■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
議会基本条例と学者の理論責任 
(カテゴリー: 市民自治基本条例本条例
議会基本条例と学者の理論責任

選挙は信頼委託契約
 選挙は白紙委任ではない。
 代表権限を信託する契約である。
 基本条例は自治体の憲法であると説明される。
 憲法は権力の行使に枠を定める最高規範である(憲法98条)。
 首長と議会の代表権限の行使運営が逸脱しないように枠を定めるのが基本条例である。
これが近代立憲制の民主政治の制度理論である。

 自治基本条例には次のような事項を定める。
① 市民自治の理念を明示する。
② 説明責任 - 決定した役職者に責任回避をさせない。
③ 情報公開 - 重要な判断資料を秘匿させない。
④ 全有権者投票 - 地域の将来に係る重大なことは四年任期の首長と議会だけで決めないで、全有権者の意向を事前に聴く。
⑤ 自治分権 - 中央省庁(官僚)の意のままにならない。
 ・自治体立法権
 ・自治体行政権
 ・自治体国法解釈権
 これらを定めておくのが自治基本条例である。

「まちづくり基本条例」と「自治基本条例」の違い
 両者を混同してはならない。
●まちづくり基本条例の制定権限
 議会運営条例や環境基本条例、福祉基本条例、交通安全基本条例、災害防止基本条例などの「まちづくり基本条例」の制定権限は首長と議会にある。選挙(信託契約)で市民が託したからである。 
●自治基本条例の制定主体
 自治基本条例は「代表権限の行使に枠を定める」最高規範であるから、制定主体は市民でなくてはならない。
 首長と議会は基本条例を遵守する立場である。
 自治基本条例の制定権限は「首長と議会」に信託されていない。 
 有権者市民が合意決裁をする(有権者投票をする)ことによって「吾がまちの最高規範を自分たちが係って制定したのだ」との最高規範意識が人々の心に芽生える。この芽生えが市民自治社会には不可欠重要であるのだ。

流行現象への危惧
 70年代から「情報公開制度」「政策評価制度」「市民参加制度」「オンブズパーソン制度」などの市民自治制度が次々と制定された。だが、どれも役立っていない。死屍累々である。
 そして今度は、基本条例の制定が流行現象になっている。
 それは「基本条例の制定は通常の条例制定手続きでよい」「首長と議会で決めればよい」「市民は制定に係らなくてよい」とする学者の安直な言説で流行しているのだ。
 安直な制定を推奨する学者は、市民自治制度が形骸化したのはなぜか、を真剣に考えるべきである。「言葉が広がれば一歩前進だ」ではないのである。
 自治基本条例を機能させる担保力は「市民の規範意識」であるのだ。「最高規範条例」の創出が簡単にできる筈がないではないか。

学者の理論責任
 重大な問題は、「自治基本条例の制定」という「市民自治社会への重大な節目」を「無意味な流行現象」にしていることである。歳月が経過すれば「一過性の流行」で終わり「基本条例」は忘れ去られるであろう。
 推測するに、現在の地方自治法は「条例制定は首長が提案し議会が議決する」と定めているから、この定めと異なれば「違法の条例だ」と総務省から批判される。「それは避けなくてはならぬ」と考えた。だが他方では「基本条例を最高規範条例である」と主張したい。そこで「条例文言にそう書けばよいのだ」と考えたのであろう。その考え方を「現状追随の安直思考」というのである。
 そこには、「最高規範」を創り出さんとする「規範意思」が欠落している。
 おそらくは、「規範論理」「実践論理」「規範概念」「批判的思考」の意味も理解できないのであろう。それでいて「市民自治」「信託理論」「自治体改革」を口にするのは撞着である。「自治体の憲法」「最高規範条例」を言説するのは不誠実である。 
 学者は、自らの「矛盾論理」と「安直思考」に気づくべきである。一方で「自治基本条例は自治体の憲法である」と説明し、他方で基本条例の制定は「通常の条例制定手続」でよいとする。それは「矛盾論理」である。
「新しいことを言説」し「新しい制度を提案」すれば、それで世の中が動くと考える。それを「学者の安直思考」と言うのである。
「市民自治の政治制度」を創出するための「自治基本条例の制定」であるのだ。「通常の条例制定の手続」でよいとするのは誤りである。 
 なぜ一歩前に出る実践論理を構想しないのか。
 なぜ「代表権限の逸脱を制御する基本条例」の制定に市民は関わらないのか。なぜ「市民の合意決裁」を不必要と考えるのか。
 市民自治の規範意識を地域に醸成する機会を重視しないのはなぜであるか。
 学者の存在意味は「理論構想力」にある。「理論構成」が学者の公共社会における役割である。そもそも「市民自治」も「基本条例」も規範概念である。
「規範概念による規範論理」を透徹せずして基本条例の安直な制定を誘導したことが今日の事態の原因である。この事態は全国各地の学者の責任である。その条は市町村合併で演じた学者の心底と同様である。

地方自治法は準則法
 70年代に神奈川県で情報公開条例を制定したとき、「法律規定の有無」を何ら顧慮することなく「県行政への県民参加」を実現すべく思考を働かせた。
 また、そのころの革新自治体は「宅地の乱開発」に対処する「宅地開発指導要綱」を定めて地域社会を守った。そのとき自治省・建設省・通産省の官僚は「権限なき行政」と非難攻撃した。それに対し、自治体は「国の出先機関」に非ずして「市民自治の政府」である、と規範論理を透徹した。 
 福島県矢祭町は自治法規定に顧慮することなく「議員報酬」を「日当制」に改めた。「地方自治法」はGHQ占領軍の間接統治の隙間に内務官僚が作った明治憲法感覚の法律であるのだ。だから現在では、「地方自治法」は自治体の上位法ではない。自治体運営の「準則法」であるのだ、と考えるのが正当である。
 考えてもみよ。自治基本条例は「自治体立法権」「自治体行政権」「国法解釈権」を「市民自治規範」として定めるのである。「省庁官僚の非難」を怖れて「市民自治制度」を論ずるのは「矛盾撞着の戯画」である。

自治体の成熟
 自治体が「最高規範条例」を制定するのは「自治体が成熟した」からだ。
民主党の「地方主権」の言い方 (理論的には誤り) に 、多くの人々が疑問を呈さないのは「市民自治」の理念に納得し共感するからであろう。 
 つまりそれは、現憲法での65年の自治制度の実績が「中央集権の地方公共団体」を「自治分権の自治体」に成熟させているからである。この市民自治の進展を後退させてはならない。市民自治の蓄積充実を誤ってはならない。
北海道奈井江町では、2005年の合併騒動のとき、町長と議会が呼吸を合わせて全所帯に「公正な判断資料」を何度も配布して説明会を開き、町民投票を実施した。そのとき、小学校5年以上も投票を行った。(投票箱は別)。
 それは降って湧いた合併騒動を「自治意識を高める機会」に転じたのである。
 みんなで「吾が町の将来」を考えたのである。これが自治体のあるべき姿である。ここに市民自治の蓄積があるのだ。
 現在、安直な「議会基本条例の制定」が大流行になっている。
 この異常事態は栗山町議会基本条例がきっかけである。
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