■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
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「今年の一字」
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-2006年・新春随想-                (札幌都市研究会報)

「今年の一字」    

京都清水寺の墨書の「今年の一字」は「愛」であった。

あるメディアから「一字」を求められた。この手のことには気乗りがしないのだが、考えて「考」と答えた。

学生には常々「社会が求めているのは学歴や知識ではない。知識を使いこなす思考力なのだ」、「状況が変われば自分の考えも変わる」というのは「自身の思考の座標軸が定まっていないからだ」と言っている。「思考力を高めるために、抽象概念や専門用語を学んでいるのだよ」と日頃ゼミでも言っている。言葉は「思考の道具」である。

「今年の一字」の問いは「現代の課題は何か、その課題解決の鍵語は何か」を訊ねているのだ、と考えて「考」と答えた。 

現代日本の問題は「状況追随思考」と「主体鈍磨」の蔓延にある。「批判的思考力」の衰退が現代日本の問題であると思う。

 例えば、小泉首相が年頭の会見で「靖国参拝は外交問題にはなりません」と語る。だが、外交は相手のあること、中国・韓国は「首相参拝」を友好の障害だと明言しているのだ。

首相は「外国政府が心の問題に介入して外交問題にするのが理解できない」と言明する。その言い方が問題を拡大しているのだ。そのような論理が通用すると本気で思っているのであろうか。日本国民をも愚弄する物言いである。自身の靖国参拝で首脳会談が実現せず、国連の常任理事国問題でアジア諸国の支援も得られないでいるではないか。  

かつて、タカ派と言われた中曽根首相は近隣中国の国民感情を考えて「首相在任中は参拝しない」と止めた。遺族会会長でもあった橋本竜太郎首相も首相在任中は参拝を止めた。 

小泉首相が靖国参拝にこれほど固執するのは、自民党総裁選のとき「私が首相になれば誰が何と言おうとも八月十五日に靖国神社に公式参拝をします」と遺族会に約束したからだと言われている。

首相として重視するべきことは何であるのか。私益なのか国益なのか。

ところが、首相自身がこれほどの外交問題を生じさせても、新聞社の世論調査では「小泉支持」はさほど変らない。かえって「中国嫌い」が増えているらしい。

なぜであろうか。

人々の「考える力」が衰弱しているからだと思う。「状況追随思考」と「主体鈍磨」が蔓延して「論理的思考力」を衰退させているからだと思う。

 ある政治研究会で「首相の靖国参拝」が論点になったときの話である。

「外国から批判されるから参拝をいけない」と言うのはおかしい、と国際政治学者が発言した。その言説は間違ってはいないのだが、いかにも「もっともらしく」聞こえた。その学者が「首相の靖国参拝」を「他の場所」で「自身の論拠」で批判をしているのならば、研究会での発言には説得力がある。だが平素は「首相参拝」に言及をせず批判もしていない。

そしてまた、国際政治学者ならば「中国の国民感情」を「外交で重視するべきこと」と考えるのが本来ではあるまいか。この類の「もっともらしい言説」と「自己保身の発言」が、学者にも多いのが昨今である。

市町村の合併問題のときにもこの種の発言が多かった。

ある自治体が合併是非の住民投票で「投票率が60%を超えないときには開票をしない」と定めたとき、「意見発言」を求められた識者の「もっともらしい・自己の立場を巧みに守る」発言が目立った。また「開票しない」を黙認する識者も多かった。

批判的思考力の衰退が現在の課題だと考える。

「今年の一字」の問いに「考」と返答した次第である。 ( 森 啓 )
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