■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
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2010年・北海道自治土曜講座(二日目)の論点
(カテゴリー: 北海道自治土曜講座
 
   2010年・北海道自治土曜講座 (二日目) の論点
           2010-9-13 (補筆)   

 午前は、松下圭一教授が「市民自治の理論」を、筆者は「自治体学の実践論理」の講義をした。午後は「自治体改革を検証する」の討論であった。
 筆者は冒頭で「今朝、ここに来る前に『新自治体学入門』(時事通信社)の第四章 (市民自治基本条例) をあらためて読み直しました」と述べた。
 そして「どこも手直しするところはないと思いました」「皆さんも読んでみてください」と話を始めた。主題である「自治体学の実践論理」の論点を明示するためである。

1 流行現象の基本条例
 北海道自治土曜講座の二日目の論点は「自治基本条例」であった。
2010年8月現在、自治基本条例を制定した自治体は180を超えている。自治体学会のメーリングには「基本条例の勉強会」が毎日のように行き交っている。
 9月6日の朝、初当選した北海道余市町長が「自治体の憲法である自治基本条例を制定します」とラジオで抱負を語っていた。
 今、基本条例は流行現象である。
 だが、今のような基本条例をいくら制定しても「自治体改革」「市民自治」は進展しないであろう。
議会基本条例の制定も流行している。元栗山町議会事務局長の中尾氏の話 (9月7日札幌市内) によると「議会基本条例は近日中に自治基本条例の制定数を超える」とのことある。
 しかしながら、議会基本条例を制定しても「議会不信」は解消しないであろう。その「心底」に特権的な議員意識を改める「覚悟」が伴っていないからである。
 顧みれば、70年代以降、「情報公開条例」「環境アセスメント条例」「オンブズパーソン制度」「政策評価制度」などの「市民自治制度」が相継いで制定された。だが、それらの「自治制度」は如何ほどに役立ち機能したであろうか。形骸化して役立っていないのが実態である。
 学者は「新しい言葉」を言説し「新しい制度」を提案すれば状況が変化すると考える。それを「安直思考」と言うのである。 
 七十年代に比すれば、現在の日本社会は「状況追随思考」と「主体鈍磨」が蔓延し、学者の「批判的思考力」は劣弱になっている。 
 
2 基本条例制定の意味
 基本条例は何のために制定するのか。
 選挙で代表権限を信託した「首長と議員」が、「当選すればこっちのもの」と「白紙委任の如くに」代表権限を行使しないように「枠を定める」。
 それが基本条例である。 
 しかるになぜ、四年任期の「首長と議会」だけで基本条例を制定できると考えるのか。なぜ「市民」を制定手続の当事者とする方式を考案し実行しようとしないのか。どうして「住民投票による住民の合意・決裁」を避けるのか。
 現在のやり方は「自治主体である市民」は「そっちのけ」である。 
市民には事後に「広報やホームページで知らせばよい」である。それが「市民自治」であるのなら、まことに奇妙な理論ではないか。
 「最高規範意識」を地域社会に醸成しようとする「意思と工夫」の欠落したやり方である。そのようなやり方で制定した基本条例が機能する筈がないではないか。制定することが目的になっているだけである。 
 180を超える自治体が基本条例を制定した。制定中の自治体も数多い。それらの自治体では、首長や議員の行動様式が変わり、行政運営と議会運営が変化し、役所と議会への市民の信頼は上昇しているであろうか。何も変わっていないのではあるまいか。
 
3 制定当事者は市民である
 憂慮すべきは「基本条例の制定」を「一過性の流行」にして自治体改革の重大な節目 (チャンス)を消失している事態である。 
 かかる事態の遠因は「ニセコ町のまちづくり基本条例」の似非制定手続にある。そして、主要な原因は「学者」の安直思考にある。
 なぜに「最高規範条例」と言いながら「通常の条例制定手続」でよいとするのか。条例文言に「最高条例である」と書けば、それで「最高規範条例」になると考えるのはなぜか。
 信託した代表権限の行使に「枠を定める」のは市民である。制定の当事者は市民である。しかるになぜ、「定められた枠を遵守する立場」の首長と議会を、基本条例の制定権者と考えるのか。推察するに「総務省から批判されてはならぬから」「違法条例だと言われてはならぬから」であろう。その思考態度を「現状追随」というのである。 
 
4 学者の安直思考
 「現状追随」とは、現在の地方自治法では「条例制定は首長が提案し議会が議決する」と定めているから、この定めと異なれば「違法の条例だ」と総務省から批判される。「それは避けなくてはならぬ」と考える。しかし他方では、基本条例を最高規範条例であると言いたい。そこで「条例文言にそう書けばよいのだ」と考えた。それを「現状追随の安直思考」というのである。
 そこには、「最高規範」を創り出さんとする「規範意思」が欠落している。
 学者の存在意味は「理論構想力」にある。「理論構成」が学者の公共社会における役割である。そもそも、「市民自治」も「基本条例」も規範概念ではないか。「規範概念による規範論理」を透徹せずして「現状追随の論理」で基本条例の制定を誘導した。それが今日の事態の原因であるのだ。この事態は、全国各地の学者の責任である。その条は市町村合併で演じた学者の心底と同様である。
 おそらく、「規範論理」「実践論理」「規範概念」「批判的思考」の意味も理解できないであろう。それでいて「市民自治」「信託理論」「自治体改革」を口にするのは撞着である。「自治体の憲法」「最高規範条例」を言説するのは不誠実である。 

5 地方自治法は準則法
 70年代に神奈川県で情報公開条例を制定したとき、何ら「法律規定の有無」を顧慮することなく「県行政への県民参加」を実現するべく思考を働かせた。
 また、そのころの革新自治体は「宅地の乱開発」に対処する「宅地開発指導要綱」を定めて地域社会を守った。そのとき自治省・建設省・通産省の官僚は「権限なき行政」と非難攻撃した。それに対し、自治体は「国の出先機関」に非ず。「市民自治の政府」也。と規範論理を透徹した。 
 福島県矢祭町は自治法規定に顧慮することなく「議員報酬」を「日当制」に改めた。
「地方自治法」はGHQ占領軍の間接統治の隙間に内務官僚が作った明治憲法感覚の法律であるのだ。だから現在では、「地方自治法」は自治体の上位法ではない。自治体運営の「準則法」であるのだ、と考えるのが正当である。
 考えてもみよ。自治基本条例は「自治体立法権」「国法解釈権」を「市民自治規範」として定めるのである。「省庁官僚の非難」を怖れて「市民自治規範」を論ずるのは「矛盾撞着の戯画」である。

6 憂慮すべき重大事態
 さらに重大な問題は「自治基本条例の制定」という「市民自治社会への重大な節目」を「無意味な流行現象」にしていることである。日時が経過すれば「一過性の流行」で終わってしまうであろう。
 「最高規範条例」を創出するのである。現在のような「安直なやり方」で制定できる筈がないではないか。少しは真面目に真剣に考えることである。
 学者は「理論責任」を三思すべきである。

 筆者は午前の「自治体学の実践論理」の講義で、
  ①「知っている」と「分かっている」の違い、
  ②「知識として知っている人」と「ホントウに分かっている人」の違いを次のように説明した。
 波風がないときには (自分に非難が返ってこないときには) 立派なことを言うけれども、自分の存在が問われるときには「黙る」「曖昧論理になる」人であると述べた。そして、ノーム・チョムスキーは、アメリカの知識人は論議が「ある限界」に至ると言及を避けると述べて「知識人の責任」を批判したことを披露した。 


 [ 北海道栗山町の議会基本条例 ]
1 優れた自己規律の定
 栗山町議会基本条例は、高い倫理感に基づく一歩も二歩も進んだ内容である。だがこれは「基本条例」とは言い得ない。
 これは、代表権限を託された議会が定めた「自己規律の定」であって「最高規範条例」ではない。代表権限を信託した有権者町民が合意決裁したものではないからである。 
 栗山町議会は、制定の前後に説明会を開き賛同を得る努力は重ねた。だが「町民投票による合意決裁」を得てはいない。であるから、町民には「吾が町の最高条例」を「自分たちが関わって制定した」との規範意識が醸成されていない。議会が、(実態は議長と事務局長の主導で) 制定した「自己規律の定」である。しかしその内容は議員職責を自覚した優れた内容である。遵守されるであろう。絵に描いた餅ではない。
 議会の方々は、「ニセコ町の悪しき先例」によって「このやり方」で良いと考えたのであろう。
 
2 基本条例は自治体の憲法
 基本条例は「自治体の憲法」であると説明される。
憲法は、「権力の行使」に枠を定める最高規範( 98条)である。これが近代立憲制の民主政治の制度理論である。
自治体の基本条例は、市民が選挙で首長と議会に信託した代表権限の行使に枠を定めた「最高規範」である。制定当事者は有権者市民でなくてはならない。
 首長と議会は「基本条例」を遵守する立場である。
選挙とは「代表権限を信託する契約」である。条例制定の権限は「信託契約」によって「首長と議会」に託されているのだが、「代表権限の逸脱」を制御する「最高規範条例の制定権限」は託されていないのである。
 
3 自治体の成熟
 自治体が「最高規範条例」を制定するのは「自治体が成熟した」からである。
民主党の「地方主権」の言い方 (理論的には誤り) に、多くの人々が疑問を呈さないのは「市民自治」の理念に共感し納得しているからであろう。 
 つまりそれは、現憲法での65年の自治制度の実績が「中央集権の地方公共団体」を「自治分権の自治体」に成熟させているからである。自治体は基本条例を制定する段階にまで至ったのである。この自治の進展を後退させてはならない。しかるに、栗山町議会の「議会基本条例」の出現によって、安直な「議会基本条例の制定」が全国に広がっているのである。

4 なぜ「議会基本条例」なのか
 なぜ、「自治基本条例」でなくて「議会基本条例」なのか。何故に議会が突出して、恰も「独りよがり」のように「これ見よがし」のように「議会基本条例」を制定するのか。自治基本条例には「行政基本条例」と「議会基本条例」が、それぞれ別にあってよいと考えるのは (説明するのは)、まことに奇妙な理屈である。
 自治体は二元代表制度である。首長と議会の「良き緊張関係」で運営されるのが望ましい。だが、基本条例を別々に制定するのは正当でない。
何か余ほど特別な事情があって、先ずは「議会基本条例」を制定して「首長部局の基本条例」が成案になれば、その時点で「自治基本条例」として合体する。そのようなことも例外として考えられないこともないが、しかし、やはり不自然で不合理である。
 栗山町の議会基本条例のつくり方が「良いモデル」のように流行するのは異常である。それを推奨するが如き言説は誤りである。 
 省庁支配の「地方公共団体」から「市民自治の自治体」に進展して「最高規範条例」を制定する段階に至ったのである。市民自治の蓄積充実を誤ってはならない。今、流行現象となっている「議会基本条例の制定」を進める議員と薦める学者の心底は評価できるものではない。

 
  (詳細は現在準備中の「16年の土曜講座を顧みて」に記す) 
 
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