■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
自治体職員の政策研究
(カテゴリー: 自治体職員の政策研究
  自治体職員の政策研究    

八十年代に自治体職員の政策研究活動が潮流となって全国に広がった。
自治体学会設立の機運を醸成したのは自治体職員の政策研究であつた。

研究活動の難しさ
・残業などで集まり難い。
・テーマが抽象的になってしまって定まらない。
・人事異動でメンバーが脱けていく。
・研究手法が分からない。
・「だべり会・グチリ会・飲み会」になってしまう。

グループ結成
・グループ結成の「きっかけ」や「動機」はさまざま。
・講演会やシンポジュウムに一緒に出席したのがきっかけになる。
・メンバーは男性だけ女性だけでなく、年令も様々が良い 
・自治体職員ばかりでなく市民、研究者も入っていると有益。

研究テーマ
・「何かをやってみたい」のだが具体性のあるテーマが見つけられない。
・関心がそれぞれ異なるので意見が一致しない。
・「研究テーマ」を見つけるには「共通の体験」が重要。
例えば「シンポジュウムに揃って出席する」「休日に街を歩く」。
・テーマを決めるまでのプロセスが「研究活動」である。
・安易に抽象的なテーマに決めない。

研究手法
 ・書かれたものを読むよりも、全員で「現場」に出かけて自身の目で眺めて考える。
・政策研究とは「地域社会の現場」で問題を発見し「行政の現場」で解決方策を開発する営みである。
・自治体職員の強みは「行政の現場」と「地域社会の現場」」に直接つながっていること。
 ・テーマに即した「聴き取り手法」を編み出す。
・集団の利点を活かした分担調査。
・見たこと訊いたことをもとに「何が問題であるか」を討論する
・問題が見えれば解決方向も具体性が出てくる。
・助言者は大切だが、政策研究に教師はいない。

研究成果のまとめ
 ・一定の段階で「研究成果をまとめる」ことが大切。
・喋り合うのは楽しいが文章にまとめるのは楽でない。
・苦しい思いをした後に喜びがやってくる。
・「分担執筆か」「特定の者が書くか」は、一概にどちらが良いと言えない。
・第一原稿は全員で分担執筆する。
 ・印刷物にする。写真も図も入れる。
 ・「印刷物」にすれば他のグループとの交流に発展する。

研究成果の発表
 ・「発表の場」を工夫してつくる。
・研究成果を行政施策に反映させる仕掛けを考える。
・自治体職員には「演出力」「営業力」の才覚が必要。
 ・仕掛け人、音頭取り、コーディネーターにならなければ「まちづくり」はできない。
 ・市民との信頼関係の構築が基本。

異種交流
・人のネットワークを豊富に。
・「シンポジュウム」や「自治体学会」などに出て知り合う。
・立場の異なる人々と交流し問題意識を触発し合う。
・法律規則重視の「地方公務員」から「まちづくりの事務局職員」への自己革新。

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代表民主制を担保する制度
(カテゴリー: 自治体学理論
 代表民主制を担保する制度

 2005年の市町村合併をめぐって「住民投票条例の制定を求める署名運動」が全国各地に起きた。これは何を意味したのであろうか。
 時代を遡って考察するならば、60年代、高度経済成長政策によって「大気汚染・水質汚濁・地盤沈下」などの公害問題が発生した。加えて「住宅・交通・保育所・学校」などの社会資本の不足によって住民運動が激化した。
 60年代から70年代にかけての住民運動は「首長と議会に解決を求める要求行動」であった。だが、その要求を受けとる首長や議会の側に、民主代表制の政治感覚と行動原理が存在しなければ、住民の側に不満が堆積する。
 わが国で実際に住民投票を実施したのは1993年の新潟県巻町であったが、最初の住民投票条例の制定は、1982年の高知県窪川町であった。
 窪川町で住民投票条例が制定されるに至ったのは、当時の首長と議員が代表民主制に反した振る舞いによって住民の不信感を高めたからであった。「原発建設についての決着を直接住民に訊くのは卑怯な手段である」との町長の発言が「住民の反感」を買ったのである。
 すなわち、わが国で最初の「住民投票条例」は「代表民主制度が機能不全」に陥ったとき、代表民主制を「担保する制度」の要求として始まったのである。
 「住民投票条例」は「代表民主制の機能不全」を是正する制度として登場したのであった。
 今回の市町村合併を巡って、「住民投票条例の制定」を求める署名運動が全国各地に起きたのは、住民が「代表民主制を担保する制度」の必要に気づき始めたものと認識すべきである。すなわち「市民自治の主体としての意思を表明する制度」を求める「動向の始まり」と認識すべきであろう。
 そのような事態の展開であった。