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■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
北海道での25年
(カテゴリー: 北海道での25年
 私の北海道での25年  

町内会役員から「北海道での25年」の話をサロンでと言われて、最初は「話すこともありませんから」と辞退したが、自分を顧みるよい機会だと思い話をさせて頂きました。(以下は当日の二丁目町内会「サロンえいと」での話です)

 北海道に来たのは1993年です。
 北大学長から長洲神奈川県知事に「私の割愛依頼」の文書が届いて北海道に来ました。北大で5年、北海学園大で10年、北海学園の非常勤講師で10年の歳月でした。北海道の25年を振り返って「良かった」と思う第一は、「自治体学理論」を人前で話せるようになったことです。

 自治体学理論
 北海学園大学で「自治体学」(専門科目・四単位)の講義をしました。そして『自治体学入門』『自治体学とはどような学か』の書物を刊行しました。コレがその本です
 「市民自治の理論」は松下圭一先生から教わりました。松下先生は私には学問の恩人です。ですから「松下先生追悼の集い」を自治労会館で、「松下理論の今日的意味」の公開講座を北海学園大学で開催できたことが「とても良かった」と思っています。
 
  北海道自治土曜講座
 第二は、1995年から北海道自治土曜講座を21年継続したことです。実行委員長を21年勤めました。北大会場で(16年)、北海学園で(5年)開催しました。最初の16年間は年5回-月1回(第三土曜) 受講料 1万円でした。
 北海道新聞の(卓上四季)は「公務員が自腹で勉強を始めた」と書きました。土曜講座の人気が高くなり、私は事務局(北海道町村会)に「受講申込を断らないでください」と言い、事務局は「会場に這入れないと責任問題になります」の返答でした。
 二年目は872人の受講者でした。会場を厚生年金会館にして、翌日からは二会場に分けて講師は同じ講義を二回しました。
毎回の講義をブックレットにして刊行し(115冊)、『北海道自治土曜講座の16年』を出版頒布しました
 (公人の友社-1.600円)  コレがその本です。 私の北海道での25年は殆どが自治土曜講座の開催でした。

  無防備都市宣言条例の署名運動 
 大学で学生に講義する職業が終わったら、次は無報酬で「反戦平和の市民運動」をやろうと思っていましたから、KKRホテル二階のレストランで「無防備平和地域宣言」の署名運動の代表人を頼まれ引き受けました。札幌を無防備平和都市にする宣言条例制定の署名運動です。条例制定の署名運動は「姓名・住所・生年月日・捺印」の署名を集めるのです。一か月(60日)で有権者数の2%の署名を集めるのです
 札幌市の有権者数は155万9千557人(2.007年)でしたから、その2%は(31.192人)です。最初は(できない・無理)だと思っていました。だが、多くの人々が本気になり、私も本気になって、4万1千619筆の署名を集めて成功しました。
 (団体の役員)と(市民運動の人)は、「発想」と「思考回路」が異なります。
 団体や労組の役員は「組織決定して組織動員」です。そして「失敗したときの責任」を常に考えます。ですから「やりましょう」にならない。時期尚早と言います。決断しないのです。
 市民運動の人は「自分の考えで決断します」「やってみよう」です。失敗したときの責任よりも「やらなくては、やってみようよ」と発想します。
 署名がはじまると、「お前はアカだ」「お前の講義を聴く学生は哀れだ」「ヤメロ」のメールが毎日何百通も届きました。その一部を(パソコンに保存してあります)
 当初のころの大学の用務で何もできなかった日のことです。札幌エルプラザでの夕刻の「署名獲得数の報告会」で、(代表人でありながら自分は今日何もしなかった)と、その場に居たたまれぬ辛い思いになりました。でその翌日から足を棒にして、最高は一日で179筆の署名を獲得しました。(この数は今も全国トップで破られていません) 
 署名運動での感動的な体験を『無防備平和』の本に書きました。この本です。後日、中国の延安に行ったとき、延安大学で講演を頼まれて「日本の近代化」のタイトルで話しました。近代化とは「経済の工業化」と「政治の民主化」であると述べ、日本の人々はアメリカに従属する日本政府に抗して「無防備平和の市民運動」を展開していますと説明し、この本(谷百合子編・無防備平和)を延安大学に寄贈しました。
 この「DVDビデオの箱の写真は」、4萬1千619筆の署名を集めた最終日の感動の場面です。 私の顔も写っています。
 無防備平和の署名運動は北海道生活での感動的な思い出です。
 書物-『無防備平和』(高文研-1.600円)  ビデオ-『無防備地域宣言-平和なまちをつくる』

  市町村合併の反対運動
 25年を振り返って良かったことの四つ目は、小泉構造改革の「地方切捨ての市町村合併」を批判し反対したことです。
 合併は22兆円の地方交付税の削減が狙いです。北海道の町村は面積は広大ですが人口は減少しています。人口1萬人まで一律に合併させるのは住民自治の侵害です。
 北海道だけでなく、全国各地で「住民の意見を聴け」の声がおきました。住民投票条例制定の署名運動が始まりました。だが議会が住民投票条例制定の住民の声を否決しました。否決する根拠に「50%条項」が援用されました。
 「50%条項」とは(徳島市議会で「吉野川河口堰の住民投票を葬るため」「投票率が50%を超えない」ときは「住民投票が成立しなかったのだ」として「投票箱を開かず焼き捨てる」という条例をつくりました。この(50%条項)が「合併の住民投票を葬るため」に全国各地で悪用援用されたのです。 北海道での典型的な事例をお話します。
 石狩市 
 南幌町 
 奈井江町 

 国会から「合併促進の法改正」に対するで意見を求められて、反対意見を衆議院総務委員会で陳述しました。その動画が今もインターネットに流れています。その動画をパソコンでちょっと見て頂きます。
 https://www.youtube.com/watch?v=2tqXt27Z3tU
 そして、全国各地から「合併反対の講演」を依頼されました。神奈川県での文化行政のときの講演依頼と合わせると、47都道府県のすべての地域に出かけました。「自分は今この世の中に生きているのだ」をそのとき実感しました。

  原発民衆法廷  
 原発の事故は「人間には手に負えない」のです。そして「絶対安全は無い」のです。現に福島では、今も自宅に帰れない何万人もの人が「避難住宅で自殺と神経症」で苦しんでいます。一部の人の利権のために多数の人が犠牲になっているのです。そしてゼネコンは莫大な復興基金で潤っているのです。
札幌の民衆法廷は、泊り原発の危険極まるプルサーマル計画に賛成した高橋はるみ知事と奈良林直(北大教授・元東電社員)の責任」を弾劾する民衆の法廷です。民衆法廷での私の発言が インターネットに流れていますので、それを(ちょっと)見て頂きます)
 https://www.youtube.com/watch?v=9CToAeO175Y
 
 北海道が大好きになりました。冬の雪景色がとてもスキです。いつまでも札幌に住んでいたいと思います。だが、大学で講義をする職業が終わって、いつまでも家族と離れているワケにはいかないので、この秋に横浜に帰ることにしました。
森 啓 もり けい  1935年徳島県生まれ・中央大学法学部法律学科卒業・神奈川県自治総合研究センター研究部長・北海道大学法学部教授 (公共政策論)・北海学園大学法学部教授 (自治体学)・北海道地方自治土曜講座実行委員長
<現在>北海学園大学法科大学院講師・NPO法人自治体政策研究所理事長
ブログ「自治体学」 http://jichitaigaku.blog75.fc2.com/
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「NHKから国民を守る党」を批判する『放送を語る会』 の見解
(カテゴリー: 民主主義
放送を語る会の見解に賛同し
下記を掲載する。
 
「NHKから国民を守る党」の主張を批判する
  2019年8月14日 放送を語る会

 第25回参議院選挙で、「NHKから国民を守る党」は、比例で1議席を確保し、選挙区 の得票率が3パーセントを超えたことで政党要件を満たす存在となった。 一般にあるNHKへの批判、不満を集票に利用し、地方自治体の議員や、国会議員の職 を得た同党にたいし、有権者からは批判の声が強まっている。 同党のさまざまなふるまいには道義的に重大な問題があると当会は考えているが、ここ では同党の「NHKをぶっ壊す」というスローガンと「NHKの放送をスクランブル化す る」という主張に限定して批判することとしたい。

1)問題はスクランブル放送が是か非かではない
N国党は、党の目的を「NHKの放送をスクランブル放送にすること」ただ一つだとし、 実現すれば解党するとまで公言している。 スクランブル放送にして、視聴する人だけが料金を払えばいい、という主張は、一見合 理的であるかに見える。しかし、もしNHKの地上波放送がスクランブル放送になれば、 受信料収入は激減し、現在のような規模の放送企業体としてのNHKはとうてい維持でき ない。同党の主張通り、NHKは「ぶっ壊れる」ことになる。 したがって、N国党の政策については、スクランブル放送にすべきかどうか、という問 題ではなく、NHKのような公共放送機関が日本で必要かどうか、という問題ととらえて 検証する必要がある。

2)公共的放送機関をなくしてはいけない
N国党は周知のように「NHKをぶっ壊す」と繰り返し叫んでいる。しかし、NHKの ような公共的放送機関は「壊して」いいのだろうか。 たしかに、現在のNHKは、政権寄りの政治報道をはじめ、そのあり方がさまざまな批 判を浴びている存在である。しかし、そのことと、将来にわたってわが国でNHKのよう な公共的放送機関が必要かどうかは分けて考える必要がある。 放送法は、NHKを、国費でもCM収入でもなく、視聴者の受信料だけで運営する放送 機関とした。国家権力からも企業の支配からも自由に、独立して自律的に放送事業を行う ことを可能にするための制度である。

 この制度に基づく「公共放送」によって、視聴者の多様な要求に応える多様な放送が実 現できることになった。NHKでは、マイノリティのための番組、教育現場への教材を提 供する学校放送番組、文化の継承のための古典芸能番組など、視聴率に左右されない放送 を実施できている。 当放送を語る会は、このような、市場原理の影響からも自由でありうる公共的な放送機 関は、日本の民主主義と文化にとって重要な存在であると考えている。その認識の上で、 現在のNHKが、その理想にふさわしい状態にあるかどうかを監視し、必要な抗議・要求 行動を行う、というスタンスで活動してきた。 ところがN国党は、NHKを壊す=破壊する理由として、週刊誌が報道したというNH K職員の「不倫」の事件をNHKが説明しないからだ、という驚くべき主張を政見放送で展開してきた。

 これまで受信料で形成されてきた、国民の共有財産とも言える公共放送機 関を、このような理由で破壊するという主張は到底容認できない。 いまNHK問題に取り組む視聴者団体に、「N国党とはちがうのか」という問い合わせが あると聞いている。この際、当会のような視聴者団体とN国党とはいかなる点ても接点は なく、むしろ反対の立場に立つものであることを明らかにし、同時にN国党と全国の視聴 者団体とは厳しく区別されるべきだと主張したい。

3)スクランブル放送とは何か。
実施すればNHKはどうなるか 私たちは、前述のように、スクランブル放送にすればNHKは壊れる、と考える。では なぜそうなるのか。 スクランブル放送とは、放送内容を暗号化し、電気的に撹拌して放送する方式である。 視聴者が放送を見るためには、このスクランブルを解除する手段を入手しなければなら ない。そのために視聴者はNHKと契約が必要になる、というシステムである。 これをNHKの総合・Eテレの地上波で実施したらどうなるか。 正確には予測できないが、NHKにとって最悪のシナリオはつぎのような事態である。
 
 テレビは無料の民放を見れば間に合うと考え、できれば受信料の出費を控えたい、とい う視聴者は多いと思われる。 現在受信料契約をしている視聴者のうち大半がスクランブル放送の解除をしない、つま りNHKと契約しない可能性がある。受信料収入が激減することは避けられない。 受信料でつくられた東京はじめ各地の放送会館、設備は維持できず、売却するほかなく なる。また、放送文化研究所や放送技術研究所のような社会に貢献すべき研究所は、スク ランブル解除に役に立たないということで閉鎖に追い込まれると予想できる。
 
 放送内容では、「ETV特集」や「NHKスペシャル」など時間と経費のかかるドキュメ ンタリーは制作が困難になる。また、スクランブルを解除してもらうために、いわゆる大 衆受けのする娯楽番組が主流になり、少数の視聴者を対象にする福祉、教育、文化・教養 番組などは消滅する可能性がある。 そうなればNHKは小さな有料放送局として残るしかないことになる。 日本の放送界は実質的に商業放送が支配すことになり、NHK、民放の二元体制をとる 現行放送法体系は根底から崩壊せざるを得ない。このような状況では、放送の分野で視聴 者市民の知る権利が大きく損なわれる恐れがある。

4)いまNHKに求められるもの
N国党の主張に問題があるにもかかわらず、選挙区で 150万票、比例代表で98万票が同 党に投じられた事実を、NHKは深刻に受け止める必要がある。NHKは、現状が真に「視 聴者に支持される公共放送」となっているかを厳しく問い直すべきである。

・ 公共放送のあり方から逸脱する政権広報のような政治報道を改めること、
・ 会長の公募制 など、NHKの経営への視聴者の参加の方策を案出すること、
・ 番組やニュースに関する視 聴者の意見や批判に丁寧に答えること、
・委託法人等による暴力的な受信料契約強制をやめ ること、
・ さらに、ニュース、番組制作者と市民が交流するようなイベントを企画し、対話 を進めること、などを強く要求したい。

「放送法では受信料を払うことになっている」といった解説的広報番組を流せば済むと いうものではない。公共放送の本来のすがたに立ち返る具体的な行動と努力が必要である ことを、N国党の伸長という事態を受けてあらためて強調しておきたい。