■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
スポンサーサイト
(カテゴリー: スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
憲法学者の思考論理
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
   憲法学者の追随思考

 朝日新聞(2016-5-24.)11頁(オピニオン欄)「砂川判決の呪縛」掲載の南野森(九州大学教授)の所見を読み「このような思考論理の学者が増えているのだ」とまことに残念に思った。
  南野氏は憲法学者であるのだが「裁判所の違憲審査権」を重大視しない。いとも簡易にスルーする現状追随型の思考論理である。その論理は「前段に尤もらしいことを書き、後段で現状を是認する」思考論理である。
 例えば、『いま、目的のためなら、長年積み上げてきた法の論理でも踏みにじろうとする傾向が顕著です。法の秩序を保ち、法の支配を安定させるには、為政者に憲法を守らせ、司法の判断を尊重させなければなりません』と尤もらしく書く。だが後段で、『でも最高裁には後ろ盾もなく思い切った決断をしづらい、最高裁が(憲法の番人)として振る舞うことはできないのです』と書く。
 これが憲法学者南野氏の所見である。(詳細は朝日新聞(2016-5-24.) をご覧あれ)
 昨今の現状追随思考の蔓延は身分保障ある大学教師にも及んでいるのだ。
 他のお二人(吉永満夫氏、春名幹男氏)のご所見は「まことになるほど」である。
 オピニオン欄編集者は「朝日新聞偏向」の批判を避けるため、執筆依頼の配慮をしたのであろうか。それにしても憲法学者の驚きの所見である。

スポンサーサイト
オバマ大統領の迎え方
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
塩野七生さんの「オバマ大統領の迎え方」に賛成
 
「静かに無言で大統領を迎え、静かに無言で送り出す」
「謝罪を求める声」も、「星条旗の小旗をふる歓声」も無い
もし私が日本の新聞の編集者だったら
『無言で立ち尽くす米国大統領オバマ』の写真一枚だけ
「頭を下げる姿の大統領は(もし、そうしたとしても) 絶対に載せない。
 それが日本の品位を高めます

         (朝日新聞(2016-5-25)16頁・インタビュー)
福島みずほ議員は貴重な本物の国会議員である。
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
 貴重な本物の国会議員
昨夕(2016-5-15) 札幌駅前で
福島みずほ(参議院議員)の街頭演説を聴いた。
現在日本が直面している政治課題を次々と熱情こめて語った。
心に響く演説であった。
福島議員は数少ない本物の国会議員である。
「積極的平和主義」は「積極的戦争主義」であると
国会質疑で安倍普三の正体を見破ったのも福島議員であった。
国会議員の知性と倫理が低下しているなかで福島議員は貴重な存在である。
環境・人権・女性・平和の四本柱政策を掲げて全国を巡っている。
 http://www.mizuhoto.org/ 参照
現代語訳で読む日本の憲法
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯

現代語訳で読む日本の憲法

朝日新聞(2016-5-12の13頁)はとても良かった。
翻訳家の柴田元幸さんの「現代語訳でよむ 日本の憲法」の紹介である。紹介の視点が良い。
例えば、憲法前文の出だしは「日本国民」であるが、柴田訳は「私たち日本の人びとは」で、主語は「私たち」である。
65条の「行政権は内閣に属する」は、柴田訳は「内閣には、法律に従い国政を執行する権限を与える」である。内閣に「権限を与える」存在が別にいる、つまり主権者(私たち)が与えるのである。これは「市民自治の政府信託理論」である。
1975年に岩波新書「市民自治の憲法理論」(松下圭一)が刊行されたとき、「国家統治の憲法学者」は誰一人反論できなかった。反論できないので「学会」をつくり「国家学理論」を(みんなで渡れば怖くない)と講義して現在に至っている。札幌「自由学校・遊」で
 「松下圭一『ロック・市民政府論を読む』を読む」(五回講座)を6月1日に開講する。

「現代語訳で読む日本の憲法」(アルク・刊)を
 池内紀さんが紹介しています。
 時宜に合ったとても良い紹介なので「紹介」します。

「戦後70年」の意味深い成果

 ほとんど知られていないことだが、日本国憲法は二つある。一つは日本語、もう一つは英語でつづられていて、ともに一九四六年十一月三日に公布された。

 「英語でつづられ」とくれば、すぐさまGHQ(連合国軍総司令部)作成の憲法草案をいわれそうだが、ちがうのだ。GHQ草案をたたき台にして日本国憲法が完成した。当時、日本はGHQ占領下にあり、官報は日本語と英語で出されていた。おのずと新憲法は英訳されて英文官報に載せられた。HIROHITO(天皇)につづいて吉田茂ほか、田中耕太郎、石橋湛山(たんざん)、金森(かなもり)徳次郎など、戦後の代表的な知性が英語のつづりで連署している。

 訳者が「はじめに」で述べている。

 「この本は、それを現代日本語に訳したものです」

 おおかたの人はアッケにとられるかもしれない。日本国憲法は現代日本語で書かれている。英訳されたものを日本語に訳すと、元の日本国憲法にもどるのではないのか?

 日本国憲法と「現代語訳日本の憲法」とは同じものだが、しかし違っている。たしかに日本国憲法に書かれているが、すぐには見えないものが現代語訳を通して見えてくる。ひそかに隠されたかもしれないものが明るみに出てくる。現憲法の語りの特性、これをつづった人たちの語感、感情の高ぶりまでもが見えてくる。

 なぜそのようなフシギが生じたのか。柴田元幸という得がたい翻訳者の力である。彼は原文のもつ「観念」を、過不足なくつたえる役をつとめた。より多からず、より少なからずつたえる。それはとてもとても難しいことなのだ。個性的に、独創的に訳すことがどんなにラクであるか。現代アメリカ文学で数々の修羅場をくぐってきた人だからこそできたことだろう。

 法律にはうとい訳者のために、憲法学者の木村草太が監修をつとめた。両者の対談「英語からみた『日本の憲法』」が収録されていて、そのなかで柴田元幸は述べている。憲法だから全体的には「法律の文章」だが、「前文」と(戦争の放棄を明記した)「第9条」と(基本的人権にかかわる)「第97条」は、「英文の質」「気合いの入り方」があきらかに違っている。主語がきちんと明示され、誤解の余地のない言葉が使われている。ためしに現代語訳第9条前半。

 「正義と秩序にもとづく国際平和を心から希(ねが)って、日本の人びとは永久に戦争を放棄する。国として戦争を行なう権利を放棄し、国同士の争いに決着をつける手段として武力で威嚇すること、また武力を行使することを放棄するのである」

 つねづね日本国憲法は悪文として槍玉(やりだま)にあげられてきた。とりわけ改憲派は声高く、憲法正文の和文脈と欧文脈がゴッタになった文体を、それこそGHQに「押しつけられた」ことの証拠であるように言い立てる。

 風変わりな仕事を引き受けたばかりに、訳者は一つの「法律の文章」が成長していく過程をつぶさに知った。人類の希望を一段と輝かせる条項を盛りこもうとしたのである。日本語がねじれ、ぎこちないのは当然だ。

 「日本国憲法英文版は、全体としては非常に明快だし、日本語の正文も十分口語的で明快です。そもそもこの英文版から、正文とはかけ離れた、ものすごく分かりやすくくだいた日本語が出てくるべきではないと思うんです」

 言葉を尊重する人のこの上なく誠実な見方である。「戦後70年」のカラ騒ぎのなかにはじめて、まさに今、とりわけ意味深い成果がもたらされた。 (池内紀)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。