■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
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講座・松下圭一「政策型思考と政治」
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
追悼 松下圭一先生
 講座・松下圭一「政策型思考と政治」を読む  
                   [さっぽろ自由学校・遊」 

第一回 (2016-11-2)
・本書『政策型思考と政治』は著者の「市民政治理論」の基本書である。
・著者は、本文の扉に「政治景観は一変した。新しい政治状況には、新しい政治理論が必要である。本書は『分節政治』の構想、ついで『政策型思考』の定位にともなう、国家観念との別れの書である」と記している。
・政策型思考とは「解決するべき課題は何か」「解決実現の方策は何か」の考察である。これまでの政治理論は、政治現象を実証分析する事後的な説明理論であった。政策型政治理論は、未来を展望して現在に課題を見出し実現方策を考える実践理論である。

(第一章) 政治・政策と市民
 政治・政策の主体は市民である。国家ではない。
  ・政治とは 4p 2行
  ・政策とは 10p 
  ・市民とは  
  ・市民と住民の違い → (末尾に資料)
  ・国家とは

1) 都市型社会 の日常生活
 ・現代社会では、人々の生活は(政策・制度)の網の目の中で営まれる。
   (都市型社会の意味は第二章で説明される)
 ・人々の日常生活 - 朝起きてまず顔を洗う 4p  
・地域規模から地球規模までの政策・制度のネットワークが不可欠となる。5p
 
2) 政治化と組織・制御技術  
・政治(争点)の日常化・全般化によって公共課題が広がり、市民活動、企業・団体、政党が政策形成に参入し、
政府は①自治 体レベルの政府、②国レベルの政府、③国際機構レベルの政府に三分化 する。
これを(政治の多元化)、(政 府の重層化)と言う。
 ・政治は政策・制度ないし政府の選択をめぐる市民の組織・制   御の技術となる。
 ・都市型社会では、政治は「君主や国家の観念」と結びつく聖性  を失い(社会工学)となる。

3) 政策の定義とレベル  
・政策とは問題解決の手法
・公共課題・公共政策    10p
(1)個人の解決能力をこえる「問題領域」で
(2)資源の集中効果を発揮できる解決手法があって
(3)ミニマムの政策・制度保障として「市民合意」が得られる
  ・公共政策と政府政策の区別が重要  → 13p 図1-1    
・政治主体と制度主体
    市民が政治主体で、政府は制度主体である。
 (政府は市民から権限を信託された機構である)
(政治権力と言われているものは、天空からぶら下がっているのではない。
   ・政策は全て個人思考の産物である。団体や機構は思考しないのである。

4) 日本における政策研究
・政策研究とは (二つの意味がある)
政策の事後的調査研究  政策の模索形成開発
・明治体制はもちろん、戦後の1960年代まで、日本における政策研究は、市民レベルでの自立した問題領域になっていなかった。変革期の明治維新前後をのぞけば、1960年代まで、政策形成はオカミないし政府の特権とみなされてきた。その政府政策も欧米先発国モデルの政策輸入であった。
・そのうえ、戦前の日本では、支配中枢すら天皇制幻想に自己陶酔する現実ばなれであった。 14p~15p
・当然、社会科学の自立も困難であった。旧帝大教授らがつくった『註解日本国憲法』も「国体」「国家統治」の『帝国憲法』の微修正であった。
・現在も社会科学者は「政策自体の構想」ではなく「政策過程の実証」に留まっている。
・日本の政策型・制度型思考の熟成には「三つの失敗17p」の検証が必要である。
• 前提転換の失敗 (農村型社会から都市型社会への転換
• 主体設定の失敗 (国家ではなく 市民である。 国家統治ではなく市民自治  
• 思考方法の失敗 (事後的説明ではなく 模索開発の政策型思考 

・ようやく政治について‥‥  17p (末尾の三行)  

資料・市民と住民の違い
[市民]
 市民とは、自由で平等な公共性の価値観を持つ「普通の人」である。普通の人とは「特権や身分を持つ特別な人」ではないという意味である(注2)。 「市民」は、近代西欧の「Citizen」の翻訳語である。福沢諭吉が「社会を担う主体的な個人」の成熟を念願し期待して翻訳した言葉である。 シティズンは、近代イギリス市民革命の担い手で「所有権の観念」を闘いとり「契約自由の原則」を確立した「市民社会の主体」である。
 福沢は「一身の独立なくしては」と唱え、自由と平等の精神を持つ自立した人間が開国日本に育つことを希求したのであろう。「シティズン」が有している自由と平等の考え方を導入しなければと考えたに違いない。 自己の才覚で利益も損失も判断していきいきと市(いち)で働く庶民こそが「シティズン」の訳語にふさわしいと考えたのであろう。「市民」(いちみん)と翻訳した。だが、福沢が期待をこめて翻訳した「市民」は使われなかった。
 明治政府は、皇帝が君臨していた後進国ドイツの国家理論を手本にして「帝国憲法」をつくり「教育勅語」によって忠君愛国の「臣民」を国民道徳として教えこんだ。臣民とは天皇の家来である。絶対服従の家来である。自立して社会を担う主体の観念はタブーであった。
 1945年の戦後も使われなかった。弾圧されていた社会主義の思想が甦り、「市民」は「所有者階級」と考えられたからである。使われた用語は「人民」であった。リンカーンのPeopleも「人民の、人民による、人民のための政府」と翻訳された。
 都市的生活様式が日本列島に全般化し地方分権たらざるを得ない1980年代に至って、ようやく、福沢が期待をこめて訳語した「市民」が使われるようになった。「普通の人々」によるまちづくりの実践が全国に広がったからである。
 しかしながら、人間は誰しも自分が体験しないことは分からない。国家統治の官庁理論の人々には「住民」と「市民」の違いが分からない。
 行政機構の内側に身を置いて官庁理論でやってきた公務員には、市民運動の人達は目先利害で行動する身勝手な人たちに見えるのであろう。そしてまた、公共課題の解決のために地域の人達と連帯して行動し、感動を共有した体験のない学者や評論家は「合理主義・個人思想・人権革命の歴史を持たない日本では市民などはいないのだ」などと言うのである。
 近代市民革命の時の市民は「有産の名望家」であった。しかしながら、現代の「市民」は公共性の感覚を持ち行動する普通の人々である。
 都市型社会が成熟して、普通の人々が市民である条件が整ったのである。
 「市民」とは「公共社会を管理する自治主体」である。

[住民]
 「住民」とは、村民、町民、市民、県民など、行政区割りに「住んでいる人」のことである。そして「住民」という言葉は、住民登録・住民台帳・住民税というように、行政の側から捉えた言葉である。
 行政が統治し支配する客体が「住民」である。住民は被治者で行政サービスの受益者である。「住民」という言葉には上下意識が染み付いている。その上下意識は住民の側にも根強く存続しているのである。
 長い間、行政法学は「行政」を優越的主体と理論構成した。そして「住民」は行政執行の客体で被治者であった。「住民」という言葉には「自治主体」の観念は希薄である。そこで、「住民」を「市民」との対比で定義するならば、「住民」は自己利益・目先利害で行動し行政に依存する(陰で不満を言う)人で、行政サ―ビスの受益者とされる人である。
 「市民」は、公共性の感覚を体得し全体利益をも考えて行動することのできる人。政策の策定と実行で自治体職員と協働することもできる人である。しかしながら、「市民」も「住民」も理念の言葉である。理性がつくった概念である。実際には、常に目先利害だけで行動する「住民」はいない。完璧に理想的な「市民」も現実には存在しない。
 実在するのは「住民的度合いの強い人」と「市民的要素の多い人」の流動的混在である。だが人は学習し交流し実践することによって「住民」から「市民」へと自己を変容する。人は成長しあるいは頽廃するのである。
 都市型社会が成熟して、生活が平準化し政治参加が日常化して、福沢の「市民」は甦ったのである。


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