■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
ML(メーリングリスト)のあり方、について
(カテゴリー: 研究ノート・書評
M L(メーリグリスト) について

☆☆県の自治体学会で、ニュースレターの原稿訂正をめぐって、事務局長からメーリングリストで意見が求められたので、この機会に、一般的な「MLのあり方」の問題として、感想を記録しておく。

〇〇@事務局長です。
> お詫びと訂正についてですが、改めて考えればニュースレター
> の発行人は☆☆自治体学会事務局となっています。したがって、
> お詫びするとすれば事務局長名でお詫びするのが筋かと思います。
> そこで運営委員の皆様方にもご意見をうかがいたいのですが、


 面と向い合った会議の場であるのならば、率直に話し合うのは(少しキツイ言い方でも)良いとは思うのですが、MLの場合は、チョッと違うように思います。
会議の場なら、話をしている人の表情や声の調子がそこにありますし、即座の反論も可能です。そして、同席者の(発言はなくとも)賛否の気持ちがその場に流れます。
 例えば、「そこまで言うか」 などの批判的空気が発言者に向かって発射されます。
そのようにして、お互いの「仲間の間合い」がつくられていくと思うのです。

MLの場合は、発信する人は独りでキィボードを打ちます。
社会性のない真空のような空間です。そこにいるのは自分だけです。
MLは、そこで作成した文章が全員に発信されます。
「向かい合った対話」とは大きく違います。 
でありますから、
MLには、自己規律、マナー、思いやり、のようなものが必要だと思うのです。

ところで、今回の場合は、
ニュースレターの編集者が原稿を直したことに対して 寄稿者から異論があって、
「ゴメンなさい」と編集された方が、その場で謝ったので、
(その場にいた私は)、それで万事は終了したものと思っていたのですが、
そうではないようですネ。
しかし、かりに 
 「納得できない」 「ことは当事者間の問題でない」 と考えるのならば、それは、MLでなくて 面と向かい合った場で話し合うことだと思うのです。
 
 MLで、批判発言を発信するのは、
多くのメンバーの前で、批判を受けた方を、ある時間、
一方的なさらし処分にすることになります。「やられてる」になります。  

MLは便利なものですが、えてして、書き込みに熱心な方の独壇舞台になりがちです。
  私なんぞは、この感想を書くだけでも相当の時間を要しますから、
  即座に反論はとてもできません。ただ眺めているだけになります。 

さて、
〇〇事務局長 へ
 今回のこと、あらためて「お詫び」を全員に配信することではない、と考えます。    
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