■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
市民自治の文化戦略
(カテゴリー: 自治体の文化戦略
講演・市民自治の文化戦略  -大阪文化団体連合会30周年総会(2007-5-9) 

歴史のある大文連の、しかも第三十回の記念すべき総会で話をさせて頂くことを光栄に思います。
ちょうど22年前の1985年に大文連主催の「文化フオ-ラム」に招いて頂きました。そのときは「文化ホ-ル」の話をして会報「文化の広場( 39号)」に掲載していただきました。今回こちらに参りますので読み返して懐かしく思い起こしました。本日はこの後、文化芸術年鑑出版30周年記念の祝宴がございます。文化芸術年鑑の「毎年の特集テ-マ」はそれ自体が「日本の地域文化の年代史」になっております。

町衆文化の都―大阪
京都は朝廷とお公家さんの都ですが、大阪は近松門左衛門、井原西鶴、淀屋辰五郎などの方々が活躍した町衆の文化の都です。
黒田了一さんが佐藤義詮さんとの知事選挙で、大方の予想を覆して知事に当選なさった。そして、「町衆の文化の都であった大阪が今は地盤沈下している」「大阪が国際文化都市に甦るにはどうしたらよいのか」。
それを考えるために、当代一流の十人の方に委嘱して「大阪文化振興研究会」を設けました。宮本又次、梅棹忠夫、小野十三郎、木村重信、里井達三郎、司馬遼太郎、末次摂子、西川幸治、米花 稔、吉田光邦の方々です。
3年間の研究成果が大阪の出版社の創元社から2冊の本になって刊行されました。「大阪の文化を考える」「都市と文化問題」です。
この二冊の本は文化行政の手引書でした。文化行政担当職員は熟読しました。
文化行政は大阪から始まった。正確に言えば大阪府から始まったのですね。大阪府庁に芸術文化振興室が新設されたのは1973年で、日本で最初のことでした。
次いで1975年に兵庫県の坂井知事、滋賀県の武村知事、埼玉県の畑知事と続き、神奈川県の長洲一二知事は1977年に文化室をつくりました。私は人事異動でそこに行きました。
1979年、「第一回全国文化行政シンポジウム」を横浜で開催しました。43の都道府県と33の市町村が参加しました。
この全国シンポで「文化」が「自治体の重要政策」になっていることを、内外に鮮烈にアピールしたのです。以来、文化行政は時代の潮流となって全国に広がっていきました。自治体に文化行政が始まったのはお金のない時期であったのです。オイルショックの直後です。財政に余裕があったから始まったのではないのです。

文化行政への疑念
さてところが、文化行政に強い疑念が提起されました。
「行政が文化を安易に言い出すのは問題である」「危険ですらある」との批判です。「行政」は安定性と公平性を旨とするが、「文化」は創造であり現状変革であり異端でもある。文化は計量化できない価値の問題である。文化は個人の自由な精神活動の営為であり所産であるのだ。「行政が文化に関わって碌なことはない」。「何事も無難に大過なくの公務員が文化の問題で意味あることはできない」との批判が突きつけられました。
私は新設された文化室の企画担当に人事異動で行きました。企画担当の仕事は「文化行政とは何か」「文化を政策にできるのか」を考えることでした。「文化行政への疑念」に答えなければなりませんでした。
その頃のことです。伊豆からの帰途の松下圭一さんに横浜で下車してもらって「横浜駅西口の東急ホテルの地階レストラン」で逢っていただきました。
「文化行政の本を出したいので協力してほしい」ついては「共編者になってもらいたい」と臆面もなく言いました。その本が、松下圭一・森 啓編著「文化行政―行政の自己革新」学陽書房です。日本で最初の「文化行政の本」です。刊行は1981年です。
私はその本の第三章に「文化行政とは市民と行政との協働の営為である」として「文化行政の展開条件」を書きました。

文化と行政
マッカ-サ-の占領政策は内務官僚を指図する間接統治方式でした。
内務省の幹部は公職追放しましたが、後に東京都知事になった鈴木俊一さんから下の内務官僚を使って占領政策を進めました。でありますから、明治以来の官僚思想は殆んど無傷で戦後も温存されました。例えば、国民は牧場にいる牛や馬のようなもので、エリートである内務官僚が良き方向に導いてやらねばならないという「牧民観の思想」は今も続いています。あるいは、国家が統治権の主体で国民は被治者である。国家官僚が都道府県に命令して市町村に執行させる、などの考え方は、何一つ変わることなく今日に至っているのです。そのため、自治体職員も自らを蔑んで自分の職業名を地方公務員と名乗る習性が長らく続きました。地方公務員では意味ある文化行政になりません。
70年代は、革新団体が活力を持っていました。その頃の労働組合の役員には「自分の不利益を覚悟する献身性」「未来を展望するロマンと純粋性」がありました。今の労働組合と役員は「自分の役職を守る保身団体」になり信頼を失い組織率は急激に低下しています。
70年代の対立軸は「経済体制のイデオロギー」でした。そのころは「賃労働と資本」の学習会なども盛んで、「時代を切り拓く熱気」が社会に存在しました。
ところが今は、社会全体に「状況追随思考」と「主体鈍磨」が広がっています。なぜ、人々はかくも「生活保守主義」に嵌まり込み、公共社会への関心を低下させてしまったのでしょうか。
現在は争点がなくなったと言われます。争点が無くなったのではない。見えていないのですね。思考の座標軸が定まらないから見えないのです。
現在の対抗軸は「国家統治」対「市民自治」です。「利益偏重の経済社会」を「人間らしい地域文化」に組み替えるのが「現代の対抗軸」です。
1973年に大阪から文化行政の旗が上がった。
80年代に「文化活動の条件整備」「文化的な景観・街並み」が自治体政策の重要課題になった。
そのときの命題は「市民自治による市民文化の創出」であったのです。
今こそ「文化」である。この旗を鮮明に掲げなくてならぬと思います。
チャップリンも言っているように「人が生きている意味は働くだけではなく楽しむことにある」のですね。美しいものを美しいと思い、嬉しいことを嬉しいと共感する。「人はパンのみに生くるにあらず」ですね。

行政の役割は文化施設の整備
80年代になると自治体財政が好転しました。それで「あちらにもこちらにも」流行のように文化会館が建設されました。「文化ホールラッシュ」と言われました。全国どこかで毎日のように3つも4つも落成式をやっている時期もあったのですね。そして「ハコモノ批判」が噴き出しました。
日清・日露の戦争以来、日本は公共財政で「人々が楽しむ施設」に「ビタ一文」使わなかったのです。ですから、文化ホールを作っても作り方がわからない、運営がわからないから水準の低い建物になって「ハコモノ批判」が出た。それは「むべなるかな」であったのです。
中之島公会堂も日比谷公会堂も財界人が寄付したものです。税金で役所が建設したのではないのですね。その中之島公会堂が取り壊され建て直すことになった。保存運動をなさった方々がいたからあの優美な姿で残ったのですね。大阪の文化を残すことができたのです。
文化で行政のできることは「施設整備」です。「文化活動の条件整備」が行政の役割です。「ハコモノ批判」がありましたが「文化施設をつくること」で、その次に水準の高い文化ホールが出てくるのですね。メイシアターがそれです。メイシアターは使い勝手もよいから大文連の「花の宴」はいつもそこで開催しているのですね。文化ホールは運営次第、運営は人次第であります。

指定管理者制度―「文化の牙」で検証
現在の問題は「指定管理者制度」です。
これまでは、税金で建てた施設は「行政財産」であるから民間に委託をしてはならない。「公の施設」は「行政が管理するものだ」と言っていたのです。
ところが、議会で管理者を定めるならば「管理も運営も」民間会社に任せてもよいと総務省が言い出しました。ネライは経費節約です。
利用する市民と文化団体のためではないのです。それであっても、「公務員が規則・規則で管理するよりも良いか」という悩ましい問題が付着します。
「しっかりした団体が民間的な感覚で運営するのは良い面も」ある、との意見です。これをどう考えればよいでしょうか。
だが、民間企業が引き受ければ、最初は立派なことを言うでしょうが、そのうちに「利益の上がらない部門は切り捨て」になるのは明白です。あるいは「料金を引き上げ」になる。当然の成り行きです。利用団体も「公務員の管理よりは良いか」では済まない問題です。
大阪市立大学におられた宮本憲一先生が、「大阪をあんじょうする会」をやってらっしゃったころ、原稿をお願いしたことがございます。
文化が人々を幸せにするには、文化に関わる人々が「文化の牙」を持たなくてはならない。「ごまかし はぐらかし たぶらかし」を見抜く力を持たなければならないと言っておられました。それを思い出します。

戦争と文化
日中戦争を始めるとき「音楽や演劇を楽しんでいるやつらから税金を取れ」といって入場税が作られました。藤原義江さんが「わずかの入場料金の大半を税務署に持っていかなければならなかった無念さ」を書いておられました。
戦争になりますと入場税だけでなく「国策文化」という問題が起きます。戦争を知らない人が増えていますから、年配の方は話さなくてはなりません。
現在は、国民保護法が問題です。市町村は「国民保護計画」を作らされています。大阪市も作っています。外国軍隊が入ってきたとき住民を避難させる計画づくりです。実にバカな話です。現代の戦争はミサイル爆弾や劣化ウラン爆弾が見えないところから飛び交う戦争です。
避難計画は「戦争への心の動員」です。国民保護法は戦争協力法です。協力しない国民を罰する法です。事態は遂にここまできているのですね。
 盗聴法なのに「通信傍受法」、言論の自由弾圧法なのに「私的情報保護法」、国民総背番号制なのに「住民基本台帳ネットワーク」です。刑法理論で「未遂罪でもない」ことを「共謀罪」で国民を処罰する。改憲のための国民投票法も強行採決しました。
ジョ-ジ・オ-エルが「1984年」で描いた「恐怖の管理社会」が現実化しているのです。
文化の牙が大切です。しっかりと事態を見つめて考える力が必要です。

靖国神社参拝
今日の新聞のトップ記事は、安倍総理が靖国神社に榊を「内閣総理大臣名義」で奉納した記事です。つい先日、中国の温家宝首相が衆・参議院で噛んで含めるように話をなさった直後のことです。
田中角栄さんが日中交渉で中国に行ったとき「ご迷惑をおかけしました」と言った。その言い方は、「通りがかりの人のスカ-トに水がかかったとき」に謝る言葉ですよ、と周恩来さんが言いました。中国人民には日本との無原則な仲直りには賛成できない心情があるので、「中国人民を苦しめたのは日本の一部の軍国主義者」で「日本国民も被害者なのだ」と言い分けて、日中国交を締結した。だから「極東軍事裁判の戦争犯罪人」のところには、せめて内閣総理大臣と外務大臣と内閣官房長官だけは参拝に行かないでもらいたい、と言っているのに、小泉首相は参拝した。安倍首相も温家宝首相の国会演説の直後なのに行ったわけです。
従軍慰安婦問題を「狭義の意味では強制は無かった」と安倍首相が言ったので、アメリカで問題になりました。アメリカ政界では、日本の総理大臣が「拉致問題」を言うのなら「従軍慰安婦問題」を謝るべきではないか、辻褄が合わないではないかと非難が高まっています。
ブッシュ大統領に謝るのではなく、日本とアジアの人にこそ謝るべきではないでしょうか。戦争が文化・芸術・芸能の人達をどれほど不自由にさせて苦しめたことであったか。
文化・芸術・芸能の価値は「銭金ではなくて自由な心で生きている意味を楽しむ」ことにあるのですね。

市民自治基本条例と文化
市民自治基本条例の制定が全国に広がっています。司馬遼太郎さんが「国のかたち」と言いました。市民自治基本条例は自治体の憲法です。「自治体のかたち」と言ってもよいのですね。
大阪は「文化行政発祥の地」です。大阪の市民自治基本条例に「一番大切なことは文化なのだ」と規定して頂きたい。
大阪は「文化の輝くまちをめざすのだ」と「大阪のかたち」のなかに掲げていただきたいと思います。大文連の益々のご発展を祈念いたします。
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