3 代表民主制と住民投票
「自治体学の二十年」を顧みる重要問題の他の一つが「代表民主制の揺らぎ」である。次にこれを考察する。
(1) 代表民主制を担保する制度
高知県窪川町が1982年に制定した住民投票条例がわが国で最初の住民投票条例である。実際に住民投票を実施したのは1993年の新潟県巻町であった。
さらに、近年の市町村合併をめぐって、各地で「住民投票条例の制定を求める署名運動」が展開された。代表民主制を担保するには、「自らの意思を表明する制度」が必要だと住民が考え始めたからある。
60年代の後半、大気汚染、水質汚濁、地盤沈下などの公害問題が発生し、住宅、交通、保育所、学校などの社会資本不足によって住民運動が激化した。
当時の住民運動は「首長と議会に解決を求める要求運動」であった。だが、要求を受けとる首長や議会の側に民主代表制の政治感覚がなければ要求運動は実効性をもたない。
窪川町で住民投票条例が制定されるに至った経緯は、当時の首長と議員が代表民主制に反した振る舞いによって住民の不信感を高めたからであった。
「原発建設についての決着を直接住民に訊くのは卑怯な手段である」との町長の発言が、住民の反感を買ったのである。
すなわち、わが国で最初の「住民投票条例」は「代表民主制度が機能不全」に陥ったとき、代表民主制を担保する「制度要求」として始まったのである。すなわち、「住民投票制度」は「代表民主制の機能不全」を是正する制度として登場したのである。
今次の市町村合併を巡って「住民投票条例の制定」を求める署名運動が全国各地に起きた。これは何を意味していたのか。
(2) 合併とは何か
合併とは「地域の自治権」「地域の自治制度」を永久に失うことである。
父祖伝来の町の名前がなくなり、役場から発注されていた財政支出がなくなって公共経済の地域還流が失われる。若い職員は中心地に住所を移し商圏も中心に移って商工業も衰退する。周辺地域は間違いもなく寂れていく。
既に合併した地域を眺めるならば歴然である。
「合併やむなし」を言明する「首長の言動」を仔細に観察するならば、総務省の兵糧攻めに直面して「故郷を守り抜く気概」はない。
理不尽な「合併強要」を「乗り越える覚悟」はなかった。「自身のこと」を第一義に考えて対処したと思わざるを得ない。
だが他方には、「困難を覚悟」し「合併せず」を決断した町村長もいたのである。その才覚と覚悟を聞かずして「合併やむなし」を口にするのは「困難な役割」から逃げ出したいからである。「故郷を投げ出す所業」である。
住民投票条例の制定を求めた署名運動は、「信託した代表者の権限運用」に是正を求める住民の「問い質し」である。「代表民主制の否認」ではない。解職要求(リコール)でもないのである。
だが、「問い質し」に誠実に対応しないときには「信託解除権」の発動となる。北海道南幌町ではそれがあった。
今次合併をめぐって「自治体学の二十年」を顧みる論点が多く提示されている。
(3) 直接民主制と間接民主制
次のような論理が横行した。
「住民投票」は直接民主主義の手続きである。
憲法が定める原則は代表民主制である。
だから住民投票は代表民主制に反すると主張して「住民投票条例の制定」を拒む事態が全国各地で起きた。
しかしながら、代表民主制度は「選挙という直接民主制」によって成立する。
すなわち、「代表民主制」は「直接民主制」によって正統性の根拠を担保されているのである。憲法はそのことを定めているのである。
「直接民主制」と「間接民主制」をあたかも「相反する制度である」かの如くに対置するのは正当な論理でない。住民投票を嫌悪する人々の誤った論理である。
首長と議会の代表権限は白紙委任でない。
代表権限は信託され範囲内での権限である。
「住民投票条例制定の署名運動」が全国各地で展開されたのは、「自治の主体」として見過ごすことができないから「署名運動」を起こしたのである。
それは「代表権限の運営」が「問い質された」のである。代表民主制度の否認行動ではない。政府制御の行動である。
住民投票を求める署名運動の広がりは「代表制民主制度」を担保する「住民自治制度」の整備を求めたのである。そのように認識するべき事態である。
その事態を「市民自治基本条例の制定」に連結して発想するのが自治体学である。
市民自治の規範論理は「市民が政府を選出し・政府を制御し・政府を交代させる」である。
(4) 開票しないで焼却する
全国各地で「住民投票条例」の署名運動が起きた。だが多くは議会で否決された。住民投票を行うことになった場合にも、「投票率が低いときには開票をしない」と定めた。いわゆる「50%条項」である。
これは徳島県の吉野川河口堰の建設をめぐる住民投票条例の制定過程で、徳島市議会で妥協の産物として生まれた「異常事例」である。
すなわち、住民投票の実施自体に不賛成の人々から、「投票の不成立」を目的とした「組織的投票ボイコット戦術」として提案され、「やむを得ない妥協」として生まれた「異常事例」である。
それが、今次の合併騒動で「住民の意思表明」を「葬る策」として援用されたのである。
しかしながら、投票箱の内にあるのは合併に対する「住民意思」である。「住民の意思」を「開票せずに焼き捨てる」のは「民主制度根幹の否認」である。
しかるに、学者も労組も「それもあり」と黙過した。
自治体学会にも「民主制度根幹の否認である」との論議は少なかったのではあるまいか。あまつさえ、合併促進の省庁官僚を講師として壇上に招いたのではなかったか。
(5) 「投票結果を尊重する」の規定
「合併反対」が多数であっても、「僅差である」として「合併を進める町長」も現れた。住民投票条例の規定文言は「投票結果を尊重する」で「投票結果に従う」ではない。だから「解釈の幅(自由)があるのだ」との理屈である。
しかしながら「尊重する」はあくまでも「尊重する」である。
投票数の少ない方を選択するのは「明白に尊重しない」である。
投票条例の文言を「従う」としないのは、「代表民主制度を機能し続けるため」である。
自治体学会は目前に生じている事象を理論化し研鑽しているであろうか。
自治体学会員の自治体理論が各地で「首長と議会の自治体運営」に反映するためにも、市民自治基本条例の制定に市民自治的に関与をするべきであろう。
「自治体学の二十年」を顧みる重要問題の他の一つが「代表民主制の揺らぎ」である。次にこれを考察する。
(1) 代表民主制を担保する制度
高知県窪川町が1982年に制定した住民投票条例がわが国で最初の住民投票条例である。実際に住民投票を実施したのは1993年の新潟県巻町であった。
さらに、近年の市町村合併をめぐって、各地で「住民投票条例の制定を求める署名運動」が展開された。代表民主制を担保するには、「自らの意思を表明する制度」が必要だと住民が考え始めたからある。
60年代の後半、大気汚染、水質汚濁、地盤沈下などの公害問題が発生し、住宅、交通、保育所、学校などの社会資本不足によって住民運動が激化した。
当時の住民運動は「首長と議会に解決を求める要求運動」であった。だが、要求を受けとる首長や議会の側に民主代表制の政治感覚がなければ要求運動は実効性をもたない。
窪川町で住民投票条例が制定されるに至った経緯は、当時の首長と議員が代表民主制に反した振る舞いによって住民の不信感を高めたからであった。
「原発建設についての決着を直接住民に訊くのは卑怯な手段である」との町長の発言が、住民の反感を買ったのである。
すなわち、わが国で最初の「住民投票条例」は「代表民主制度が機能不全」に陥ったとき、代表民主制を担保する「制度要求」として始まったのである。すなわち、「住民投票制度」は「代表民主制の機能不全」を是正する制度として登場したのである。
今次の市町村合併を巡って「住民投票条例の制定」を求める署名運動が全国各地に起きた。これは何を意味していたのか。
(2) 合併とは何か
合併とは「地域の自治権」「地域の自治制度」を永久に失うことである。
父祖伝来の町の名前がなくなり、役場から発注されていた財政支出がなくなって公共経済の地域還流が失われる。若い職員は中心地に住所を移し商圏も中心に移って商工業も衰退する。周辺地域は間違いもなく寂れていく。
既に合併した地域を眺めるならば歴然である。
「合併やむなし」を言明する「首長の言動」を仔細に観察するならば、総務省の兵糧攻めに直面して「故郷を守り抜く気概」はない。
理不尽な「合併強要」を「乗り越える覚悟」はなかった。「自身のこと」を第一義に考えて対処したと思わざるを得ない。
だが他方には、「困難を覚悟」し「合併せず」を決断した町村長もいたのである。その才覚と覚悟を聞かずして「合併やむなし」を口にするのは「困難な役割」から逃げ出したいからである。「故郷を投げ出す所業」である。
住民投票条例の制定を求めた署名運動は、「信託した代表者の権限運用」に是正を求める住民の「問い質し」である。「代表民主制の否認」ではない。解職要求(リコール)でもないのである。
だが、「問い質し」に誠実に対応しないときには「信託解除権」の発動となる。北海道南幌町ではそれがあった。
今次合併をめぐって「自治体学の二十年」を顧みる論点が多く提示されている。
(3) 直接民主制と間接民主制
次のような論理が横行した。
「住民投票」は直接民主主義の手続きである。
憲法が定める原則は代表民主制である。
だから住民投票は代表民主制に反すると主張して「住民投票条例の制定」を拒む事態が全国各地で起きた。
しかしながら、代表民主制度は「選挙という直接民主制」によって成立する。
すなわち、「代表民主制」は「直接民主制」によって正統性の根拠を担保されているのである。憲法はそのことを定めているのである。
「直接民主制」と「間接民主制」をあたかも「相反する制度である」かの如くに対置するのは正当な論理でない。住民投票を嫌悪する人々の誤った論理である。
首長と議会の代表権限は白紙委任でない。
代表権限は信託され範囲内での権限である。
「住民投票条例制定の署名運動」が全国各地で展開されたのは、「自治の主体」として見過ごすことができないから「署名運動」を起こしたのである。
それは「代表権限の運営」が「問い質された」のである。代表民主制度の否認行動ではない。政府制御の行動である。
住民投票を求める署名運動の広がりは「代表制民主制度」を担保する「住民自治制度」の整備を求めたのである。そのように認識するべき事態である。
その事態を「市民自治基本条例の制定」に連結して発想するのが自治体学である。
市民自治の規範論理は「市民が政府を選出し・政府を制御し・政府を交代させる」である。
(4) 開票しないで焼却する
全国各地で「住民投票条例」の署名運動が起きた。だが多くは議会で否決された。住民投票を行うことになった場合にも、「投票率が低いときには開票をしない」と定めた。いわゆる「50%条項」である。
これは徳島県の吉野川河口堰の建設をめぐる住民投票条例の制定過程で、徳島市議会で妥協の産物として生まれた「異常事例」である。
すなわち、住民投票の実施自体に不賛成の人々から、「投票の不成立」を目的とした「組織的投票ボイコット戦術」として提案され、「やむを得ない妥協」として生まれた「異常事例」である。
それが、今次の合併騒動で「住民の意思表明」を「葬る策」として援用されたのである。
しかしながら、投票箱の内にあるのは合併に対する「住民意思」である。「住民の意思」を「開票せずに焼き捨てる」のは「民主制度根幹の否認」である。
しかるに、学者も労組も「それもあり」と黙過した。
自治体学会にも「民主制度根幹の否認である」との論議は少なかったのではあるまいか。あまつさえ、合併促進の省庁官僚を講師として壇上に招いたのではなかったか。
(5) 「投票結果を尊重する」の規定
「合併反対」が多数であっても、「僅差である」として「合併を進める町長」も現れた。住民投票条例の規定文言は「投票結果を尊重する」で「投票結果に従う」ではない。だから「解釈の幅(自由)があるのだ」との理屈である。
しかしながら「尊重する」はあくまでも「尊重する」である。
投票数の少ない方を選択するのは「明白に尊重しない」である。
投票条例の文言を「従う」としないのは、「代表民主制度を機能し続けるため」である。
自治体学会は目前に生じている事象を理論化し研鑽しているであろうか。
自治体学会員の自治体理論が各地で「首長と議会の自治体運営」に反映するためにも、市民自治基本条例の制定に市民自治的に関与をするべきであろう。
