのか。
 現在の事態は国民主権に反する違憲の慣例処理である。議会は主権者住民の上位ではない。議会の権限は有権者住民から信託された権限である。現在の慣例処理は旧内務官僚の指導によって行われいてるのである。早急に改めるべき慣例である。
 
  以上の四項目を討論していただきたい。
松下圭一先生を偲ぶ会 9月27、札幌市
(カテゴリー: 追悼
 松下圭一先生をしのぶ会
松下先生は、北海道自治体学会、地方自治土曜講座、北海道地方自治研究所の研究学習の場に何度も来道してくださいました。
 松下先生を偲ぶ会を下記のとおり開催します。

 1 日時2015年9月27日(日) 午後1時~3時
 2 会場KKRホテル札幌5階丹頂の間
  札幌市中央区北4条西5丁目℡011-231-6711
 3 会費 6,000円(松下圭一『私の仕事―著述目録』含)
 4 申込先 北海道地方自治研究所の辻道(つじみち)
 メール mtsujimi@jichiro-hokkaido.gr.jp
 ファクス 地方自治研究所fax011-747-4667
9月18日(金)までにご連絡をお願いします。

(発起人代表)川村喜芳、神原勝、山内亮史、森 啓、
(発起人) 今川かおる、片山健也、桑原隆太郎、小林生吉
       小山裕、嶋田浩彦、辻道雅宣、渡辺克生
松下圭一先生追悼文
(カテゴリー: 追悼
松下圭一先生追悼  (2015-8-29・吉祥寺第一ホテル)

  ―なぜ学者は松下理論を読まないのか-

1 NHKは、大河ドラマ「花 燃ゆ」で「松下村塾」にスポットライトをあてた。そのことは問題であるが、それはさておき、現在日本には二つの「松下村塾」がある。
一つは、松下幸之助の松下政経塾である。おびただしい議員の数である。だが、それらは、野田佳彦、高市早苗、前原誠二のような人達である。「国家統治」を信奉する人達である。
他の一つは、松下さんの話を聴いて著作を読んで「市民自治」を自身の思考の座標軸にする人々である。全国各地に多数の方々がいる。北海道にも多数いる。

2 1975年に岩波新書「市民自治の憲法理論」が刊行されたとき、学者は誰一人、反論できなかった。「松下ショック」と言われた。その新書の編集担当であった大塚さんの「松下圭一 日本を変える」のご本の第五章210頁に、そのことが記されている。 
そして今では、新聞も官僚も松下さんが造語した「自治」「分権」「市民参加」「自治体」などの用語を使っている。松下理論は普遍用語になっているのである。
 ところが、大学の講義は「国民主権」を「国家主権」と言換えて、国民を国家の被治者とする「国家学」である。憲法・行政法の教科書は「国家統治」であり「国家主権」であり「国家法人理論」である。
 松下理論に反論できない学者は「学会」をつくり「みんなで渡れば怖くない」と「国家に統治権あり」の講義を今も続けているのである。その講義で学んだ学生が毎年春に社会人になっている。 

3 学者は「松下理論の本を読まない」のである。「読まないことにしている」のである。
なぜであろうか。
1996年1月、札幌で『政策型思考と政治』の読書研究会を始めた。最初は70人の読書研究会であった。2年と9カ月で全ページを読了した。最終回の座談会に松下先生も出席して下さった。そして「論集・政策型思考と政治を読む」を刊行した。その論集の冒頭に「なぜ学者は松下さんの本を読まないのか」を書きました。
1995年から16年間続けた北海道自治土曜講座が目指したのは松下理論の習得であった。松下先生は講師として六回札幌に来て下さった。
2014年にその土曜講座を再開した。再開第一日目の午後の討論を「なぜ学者は松下さんの本を読まないのか」にした。
その内容を時事通信社の「地方行政」(2014年7月14日号)に掲載した。 

4 松下先生の追悼は、松下先生が60年間、創り続け言説し続けられた政策型思考を、多くの人々に知らせて、それが「理論と実践の指針」になることである、と思います。
松下理論の基礎概念は規範概念です。規範概念でありますから、「松下用語を知っている」だけでは「松下理論が分かった」にならない。「松下理論の用語」を「松下先生の叙述」でなぞるだけの解説は解説ではない。

5 本年五月から、札幌自由学校の市民講座で「民主主義の理論―松下圭一を読む」の講座を始めています。
十月から「成熟と洗練ー日本再構築ノート」の読書研究会を始めます。
市民政府の理論
(カテゴリー: 自治体学講座
連続講座「市民自治とは何か」   さっぽろ自由学校「遊」
- 民主主義の理論=松下圭一を読む-

第四回 市民政府の理論            2015-7-29 (水) 
テキスト 岩波新書「市民自治の憲法理論」「日本の自治・分権」  
                        
1. 自治体とは
1) 自治体の概念
 「自治体」の概念をめぐって見解が錯綜する。 
・「自治体」とは「政府」のことであるから「市民」は含まない。
・「自治体」とは「市民」と「政府」の双方を包含する言葉である。
・役場の文書や会議で使う「自治体」は「都道府県庁、市役所、町村役場」のことだ。
・役所だけが「自治体」を僣称することに違和感を覚える。
・自治体とは「まち」のことで、自治体は空間的イメージである。

概念・用語は思考の道具である。
理論的思考力を高めるには基礎概念を曖昧に使用してはならない。

2) 自治体とは、行政機構・役所のことではない。
自治体の主体(主人公)は市民である。
長い間、国民は「国家の一要素」とされ、国家の被治者とされてきた。そのため、憲法が国民主権に転換しても「主権者意識」が希薄で、自治体とは行政(役所)のことだと思ってしまう。

3) 自治体は「地方公共団体」ではない。
「地方公共団体」の言葉は、1946年の憲法制定のとき、旧内務官僚が造った用語である。GHQとの英文=和文のやり取りで、知事公選に抵抗し反感を抱いた旧内務官僚が、全国を画一支配するために造った言葉である。英文はLocal Self-Governmentである。これを地方公共団体と翻訳したのである。(当時のペテン的翻訳は、有斐閣・ジュリスト416号「地方自治20周年号」高木鉦作)

4) 自治体は「市民」と「政府」の二つを包含するコトバ(概念)である。
ところが、「自治体とは役所のこと」だと考える人が多い。松下理論に賛同する人も「自治体とは政府のこと」だと述べる。自治主体である「市民」は出てこない。
「自治体とは」の設問に、いの一番に「市民」が想起されないのはなぜであろうか。
「市民」も「市民自治」も「自治体」も規範概念である。「規範的思考」に習熟していないから「市民」を想起しないのであろう。
例えば、月刊「職員研修」2015-8月号-特集「松下圭一、<自治>へのまなざし」の五人の論稿は「用語も叙述も」松下著作のままである。執筆者が松下著作の「規範概念」をどのように「理解したのか」、松下著作の「規範論理」に「賛成なのか」「不賛成なのか」は語らない。語れないのである。自身の言葉で語れないのは、「松下理論を咀嚼していない・理解していない」ということである。

2 松下理論の骨格
 松下理論の骨格は三つである。
 第一は「市民自治」
 第二は「自治体政府」
 第三は「市民政治」

1) 市民自治
「国家」が統治主体であると擬制する「国家統治」に対して、「市民」が民主政治の主体であるとして「市民自治」を提示した。
市民自治とは「市民(人々=People=Citizen)が公共社会を管理運営するため、政府(首長と議員)を選出し代表権限を信託する」である。
信託は白紙委任ではない。選挙は信頼委託契約である。代表権限の逸脱には信託解除権の発動となる。これが「市民自治」であり「市民政治の理論」である。

2) 自治体政府
科学技術が発達し前例のない解決困難な公共課題が噴出する現代社会では、政府は三層に重層分化する。(多元重層の分節政治理論)
① 地域レベルの公共課題を解決する自治体政府
② 全国レベルの公共課題を解決する中央政府
③ 国際社会の公共課題を解決する国際政府(世界政治機構) 

3) 市民政治 
工業文明が進展して普通の人々が<余暇と教養> を享受し、シビルミニマムの公共整備の要請とあいまって、生活問題の解決が必要なとき、構造必然として市民活動が始動する。現代社会では大衆政治と市民政治の「絶えざる緊張」が繰り返される。

3 松下理論は難解か
松下理論を難解だと言う人が少なくない。文体が馴染めないと言う人もいる。
 問題は「なぜ難解だと思い馴染めないと感じるのか」である。
 松下理論を理解するには、自分自身の「政治イメージ」と「基礎概念」の再吟味が不可欠である。自身の政治イメージを問わず基礎概念の吟味を拒む人は、松下理論を正当に理解することはできないであろう。
誰しも、自身の思考の枠組や基礎概念を問い直すのは緊張感が伴い苦痛である。だから、無意識的に自分を庇い「難解だ」の防御壁をめぐらすのではあるまいか。
 松下理論は通説である国家学理論を転倒するのであるから易しくはない。
追悼 松下圭一先生  -会報・さっぽろ自由学校「遊」7月号-
(カテゴリー: 追悼
追悼 松下圭一先生  
-会報・さっぽろ自由学校「遊」7月号-  

1 国会では、安倍普三がアメリカの戦争に加担するため、デタラメ答弁を繰り返し「憲法違反の戦争法案」を、国会会期を延長して、自民・公明の多数議席で強行採決しようとしている。これは、祖父岸信介の「安保条約の強行採決」と同じ「民主主義を蹂躙する」やり方である。
 沖縄では、辺野古に軍港と空港を兼ね備えた本格基地を、暴力的に(カメラに写らないときは殴り蹴りして) 建設工事を強行している。
 本土の人々は、沖縄の基地の苦しみに無関心である。日本政府は「基地の地位協定」の改定交渉を一度も行っていない。
 沖縄の人々は、自分達の「祖国復帰運動」は何であったのか、と今「沖縄の自己決定・沖縄独立」の声が起きている。  

2 政府も官僚も、防衛・外交の権限は「国家の権限」であると言う。国会議員も言う。学者の多くもそう思っている。人々も「国家の権限」だと思っている(思わせられている)。「国家」の観念は擬制である。明治憲法のとき伊藤博文がドイツから持ち帰ったコトバである。「ドイツ皇帝の専制支配を存続するための擬似理論」のコトバである。そして「国家三要素説」は二重概念の騙し説明である。

3 40年前(1975年)、松下さんは岩波新書「市民自治の憲法理論」で、民主主義の主人公は「市民」(=People=Citizen)である。民主主義は「国家が国民を統治する」ではない。「市民が政府を組織し制御し交代させる」である。政府の権限は市民が信託した権限である、と明快に述べた。この本が刊行されたとき、憲法学・行政法学・政治学の学者は誰一人も反論できなかった。当時「松下ショック」と言われた。 
 そして2003年刊行の「都市型社会の防衛論争」(公人の友社)で、「防衛権」も「外交権」も、本来は「市民の権利」である。政府の外交・防衛の権限は市民が信託した権限である。信託は信頼委託である。白紙委任ではないと明晰に論述した。

4 70年前(1946年)、「天皇主権の憲法」から「国民主権の憲法」に転換した。だが「国家統治の論理」は存続した。なぜであろうか。長い間、「国家統治」が正統学とされ「国家」に疑念を抱くことも厳しく禁圧された。だから、学者は「国家」「国家統治」「国家主権」の観念から脱することが出来なかった。
 
5 松下さんの「市民自治の理論」に反論できない学者は、「学会」をつくり「みんなで渡れば怖くない」と、「国民主権」を「国家主権」と言い換えて、「国家に統治権あり」と今も講義しているのである。その講義で学んだ学生が毎年春に社会人になっている。

6  「日本人の生命を危うく」し「国際社会での日本の信頼を低下させて」いる安倍政権の支持率が、急落しないのはなぜであろうか。メディアが萎縮し報道するべきことを報道していないからであろう。だが騙されるのは人々の思考力が劣化しているからである。今必要なのは、松下さんが55年に亘って創り続けた「市民自治の理論」である。
 自由学校「遊」の役割は、「思考の座標軸」を見定めて「考える力」を高めることにある。

  松下圭一先生は、2015年5月6日、85歳で逝去された。
  心からなる追悼は「松下理論」が多くの方々に伝わることで
  あると思う。
  本年5月から、さっぽろ自由学校「遊」で、講座「民主主義の
   理論・松下圭一を読む」を開講した。
  そして、北海道自治体学土曜講座も再開した。    (森 啓)
追悼・松下圭一先生
(カテゴリー: 追悼
   追悼・松下圭一先生

1 70年前(1945)、日本中が焼野原になり食べる物も無くなり、「二度と戦争はしない」と覚悟して憲法を定めた。その憲法を、安倍普三(自民・公明) が破り棄て「戦争をする国」にしようとしている。
 戦前は、「国家統治」に疑念を抱く者はキビシク禁圧された。そして文部省が「国家統治」を教えこんだ。だから今も、人々は心の奥底に「国家」「統治」「服従」が残っている。  
 憲法は「国民主権の民主主義」になったが「国家が国民を統治する」は変わらなかった。
いつの時代も、権力者は「コトバ」で人々を騙す。そして人々は騙され自分の命さえも奪われる。憲法は民主主義になったが、人々の心に「民主主義」は根付いていない。
 安倍普三の支持率が下落しないのはなぜか。考える力が劣弱になっているからだ。
 大学では今も、「国民主権」を「国家主権」と言い換えて「国家が統治権の主体である」と教えている。毎年、その教育を受けた学生が社会人になっている。

2 40年前(1975)、岩波新書「市民自治の憲法理論」(松下圭一) が刊行された。
 この本には、民主主義は「国家が市民を統治する」ではない。人々(市民=People=Citizen)が社会の主人公である。民主政治の主体は「国家」ではない「市民」である。民主主義は「国家統治」でなく「市民自治」である、と明快に叙述されていた。
 市民自治とは「市民が政府を選出し制御し交代させる」である。選挙は白紙委任ではない。選挙は「信頼委託契約」である。政府が逸脱するときは「信託契約」を解除する。これが国民主権である、と書かれていた。 
 この本が刊行されたとき、憲法学者も政治学者も誰も反論できなかった。「松下シヨック」と言われた。

3 松下圭一は、イギリス市民革命を理論化した「ジョン・ロック」を研究して、東大の学部在学中に、岩波書店から「市民政治理論の形成」を刊行した。
 「市民自治の憲法理論」、「日本の自治・分権」、「政治・行政の考え方」の編集担当であり、後に岩波書店の代表取締役社長を勤めた大塚信一氏は、2014年1月、松下の主要著作を全検証して「松下圭一日本を変える」(354頁)を刊行した。
  筆者は、北海道大学で5年、北海学園大学で10年、松下理論の基本書「政策型思考と政治」(東大出版会) を大学院でテキストにした。 

4 松下先生は、北海道自治土曜講座(1995年から16年間、継続開催)に、講師として6回札幌に来てくださった。北海道には松下理論に馴染んだ多数の市民と自治体職員がいる。
 NHKは、大河ドラマ「花燃ゆ」で吉田松陰の「松下村塾」に脚光を当てた。その意図を問題なしとはしないが、それはさておき、現在日本には「二つの松下村塾」がある。
 一つは松下幸之助の「松下政経塾」である。おびただしい議員の数である。だが、その議員は「国家統治」を信奉し推進する人達である。もう一つは、松下理論の「市民自治」に賛同し自身の「思考の座標軸」を見定める人々である。全国各地に多数の方々がいる。

5 松下圭一先生は、2015年5月6日、85歳で逝去された。
 心からなる追悼は、「松下理論」が多くの方々に伝わることであると思う。
 本年5月から、さっぽろ自由学校「遊」で、講座「民主主義の理論・松下圭一を読む」を開講した。そして、北海道自治体学土曜講座を再開した。 
                            森  啓
沖縄慰霊の日-NHKと朝日・TBSのテレビ特番の違い 
(カテゴリー: 民主主義
沖縄慰霊の日-NHKと朝日・毎日のテレビ特番の違い    

沖縄慰霊の日(6月23日)の夜のテレビを見比べた。
式典の安倍首相の取り扱いがNHKとテレビ朝日・TBSとでは明らかな違いであった。拍手と野次の採音も違っていた。翁長知事が「基地撤去」「新基地反対」を述べたときの安倍首相の表情を、NHKは写さず、朝日・毎日は放映した。
特集番組の内容もNHKとテレ朝・TBSとは明白に違っていた。その違いは、翁長知事が平和宣言で述べた「普天間基地撤去」「辺野古に基地を新設させない」の「オール沖縄の民意」に、番組企画が連結していたかいないかの違いである。NHKは基地を避けた及び腰の企画であった。 

政府の外交権限は国民が信託した権限である。防衛権限も日米地位協定を改定する交渉権限も、本来は主権者である国民の権利である。国民が政府に信託したのである。外交権・防衛権を「国家の権限」と考えるのは間違いである。
 「国家」の語は、明治憲法のときドイツから学んだ「政府責任」を隠蔽する「権力の隠れ蓑」の用語である。「国家」は擬制の観念であり、「国民を国家の一要素」と説明する「国家三要素説」は曖昧な二重概念である。それは明治憲法時代の騙しの言説である。

政府の権限は首相の地位にいる者の専権ではない。国民が信頼委託した範囲内での権限である。政府が権限を逸脱したときには、主権者国民は信託を解除するのである。これが国民主権であり 民主主義の理論である。
 然るに、昨今の安倍首相の言動は自分の専権であるかのごとき振舞いである。安倍首相は思い上がってはならない。有権者国民は安倍普三を思い上がらせはならないのだ。  

 選挙で沖縄の人々が明確に表明したのは「基地撤去」であり、「新基地反対」であり、「沖縄の人々の人権」である。これが「沖縄の民意」である。その民意を実現するのが首相の責務であるのだ。
テレビ朝日の特集番組は、イタリア政府もドイツ政府も、政府が「地位協定」の改定交渉で「米軍基地周辺の住民の人権を守らせた」と報道した。そして「日米地位協定の改定交渉」を日本政府はこれまで一度も申し入れたことはなかったと解説した。そして、ドイツ外務省アイラル法務局長が「沖縄の基地問題を打開する可能性はあります」「基地問題の打開解決は安倍首相がオバマ大統領と直接会談することです」とインタビューに答えた映像を放映した。日本の首相はどちらを向いているのか。そしてNHKも、とテレビを見比べながら思った。

安倍首相の国会答弁
(カテゴリー: 民主主義
       安倍首相の国会答弁
       -国民を欺き騙す-

1 70年前、日本中が焼け野原になり食べる物も無くなって、「二度と戦争はしない」と「戦争放棄(9条)}を定めた。それは被害者であり加害者でもあった反省の覚悟であったのだ。それを今、安倍普三(自民・公明)が破り捨てようとしている。
「戦争法案」を「平和法案」と、(よくもまあ) 言換えて、ワシントンで約束してきた「この夏までに国会で決めます」を、議席多数で強行しようとしているのだ。

2 なぜ、安倍(自民・公明)は、日本を「戦争をする国」にしようとするのか。 それは、背後に戦争で莫大利権を得る「軍需企業」と「アメリカ輸出の大企業」があるからだ。 既に、「武器」」を「防衛装備」、「輸出」を「移転」と言換えて武器輸出を行っている。
そしてまた、「アメリカの戦争」を隠すために「わが国と密接な関係の国」と言い換えているのである。

3 3月17日、参議院予算委員会で、社民党の福島みずほ議員が「労働時間規制を除外する改正法案」は「明白な憲法違反である」と迫り、安倍首相の「積極的平和主義」は「積極的戦争主義」であると論拠を示しての質疑に対して、質問に答えず「そうは思わない」と平然と述べて、「戦争主義」の批判発言を「レッテル貼り」だと神経を苛立たせて逆攻撃した。苛立ったのは、「戦争」を「平和」と言い換えて国民を欺く「狡猾な手法」が(バレル)のを怖れたからである。

4 今回もまた 「戦争法案」を「平和法案」と言い換えて、自衛隊員を「危険な戦争に行かせるのか」の質問には「危険になれば撤退させる」と「できないこと」を平然と言い、「参戦させるのではない」「後方支援だ」と答弁する。
 志位和夫議員(共産党)に、国際常識では「後方支援」とは「兵站部隊」のことであり、「兵站部隊が一番先に狙われるのだ」「兵站が最も危険である」と指摘追求されても、質問には答えずデタラメな自説をくり返し質問時間を消費する。
 安倍首相の国会答弁は国民を欺き愚弄する言説・態度である。

5 先日(5月18日)札幌市内で、ペシャワール会の中村哲氏の講演を聴いた。
アフガニスタンの「荒涼とした砂漠」が「一面の緑の小麦畑」に蘇った映像と、中村さんが現地の人々と「命がけで用水路を完成させる光景」を眺めて驚嘆した。「ペシャワール会の活動」こそが、本物の「人道支援」であり「平和の国際貢献」である。
 中村哲氏と安倍普三(氏)とでは、「志し」が「天と地」の違いである。その中村さんが、「集団自衛権が国会で法律になってアメリカの戦争に参戦する」と「私たちは命を狙われます」と述べた。

6 かつての自民党政権は今ほど「さもしく危険」ではなかった。保守の良識と賢明があった。「全方位外交」を唱えてアジアの国々の信頼を得る努力をした内閣もあった。かつての保守の方々には「人間として何をしてはならないか」の倫理観があった。人格性と品性があった。今の安倍にはそれがない。この人物に「日本の命運を託してよいのか」「決する権力を握らせたままでよいのか」を、答弁する安倍首相の表情と態度と言説を眺めて聴いて、「日本の命運」が「多数議席で決められようとしている現実」を考えなくてはなるまい。「日本人の生命を危険に晒し、国際社会での日本の信頼を消失させようとしている」のだから。
 
7  安倍の祖父・岸信介の「日米軍事同盟条約」のときには、「安保反対国民共闘会議」が結成され広範な国民運動に発展した。
 そのときは、総評・社会党・共産党などの革新団体が存在した。メディアには本物のジャーナリストが居た。だが今は、労働組合は純粋性と思想性を失い退廃し自己犠牲を覚悟する役員は居ない。労組(連合)も政党も (武器輸出・原発輸出の企業関連の人がいて) 「安倍政権の軍事法案」に真っ向から反対し阻止せんとする気概・気配は見られない。国会質疑は枝葉末節なことを質問して安倍普三に微笑を送られている。戦争法案に真っ向から反対しているのは社民党と共産党だけである。
 
8 有権者国民はしっかりして、「日本人の生命」と「国際社会での日本の信頼」を守らなくてはならぬ。
だが、いつの時代にも人々は騙されて、自分を苦しめ生命さえも奪う権力者を支持する。メディアは自粛萎縮し真相を伝えない。
 北海道自治体学土曜講座の第二回講座で「メディアの現状とNHKの変貌」を討論する。

2015-北海道自治体学土曜講座
(カテゴリー: 北海道自治土曜講座
  2015-北海道自治体学土曜講座

第1回 6月6日(土)
貧困・格差のないまちを創るために、今、自治体でできることは
 川村 雅則(北海学園大学経済学部教授)
 中囿 桐代(北海学園大学経済学部教授)  
 鈴木 一(札幌地域労組副委員長)
 佐藤 宏和(北海道生活と健康を守る会連合会副会長)

第2回 6月20日(土)
メディアの現状―日本の民主主義
 永田 浩三(元NHK番組ディレクター/武蔵大学教授)
 菅原 淳(北海道新聞編集局解説委員)
 徃住 嘉文(日本ジャーナリスト会議)
 林 炳澤(イムピョンテク・自由学校「遊」共同代表)
 森 啓(北海学園大学開発研究所特別研究員)

第3回 7月25日(土)
NIMBY(迷惑施設)問題は解決できるか?
 押谷 一(酪農学園大学教授)
 片山 健也(ニセコ町長) 
 神沼公三郎(北大名誉教授)
 小坂 直人(北海学園大学開発研究所長・経済学部教授)

第4回 9月12日(土)
自治体議会を考える ~議会・議員の権能・責務とは~
 森 啓(北海学園大学開発研究所特別研究員)
 渡辺 三省(NPO法人公共政策研究所理事) 
 神原 勝(北海道大学名誉教授)
 久保あつこ(旭川市議会議員) 
 菅原 文子(南幌町議会議員) 他(交渉中)

第5回 10月24日(土)
男女平等社会をはばむ「壁」を越えるには 〜女性の視点から〜
 妙木 忍(社会学者/北海道大学留学生センター特任助教) 
 下郷 沙季(札幌学生ユニオン共同代表)
 藤根 美穂(岩見沢市立総合病院小児科医師) 
 中村由美子(北海道女性農業者ネットワーク事務局長)
 宮下裕美子(月形町議会議員)

会 場 北海学園大学34番教室(札幌市豊平区旭町4 丁目1-40)
メール jichi_doyokoza2015@yahoo.co.jp
松下圭一を読む-「市民自治とは何か」-
(カテゴリー: 自治体学講座
市民自治とは何か
~民主主義の理論・松下圭一を読む~

 市民自治とは民主主義の理論である。国民の運命に関わる重大なことを、政府が秘密にして、それを知ろうとすると「懲役10 年」の刑罰にする「秘密保護法」、日本が攻撃されていなくても、同盟国が戦争を始めると、攻撃されたとして自衛隊を参戦させる「集団的自衛権」など、「安倍内閣の暴走」を止める論拠を見出すために松下圭一を読む。

●5月13日(水)開講 全5回 水曜18:45 ~ 20:45
●会 場 さっぽろ自由学校「遊」(愛生舘ビル6F)
●受講料 一般5,000 円 会員4,000 円 ユース2,000 円
     (単発 一般1,500 円 会員1,000 円 ユース500 円)
●講 師 森 啓(もり けい)
 中央大学法学部卒、神奈川県自治総合研究センター研究部長、北海道大学法学部教授を経て、現在・北海学園大学法科大学院講師。自治体政策研究所理事長。主な著作『文化行政』『自治体の政策形成力』『文化の見えるまち』『新自治体学入門』。(詳細はブログ「自治体学」http://jichitaigaku.blog75.fc2.com/ を参照)
●テキスト
 『市民自治の憲法理論』(岩波新書、1975)、『日本の自治・分権』(岩波新書、1996)、『政治・行政の考え方』(岩波新書、1998)いずれも松下圭一著。
 
●参考書
 『戦後政治の歴史と思想』(ちくま学芸文庫、1994)、『ロック『市民政府論』を読む』(岩波現代文庫、2014)、『政策型思考と政治』(東大出版会、1991)以上、松下圭一著。大塚信一『松下圭一 日本を変える』(トランスビュー、2014)

5月13 日(水) 第1回 「日本の憲法理論」
 憲法は1946 年、天皇主権から国民主権の憲法に変わった。だが「国家統治の憲法理論」は変わらなかった。今も大学では「国家統治」を講義している。なぜであろうか。なぜ戦前の国家理論が続いているのかを考察する。それは憲法前文に「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意して憲法を確定した」私たちの責務である。民主主義は「国家が国民を統治支配する」ではない。
 
6月3日(水) 第2回「国家統治と市民自治」
 「国家」の言葉は、権力の場に在る人達の「隠れ蓑」である。「騙しの言葉」である。「国家が国民を統治支配する」ではなくて、「国民が政府を制御し交代させる」のである。「国民」の語は、曖昧な「国家三要素説」によって「国家の一要素」にされるから、暫くは使わないのが賢明。「国家」でなく「政府」 「国民」でなく「市民」で考える。思考の道具は「言葉」である。

7月1日(水) 第3回「市民の成熟」
 民主主義の政治主体は人々(People) である。自由で平等な「市民」が「政治主体」である。「市民」とは。「市民」と「住民」の違い。皇民・臣民、国民、人民、常民、平民、住民、市民、大衆、民衆。

7月29 日(水) 第4回「市民政府の理論」
 自治体とは役所のことか、札幌市と札幌市役所は同じ意味か。自治体学は「政府」と「市民」の理論、市民自治の「政府信託理論」である。 選挙の翌日、市民は「陳情・請願の立場」に逆転する。国家学は、その「理論と制度」を批判しない。

9月2日(水) 第5回「民主政治の条件」
 人類史の二回目の大転換-都市型社会の成立。市民社会の成熟。「知っている」と「分かっている」の違い。
  ( 講座参加者による討論)

【講座会場】(お申込・お問合せ先)
  NPO法人 さっぽろ自由学校「遊」
〒060-0061 札幌市中央区南1条西5丁目愛生舘ビル6F
TEL.011-252-6753  FAX.011-252-6751
syu@sapporoyu.org/
自治体とは
(カテゴリー: 自治体学理論
   自治体とは

 質問があったのでお答えする。
 「自治体」とは「行政機構(役所)」のことではない。自治体の主体は市民である。市民が政府(首長と議会)を選出し制御し交代させるのである。これが「市民自治の政府信託理論」である。選挙は代表権限の信託契約である。信託は白紙委任ではない。四年期限の信頼委託契約である。重大な背信行為のときには「信託解除権」の発動となる。
 行政機構は市民自治の事務局であって「統治機構」ではない。
 
 自治体学会で「自治体」の概念をめぐって次のように見解が錯綜したことがあった。
(1) 「自治体」とは「政府」のことであるから「市民」は含まない。 
(2) 「自治体」とは「市民」と「政府」の双方を包含する言葉であ る。
(3) 役場の文書や会議で使う「自治体」は「都道府県庁、市役 所、町村役場」のことだ。
(4) 役所だけを「自治体」と僣称することに違和感を覚える。
(5) 自治体とは「まち」のことで、自治体は空間的イメージであ る。
 概念・用語は思考の道具である。理論的思考力を高めるには基礎概念を曖昧に使用してはならない。

 旧内務省の言葉遣いでは住民は行政の被治者であって「自治主体」ではない。お上の官庁を住民が批判し制御する「政治主体」を認めない。だから、「県庁や市役所」が「地方公共団体」であり「自治体」であった。
 だが、旧内務省用語で基礎概念を混同してはならない。
 「自治体」とは「自治主体の市民」と「制度主体の政府」を意味する言葉である。
 (詳細は「新自治体学入門」2章「自治体の概念」(16頁) に記載した)

 「地方公共団体」と「自治体」
 総務省官僚は意図的に「自治体」と言わない。「地方公共団体」の言葉を使う。なぜであろうか。
 総務官僚が全国の都道府県・市町村を統制支配したいからである。旧内務官僚の統制支配の意識が今も継続保持されているのである。そして、この統治意識を再生産しているのが、大学法学部の憲法・行政法学の講義である。

 試みに、憲法・行政法の大学教授に、「国家統治と市民自治の違いは」、「国家主権と国民主権はどう違うのですか」、「国家三要素説は機構概念と団体概念の曖昧な二重概念ではないのか」などを質問されては如何であろう。
大学の講義は明治憲法のままである。「憲法を国家統治の基本法である」と講義して「国家が統治権の主体である」とする。そして「国民主権を国家内の憲法制定権力である?」と曖昧に説明する。
 
 かくして、「憲法は変われども国家統治は変わらず」である。市民(Citizen、People)は国家に統治される被治者である。
自治体学会は「国家統治」の理論を「市民自治」の理論に転換する研鑽の場として設立されたのである。

 2015年5月13日から、さっぽろ自由学校「遊」で、「市民自治とは」の講座を開講する。この講座で「なぜ大学の講義は明治憲法のままであるのか」、大学の憲法・行政法の講義が 「みんなで渡れば怖くないになっているカラクリ」を解明する。
 

  
「安倍政権とジャーナリズムの覚悟」原寿雄 (岩波ブックレツト)を薦める
(カテゴリー: メディア批評
「安倍政権とジャーナリズムの覚悟」原寿雄 (岩波ブックレツト)を薦める

 メディアの役割は「権力の監視」だと言われている。
だが、現在日本のメディア(新聞・テレビ)は、萎縮して報道するべきことを報道していない。
とりわけ、読売新聞とサンケイ新聞は安倍政権を擁護支援し続けている。そしてNHKの昨今の変貌ぶりは凄まじい。

安倍自民党の言動は傍若無人である。福島みずほ議員(社民党)の予算委員会での「この法案は戦争法案である」との追求質疑を、(議席の絶対多数の力で)「不適切表現」だとして修正しようとする。
「何でもあり」の傍若無人の安倍自民党である。そして公明党は、「政権内に居たい」を最優先にして、何ごとも自民党に結局は賛同する。これまで賛同してきた。

 憲法遵守(99条)義務を平然と踏みにじり、憲法違反の言動を続ける安倍政権に、なぜ公明党は賛同し続けるのであろうか。「極右の道に随伴した公明党であった」との歴史評価を受けるのではあるまいか。
 「庶民の党」「平和の党」が立党趣意であるのならば、「歯止めの役割」などと弁明 (言い逃れ)をせず、明々白々な憲法に反し人道に反する自民党案であるのだから、真正面から批判し反対すべきではないのか。
 
そしてメデイアは、なぜこれらを厳正に批判し報道しないのか。
世界のジャーナリストから、日本のメデイアは「政権監視をしていない」と指摘・批判されているのである。
今の日本は、新聞が競って煽動した満州事変の前夜に似て来た、と半藤一利さんも言っている。 

 岩波ブックレツト「安倍政権とジャーナリズムの覚悟」原寿雄 を薦めたい。
(内容を摘記する)
1 安倍首相の「日本を取り戻す」とは「戦争のできる日本にする」である。(2頁)
2 特定秘密保護法とジャーナリズム (4頁)
「何が秘密か」は政府が恣意的に指定して刑罰は(懲役10年)。
特定秘密保護法は、役人や警察への「取材禁止法」である。
3 安倍自民党の異様なマスコミ対策 (20頁)
 新聞、放送への監視モニターを強化し、特定放送番組にも介入する。
4 NHK支配の狙い (25頁)
  籾井勝人(元三井物産副社長)を会長に就任させ「ニュース原稿」をもチェツクし変更している。
5 テレビの「政権批判番組」の減少と衰退 (28頁) 
6 朝日新聞への「反日」バッシングが意味するものは何か (49頁)
7 いま、ジャーナリズムに必要な覚悟 (59頁)
 ・「いま」とは
 ・メデイアが再び戦争に協力しないための「ジャーナリズムの覚悟」8項目
 
 多くの方々が、この冊子をお読みになり、「ご自身の考え」を確かなものになさることを祈念する。
 そして、2015北海道自治体学土曜講座の第二講「メデイアの現在ー日本の民主主義」(6月20日)で、上記論点を討論する。

民主主義と安倍首相
(カテゴリー: 民主主義
    民主主義と安倍首相 

Ⅰ 朝日新聞3月18日(2015)17面のインタビュー記事はとても良い。ロレット・ナポリオーニさん(対テロ専門家)」の見解を報道したからである。

―過激派「イスラム国( IS)」によって、日本人の人質も犠牲になりました。事件を巡る日本政府の対応をどう見ますか―
 『日本人がISに拘束されたことが分かっていたのに、安倍普三首相がなぜ「IS対策として2億ドル拠出」を表明したのか。私には理解できません。率直にいって、大きな政治的過失だったと思います』 

―安倍氏が表明したのは人道支援で、それを問題視するのは筋違いではありませんか―
 『真に人道的なことをしたいのなら「シリア難民受け入れ」を表明するとか、国際難民高等弁務官事務所(UNHCR)に支援するとか、ほかの道があります。民主的な選挙で選ばれた政府に代わってできたエジプト軍事政権の前で、資金拠出を表明する必要はありませんでした』

―日本は今後どう進むべきだと考えますか-
 『最善の道は局外にとどまることです。2人の人質を殺されたことは悲劇ですが、私なら報復はしません。ISを巡る状況を作ったのは、日本ではなく、私たち欧州とその同盟国で、イラクに侵攻した米国なのです。欧米が始末をつけなければならない問題です」
 「ISへの対抗姿勢を明確にした人道支援表明の背景に、安倍氏の憲法改正への意欲があったという理解が国際社会に広まっています」「どんな形の関与でも表明するべきではなかったのです。これまでなら、政治責任が問われたのではないですか』

 この「インタビュー記事」を良いと思うのは、ナポリオーニ氏の「即座の応答」である。安倍首相は「人道支援」と強弁し、NHKは政府追随のニュース解説をしている。そのため、「2億ドルは人道支援」が罷り通るかの如くである。即座に批判し反論する「視座と論理」を保有しなくてならない。

Ⅱ うすら笑いの首相答弁 
 国会には「よくもまあ、ぬけぬけと、質問には答えず、憲法違反の言明を平然と言い放つ」安倍普三首相の答弁が続いている。
 例えば、3月17日、参議院予算委員会で、社民党の福島みずほ議員が「労働時間規制を除外する改正法案」は「明白な憲法違反である」と迫り、安倍首相の「積極的平和主義」は「積極的戦争主義」であるとの論拠を示しての質疑に対して、質問に答えず「そうは思わない」と平然と述べる。
 3月20日、民主党の小西洋之議員が「集団的自衛権の閣議決定は『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意して、この憲法を確定する』と定めた憲法に反する」との質疑にも、質問をはぐらかし「冷静に論理的な話をしましょう」とうすら笑いで答弁した。
 (下記の動画をご覧あれ)
 ・https://www.youtube.com/watch?v=fV9q_Hihb1Y ・https://www.youtube.com/watch?v=6BRW0B4nP4U  
 安倍首相のこれら不遜な態度が罷り通るのは、自民と公明の議席が絶対多数だからである。そして自民と公明に「この態度と論理」を批判する声が不在だからである。それは「勇気の無さ」と「政権内に居たい」である。
 憲法違反の不誠実答弁の追及が不十分なのは、福島議員と小西議員の質問時間があまりにも少ないからである。 安倍首相が憲法を蔑ろにするのは、有権者国民の「批判的思考力の弱さ」が故である。

 集団的自衛権とは、「同盟国(アメリカ)が何処かで戦争を始めると、日本が攻撃されたと看做して自衛隊を参戦させる」ということである。憲法違反は明白である。「憲法の番人」である裁判所の出番である。
感想 「これでいいのか北海道」シンポジゥム
(カテゴリー: 自治体学とシンポジュウム

  感想 「これでいいのか北海道」シンポジゥム

1 北海道大学・公共政策大学院が「これでいいのか北海道-本当の地方創生とは?」のテーマで2015年2月21日(土)、公開シンポジゥムを開催した。
 多数の人が会場いっぱいに参集した。多数参集したのは、「5人の町長の討論」を聴きたい、「聴いて考えたい」と思ったからであろう。 
 シンポの論点は二つであつた。
 一つは10年を経過した「市町村合併は何であつたか」。
 二つ目は、安倍内閣の「地方創生とは如何なるものか」であった。

2 町長の発言に参会者が思わず拍手をする場面が幾度もあった。ところが、折角のその見識ある発言を、パネラー相互に討論して参会者の認識を深める運営ではなかった。
 順番に発言を促すだけの司会であった。
 もしかして、司会者は「10年前の合併は何であったか」「今回の地方創生の問題は何か」について「自分の所見」が無いのではあるまいか。漠然とした認識ではなかったか。
 問題の所在が分かっていれば、「ここは討論するべきところ」「ここは異なる見解が出るところ」「ここはシンポだからこその論点である」となる筈である。
 シンポの主催者(司会者)に、問題意識(論点は何か)がなければ討論は深まらない。
 シンポジゥムの成否は、参会者が帰途に付くとき、「来て良かった」と思うか否かにある。
 シンポは、司会者の問題意識と才覚次第である。

3 「地方創生」
 元鳥取県知事の片山善博(慶応大学)が、岩波「世界」2014-11月号(183頁)に、「地方創生に何ら目新しいことはなく、これまで取り上げられたことばかりである」「地方創生という新手のネーミングで新鮮さと期待感を与えているが、これまでの政策との違いは何か、何が欠けていたのか、その反省と改善がなければ、新しいレッテルに張り替えただけ」と指摘している。
 今回の地方創生は、「地方交付税を2兆円減額して」「自治体に戦略的総合施策を提出させて」「優れたものに補助金を出す」というものである。
 だが、省庁官僚には「人口減少を止め地域に雇用の場をつくる方策」は無いのである。
 「まちづくり」の言葉が流布した80年代以降、省庁官僚は自治体が考え出した智恵を「パイロット事業」と称して、補助金で地方を従わせてきた。今回も同じである。
 今回の「地方創生」は統一地方選挙目当てである。「地方交付の金」を削減して「地方を従わせる」のは不正義である。
 「若年人口が減少し」「雇用の場を無くさせた」のは政権党の政策であり省庁官僚の無策である。その反省なく「地方創生」を唱導するは間違いである。

4 「市町村合併は何であったか」
 2014年10月24日、北海学園大学で開催した北海道自治体学土曜講座の「市町村合併は何であったか」(第五回講座)の討論内容を、本年3月2日発行の時事通信社「地方行政」に掲載するのでご覧頂ければ幸甚。

5 シンポの後半、会場から「質問したい」と手が上がった。司会は「質問は先ほどの休憩時間に質問用紙に書いて頂くことになっていました」、「討論を聴かなければ質問は書けないではないですか」、「運営にはいろいろのやり方があります」と司会。だが、休憩時の質問用紙に「何が書かれていたのか」、「質問があったのか、なかったのか」の説明はなかった。
後方の参会者から「発言させてあげなさいよ」の声が出た。配布されたチラシには、4.「会場質疑」と書かれていた。
いま少し自由闊達なシンポジゥムであって貰いたいと思った。
参会者の質問も意見も聴かない、聴こうとしない「公開シンポ」の開催意図を測りかねた。
町長の発言は良かった。だが、討論をしない、論点を深めない「シンポジゥム」であった。




連続講座「市民自治とは何か」
(カテゴリー: 自治体学講座
    さっぽろ自由学校「遊」 
  連続講座「市民自治とは何か」
 - 民主主義の理論=松下圭一を読む-

 市民自治とは民主主義の理論である。
国民の運命に関わる重大なことを、政府が秘密にして、それを知ろうとすると「懲役10年」の刑罰にする「秘密保護法」、
同盟国が戦争を始めると、日本が攻撃されていなくても、攻撃されたとして自衛隊を参戦させる「集団的自衛権」など、
「安倍内閣の暴走」を止める論拠を見出すために松下圭一を読む。

第一回 (日本の憲法理論)   5月13日
 憲法は1946年、天皇主権から国民主権の憲法に変わった。だが「国家統治の憲法理論」は変わらなかった。今も大学では「国家統治」を講義している。なぜであろうか。なぜ戦前の国家理論が続いているのかを考察する。それは憲法前文に「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意して憲法を確定した」私たちの責務である。
 民主主義は「国家が国民を統治支配する」ではない。 

第二回 (国家統治と市民自治)  6月13日
 「国家」の言葉は、権力の場に在る人達の「隠れ蓑」である。「騙しの言葉」である。
 「国家が国民を統治支配する」ではなくて、「国民が政府を制御し交代させる」のである。
 「国民」の語は、曖昧な「国家三要素説」によって「国家の一要素」にされるから、暫くは使わないのが賢明。
 「国家」でなく「政府」 「国民」でなく「市民」で考える。
 思考の道具は「言葉」である。

第三回 (市民の成熟)   7月1日
 民主主義の政治主体は人々(People)である。
 自由で平等な「市民」が「政治主体」である。
 「市民」とは
  ・古代ギリシャ時代の政治主体   家父長
  ・中世貴族社会の政治主体     貴族
  ・近代啓蒙期の市民         有産名望家
  ・現代都市型社会の市民      普通の人々
 「市民」と「住民」の違い。
  皇民・臣民、国民、人民、常民、平民、住民、市民、大衆、民衆

第四回 (市民政府の理論)  7月29日
 自治体とは役所のことか 札幌市と札幌市役所は同じ意味か
 自治体学は「政府」と「市民」の理論 市民自治の「政府信託理論」である。 
 選挙の翌日、市民は「陳情・請願の立場」に逆転する。
 その「理論と制度」を 国家学は批判しない。
   国家学は「国家統治の国家法人説」
   自治体学は「市民自治の政府信託説」

第五回 (民主政治の条件)
 人類史の二回目の大転換-都市型社会の成立
 市民社会の成熟
 「知っている」と「分かっている」の違い
 (講座参加者による討論)

テキスト 
・「市民自治の憲法理論」岩波新書     
・「日本の自治・分権」岩波新書       
・「政治・行政の考え方」岩波新書      
・「ロック『市民政府論』を読む」岩波現代文庫 

参考書 
・「成熟と洗練-日本再構築ノート」公人の友社
・「戦後政治の歴史と思想」ちくま学芸文庫  
・「政策型思考と政治」東大出版会             
・大塚信一「松下圭一・日本を変える」トランスビュー


 申し込み・問合せ 
札幌市中央区南1条西5丁目愛生舘ビル6F
NPO法人さっぽろ自由学校「遊」
TEL.011-252-6752 FAX.011-252-6751
北大政治研究会に出席しの疑問
(カテゴリー: 自治体学理論
  北大政治研究会に出席しての疑問

 久方ぶりに北大定例政治研究会(2015-1-15)に出席した。
 「戦後府県行政の出発―組織と人事を中心として」のテーマに興味を感じたからである。 
 報告は新進気鋭の研究者で資料を丹念に分析した内容であつた。
 だが、いくつか疑問を感じた。
 その疑問をここに記述するのは、「現在の大学教育」と「最近の学者の研究」に危惧を感じるからである。

1 研究テーマは「戦後府県行政の出発」である。
であれば、戦前・戦中は「こうであつた」。だが戦後は「こうなった」と、組織と人事の変化(違い)を提示すべきである。即ち、「戦前・戦中の内務官僚による地方支配の人事」と「公選知事による自治体自立の人事」との対比を検証するべきである。
たしかに、府県の大勢は戦前・戦中の継続に見えるであろう。しかしながら、研究課題を「戦後府県行政の出発」と定めたのであるから、研究の基軸に戦前と戦後の「理念の対比」が無くてはなるまい。すなわち、戦前の「集権統治」に対する戦後の「自治分権」を対比しなければ「戦後府県行政の出発」の実証分析にならないではないか。
 たとえ微々たる変化であろうとも、自治体自立の組織・人事の「萌芽と展開」を実証する。
 それが「戦後府県行政の出発」の研究であろう。

2 研究会に提出された資料は、内務省支配が強固に続いていた山陰と東北の、戦後間もない頃の「県の幹部人事と役職名」である。資料が消失した戦後の「幹部人事と役職名」を掘り起こす調査に意味が無いとは言わない。だが、昨今は「誰もやっていない」というだけの「すきま研究」が流行っているらしい。実証的で客観的なだけで近接領域のことは何も知らない細分研究を、若手学者が評価し合っている現状を疑問に思う。
 北大政治研究会の「報告と討論」には「何のための研究であるのか」の問題意識がまことに希薄であった。

3 戦後府県行政の出発とは、「戦前・戦中の省庁政策への従属」を脱して、自前で政策課題を設定し解決方策を開発する「自治体の政策自立への出発」である。そのための「組織と人事の変化」を実証研究することである。戦前・戦中の官僚支配の「人事と組織」が、戦後にどのように変化したかを、実例を提示して分析することである。
 しかしながら、研究者自身の内に「何のための研究か」の明確な問題意識がなければ、その研究方法は見出せないであろう。
 府県行政の出発とは「府県独自の政策展開」である。府県独自の政策とは、例えば、沿道修景美化条例であり、公害条例であり、情報公開条例であり、文化の見えるまちづくり政策である。姉妹都市の外交政策であり、シビルミニマムによる総合計画の策定である。

4 何ごとも人である。組織を生かすのも人である。
 研究報告が「組織と人事」に着目したのは賢明であった。だが「その人事」とは「どのような人材の配置」であるのか、その人材が育つ組織をどのように設けたか、を検証しなくてはなるまい。 
 すなわち「地方公務員の養成」ではなく「政策課題を見出して実行する職員」が育つ組織をどのように設けたかを検証すべきである。それは「公務の研修」から「自治の研究」を目指して「研修所の再編成」が全国各地に展開された1980年代の府県の動向を検証することである。
 そして、事後的説明学である行政学の「政策研究」とは異なる概念の「政策研究」が府県に広がって自治体学会を設立するに至った経緯を検証することである。

5 北大政治研究会に出席していた「大学院生」「学部学生」は、このような「報告と討論」で如何なる研究能力を身に付けるのであろうか、どのような人材として育つのであろうか、(まことに失礼な言い方ではあるが)、疑問に思った。

告発に賛同
(カテゴリー: その他:感動風景
      弁護士・郷路征記さんの下記告発に賛同

 元朝日新聞植村記者の勤務先である北星学園大学に「たかすぎしんさく」と称する人物が電話を2回もしました。それを録音しユーチューブで拡散しています。
https://www.youtube.com/watch?v=L241xX_zb2k
https://www.youtube.com/watch?v=8aV3_s0-sFw 
 この中で、北星学園大学のことを「国賊大学」「うそつき大学・でたらめな大学」「犯罪者を雇用する(大学)」「脅迫状や脅迫電話は自作自演の可能性」等々と非難して、北星学園大学の信用を毀損し業務妨害を行っています。
 ネット上に集結する右翼的立場の人達の中に、ある人や会社を国賊、反日と認定し、抗議や嫌がらせ的な電話を集中するという風潮があります。それに対して警告を発し、その攻撃を受ける方々の負担を軽くしなければ、日本の社会は壊されてしまう可能性があります。そこでたかすぎの、虚偽の内容を含む電話を録音してユーチューブで流布する行為を、虚偽の風説の流布による業務妨害罪として、北星学園大学とは関係なく告発することにしました。
 
告発の目的は、
(1) 北星学園大学の負担を軽くすること、
(2) ネット上で情報を提供しあって、リアル社会に現実化してくる言論封殺行為を掣肘
すること、
 この告発についての賛同のお願い、告発状(案)、委任状は次のリンクからもそれぞれPDF、ワード両方の文書で入手できます
http://www.glo.gr.jp/kokuhatsu.html
大塚信一著「松下圭一 日本を変える」
(カテゴリー: 新刊案内
 
大塚信一著「松下圭一 日本を変える」-市民自治と分権の思想-が刊行された。
 発行所は、㈱トランスビュー)、2014年11月5日、(357頁)
 著者は、元・岩波新書編集部長・岩波書店代表取締役社長。
 本書の随所に、北海道自治体学土曜講座の論点が、提起され解明されている。

以下は引用紹介
(まえがき)
 松下圭一は、政治学者として、20世紀にはじめて誕生した都市型社会とそこに生きる市民についての、自治と分権にかかわる独自の社会理論を作り出した。その社会理論は、20世紀後半から21世紀にかけて、日本の政治状況と社会構造を、ひいては文化のあり方を、大きく変えてきた。私は本書で、なぜこのような政治学者が生まれたのか、その秘密を探ってみたいと思う。 (部分引用)     
(序章17頁)
 松下の『市民自治の憲法理論』(岩波新書、1975年)が、憲法学者にあたえた影響ははかりしれない。当時それは“松下ショック”とよばれた。国家統治の憲法理論ではなく、市民自治の憲法理論を、という松下の主張は、至極もっともと思われるのだが、それから四十年近くたっても、日本の憲法学は根本のところで今でもかわっていない。憲法学は条文の解釈学だけでよいのか、という松下の問いかけに、憲法学者たちはいつ真摯に答えるようになるのだろうか。

(目次)
序 章  松下圭一とは
第一章 出発まで
第二章 ロック研究
第三章 大衆社会論争から構造改革論へ
第四章 自治体改革、シビル・ミニマム、都市政策
第五章 市民自治の憲法理論
第六章 市民文化の可能性
第七章 政策型思考と制度型思考
第八章 市民法学の提起  
終 章  成熟と洗練
 私の仕事 ‥‥‥‥ 松下圭一
  
(あとがき)
 序章で書いたように、「特定秘密保護法」の強行採決や「集団的自衛権」をめぐる恣意的な閣議決定など、安部政権の暴走には目に余るものがある。こうした暴走に対する有効な歯止めとなる論拠はどこに求めることができるのか。  
 私は、松下圭一氏の市民自治と分権にかかわる理論こそ、もっとも有効で適切な論拠になるものだと思う。その具体的根拠を逐一述べたのが、本書であるともいえる。 ‥‥いまだにお上崇拝の色濃い日本の社会・政治風土のなかにあって、松下氏の市民および市民文化の熟成と市民自治の貫徹への問題提起は、21世紀に生きる私たちにとって、もっとも重要な課題といえるであろう。‥‥

   多くの方々にお読み頂きたいと思う。(森 啓)


北海道自治体学土曜講座
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
第五回・北海道自治体学土曜講座  


 -市町村合併は何であったのか- 
午前 問題提起
  10.00~11.30 市町村合併は何であったのか    森  啓
  11.30~12.00 少人数町村はこれから        小林生吉
午後 討 論
討論者 北良治(奈井江町長) 山下英二(大空町長) 菅原文子(南幌町議員) 道林 實(津別町民) 小林生吉(中頓別町職員)

Ⅰ 合併とは
1 地域の自治権を失い 父祖伝来の地名が無くなること   
2 行政発注の財政の地域還流が無くなり
3人口も商圏も中心に移って周辺地域は寂れる 
4 合併は自治区域の変更であり地域の重大事である

Ⅱ 合併促進の経緯
1999年8月6日、自治省事務次官から都道府県知事に合併推進の指針(通知)
 ・地元学者などで委員会を設けて「合併促進要綱」を作成せよ
・「何処と何処が合併」とパターン(具体案)を示せ(こうなるのだと思わせる)  (そうしないと進まない)
・合併のメリットを説明せよ
①交付税を削減するが合併すれば
10年間は保障する ←(思い違いをさせるカラクリであった)
合併特例債 (使途は自由でない三分の一返済の借金)
3万人でも市に昇格を認める
 ・合併の懸念を下記のように説明せよ (デメリットとは言うな)
  行政サービスの向上 行政効率の上昇 地域イメージの上昇
  
市町村の側の対応
 ・交付税削減(兵糧攻め)で多くは「合併は避けられない」に 
・西尾発言(地方制度調査会)の効果→合併に慎重であった町村長を浮足立たせた
・矢祭町(福島県)‐「合併しない宣言」
・福島県知事(佐藤栄佐久)は 県庁内に「合併しない市町村を支援する課」を設けた

 さらなる合併促進策
 ・「三位一体改革」の宣伝流布 
①交付税削減 ②各省補助金を一括補助金に ③国税を地方税に税源移譲
騙しの論法であった ← 多くの学者が宣伝流布に協力した
 ・合併特例法の一部改正
   議会が合併反対を決議しても、住民署名→住民投票で、
「議会が合併決議したものと看做す」の法改正
衆議院総務委員会参考人意見陳述 (2001年12月4日収録)
 https://www.youtube.com/watch?v=2tqXt27Z3tU 

Ⅲ  全国各地に署名運動 
・住民投票条例制定の署名運動が広がった ← これは何を意味していたか
・殆どの議会は「住民投票の必要なし」と否決した。
・そしてまた、住民投票を行うに至ったときは
徳島の吉野川可動堰の 所謂「50%条項」を援用して「住民投票は成立せず」→「開票しないで焼却」にした。

Ⅳ 北海道の典型三事例
(1)南幌町  
(2)石狩市
(3)奈井江町 

Ⅴ 合併は長と議会で決定してよいのか
 ・合併は地域の将来に亘る重大事である。
 ・長と議会の権限は四年任期で信託した代表権限である。

Ⅵ 合併して今、どうなっているか 
1 合併して良かったことは何か。何が変り、何が変わらなかったか。 周辺地域はどうなっているか。 役場・市役所の内部はどうか。 職員に活気はあるか、行財政改革は始まっているか。それとも旧態以前であるのか。

2 特例債を当てにした合併ではなかったか。 その借金の返済はどうなるのか。
合併を進めた首長や議員に借金返済の責任意識はあるのか。
将来のことは「吾関せず」ではなかったか。 ツケは住民に返ってくる。

3 住民の「わがまちへの意識と行動」は合併論議で高まったか。
公正な判断資料を作成して提供したか。住民の質疑討論の場を設けたか。
合併協議会資料は合併前提の想定資料ではなかったか。

4 住民投票の署名運動が全国各地に起きた。
これは何を意味したか。
首長と議会への「不信表明」ではなかったか。
代表民主制度への「問い質し」ではなかったか。
住民投票は代表民主制度が機能不全になったときに生じてくる。

5 アンケートで住民意思を確認するのは公正誠実なやり方と言えるか。 アンケートは「設問と回答」の作り方で「集計結果」を誘導できる。

6 「投票率が低いから開票しない」とは「住民自治の否認」であろう。 「住民意思」を「闇から闇に葬る」ことではないのか。 50%条項は、徳島・吉野川可動堰をめぐっての「異常実例」であって 「住民投票の不成立」を意図した「組織的ボイコット戦術」であった。

7 地域の甦りで重要なのは故郷を愛し才覚を働かせる自立心であろう。 地方切捨ての合併強要をはね返す意識と行動は如何にすれば生じるか。

Ⅶ 少人数町村はこれから
 ・増田寛也レポート 
 日本創成会議・人口減少問題検討会 経済財政諮問会議
 (背後に経済界と霞ヶ関)
・「自治体が消滅する」の(キャンペーン)が意図するものは何か  
   「消滅する市町村」「壊死する地方都市」「人口急減社会」 
   「農村たたみ論」「制度リセット論」「道州制論」
   (岩波「世界」9月号188頁「増田レポート批判」、 201頁「人口減少社会の罠」)

・「選択と集中」「地方中枢拠点都市」の行き先は
 → 道州制 TPP(経済構造)
・脱成長―成熟社会化 低密度居住地域形成
・安倍内閣の統一地方選挙のための「地方創生」の実態 

(岩波「世界」10号64頁
「さらなる『選択と集中』は地方都市の衰退を加速させる」 岡田知弘(京都大学)
 (岩波「世界」10号74頁「地方創生」という名の「地方切捨て」 金子勝(慶応義塾大学)
 (岩波「世界」11月号181頁「地方創生ではしゃぐ前に」 片山善博(慶応義塾大学)
書評 「自治体学とはどのような学か」
(カテゴリー: 研究ノート・書評
 所沢市内で「行政政策研究会」を長年に亘って開催されている清水英弥さんが「自治体学とはどのような学か」の書評を書いて下さったので掲載する。

 「自治体学とはどのような学か」を読んで 清水英弥  

 自治体で仕事をするとき、新鮮な感覚の企画立案や事務改善の提案をするが、上司の理解が得られず話も聞いてもらえないときがある。そのような八方塞がりの壁にどう対処したらよいかがわからない自治体職員の皆さんに、自分なりの解決策を見出す参考書として本書を紹介します。

 本書は、第1章「自治体学の概念」、第2章「市民政治・自治基本条例」、第3章「市民議会」、第4章「市民行政」、第5章「自治体学の実践」、第6章「自治体学会の運営」の全6章で構成されています。

 第1章は「知識として知っている」と「本当に分かっている」は同じでない。現状打開に一歩踏み出すと、現状の継続に利益を得る陣営からの反撃に遭遇し「非難・嫉妬・足引張り」を浴びて辛い立場になる。だから多くの人は「大勢順応」になり「現状追随」に陥ってしまう。だが一歩踏み出せば「壁を破って真相を見る」を体験して「分かる」に至る。
「知っている人」と「分かっている人」の違いは「一歩前に出た体験」の違いである。著者はそのような実践体験の大切さを説いている。

 第2章は、自治基本条例は「代表権限の逸脱」を制御する「市民自治制度」であり「自治体の最高規範」である。だから、制定権者は有権者市民でなければならない。そして自治基本条例の最高規範性を担保するのは「全有権者投票」によって地域社会に醸成される有権者の規範意識であると説明する。

 第3章では、自治体議会改革の論点を提言する。現在日本の自治体議会は高齢の男性議員が大半であり、性別も職業も年齢も地域を代表していない。そこで多様な市民が立候補して議員になるには、議会開催日を平日の夕刻と休日にすることである。これは議会で議決すれば可能なことである。そして、住民自身が「目先利益の住民」から「公共性の意識で行動する市民」へと成熟しなければならないと述べる。
 
第4章では、「市民行政」とは市民が行政庁舎内で日常的に行政事務に携わることであり、これからの行政は、競争試験で採用された「公務員の行政職員」と、首長が任期内に委嘱した「市民の行政職員」の二種類の行政職員が存在する。その具体例として、北海道ニセコ町の町民図書館は、「子供の遊び場」「高齢者のたまり場」にもなっており、実に自由な図書館運営を行っていると紹介している。
 
第5章は、著者自身の実践体験の記述である。
 1970年代の革新自治体は、宅地の乱開発に対処するため「宅地開発指導要綱」を定めて地域社会を守った。そのとき、国の官僚から「権限なき行政」と非難攻撃された。そのような時代背景のなかで、著者が前例なき課題を解決するため一歩前に出た自身の実践例を語っている。例えば、「プロジェクトチーム」の立ち上げでは、各課からエース職員を選抜するためのノウハウ。「著名講師」への講師依頼では、著名講師に「寄り切りで私の負けです」と言わせた痛快なノウハウ等を「自治体学の実践」であるとして記述している。
 そして「政策研究」という言葉が、行政内文書の用語になり、論文や著書も多数刊行されて定着するに至ったのは、1984年10月の「第1回自治体政策研究交流会議」がそのはじまりであったと述べる。当日は、北海道から九州までの全国から、140団体、352人の自治体職員と市民と研究者が参加した。これらの実践例は何れも地方分権一括法施行の16年前の事例である。

 第6章は「自治体学会の現状」への提言である。
著者は、自治体学会が横浜で設立され30年の歳月が経過した。だが「自治体学とは何か」の了解認識が普及しているとはいえない。自治体学は「課題は何か、解決方法は何かを解明し考案する現場の実践学」であり「実践の言語叙述」であるから、自治体学の了解認識には会員自身の実践体験が必要であると述べる。そして「自由闊達な論議」が自治体学会の活力の源泉であると提言して「自治体学会の設立」に奔走した著者の思いを述べている。

 最後に、筆者も最終回講座に参加した「北海道自治土曜講座」について紹介する。
1995年から2010年まで16年間にわたって開催された土曜講座は、受講生それぞれが「自分自身の見解」を持ち「思考力を高める」ことが目的であった。
 土曜講座16年間の成果は、第一に受講生がお互いに知り合ったこと、第二は「話す言葉」「考える用語」が変わったこと、第三は116冊のブックレットを刊行したことである。116冊のタイトルが、そのまま「自治体課題の変遷」を物語っている。 多くの自治体職員と市民の方々に本書の熟読を薦めたいと思う。 
  2014年10月1日  
  入間市 都市建設部参事兼建築指導課長 清水英弥


  森 啓「自治体学とはどのような学か」
  公人の友社 ℡ 03-3811-5701 Fax 03-3811-5795
Eメール info@koujinnotomo.com  http://koujinnotomo.com/
   頒布-定価1200円+税(96円) を 著者割引で1000円
   問合せ 03-3811-5701 info@koujinnotomo.com
日本の憲法理論は特殊である
(カテゴリー: 自治体学理論
    日本の憲法理論は特殊である

1 さっぽろ自由学校「遊」の「民主主義講座」の第三回は、憲法学者の「立憲制と民主主義」であった。
 ところが、90分の講義で「市民」「政府」「市民自治」の言葉は一語も出なかった。講義の用語は「国民」「国家」「国家統治」であった。  
 そして、「国民主権」と「国家主権」はどう違うのか、の質問には明晰に答えず(答えることがてきず)、曖昧にはぐらかした。
 質問者は、統治権は「国家」にあるのか、主権者である国民が権限を信託した「政府」にあるのかを訊ねたのである。
 憲法学者の「国家三要素説」では「国民は国家の一要素」になる。それは「国民主権」を否認する考え方である。そもそも「国民主権」と「国家主権」は両立しない。「国民」を「国家の要素」と考える「国家主権」は「帝国国家の明治憲法」の理論であったのだ。
 統治権の主体は「市民が権限を信託し制御し交代させる政府」であると考えるのが民主主義の理論である。それが「国民主権」である。質問者は「国民主権」と「国家主権」はどう違うのか、と質問形式でその確認を求めたのである。

 日本の学者の憲法理論は特殊である。
 日本の憲法は21世紀の未来を展望する第一級の憲法典である。だが日本の憲法学の理論は旧思想を引き摺った二流である、二流であると言わざるを得ないではないか。
 学者の憲法理論は「憲法を国家統治の基本法」とする。つまり「国家が国民を統治する」である。国民は「国家に統治される被治者」である。これが現在日本の憲法理論である。
 なぜこのような理論になっているのか。

2 1946年、「帝国国家の憲法」から「国民主権の憲法」に180度転換した。だが「憲法は変われども国家統治は変わらず」であった。なぜであろうか。
 1948年~1950年、17人の東京帝国大学の学者が「註解日本国憲法」なる逐条解説書(上中下) を刊行した。 
 民主風の言回しで「国民主権の憲法」の逐条解説を分担執筆した。
 だが、長い間、東京帝国大学内には「国家学会」が存在して「国家統治理論」を正統学としてきた。つい直前まで「国家統治」に疑念を抱くことも禁圧されていたのである。
 すなわち、帝国大学の学者が「国家統治の観念」から自由になることはできる筈もなかった。例えば、分担執筆を提案した田中二郎(行政法)は、その後も「国家の優越的地位」を自身の著作に書き続けた(行政法総論 有斐閣 1957 、要説行政法 弘文堂1960)。国家が公であり国民は私であった。
 この「註解日本国憲法」が、戦後の「公法学会」「憲法学会」を主導したのである。

3 学者は自由に発想できないのである。
 国家官僚への公務員試験も、法曹界への司法試験も、「国家統治の国家学の答案」でなければ合格できない(させない)シクミになっているのである。
 だから、現在の学者も、「国家統治の観念」から自由になれないのである。「市民自治」「市民政府」「政府信託理論」を認めると、長年習得してきた「国家理論の根幹」が崩れるからである。そして学会で相手にされなくなるからである。

4 しかしながら 「国民主権」と「国家統治」は理論として整合しない。 「国民主権」と「国家主権」を曖昧に混同し(巧妙狡猾に)言い換えてはならないのである。  
 「国家」は擬制の言葉である。権力の座に在る者の「隠れ蓑の言葉」である。(映画「たそがれ清兵衛」「蝉しぐれ」の悪家老の「藩命である」の恫喝と同じである)
 「国家三要素説」は性質の異なる概念を並べた曖昧な説明である。国民を国家の一要素に閉じ込めて「国家」を統治主体に擬制するための言説である。(「国民」の語は、「国家の一要素」になるから、暫くの間は使わないのが良い)
 民主主義の政治理論は「市民と政府の理論」「政府信託の理論」「政府制御の理論」「信託解除権の理論」でなくてはならない。
 民主主義は「市民が政府を選出し制御し交代させる」である。

自由学校「遊」・民主主義講座(2014-9-5)・レジュメ
(カテゴリー: 自治体学理論
 自由学校「遊」・民主主義講座(2014-9-5)・レジュメ

1 民主主義とは
・君主政治―民主政治  
 市民革命
 イギリス市民革命―ロック・理論総括ー「市民政府論」
・独裁制―民主制 
・全体主義ー民主主義 
 民主主義は手続きか  多数の専制 
 民主主義は手続きだけでない。 価値理念・人権思想
・永久革命である (丸山真男) 

2 日本の憲法理論は「国家統治理論」―特殊である。
・特殊な理論とは
・なぜ、国家が国民を統治するのか、権力の座に在る者が国家の名で権力行使をするためである。
・「国家」は権力者の隠れ蓑の言葉である。曖昧な二重概念である。 
・「国家」でなく「政府」である。なぜ「市民」「市民自治」「政府」の言葉を避けるのか。
・なぜ「憲法は変われども「国家統治は変わらず」になったのか
・戦後初期の東京帝国大学の学者17人による「註解日本国憲法」の刊行である。 

3 民主主義の理論
・「国家統治」でなく「市民自治」  
・民主主義は「統治支配」でなく「自治共和」である。
・現代社会では政府は三層に分化する。
・政府信託理論ー政府権限の根拠 選挙は信託契約である。  
・信託解除権の理論
・民主主義の可能性 
  市民の成熟
  住民と市民の違い

4 自治体学とは 
・「国家統治」に「市民自治」を対置して国家学を克服する学である。
・自治体とは行政機構(役所)のことではない。 
・自治体の主体(主人公)は市民である。
・自治体学は地方公共団体の学ではない。
・自治体学は民主主義の理論である。
・すなわち、市民が政府を構成し制御し交代するである。
・自治体学は「市民政治の理論」である。

5 討論 ― 民主主義を足元から創る方策
なぜ、「憲法は変われど国家統治理論は変わらず」であったのか
(カテゴリー: 自治体学理論
 さっぽろ自由学校「遊」・民主主義講座・総括講座 (2014-9-5)

なぜ、国家統治の理論が現在も存続するのか

国家学
 日本の大学は、長い間、「国家が国民を統治支配する国家学」であった。
明治初年に、自由民権運動による「国権か民権か」の争いがあったが、民権運動家を国事犯として弾圧した伊藤博文が、ドイツから「国家理論」と「立憲君主制」を持ち帰り「立憲君主憲法」つくり、東京帝国大学総長に「国家学ヲ振興シ、国民ニ知ラシムルガ必要」と助言して1887年2月、東京帝国大学内に「国家学会」を設立し「国家学会雑誌」を発行して「国家学」を正統学とした。
 爾来、天皇機関説事件などを経て国家統治に疑念をいだくことも禁圧した。

『註解・日本国憲法』
 1946年、「天皇主権の明治憲法」から「国民主権の憲法」に百八十度転換した。
だが「憲法は変われども国家統治の理論は変わらず」であった。
なぜであろうか。
 戦後初期、東京帝国大学の学者(17人)による『註解日本国憲法』(上・中・下巻-1948年~1950年) が刊行された。
だが帝国大学学者が、直前まで禁圧されていた「国家統治理論を脱する」ことはできるはずもなかった。
 この「註解日本国憲法」が、戦後の憲法学・行政法学を主導したのである。
すなわち「国家が国民を統治する理論」が正統理論として(憲法は180度転換したのだが)存続したのである。
 そして現在の学者も、連綿と続いてきた「憲法は国家統治の基本法である」から自由になれないのである。「市民自治」「市民政府」「政府信託理論」を認めると、長年習得してきた「国家理論の根幹」が崩れるからである。そして学会で相手にされなくなるからである。

学者も自由ではない
 実は学者も自由になれないのである。
 国家官僚への公務員試験も、法曹界への司法試験も、「国家統治の国家学の答案」でなければ合格させない(国家が承認をしない)シクミになっているのである。
そして憲法学会、行政法学会の主要メンバーは国家学である。
 学者は学会で相手にされなくなるのをなによりも怖れるのである。
であるから、自由学校「遊」の民主主義講座でも、「市民」「市民自治」「市民と政府」の言葉を一語も使わないのであろう。

民主主義
 民主主義の政治理論は「市民と政府の理論」「政府制御の理論」「政府交代の理論」でなくてはならない。市民は国家に統治される被治者ではない。
 自治体学は「国家」を「市民と政府」に分別して「市民と政府の理論」を構成する。すなわち、市民が政府を「構成し制御し交代させる」のである。
 国家学の「国家」は擬制の観念である。曖昧な二重概念である。
 民主主義は「国家の統治」ではなくて「市民の自治・共和」である。
北海道自治体学土曜講座・第一日目の論点 (3)
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
  北海道自治体学土曜講座
    第一日目の論点 (3)

 3.市民と学者の違い
 会場討論の三つ目の論点は「市民と学者の違い」であった。
 例えば、岩波新書「市民自治の憲法理論」、岩波現代文庫「ロック『市民政府論』を読む」(共に松下圭一著)を読んだ市民は「ここに書いてあることが本当の民主政治の理論だ」と言う。「当たり前のことが書いてある」とも言う。
 ところが、多くの学者は「読んだがよく分からない」と言う。そして「読まないことにしている」と述べる。
 「どうして学者は分からないと言うのですか」と、筆者は読書会などで幾度も尋ねられた。そこで、「市民の感想」と「学者の所見」が違うのは「何故なのか」を討論した。
 以下は当日の討論を基にした筆者の所見である。

国家学
 学者が「分からない」「読まない」と言うのは、「市民自治の憲法理論」と「市民政府論」が「市民自治の政治理論」だからである。
 学者は「国家統治の国家学」である。だから「市民自治の政治理論」に賛同しない。さりとて、反論もできないから、「よく分からない」「読まないことにしている」と言うのである。
 長い間、東京帝国大学を頂点とした日本の大学は、国家が国民を統治する国家学であった。国家統治に疑念を抱くことを許さない国家学であった。

国家学会
 伊藤博文は、自由民権運動を弾圧し民権家を捕え国事犯として酷寒の蝦夷地に送り、自らドイツに赴き「立憲君主制の国家理論」を持ち帰り憲法草案を作成した。そして、渡辺洪基・東京帝国大学総長に「国家学ヲ振興シ、国民ニ知ラシムルガ必要」と助言し、1887年2月、東京帝国大学内に「国家学会」を設立し「国家学会雑誌」を発行して「国家統治の国家学」を官学の正統学とした。

市民政府論
 イギリス革命を理論総括したロックの「市民政府論」がアメリカ独立革命に甚大な影響を及ぼし、「独立宣言文」は市民政府論の文章もそのままに書かれている。アメリカ独立に衝撃を受けたフランス市民は「王権統治から市民政治へ」と歴史を回転させた。イギリス市民革命・アメリカ独立革命・フランス市民革命に驚愕したドイツ皇帝は、市民運動家を逮捕殺戮し、「国家」を隠れみのにする「立憲君主制の憲法」で皇帝支配を続けた。立憲君主制は「国家」を隠れみのとする偽民主政治制度である。
伊藤(博文)はドイツの「国家理論」と「立憲君主制」の発見を喜び、故国の岩倉具視に「良い物を見つけた」と喜躍の手紙を送った。帰国して「立憲君主憲法」つくり「国家を統治主体と擬制する国家学」を正統学にしたのである。

市民と学者
 日本は1946年、「天皇主権の明治憲法」から「国民主権の憲法」に百八十度転換した。だが「憲法は変われども国家統治の理論は変わらず」であった。
 学者は、「市民自治」「市民政府」「政府信託理論」を認めると、長年習得してきた「国家理論の根幹」が崩れる。だから「よく分からない」「読まないことにしている」と述べるのである。自分一人では「国家統治」から「市民自治」に理論転換できないと思っているのである。実は、学者も自由ではないのである。
 国家官僚への公務員試験も、法曹界への司法試験も、「国家統治の国家学の答案」でなければ合格させない(国家承認をしない)シクミになっているのである。そして、学会の主要メンバーは国家学である。学者は学会で相手にされなくなるのをなによりも怖れるのである。
 かくして、学者は「国家が国民を統治する国家学」を現在も大学で講義するのである。そして「国家統治学」が民主政治の理論だと思っているのである。
 だが市民は、70年間の憲法感覚で「市民自治の憲法理論」「ロック『市民政府論』を読む」に共感する。これが市民と学者の違いである。

自治体学
 自治体学は「国家」を「市民と政府」に分別して「市民と政府の理論」を構成する。すなわち、市民が政府を「構成し制御し交代させる」のである。民主主義の政治理論は「市民と政府の理論」「政府制御の理論」「政府交代の理論」でなくてはならない。
 国家学の「国家」は擬制の観念である。曖昧な二重概念である。
市民は国家に統治される被治者ではない。民主主義は「国家の統治」ではなくて「市民の自治・共和」である。
 2014年6月21日、北海道大公共政策大学院が開催した「人口急減ショック『縮小社会』をどう生き抜くか」のシンポジウムで、発言席の学者は現在日本をもっともらしく分析するが「国家政策の根幹」に触れる発言はしない。
米国の言語学者ノーム・チョムスキーがアメリカのエスタブリシュメント(Establishment)は「根幹に触れる発言をしない」と述べるのと同根である。
 自治体学は、「国家統治の観念」に「市民自治の理念」を対置して、国家学を克服する学である。「自治体学の概念」「市民政治」「市民議会」「市民行政」「自治体学の実践」「自治体学会の運営」を、「自治体学とはどのような学か」に詳述した。
 詳細は「http://jichitaigaku.blog75.fc2.com/ 」を参照。

北海道自治体学土曜講座第一日目の論点 (2)
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
北海道自治体学土曜講座
   第一日目の論点 (2)

2.現在日本の状況認識
 現在日本には「状況追随思考」が蔓延している。自身の考えを表明しない人々が増えている。自分の考えを表明しなければ、思考力が低下し自分で考えなくなる。そしていつしか、テレビが言っていること、新聞が報道することが自身の意見になる。
 第1回土曜講座で、これらの「問題状況」を提起して「なぜであろうか」を討論しようと考えた。ところが、「現在日本の状況認識」で見解が分岐した。「批判的思考力が低下していると思わない」との意見が出た。討論が入り口で止まって、「なぜであろうか」の討論に入れなかった。これはどうしたことであろうか。

 このことは、北海道の革新団体が発行する月刊研究誌(2014年4月号)の巻頭言に、「日本は『右傾化』しているか」のタイトルで「右傾化していると一概に言えないのではないか」と書いてあったことに通じる。つまり「現状を認識する思考力」が「低下している」のである。
 巻頭言の執筆者は「著名な国立大学大学院」の准教授である。だが書いてある内容は形式論理である。「価値が多元化した現代社会」であるから「右傾化の基準」を示さなければ「日本が右傾化している」とは言えない。どの主体が、どのようにして、なぜ右傾化しているのかを把握して「左派的価値」を再定義しなければ、「日本は右傾化している」と言えないと書いてある。
すなわち、形式論理を得々と述べるだけで、自分自身の見解は表明しない。
 研究誌の編集者は「貴方の見解を書いてください」と執筆者に注文すべきではなかったか。自身の見解を述べない巻頭言に「如何なる意味」があるであろうか。
 安倍普三首相が「集団的自衛権の行使容認を国会で決議する」と言明し、傍若無人に立憲制を真正面から否認しているのである。そしてこの言動を阻止する勢力は少数である。これが日本の現状である。「貴方は右傾化していると思わないのですか」と執筆者に尋ねたい。

 そしてまた、自治基本条例の急速な広がりに対して、自民党が「チョット待て‼ 自治基本条例」のパンフレットをインターネットに掲載(アップ)した。
 自治基本条例を批判し非難する内容である。国家が国民を統治する考え方での非難である。ところが、全国各地には「自治基本条例の制定」に委員として関わり、あるいは助言者として関与した学者が多数いるにもかかわらず、自民党パンフを批判する発言者は現れない。
 これはどうしたことであろうか。
 自分に矛先が向かないときには立派なことを言うけれども、まさにそのことが問題になると、沈黙し形式論理を述べる。学者もまた「発言をしない世渡り術」に沈潜しているのであろうか。これらの学者には「自治体学の実践」の意味理解は難しいであろう。「何が問題か」「打開の手だては何か」を考えるのが「自治体学」である。考えて実践するのが「自治体学の実践」である。
 名著として古典になっている論稿の第1稿は、集会で配布された「パンフレット」であったのだ。
現状認識は「自治体学とはどのような学であるか」を考える論点である。
北海道自治体学土曜講座第一日の概要報告
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
 
  北海道自治体学土曜講座第一日の概要
   会場討論 (1)

1.桶川市のルームクーラー撤去
 1994年の夏は暑かった。
 その夏、桶川市の担当職員が生活保護で暮らす老婦人に、「ルームクーラーを撤去しないと来年度から生活保護費が出せなくなります」と「クーラー撤去を迫った」の新聞報道が全国に流れた。「何と冷酷な行政であるか」の声が全国に広がった。
 生活保護法は厚生省(現厚生労働省)の所管である。だが機関委任で保護手当の支給業務は市が担っている。厚生省は保護所帯の認定基準を「クーラー等は60%以上の家庭に普及」と定めている。
  桶川市は「冷酷な行政と非難をされても、国の委任事務であるから厚生省基準に従わざるを得ない」である。
  これは「実践理論である自治体学」の課題である。

 パネリストに「どう考えればよいか」「どう対処すればよいか」の見解を求めた。明快な見解が出ないので、「皆さんはどう考えますか」と会場にも意見を求めた。

 筆者はかつて(1994年)、北海道庁の係長研修で同様の質問をした。
 「気持ちとしては何とかしたいが、機関委任事務であるから厚生省基準に従わざるを得ないのでは……」が返答であった。そこで、自治体職員として「それでよいのですか」とさらに尋ねると、「講師ならどうしますか」と逆に質問をされた。

 筆者の所見を記述する。
(1)生活保護の受給者は、世間並みを超える暮らし方を一切してはならないのか。世間を気にしながら生活をせよと言うのであろうか。ルームクーラーを設置しても、電気代などが生活保護費に加算されるわけではない。そうであっても、60%以上の家庭に普及していなければ使えないのか。
(2)少額の生活保護手当で「どのような生計を営むか」は各人の自由の問題である。生計費をヤリクリして「オペラを見るのも、美味な料理を楽しむのも、洒落れた服装で出かけるのも」人の暮らし方である。「如何なる暮らし方をするか」は人の自由である。
(3)「暮らし方は自由であるが、人の税金で暮らしているのだから(世間から助けて貰もらっているのだから)、地域の60%の家庭に普及していないクーラーは、やはり感情としては……」の思考と論理は、人権感覚の希薄・人倫思考の欠如である。
(4) 憲法25条は社会権であり生存権である。福祉は「慈善・施し」ではない、「権利」である、と講義をする方々が、実践問題に直面すると、途端に「機関委任事務」「通達」「省庁基準」などの「国家統治の用語」に絡め取られた思考になる。
これが「知っている」と「分かっている」の場面である。
(5)この事例で見解を求められたとき、「人権の問題」だと考えない、思いがそこに至らないのは、「人権」という言葉を「知っているだけ」で、本当は「分かっていない」のである。自分自身を常に安全な立場に置き、困難を覚悟して一歩前に出た実践体験がなければ、人権感覚は身に付かない。
(6)そもそも、通達や行政基準は官僚の法律解釈である。法律解釈は国家を隠れみのにする省庁官僚が独占するものではない。市民も自治体職員も法律を解釈してよいのである。そして解釈相互に齟 齬があるときは司法の場で解決・決着するのである。
(7)「桶川市のルームクーラー撤去」の事例は、「自治体学とはどのような学か」を、了解し認識する実践理論の事例である。

 ところで、担当職員が課長に「ルームクーラーを使っていても、生活保護額を加算するワケではないのだから、認定を続けてもよいのでは……」と相談(具申)したとする。課長は「機関委任業務だから厚生省基準を無視できない」と答えるであろう。ここからが「自治体学の実践」である。

 以下は、1994年の秋、北海道庁の係長研修での逆質問への返答である。
首長も議員も「市民と共にまちを創る」「安心して暮らせる明るいまちづくり」などを政策公約に掲げている。そして「60%の厚生省基準に合理性は無い」のである。そこで、この二つを公衆の場で(市民の面前で)結び付ける。結び付けて市民の共感を獲得する。つまり「世論」をつくる。
(2)まず、小人数の研究会で討論して下記の共通認識を得る。
 ①厚生省の認定基準に合理性・妥当性は無い。
 ② 老婦人のルームクーラー使用は生活保護の所帯認定の支障にならない。
 ③ クーラー撤去の問題は「まちづくりの問題である」。
 ④ 機関委任の業務であっても「自治体としての見解」を持たなくてはならない。
 ⑤ 「議会が自治体見解を確認する」ことが「厚生省基準に向かい合う論拠」になる。
(3)次に、地域の有志に呼び掛けて、これらの論点を討論する公開討論会を開催する。「冷酷な行政だ」と全国に報道されているから、それを逆手に取って「明るい桶川のまちづくり」への参加を市民・議員に働き掛ける。
(4)公開討論会の事前取材を新聞・テレビに働き掛ける。
報道されて地域の話題になる。それが「世論」になって「議会での論議」になる。
(5)新聞・テレビで公開討論が報道される状況を、先取りする「市広報の特集」を首長に提案する。すなわち、首長の「先取りしたい思惑」を手助けする。
 これらは「機関委任事務だから厚生省基準に従わなければ」の思考習慣(国家学の論理)を打ち崩す実践である。その論理と才覚が自治体職員には必要である。これが自治体学の実践である。
だが国家学の方々には「自治体学の実践」の意味理解は難しいであろう。
 「自治体学の実践」の実例(10項目)を、「自治体学とはどのような学か」( 公人の友社・2014年5月刊)の第5章に記述した。
頒布ー定価1200円+税(96円) を 著者割引で1000円
 問合せ 03-3811-5701 info@koujinnotomo.com

所沢・行政政策研究会(173回)
(カテゴリー: 自治体学理論
   所沢・行政政策研究会(第173回) 

日 時  平成26年7月18日(金)6:30~ 
場 所  所沢市 日吉会館(所沢駅徒歩5分) 

問題提起   森  啓 
1 自治体学とはどのような学か
    国家統治―市民自治  国家観念の擬制 権力の隠れ蓑
    国家三要素説      団体概念と機構概念 二重概念 
    国家法人理論      美濃部達吉以来の理論構成
    政府信託理論

2 自治体学の論点
    信託理論    
    自治体権限の範囲
    国家主権と国民主権
    住民投票
    説明理論と実践理論 

3 北海道自治体学土曜講座(第一回)の論点     
     桶川市のルームクーラー撤去  
     現在日本の状況認識
     市民と学者の違い  
「自治体学とはどのような学か」を刊行
(カテゴリー: 自治体学理論
   「自治体学とはどのような学か」を刊行

 本書は、自治体学が民主政治の理論であることを論述し、自治基本条例が役に立たないのは制定手続きに問題があると論証した。さらに、代表民主制度の形骸化を招いている政治不信・議会不信・行政不信を打開するため「市民政治」「市民議会」「市民行政」への道筋を提起した。次いで、自治の現場における筆者の実践を記述して「実践学である自治体学の内容」を明示した。そして終章に、設立30周年を迎えている自治体学会のさらなる展開を念じ所見を述べた。本書が自治体学と自治体学会の進展に何らかの役に立つならば幸甚である。

第1章 自治体学の概念
 1 国家学と自治体学
 2 市民自治
 3 信託理論
 4 実践理論
 5 「知っている」と「分かっている」
 6 自由民主党の政策パンフ

第2 章 市民政治・自治基本条例
 1 役に立たない基本条例
 2 学者の理論責任
 3 まちづくり基本条例との混同
 4 地方自治法は準則法
 5 自治基本条例の制定目的
 6 議会基本条例
 7 栗山町議会基本条例の根本的欠陥

第3章 市民議会
 1 自治体議会の現状
 2 議会改革の論点

第4章 市民行政
 1 市民行政の概念
 2 行政概念の再定義
 3 市民行政の着想
 4 市民行政の現状
 5 市民行政への疑念

第5章 自治体学の実践
 1 文化行政
 2 文化行政壁新聞「かもめ」
 3 自由民権百年大会
 4 行政ポスターコンクール
 5 行政用語の見直し
 6 神奈川県の情報公開条例
 7 ジュリスト論文顛末記
 8 政策研究交流会議
 9 北海道自治土曜講座
 10 北海道自治体学土曜講座

第6章 自治体学会
 1 設立経緯
 2 自治体学会の運営
 3 「自治体法務検定」
 4 「もう一つの実例」

頒布ー定価1200円+税(96円) を 著者割引で1000円
 問合せ 03-3811-5701 info@koujinnotomo.com