■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
「自治体」と「地方公共団体」
(カテゴリー: 自治体学の基礎概念
  「自治体」と「地方公共団体」

・読売新聞や産経新聞ですらも、中央集権から地方分権への時代思潮の転換によって、今では「地方公共団体」の言葉は使わない。「自治体」で記事を書いている。
・「地方公共団体」を今でも意図的に使っているのは総務省官僚である。地方を支配したいからである。「地方公共団体」は国家が(実は官僚が)地方を支配するための内務官僚の用語である。

1.「自治体」の概念をめぐって次のような見解が錯綜している。
(1) 「自治体」とは「政府」のことであるから「市民」は含まない。
(2) 「自治体」とは「市民」と「政府」の双方を包含する言葉である。
(3) 役場の文書や会議で使う「自治体」は「都道府県庁、市役所、町村役場」のことだ。
(4) 役所だけを「自治体」と僣称することに違和感を覚える。
(5) 自治体とは「まち」のことで、自治体は空間的イメージである。

 さて、概念・用語は思考の道具である。理論的思考力を高めるには基礎概念を曖昧に使用してはならない。吟味が必要である。
 概念を曖昧に使用しないために具体的に考えたい。
 例えば
・神奈川
・神奈川県
・神奈川県庁(知事と行政機構・神奈川県議会)
・神奈川県民
・神奈川県庁舎
と並べたとき、「自治体」はどれを指す言葉であろうか。

 「自治体とは地方政府のことだ」と考えると、自治体は神奈川県庁・県議会になる。だがそれなら「神奈川県」は自治体ではないのか。自治体でないのならば「神奈川県」は何なのか。あるいは、「神奈川県」も「自治体」だと考えるのならば、神奈川県と神奈川県庁の違いをどう説明するのか。
 市民生活の観念としては「神奈川県」と「神奈川県庁」は同じではない。異別の存在である。そしてまた、行政の幹部職員が「神奈川県の方針は」「神奈川県といたしましては」などと言う時がある。

 この言い方に対して、「神奈川県とは県庁のことなのか」「県庁が神奈川県の公共課題のすべてを独占するとでも言うのか」との反感的批判がある。
 「県行政といたしましては」「県庁の方針は」と言うべきだ、との批判的反論がある。
 
 さて、旧内務省の言葉遣いでは「地方公共団体」と「県庁」は同義語であった。住民は行政の被治者であって「自治主体」ではない。お上の官庁を県民が批判し制御する「政治主体」を認めない。だから「お上である県庁」がすなわち「地方公共団体」であった。
 しかしながら、旧内務省用語で基礎概念を混同してはならない。とりわけ、行政職員に「神奈川県」と「神奈川県庁」を曖昧に混同させてはならないのである。同様に「自治体」と「自治体政府」の概念も曖昧に混同してはならないであろう。

 神奈川県が「自治体」であって、神奈川県庁(代表機構と代行機構)は「神奈川県の政府」すなわち「自治体の政府」である。そして、その「政府である神奈川県庁」を「神奈川県の市民」が制御するのである。
 すなわち、「自治体」は「自治主体の市民」と「制度主体の政府」との緊張関係で運営されるのである。こう考えるのが「自治体学理論」である。
この考え方に次のような反論がある。

 [反論─自治体とは政府のことだ]
 「自治体という政府」に市民・住民は含まれない。「政府形成権力である市民」を「市民に奉仕するべき政府」と同列に扱うのはデモクラシーの原理に反する。
 自治体は市民がつくる政府制度であり政治機関である。
 憲法の「地方公共団体」を「自治体」に置き換えて読めば、自治体は明らかに「政府」(政治・行政機構およびその活動一般)である。
 自治体に「市民」を含める考え方は「国民・領土・政府」の三つを国家の構成要素とする「国家三要素説」を連想させる。国民が政府・領土と同列に置かれて「国家の要素」になるのと同じ考え方である。
 概ねこのような反論である。

 だがしかし、国家を「国民、領土、統治権」であるとする「国家三要素説」は、国家を絶対・無謬の統治主体にするための「虚構の論理」であったのだ。
 そして、「国家」と「自治体」は、方向が正反対である。
 「国家」は「統治主体」として「国民を統治」する。「国民」は「国家の要素」であり「被治者」であるとされる。
 これに対して、「自治体」は「市民」が「政府」を選出し、制御し、交代させるのである。「自治体」には「自治主体として市民」が成熟しているのである。
 さらにまた、いわゆる「国家三要素説」は「国民・領土・統治権」であって「国民・領土・政府」ではない。国家三要素説の「国家の観念」には「市民が選出し制御する政府の観念」は、いまだ熟成していないのである(現在は「国家」と「政府」を曖昧に混同させることが問題なのである)。

 自治体を「市民(自治主体)と政府(制度主体)」の「信頼委託・緊張制御」によって運営すると考えるのが「市民自治の理論」であり「代表民主制度の理論」である。
 この考え方を「市民と政府を同列に論じるものでありデモクラシーの原理に反する」と批判するのは、当を得ていないのではあるまいか。
 そしてまた、「自治体」が論点になっている時に、「自治体という政府」を「主語」にしての立論は論理的ではないであろう。

2 政府と自治体
 そもそも、「政府」と「自治体」は同じ意味の言葉であろうか。同じ意味であるならば、なぜ二つの言葉を時によって使い分けるのか。
 自治体を政府だと主張する意図は、おそらく、これまで「県庁や市役所」は「地方行政機関」であり、「県や市」は「地方公共団体」であった。そこで、中央に従属しない「地方の自立」を強調するには、「自治体」と「政府」を理論化しなくてはならない。すなわち、「地方公共団体」を「自治体」へ、「地方行政機関」を「政府」へと転換する理論である。
 
 「政府の理論」はこうである。現代社会では前例の無い公共課題が増大する。公共課題を分類すると、国際社会で基準を約定して解決する公共課題と全国基準で解決する公共課題と地域で解決する公共課題の三分類になる。これら公共課題を解決する政府も「国際政府と中央政府と地方政府」の三つに分化するのだ」と説明する。
 
 「自治体の理論」は少し厄介である。
 「国家」を「絶対無謬の統治主体」だとする「虚構の国家理論」を打破しなければならない。そこで「国家」を「人々(市民)」と「政府」に分解して「国家」なる言葉を使わず「市民」と「政府」の理論にしたい。「国家法人理論」から「政府信託理論」への転換である。「国家の観念」には「絶対・無謬の統治主体の観念」が染み込んでいるからである(注3)。
 ところが「政府」とは別の「自治体」を認めると、「中央政府」とは別の「国家」が甦る。それは困る。そこで「自治体とは政府のことだ」になった、のではあるまいか。
 
 しかしながら「神奈川県」と「神奈川県庁」は明白に異別である。
 同様に「国家」を忌避しても「日本国」と「日本国の政府」と「日本の人々(市民)」を指し示す言葉は必要である(国民は「国家の国民」になるからなるべく使わないようにする)。
 ここで確認しておくべきは、「神奈川県庁」はいまだ「政府」になっていない。「神奈川県」もいまだ「地方公共団体」であって「自治体」になりきっていない(その途上)ということである。
「自治体」「自治体政府」「市民」は「国家統治」から「市民自治」への転換を目指す「実践概念」である。

「実践概念」を理解するには「理論とは何か」の考察が必要である。
理論には「説明理論」と「実践理論」の二つがある。
「説明理論」は、事象を事後的に客観的・実証的・分析的に考察して説明する。
「実践理論」は、未来を予測構想し現在に課題を設定して解決方策を考え出す。

「何が課題で何が解決策であるか」を見究めるのは「経験的直観の言語化」である。経験的直観の言語化は困難を覚悟して一歩前に出た実践によって可能となる。大勢順応の自己保身では経験的直観の言語化はできない。人は経験しないことは分らないのである。

 実践理論は歴史の一回性である実践を言語叙述によって普遍認識に至らしめるのである。
 (実践概念の意味は「新自治体学入門(時事通信社)」の第三章に述べた)

「知っている」と「分かっている」は同じでない。
「分かっていない人」とは、波風がないときには (自分に非難が返ってこないときには)立派なことを言うけれども、素早く不利になると判断したときには、「黙り、曖昧なこと」言う人である。両者の違いは「覚悟して前に出た実践体験」の違いである。
 未来を構想し現在条件を操作するのは「規範概念による思考」である。
「市民行政」も「市民自治」も規範概念である。「規範概念」を了解し会得するには「実践による自己革新」が不可欠である。利いた風な言葉を操るだけの現状追随思考の人には「規範概念の認識」は曖昧で「漠然たる認識」である。
「覚悟して一歩前に出た実践」による「主体の変革」なくしては「課題と方策の言語叙述」はできない。即ち、「実践」と「認識」は相関するのである。

 「地方公共団体」とは「地方の行政団体」であって、そこにいる人々は「被治者としての住民」である。
「自治体」には「自治の主体である市民」が「代表権限を信託した政府」を組織して制御しているのである。
 「地方公共団体」と「自治体」の違いは、「政府」と「市民」が成熟しているか否かの違いである。

 以上は自治体学の基礎概念の考察である。
 「市民」と「住民」の違い、についても同様の考察が必要である。
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