■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
文化の見えるづくりフォーラム
(カテゴリー: 自治体の文化戦略
第11回「文化の見えるまちづくり」全国フォーラム

 2009年8月27日~28日大阪池田市で開催する。
 プログラムは http://bunkaforum.net/ 

1 自治体の役割は何か。
 自治体の役割は「住んでいることが誇りに思えるまち」をつくることである。省庁政策に従属することではない。
 ところが、今次の市町村合併が示したように、自治体の多くは省庁の指図に隷属し騙される。省庁の本心は縄張拡大と退職後の外郭団体づくりである。
 それが見抜けない首長と議員は誇りに思えるまちはつくれない。上司意向に従属する保身の地方公務員にも文化のまちづくりはできない。
 そして、住んでいる人々にまちへの愛情がなければ「誇りに思えるまち」にならない。まちへの愛情はまちづくりに関わることによって育まれる。人間は感性と理性の存在である。共感と納得の論理が必要である。 
 「文化の見えるまちづくり」には「自治体学理論」が不可欠である。

2 行政の文化化
 行政職員は「必要なムダ」「見えない価値」「美しい・楽しい」の大切さを起案文章に書き上司の挨拶文にも書く。だが実際場面では「行政は法律規則によって業務を執行するものです」「現行制度では致し方が御座いません」と市民に応答している。
 「自分で判断をしない」。何事も「上司に伺って」である。「何とかならないものか」と自分の才覚を働かせることをしない。管理職もその態度を服務秩序として職員に求める。ところが、幹部職員が最大細心に注意しているのは「責任回避」である。これが行政文化である。市民が直観する「行政不信」はこの行政文化である。(少数の例外者は職員にも管理職にも存在する)
 つまり、今の行政文化では「文化のまちづくり」にならない。
 これが「行政の文化化」の基本認識である。
 この認識が明晰でなければ「行政の文化化」の理解は漠然である。そして「意味不明の文化行政論」が横行する。恰もそれは、自分自身の正体は統治思考でありながら「市民自治・市民主役のまちづくり・自治基本条例」などの言葉を尤もらしく使う人と同様である。 

3 文化の見えるまちづくり-異種交流
 行政の質が良いものになるには行政職員の自己変革が不可欠である。だが、行政職員は無難に大過なくの行政文化に馴染んでいるから自分自身では変われない。市民と文化団体が行政職員の変革を支援しなければ変われない。七十年代以降の市民活動の衝撃で行政と行政職員は徐々に変わってきた。
 そして、自分で変われないのは行政職員だけではない。市民も文化団体も企業も自分だけでは変われないのである。自己革新には相互刺激が不可欠である。
 自分の殻に閉じ籠っていては「何が問題であるのか」「打開の方策は何か」が見えない。見えないものを見るには異種交流が必要である。
 徳島で「第一回文化の見えるまちづくり政策研究交流フォーラム」を91年に開催した。
 このフォーラムは、市民、文化団体、芸術芸能家、学者研究者、行政職員が一堂に会して「文化の視点」で地域社会のあり様を問い直し「住んで誇りに思えるまち」を創出する政策討論の場である。第11回を本年八月二十七日と二十八日に大阪池田市で開催する。

第一回「「参加」から「協働」へ」   1991-2/ 1~2   徳島市 
第二回「地域の人・こころ・ロマン」 1992-2/ 5~6 宇都宮市 
第三回「文化を発信するまちづくり」 1993-11/11~12 沖縄市 
第四回「もう一つの文化発見」    1994-11/17~18 宮城県
第五回「自然と文化の共生」   1995-7/20~21  高知県
第六回「文化のネットワーク」    1996-10/17~18 北海道
第七回「歴史と未来が出会うまち」 1997-10/16~17 静岡県
第八回「水俣で21世紀を発想する」1998-11/11~13 熊本県
第九回「自治文化ルネッサンス」  2002-11/21~22 吹田市
第十回「土と炎のまち」 2003-11/20~21 多治見市  
第十一回「文化の風」        2009-8-27~28 池田市
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