■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
市民自治基本条例の最高規範性
(カテゴリー: 市民自治基本条例本条例
 市民自治基本条例の最高規範性 (その1) 
 
 自治体改革とは「地方公共団体」を「自治体政府」に変革することである。
すなわち、「国家統治の観念」に「市民自治の理念」を対置し、「中央集権」を「地方分権」に組換え、「行政支配」を「市民参加」に変革するのである。
 自治体改革は「実践概念」であって解説的な「認識概念」ではない。そして、改革はいつの場合にも「主体の変革」が問題である。
 70年代に「革新自治体から自治体革新へ」と盛んに言われた。その意味は、首長が革新系というだけではダメで、自治体の「機構」も「政策」も「制度」も変革しなければならないとの反省から出た言明であった。
それから37年の歳月が経過した。

 自治制度と行政文化
 七十年代と比べて「自治体理論」「政策形成力」「市民自治制度」は相当に前進した。前進はしたが「主体鈍磨」と「状況追随思考」が広がっている。  
 なぜであろうか。
 情報公開条例、環境アセスメント条例、住民投票条例、パブリックコメント制度、オンブズパーソン制度、政策評価制度、自治基本条例、などを制定する自治体が増えている。画期的な展開である。
 しかしながら、「行政内で起案し決裁し議会で議決すれば」それで「政策評価」や「自治基本条例」などの市民自治制度ができたと考える安直思考が広がっている。統治行政の実態を変革せずして「自治制度の創設」を競っているかの如き風潮すらもある。
 制度は定着し運営しなければ意味がない。自治制度を創設したと表明した自治体を眺めてみよ。首長が「自治制度の創設はゴールではなくスタートであります」と挨拶をする。だが、挨拶した後は従来行政に戻る。「ゴールではありません」と言うのだが「制度定着を阻む障害」が何であるかは分かっていない。だから、行政内の「政策策定と政策実行の実態」は変らない。「自治制度」は既存行政に取り込まれ、やがて「有名無実の制度」として形骸化する。
 「制度定着を阻む障碍」が見えないのは「自身の問題に引き付けて」自治体改革を考えたことがないからである。自分自身のことは常に「考察の対象外」である。 
 「自治制度」と「行政文化」は原理的に異質である。行政文化とは、長い歳月によって行政内に堆積した慣例・手続き・手順・流儀・作法である。公務員の職業倫理観・住民観も行政文化である。それらの行政文化が自治制度を形骸化し無為化するのである。であるから、自治制度の装備には行政文化の革新が不可欠であるのだ。80年代、時代の潮流となって自治体に広がった文化行政は「今の行政のままでは文化行政にならない」と自己認識し、文化行政を「自己革新した市民と行政との協働の営為である」と定義した。そして、「行政文化の自己革新」を「行政の文化化」という言葉で表現し、「自己革新した主体の協力」を「協働」という言葉で表現した。いずれも造語である。翻訳語ではない。
 (協働をめぐる論点は、北海道土曜講座ブックレット「協働の思想と体制(№90)」
に詳述した)

 自治体理論と自治基本条例
 自治体理論とは住んでいる人々が公共社会の主体であり、公共社会を管理するのは「市民」であると考える理論である。
 市民は社会を管理するために政府をつくる。首長と議会は市民から信託された範囲内で権限を行使し、信託に反する場合には市民が交代させる。これが「市民自治の政府信託理論」である。「市民」は規範概念である。
市民が「政治主体」であり、首長と議会は「制度主体」である。
 さきほどの「行政内決裁と議会議決」で自治基本条例をつくるという考え方は、「制度主体」が「政治主体」である市民を「そっちのけ」にして「自治体の憲法」をつくるということである。これでは、統治行政のやり方と同じである。「官治の憲法」であって「市民自治の憲法」ではない。
 問題の要点は、地域に「最高条例の規範意識」を如何にして創り出すかの工夫と実践である。なぜ、住民投票を避けるのか。「それは理想論である」と弁明するのは、現状変革の困難を避け便宜に流れる安直思考である。もしかして、住民投票を避けるのは、「制定ができなくなる」を恐れてのことであろうか。
 なぜに、住民の自治意識の高まりを「望まず」「軽視する」のか。「住民合意・住民決裁」を避けて「最高規範の制定」を論ずるのは「市民自治」の規範論理が透徹していないからである。
 「最高規範の社会意識」を地域に醸成せずして何が「最高条例」であるのか。

 最高条例の規範意識
 自治基本条例は「自治体の憲法」であって「中央政府の法律」にも優越すると主張しても、説得力はない。既存の「○○基本条例」とは異なるのだと言明し条例文言に「この条例に反する条例や規則を制定してはならない」と規定しても、「最高規範性」は生じない。その論者が「そう言っているだけ」のことである。主張を担保する規範意識が地域社会に生じていないからである。
 「最高条例の規範意識」を地域に醸成する工夫と実践が「自治制度創設」の営為である。自治制度創設は現状変革の実践であるのだ。
 70年代ならばともかくとして、現在は「言葉が広がれば良い」「制度が出来れば前進だ」ではないのである。
たしかに、自治体理論は広がり、政策形成力は高まり、市民自治制度は装備された。画期的な展開である。ところが、「主体鈍磨」が生じ「状況追随思考」が広がっている。なぜ広がるのか。自分自身は何も変らないで、「新しい言葉」を語れば「それで状況が動く」と考え、「新しい制度」をつくれば「それで事態は変化する」と考えるからである。改革はいつの場合にも「主体」の問題である。
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