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■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
札幌「市民の風」の方々へ
(カテゴリー: 政策提言
  「市民の風」の方々へ

今日の危機的な政治情勢で自民公明からの支持をも受け入れる(支持を得ようとする)候補者を信頼できるであろうか。(秋元から要請したのではなかった)で(それならばよい)の問題ではない。
かつて、
 東京電力労組の(会社利益・自己利益)の要求で東京都知事選挙で民主党は 「原発再稼働反対」を掲げない舛添候補を支持し支援した。
「市民の風」の方々は、「立憲、国民、社民、市民ネットが秋元を支持したから」ではなくて、自由で自立した市民運動ならば「相乗り」を問題視するべきではないのか。そしてまた、立憲、国民、社民、市民ネットの方々は(目先の自己利益でなくて)、なぜ渡辺候補の統一支援の輪の広がりに向かわなかったのか。

  今重要なのは(将来をも見据えて)の反(自民・公明)の連帯行動を重視することであろう。
 「運動内部の対立拡大を防ぐために」の言辞は (為すべきを為さずして)の遁辞(逃げ向上)に見える。 上田代表世話人は(現に)秋元選挙応援に顔を出している。「上田個人の行動だ」と言い張っても「市民の風」の行動として世間には拡がる。
 上田氏は、真剣マジメに(安倍晋三の邪悪魂胆を阻止する人)に見えない。かくして、市民運動も(相乗り政党と同じ程度の)「所詮そんなもの」になる。
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 札幌「市民の風」の方々にお訊ねしたい。
(カテゴリー: 政策提言
 札幌「市民の風」の方々にお訊ねしたい。

 国会では「自民・公明」の多数議席の横暴が続いており、安倍晋三は東アジアの緊張を高める言動を意図的にくり返している。それは、祖父岸信介の墓前に「憲法改変をやり遂げました」 の報告を捧げるための言動である。
 
 安倍晋三の邪悪な意図を阻止しなくてはならない。
 「戦争をしない平和な日本」つくらなくてはならない。
 それには
参議院選挙の前哨戦だと言われている北海道知事と札幌市長の選挙はとても重要です。自民・公明に対決する勢力の結集が必要です。

 沖縄の方々は
  暴力装置そのものと化した日本政府による辺野古新基地建設強行への緊迫した危機感のもと本土の市民運動を見つめています。
 ところが、
  札幌「市民の風」は (道知事選挙では政治勢力の結集に参加したが) 札幌市長選挙は「自民公明が支持する(現職市長)の候補者」に(相乗り)して、反(自民・公明)の勢力結集を避けた。 何故であろうか。
私の友人の説明では
  「市民の風」の主だった方々は代表世話人である上田氏の(現職市長との親密関係を続けたい)の意向を「忖度して反対できないからだ」とのことです。
 これが真実ならば、まことに奇怪であり 自由公正な市民運動と言い得ない。
 「市民の風」と呼称することも辻褄が合わないと思う。
        
   
都市型社会とは
(カテゴリー: 自治体学理論
  「都市型社会」

松下理論の骨格の第二は「都市型社会」である。
都市型社会とは、農村・山村・漁村・僻地にも「工業文明的生活様式」が全般化した社会のことである。「都市型社会」は「都市地域の社会」のことではない。同様に「農村型社会」も農村地域の社会のことではない。
「都市型社会」とは、現代社会を「如何なる社会」であるかを認識するための用語である。理論構成の前提条件である社会構造の変化を認識するための用語である。
 多くの学者は、理論構成の前提である社会構造が「ガラリ変わっている」ことを認識理解しない(理論構成できない)のである。

 人類発生以来、狩猟・採集の社会であった。やがて農業技術を発明して定着農業の社会(農村型社会)になった。人類史上、第一の大転換であった。この農村型社会は数千年続いた。そして16-17世紀のヨーロッパに、産業革命(工業化)・市民革命(民主化)による「近代化」が始まり、農村型社会(身分と共同体の社会)の解体が始まった。
 さらに、20世紀には工業化(情報技術のさらなる発達)・民主化(民主政治の思想と制度の広がり)が進展して、先進地域から順次に「都市型社会」への移行となった。工業化と民主化が進展して数千年続いた〈農村型社会〉が〈都市型社会〉に大転換したのである。
 だが,都市型社会の成熟に伴い新たな問題が生じる。
工業技術の発達は資源浪費・環境破壊・遺伝子操作・人工生命などの深刻事態を生来し、世界各地では民主政治の危機が生じ独裁国家が台頭している。これらは「民主化による工業化の制御は可能なのか」という文明史的問題である。
工業化の進展が不可避とする「市場原理」と、民主化が誘導する「計画原理」との結合を如何に市民制御するかの問題である。しかしながら深刻事態の否定的側面のみを提示せず発展面をも直視せずばなるまい。

 この問題解決のカギは、市民型人間の「醸成可能性」である。すなわち、都市型社会の成熟によって人々は「余暇と教養の増大」を保持する。そして(数世代をかけて)「人間型の変容」が生じる。すなわち、都市型社会の成熟が「市民型人間の大量醸成」の可能性を齎すのである。可能性ではあるがこの可能性が画期的な事態なのである。
都市型社会では、人々の生活条件の整備は〈共同体〉ではなく〈政策・制度〉という公共政策によって整備される。