■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
岩波文庫「統治二論」の書名はロック理論の逆行である。
(カテゴリー: 自治体学理論
    岩波文庫「統治二論」の書名はロック理論に逆行する 
    なぜ「政府二論」でなくて「統治二論」であるのか

 ジョン・ロックの主著「市民政府論」は「市民政治理論の古典」である。このたび新訳が、岩波文庫として刊行された。喜ばしい。
 ところが、( こともあろうに ) 書名は「統治二論」である。訳者(加藤節・成蹊大学教授)は、まえがきで、本書は1部2部の全訳であるので、2部の訳書である鵜飼信成「市民政府論」との違いを示すために「統治二論」にした、と説明している。
 しかしながら、違いを示すならば「政府二論」であろう。1部は10年前(1680)のフィルマーの「家父長権論」の批判である。市民政府論の執筆に(当時は)必要であったのだ。 
 なぜ、市民政治理論の古典であるロックの主著を「統治二論」にしたのか。なぜ「政府二論」を避けたのか。

 かつて、東京帝国大学に「国家学会」なる組織があり、国策として「国家統治・国家学」を唱導した。
 そして現在も、憲法学、政治学、行政法学、行政学の大勢は「国家統治の国家学」であり「国家法人理論」である。
ロックの市民政治理論ではない。「市民自治の信託理論」でもない。
 
 例えば、国家試験の最適教科書と評される芦部信喜「憲法」(岩波書店)の第一頁第一行は、「国家統治」であり「国家三要素説」であり「国家法人理論」である。
 同じく東京大学で憲法学を講じた長谷部恭男氏は、安倍内閣の特定秘密法にも賛同する国家統治の学者である。
 
 現在日本には「国家」と「統治」の論調が勢いを盛り返し、明治憲法への郷愁すらも蠢いているのである。これら動向は、ロックの「市民政府・市民政治」の対極にある思潮である。訳者加藤氏の心底にも、これら論調への賛同が存するのではあるまいか。「市民政治」「市民政府」「市民自治」の語彙を避けたい心情が存するのではあるまいか。 
 
 2014年1月、同じ岩波から「ロック『市民政府論』を読む」(岩波現代文庫)が刊行された。著者の松下圭一氏は、あとがき(官治・集権の日本とロック)で、ジョン・ロックは「統治」から「政府」へというかたちで、ガヴァメントという言葉の用法の革命をおこない、ついに市民政治理論の《古典的形成者》という位置をもった、と記している。

 七十年代日本の対立軸は「経済体制のイデオロギー」であった。現在の対抗軸は「国家統治」対「市民自治」である。 「国家」は、政府、官僚、議員など、権力の場に在る人達の「権力行使の隠れ蓑」の言葉である。市民政治理論は「国家」を「市民と政府」に分解し市民が政府を制御し交代させるのである。
 民主主義は「市民と政府の理論」「政府制御の理論」「政府交代の理論」でなくてはならない。
 ロックがその元型を形成したのである。

 「統治二論」の書名では、ロックの主著を現代社会に訳出する意図が逆行する。なぜ「政府二論」でなく「統治二論」にしたのか。
ジョン・ロック先生も「分かっていないな」と苦笑するであろう。


 
 
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自治体学の概念
(カテゴリー: 自治体学理論
   自治体学が民主政治の理論である。

 自治体学は、国家学の「国家統治の観念」に「市民自治の理念」を対置して、国家を統治主体とする国家学を克服する学である。国家学は「国家」を統治主体と擬制する。しかし、その「国家」の観念は曖昧である。国家を「国民・領土・統治権」と説明するが、その「国家三要素説」なるものは、性質の異なる(団体概念)と(機構概念)をないまぜにした曖昧な説明である。

 「国家」の観念は、政府、官僚、議員など、権力の場に在る人達の「権力行使の隠れ蓑」の言葉である。少し注意してそれら権力者の言動を観察すれば「国民主権」を「国家主権」と巧みに(狡猾に)言い換える場面を目撃するであろう。権力の場に在る人たちには「国家が統治主体であり国民は被治者である」の観念が抜き難く存在するのである。(統治支配がやり易いからである)

 例えば、インターネットの「自治基本条例」のサイトに、「チョット待て! 自治基本条例―自由民主党」が掲載されている。
 それを一読すれば、権力の座に在る者には「国家統治の観念」が現在も強固に存続していることが判る。 
しかしながら、国民は国家に統治される被治者ではない。民主主義は「国家の統治」でなくて「市民の自治」である。
政府と議会の権限は選挙によって国民から信託された権限である。

 だが現状は、選挙の翌日に市民は「陳情・請願の立場」に逆転し、首長と議員は「白紙委任」の如く身勝手にふるまっている。そのため、行政と議会に対する市民の不信は高まり、代表民主制度が形骸化し「議会不要論」の声さえも生じている。しかしながら、選挙は「白紙委任」ではないのである。「代表権限の信頼委託契約」である。身勝手な代表権限の行使と運営は「信託契約の違反」であるのだ。取返しの出来ない信託契約の逸脱には「信託解除権の発動」となる。選挙の翌日も主権者は国民であって国家ではないのである。

 自治体学は「国家」を「市民と政府」に分解して、「市民と政府の理論」を構成する。すなわち、「市民」が「政府」を選出し制御し交代させるのである。民主主義の政治理論は「市民と政府の理論」「政府制御の理論」「政府交代の理論」でなくてはならない。
 自治体学が民主主義の理論である。