■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
2 自治基本条例
(カテゴリー: 市民自治基本条例本条例
2 自治基本条例

自治体学の二十年を考察する論点の第一は「市民自治基本条例」である。

(1) 自治体改革

自治体改革とは「地方公共団体」を「自治体」に変革することである。改革はいつの場合にも「主体変革」の問題である。自治体改革は「実践概念」であって、解説的な「認識概念」ではない。

「自治体理論」「政策形成力」「市民自治制度」は進展した。

だが「主体鈍磨」と「状況追随思考」が広がっているのではあるまいか。  

情報公開条例、環境アセスメント条例、住民投票条例、パブリックコメント制度、オンブズパーソン制度、政策評価制度、そして自治基本条例を制定する自治体が増えている。画期的な展開である。

だがしかし、「行政内で起案し決裁し議会で議決すれば」それで「政策評価」や「自治基本条例」などの「市民自治の制度」ができたと考えるのは「安直思考」の「便宜態度」である。

現在の状況は「統治行政を変革せず」して「自治制度の創設」を競っているかの如くである。

制度は定着し機能しなければ意味がないではないか。

(2) 「自治制度」と「行政文化」

首長が「自治制度の創設はゴールではなくスタートであります」と挨拶する。だが、挨拶した後は従来行政に戻る。「ゴールではありません」と「わけしり顔」に言うのだが、「制度定着を阻む障害」が何であるかは分かっていない。だから「政策策定と政策実行の実態」は変らない。「自治制度」は既存行政に取り込まれて「人畜無害の制度」に形骸化する。

「制度定着を阻む障碍」が見えないのは、自治体改革を「自身の問題」として考えたことがないからである。自分自身のことは常に「考察の対象外」である。「現在の自分のまま」で自治体改革が可能だと考えるのである。

しかしながら「自治制度」と「行政文化」は異質である。

行政文化とは、長い歳月によって行政内に堆積した慣例・手続き・手順・流儀・作法である。職業倫理観・住民観も行政文化である。

それらの行政文化が自治制度を形骸化し無為化するのである。

であるから行政文化の革新が不可欠であるのだ。

80年代に潮流となって自治体に広がった文化行政は「今の行政のままでは文化行政にならない」と自己認識し、文化行政を「自己革新した市民と行政職員との協働の営為である」と定義した。そして、「行政文化の自己革新」を「行政の文化化」という言葉で表現し、「自己革新した主体の協力」を「協働」という言葉で表現した。いずれも主体変革を孕んだ造語である。コラブレーションの翻訳語などではないのである。

(3) 自治体理論と自治基本条例

自治体理論とは住んでいる人々が公共社会の主体であり、公共社会を管理するのは「市民」であると考える理論である。

市民自治とは

1. 市民は社会を管理するために代表権限を信託して政府をつくる。信託は白

紙委任ではない。首長と議会は市民から信託された代表権限の範囲内で権限を行使する。

② 市民は政府を市民活動によって日常的に制御する。住民投票は政府制御の一つである。

③ 市民は、政府の代表権限の運営が信頼委託を著しく逸脱したとき信託解除権を発動する。解職(リコール)または選挙である

自治体理論は松下圭一教授が40年にわたって創り続けている理論である。

「行政内決裁」と「議会議決」で「自治基本条例」が制定できると考えるのは、「制度主体」が「自治主体」である市民を「そっちのけ」にして「自治体の憲法」をつくるということである。

それは「統治」であって「市民自治」ではない。

そもそも「市民自治基本条例を制定する目的」は何であるのか。

代表民主制度を正常に運営し機能させるためである。

制定権者は代表権限を信託する「自治主体の市民」である。基本条例の名宛人は代表権限を託された首長と議会である。

代表権限の運営を逸脱させないために「運営の公開・透明性」「政策情報の公開・共有」「説明責任」などの原則を定めるのである。

なぜ、代表権限を信託する「自治主体の市民」の「合意・決裁」の手続きを避けるのか。「住民投票は理想論である」などと言うその真意は何か。

住民投票を忌避するのは、「基本条例の制定ができなくなる」と考えるからであろう。それは「自治の困難を避ける安直思考」である。

才覚を働かせ工夫し実践するべきは「最高条例の規範意識」を地域に如何にして創り出すかである。その工夫と実践が市民自治の実践であるのだ。

「制度を作れば一歩前進である」と考えるのは「死屍累々の過ぎし二十年」を顧みず学ばない「不誠実思考」である。 

なぜに、住民の自治意識の高まりを「望まず」「軽視する」のか。

「住民合意・住民決裁」を避けて「最高規範の制定」を論ずる人々は「市民自治」の規範論理を透徹しない思考態度である。

「最高条例の規範意識」を地域に醸成する「工夫と実践」なくして、何が「最高条例」であるのか。

(4)最高規範性

自治基本条例は「自治体の憲法」であって「中央政府の法律」にも優越するのだと主張する。だが、言うだけでは説得力はない。その論者が「そう言っているだけ」のことである。その主張を担保する規範意識が地域社会に生じていないからである。

条例文言に「この条例に反する条例や規則を制定してはならない」と規定しても「最高規範性」は生じない。

言葉は自治的であっても住民蔑視の「内務官僚の牧民観」と異ならない。

「最高条例の規範意識」を地域に醸成する工夫と実践が「自治制度創設」の営為である。その営為が市民自治である。

自治制度の創設は現状変革の実践であるのだ。そして、その実践が「行政文化」を革新し、「住民」が「市民」へと自己革新し、「行政と住民との関係」を変革するのである。

「理論認識」と「実践認識」は相関しなければならない。

七十年代ならばともかく、現在は「制度が出来れば一歩前進だ」ではないのである。自治体理論が広がり、政策形成力が高まり、市民自治制度は装備されたが「主体鈍磨」と「状況追随思考」が広がっている。

なぜ広がるのか。自分自身は何も変らないで「新しい制度」をつくれば「それで事態が動く」と考えるからである。一種のエリート意識である。

改革はいつの場合にも「主体変革の問題」である。「自身の変革」を「考察の外」におくから「主体鈍磨」になるのである。

「状況追随思考」は「思考の座標軸」が定まっていないからである。

「市民自治の規範論理」を透徹しないから「思考の座標軸」が揺らぐのである。

(5) 市民自治基本条例の論点         

(A) 市民自治基本条例とは

  ・「憲法のようなもの」の意味は何か

  ・その効力はいずこより生じるのか

・その根拠は何か

(B) 基本条例を制定する理由

・なぜ必要なのか

・分かり易い説明 - 独りよがりの抽象説明でなく

3. 何を書いておくのか ― 抽象文言は殆ど無意味

(a) 市民自治の理念を明示する

ア 市民が代表権限を信託する

イ 市民が代表権限を制御する

ウ 市民が信託解除権を発動する

(b)自治体運営の原則を定める

● 行政運営の原則   

ア 政策情報の公開と共有

イ 説明責任

ウ 財政・財務の公表

  エ 総合計画策定への参画

  オ 政策評価制度 

● 議会運営の原則

ア 公開性・透明性

   イ 議会運営への市民参加

ウ 提案者の反問権

   エ 常任委員会の議案提出権

   オ 議長の議会召集権

   ● 法令の自主解釈権 

   ● 住民投票手続き

(D) 最高規範性

   条例に最高規範と書けば「最高条例の効力」が生じるか

(E) 基本条例の制定権者

(F) 基本条例の主たる名宛人

(G) 制定に消極的な人々のホンネ論理は

1. 議員
2. 首長
3. 行政の管理職
4. 市民が基本条例の制定に関心が低いのはなぜか

(H) 市民自治基本条例と代表民主制度

1. 市民自治の理論
2. 政府信託の理論
3. 代表民主制度と住民投票

(I) 制定手続

住民合意・住民決裁としての住民投票を避ける真の理由は何か

(J) 基本条例に反する 

(ア) 条例、規則 が制定されたとき

(イ) 行政運営、議会運営が行なわれたとき
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