■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
神奈川県人事委員会の理不尽な審理
(カテゴリー: 神奈川県人事委員会
    神奈川県人事委員会の理不尽な審査

 神奈川県は40年前(1972年)、「吏員・雇員」の差別廃止を求めた職員の抗議行動を懲戒処分にした。

 処分の正当性を争う不服申立を受理しながら、神奈川県人事委員会は40年間審査を行わず放置した。
 地方公務員法50条は「ただちに審査しなければならない」と定めている。速やかに公開審査を行うのが人事委員の職責である。

 40年を経過して始まった第三回公開審理(2013年4月24日)を傍聴して、審査長(人事委員長)の審理進行の理不尽さに唖然とした。

 冒頭、申立人が「前回、私を如何なる理由で、他の申立人の審理を傍聴させなかったのか」と尋ねた。審査長の形式的な返答をめぐり「やりとり」が続き、後列の事務局職員がメモを手渡した。審査長はメモを視て「審理に入ります」と宣言した。結局は申立人の質問に答えなかった。
 審査長は「なぜ傍聴させなかったのか」を平易に説明するべきだと思った。それが公開審理というものであろう。
 仮にもし、申立人が前前回に、審理進行を妨げる言動を行ったとしても、同様の言動を再び行うとは限らない。客観性のない予測で「不服申立の当事者」を傍聴させないのは、民主社会のあり方として妥当でない。 
 つまり、審査長は正当な説得性のある「説明ができない」から「審理に入ります」と宣言したのであろう。 

 次いで申立人から、40年間審査を行わなかったのは、「処分者」と「人事委員会」の双方が、「申立人の取下げ」を待っていたからであり、人事委員会は地方公務員法の「迅速な審査を行う責務」に違反したと述べた。
 申立人の陳述中に、再び後列の事務局職員が審査長にメモを手渡し、審査長は「本筋でないことを言い続けるのは審理を続ける気持ちのないものと判断して審理を打ち切ります」と宣言した。
 
 不服審査とは、「処分者の処分理由」が「正当か否か」を審査するものである。「被処分者の利益を保護する」制度である。審査場には、懲戒処分を行った行政側の関係者が、申立人に向い合って坐していたのだから、審査長は処分者に処分理由の釈明を行わせるべきである。
 そしてまた、吏雇員制度廃止の抗議行動は多数の職員が行ったのである。なぜ14名だけが処分されたのか。
被処分者が減給6か月、2か月、戒告になぜ分かれているのかも、審査長が処分者に釈明を求めるべきである。
 それが「不当な不利益処分から職員を守る」第三者機関の公開審査である。ところが、処分者側の関係職員に一言も発言を求めず釈明もさせなかった。
 これでは「公平な審査と言えない」と思った。

 第三回審理に用意されていた時間は、10時30分から12時までの90分であった。だが、審査長は事務局職員が差し出したメモによって25分で審理を打ち切った。まるで事前に決めていた手筈のように思えた。
 申立人は「発言してよろしいか」と審査長に了承を得て陳述していたのであり、会場が騒然としていたわけでもない。

 審査長は事務局職員の指図に従うのではなく、自身の見識で審理を進行すべきだと思った。
 公開の口頭審理を打切るのは、重大判断であるのだから、審査長は両側に坐している二人の委員とも協議して決すべきではあるまいか。二人の委員もただ黙然と坐していないで助言すべである。
 行政委員会である人事委員会の審理は、司法裁判所の訴訟指揮とは異なる「関係者が正当性と信頼性を感得する」口頭審理の進行をなすべきであると思う。 
 
 隣席で傍聴していた女性は、審査長の「これで本日の審理を終わります」の言葉に「吾が耳を疑いました」と語った。
 傍聴席から拝見した三人の人事委員の表情には、失礼ながら、職員の不利益審査をする「職責の念」を診ることはできなかった。
 審査委員は次の方々である。
  委員長 高井 佳江子 弁護士
  委 員 山倉 健嗣 横浜国立大学教授
  委 員 西森 義博 元神奈川県議会事務局長

 このような「理不尽な審理」が行われるのは、公開審理とは名のみで、関係者だけの密室のような場であるからだと思う。傍聴者が多数居たならばこのような理不尽な審理はできなかったであろう。
 三人の人事委員は、申立人らが後日に審理不当を言い立てても、世間には伝わらず、さほどの問題にはならないと考えているのであろう。

 新聞記者が一人でも居たならば、かかる理不尽な審理にはならないであろう。
 世の不正なること邪なることを制すは「多くの人が知る」である。

 神奈川県人事委員会は、おそらく形だけの審理で済まし「請求棄却の審決」をする心底ではあるまいか。
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「市民」と「住民」の違い
(カテゴリー: 自治体学の基礎概念
  「市民」と「住民」の違い

[市民]
 市民とは、自由で平等な公共性の価値観を持つ「普通の人」である。普通の人とは「特権や身分を持つ特別な人」ではないという意味である。
 
「市民」は、近代西欧の「Citizen」の翻訳語である。福沢諭吉が「社会を担う主体的な個人」の成熟を念願し期待して翻訳した言葉である。シティズンは、近代イギリス市民革命の担い手で「所有権の観念」を闘いとり「契約自由の原則」を確立した「市民社会の主体」である。

 福沢は「一身の独立なくしては」と唱え、自由と平等の精神を持つ自立した人間が開国日本に育つことを希求したのであろう。「シティズン」が有している自由と平等の考え方を導入しなければと考えたに違いない。
 自己の才覚で利益も損失も判断していきいきと市(いち)で働く庶民こそが「シティズン」の訳語にふさわしいと考えたのであろう。「市民」(いちみん)と翻訳した。

 だが、福沢が期待をこめて翻訳した「市民」は使われなかった。
 明治政府は、皇帝が君臨していた後進国ドイツの国家理論を手本にして「帝国憲法」をつくり「教育勅語」によって忠君愛国の「臣民」を国民道徳として教えこんだ。臣民とは天皇の家来である。絶対服従の家来である。自立して社会を担う主体の観念はタブーであった。

 1945年8月の戦後も使われなかった。弾圧されていた社会主義の思想が甦り、「市民」は「所有者階級」と考えられた。使われた用語は「人民」であった。リンカーンのPeopleも「人民の、人民による、人民のための政府」と訳された。
 都市的生活様式が日本列島に全般化し地方分権たらざるを得ない一九八〇年代に至って、ようやく、福沢が期待をこめて訳語した「市民」が使われるようになった。
「普通の人々」によるまちづくりの実践が全国に広がったからである。

 しかしながら、人間は誰しも自分が体験しないことは分からない。国家統治の官庁理論の人々には「住民」と「市民」の違いが分からない。
 行政機構の内側に身を置いて官庁理論でやってきた公務員には、市民運動の人達は目先利害で行動する身勝手な人たちに見えるのであろう。そしてまた、公共課題の解決のために地域の人達と連帯して行動し、感動を共有した体験のない学者や評論家は「合理主義・個人思想・人権革命の歴史を持たない日本では市民などはいないのだ」などと言うのである。
 
 近代市民革命の時の市民は「有産の名望家」であった。しかしながら、現代の「市民」は公共性の感覚を持ち行動する普通の人々である。都市型社会が成熟して、普通の人々が市民である条件が整ったのである。
 「市民」とは「公共社会を管理する自治主体」である。

[住民]
「住民」とは、村民、町民、市民、県民など、行政区割りに「住んでいる人」のことである。そして「住民」という言葉は、住民登録・住民台帳・住民税というように、行政の側から捉えた言葉である。
 行政が統治し支配する客体が「住民」である。住民は被治者で行政サービスの受益者である。「住民」という言葉には上下意識が染み付いている。その上下意識は住民の側にも根強く存続しているのである。

 長い間、行政法学は「行政」を優越的主体と理論構成した。そして「住民」は行政執行の客体で被治者であった。「住民」という言葉には「自治主体」の観念は希薄である。そこで、「住民」を「市民」との対比で定義するならば、「住民」は自己利益・目先利害で行動し行政に依存する(陰で不満を言う)人で、行政サ―ビスの受益者とされる人である。

 「市民」は、公共性の感覚を体得し全体利益をも考えて行動することのできる人。政策の策定と実行で自治体職員と協働することもできる人である。しかしながら、「市民」も「住民」も理念の言葉である。理性がつくった概念である。実際には、常に目先利害だけで行動する「住民」はいない。完璧に理想的な「市民」も現実には存在しない。

 実在するのは「住民的度合いの強い人」と「市民的要素の多い人」の流動的混在である。だが人は学習し交流し実践することによって「住民」から「市民」へと自己を変容する。人は成長しあるいは頽廃するのである。

 都市型社会が成熟して、生活が平準化し政治参加が日常化して、福沢の「市民」は甦ったのである。
「自治体」と「地方公共団体」
(カテゴリー: 自治体学の基礎概念
  「自治体」と「地方公共団体」

・読売新聞や産経新聞ですらも、中央集権から地方分権への時代思潮の転換によって、今では「地方公共団体」の言葉は使わない。「自治体」で記事を書いている。
・「地方公共団体」を今でも意図的に使っているのは総務省官僚である。地方を支配したいからである。「地方公共団体」は国家が(実は官僚が)地方を支配するための内務官僚の用語である。

1.「自治体」の概念をめぐって次のような見解が錯綜している。
(1) 「自治体」とは「政府」のことであるから「市民」は含まない。
(2) 「自治体」とは「市民」と「政府」の双方を包含する言葉である。
(3) 役場の文書や会議で使う「自治体」は「都道府県庁、市役所、町村役場」のことだ。
(4) 役所だけを「自治体」と僣称することに違和感を覚える。
(5) 自治体とは「まち」のことで、自治体は空間的イメージである。

 さて、概念・用語は思考の道具である。理論的思考力を高めるには基礎概念を曖昧に使用してはならない。吟味が必要である。
 概念を曖昧に使用しないために具体的に考えたい。
 例えば
・神奈川
・神奈川県
・神奈川県庁(知事と行政機構・神奈川県議会)
・神奈川県民
・神奈川県庁舎
と並べたとき、「自治体」はどれを指す言葉であろうか。

 「自治体とは地方政府のことだ」と考えると、自治体は神奈川県庁・県議会になる。だがそれなら「神奈川県」は自治体ではないのか。自治体でないのならば「神奈川県」は何なのか。あるいは、「神奈川県」も「自治体」だと考えるのならば、神奈川県と神奈川県庁の違いをどう説明するのか。
 市民生活の観念としては「神奈川県」と「神奈川県庁」は同じではない。異別の存在である。そしてまた、行政の幹部職員が「神奈川県の方針は」「神奈川県といたしましては」などと言う時がある。

 この言い方に対して、「神奈川県とは県庁のことなのか」「県庁が神奈川県の公共課題のすべてを独占するとでも言うのか」との反感的批判がある。
 「県行政といたしましては」「県庁の方針は」と言うべきだ、との批判的反論がある。
 
 さて、旧内務省の言葉遣いでは「地方公共団体」と「県庁」は同義語であった。住民は行政の被治者であって「自治主体」ではない。お上の官庁を県民が批判し制御する「政治主体」を認めない。だから「お上である県庁」がすなわち「地方公共団体」であった。
 しかしながら、旧内務省用語で基礎概念を混同してはならない。とりわけ、行政職員に「神奈川県」と「神奈川県庁」を曖昧に混同させてはならないのである。同様に「自治体」と「自治体政府」の概念も曖昧に混同してはならないであろう。

 神奈川県が「自治体」であって、神奈川県庁(代表機構と代行機構)は「神奈川県の政府」すなわち「自治体の政府」である。そして、その「政府である神奈川県庁」を「神奈川県の市民」が制御するのである。
 すなわち、「自治体」は「自治主体の市民」と「制度主体の政府」との緊張関係で運営されるのである。こう考えるのが「自治体学理論」である。
この考え方に次のような反論がある。

 [反論─自治体とは政府のことだ]
 「自治体という政府」に市民・住民は含まれない。「政府形成権力である市民」を「市民に奉仕するべき政府」と同列に扱うのはデモクラシーの原理に反する。
 自治体は市民がつくる政府制度であり政治機関である。
 憲法の「地方公共団体」を「自治体」に置き換えて読めば、自治体は明らかに「政府」(政治・行政機構およびその活動一般)である。
 自治体に「市民」を含める考え方は「国民・領土・政府」の三つを国家の構成要素とする「国家三要素説」を連想させる。国民が政府・領土と同列に置かれて「国家の要素」になるのと同じ考え方である。
 概ねこのような反論である。

 だがしかし、国家を「国民、領土、統治権」であるとする「国家三要素説」は、国家を絶対・無謬の統治主体にするための「虚構の論理」であったのだ。
 そして、「国家」と「自治体」は、方向が正反対である。
 「国家」は「統治主体」として「国民を統治」する。「国民」は「国家の要素」であり「被治者」であるとされる。
 これに対して、「自治体」は「市民」が「政府」を選出し、制御し、交代させるのである。「自治体」には「自治主体として市民」が成熟しているのである。
 さらにまた、いわゆる「国家三要素説」は「国民・領土・統治権」であって「国民・領土・政府」ではない。国家三要素説の「国家の観念」には「市民が選出し制御する政府の観念」は、いまだ熟成していないのである(現在は「国家」と「政府」を曖昧に混同させることが問題なのである)。

 自治体を「市民(自治主体)と政府(制度主体)」の「信頼委託・緊張制御」によって運営すると考えるのが「市民自治の理論」であり「代表民主制度の理論」である。
 この考え方を「市民と政府を同列に論じるものでありデモクラシーの原理に反する」と批判するのは、当を得ていないのではあるまいか。
 そしてまた、「自治体」が論点になっている時に、「自治体という政府」を「主語」にしての立論は論理的ではないであろう。

2 政府と自治体
 そもそも、「政府」と「自治体」は同じ意味の言葉であろうか。同じ意味であるならば、なぜ二つの言葉を時によって使い分けるのか。
 自治体を政府だと主張する意図は、おそらく、これまで「県庁や市役所」は「地方行政機関」であり、「県や市」は「地方公共団体」であった。そこで、中央に従属しない「地方の自立」を強調するには、「自治体」と「政府」を理論化しなくてはならない。すなわち、「地方公共団体」を「自治体」へ、「地方行政機関」を「政府」へと転換する理論である。
 
 「政府の理論」はこうである。現代社会では前例の無い公共課題が増大する。公共課題を分類すると、国際社会で基準を約定して解決する公共課題と全国基準で解決する公共課題と地域で解決する公共課題の三分類になる。これら公共課題を解決する政府も「国際政府と中央政府と地方政府」の三つに分化するのだ」と説明する。
 
 「自治体の理論」は少し厄介である。
 「国家」を「絶対無謬の統治主体」だとする「虚構の国家理論」を打破しなければならない。そこで「国家」を「人々(市民)」と「政府」に分解して「国家」なる言葉を使わず「市民」と「政府」の理論にしたい。「国家法人理論」から「政府信託理論」への転換である。「国家の観念」には「絶対・無謬の統治主体の観念」が染み込んでいるからである(注3)。
 ところが「政府」とは別の「自治体」を認めると、「中央政府」とは別の「国家」が甦る。それは困る。そこで「自治体とは政府のことだ」になった、のではあるまいか。
 
 しかしながら「神奈川県」と「神奈川県庁」は明白に異別である。
 同様に「国家」を忌避しても「日本国」と「日本国の政府」と「日本の人々(市民)」を指し示す言葉は必要である(国民は「国家の国民」になるからなるべく使わないようにする)。
 ここで確認しておくべきは、「神奈川県庁」はいまだ「政府」になっていない。「神奈川県」もいまだ「地方公共団体」であって「自治体」になりきっていない(その途上)ということである。
「自治体」「自治体政府」「市民」は「国家統治」から「市民自治」への転換を目指す「実践概念」である。

「実践概念」を理解するには「理論とは何か」の考察が必要である。
理論には「説明理論」と「実践理論」の二つがある。
「説明理論」は、事象を事後的に客観的・実証的・分析的に考察して説明する。
「実践理論」は、未来を予測構想し現在に課題を設定して解決方策を考え出す。

「何が課題で何が解決策であるか」を見究めるのは「経験的直観の言語化」である。経験的直観の言語化は困難を覚悟して一歩前に出た実践によって可能となる。大勢順応の自己保身では経験的直観の言語化はできない。人は経験しないことは分らないのである。

 実践理論は歴史の一回性である実践を言語叙述によって普遍認識に至らしめるのである。
 (実践概念の意味は「新自治体学入門(時事通信社)」の第三章に述べた)

「知っている」と「分かっている」は同じでない。
「分かっていない人」とは、波風がないときには (自分に非難が返ってこないときには)立派なことを言うけれども、素早く不利になると判断したときには、「黙り、曖昧なこと」言う人である。両者の違いは「覚悟して前に出た実践体験」の違いである。
 未来を構想し現在条件を操作するのは「規範概念による思考」である。
「市民行政」も「市民自治」も規範概念である。「規範概念」を了解し会得するには「実践による自己革新」が不可欠である。利いた風な言葉を操るだけの現状追随思考の人には「規範概念の認識」は曖昧で「漠然たる認識」である。
「覚悟して一歩前に出た実践」による「主体の変革」なくしては「課題と方策の言語叙述」はできない。即ち、「実践」と「認識」は相関するのである。

 「地方公共団体」とは「地方の行政団体」であって、そこにいる人々は「被治者としての住民」である。
「自治体」には「自治の主体である市民」が「代表権限を信託した政府」を組織して制御しているのである。
 「地方公共団体」と「自治体」の違いは、「政府」と「市民」が成熟しているか否かの違いである。

 以上は自治体学の基礎概念の考察である。
 「市民」と「住民」の違い、についても同様の考察が必要である。