■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
第11回・全国文化の見えるまちづくりフォーラムの開催趣旨
(カテゴリー: 自治体の文化戦略
第11回「全国文化の見えるまちづくりフォーラム」開催趣旨

 このフォーラムは、市民、文化団体、芸術芸能家、学者研究者、行政職員が一堂に会して「文化の視点」で地域社会のあり様を問い直し「住んで誇りに思えるまち」を創出する政策討論の場である。第一回は1991年に徳島で開催した。
 文化行政は1973年、大阪の黒田了一知事が設置した大阪文化振興研究会の政策提言から始まった。爾来、まちづくりの政策潮流となって全国に広がり、それまで皆無であった文化会館が全国各地に建設された。
 自治体独自の「文化アセスメント」や「文化1%システム」などの制度開発もなされた。今ふり返れば、文化行政は当時の急激な工業的都市開発への反省でもあった。
 そして今、財政が窮迫し「指定管理者制度」という名目の「文化の民間委託」が流行している。
 しかしながら、文化行政が始まったころもオイルショックで財政は窮迫していたのである。文化行政は金がないから知恵を出したのである。
 文化行政は一過性の「流行」であるのか、それとも「住んで誇りに思えるまち」の創出をめざす「長期戦略」であるのか。その論議が必要である。

 三つの分科会で検証討論を行う。
1 「文化のまちづくりの主体」 
 ・行政職員と文化団体と市民の相互信頼は如何にして可能か
 ・信頼関係の構築には主体双方の自己革新が必要であるが、
  それは可能か
 ・信頼関係を阻む要因は何か、主体の変革は如何にして為さ
  れるか 

2 「文化景観の保存と再生」
 ・歴史景観の修景美化の実践と評価、
 ・みどりと水辺の風景保全の実践と評価
 ・地域の誇りとしての伝統文化の再生と評価

3 「検証・文化の民間委託」
 ・文化ホールは「文化の見えるまちづくりの拠点」としての役割
  を果たしているであろうか。
 ・「指定管理者制度」は「文化ホールの設置目的」に適合する
  か。
 ・「文化の見えるまちづくり」と「文化の企業委託」とは矛盾しな
  いのか。

  2009年8月27日~28日
  大阪・池田市で開催予定
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書評・新自治体学入門
(カテゴリー: 新刊案内
木村修さん (映像プロダクション・マブイシネコープ) が「新自治体学入門」の紹介文を書いて下さったので転記する。

  森啓著『新自治体学入門―市民力と職員力』時事通信社

 著者森啓さんは、冒頭こう切り出している。「本書は『自治体学』の概念を『国家学』との対比で定義し、自治体理論の基礎概念を吟味して『市民自治』の意味を確定した」と。
多くの読者が、私同様、『自治体学』という概念に本書で初めて出会うことだろう。それもそのはず、今日全国幾百の大学で「専門科目として開講しているのは北海学園大学法学部のみ」であるとも付言されている。
 ところで、前記の「『市民自治』の意味を確定する云々」とは、一体いかなる実践的要請にもとづき何を求めての論及なのか。しかし、運動の現場から地方議会と自治体行政のありように向かい合って本書を開けば、読者に大きな視界と、運動の深い基礎となる理論的正当性を与えてくれる。
 以下、私の経験の一端から本書の相貌を紹介する。
 1998年11月18日、神戸市議会は「神戸空港の建設の是非を問う住民投票条例案」(この直接請求署名は市長の得票数を大きく上回り、有権者の3分の1をも越えていた)を”悠々”と賛成少数で否決した。
 主権者市民の直接的主権行使を儀式化された”討論”で否決・圧殺して、その責任が問われることのないこの国の「民主主義」システムは怒りを通り越して不思議でさえあった。こうした主権者市民の決定過程への参加を徹底して忌避・嫌悪しながら「議会制民主主義」とされている現行システムを私たちはどのように意識したらいいのだろうか。
 にもかかわらず、90年代から直接請求運動は国会・政党・大労働組合から自立して全国津々浦々に広がり、04年の大阪市以来26自治体に連続する無防備地域宣言運動もこの新しい波を一段と高くしている。
 ところで、こうした市民の自立した運動の足跡はどのような歴史的意味と必然的根拠を持っているのか。しかもその多くの場合、発言する市民各層が「議会による否決」の壁を重々承知しつつその彼方に視界を広げて立ち上がっているとすれば、この歴史的社会的意味の理論化は間違いなく日本の民主主義の将来を拓く課題である。
 本書の意義は、こうして意識化されないままに来た主権者の直接的主権行使と、国家から自立した自治体の根本的性格の領域を「自治体学」と冠して私たちの批判的・発展的考察の対象にし、そこから「人権・主権・自治」の領域を自立的に考察検証する回転軸を与えてくれているところにある。
 今、日本の市民運動・住民運動は政党や大労働組合の思考停滞のはるか前方を自力で進んでいる。
本書は「自治体学の概念」(第1章)、に始まり、「代表民主制と住民投票」(第6章)に私たちを誘う。「あとがき」には、「自治体学理論は民主主義を実質化し定着させる理論である」との結語が光る。どのページからでも、読者が思うページをまず開いてみることをお勧めする。
市民自治の論点
(カテゴリー: 市民自治の意味
市民自治の論点
 
1 選挙は、政治主体である市民が代表者を選出して代表権限を信託する民主政治の基本原則である。しかるに、選挙の翌日に市民は「陳情し請願する立場」に逆転する。何故であろうか。「選出された側」が「当選すればこっちのもの」と考えるからであろうか。選挙とは「白紙委任」のお任せであるのか、「信頼委託」の基本契約であるのか。
 あるいはまた、当選した首長や議員が、市民多数の声に(選挙で獲得した投票数よりも多い署名数に)反する行動をとるときがある。
 何故、そのようなことがあり得るのか。市民は次の選挙まで忍従しなければならないのであろうか。効果的な対応策はないものか。  

2 2005年の市町村合併のとき、「住民の声を聞いてからにせよ」と住民投票条例の制定を求める署名運動が全国各地に起きた。その時も、九割を超える地域の首長と議会は「その必要なし」として「住民投票条例の制定請求」を否決した。
 しかしながら、合併は住民自治の区域変更である。地域社会の重大事であるのだから、四年任期で代表権限を託された首長と議員だけで決めることではない。
 しかるになぜ、そのようなことが実際に罷り通っているのであろうか。これをどう考えればよいのか。どうすれば良いのか

3 地方自治法は自治体の上位法であるのか。
 「地方分権」は世界の潮流である。工業文明国はどこの国も「分権型社会」への転換をめざしている。
 日本も、明治以来の「機関委任制度」を廃止した。「通達制度」も廃止した。既存の通達も失効したのである。
 「国と地方」は「上下の関係」「支配従属の関係」ではなくなった。「対等・協力」の中央政府と地方政府の関係になったのである。だが、長年の惰性的思考から抜け出せない人が多い。その人々の制度無知につけこみ、「国の法令に反することはできない」と言明する人もいる。継続を画策する狡猾な者もいる。
 「市民自治」とは具体的には如何なることであるのか。

4 アイゼンハワー大統領が退任演説で警告した「軍産複合体制」が止め処なく進行して、アメリカは「戦争がなければ経済が成り立たない戦争国家」になっている。日本でも軍事と産業と政治の融合が進行し汚職が頻発している。戦争は莫大な利益に繋がるからである。アメリカは日本への「年次要求書」で「戦争のできる憲法」「アフガニスタンでの参戦」を強く求めている。
 だがしかし、「平和」は「軍備」と両立しない。軍事力を保有して平和を唱えるのは虚言である。「抑止力」の言い方も欺瞞の論理である。
 「無防備平和」は市民の自治力で確保するのである。
岩国市民は「市民の自治力」で「軍事基地化」に対抗した。

岩国市民の実践に学ぶべきことは多いので、対論によって論点を解明する。
 対論・「市民自治」
   日 時   2009年2月3日(火) 18時―21時
   会 場   かでる ホール  10階 (1040号室) 
  討 論    ・井原勝介 (草莽塾代表、前岩国市長)
          ・森  啓 (自治体政策研究所理事長) 
1 市民と首長・議会の関係
・市民は選挙の翌日に陳情の立場に逆転するのはどうしてか
・選挙は白紙委任か-(当選すれば身勝手に行動してよいのか)
・「首長と議会の権限」と「市民参政の権利」の関係
・選挙が終われば市民は傍観するだけなのか
・市民参加はお題目なのか、リップサービスなのか。
・首長と議員の権限逸脱を制御する方法
・常設型・住民投票制度の可能性
2 省庁と自治体の関係
・自治体の政策自立 ―自治体は省庁政策の下請団体なのか
・地方自治法は自治体の上位法なのか
・自治体は国の法令に反することはできないか 
・自治体立法権、自治体行政権、自治体の国法解釈権 の意味
・市民自治基本条例の意味
3 無防備平和の意味
・無防備で平和が守れるのか
・抑止力という論理の欺瞞性   
・軍隊は国民を守らない 
・戦争は市民を殺傷する    
・基地も軍隊もないまちをつくる主体は誰か、方法は何か
・常設型住民投票条例の可能性