■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
研修とは何か
(カテゴリー: 自治体学の基礎概念
研修とは何か

 研修とは価値軸の変容である。心の奥深いところにある「自分が揺らぐ」ことである。これまで信じていた価値観が揺らぎ、今まで思ってもいなかった自分を眺めることである。現場に出かけてキーパーソンに出逢って感動する。その感動の体験が自治体職員へと自身を変革するきっかけになる。人を行動に至らしめるのは「感動」である。人と出逢い「衝撃」を受ける。それが重要である。
 現状維持の空気が充満する行政の職場で「自治体職員として行動するようになる」のは感動や衝撃によって自身の価値軸が変ったからである。上司への思惑を克服しリスクを覚悟して行動するに至るのは研修所で自身の視座が自治体理論で定まったからである。保身第一の価値軸を転倒しなければ公務員は自治体職員に成長できない。そのような価値軸の転換を惹起する研修に改革するのである。例えば、「キーパーソンから体験を聴き衝撃を受け感動する」「聞くだけでなく意見を述べ討論するうちに自分が発している言葉の変化に驚く」「衝撃を受けている自分自身を見つめる」「柔軟な思考になっている自分を見つめ自分の職業に自信と誇りを感じる」。
 そのような新鮮な感覚と体験は日常の職場では困難である。職務から離れてこそ得られる感覚である。

「研修の空しさ」の問題

 研修所で政策能力の話を聴いて納得しても、職場に帰ると元の地方公務員に戻ってしまう。これが「研修の空しさ」の問題である。
 これをどう考えればよいのか。
 長年にわたって蓄積された役所文化である。お役所流儀はそう簡単には変らない。住民を客体と考える行政文化は職場の壁と床に染み付いているのである。
 役所内主流の考え方はこうである。首長が市民参加を言うのは選挙があるからであって、行政職員が市民参加を言うのは如何なものか、住民は素人であり身勝手である。行政のプロである吾々が決定し執行しなくてどうするか。この考え方を全身に染みつかせ、しかし自身は「注意深い責任回避」と「現状維持的安定」を旨とする。これが行政の管理職である。であるから行政職員は「職場に帰ると元の地方公務員に戻る」のである。この「研修の空しさ」を乗り越えなくてはならない。
 だが公務員は「人事異動と昇任」が総てに優る価値と内心深く銘記して上司に仕え、前例にないことは極力避けて、何事も無難に大過なくの保身を旨とする。
ありきたりの研修ではビクとも変化しない。それが公務員である。
 そこで、「研修の空しさ」を嘆く前に、「統治支配の官庁理論」を「市民自治の自治体理論」の研修に組み換えているか。その組替えができる「研修所改革」を実践しているか、を自らに向けて問い返すことである。
 「研修所も、上司と職員の関係は、本庁職場と同一空気ではないのか。研修所が「紺屋の白袴」であるならば「政策能力を高める研修」ができるわけはないのである。「研修の空しさ」も打破できない。 
 つまりは、「研修改革とは研修所の改革」である。「答えは問い」に戻るのである。すなわち、改革はいつの場合にも「主体の変革」が基本である。
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