■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
議会改革の論点
(カテゴリー: 自治体議会
 議会改革の論点

 自治体議会はあまりにも旧態以前で問題が多過ぎる。だが殆どの議員は「議会にさほどの問題あり」とは思っていない。小手先改革で議会批判をかわせると思っている。そのような認識水準の議員が議会基本条例の制定を競い合っているのである。そしてそれを、学者は一歩前進であると評価し協力しているのである。これが現状である。
議会改革とは端的に言えば「旧態依然の議員」を総取替することである。
しかしそれは、住民自身が「目先利益の住民」から「公共性の意識で行動する市民」へと自己を成熟させねばならぬ。

(1)議員特権
 議員は当選したその日から普通の市民とは「異なる世界」の人になる。新人議員も「特権の渦中」に自ら没入して次第に『議員』に化身する。議員になる前には「改めるべきだ」と言っていた「議会改革の問題点」も「二枚舌の思考回路」で正当化し弁護するようになる。初心を堅持する議員も存在するが例外的少数である。大抵の議員は有形無形の不利益・圧力に妥協して『議員』になる。議員になってみれば分かることであるが、積年の慣例・慣行の特権が『議員』に化身させるのである。

(2)会派拘束
 会派害悪の第一は「会派決定で議員の評決行動を拘束する」ことである。会派とは、議長・副議長・常任委員長などの役職配分を得るための「集まり」である。「政策会派」とは名ばかりで、その実態は「便宜と利害」である。
評決権は議員固有の権利であり責務であるのだ。「会派決定による評決権拘束」は議会改革の第一番目の論点である。しかるに議員も学者も、基本条例に否認規定を定める論議をしない。議会改革の急所が見えていないからである。

(3)議会構成
 現在日本の殆どの議会は高齢男性議員である。家計を担う子育中の年代の人は、議会開催が平日であるから当選しても議員は勤まらない。
自治体議会は性別も職業も年齢も地域を代表していない。住民代表議会と言えない実態である。議会開催日を平日夕刻と休日にすれば普通の人が立候補して議員になれる。家計収入の働きをした後の時間で議員活動が出来る制度に改めれば良い。議会で決議すれば出来るのだが議員が改めない。特権を守るためである。
女性議員も極めて少ない。この問題は、女性の有権者が (暫くの間は) 女性候補者に全員が投票すれば、ダントツで当選して次の選挙に女性候補者が増えて再び全員が上位当選して (フィンランド議会やルワンダ議会のように) 半数は女性議員にすることができる問題である。

(4) 議員員数
 全国的に「痛みを共にして」の言い方で、議会が議員定数を減らしているが、「議員の数を減らす」のではなく「議会不信と議員特権を改める」ことである。議員の数が減るのを喜ぶのは首長と幹部職員である。定数減は議会の監視力を弱めるのだ。監視力低下のツケは住民に還ってくる。
 住民が定数減に賛同するのは議会不信が根底にあるからだが、それは浅慮である。経費のことを言うのならば議員報酬を日当制に改めることだ。
 北海道議会は定数106名で札幌市内選出の道会議員は28名である。「政令市は府県並の権限だから、札幌市域は各区1人でよい」「人口割定数に合理性はないのだ」
 現代は「NPO活動の市民感覚」が「議員特権の議員感覚」を超えている社会である。市民感覚のあるアマチュア議員でよいではないか。

(5) 政務調査費
 政務調査費は実費なのだから、全員に同じ額を前渡しするのは「公金詐欺取得」になる。現に裁判になっている。調査活動の実費が必要であるのならば、現在の全額前渡しのやり方をやめて、事後に証票を添付して請求する制度に改めることである。なぜ、その改正に議員は反対をするのか。事後請求を「面倒だ」などの理由で賛成を拒むのは公金への感覚麻痺である。

(6) 与党と野党
 中央政治の政党系列を自治体議会に持ち込むのは間違いである。自治体議会は議院内閣制の国会とは制度原理が異なるのだ。自治体は二元代表制の機関対立制度であるから、自治体議会に与党・野党が存在してはならない。議会の全体が執行部と向かい合うのが自治体議会である。「与党だから批判質問はしない」というのは、制度無智であり有権者への背信である。オール与党のなれ合いも感情的対立も議会制度の自殺行為である。機関対立を意図的に誤認して「独りよがり」の議会基本条例の制定が広がっている。異常な事態の流行である。

(7)議会改革と基本条例
 基本条例にはこのようなことを明記するのだ。だが特権に胡坐する「首長と議員」が制定するのだから明記する筈がない。学者はなぜ「首長と議会で制定してよい」と言うのか。最近は学者も「制定に市民参加を」と言う。だが具体手法は述べない。言葉だけの「市民参加」である。不誠実で狡猾である。
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