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■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
自治基本条例の制定に住民投票は必要か
(カテゴリー: 市民自治基本条例本条例
    自治基本条例と住民投票

松下圭一教授は1975年刊行の岩波新書「市民自治の憲法理論」で、自治体は30年間の自治の蓄積によって自治行政権、自治立法権、自治解釈権を有する地域政府に成熟した、とする市民政治理論を提示した。
民主政治の基礎概念(市民、自治、分権、参加、政府信託など)の殆どは、松下教授が理論提示をして造語した。それが普遍用語になったのである。
30代40代50代のころの松下教授は「未来を構想し現状を切り拓く」規範理論を精力的に発表して「市民政治理論の時代」を形成された。規範論理(かくあるべきの論理)が状況の壁を切り拓き事態を進展させる(させてきた)のである。すなわち実践論理が「国家統治」を「市民自治」に切り替えるのである。それをアキラメ(そうは言っても)の現状追随では事態は何も変わらない。

 ところが、松下先生の晩年の論稿には「詠嘆調の論述」が目立つようになった。例えば、2012年8月刊行の「成熟と洗練」(公人の友社刊)では、「日本は今日、〈進歩と発展〉の時代は終わって、ついに〈没落と焦燥〉の時代に沈んでいく、という予感をもつ事態に入っている。はたして、日本は自治・分権型の「成熟と洗練」にむけての〈転型〉ができるだろうか」(256頁)
 「日本の市民は、〈市民活動〉の熟成、〈自治体改革〉の展開、〈国会内閣制〉の構築のなかで、市民個々人が多元重層のチャンスをもつ〈市民政治〉の時代をつくりうるのだろうか」(258頁)、と記述される。

 広瀬克哉教授(法政大学)が、「法学志林(松下圭一名誉教授追悼号・2017年3月刊)」で、「自治基本条例の制定に住民投票は必要か」についての松下教授の(見解の変遷)を紹介されている。
「基本条例の制定(成立)に住民投票が必要か」は重要論点であるのだから、広瀬教授ご自身のお考えをそこに記述して頂きたく思った)

 [松下教授の見解の変遷]
 1999年刊行の岩波新書「自治体は変わるか」には、「国の基本法としての憲法、国連の基本法である国連憲章とあいならんで、各自治体には住民投票にもとづく基本条例の策定が問われています」と記述された(258頁)。
 2008年の講演 (なぜ基本条例を制定するのか・武蔵村山市の講演)」では、「主権市民による基本条例の策定には、長・議会ついで職員からなる自治体政府を、市民が自ら設計し設置する道具であると位置づけることが必要です。基本条例は市民による自治体の設計書です」と講演した。

 ところが、2005年刊行の『転型期日本の政治と文化』では、「住民投票は通常の議会手続きによる基本条例制定後でよいのではないか」と記述される。(2002年の公職研臨時増刊号「なぜ今、基本条例なのか」を改訂しての記述)
 さらに、2010年8月刊行の『自治体改革-歴史と対話』では「基本条例は自治体の基本法であるかぎり、いつかは住民投票にかける必要はあるが、20年ほどの時間がたって、条文としても成熟したと判断しうる状態がきたとき、住民投票をおこなえばよいと私は考えています」と(2008年の武蔵村山市での講演を改訂して)論述されている。

 (松下先生がご存命ならば、お逢いして「なぜなのですか」とお尋ねしたいと思う。それができないから、松下先生の著作を検討された広瀬教授にご所見を伺いたいと思う)

 「基本条例の制定と住民投票」についての私の見解は、このブログ右側目次の「市民自治基本条例」をご覧下されば幸甚です。
そして、この論点を北海学園大学開発研究所「開発論集」(2018年3月刊行予定)に詳述する心算である。

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・講座・市民自治 (市民と首長) 」
(カテゴリー: 自治体学講座
     『市民自治-五回講座』 さっぽろ自由学校「遊」

第二回 市民と首長 (レジュメ) 

1 見識のない首長
・首長は当選すると行政職員に迎えられて庁舎に入り役所側の人になる。・首長が常に片足を市民の側に置くよう、市民は連携方策を工夫する。・選挙で「見識の無いやる気のない」人物が首長に当選するときが(多く)ある。当初は役所の慣例に従うが、慣れてくると増長し独断専横になり、利権に堕することもある。・首長の逸脱は地域社会に混乱を齎し職場士気は沈滞し意欲ある職員は無残。 鹿児島県阿久根市の混乱は869日続いた。北海道にも実例がある。

2 公約―市民との約束
・庁外から入った首長は幹部職員に囲まれて(ご説明)を注入される。・首長は孤立し孤独になる。相談相手・政策ブレーンが必要である。・首長の人事権にスリ寄ってくる職員はいる。だが信用できる人物はいない。・市民は「政策提言グループ」を考案し連絡を密にする。  

3 庁内の掌握
・首長がなすべき(第一)は「職員の政策能力」を高めることである。(職員の政策能力とは何かを『新自治体学入門(時事通信社) 116頁』に記述した) ・人事権を掌握することが重要であるが職員は首長の私兵にではない。・橋下(前大阪市長)の誤認識
・年功序列人事とバッテキ人事の兼ね合い 実例―神奈川県知事(長洲)と北海道知事(堀)の(腰の弱さ)
・庁内(行政内)を統括できない首長は、(拍手で迎えてくれる)庁外に出かけるようになる。その実例……

4 首長は(在任中)と(退任後)に言うことが異なる。何故であろうか
・実例
議会の重要な役割
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
 2017北海道自治体学土曜講座(第五回)の討論内容を時事通信社・地方行政誌に投稿した。その原稿に「議会の重要な役割-2」が脱落していたので、ここに掲載する。

「議会の重要な役割」
自治体の首長選挙で「見識の無い・やる気のない」人物が当選するときが(実例は)多くある。当初は役所の慣例に従うが、慣れてくると、増長し独断専横になり利権に堕することもある。首長の逸脱は地域社会に混乱と沈滞を齎す。職場士気は沈滞し意欲ある職員は無残である。首長の逸脱を制度的に糺せるのは議会である。
だが、選挙で当選した首長を糺すのは容易ではない。鹿児島県阿久根市の混乱は869日続いた。首長の逸脱を糺すには議会の結束が重要である。見識ある議員の存在が不可欠である。有権者住民は(首長と議会の対決)を不仲・相反と眺めてはならない。
議会改革とは何を改革することか
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
    北海道自治体学土曜講座
   議会改革とは何を改革することか
   ―議会審議への住民参加―

 「自治体の主人公は市民である」を基本に据えた、「自治体学」の理論と実践を目指す「北海道自治体学土曜講座」(第五回)が、2017年10月21 日、 札幌市の北海学園大学で開催された。主題は「議会改革とは何を改革することか」であった。

開催趣旨
現在、全国各地で展開されている議会改革の試みは、分権型社会の実現にとって歓迎するべき動向である。だがその基本認識にいささか問題がある。そこで、その問題点を首長と議員と研究者が会場発言を交えて討論した。

討論者
広瀬重雄(芽室町議会議長)
田村英樹(京極町議会議長)
鳴海清春(福島町町長)
菊池一春(訓子府町町長)
片山健也(ニセコ町町長)
高沖秀宣(三重県地方自治研究センター上席研究員)
(司会者)
森 啓(NPO法人自治体政策研究所理事長)

論点は二つであった。
一つは、二元代表制の基本認識
二つ目は、議会基本条例の制定
(以下は当日の討論を基にした筆者の所見である)

Ⅰ 二元代表制
1 議会改革の現状
首長と議会は対等である。対等であるが役割は異なるのである。
ところが、全国各地で展開されている議会改革の試みには二元代表制の誤認識がある。すなわち、首長との関係で(議会の独自性)を発揮することが議会改革であると考えているようである。そのため、議会改革の取組は活発であるが改革成果は少ない。
例えば[北海道自治研究(2016-6月号)(2017-2月号)]には、
1)議会は首長と政策競争をするべきである。
2)議会は首長の提出議案を審議するだけではなく、対案を提起して審議し議決すべきである
3)議会もまちづくり政策の主体であるから、総合計画条例を提案して議決してよいのである。
4)さらに、当日(2017-10-21日)の討論では、「財政課を議会事務局に移管して予算編成権
限を議会が保有すべきである」との見解が(論議を深める私案として)表明された。

2「強い首長・弱い議会」
明治以来(今日も)、中央省庁によって「強き首長、弱い議会」の制度運営がなされてきた。であるから「議会の存在意義」を高める試みはまことに重要である。しかしながら、議会の存在意義を高めるとは首長と政策競争をすることではない。「議会の審議能力を高める」ことである。「予算編成権限を議会に移管すべきである」の見解は、議会の本来役割を認識しない「議会の対等性」に偏った意見である。しかし問題なのは、議会改革を推進しようとする側にこのような見解が (ときおり)表出されることである。

3 議会改革 
1)議会改革が重要な問題(テーマ)になったのは、
・議会は何をやっているのか分からない。・分からないから無関心になり、議会は有っても無くても同じになり、・議員の数は少なくてよいになり、議会不要論の声すら生じているからである。
・すなわち、議会改革がテーマになったのは議会不信が増大したからである。
・であるから、議会改革の本筋は「議会不信の解消」である。

2)ところが、全国各地の議会改革の実態は
・議員だけの独り善がりの議会改革である。住民には後日に説明する改革である。
・議会の独自性を誇示することに力点がある議会改革である。
・議会改革に熱心なところは、えてして(首長と張り合い不仲である)(首長選挙のしこりがある)と言われている。(もとより全てではあるまい)

3)改革するべきは議会の慣例である
・改革すべきは「長年月に積み重なった議会の慣例」である。
・だが、議会慣例を改める(廃止する)ことに、議員の多くは(内心では)不賛成である。
・議員特権を手放すことに(心底では)賛成しない。そして必ず不賛成のリクツを言い出す。
・議員には(ホンネとタテマエ)を使い分ける習性が身に付いて(しまって)いるのである。
・議員が(住民の面前で話すこと)と(議員だけの場で言うこと)は大きく異なる。真逆のときもある。(これは首長も幹部職員も同じある。だから行政不信が増大している)
・議会改革は議員だけではできない。有権者住民との協働を考案して実行しなければ改革は進まない。
・いつの場合も、改革にはリーダーが必要である。嫉みを覚悟するキーパーソンの勇気と才覚が不可欠である。(栗山町議会と芽室町議会にはそのリーダーが居たのであろう)

4)議会構成の現状
・高年齢の男性ばかりで女性議員が極めて少ない。平日開催であるから家計のために働く住民は議員になら(なれ)ない。いつも同じ顔触れの議会である。議会は地域住民を代表しているとは言えない。
・議員のなり手が居ないのは「議会不信」の結果である。
・そして「選挙無しの議会」が「議会不信」をさらに深めているのである。
・これらの事態を改めることが議会改革の第一歩であろう。

5)議員の定数と報酬
・住民が議員数と議員報酬の縮減を求めるのは(議会と議員)への不信の表明である。
・議員定数の減少に賛成する議員は(議員としてなすべき責務)の逃避者である。
・議員が少なるなることを喜ぶのは議会の審議力低下を希求する執行部である。
・審議力低下のツケは必ず住民に還ってくるのである。
・狡猾と利権と特権が地域を食い物にするからである。

4 二元代表制の誤認識
次のような言説がある。
・自治体議会を議事機関と考えるのは正しくない。議会は立法機関である。
・議会は首長提出の議案審議をするだけでなく、政策案を自ら提起して議決してよいのである。(この考えで議会が総合計画策定条例案を提出して決議した事例がある)
これに対して次のような首長の所見がある。
・「議会が議員提案をして議決をしても議会には執行責任がないから、住民の苦情は首長にくる。(議員提案の条例制定)を(議会本来の役割)と評価し称賛する最近の風潮に疑問を感じている」と。
首長と議会の役割の違いをわきまえた(政策の競い合い)でなくてはなるまい。

5自治体
・自治体とは役所(行政機構と議会)のことではない。
・自治体の主人公(主体)は市民である。
(市民と住民の概念の違い)は『新自治体学入門(時事通信社)』(二章)に詳細記述した。
・主人公である市民が首長と議員を(四年任期で)選出して代表権限を信託するのである。
・首長と議員が信託に背反したときには信託解除権の発動となる。
・これが市民自治の民主主義理論である。後述するが、
・基本条例を制定するのは(当選すればこっちのもの)に(させないため)である。
・すなわち、基本条例は首長と議員を拘束する自治体の最高規範である。
・最高規範が自治体に二つ現存するのは、二元代表制の誤認識の結果である。
・その誤認識が議会改革の道筋を曖昧にしているのである。

6首長と議会
・首長は執行機関の長であり執行責任がある。
・議会は議事機関である。執行責任はないが議会の決議がなければ、政策も制度も予算も執行できない。
・議会改革とは議会の審議能力を高めることである。

7議会の役割
・議会の役割は議案を審議し議決することである。
・提出議案を否決し再提出を求めることが必要な場合もある。
・さらには、議会自らが対案を提起し議決することが不可欠必要なときもある。
(北海道愛別町議会でその実例であった)。しかしながら、それは非常事態である。原則と例外、正常と非常事態を取り違えてはならない。
・議会の本来役割は提出議案を実質的に審議することである。問題は審議能力である。
・議会改革の真っ当な論点は「議員の審議能力を如何にして高めるか」である。
・議員の審議能力を高める工夫と実践が議会改革の本筋である。

8議員の責務
・議員は普段から住民ニーズを把握する機会・場所・通路・方策を持たなくてはならぬ。
・先進地を視察しキーパーソンに出会い、見解交流をして自身の政策水準(優先課題と解決方策の水準)を高めて、議案の政策水準を高める質疑を行う。
・実質審議とは「議案の政策水準を高める質疑を行うこと」である。
・議員の視察は審議能力を高めるためである。
・提出議案の内容を理解せず、(ときには)筋違いの質問もして、議案を承認するだけであってはならない。

9議員間の討論
・(北海道自治研究-2016-6月号12頁)には「議会は言論の場である」「議員間の討論が必要である」と書いてある。そう書くのならば、「重要なことは平場の議論になじまない」「利権が伴うことは平場では決まらない」と思っている議員の思考習性を如何にして
越えるかを書かなければ意味ある記述とは言えない。
・議員は(ホンネとタテマエ)を使い分ける思考習性が身についているのである。重要なことは平場では喋らないのである。
・政策討論とは「優先すべき地域課題は何か-如何なる方策で解決実現するか」の論議である。一定水準の政策能力が必要である。議員間討論の必要を述べるのならば、議員の政策能力が高まる具体方策の提示がなければならない。
・議員間討論が可能になるのは「住民の面前での討論」である。そのやり方を工夫しなければならぬ。議員だけの討論では思考習性を越えた論議にはならない。

10議会審議への住民参加
・いつの場合も「改革論議」を(言葉だけの曖昧な論議)にしてはならない。
・栗山町議会も芽室町議会も「議会改革は住民参加が基本である」と述べている。ところが、両者共に議会基本条例を議会だけで議決して住民には後日の説明であった。
・行政の常套手段は決定後に説明会を開いて協力を求めるである。これを批判して議会改革の旗幟を掲げた先進的議会も同じ事後説明であった。
・栗山町議会も芽室町議会も、議会への住民参加を唱えるのならば、唱えるだけでなく実質的な(ホンモノ)の「議会への住民参加」を考案工夫しなくてはなるまい。
・「議会への住民参加」とは「議会の審議の場に住民が参加する」である。すなわち、審議の場に(傍聴席ではなく)住民席を設けて、審議を聴取し論議の節目に所見を述べる改革である。「市議会を市民の手に取り戻した米国のバーク レイ市」では審議の場に市民が参加して発言している。そのDVDをマブイ・シネコープ(TEL&FAX 06-6786-6485)が市販している
・議会への住民参加を言葉で唱えるだけで、「議会審議の場への住民参加」を決断・実行できないのでは、議会不信は解消しないであろう。

Ⅱ議会基本条例の制定
1自治基本条例と議会基本条例
1)基本条例の制定目的
・自治基本条例とは、選挙で代表権限を託された首長と議員が(当選すればこっちのものだ)に(ならない・させない)ために制定する自治体の最高規範条例である。規範条例とは拘束力のある法規範のことである。
・顧みれば、自治体は七十年の自治の蓄積によって[中央に従属する地方公共団体]から[地域福祉の向上をめざす自治体]へと成熟したのである。すなわち、自治体は最高規範条例を制定する段階に成熟しているのである。学者は最高規範条例を自治体の憲法であると説明した。
2) 栗山町議会基本条例
・2006年、北海道栗山町議会が自治基本条例と別に議会基本条例を制定した。これが話題になり全国に議会基本条例の制定が流行した。だが、最高規範条例が自治体に二つあるのは論理矛盾である。
3)二元代表制と議会基本条例
・筆者は『新自治体学入門』(時事通信社)の(第四章)に論理矛盾であることを論述した。そして『栗山町議会基本条例の根本的欠陥』を時事通信社・地方行政(2010年11月1日号)に掲載した。
・なぜ、「自治基本条例」と別に(首長と張り合うかの如く)議会基本条例を制定するのか。自治体は首長と議会の二元代表制である。基本条例を二つ制定するのは間違いである。
・(議会活力を喚起するためであるとしても)議会基本条例の制定を推奨するのは正当でない。
・さらに憂慮すべき重大問題は「自治基本条例の制定」という「市民自治社会への重大な節目」を一過性の流行現象にする(した)ことである。

2自治基本条例と政策基本条例
1)制定手続きの違い
・土曜講座の討論(2017-10-21)で、全国的にも名前の知られている町長が、福祉基本条例、都市計画基本条例、交通安全基本条例、防災基本条例などの「政策基本条例」と「自治基本条例」との相違を(考えていない)ことに少なからず驚いた。
・自治基本条例は、首長と議員が自分勝手なことを(しない・させない)ための規範条例(立憲制の条例)である。であるから、首長と議会だけでは制定できない。有権者住民の合意・決裁が不可欠である(注)。政策基本条例は(首長の決裁と議会の議決)で制定できるのである。
・平素唱える「住民自治」を言葉だけの「空念仏」にしてはならない。合併のときも(住民は判断力がないからと言って)住民投票を避け、自治基本条例制定のときも住民合意は不要だと言う。(今まさに住民自治の場面)のときに(一歩踏み出さずスルーする)思考と態度が自治体改革を足踏みさせているのである。
2)言葉だけの住民自治
・最高規範条例を制定するということは「住民自治」を地域に創り出す営為である。「現状維持的思考の論理」でなく、現状変革の創造的実践である。
・それは、政権の場にいる人が言葉で(国民の生命安全を)と言いながら真逆の方向に人々を導くのと同じである。即ちそれは、自治の主体である有権者住民を(蒙昧・判断力不足)と心底で考えているのである。


(1) 広瀬克哉(法政大学教授)が、「法学志林」(法政大学研究誌・2017年3月号-112頁)に、松下圭一教授の「自治基本条例と住民投票手続」の(見解の変遷)を紹介している。だがご自身の見解は記述されていない。
(2) 森 啓の「自治基本条例と議会基本条例」の見解は、このブログ「自治体学」:の右欄目次「市民自治基本条例」をご覧頂きたい。
議会審議への住民参加
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
2017年北海道自治体学土曜講座(第五回)

「自治体の主人公は市民である」を基本に据えた、「自治体学」の理論と実践を目指す「北海道自治体学土曜講座」(第五回)が、2017年10月21 日、 札幌市の北海学園大学で開催された。主題は「議会改革とは何を改革することか」であった。

開催趣旨
現在、全国各地で展開されている議会改革への試みは、分権型社会の実現にとって歓迎するべき動向である。だがその基本認識に些か問題がある。そこで、その問題点を首長と議員と研究者が会場発言を交えて討論した。
討論者
広瀬重雄(芽室町議会議長)
田村英樹(京極町議会議長)
鳴海清春(福島町町長)
菊池一春(訓子府町町長)
片山健也(ニセコ町町長)
高沖秀宣(三重県地方自治研究センター上席研究員)
(司会者)
森 啓(NPO法人自治体政策研究所理事長)

論点は二つであった。
一つは、二元代表制の基本認識
二つ目は、議会基本条例の制定

当日の論点と筆者の所見を近日、時事通信社「地方行政」に掲載する。

10 議会審議への住民参加

・いつの場合も「改革論議」を(言葉だけの曖昧な論議)にしてはならない。
・栗山町議会も芽室町議会も「議会改革は住民参加が基本である」と述べている。ところが、両者共に議会基本条例を議会だけで議決して住民には後日の説明であった。
・行政の常套手段は決定後に説明会を開いて協力を求めるである。これを批判して議会改革の旗幟を掲げた先進的議会も同じ事後説明であった。
・栗山町議会も芽室町議会も、議会への住民参加を唱えるのならば、唱えるだけでなく実質的な(ホンモノ)の「議会への住民参加」を考案工夫しなくてはなるまい。
・「議会への住民参加」とは「議会の審議の場に住民が参加する」である。すなわち、審議の場に(傍聴席ではなく)住民席を設けて、審議を聴取し論議の節目に所見を述べる改革である。
・この「議会審議の場への住民参加」を決断・実行できなくて、言葉だけで議会への住民参加を唱えるのでは、議会不信は解消しないであろう。