■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
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自治体学理論
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自治体学理論
一章 自治体学の概念  
1 自治体学会
自治体学会は1986年に「自治体学の創造と研鑽」をめざして設立された。学会の設立時には「自治体学」を「自治体関連諸学の総称の学」と仮定義した。爾来、二十年を超える歳月が経過した。
2006年4月、北海学園大学法学部は「自治体学」の講義を開講した。専門科目(四単位)の「自治体学」の教科は日本の大学で最初である。
これまでの憲法学、政治学、行政学、行政法学は「国家」を理論前提とする「国家学」である。国家学では現代の都市型社会が噴出する、環境、資源、医療、福祉、文化などの「前例なき公共課題」に対して、部分的な問題点の指摘は出来ても、全容の解明は出来ない。とりわけ、既成の学問はこれら課題を生活の場で自治の問題として解決する「市民自治の視点」が根本的に欠落している。このため市民運動が提起する論点に回答が出来ない状況がつづいてきた。
国家学は「国家」を統治主体と擬制する。
自治体学は「市民」を自治主体と考える。
「市民」とは「規範人間型」であるから「市民」という規範人間型への自覚をもつ普通の人が「市民」である。「普通の人」とは「特権・身分をもつ特別な人ではない」という意味である。
「自治体学」は「国家統治を市民自治に」「中央集権を地方分権に」「行政支配を市民参加に」組み替える実践の学である。すなわち、歴史の一回生である実践を理論化し、理論が実践体験を普遍認識に至らせるのである。実践を理論化するから「規範概念」が重要になる。
「規範概念」とは、未来を目的に設定し現在を手段とする「政策型思考の動態的実践概念」である。事後的静止的な解説概念ではない。したがって、現状変革の意識が微弱であれば、「規範概念」の理解は困難である。例えば、80年代に流布した「行政の文化化」は規範概念である。行政の現状況に対する変革意識が薄弱であれば「行政の文化化」は意味不明の言葉になる。
同じように「市民」も「自治」も「規範概念」である。市民自治の実践体験が微弱であればその概念認識は漠然である。 

2 用語の始まり
 「自治体学」という言葉は、1978年開催の「地方の時代シンポ」で長洲一二(当時の神奈川県知事)が「ここにお集まりの皆さんで自治体学の学会のというようなものを創っていただければ‥」と挨拶したのがことばの最初である。
しかしながら、長洲の述べた自治体学会は「学者による学会」であり「自治体学」のイメージも具体性のあるものではなかった。
「自治体学」の内実は「自治体学会員」の研究と実践によって次第に形成されたのである。後述するように「自治体理論」「政策形成力」「市民自治制度」の深化と整備は自治体学会の設立がバネになって進展した。
自治体学会は「自治体政策研究交流会議」の場で提案され誕生した。
その「政策研究交流会議」は次のような経緯で開催された。
七十年代に公害問題と社会資本不足で都市地域に住民運動が激発し革新自治体が群生し革新市長会を結成した。革新市長会は政策情報を交流し1970年「都市づくり綱領」を作成した。革新自治体は「省庁政策の下請団体」から「地域独自の政策を実行する地方政府」への脱皮を目ざしていたのである。
このような情勢を背景に自治体職員の「自主研究グループ」が全国各地に叢
生した。そして、1984年5月、東京中野サンプラザで「自主研究グループ全国交流集会」を開催するに至った。
自治体職員の自主研究活動の広がりが「政策研究交流会議」を開催するに至る要因の一つであった。 
もう一つの要因は、「政策研究を時代の潮流にする」ためであった。
神奈川県は1978年に「公務研修所」を「自治総合研究センター」に改組して「研究部」を設けた。その研究部の「神奈川の韓国・朝鮮人の研究」が朝日新聞の論壇時評で「本年度の最高の成果」と評され「自治体の政策研究」が注目を集めた(注( )。
この動向を敏感に洞察した自治体首長が「政策研究の組織と体制」を自治体内に設けた。例えば、政策研究室(愛媛)、政策研究班(福井)の設置、シンクタンクの設立(静岡、埼玉)、地域の研究所や大学との連携(兵庫、三鷹市)、政策研究誌の発刊(神奈川、兵庫、徳島、埼玉)などである (注( ))。
このようにして、神奈川県の「研修所改革」が引き金になって「政策研究」が自治体の潮流になりつつあった。
ところが、本庁の課長は自分の所管業務に関する「職員の政策研究」を嫌った。知事のいないところで「若い職員が勝手な夢物語を描いている」と冷淡に言い放って水をさしていた。これが当時(一九八三年前後) の先進自治体の状況であった。
管理職が政策研究を忌避するこの状況を突き破るには、「全国交流会議」を開催して「政策研究が時代の潮流になっている」ことを内外に鮮明に印象づける必要があった。
一九八四年十月十八日、横浜港を眼下に眺望する神奈川県民ホール六階会議室で「自治体政策研究交流会議」を開催した。北海道から九州までの各地から一四〇団体・三五二人の自治体職員と市民と研究者が参加した。
この交流会議の場で「二つの動議」が提出された。
一つは「交流会議の継続開催」。他の一つは「自治体学会の設立」。
前者は「全国持ち回り開催」を確認して次回は埼玉で開くことが決まった。後者の「学会設立の提案」は、参会者全員が地域と職場で「学会設立の意義と可能性」の論議を起こし、その結論を次回埼玉会議に持ち寄ることを約定した。
このような経緯で「政策研究交流会議」から「自治体学会」が誕生したのである(注3)。
「自治体職員の政策研究」のエネルギーが自治体学会を設立させたのである。
 しかしながら、前述したように設立時には「自治体学」という専門の学問は存在しなかった。存在するのは国家を理論前提とする国家学であった。

3 学会設立時の定義
自治体学会設立の準備事務局を担当した神奈川県自治総合研究センターの研究部は、学会設立の発起人を全国に呼び掛けるために「自治体学の研究」に着手した。(以下の要約は、研究部長であった筆者が執筆した「自治体学の定義」の部分である。「自治体学に関する研究」の全文は神奈川県自治総合研究センターの「ホームページ」で「ダウンロード」できる)
自治体学とは、急激に変化しつつある地域社会から噴き出してくる「前例なき公共課題」を解明する実践の学である。したがって、自治体学に「完結した理論体系」を求めることはできない。また、自治体学は運動論的な側面を分かち難く包含する。
自治体学の内容は公共課題を解明することによって創造される学であるから自治体学は常に「仮定義」として理論構成することになるであろう。
かくして、自治体学を「自治体が国家中心の思想・科学から市民自治の思想・科学へと自立する学である」と定義した。
 
4 国家学と自治体学
国家学は「国家」を統治主体と擬制する。
自治体学は「国家統治の観念」に「市民自治の理念」を対置する(1)。
歴史年表に学問弾圧の事件として記録される「天皇機関説事件」は美濃部達吉博士の「国家法人理論」である。「国家法人理論」はその頃の「正統理論」であった。しかしながら、「国家主権」と「国家法人論」は君主主権を偽装する理論である。
現在の憲法に国民主権を明記したので、現在の憲法学と政治学は「国家法人論」「国家主権論」を正面切って唱えなくなっている。けれども、今もなお理論の根底に「国家」「国家統治」の観念が強固に存在する注( )。
そして、昨今の(2005年以降の)改憲の動向は、「国家観念」の復古を促し、「国民・領土・統治権」を国家の構成要素であるとする「国家三要素説」が随所に顕在化する。「国民主権」を「国家主権」に巧みに置き換える論法は健在である。「国家観念」は「政府責任」を「国家責任」に巧妙に置換えて「政府責任の追及」を曖昧にはぐらかすのである。
例えば、イラクで三人の日本人が拘束されたときである。
アルジャジーラ放送が伝えた「現地の声明」は、「日本の人々には友情すらも感じている。だが貴方がたの政府のリーダーはアメリカのブッシュと手を組んで軍隊をイラクに出動させた。三日以内に撤退を始めなければ、拘束した三人を焼き殺す」であった。日本のテレビ各局は「アルジャジーラ放送」をそのまま報道した。肉親家族はもとより日本の人々は大いに驚愕した。ところが、翌朝のテレビは、「貴方がたの政府のリーダーは」の部分を「貴方がたの国は」と「見事に足並みそろえて」改竄した。「誰がそのようにさせたのか」そして「これは何を意味するのか」。
問題の所在は「国家責任」ではなく「政府責任」である。

5 国家法人理論と政府信託理論
 明治のとき、「Stete」を「国家」と翻訳した。しかしながら、「ステート」は「全国規模の政治・行政機構」の意味であって、今風に言えば「中央政府=セントラルガバメント」である。
本来の「ステート」の意味は「幽玄の国家」ではない。
「ことば」は「思考の道具」であるのだから、思考を明瞭にするには「概念」を明晰にしなくてはならない。
福田歓一(元・日本政治学会理事長)は、1985年パリにおいて開催された政治学世界会議での報告で「われわれ政治学者は国家という言葉を使うことを慎むべきである」「規模と射程に応じて、地方政府、地域政府、全国政府と使いわけるのがよい」「人類の政治秩序の諸概念を再構築することが切実に必要であると信じる者として、過度に十九世紀の用語にとらえられていることを告白しないではいられない」と述べた注(  )。
ところが、現在も政治家と官僚は「国家観念」を言説して、「政治主体である国民」を「国家統治の客体」に置き換える。これが「国家」を隠れ蓑にする「官僚統治の論理」である。「国家の観念」に「国民」を包含させる(国家三要素説)から、「国家責任」は「国民自身の責任」のようにもなって、国民の「政府責任」「官僚責任」追及の矛先がはぐらかすのである。 
国家法人理論は、「国民主権」と「国家主権」を曖昧に混同して「政府」と「国家」を混同させる。
国家学は「国家統治」の「国家法人理論」である。
自治体学は「市民自治」の「政府信託理論」である。 
政府信託理論は「市民」が「政府」をつくって(選出し構成して)、代表権限を信託すると考える。
代表民主制度の理論構成で重要なのは「政府責任の理論」「政府制御の理論」である。

6 「市民自治」の政府信託理論
(1) 市民は公共社会を管理するために政府(首長と議会)を選出して代表権限を信託する。信託は白紙委任ではない。政府の代表権限は信託された範囲内での権限である。
(2) 市民は政府の代表権限の運営を市民活動によって日常的に制御する。
住民投票は政府制御の一方式であって代表民主制度を否認するものではない。住民投票は政府の代表権限を正常な軌道に戻らせる市民の制御活動である。
(3) 市民は政府の代表権限の運営が信頼委託の範囲を著しく逸脱したときには信託解除権を発動する。信託解除権とは解職(リコール)または選挙である。


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