■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
松下圭一理論の骨格
(カテゴリー: 自治体学理論
  松下圭一理論の骨格

  本稿は2017年5月21日、札幌市内で開催した「松下圭一先生追悼の集い」での報告である。 
 
1 松下理論の三つの骨格を話します。
 第一は、1975年刊行の 岩波新書『市民自治の憲法理論』で、民主主義は「国家が国民を統治する」ではない、「市民が政府を選出し制御し交替させる」であると明快に論述したことです。松下理論は民主主義の政治理論です。
 民主主義は「国家統治」ではなくて「市民自治」です。国家は統治主体ではないのです。「国家」は擬制の観念です。人々(市民=Citizen=People)が自治共和の主体です。
 この自明なことを、なぜことさらに言わなくてはならないのか、これが問題です。
 
 明治初年に「国権か民権か」の自由民権運動が起こり伊藤博文はドイツに赴いた。そのドイツは、イギリス市民革命・アメリカ独立革命・フランス市民革命に驚愕したドイツ皇帝が「立憲君主制の憲法」で専制支配を続けていた。立憲君主制は「国家観念」を隠れ蓑にする偽民主主義制度である。
 伊藤はドイツから「国家理論」と「立憲君主制」を持ち帰り「立憲君主憲法」をつくった。そして渡辺洪基・東京帝国大学総長に「国家学ノ研究ヲ振興シ、普ク国民ヲシテ立憲ノ本義ト其運用トヲ知ラシムルコト(国家の観念を教え込むこと)ガ極メテ必要」と助言し、1887年2月、東京帝国大学内に「国家学会」を設立し「国家学会雑誌」を発行して「国家学」を正統学とした。そして天皇機関説事件などを経て「国家統治」に疑念を抱くことも禁圧した。以来(今日に至るまで)大学教育は「国家が国民を統治支配する」の教説であった。

 1945年日本は焼け野原になってポツダム宣言を受諾した。1946年に「天皇統治(国家主権)の明治憲法」から「国民主権の憲法」に180度転換した。1948〜1950年に京帝国大学の学者14人が「註解日本国憲法」なる逐条解説書(上・中・下)を分担執筆して刊行した。しかしながら、戦前に「私立法律学校特別監督条規」を定めて(現在の主要私大法学部の前身である)私立法律学校を東大法学部の統制下におき、つい直前まで「国家統治」に疑念を抱くことも禁圧していた帝国大学の学者が、「国家統治の観念」から自由になることはできる筈もなかった。
 逐条解説の分担執筆を提案した田中二郎は、その後も「国家の優越的地位の論理」を自身の著作に書き続けた。例えば、行政法の標準的教科書とされた1964年刊行の『新版行政法』(弘文堂)には、「行政法は、支配権者としての国・公共団体等の行政主体とこれに服すべき人民との間の法律関係の定めであることを本則とする」「行政法は、支配権者たる行政主体の組織に関する法、及び、原則として、かような行政主体と私人との間の命令・支配に関する法であり、公共の福祉を目的として、国又は公共団体が一方的に規制することを建前とする点に特色が認められる」と叙述した。

 すなわち、行政が「公」を独占し、国民は行政執行の客体であり「私人」であった。この基本認識が「日本公法学会」「憲法学会」を主導したから「憲法は変われども国家統治は変わらず」が存続しているのです。
 1975年に『市民自治の憲法理論』が刊行されたとき、憲法学者も行政法学者も政治学者も誰も反論できなかった。「松下ショック」と言われた。(大塚信一『松下圭一 日本を変える』トランスビュー2014年刊、 序章17頁)
 学者は反論できないので「学会」をつくり「国民主権」を「国家主権」と言い換えて「国家が統治権の主体である」と講義して現在に至っているのです。そして毎年その教育を受けた学生が社会人になっているのです。でありますから、民主主義は「国家統治」ではない。「市民の自治共和」であると言い続けなくてはならないのです。「市民が政府を選出し制御し交替させる」のです

 「国家」の語は (オカミ)(オオヤケ)を連想させて国民を丸ごと包括し絶対・無謬をイメージさせる言葉です。権力の座に在る者の「隠れ蓑」の言葉です。
しかしながら「国家三要素説」は二重概念の非論理的な曖昧説明です。「国家法人論」は国家を統治主体と擬制する理論です。
民主主義の理論は市民が代表権限を政府に信託する「政府信託理論」です。
 選挙は白紙委任ではない。選挙は「信頼委託契約」です。政府が代表権限を逸脱するときは「信託契約」を解除する。市民自治は「市民が政府を選出し制御し交代させる」です。
 これが松下理論の骨格の第一です。


2 松下理論の骨格の第二は「市民」と「自治体」です。
 「市民」と「自治体」が、現代社会(都市型社会)の政策主体であるとの理論を提示しました。(『市民自治の憲法理論』50頁 )
① 市民
 松下さんは北海道地方自治研究所の講演で(2007年6月20日)、市民とは市民型規範を自覚して考え・活動する「人間型」です。民主政治は (自由・平等)という生活感覚、(自治・共和)という政治文脈をもつ〈人間型〉としての「市民」を前提としないかぎり成り立たない。市民政治が実質可能となるには、その主体の個々の人々が「市民」という人間型を規範として設定せざるを得ないのです、と説明しました。(北海道自治研ブックレット「再論・人間型としての市民」)
「市民」は規範概念です。「規範概念」「規範論理」「規範意識」は(骨格の三)で話します。

 日本語の「市民」はイギリス市民革命の「Citizen」の訳語です。明治啓蒙期に福沢諭吉が翻訳したと言われています。「イチミン」と発音します。だが、戦前も戦後も「市民」の言葉は使われなかった。国家統治の時代は「皇民」「臣民」「国民」であった。
 日本が「都市型社会に移行を始めた1960年前後に「住宅・交通・公害・環境」などの都市問題が発生し「市民運動」が激発して「市民」の言葉がマスコミで使われるようになった。 
 1966年の松下圭一『〈市民〉的人間型の現代的可能性』(思想504号)で、ロックの《近代市民》に対して「都市型社会の《現代市民》」の可能性を理論提示しました。都市型社会の《現代市民》が「松下市民政治理論」の中核概念です。
《近代市民》と《現代市民》の違いは、前記「北海道自治研ブックレット」の78頁をご覧ください。このブックレットは松下理論の理解にはとても良い本です。

 「市民」の概念を理解するには「市民と住民」の違いを考えることです。
[市民と住民]
 市民とは、自由で平等な公共性の価値観を持つ「普通の人」です。普通の人とは「特権や身分を持つ特別な人」ではないという意味です。
 「市民」は、近代西欧の「Citizen」の翻訳語です。近代イギリス市民革命の担い手で「所有権の観念」を闘いとり「契約自由の原則」を確立した「市民社会の主体」です。
 だが、福沢諭吉が期待をこめて翻訳した「市民」は使われなかった。
 明治政府はドイツの国家理論を手本にして「帝国憲法」をつくり「教育勅語」で忠君愛国の「臣民」を国民道徳として教えこんだのです。臣民とは天皇の家来です。自立して社会を担う「市民」はタブーでした。
 1945年の戦後も使われなかった。弾圧から蘇った社会主義の人々が「市民」を「所有者階級」と考えたからです。リンカーンのPeopleも「人民の、人民による、人民のための政府」と訳されました。
 都市的生活様式が日本列島に全般化した1980年代に至って、ようやく福沢が期待をこめて訳語した「市民」が使われるようになった。「普通の人々」によるまちづくりの実践が全国に広がったからです。
 近代市民革命の市民は「有産の名望家」でした。しかしながら、「現代の市民」は公共性の感覚を持ち行動する普通の人々です。 社会が成熟して普通の人々が市民である条件が整ったからです。「市民」とは「公共社会を管理する自治主体」です。

「住民」とは、村民、町民、市民、道民などの行政区割りに「住んでいる人」のことです。
 「住民」は、住民登録・住民台帳・住民税という具合に行政の側から捉えた言葉です。行政の統治客体が「住民」です。住民は被治者であり行政サービスの受益者です。「住民」の言葉には上下意識が染み付いています。
 「住民」を「市民」との対比で定義するならば、「住民」は自己利益・目先利害で行動し行政に依存する(陰で不満を言う)人です。行政サ―ビスの受益者とされる人です。そして「市民」は、公共性の感覚を体得し全体利益をも考えて行動することのできる人です。政策の策定と実行で自治体職員と協働することもできる人です。

 しかしながら、「市民」も「住民」も理念の言葉です。理性がつくった概念です。実際には、常に目先利害だけで行動する「住民」はいない。完璧に理想的な「市民」も現実には存在しません。実在するのは「住民的度合いの強い人」と「市民的要素の多い人」の流動的混在です。だが人は学習し交流し実践することによって「住民」から「市民」へと自己を変容する。人は成長しあるいは頽廃するのです。
 都市型社会が成熟し「生活が平準化し政治参加が平等化」して、福沢の「市民」は甦ったのです。

② 「自治体」
 自治体は市民の自治機構です。国の政策を執行する地方の行政組織ではないのです。
 「地方公共団体」の語は、憲法制定時に内務官僚が「全国一律統制」を継続する意図で、GHQ 原案のLocal self-government(地方政府)を「地方の公共団体」と訳語したのです。
 内務官僚は「知事公選」に猛反対しました。だがGHQに押し切られて反感を抱き、原案の文意を様々にスリ換えました。スリ換えた内容は、岩波新書『日本の地方自治』(辻清明-1976年) の72-81頁に詳しく記されています。
 
 松下理論は「多元重層の分節政治理論」です。
 1975年の『市民自治の憲法理論』(112頁)で、自治体が「シビルミニマムの策定」や「公害規制基準の制定」などの「自治体主導の政策」を既に実行している事例を示して、自治体は憲法機構であり「自治立法権」「自治行政権」「自治解釈権」を保有している、と理論提起しました。この理論提起が「自治体の発見」と評されたのです。
 1980年代、工業文明が進展して「前例無き公共課題」が噴出増大しました。これらの公共課題は、ⅰ国際間で基準を約定して解決する課題、ⅱ国レベルの政府で全国基準を制定して解決する課題、ⅲ自治体で解決方策を策定して解決する課題に三分類できます。そして政府も国際機構、国、自治体の三つに分化します。自治体は公共課題を解決する政府です。

 橋本竜太郎内閣のとき、菅直人議員が衆議院予算委員会で「憲法65条の内閣の行政権は(どこからどこまでか)」と質問しました(1996年12月6日)。大森内閣法制局長官が総理大臣に代わって「内閣の(つまり国の)行政権限は憲法第八章の地方公共団体の権限を除いたものです」と答弁しました。これが公式政府答弁です。 
 つまり、自治体は独自の行政権限を有しており、自治体行政を行うに必要な法規範を制定する権限を憲法によって保持しているのです。国の法律を解釈する権限も有しているのです。自治体は憲法機構です。

 ところが、「国家統治の伝統理論」から脱却できない学者は、自治体の(政策自立-政策先導)が現出しているにも拘らず、自治体を憲法理論に位置付けることができない(定位できない)のです。
 例えば、小林直樹教授は『憲法講義(1975年改訂版)』で「国民とは法的に定義づければ国家に所属し国の支配権に属人的に服する人間である」(憲法講義上23頁)。「自治体は国家の統一的主権の下で、国家によって承認されるものとして成り立つ」(憲法講義下767頁)と述べています。小林教授は「市民」と「自治体」を憲法理論に位置付ける(定位する)ことができないのです。
 樋口陽一教授は、『近代立憲主義と現代国家』で「国民主権の形骸化の現実」を説明するために「国民主権の実質化・活性化」への理論構築を放棄しています。そして「国民主権」を「権力の所在を示すものでしかないものだ」とする論理を述べます。この論理は「国民主権による政治体制の構成」という憲法理論の中枢課題自体を実質的に放棄しているのです。
 なぜそうなるのか。お二人は「国家統治」と「国家法人論」を憲法理論の基軸にしているからです。だが「国家法人論」は国家を統治主体に擬制する理論です。民主政治は市民が代表権限を政府に信託する「政府信託論」です。
 以上の指摘の詳細は、松下圭一『市民自治の憲法理論』(117頁-123頁)をご覧ください。

3 「都市型社会」と「政策型思考」
松下理論の骨格の第三は「都市型社会」と「政策型思考」です。
 「都市型社会」は「近代社会」がいかにして「現代社会」に構造変化したかを認識する概念です。「政策型思考」は松下理論の思考の方法論です。

都市型社会とは、都市地域だけではなくて、山村・漁村・僻地にも工業文明的生活様式が全般化した社会のことです。
 人類発生以来、採取・狩猟の社会であった。やがて農業技術を発明して定着農業の社会(農村型社会)になった。{人類史上、第一の大転換}  やがて16-17世紀ヨーロッパに、産業革命・市民革命による工業化・民主化=(近代化)が始まり、数千年続いた農村型社会(身分と共同体の社会)の解体が始まる。20世紀に、工業化(情報技術のさらなる発達)・民主化(民主政治の思想と制度の広がり)が進展して、先進地域から順次に「都市型社会」への移行となった。{人類史の第二の大転換} 

〈都市型社会〉の論点は、現代社会を「如何なる社会と認識するか」です。つまり、工業化と民主化が進展して数千年続いた〈農村型社会〉が〈都市型社会〉に大転換した、の「認識の有無」の問題です。
 (多くの)学者の理論は「現代社会の構造変化」を認識しない理論です。つまり理論前提が「ガラリ変わっている」ことを認識しない「農村型社会」の理論です。
 都市型社会では、人々の生活条件の整備は〈共同体〉ではなく〈政策・制度〉という公共政策によって整備されます。 
 「都市型社会」の詳細説明は松下理論の主著『政策型思考と政治』の18頁(大転換としての都市型社会)をお読みください。
 
② 政策型思考
 論理には説明論理と規範論理があります。
 「説明論理」は、事象を事後的に考察して説明する思考です(実証性と客観性)が重要です。
「規範論理」は、(あるべき未来)を目的に設定して実現方策を考案する思考です(予測性と実効性)が重要です。
 政策型思考とは規範論理による思考のことです。松下市民政治理論の方法論です。

1) (あるべき)とは当為です。(かくありたい)(かくあるべき)は「規範意識」です。
2) (あるべき未来)は構想です。夢想ではありません。未来に実現を予測する構想です。
3) (あるべき未来を構想する)のは「規範概念による思考」です。 

 松下理論(著作)を難解だと思うのは「規範論理」で論述されているからです。
「規範概念」と「規範論理」を了解納得するには、(あるべき未来)を目指して一歩踏み出し、困難な状況に遭遇して、自ら困難を切り拓いた(いくらかの)体験が必要です。
 (あるべき未来を希求する)のは、「現状に問題あり」の認識があるからです。問題意識のない状況追随思考の人には(あるべき未来)を構想することはありません。
 構想するとは「何が解決課題であるか」「解決方策は何か」を模索することです。
「何が課題で方策は何か」を模索するのは経験的直観です。その経験的直観は「困難を怖れず一歩踏み出した実践体験」が齎します。「人は経験に学ぶ」という格言の意味は、一歩踏み出し困難に遭遇して「経験的直観」を自身のものにすることです。実践と認識は相関するのです。実践の概念認識が「経験的直観」です。
(知っている)と(分かっている)には大きな違いがあります。違いは実践体験の有無です。 人は体験しないことは分からないのです。


 本日の案内ビラにも転載されておりますが、松下先生はご自身の方法論を次のように説明しています。(大塚信一『松下圭一 日本を変える』338頁「私の仕事」)
『私の社会・政治・行政理論の〈方法論〉は「歴史の変化のなかに現実の構造変化を見出し」、「現実の構造変化をおしすすめて歴史の変化をつくりだす」という考え方です』
 (歴史の構造変化を見出す) (歴史の変化をつくり出す) とはどのようなことか、
本日後半の討論で考えたいと思います。  (森 啓)

■松下圭一先生追悼の集い
■日時  2017年5月21日(日)13:00~16:00(開場12:30)
■会場  北海道自治労会館(3階)第1会議室(北6西7)
■プログラム
 ・講演:森啓「松下理論とは」
 ・論点提起:政策型思考研究会会員などからの発言
 ・会場討論:「松下理論」から学んだこと
■会場討論
・学者が「松下先生の著作を読まないことにしている」のはなぜであろうか。
・松下理論の著作が難解だと言われるのは何故か
・憲法は「天皇主権」から「国民主権」の憲法に変わった。
だが大学では「憲法とは国家統治の基本法であると講義(教説)している。なぜであろうか。


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