■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
自治体の文化戦略
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自治体の文化戦略
 
文化行政のはじまり
文化行政は大阪から始まった。1972年8月、大阪府の黒田了一知事は企画部に文化振興室を新設して10人の著名人による大阪文化振興研究会を設置した。その研究成果が『大阪の文化を考える』『都市の文化問題』となって創元社から出版された。この二冊の本は文化行政の手引き書として自治体関係者に広く読まれた。 
総合研究開発機構(NIRA)は、1975年12月、委託研究『地域社会における文化行政システムに関する研究』を刊行し「文化と行政」をテーマに「シンポジュウム」を開催した。
時代感覚の鋭敏な自治体首長は、『大阪の二冊の本』と『NIRAシンポ』で「文化」が新たな時代の課題になっていることを直観した。さらにまた、文化行政を「着想から現実の行政へ」と飛翔させたのは「文化ディスチャージ論」であった。「教育はチャージ(充電)であり文化はディスチャージ(放電)である」「両者は本質的に方向が相反する」「文化行政の所管は教育委員会でなく首長部局がよい」。この絶妙の「しかけの論理」を提出した梅棹忠夫氏は、このころ、関西自治体の文化行政コンサルタントとでもいうべき役割を積極的に果たした。 

文化行政連絡会議
 文化行政は、首長のリーダーシップによって府県に根を降ろし始めた。だが、担当者は文化行政とは何か、文化行政の領域はどこまでなのか、何から始めればよいのか、それらは手探りであった。この状況を切り拓くため、1977年9月、神奈川県文化室の呼びかけで「府県文化行政連絡会議」が箱根湯元で開催された。集まったのは、宮城、埼玉、愛知、京都、大阪、兵庫、神奈川、横浜の七県一市の担当者19名で、当日の協議事項は五項目であった。
1 文化行政と総合計画との関係をどう考えるか。 
2 庁内の各部各課との横の連携はどうするか。
3 文化施設や文化団体の実態を把握する方策は何か。
4 文化行政への外部からの提言を得るにはどうするか。
5 現在および将来において文化行政の重要課題は何か。
 この連絡会議が「全国文化行政会議」へと発展し「文化行政シンポジュウム」を開催することになる。

全国文化行政シンポジュウム
1979年11月8日と9日の両日、横浜国際会議場で「白治と文化―地方の時代をめざして」をテーマに掲げた「シンポジウム」が、全国文化行政連絡会議と神奈川県とNIRAの主催で開催された。
国が呼びかけたものでもなく、法令に根拠をもつものでもない“文化行政”を話し合うために、四三の都道府県と三三の市町村が参集した。参加者386人は国際会議場を溢れ出し、ロビーに架設会場を設けモニターテレビを配置する盛会さであった。予想を超えた参加者の多さは「文化行政」が時代の課題になっていると予感したからであろう。
明治以来、自治体が独自に会合し公共政策を討論したことはない。前例のない出来事であった。“自治体の時代”の到来を象徴的に示す事態であった。このシンポを契機に「文化セクションの設置」と「文化戦略へのとりくみ」が潮流となって自治体に広がった。
文化行政は、それまでの教育委員会所管の「文化財保護と杜会教育」の「文化庁文化行政」ではない。環境、福祉、産業、都市計画など、白治体行政のあらゆる分野に“文化的視点”をとりいれる総合行政である。
それまで自治体は、省庁→府県→市町村とタテ系列につながり、補助金と機関委任事務で省庁政策に支配されていた。だが、地域社会が成熟して質的公共課題が増大したのである。自治体は文化戦略を独自に模索し始めた。だが、文化行政に正面から疑問が提起された。

文化行政への疑念
 財政不足で「福祉のバラマキ」が出来なくなったから「文化のまつり」を言い出すのは「安直」である。「文化と行政」は「水と油」である。文化は自由な市民活動の問題である。行政が「文化」を言い出すのは「危険」ですらあるとの疑念であった。
 だが当時は、画一的都市開発が進行していたのである。都市基盤整備は生産至上の「機能・効率」の工業開発であった。住宅も道路も公園も橋も学校も「用が足りれば良い」であった。そしてまた、明治この方、公共財政は庶民大衆の文化施設にビタ一文使われていない。文化施設は皆無である。日比谷公会堂も中ノ島公会堂も財界人の寄付である。
行政は「美しく潤いのある生活環境」と「市民の自由な文化活動の条件」を整備すべきである。「行政が為すべきこと」「関わってはならぬこと」「行政には出来ないこと」を見極めなくてはならないが「文化行政」は必要であった。
だがしかし、「前例と規則の責任回避」「何事も無難に大過なく」の役所行政では「文化行政」にならない。その後の展開が示すように「意味ある文化行政」は少数であった。文化行政への「疑問と批判」は正鵠であった。
こうして「行政の文化化」の言葉が創られた。

「行政の文化化」
「行政の文化化」とは「行政文化の自己革新」の意味である。
今の行政では意味ある文化行政にならないとの自覚から生じた言葉である。
行政文化とは、長い歳月によって行政内に堆積した慣例・手続き・手順・流儀・作法である。公務員の職業倫理観・住民観も行政文化である。何れも統治支配の「官の文化」である。
80年代に時代の潮流となって広がった文化行政は「今の行政のままでは文化行政にならない」と自己認識し、「自己革新した市民と行政職員との協働の営為」が不可欠であると考えた。そして「行政文化の自己革新」を「行政の文化化」という言葉で表現し、「自己革新した主体の協力」を「協働」という言葉で表現した。いずれも課題解明を模索した造語である。「協働」は「コラブレーション」の翻訳語などではないのである。
文化行政は市民の文化創造に介入するものではない。行政の文化化は現在の事業執行と制度運営と行政機構の文化的自己革新に意味がある。
文化行政とは「住み続けていたいと思い住んでいることが誇りに思える地域社会を創る市民と行政職員との協働の営為」である。この80年代の「文化行政の定義」は21世紀の今も正当であろう。

(注)
1 首都圈文化行政研究会編「新編・文化行政の手引き(公人社)」3頁の「文化行政の定義」が一般化したと言ってよいであろう。
2 地方自治職員研修:臨時増刊「行政の文化化読本」に全国文化行政会議の歩みが収録。第一回全国シンポの概要は地方自治通信80年 2月号。
3 「文化行政」松下圭一・森 啓編著(学陽書房) 333頁に(自治体文化行政の動向)が記録されている。
4 文化のまちづくりの実践例は「文化行政とまちづくり」田村明・森 啓編著(時事通信社)。
5「市民文化は可能か」松下圭一(岩波書店) 139頁「考察の座標軸」に政治イメージの転換が必要と指摘。
6 「文化ホールがまちをつくる」森 啓編著(学陽書房) 文化会館が各地に建設され「ハコモノ批判」が噴出した問題状況を解明。
7「行政の文化化」上田篤編著(学陽書房) 226頁に行政の文化化の系譜、その意味と実践が収録。
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