■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
騙されてはならない
(カテゴリー: 原発災害
 「騙されてはならない」

 報道によれば、気仙沼や陸前高田などの海岸一帯に、高い津波防壁を建設するとのことである。
 海が見えなくなる壁の建設である。
 日常生活と海との遮断壁である。
 先年、奥尻島に行ったとき、海岸一帯の「巨大壁」を目撃して「刑務所の塀」を連想した。
 映画「老人と海」では、老人(スペンサートレイシー)が毎朝、海の色を眺めて「今日の漁獲」を呟いていた。
 朝に夕に漁民は海を眺めるのである。

 現地の方々に申し上げたい。
「遮断壁の建設」を主張している人に注目することです。「生命(いのち)には代えられない」の言い方で、誰が「声高に壁の建設」を主張しているかです。「後は野となれ山となれ」の人に騙されてはならない。
海岸地帯の故郷で暮らすには、海が見えない「遮断壁の建設」ではなくて、「地震のときには避難する」の習慣です。避難場所と避難経路の整備です。
 津波は海面の上昇ですから巨大な力です。壁では停止できないのです。

 被災地の暮らしに「何が最重要か」の論議を為さずして、巨額の復興予算が民主・自民・公明の賛成で決まった。
 だがしかし、巨額予算を決議した政党の何人の議員が、現地を視察したであろうか。国会議員の何人が福島の放射能被災地に赴き「自身の責務」を顧みたであろうか。
 現地では「巨額復興予算」にハイエナの如く群がり熱気が高まっているであろう。これらハイエナと巨額予算を決議した議員の多くは繋がっているのであろう。

 12月20日のNHK「百年インタビュー」で、経済評論家の内橋克人さんが「危機便乗型資本主義」が始まっていると指摘した。即ち、戦争や災害などの惨状に便乗して莫大利益を目論む資本主義(経済活動の自由主義)を警告された。

 「安全」よりも「建設費(コスト)」優先で、原子力発電所を建設させたのは「誰であったか」。今日の惨事を招来させた犯人は誰か。
 NHK・ETV特集「原発事故への道程」を視れば「誰であるか」が判る。(それは三人である)。
 今回の大惨事の責任者は誰か。責任者が居なくて惨事は生じない。
 しかるに、国会もメディアも学者も、政党も労働組合も、「それ」を言わない。
 「テレビ番組」は「自然災害」と「利権災害」を意図的に混同する。混同して「責任者を問う」を意識的に避けている。

 現在日本の「タブー」は「責任者は誰かを問題にしてはならぬ」である。
 科学者はなぜ「地域全体をすべて除染することはできないのです」「自宅には帰れないのです」と真実を語らないのか。語るのが「科学者の良心」ではないか。
 語らないばかりか、電子工学の講座がなくなっては「メシの食いあげだ」と「原発安全」を唱える学者が現にいる。北大工学部にもいる。

 いつの時代にも権力(利権)は人々を騙す。「騙す権力」は邪悪である。
 だが「騙される人々」も愚かである。騙されてはならない。
 内橋克人さんは「百年インタビューの結び」でそのことを強調された。

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「市民行政」
(カテゴリー: 自治体学理論
   「市民行政」

 「市民行政」を主題にした公開研究討論会が、北海学園大学開発研究所と自治体政策研究所の共同主催で2011年11月19日、北海学園大学で開催された。
 当日の論点であつた「市民行政の概念」について要点を掲載する。
 (なお「討論内容」は「月刊・財界さっぽろ」2012年1月号に6頁に亘って掲載されている)

1 市民行政

「市民行政」とは「行政不信」の現状打開をめざす実践概念である。
「実践概念」であるから、既成学の「説明理論」では理解が困難である。理解できないから「疑問」と「誤解」が生じる。現に北海道自治体学会のMLに「反感的疑問」が流れた(2011-11-18)。

 市民行政とは、市民が行政庁舎内で「行政事務」に携わることである。
 既成の行政法学は「行政事務は公務である」「公務は公務員身分を有する者が行う」と考える。だから「市民行政」が理解できず容認できない。
 これに対し、市民自治の自治体学は次のように考える。
これからは「公務員の行政職員」と「市民の行政職員」の二種類の行政職員が存在する。「市民の行政職員」は「代表権限を有する首長」が任期内で委嘱する。

 以下、「市民行政の概念」について論点を記述する。

 理論には「説明理論」と「実践理論」の二つがある。
「説明理論」は事象を事後的に客観的・実証的・分析的に考察して説明する。
「実践理論」は未来を構想し現在に課題を設定して解決方策を考え出す。  
 実践理論は歴史の一回性である実践を言語叙述によって普遍認識に至らしめる。

「実践の言語叙述」とは「経験的直観を言語化する」ことである。
「何が課題で何が解決策であるか」を考えるのは「経験的直観の言語化」である。
 (「実践概念の意味」は「新自治体学入門(時事通信社)」の第三章に述べた)。

「経験的直観の言語化」
 経験的直観の言語化は困難を覚悟して一歩前に出た実践によって可能となる。大勢順応の自己保身では経験的直観の言語化はできない。
 即ち、「知っている」と「わかっている」は同じでない。
「何も分かっていない人」とは、波風がないときには (自分に非難が返ってこないときには)立派なことを言うけれども、素早く不利になると判断したときには「黙り、曖昧なこと」言う人である。両者の違いは「覚悟して前に出た実践体験」の違いである。
 人は体験しないことは分からない。分らないから言語叙述ができないのである。

「規範概念による思考」
 未来を構想し現在条件を操作するのは「規範概念による思考」である。
「市民行政」も「市民自治」も規範概念である。「規範概念」を了解し会得するには「実践による自己革新」が不可欠である。利いた風な言葉を操るだけの現状容認思考の人には「規範概念の認識」は曖昧漠然である。
「実践」と「認識」は相関するのである。
 主体の変革なくしては「課題と方策を言語叙述する」ことはできないのである。

 (以上のことを「話し言葉で叙述する」と次のようになる)

 理論にはA型とB型の二つがあると考えてみます。
 A型は「言葉を知っているが本当は分かっていない」人の理論です。
 例えば、役所の出世コースのエリートは最新流行の用語を巧みに使います。だが自身の職務の改革はしません。不利益を覚悟した行動はしないのです。実践行動は常に何らかの不確定要素を孕むからです。エリート職員は上司には優秀職員と評価されますが、市民からは信頼されません。そのような「言葉を知っているだけ」がA型理論です。
 学者はA型理論が多いです。審議会で役所の原案に賛成して外では市民向けの言い方をする。この学者はA型理論です。

 B型は実践理論です。
 実践理論は規範概念で理論構成をします。だが常に「御身大切の安全地帯」にいて行動しない人には「規範概念の意味」が分りません。つまり「何が課題で何が方策か」が分らないのです。ですから「規範概念」の意味が了解会得できないのです。不利益を覚悟して行動したことのない人には「市民活動の能動イメージ」が理解できないのです。「市民行政」のイメージが理解できないのです。
 既成学も「市民自治」「市民参加」「情報公開」の言葉を使いますが、同時に「国家統治権」を自明のように使います。その学者は、「市民」を「非協力的な一部の人たち」と思っている行政管理職と同類思考です。

 例えば、学者や行政幹部の人と話しているときに、「あの人は見えている」「彼はまるで分かっていない」という体験をされるでしょう。「問題が見えて意味が分かる」人は「リスク(困難)を覚悟して行動した人です。
 改革とは「自身の行動様式」を変革することです。改革は常に「主体の問題」です。でありますが「人事昇進が最優先」の行政内では「主体変革は不可能」に思えます。

 しかし「主体変革」とは「その不可能を越える」ことです。「越える」のは「知識」でなくて「実践」です。実践とは「一歩前に出る」ことです。実践は矛盾の構造です。
「実践が認識を明晰に」し「認識が実践を導く」のですね。実践理論と認識理論が相関しているのがB型の自治体理論です。

2 行政概念
 市民行政を理解するには行政概念の再定義が必要です。
 既成学は「行政を法の執行である」と定義します。
 自治体学は「行政を政策の実行」と考えます。

 政策とは「課題と方策」でありますから、政策の実行とは「公共課題を解決し実現する」ことです。つまり、行政とは「まちづくりの実践」です。
 現代社会の公共課題は公務員だけでは解決できません。「行政職員と市民の協働」なくしては解決実現できないのです。優れたまちづくりの現場がそれを実証しています。
 つまり「市民行政」が不可欠な時代になっているのです。

 既成学は「行政は公務であり、行政執行は公務員が行う」の観念から脱出できないので「市民行政の意味」を理解することができないのです。

 以上の論点の詳細は、北海学園大学開発研究所「開発論集」88号に「市民政治の可能性を拓く」として掲載した)



 公開研究討論会に参加していた方から下記のメールが届いた。
 「市民行政」理解の参考までに掲載する。


 森先生のブログ自治体学の『「市民行政」-公開研究討論会』を拝読いたしました。
 感想などをお送りするのは失礼かと思いましたが、どうしても聞いていただきたくメールしました。

 森先生の言わんとしていることが、なぜか全文1度読んだだけで理解できました。自分でも驚いています。
 今まで「地方自治」や「市民自治」等の文献や書物など、少ないながら読んできましたが、多くの場合、言葉の定義や使い方に疑問を持ったり、論理的に理解できなかったりする点がままありました。キチンと理解できないままに過ぎてきたように思います。

 しかし今回のブログは、言葉は難しかったものの論理的に共感でき、納得できたのです。感覚ではなく言葉として私の中に入ってきました。そのお陰で私の中にあった分別不完全な感覚が、スッキリと形になりました。

 こんな感覚になれたのは、先生がおっしゃるように「覚悟して前に出た実践体験」を経たからなのかもしれません。
 先日の公開討論会は私に様々な経験と感覚を与えてくれました。
 ありがとうございました。   2011-12-19


沖縄の旅
(カテゴリー: 自治体学理論
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    沖縄の旅 写真は「首里城・蘇鉄の実」

 2011年11月中旬、沖縄に出かけた。
 目的の第一は、沖縄の無防備平和条例運動の方々と出逢うためである。国際通り「てんぼす会館3階」の拡大幹事会に出席して所見を述べた。
 これまで、日本列島の28地域で無防備平和条例の署名運動を行い、全有権者の2%を超える賛同署名に全て成功した。だが議会で全て否決された。
 「議会否決」の壁を越えなければならぬ。
 これまでの署名運動は、議会が「無防備平和条例の制定」を「拒否する権限」を持っていると考えた。この考え方が間違っていたのだ。
 議会の権限は、四年任期で有権者が信託した「代表権限」である。無防備平和条例は「未来永劫の平和地域宣言条例」である。国会が批准したジュネーブ条約に基づく宣言条例である。四年任期の議会に「拒否する権限」はないのだ。
 首長と議会が為すべき任務は「全有権者投票」に付することである。

 地方議会は「不信の代名詞」
 議会は年齢も性別も職業も地域社会を代表していない。議員は当選すると「異なる世界」の人になる。新人議員も『議員』に化身する。議員になる前に言っていた「議会改革」も二枚舌で正当化するようになる。初心堅持の議員は例外的少数である。積年の特権が『議員』に化身させるのである。議会不要論の声すらある。このような議会に「無防備平和地域宣言条例」を拒否する権限も資格もない。
 (これからの無防備署名の進め方の詳細はこのブログの別項目に記載した)

 第二は、沖縄自治体学会の研究会に出席するためである。
 「代表民主制度を甦らせる方策」と「自治体学の理論問題」を提起した。
 ・国家を統治主体と擬制する「国家学」を「市民自治の自治体学」に転換することである。「国家」の言葉は「権力の隠れ蓑」である。「国家」ではなくて「政府」である。民主主義の理論は「市民と政府の理論」「政府責任を追及する理論」でなければならない。
 ・代表民主制度が形骸化し政治不信が増大して大阪では擬似改革論が横行している。民主政治が正常に機能するには「騙されない思考力」が必要である。邪なる権力は常に言葉で人々を騙すのである。

 ・現在日本の問題は「状況追随思考の蔓延」と「批判的思考力の衰退」である。自治体学会の役割は「論理的思考力」と「批判的思考力」を高める場でなければならない。
 自治体学会は「市町村合併」「原発災害の元凶」「米軍基地問題」などの重大問題を取り上げたであろうか。「論理的・批判的思考力」を高める討論の場を設けたであろうか。腰が引けた擬似対応が続いているのではあるまいか。
 
・沖縄自治体学会は2012年の春、「自治体議会改革」をテーマに政策フォーラムを開催する。「問題意識」と「論議の深さ」で沖縄自治体学会が開催する政策フォーラムに、全国各地から参集者が増えて最先端の討論の広場になるであろう。

 第三は、読谷村の自治基本条例の研究会に出席するためであった。
依頼されて話をした。
 ・「まちづくり基本条例」と「自治基本条例」を混同してはならない。基本条例は「首長と議会」が代表権限の行使を逸脱したときは信託解除権を発動する「最高規範条例」である。制定権者は代表権限を信託する有権者市民である。
 ・200の自治体が基本条例を制定しているが、意味ある役割を果たしているところはどこにもない。
 何故であるか、を話した。(その詳細は「北海道土曜講座の16年」の本に書いた)。読谷村で、日本で初めての「本物の自治基本条例」が制定されることを期待したい。

 第四は、辺野古テントの皆さんとの交流である。この美しい海を米軍海兵隊の訓練場にさせてはならぬ。日米政府合意に怒りの念があらためて湧き上がった。
 夕刻、名護市長と面談し、議員と職員の政策討論会で所見を述べた。

 以上の四つに共通するのは「代表民主政治制度の甦り策」である。すなわち「地域の将来に亘る重大事項の決定」は「全有権者の同意・決裁」を必要とする。「四年任期の首長と議員」だけで決めてはならない。

 名護から那覇空港までの高速バス内で、四夜連続の古酒泡盛の美味と美しい辺野古の海を想い、多くの人が「騙されない思考力」を持たねばならぬと強く思った。