■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
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官から民へ - なぜ賛成するのか
(カテゴリー: 市民自治の意味
「官」から「民」へ ― なぜ賛成するのか  

「官から民へ」の「小泉政治のスロ―ガン」を多くの人々が支持した。なぜであろうか。
「民間でやれることは民間で」の言い方で「郵政民営化」が強行された。
人々は「民営化」に賛同し反対しなかった。
「民営化」に、「サービス向上」「効率化」「無駄を省く」「経費節減」のイメージを重ねるからであろう。重ねるのは「行政不信」が人々の心に堆積しているからである。
民営化は「不採算部門・赤字事業」の「切捨て廃止」に至るは必定。ツケは国民に廻ってくる。さりとて、今の行政にやらせて置くわけにもいかない。
「小泉政治のスローガン」に容易く乗せられたのは「非能率の行政」が底流にあるからである。しかし同時に、人々の「思考力が衰弱」して「状況追随思考」に陥っているから「官から民への欺瞞意図」が見抜けないのである。

国政だけでない。自治体にも「指定管理者制度」による「公共施設の民間委託」が広がっている。図書館、文化会館、観光施設などの民間委託である。施設だけではない。「公共が担うべき」と考えてきた福祉部門にも民間委託が拡大している。「経費節減」と「サービス低下」の委託である。だが住民は「民間委託」に反対しない。なぜであろうか。「公務員よりも民間が良い」と思うからである。
「出勤して仕事をしているフリをしていれば退職金も年金も出る」「無難に大過なくの消極態度の公務員」「規則と前例の責任回避」「どちらを向いて仕事をしているのか」「親方日の丸の無駄遣い」「公務員労組は自分福祉の既得権意識だけ」。「行政不信」が今では「公務員行政の見限り」にまで至っているからであろう。
 
ところで、民営化反対の「論理的で説得力のある反論」は見当たらない。労働組合はもとより政治・行政の学者からも説得力ある反論は出ていない。 
例えば、「何でも彼でも民営化にすれば良いというものではない」「民営化に適する業務もあるだろう。だが公共が担うべきものもあるのだ」との言い方がなされる。これは何も語っていないのと同じである。反論になっていない。単純な形式論理である。
「民営化はサービス低下の低賃金政策だ」と反論しても「公務員行政の非能率」は周知で「行政不信が広がっている」から説得力がまるでない。

 東京三鷹市の「公設民営の保育所」は評判も良く、他の保育所の父母からは、吾が子を預けている保育所も「民間委託にして貰いたい」と要請されている。 
他方、横浜市では父母が署名を集めて「民間委託の計画を中止して直営を続けてもらいたい」との要望書を市長に手渡している光景が、本年八月、テレビで放映された。この違いは何を意味しているのか。この違いを解明できなければ「説得力ある反論」は出せないであろう。主体変革を伴う実践論理で考察しなければ解答は見出せない。

「民営化」の目的は「経費節減」で、「効率化」とは「不採算部分の斬捨て」であるのは明白である。明白であるにも拘わらず「官から民へ」のスローガンに惑わされるのは、多くの人々が「公務員行政を見限っている」からである。
「行政劣化」の実態を認識して「行政文化の自己革新」を実践しなければ「官から民への政治スローガン」に反論する説得力ある論理は出せないであろう。
例えば、自治基本条例の制定を「代表権限」を「信託された首長と議会」で制定できると考える人々には「民営化反対の説得力ある反論」は出せないであろう。
行政職員と市民との間に「信頼・協働」が形成された地域には「民営化の欺瞞性」を見抜いて阻止する地域自治力が育っている。

                            
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