■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
「住民」と「市民」
(カテゴリー: 自治体学理論
「住民」と「市民」

[市民]
 市民とは、自由で平等な公共性の価値観を持つ「普通の人」である。普通の人とは「特権や身分を持つ特別な人」ではないという意味である(注2)。
 「市民」は、近代西欧の「Citizen」の翻訳語で福沢諭吉が「社会を担う主体的な個人」の成熟を念願し期待して翻訳した言葉である。シティズンは、近代イギリス市民革命の担い手で「所有権の観念」を闘いとり「契約自由の原則」を確立した「市民社会の主体」である。福沢は「一身の独立なくしては」と唱え、自由と平等の精神を持つ自立した人間が開国日本に育つことを希求したのであろう。「シティズン」が有している自由と平等の考え方を導入しなければと考えたに違いない。自己の才覚で利益も損失も判断していきいきと市(いち)で働く庶民こそが「シティズン」の訳語にふさわしいと考えたのであろう。「市民」(いちみん)と翻訳した。だが、福沢が期待をこめて翻訳した「市民」は使われなかった。

 明治政府は、皇帝が君臨していた後進国ドイツの国家理論を手本にして「帝国憲法」をつくり「教育勅語」によって忠君愛国の「臣民」を国民道徳として教えこんだ。臣民とは天皇の家来である。絶対服従の家来である。自立して社会を担う主体の観念はタブーであった。1945年の戦後も使われなかった。弾圧されていた社会主義の思想が甦り、「市民」は「所有者階級」と考えられた。使われた用語は「人民」であった。リンカーンのPeopleも「人民の、人民による、人民のための政府」と訳された。

 都市的生活様式が日本列島に全般化し地方分権たらざるを得ない1980年代に至って、ようやく、福沢が期待をこめて訳語した「市民」が使われるようになった。「普通の人々」によるまちづくりの実践が全国に広がったからである。しかしながら、国家統治の官庁理論の人々には「住民」と「市民」の違いが分からない。行政機構の内側に身を置いて官庁理論でやってきた公務員には、市民運動の人達は目先利害で行動する身勝手な人たちに見えるのであろう。そしてまた、公共課題の解決のために地域の人達と連帯して行動し、感動を共有した体験のない学者や評論家は「合理主義・個人思想・人権革命の歴史を持たない日本では市民などはいないのだ」などと言うのである。近代市民革命の時の市民は「有産の名望家」であった。しかしながら、現代の「市民」は公共性の感覚を持ち行動する普通の人々である。都市型社会が成熟して、普通の人々が市民である条件が整ったのである。
 

[住民]
 「住民」とは、村民、町民、市民、県民など、行政区割りに「住んでいる人」のことである。そして「住民」という言葉は、住民登録・住民台帳・住民税というように、行政の側から捉えた言葉である。行政が統治し支配する客体が「住民」である。住民は被治者で行政サービスの受益者である。「住民」という言葉には上下意識が染み付いている。その上下意識は住民の側にも根強く存続しているのである。長い間、行政法学は「行政」を優越的主体と理論構成した。そして「住民」は行政執行の客体で被治者であった。「住民」という言葉には「自治主体」の観念は希薄である。

「住民」と「市民」
「住民」を「市民」との対比で定義すれば、「住民」は自己利益・目先利害で行動し行政に依存する(陰で不満を言う)人で、行政サ―ビスの受益者とされる人である。「市民」は、公共性の感覚を体得し全体利益をも考えて行動することのできる人。政策の策定と実行で自治体職員と協働することもできる人である。
 しかしながら、「市民」も「住民」も理念の言葉である。理性がつくった概念である。実際には、常に目先利害だけで行動する「住民」はいない。完璧に理想的な「市民」も現実には存在しない。実在するのは「住民的度合いの強い人」と「市民的要素の多い人」の流動的混在である。人は学習し交流し実践することによって「住民」から「市民」へと自己を変容する。人は成長しあるいは頽廃するのである。都市型社会が成熟して、生活が平準化し政治参加が日常化して、福沢の「市民」は甦ったのである。 (「新自治体学入門」時事通信社 112頁)

「市民」の出現
心の原風景を共有する歴史的な建物を保存する運動する人達、障害者に優しいまちをつくる運動を進める人々が日本の各地に現れた。新聞やテレビは、公共感覚で行動する人達を「市民」という言葉で報道するようになった。運河保存の運動を続けた小樽の方々はまさに市民であった。普通の人々が情報と余暇を持つことができるようになったからである。かつては、特権階級だけが自由な時間・経済的なゆとり・情報と教養を独占していた。近代化が進展し工業化と民主化が一般化して都市型社会と言われる社会構造の変化が起きた。普通の一般大衆が余暇と教養と情報を享受することができるようになった。身分や特権を持たない普通の人々が「市民」になる条件が整ってきた。
古代の都市国家の市民も、中世の都市貴族も、近代市民革命のときの市民も、すべて、特権をもつあるいは財産をもつ一部の人達であった。古代都市国家には奴隷、中世には農奴、近代には下層労働者・農民が多数いた。多数の人々は社会を担う主役ではなかった。都市型社会が成熟して普通の人々が「住民」から「市民」に成熟する条件が整ってきた。地域文化の主体としての「市民」は、夢想の理想イメージではなく、現代社会に登場している。

 人間は体験しないことは分からない。行政機構の内側にいて官庁理論でやってきた管理職の公務員は市民運動の人達は自己利益で行動する身勝手な人達にみえる。学者や評論家もまちづくり運動で苦心する人達と連帯し共に感動した体験のない人は「市民」は合理主義・個人思想・人権革命の歴史をもたない日本には難しいと言う。
 未来を構想し現在に問題を見出し、解決方策を模索し行動を始めた人でなければ、問題意識をもって行動した体験がなければ、現在に未来の予兆を見ることは出来ない。「主体イメージ」はいつも漠然である。


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