■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
「政策型思考と政治」の読書研究会を終えて
(カテゴリー: 自治体学理論
 2月22日、大阪自治体学会の方々と談論した。
 「橋下維新の会」が話題になった。橋下政治は「集権統治」である。「市民自治」ではない。
 されば今こそ「市民自治の自治体理論」である。そして「自治体学会に活力の蘇り」が必要である。それには「自治体理論の研究討論」の継続開催である。そのテキストには『政策型思考と政治(松下圭一著)』が最適である。

 そこで、北海道の自治体職員が刊行した『論集・政策型思考と政治を読む』の巻頭文を掲載する。
 
  「政策型思考と政治」の読書研究会を終えて

 2年9カ月で文字どおり全頁を精読した。
 本書が出版されて以来、全国各地でこの本をテキストにした読書会が数多く開かれている。だが「扉のことば」から「あとがき」までを完読した読書研究会は少ないであろう。
 なぜなら、この書物は「政治・政策と市民」の理論体系書であるから、既成観念に捕らわれていたのでは理解できない。完読するには集中力が必要である。集中力の持続を可能にする運営が読書会にないと息切れして閉店休業になる。大抵の読書会は完読できず終息している。

 「政策型思考研究会」と命名し月一回一章ずつの進行とした。
 夕刻の短い時間で一章を理解するのは困難で無理である。無理ではあるが、そうしなければ完読できない。理論体系書であるから完読しなければ意味がない。
 ところが、理論体系書であるからどの章も他の章と密接につながっているので、次の章で前章の意味と用語が判然としてくることが屡(しばしば)であった。
 また、目次の「星印」は体系の区分であるから、そのところで振り返りの自由論議を行って咀嚼を助け合うようにした。巻末の索引も重宝した。
 索引に示されているページを捲って書物を横に読めば用語の意味が判然としてくる。また、語句に付けられている四種の括弧「」『』〈〉《》の意味をその都度話し合つた。

 論議するべき点を見出すため各章毎の報告者を定めた。
 報告者は「書かれていることを理解するために」何回も読み返してメモを作成した。
 だが「テキストの文章と用語で」「このようなことが書いてある」の説明は不可とした。自分の言葉で言えなければ真に分かったではない、そうでなければ納得理解したにならないからである。全員が読んできているのだから、自身もよく分かっていない報告者の講釈は時間の浪費である。
 研究会であるから、まず、報告者自身が「よく分からない用語と叙述」「成るほどと思い賛同したのはどのようなことか」「このような理解でよいのだろうかと思うこと」を提出して話し合った。

 本書は難解か
 難解だと言う人が少なくない。文体が馴染めないと言う人もいる。
 問題はなぜ難解だと思い馴染めないと感じるのかである。
 この書物を納得し理解するには、自身の「政治イメージ」と「基礎概念」の再吟味が不可欠である。自身の政治イメージを問わず基礎概念の吟味を拒む人にはこの書物を正当に理解することはできないであろう。誰しも、自身の基礎概念を問い直すのは緊張感が伴ない苦痛であるから、無意識的に「難解の防御壁」をめぐらすのではあるまいか。
 この書物は扉にも書かれているように「国家観念との別れの書である」。既成の国家学理論を転倒するから易しくはない。易しい筈がないではないか。
 問題は、読んで成る程と納得するか否かである。確かにそうだと思うかどうかである。 納得すれば次第に難解と思わなくなる。そしていつの間にか「分かりやすくて読みやすい」書物になる。
 例えば実際の話として、松下教授の書物が刊行されるたびにテキストにして学習会を続けている大阪の市民文化団体の人達は「松下さんの本はどれも分かりやすくて読みやすいですな」と言う。明治以来の国家学の理論に呪縛されていないからである。自由で自立した市民であるからだろう。つまり、国家学の政治・行政の理論に馴れ親しんでいる人にはその分だけ難解になるのであろう。

 読書研究会の成果
 いつの間にか、当初は難解と言っていた「概念・用語」で語り合うようになった。
 例えば、岩波新書「日本の自治・分権」「政治・行政の考え方」は、実に分かりやすいと言うようになった。それは、漠然とした理解のままではあっても毎回一章ずつ進行した悪戦苦闘の手探り読書研究会の成果であると言えよう。
 なによりの成果は、自身の仕事を市民の立場で考えるようになった。政府間関係理論や政府信託理論で、道庁と市役所・役場のあるべき関係を語り合い、自治体をめぐる日常的な問題を「政策情報」「市民自治」「政策開発」「参加手続」などの概念で考えるようになった。つまり、事象を理論的に考察する視座を持ったと言えよう。それは「国家統治の官庁理論の呪縛」から自らを解き放ち、「市民自治の自治体理論の考え方」を確立したと言えるであろう。地方公務員から自治体職員への自己変革である。

 思考の座標軸に最適の書
 私は、北大の大学院の演習でもこの書物をテキストにした。現在の北海学園でも大学院で使用している。なぜこの書物をテキストにするか。
 この書物は、各人が自身の思考の座標軸を形成するに最適の書だからである。
 現在日本は都市的生活様式が全般化した社会である。どの山村、僻地、離島にも工業文明的生活様式、情報産業的生活スタイルが広がっている。かつてなかった事態である。そこには前例のない公共課題が噴出している。噴出しているのだが前例のない課題であるから公共課題として設定できない。前例のない課題であるから解決できない。これまでの手法は役に立たない。解決方策を開発しなければならない。何が課題であるかを考えるには座標軸が必要である。
 前提条件がガラリ変わっているのだから、既存の学問も「思考枠組」と「基礎概念」の再吟味が不可欠である。この書物は思考の座標軸を形成するに最適の書である。(1998年8月)
 
 そして「北海道土曜講座の16年」を検証した『自治体理論の実践』(公人の友社刊)を併せ薦めたい。


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社会民主党ー新春講演会
(カテゴリー: 講演会

2012年 社会民主党 新春講演会 (当日のビラ)
  と き 2012年2月4日(土) 14時から16時
  ところ 札幌市北区民センター 1階集会室
  演 題 「混迷する政治と政党不信を考える。」
  講 師 自治体政策研究所理事長 森  啓
 
レジュメ
1 政党政治への不信
・どの政党も支持しない。どの政党にも投票したくない。
・有権者は「国会の論議」は「自分たちの生活」とかけ離れていると思っている。
・政治不信・議会不信・行政不信が蔓延して代表民主制度が機能していない。
・だが、民主制度下で「リーダー待望」が高まるのは「危うい」

 大阪で橋下が投票率を高め勝利した。
 なぜ投票率が高まり、橋下が勝利したか。
 内橋克人は、朝日新聞(1月8日)に
 ・新自由主義経済で貧困マジョリティが出現した。
 ・そのマジョリティは権力に抵抗する力なく 生活に追われ考える余裕もない。
 ・精神のバランスを保つために「鬱憤ばらし政治」を渇望し
 ・政治の混乱を面白がり自虐的に表面的評価で選挙権を行使したと分析した。

・橋下支持と小泉支持は同型
 公務員をバッシングし人々の憤懣を満たし「現状をひっくり返す」と叫んで、自らを「改革者」として演出した。有権者には、共産も加わった「反橋下連合」は「現状継続の連合」に見えた。
 小泉の「官から民へ」「構造改革」「既成緩和」のとき、政党・議員・学者・労働組合は「有効な反論」ができなかった。今回の橋下にも説得力のある反論を出せなかった。なぜ出せないか。「ハシズム批判」よりも、有権者は「それでも何かは変えてくれるだろう」と投票した。
・橋下の「大阪都構想」は「大阪の自立」ではない。橋下は国家権力志向である。衆院進出がその正体である。
 それにも拘らず、なぜ「選挙民の心に響く」反論を提出できないのか。
 民主の「地方主権」は「橋下の大都構想」と同程度の曖昧漠然である。共産の「民主中央集中制」は「市民自治」とは真逆の「集権」である。
 「反橋下連合」は心底から「現状変革」を望んでいない陣営であった。だから「有権者の心に響くメッセージ」が出せないのである。

2 現代社会の思考軸
・現代社会の対抗軸は「国家統治」対「市民自治」である。
 かつての対立軸は「資本主義―社会主義」であった。「ブルジョア対プロレタリア」の「イデオロギ対立」であった。しかしその頃の人々は「賃労働と資本」「ドイツイテオロギー」「共産党宣言」を学習した。当時の役員には献身性、自己犠牲、純粋性があった。
 だが今の労働組合の幹部は「根回しの多数派づくり」であり「状況追随思考」である。
かつての労働運動は反体制であった。現在の労働組合は「勲一等受勲団体」である。労組役員は「心底から現状打破」を望んでいない。現状打破の「情熱と論理」を失っている。だから橋下の煽動発言に対抗できないのである。

 現代は科学技術が高度に発達し生産力が増大した社会である。
 アメリカでは「1% 対 99%」「あまりに不公正だ」のプラカードが掲げられ「オキュパイ」の市民運動が広がっている。新自由主義政策で圧倒的多数は貧困層になり、中間(ミドル)層は没落し貧困化した。
 日本も、中曽根―小泉から、新自由主義政策が強まり「派遣労働・非正規労働」で若者は街頭に投げ出された。キャノンの御手洗は「非正規の若者が30代40代になっても50代になっても」このままでと要望した。政府は「分りました」と応じた。正規労働者の超過労働にも「割増賃金なし」でと要望した。
そのとき、国会議員と労働組合は本気で対決しなかった。反対したのは社会民主党であった。
 現在の労働組合の主流派は現状維持の既得権擁護である。役員は自分の役職を守る保守である。
 現代社会の変革主体は市民である。世界の動向もそうである。だが変革主体たるには「考える力」が必要である。「思考力」には「論理構成力」を高める「理論」が必要である。その理論は「市民自治の自治体学理論」である。国家統治の国家学理論は支配の側の理論である。
 すなわち、現代社会の対抗軸は「国家を隠れ蓑にする中央支配」対「地域における市民自治の実践」である。
 
3 「市民自治」とは如何なる理論か
 例えば、選挙は代表者選出の手続ではない。代表権限の信託契約である。身勝手な言動は信託契約の違反である。信託違反を監視するのは市民の責務であり権利である。市民は選挙の翌日に陳情請願の立場に逆転してはならないのだ。
 ところが、御用学者が「国家統治の国家学」で「市民の自治力」を眠らせているのである。そして残念ながら、国会議員も自治体議員も知事も市町村長も「国家統治の国家学理論」に飼いならされているのである。

4 社会民主党
・チャンスである。だが「同じ穴のムジナ」と思われている。言葉でなく行動である。
 市民運動との連帯である。かつて土井たか子さんは「市民と連携」を唱えた。
・社民党は地域で公開政策討論会を開催し定例研究会を継続開催することだ。
・思考力を高めるため「岩波・世界」の購読を薦める。