■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
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自治基本条例の必要理由
(カテゴリー: 市民自治基本条例本条例
自治基本条例の必要理由
1 全国各地で「市民自治基本条例の制定」
パソコンで「自治基本条例」と記入し検索すればその動向に驚くであろう。そこに共通しているのは、市民と力を合わせて住み心地の良いまちを作ろうとする先進自治体の姿勢である。 
65年前、「天皇主権・国家主権」の憲法を「国民主権」の憲法に改めた。だが、マッカーサーの占領政策が「間接統治」であったために「内務官僚の思想」は殆んど無傷で温存された。地方行政関係者にも「国家官僚への平伏心理」と「権威的な統治思想」は保持され今日に至っている。しかしながら、65年を経過した今、自治体に「国家の地方団体」から「市民の自治政府」へと自らを脱皮成熟させる蠢きが生じてきた。それが「自治基本条例制定」の動向である。

2 市民自治の規範論理
自治基本条例とは、「市民自治の理念」を明示し「自治体運営の原則」を定める「自治体の最高規範」である。 
「市民自治」とは何か。首長と議会の代表権限は市民が信託した権限である。したがって、首長・議会が信託に背反したときには「市民の信託解除権」の発動となる。すなわち「解職請求」と「選挙」である。選挙は信頼委託契約であって白紙委任ではない。これが「市民自治の規範論理」である。ところがしかし、首長・議員にも、行政職員にも、そして住民にも、旧来の「統治思想」が根強く染み付いている。例えば、選挙のときの演説・発言は民主主義であるが本心は「権威主義」で「白紙委任の如き」行動心理である。役所の文書は市民自治的になったが、行政職員は役所内部では上下意識であり住民客体の統治行政である。住民の側にも権威従属意識が根強く残存し自治意識は劣弱である。 
すなわち、明治憲法的な統治思想が根強く残存している。自治基本条例を制定する目的は、「明治憲法的価値観」を払拭して「現行憲法の民主主義の価値観」を自治体運営に徹底するためである。憲法原理は市民自治であるのだが、現状況は統治支配である。だから、「市民自治を明示した最高条例」が必要なのだ。
「自治体運営の原則」とは「市民参画、情報共有、説明責任、法令の自主解釈など」である。先進条例を参考にして地域実情に即して定めればよい。
問題は市民がその基本条例を「最高条例」として受け入れるか否かである。

3 最高条例の規範意識
案を作文し議会決議すれば「自治基本条例」ができたと言えるのか。
市民の心に「自分たちがつくった最高条例なのだ」の「規範意識」が伴わなければ「市民自治基本条例」とは言えない。
1970年代以降「自治体理論」「政策形成力」「自治制度の整備」は画期的と言ってよいほどの進展を遂げた。だがしかし、当事者の意識と行動は殆ど変っていない。「自治制度」は作られても「市民と政治・行政の関係」は変わっていない。これらを強めて言えば屍累々である。
市民の心の内に「最高条例の規範意識」を醸成せずして何が最高条例なのか。
全国各地の情況を観察すれば、「最高条例の規範意識」の醸成を逆に避ける安直思考が漂っているように見える。基本条例の策定が目的になっている。
例えば、首長の次期改選期に合わせた作成日程、あるいは、首長のお飾りのための基本条例づくり。そこには「市民と政治・行政の関係」を変革せんとする志しは見えない。
「最高条例の規範意識」を醸成する才覚・工夫なき「自治基本条例の制定」は作文行為である。「最高規範の意識」を地域に醸成する工夫と実践が「自治制度創設」の営為であるのだ。それが策定市民会議の責務である。
              
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