FC2ブログ
■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
札幌市議会九時間空転の真相 (2019年5月13日)
(カテゴリー: 自治体学理論
  札幌市議会九時間空転の真相

 2019年5月13日、札幌市議会本会議が「議長選出を巡って9時間空転した」とのニュース報道がなされた。
5月14日のANNニュースは、この混乱は(多数議員の慣例による議長選出方式)と(松浦臨時議長の立候補による選出方式)との対立であると解説して報道した。
 この解説報道は「何が真の論点なのか」を正当に伝えていない。
 議長の提案は本会議場での「正規な提案」である。
他方の「多数議員の動議案」は(二人の議員を除外しての会派代表による約定案)である。しかも(議会の外での約定)である。議長選出方式の正当な対立とは言えない。

「混乱の真相」は、多数議員がなぜ「立候補方式による選出方式」を「嫌がったのか」である。

[本会議空転の真相を: http://jichitaigaku.blog75.fc2.com/ に掲載したのでご覧下されば幸甚です]
 そして下記の「本会議録画映像」をぜひご覧頂きたい。
 http://www.sapporo-city.stream.jfit.co.jp/…

1 問題は、多数議員はなぜ「立候補による議長選出方式」を嫌がったのか。なぜ臨時議長の立候補方式の提案に賛同しないのかである。賛同しても結果は「会派の約定」どおりになったのではあるまいか。それを(議場を退場してでも「立候補方式での議長選出」を嫌がったのはなぜであるか。
   
 これが「九時間空転の真相」である。

・当日議会を傍聴された市民の方々に「なぜ立候補方式を嫌
 がるのか」を考えて頂きたい。
・テレビ・新聞の記者の方々は真相を洞察して報道して頂き
 たい。
  
2、本会議空転の原因(責任)は、
(立候補方式を提案した松浦議長にある)のではなく、
(手招きし合って退席した多数議員にある)のではあるまいか。 前記の(札幌市議会公開映像)をご覧頂きたい。
(自民会派内で内定している議員が立候補すれば)臨時議会は短時間に終了したのである。臨時議会は空転しなかったのである。

 5月15日のテレビニュースは、札幌市議会の各会派が松浦議員の懲罰動議を提出したと報道した。
 (懲罰云々を言うのならば)、本会議進行中に(濫りに)退場した多数議員こそが(咎められること)ではあるまいか。明白な議会規則違反行為であるのだから。

そしてさらに
・慣例と称する「会派交渉会」の約定(取り決め)は、選挙前の前任任期の議員による約定である。そしてその「会派交渉会」には松浦議員と石川議員は除外されているのである。
 交渉会を仕切っている飯島議員に、松浦議員が「私も加わった場での約定ならば従いますが、そうでないのだから、法律どおりに臨時議会を運びますよ)と本会議前に言ってあったとのことである。

 多数議員が声高に唱える「慣例」は「会派交渉会の約定」である。すなわち
  多数第一会派が 議長を
    第二会派が 副議長を
    第三会派  監査委員
    第四会派  監査委員 である。
ところで、
 公明も共産も議員10名の同数であるから
 (慣例では)監査委員は公明と共産である。
  ところが (市長が多数会派と協議し忖度して)
  監査委員は公明と自民に定まった。
  (議会慣例とは所詮はこのようなものである)

 そもそも会派とは何か。
会派とは「議会の役職を(獲得)する」ための集まりである。
 (政策研鑽のため)は空虚な美辞である。実態は(密室取引をするボス議員)が「会派決定の名目で議員の評決権」を拘束する集まりである。
 「会派の弊害」を「ブログ・自治体学」に近日掲載する。

3 議会不信ー前例・慣例の見直し
今日、国会も地方議会も「議会不信」が広がり、「代表民主制の危機」と言われている。「議会改革の勘所」は「慣例踏襲の見直し」である。
 であるから、新人議員だけでなく古参議員さえも (選挙のときには)「議会改革」を唱える。市民は「議会は何をやっているのか」と「議会不信」を嘆息するが 嘆くのでなく「慣例踏襲の真相」を見抜く思考力を高めなくてはならぬ。

この世は今、(議員多数ならば) [何でも押し通せる] ご時勢である。
安倍晋三は祖父岸信介の墓前に「憲法は改めました」と報告を捧げる事態にあり、有権者の多数がこれを支持し、メディアの人々は政権に靡き自粛抑制し、NHK内部の人事は(かつての会長を超える安倍政権よりの人物)になり、官僚は「記憶にありません」で世渡りする。見識と気骨ある議員は国会にも自治体にも見当たらず、行政職員の委縮が広がっている。かつての自治体学会設立時の活気が乏しいのではあるまいか。
 
(1)多数議員が「立候補方式」を嫌がったのはなぜか
(なぜ嫌がるのか)
(2)そもそも議会会派とは何か、会派の弊害は何か、を
  筆者ブログ「: http://jichitaigaku.blog75.fc2.com/」に近日掲載する。
 
スポンサーサイト



松下圭一著『政策型思考と政治』を読む
(カテゴリー: 研究ノート・書評
 『政策型思考と政治』を読む
    (政策型思考研究会)

松下圭一著『政策型思考と政治』は「市民政治理論の体系書」である。
本稿は北海道の市町村職員と北海道庁職員が「政策型思考研究会」の名称で開始した読書研究会の『論集』」に掲載した筆者の所見である。

全頁を2年9月で完読した。
 この書物が出版されて以来、全国各地でこの本をテキストにした読書会が数多く開かれたが「扉のことば」から「あとがき」までを完読した読書会は少ないであろう。
 この書物は「政治・政策と市民」の理論体系書である。完読するには集中力の持続が必要である。大抵の読書会は息切れして途中で終息する。
 月一回(毎回一章)での進行と定めた。勤務後の短い時間で一章を討論して理解するのは困難である。困難ではあるが、そうしなければ完読できない。理論体系書であるから完読しなければ意味がない。だが理論体系書であるからどの章も他の章と密接につながっている。次の章で前章の意味と用語が判然としてくること屡々であった。
 目次に付けられている※印は、体系理論の区分であるから、その区切りで論議をして咀嚼理解を助け合った。また、巻末の用語索引も重宝した。索引に示されているページを開いて横に読めば用語の意味が判然とする。
語句に付けられている四種の括弧「」『』<>《》の意味もその都度話し合った。

論議するべき点を見出すため毎回、報告者を定めた。報告者は何回も読み返してメモ
を作成した。だが、「テキストの用語と文章」で「このようなことが書いてある」の説明は不可とした。全員が読んできているのだからテキストの復唱報告は時間の浪費である。そしてまた、自分の言葉で言えなければ真に分かったにならない。 
研究会であるから、報告者が「成るほどと思ったこと」「意味が分からない用語」「このような理解でよいだろうか」を話し合った。

松下教授の本を難解だと言う人が少なくない。文体が馴染めないと言う人もいる。問題は「なぜ難解だと思い馴染めないと感じるか」である。難解だと思うのは「規範概念」と「規範論理」で論述されているからである。
 この書物を納得し理解するには、読む人自身の「基礎概念」の再吟味が不可欠である。
だが、人は誰しも自身の「思考の基本枠組」や「基礎概念」の問い直しは苦痛である。無意識的に「難解の防御壁」をめぐらすのである。そして基礎概念の再吟味を拒む人には本書の理解は困難である。
 戦争前も戦争中も戦後も「国家統治」「国家統治の国家学」が正統学であった。この本は(目次の扉に書かれているように「国家観念との別れの書である」。国家学理論を転倒する「市民自治の理論書」であるから、易しい筈はないのである。
問題は「読んで成る程と納得するか否か」である。「確かにそうだと思うかどうか」である。納得すれば次第に難解と思わなくなる。そしていつの間にか分かりやすい書物になる。
 例えば、実際の話として、松下教授の書物が刊行されるたびに学習会を続けている大阪の市民文化団体の人達は「松下さんの本はどれも分かりやすくて読みやすいですな」と言う。明治以来の国家学理論に呪縛されていないからである。自立した市民だからである。

研究会の人達は、いつの間にか、当初は難解だと言っていた概念・用語で語り合うようになった。そして例えば、岩波新書「日本の自治・分権」「政治・行政の考え方」を、分かりやすいと言うようになった。それは、漠然とした理解のままではあっても毎回一章を読
んだ悪戦苦闘の手探りの読書研究会の成果であった。そしてなによりの成果は、自治体職員が自身の仕事を市民の立場で考えるようになったことである。
 「政府間関係理論」や「政府信託理論」で「道庁と市役所・役場のあるべき関係」を語り合い、自治体をめぐる様々な現実の問題を「政策情報・市民自治・政策開発・参加手続・市民と住民」の概念を使って考えるようになった。つまり、研究会メンバーが「考察する視座」を持ったのである。それは「国家統治の官庁理論」の呪縛から自らを解き放ち、「市民自治の自治体理論」の考え方を確立したと言えるであろう。地方公務員から自治体職員への自己変革である。

筆者はこの書物を北大大学院で政治学演習のテキストに使用した。北海学園大学院でもテキストにした。「思考の座標軸」を形成するに最適の書であると考えたからである。すなわち、現在日本は「都市的生活様式が全般化した社会」である。山村、僻地、離島にも工業文明的生活様式・情報産業的生活スタイルが広がっている。そして「前例のない公共課題」が噴出している。前例のない課題であるから政策課題として設定できないでいる。前例なき課題であるから、これまでの手法は役に立たない。「何が課題で何が方策か」を考えるには思考の座標軸が不可欠必要である。
 学問も理論構成の前提条件がガラリ変わっているのだから「思考枠組み」と「基礎概念」の再吟味が不可欠である。
 この書物は「思考の座標軸」を形成するに最適の書である。 (1998年8月)