■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
自治体職員の自己革新
(カテゴリー: 自治体学理論
自治体職員の自己革新

「自治体職員の自己革新」とは如何なることか。
「慣例に従って何事も無難に」の「公務員の行動様式」を自分の才覚で越えることである。つまりそれは、「自分の考えで処理するか」「上司の指示に従うか」の緊張関係を越えることである。
 上司の指示が、自分は「こうするべきだと思ったこと」と、異なることが予測されても「上司了解」を第一義にするのが地方公務員である。
自治体学会などで発言をしても「緊張関係」を自分の才覚で乗り切る覚悟がなければ地方公務員である。地方公務員は後頭部を叩けば「チホーコームイン」と音がすると批判されている。
 もとより、大問題になるようなことを自分の一存で処理してはならない。しかしそんなことは、公務員は誰もやらないのである。
問題は「自分の才覚で処理することはゼロではないのだ」の認識の有無である。「これは自分の才覚で処理すべきことだ」の行動様式を身につけたとき、そのとき「地方公務員から自治体職員への自己革新」が為される。
 「自分の才覚で為すべきこと」がゼロ%であるのならば「協働」などと利いた風なことは言わないことである。
 言葉では「分権改革」「制度改革」「市民との協働」と公務員も言う。けれども、自分自身の行動場面になると「無難に大過なく」「上司意向を忖度して」になる。
 自治体職員の自己革新には「自治体理論」が必要である。人間は理性の存在であるから「理論的正当性の確信」が重要である。「一歩前に出る」には「不利益になるかもしれない覚悟」が伴う。「出る杭は打たれる」のである。だがしかし、前に出ることが自分を「自治体職員」へと自己革新するのである。「全身丸やけど」の「玉砕」は賢くない。そのときは「半歩」前に出るのである。
 人には「ものが見えてくる場面」がある。自身の才覚で壁を越えたときである。そのとき「ものごとが見えて」視界が開かれる。
 現在は「争点が無くなった」と言われる。無くなったのではない。見えていないのである。70年代の対立軸は「経済体制のイデオロギー」であった。現在の対抗軸は「統治」に対する「自治」である。「国家統治の中央支配」に対抗する「市民自治の実践」である。
 改革はいつの場合も「主体の問題」である。
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