■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
3・11大震災3周年のメディア報道
(カテゴリー: 原発災害
   3・11大震災三周年のメディア報道

 報道によれば、気仙沼や陸前高田などの海岸一帯に防潮堤を建設するとのことである。防潮堤は海が見えなくなる壁の建設である。
 映画「老人と海」では、老人(スペンサートレイシー)が毎朝、海の色を眺めて「今日の漁獲」を呟いていた。
 漁民だけでなく住民も朝に夕に海を眺めるのである。防潮堤は日常生活と海との遮断壁である。

 現地の方々に申し上げたい。
「遮断壁の建設」を主張している人に注目することです。
「生命(いのち)には代えられない」の言い方で、声高に壁の建設を主張しているのは誰であるのか。莫大な建設事業費(税金)が狙いではないのかと。「後は野となれ山となれ」に騙されてはならない。
 津波は海面の上昇です。巨大な海の力です。次から次と押し寄せる連続波です。次の波が押し上げるから壁では遮断できないのです。
 海岸地帯で暮らすには、遮断壁の建設ではなくて「地震のときには避難する」の習慣です。避難場所と避難経路の整備です。
 今、現地では「巨額復興予算」にハイエナの如く群がり、県行政は省庁から復興予算の執行を迫られ、防潮堤を承認しなければ復興計画はすすみませんと住民に迫っているらしい。

 経済評論家の内橋克人さんが「危機便乗型資本主義が始まっている」と指摘した。戦争や災害などの惨状に便乗して莫大利益を目論む「惨状資本主義が蠢いている」と警告した。
 新聞もテレビも、エピソードを交えて自然災害の津波は報道するが、人災(利権災害)である原発事故はほとんど報道しない。報道しても肝心なことには触れない。原発災害の真の責任者は誰かを考えさせない報道である。
 これほどの悲惨が生じているにも拘わらず、誰ひとりとして責任を問われないのはなぜであるか。
 福島の原発災害の実相は日本のテレビよりも外国のテレビ放送が公正で信頼できる。
 例えば下記をご覧ください。

 ドイツZDF フクシマの嘘
1 http://www.youtube.com/watch?v=mKPpLpam6P0
2 http://www.youtube.com/watch?v=uOgoZDDsRkc

 フクシマ=最悪事故の陰に潜む真実
 1 http://www.youtube.com/watch?v=VjY_55gd9wU
 2 http://www.youtube.com/watch?v=HPPJJyuZ844
 3 http://www.youtube.com/watch?v=GjwQHW78Afs
 4 http://www.youtube.com/watch?v=ammCzi7lcoQ

 ドイツテレビ 犯罪会社東電
 http://www.youtube.com/watch?v=kH00psyB4lc


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市民議会への改革構想
(カテゴリー: 自治体議会
   市民議会への改革構想

自治体議会の現状
 選挙の翌日には、市民は陳情・請願の立場に逆転し、議員は「当選すればこっちのもの」と身勝手に言動する。議会は「不信の代名詞」になり議会不要論の声すらある。議会を市民の手に取り戻さなくてはならない。
曖昧な議会改革論
2010年1月28日、東京財団・主催の「ニセ議会基本条例を斬る」の討論で、パネリストの一人が基本条例の制定は「住民としっかり向き合って」と、見解を述べた。だがその「住民と向き合って」の意味は曖昧である。「住民と向き合って」ではなくて、「有権者投票の合意決裁」によって「市民の規範意識を高める」ことが重要である、となぜ明晰に言明しないのか。基本条例の制定権限は有権者市民にあるのだ。
 東京財団の「ニセ議会基本条例を斬る」のパネリストの方々は、「真正の論点」を認識していない。時流に乗った表皮的論議をしているように思える。
なぜそう思うか。「最高規範条例の担保力は有権者市民である」「市民自治とは市民の自治力が高まることである」。この規範論理が稀薄だからである。議会改革の論点はそのようなことではない。 
議会改革の論点
 自治体議会はあまりにも問題が多過ぎる。ところが、議員は「議会にさほど問題あり」とは思っていない。小手先の改革で議会批判を交わせると思っている。改革するべきは「因循姑息の議会慣例」である。議会改革の根本的な処方箋は旧態依然の議員を「総取替する」ことである

 議会改革の論点
 ・議員特権
 ・会派拘束
 ・議会構成
 ・議員員数
 ・政務調査費
 ・与党と野党