■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
新刊・文化の見えるまちー自治体の文化戦略
(カテゴリー: 新刊案内
新刊・「文化の見えるまち-自治体の文化戦略」(公人の友社)

第一章  文化の見えるまち
第二章  文化ホール 
第三章  対談・自治体の文化戦略
           (松下圭一×森 啓)
第四章  行政の文化化
第五章  協働と行政の文化化
第六章  地域文化の主体 
第七章  鼎談・文化行政への視角
           (鶴見和子×清成忠男×森 啓) 
第八章  文化行政の沿革
第九章  展望
第十章  日本文化行政研究会小史  中村順

文化の見えるまち


 文化の見えるまちとは「住んでいることが誇りに思えるまち」のことである。
 文化は計量化できない価値であり目に見えるものでもない。見えない価値を保存し創出する営為が「文化の見えるまちづくり」である。自治体の存立意味は「文化の見えるまちをつくる」ことにある。
 非文化的な日本列島の現状は省庁政策に従属した結果である。産業基盤の整備に財政を投入し公共事業を肥大化させて地域文化を破壊したのである。自治体財政の軒並み赤字は米国の内需拡大要求で公共事業を強要された結末である。市町村合併を強要し三位一体改革を反故にしたのは省庁官僚である。
 省庁政策に従属してはならない。省庁官僚に服従しては「文化の見えるまち」はつくれない。
 自治体は政策自立しなければならない。政策形成力と政策実行力を高めなくてはならぬ。
 地域を守るのは自治体である。

 「自治体」とは「行政」のことではない。自治体の主体は市民である。
 市民が政府(首長と議会)を選出して政府を制御し政府を交代させるのである。これが「市民自治の政府信託理論」である。信託は白紙委任ではない。四年期限の信頼委託である。重大な背信行為のときには信託解除権の発動となる。
 行政機構は市民自治の事務局であるから政策策定と政策実行を行政機構が独占してはならない。「文化の見えるまちづくり」は「市民自治のまちづくり」でなければならぬ。これが自治体学理論である。
 市民も行政職貝も首長も議員も文化団体の役職員も自治体学理論が必要である。旧来の統治行政の考え方では「文化の見えるまち」にならない。
 現在日本に必要なのは「考える力」である。「批判的思考力」である。

 本書は一九七三年に大阪から始まった文化行政の三〇年を検証し「文化の見えるまち」とはどのようなまちであるかを明らかにした。
 黒田知事が設置した大阪文化振興研究会の提言は、現在からふり返れば「自治体の政策自立」を促す提言であった。文化行政は八〇年代に政策潮流となって全国に広がった。
 文化行政では「行政が文化を仕切る」の誤解が付きまとう。そこで「文化行政」を「文化の見えるまちづくり」と言い換えた。「文化のまちづくり」ならばタテワリ省庁の政策支配から脱し自治体独自の政策発想が可能となる。
 本書は「文化の見えるまちづくりフォーラム」の経緯を検証して自治体の政策自立の可能性を展望した。
 日清日露この方、日本国家は庶民大衆が楽しむ施設にピタ一文支出しなかった。人々が集い楽しむ文化施設の建設から文化行政が始まったのは当然のことであった。ハコモノ批判が噴出したのは、行政職員にも建築家にも文化ホールの何たるかの認識が欠如していたからである。
 そこで、本書は優れた文化ホールの実際例を点検し文化ホールは「文化の見えるまち」の拠点になり得ることを確認した。
 次いで本書は「行政の文化化」と「協働」の言葉の由来を検証し「文化の見えるまち」をつくるには「主体の自己革新」が不可欠であることを論証した。
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文化の見えるまち
(カテゴリー: 自治体の文化戦略
 文化の見えるまち

 第11回「文化の見えるまちづくり」全国フォーラム
  2009年8月27日~28日 
  大阪池田市  

  文化の見えるまち
 八十年代に文化1%システムが全国に広がり、公共建設事業に美観性と地域個性を導入する考え方が一般化した。関西では「文化アセスメント」の手法が行政施策に取り込まれた。
 文化ホールは「行政が管理する営造物」ではない。「市民文化の拠点」である。この考え方が広がった。バッハホール、ピッコロシアター、水戸芸術館、メイシアターのように水準の高いホールが増えた。住んでいることを誇りに思う魅力あるまちづくりが様々に展開された。
 文化アセスメントの実践例は武庫川の宝塚大橋であった。「行政の文化化」の実際例は横浜市役所横の「くすの木広場」であった。
 花と緑と彫刻のまちづくり、歴史的建造物の保存、歴史の連続性を喚起する地名の保存、商店街の魅力化、都市の修景美化、景観条例の制定など「文化の見えるまちづくり」が様々に展開された。非日常の興奮と感動を楽しむ音楽祭や演劇祭、誇りの感情でわがまちを見つめる市民オペラ、市民文化の拠点となった文化ホール。障碍を乗り越え実現した実践と連帯も地域の文化である。

 文化行政は大阪から始まった 
 自治体は長い間、企業のための基盤整備に財政を使わされた。そのため人々の生活環境に美しさと潤いが欠落した。「水の都」であった大阪は「ゲスの街」と評されるに至った。
黒田了一大阪府政が誕生したのは文化都市大阪の甦りを大阪の人々がめざしたからであった。金がないから知恵を出し住んでいることを誇りに思える大阪をめざしたのである。文化行政は大阪から始まったのである。その大阪府が今、「市場原理の財政改革」を強行して文化予算を削減しているのである。
 文化は財政に余裕のあるときのことだとの言い方がある。自治体財政に余裕がないのは、中央政府が市場原理の構造改革論をふりかざして合併を強要し交付税を削減したからである。地方切捨ての財政政策が財政窮迫の主要原因である。
 文化行政が始まったときもオイルショックで財政は窮迫していたのだ。文化は財政に余裕があるときのことではない。
 
 文化の見えるまちづくりフォーラム
 「文化行政」の用語では「行政が文化を仕切る」の誤解が伴う。「文化の見えるまちづくり」と言い換えた。「文化の見えるまちづくり」ならば「省庁政策の支配」から脱して「自治体独自の政策発想」を獲得する可能性も出てくる。
 「文化の見えるまちづくりフォーラム」を全国持ち回りで開催することにした。
このフォーラムは、市民、文化団体、芸術芸能家、学者研究者、行政職員が一堂に会して、「住んで誇りに思えるまち」を創出する政策を討論する場である。
 市民・文化団体と行政の関係は「行政への参加」ではなく「協働」である。協働とは自己革新した市民と行政職員が「政策策定と政策実行」で協力することである。信頼し協力しなければ「住んでいることを誇りに思うまち」はつくれない。
 「文化行政」を「文化の見えるまちづくり」と言い換えたが「文化の見えるまちづくり」では用語の体をなさない。「文化政策」も「文化行政」と同様に「行政が主体」の語感が伴う。「文化戦略」という言葉を使うことにした。   
インタビューに答える
(カテゴリー: 自治体学理論
インタビューに答える (2009-7-30、月刊誌)

1 「郵政選挙」は何であったか
  一言で言えば悲惨な事態の連続です。
 小泉構造改革は市場原理の新自由主義経済政策です。
 社会保障制度を壊し聖域なき構造改革と称して福祉予算を削減し、収入のない障害者にまで自立支援の名目で医療費の自己負担を課しました。社会的弱者の切り捨ての横行です。
 法人税を軽減し累進税率を引き下げ富裕層の要望に応えたのです。改革の本丸と絶叫した郵政民営化はアメリカ金融資本の要求であったのです。
 市町村合併を強要して地方交付税を削減しました。70年代から積み上げた自治体の政策自立が揺らぎ後退を余儀なくされています。
 派遣労働禁止などの労働者保護法制を後退させ、不安定な低所得労働者を大量に増やし、若者を街頭に放り出した元凶は小泉純一郎ですよ。毎年三万人が自殺しています。20代、30代の自殺者が増えているのが現在の日本です。蔓延する絶望が「誰でも良かった殺人」を引き起こしているのです。
 問題は小泉の言動に多数の人々が騙されたことです。メディアと学者は小泉改革の背後を洞察せず保身のために黙過しました。メディアと学者の責任は重大です。

2 民主党のマニフェストに盛られた地方政策の評価
 色々書いてありますが、財源調整制度や地方交付税制度について一歩踏み込んだ政策構想がないですね。自治体間の財源不均衡を改める制度提案が不十分です。
 市町村合併のとき「三位一体改革」が言われましたが官僚の抵抗で潰えました。「国税を地方税に回して法律上の権限も地方に移す」というのは一見良いことに思える。しかし実際には自治体間格差が生じる。そのとき、都市地域の税収を地方に回すことに「都市住民は賛成しない」と民主党の人も自民党と同じことを言うわけです。国会議員でありながら日本社会の未来を構想する政治能力が欠落しているのです。
 一皮むけば自分本位の発想です。この点は民主党も自民党も同類です。
 小沢さんは300の自治体で良いと言っています。国会議員の選挙区の数が頭にあるのです。その発想は「自治」ではなく「国家」です。「市民自治」でなく「国家統治」です。
 松下政経塾出身の方々にも市民自治の理念が欠落しています。国家発想・権力発想です。

3 自民党の地方政策はどうですか。
 道州制を推進すると言っています。道州制とは47の府県を8か10の州に統合することです。裏側の意図を洞察しなければならない。真の狙いは何かを。
 彼らがこれまで何をやってきたかを考えることです。繰り返しますが、政治権力は大衆を言葉で騙します。最近は御用学者が尤もらしい理屈で権力に加担しています。 
 強要された市町村合併は何のためであったか。合併したところは現在どうなっているのかを見つめ、考えることです。
 地方切捨てで自公支持が急落したので、麻生政権は道路財源から1兆円の地方交付金を決めました。だが建設業者と道路族議員と官僚の巻き返しで時代逆行のヒモ付き交付金になったではありませんか。
 「47を8にする道州制」と「3200を1800にした市町村合併」。そのネライは何か。地方管理体制の強化です。「地方の幸せ」「自治の進展」のためではない。地方のことを本気
で考えてはいないのです。
 「まさか」「まさかそんなことにはならないだろう」ではなくて、世の真相を洞察しないと、ツケは自分に返ってくるのです。
 「国を愛する心がなくてどうするか」「どこに徴兵制のない国があるのか」などの声高な論議は目の前まできているのです。
 ネットの「YouTube」にはビックリする動画が投稿されています。

4 有権者に伝えたいことは何ですか。
 現在の日本は「国民的健忘症」に罹っていると思います。「考える力」が衰えているから忘れるのですね。現在の日本に必要なのは思考力です。批判的思考力です。
騙されてはならない。御用学者とマスメディアを信用してはなりません。思考力を高めなくてはならない。自分で考える。テレビに出ている御用学者の理屈に騙されてはならない。
 自分の一票を重ねることで日本の政治を改めるという発想を持ちたいと思います。候補者の殆どが自分利益の人たちですから一回の選挙で目に見える効果は出ない。けれども諦めない。何回かの選挙で状況を変えていく。そう考える。
 日本はアメリカやイギリスのような二大政党よりも、ヨーロッパのようにいくつもの政党が政策協定を結んで政権を担う。その組み合わせを国民が支持する政治の方が良いと思います。相互批判の可能性があるからです。危険な方向に崩落しないためです。