■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
小平市の住民投票ーなぜ開票しないのか
(カテゴリー: 自治体学理論
  小平市の住民投票 - なぜ開票しないのか 
  
 東京・小平市で2013年5月26日、都の道路計画を巡り住民投票が行われた。5万1010人が投票したが、投票率は35.17%であった。
 小林正則市長は、投票率が住民投票条例に定めた50%に満たないから「開票しない」と言明した。
 なぜ、開票しないのか。これが問題である。

 投票箱の内にあるのは、投票場に足を運び投じた「市民の意思」である。小平の生活環境を真剣に考えた市民の意志である。なぜ開票しないのか。
 「他にも例がある」とか「小平市住民投票条例で定めたから」は、理由にならない。
 これは民主政治(市民自治)の根幹に関わる問題である。

「開票しない」との市長の言動は、市民から代表権限を信託された首長にあるまじき(あってはならない)言動である。住民意思を「闇から闇に葬る所業」である。
 投票率が如何ほどであろうとも開票すべきである。
5月20日。市役所で行われた記者会見 http://www.tbsradio.jp/ss954/2013/05/post-42.html
で、記者の「なぜ開票しないのか」の質問に(しどろもどろの弁明)返答であった。政治信念の無さを露呈しいた。

 おそらく、小林市長と市議会(多数派)は、仮に投票率が50%を超えて開票したとしても、「住民投票には拘束力は無いのだ」と言い募り、投票に示された「住民意思」に従わない(=尊重しない)であろう。その延長に「開票しない」の真意があるのだ。
 開票しない(したくない)と言明する市長の真意は何処にあるかを見抜く賢明さが民主主義には不可欠である。
 市長は、四年の期限で「代表権限を信託された」のであって、小平市の重大問題に投票した住民意思を「開票しないで廃棄」する権限は、市長にも議会にもない。信託は白紙委任ではないのである。 

 市長の「開票しない」の言明について、「弁護士ドツトコム」の稲野正明弁護士の見解がインターネットに流れている。
 「間接民主主義ですから、住民投票は議会や市長が参考にするもので、住民投票はそんな程度のものです」「住民投票に法的拘束力はないのです」「税金を使って行った住民投票だから、開票しないで捨ててしまうのは、少々もったいないとも言えるが」と述べている。
 この所見は「裁判法廷の場を職業とする者」の思考である。つまり法律条文を唯一と考える人の所見である。
司法試験に合格する法律の勉強をしただけで、法律条文を超える世界を想像することができないのである。そのような人には(失礼ながら)現代社会の重大問題に応答する才覚は無いのである。

 ドットコムの弁護士の方々に申し上げたい。
 現代社会の問題は「法的効果」が全てではない。
 小平市の住民投票の問題は「政治的効果」が重要なのだ。即ち、「市民の自治力」が「市民社会を良きものにする」のである。
 思考の座標軸にその視点が無ければ「三文の値打もない」所見である。
 インタビューに答える資格はない。
 稲野弁護士にはそれを気付いてもらいたいものである。

 話しは少し横に動くが、現在、全国各地で「原発民衆法廷」が開催されている。だがそれは「原発反対キャンペーン」であって「民衆法廷」ではない。
 「サルトル・ラッセル国際法廷もどき」で開催しており、参会者は盛り上がり自己満足しているが、ドットコム弁護士と同様の思考の座標軸に欠落がある。

 「民衆法廷」を名乗っているが、民衆法廷とは言い得ない。
 「如何なる規範」で裁くのかの規範論理が曖昧だからである。民衆法廷を主宰している判事の規範論理は「既成の国家規範」である。「市民の自治規範」ではない。
 であるから、国家権力と原子力村には「痛くも痒くもない」イベントになっている。再稼働に賛成する自治体首長に対しても裁き(痛撃)になっていない。新聞・テレビの幹部からは「シンポジュウムの一種である」と評される。
 これが実態である。

 さて本題であるが、
 (ドットコム) の弁護士だけではない。大新聞の論説も同様である。
 本日(5月28日)の朝日新聞の社説「小平住民投票」を一読して「腰の引けた」社説であると思った。
例えば、投票に行く人は「見直し派」、投票しない人は「見直し不要派」に分かれてしまった、と尤もらしく分析するのだが、「道路計画に賛成だから投票に行かない人」と「無関心だから投票に行かない人」を合体させるやり方で、投票率を50%以下にさせる(意図)を分析しない。
 この「50%条項」なるものは、吉野川可動堰に反対する住民運動に対して、徳島市議会で考え出された「住民投票を不成立にする戦術」である。即ち、住民投票を不成立にするための「組織的投票ボイコット戦術」であったのだ。
 そのことは、岩波新書「住民投票」(今井一)に明確に記述されている。朝日の論説委員がそれを知らない訳はないのだ。だが意図的に「50%条項そのもの」には言及しない。
 あるいはまた、この社説は冒頭に「投票率が50%以上でなければ成立せず開票もされない。そんなルールで行われた」と書き始める。この書き出しが「執筆論説委員の感覚(批判的思考力を退化した現状肯定の人生態度)」を物語っている。なぜなら、論評するべきは「そのルール」であるのだ。しかるにそのルールを所与の如くにまず書いて「論点をズラした文章」にする。(これが大新聞の論説員の通常であるのか。朝日の社説は読む気がしないとの声を聞くがこのことか)

 「投票率が50%以下であれば住民投票は成立しないものとする」としたそのことをジャーナリズムは論じるべきである。
 住民投票は行われたのである。投票率を理由に「住民投票は成立しなかったものとする」は、道理に反するではないか。
 投票率に拘らず「開票する」は当然のことではないか。
 投票率があまりにも低い場合には「投票結果の評価」の問題が生じるであろうが、それは開票後の問題である。 徳島市議会の異常な事例(組織的投票ボイコツト戦術)を先例のように考えるのは誤りである。

 「なぜ開票しないのか」「開票を避けるのは何故か」「なぜ開票を怖れるのか」
 市民は小平中央公園の雑木林や玉川上水の緑道を損ね、住宅二百二十戸の立ち退きを迫る道路計画に反対しているのである。これが小平住民投票の真正の論点である。

 さらにまた、朝日社説は「投票率の要件を定めた方が良いこともある」と、尤もらしく論点を提起する。だが、自民改憲の「国民投票法は投票率を定めていないこと」には言及しない。この問題は参院選を目前にした国民には重要論点ではないか。「重要論点であるから言及しない」のであるのなら、「何をか謂わんや」である。
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