■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
無防備平和と自治体学
(カテゴリー: 無防備地域宣言
無防備平和と自治体学

市民自治の実践          
 中央では白昼堂々と「集団的自衛権」を論じている。集団的自衛権とは「同盟国アメリカ」が戦争を開始すれば「自衛名目で参戦する」ための論拠である。「イラクの空輸」「インド洋上の給油」は「戦争加担の既成事実」である。ソマリア沖海賊名目の護衛艦派遣は海外派兵の既成事実つくりである。アフガン派兵も画策されている。これらは憲法違反の逸脱行為である。 さらには「戦争協力法」を「国民保護法」と言い換えて、自衛隊主導の「住民避難計画」を市町村に作成させているのである。これらは「戦争への心の動員」である。自衛隊主導の避難計画は危険そのものである。軍隊は民衆を守らない。軍隊が守るのは支配体制・権力機構である。国家とは支配体制・権力機構のことであるのだ。
 現在日本の差し迫った危険は「アメリカの戦争に巻き込まれる」である。安倍内閣は「国民投票法」を強行採決した。その狙いが憲法九条にあるは明白である。「九条二項の改廃」はアメリカの要求であるのだ。
 「憲法を守れ」と叫ぶだけでは、中央政府の「戦争加担の策動」を止めることはできない。止めるのは「市民の実践行動」である。市民の実践行動とは無防備平和条例を自治体基本条例として制定することである。署名はそのためである。

憲法への意思
 「攻めてきたらどうするのか」の問いがある。
この問いへの返答は「貴方は憲法をどう考えているのか」である。
「広島と長崎」「全国焼け野原」になったとき、誓った「平和への意志」が「戦力不保持・交戦権否認の憲法」であるのだ。憲法を他人事のように考え憲法を蔑ろにするのは「無知」であり「不勉強」である。
 一体、何処の国が攻めてくるというのか。「仮想敵国」「戸締り」「国家防衛」を声高に唱える者の正体を見抜くことである。誰が如何なる意図で叫んでいるのか。「軍産複合体制」はアメリカだけではない。「軍需産業と政治の利権」が背後にあるのだ。第一次大戦では「死の商人」と呼ばれた。現代は「戦争企業」である。某国副大統領の周辺を眺めれば歴然である。莫大な戦争利権に群がる者に騙されてはならない。 
 「無防備で平和は守れない」の意見もある。だが無防備の「無」は「無力の無」ではない。「無限の力」「限りなき平和への意思」である。ガンジーの「非暴力」の「非」と同じである。古来、自衛を口実にしなかった戦争はない。戦力保持が戦争への階段であるのだ。

「自衛権」は市民の権利
 「国土防衛は国家の権限である」との言い方は「欺瞞の論理」である。
「自衛権」は本来、市民一人ひとりの権利であるのだ。政府の防衛権限は市民が信託した権限である。
信託した防衛権限の逸脱を制御するために、無防備宣言地域を全国各地に現出するのである。全国を無防備地域にして「防衛権限」を取り戻すのである。
 そのための署名である。この署名は政府を制御するためである。政府の言いなりにならないための署名である。「憲法を守れ」と叫ぶだけでは憲法は守れない。
 
 防衛権限の主体は「国家」ではない「政府」である。「国家」は「政府責任」を曖昧に紛らわす「カラクリの言葉」である。「市民」の上に「国家」が覆い被さって存在するのではない。市民が政府を選出し政府を制御するのである。国民を国家の一要素とする国家論 (領土・国民・統治権)の説に騙されてはならない。為政者・官僚は「国家」を隠れ蓑にするのだ。
 「国家統治権」は明治憲法の理論であったのだ。そのとき人々は絶対服従の臣民であった。民主主義の理論は「市民自治」である。
 「国家統治の国家学」から「市民自治の自治体学」への理論転換である。市民の理論力・認識力が重要なのだ。 「市民自治」とは「市民が政府を選出し制御し交代させる」の意味である。

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