■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
自由民主党の「ちょっと待て自治基本条例」を批判する
(カテゴリー: 市民自治基本条例本条例
 自由民主党の「ちょっと待て! 自治基本条例」を批判する  


自民党の「自治基本条例に対する見解」がインタ―ネットに並んでいる。
一読して「放置してはならぬ」と思ったので以下に所見を述べる。

 自民党の「チョット待て、自治基本条例」には
( http://www.jimin.jp/policy/pamphlet/pdf/jichikihonjyourei_01.pdf )

3頁に、「自治基本条例の信託理論では、自治体の権限も財源も、議会も行政も、市民の言いたい放題になって、収拾がつかなくなる危険性があります」と書いてある。
 この文章は、民主政治の根本原理(信託理論)を否認するものである。
 「信託理論」が、なぜ「これでは議会も行政も法的根拠が不要になり市民の言いたい放題になるのか」の説明の無い非論理的な文章である。

 自民党の見解は、憲法前文に掲げた「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し…」を否定する見解である。

 現状は「当選すれば、白紙委任の如くに身勝手に言動して、議会不信と政治不信を増大させている」ではないか。信託理論は「その身勝手な言動は背信である」とする理論であるのだ。そのための「自治基本条例の制定」であるのだ。
 議会と行政の権限は「国民の信託」によるものなのだ。
 信託理論が民主主義の理論であるのだ。

 自民党は、議会と行政の権限は「市民の信託」ではなくて「地方自治法」が根拠であると言うのであろうが、その自治法は国民の信託によって制定されて効力を有するのである。
  (これくらいのことも分からないのであろうか)

4頁には、「自治体が法律を勝手に解釈することはできません」と書いてある。
   
  自民党の橋本竜太郎内閣のとき、菅直人議員が国会で「憲法65条の内閣の行政権限は(どこからどこまでか)と質問した。「内閣の(つまり国の) 行政権限は憲法第八章の地方公共団体の権限を除いたものです」と答弁した。 これが公式政府答弁である。
すなわち、自治体は独自の行政権限を有しているのである。そして、独自の行政を行うに必要な規範を制定する権限を憲法によって保持しているのである。法律を解釈する権限も有しているのである。
「国家(官僚)の解釈」と「自治体の解釈」が齟齬するときには、司法の場で決着するのである。これを司法国家というのである。「集権・統治」から「分権・自治」へは世界の潮流である。
 自民党は法律の解釈権限は国家(官僚)だけだと言うのであろうか。世界の潮流に逆行する時代錯誤の法感覚である。

5頁の(2)には、憲法は「国民主権」を高らかにうたっている。「市民主権」や「地域主権」などの言葉は曖昧な政治用語であるから「条例の文言に使用すべきではない」と書いてある。 

 それではお尋ねしたい。
 自民党は「国民主権」を言うけれども、自民党の正体は「国家主権」であって「国民主権」ではない。「国家統治」であって「市民自治」ではないのだ。そうでないと言うのならば、「国民主権」と「国家主権」の違いを明瞭に述べてみよ。そして、自治体条例に「市民主権」の言葉を使用すべきでない、と言うのならば、「国民」と「市民」の違いを明晰に説明してみよ、とお尋ねしたい。

「地域社会の重大問題」を、地域の人々が「規範を定めて遵守する」のが民主主義である。自民党は「自治法がそれを認めているのか」と「一見まことしやかに」に明治憲法感覚の国家統治の(時代錯誤の)論理で非難する。
 自民党は「国家主権の統治理論」であるからだ。
 自治基本条例は「国民主権の信託理論」であるのだ。
  さてそこで、
 国家とは「領土・国民・統治権である」の言説が、明治憲法のときから続いてきた。そのため「国民」には「国家の一要素」のイメージが染込んでいる。であるから、「国民」の言葉はなるべく使わないのが良いのである。
 「国民」も「市民」も「公共社会を管理し運営する人々」のことである。「市民主権」のことばに反感を抱くのは、明治憲法を郷愁する「国家主権」の人たちである。
(国家三要素説は性質の異なる(団体概念)と(機構概念)をないまぜにした説明である)

 このパンフを作成した自民党政務調査会 (と協力した学者)に、ジョン・ロックの「市民政府論」(岩波文庫)をお読みになることを薦めたい。「民主政治理論の古典」であるこの本を読めば「蒙昧を脱する」ことができるであろう。

5頁の(5)には、地方自治法が自治権とその精神を保証しているのであって、市民が議会や市長を設置するものではない、と書いてある。
 
 市民が「議会や市長を設置する」のではなくて、市民が「市長と議員を選出する」のである。選出して代表権限を信託するのである。そのことを憲法93条が定めているのである。
 そして、自治制度を定めたのは憲法であって地方自治法ではないのである。
 地方自治法はGHQの間接統治の隙間に内務官僚が明治憲法の法原理(国家が地方を一律に統制する思想)によって成案したものである。したがって、地方自治法の解釈運用は世界普遍の現行憲法の法原理に基づいて行うことに留意すべきである。

5頁の(6)には、「地方自治法には住民投票についての規定はなく、法律上の根拠のない住民投票が地方議会の意思を拘束することはできない」と書いてある。

 筆者は2001年12月4日、衆議院総務委員会から「参考人としての意見陳述」を求められた。自民党内閣による(市町村合併を強行するため)の「合併特例法の一部改正」のときである。
 衆議院総務委員会で、議会が反対の決議をしても「住民投票」によって「議会が議決したものと見做す」とする今回の法改正は、議会制度を軽視し憲法にも違反すると意見を述べた。だが住民投票によって「合併是非の住民意思」を確認し尊重することは住民自治として良いことである。であるから「議会が合併決議した」ときにも、住民投票による「住民意思」を確認し尊重する、と法改正すべきであると陳述した。
(http://www.youtube.com/watch?v=2tqXt27Z3tU&feature=share&list=UUJ6vDSFyf8HuARx_rkDicnw (衆議院総務委員会の参考人意見陳述の映像))

すなわち、
1 自民党内閣は過去に、議会決議にも優越するものとしての「住民投票」を法改正に組み込んだ経緯があるのだ。
2 地方自治法74条は「住民の直接請求」の制度を定めており、74条に基づく「住民投票条例」は既に数多く制定されおり、新潟巻町、岐阜御嵩町、徳島吉野川可動堰などで、住民投票は既に実施されているのである。
しかるに、自民党の「この見解」はこれら事実を無視して(よもや知らなかったではあるまいが)、「法律上の根拠のない住民投票」などと書いているのである。

自民党はなぜ自治基本条例を嫌悪するのか
1 民主政治への人々の理解が高まることを怖れるからであろう。
 人々が賢明になると騙せなくなるからである。

2 「当選すればこっちのもの」と身勝手に言動することができなくなるから、議会と議員に枠を定める自治基本条例を嫌悪するのである。

3 「市民自治」の考え方が広がると「国家」を隠れ蓑にする統治支配が続けられなくなるからであろう。

4 自治基本条例の背後に「特定の団体が」とか、市民自治の信託理論は「偏った思想である」などの言い方は、暗黒の明治憲法時代の権力者の常套用語であった。

5 自民党内の議論水準が現今の国際社会には通用しないものであるからであろう。


それにしても
 全国各地に「自治基本条例の制定」に委員として関わり、あるいは助言した学者の方々が多数いるにも拘らず、インターネットの第一面の上段に並んだ「自民党の見解」を批判する発言が現れないのは、一体どうしたことであろうか。
 昨今の学者は「発言するべきときにも発言をしない世渡り術に沈潜している」のであろうか。
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自治体学の概念
(カテゴリー: 自治体学理論
    自治体学の概念認識

 ある大学で、自治体学(4単位)の担当教授が退任して後任者を全国に募集した。
 多数の応募者があったらしい。
 2013年4月から新担当者による「自治体学の講義」が始まった。
 ところが、新担当者の講義計画 (シュラバス) には「自治体学の概念・定義」が無い。その講義計画は「国家学の地方自治論」である。

 「自治体学」を履修した学生は、(自治体学は聞きなれない言葉であるから) 講義の冒頭で「自治体学とは何か」「どのような学であるか」の説明が聴けると思うであろう。
 「自治体学の概念」を説明しない「自治体学の講義」とは、一体何であるのか。
 諺に羊頭狗肉の言葉もある。面妖なことである。

 もしかすると、新任教員は「自治体学の概念」が分からないのではあるまいか。分からないで応募したのであろうか。そうであったとしても、多数の応募者の内から選考され採用されたのであるから、講義の日までに、先行研究に目を通して自身の見解を考えるのが、専門科目・4単位の「自治体学の講義」を担当する者の責任ではあるまいか。

 自治体学会は1986年に横浜で設立して27年を経過している。
 27年と言えば相当な歳月である。
 自治体学会の会員には「自治体学の意味」は明晰であるのだろう。
 だが、もしかして自治体学会の会員も、自治体学会運営の中心にいる方々も、「自治体学の概念認識」は明晰ではない、のではあるまいか。
 しかしながら、自治体学会は規約第二条で「自治体学の創造をめざす」と定めている。
 自治体学会はそのように事業を企画し会を運営すべきであるのだが、運営しているであろうか。
 大学の講義担当者が「自治体学の概念説明」が明晰にできるような運営が望まれる。
  
北大公共政策大学院のシンポを聴いて
(カテゴリー: 自治体学理論
 北海道大学公共政策大学院シンポジウム 
  「地方の/からのガバナンス」を聴いて

 2013年6月29日の昼、北大正門の掲示板で、北大公共政策大学院の教官が「地方のガバナンス」を主題に公開討論を行うことを知った。
 日本社会は長い間、官僚が国家統治の名目で地方を支配してきた。その「カラクリ」と「地方政府への展望」が討論されるかも、と思い出席した。 
 ところが「これが北大大学院の知的水準であるのか」と、あまりの低さに唖然とした。 

基調講演は二人
 最初のTa教授は、『(北海道の)潜在力を「カタチ」にかえるために』の演題で政策提言を行った。
 提言の第一は、新千歳空港から札幌までの所要時間を、現在の36分を20分に短縮するため、「新幹線」または「ノンストップ特急」を整備する。その費用は「条例で法定外目的税を課税し」「空港施設利用料を引上げる」
 第二は、抜本的制度改革として「議員定数の是正」を提言した。
九州新幹線が北海道新幹線よりも先に完成したのは、北海道選出の国会議員の数が、九州よりも(人口比率で)少ないからである。北海道のために国会議員の定数を是正すべきだ、と述べた。
そして、札幌市域は192万人で28人の道会議員であるが、紋別市は2万人で1人である。札幌地域の道議会議員を増やすため、北海道議会の議員定数も是正すべきである、と述べた。
 (このブログを読まれる方は、本当にそのように話したのかと思うであろうが、このように話したのである。この他にも幾つかの提言を行ったが、あまりにも幼稚で粗雑であるので省略する)

二人目のNi准教授は
「情報技術による地域産業の活性化策」の研究実績を披露した後に  
1 合意可能な「地方の価値」を見定めることが重要である。
2 道州制の線引きは「どこで 誰が」決めるのか。
3 そのための「ガバメント 政策技術」はどのようなものか、
と論点を列挙した。だが、自身の所見は述べなかった。基調講演として不十分である。
 基調講演は(シンポ後半の)討論のためである。
 二人の話は主題と無関係でありすぎる。
(以上の要約は、報告者にはご不満かもしれないが、筆者の主意は「何が語られたか」よりも、主題に結び付いた論点が「語られなかった」ことにある)

 会場に配布された紙にも討論にも、「地方のガバナンス」が主題であるにも拘らず、「市民」「市民政府」「自治」の言葉は一言も無かった。
 世界の民主政治の潮流は、「集権・統治」から「分権・自治」へ、である。しかるに、北大教官は、旧態依然の「国家」「統治」「エリート政治」の政治学である。
 この方々の「ガバナンス」なるものは、「国家の政府」であり「国家による統治」である。ジョン・ロックの「市民の政府」でもなく「市民社会の政府」でもないのである。

 討論の締めくくりとして、司会をしていたYo准教授が、会場からの疑念に答えて、「自治」も「統治」も同じことであると述べた。この北大教官には「市民自治」も「国家統治」も同じことなのである。

 しかし、院生から(別の場所で)「市民社会の意味」を質問されたならば、カタカナ言葉を交えて得意然と饒舌に答えるのであろう。だがその知識は、状況追随思考が蔓延する現在の日本を見据えて、「市民社会への道筋」を模索する思考には役立たないであろう。
 おそらく、北大教官には「市民自治」も「市民自治の政府」も意味不明な言葉なのであろう。「国家統治」に対置する「市民自治」の概念も理解できないであろう。
 
 少しく失礼になったが、掲示を見て会場入り3時間を坐し、締めくくりの言説で、「所見」書く気になった次第である。

もう一つ、書き添えておく。
 2013年6月30日発行の「北大政治研究会会報」第34号に、
 山口二郎氏が「北大政治学の30年」の表題で所感を載せている。

 90年代を北大政治学の黄金時代であったと回顧し、優れた人材を集め得たのは、自分がスカウトとして一級の仕事をしたからだと書き、北大政治学に集まった方々のお名前を順次に紹介し讃えている。

 ところが、不可解なのは、神原勝氏の名前が出ていないことである。神原勝氏は1988年に北大に赴任し「地方自治論」を担当し、間もなく「北大に神原教授あり」「自治論は北大の神原教授」との評価を高めたのである。
 神原氏は2005年には北海道大学名誉教授に推挙されたのである。

 しかるに、なぜ山口二郎氏は17年間の研究と教育に専念した神原氏の名前を除外したのであろうか。不可解である。もしかすると、北大教官である山口氏の政治学評価は「国家」と「国家政治学」であり、「市民」「市民自治」「地方自治論」は評価に値しないから、であろうか。 
 まことに奇怪(きっかい)至極なことである。