■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
無防備平和条例と自治体学
(カテゴリー: 無防備地域宣言
無防備平和条例と自治体学

平和を念願する市民意志を否認―札幌市長と札幌市議会― 

1 市民意志を否認
 2007年12月12日、「未来永劫に平和な地域であり続けたい」と念願する「札幌市民の意思」を「札幌市長と札幌市議会」は否認した。
 「四万筆を超えた市民署名」は三十日間で結集したものである。市民全員の投票であったならば「百万人を超える有権者市民の意志」になっていたのだ。
 「市民の署名がいくらあろうと」「当選すればこちらの都合次第だ」では「民主主義」でない。「民主代表制度」とは言えない。
 なぜ市長は「平和であり続けようとする札幌市民の意思」を否認するのか。なぜ「国際社会に宣言する条例」の制定に賛成をしないのか。
 市長は市民に「賛成しない理由」を説明すべきである。説明しないのは市民が納得できるほどの理由ではないからであろう。
 市議会もまた「市長意見書を質さず」「討論もしないで」否決した。
議員はなぜ「討論もしないで」「沈黙したままで」市民が念願する平和条例を否決したのか。「平和を創り出そうとする市民意思」に対して「自己の所見」を開陳してこそ市民代表の議員ではないか。
 当選すれば「議員特有の論理と倫理」で行動する。これでは議会不信は高まるばかりである。
 「未来への持続的平和を宣言する条例案」の審議であるのだから、議員個々人が自己の所信を表明すべきである。討論がないのは「会派の拘束を脱する勇気」が欠落しているのである。「勇気の無さ」は市長もまた同様である。
 市長も市会議員も「自分の利害と思惑」で行動しているように見える。「市民意思」を代表しているとはとても思えない。
 札幌市は「自治基本条例」を制定して「ホームページ」や「市役所だより」に「市民が主役のまちづくり」とさかんに書いている。議場と議員控室のある階のエレベーター入り口にも電子文字で「市民主役のまちづくり」と掲示している。だがそれらは「言葉だけ」である。「言葉だけの市民自治」である。

2 札幌市長の意見書
 賛成しない理由は二つである。
(1) 一つは「実効性がないから賛成しない」である。
 市長の見解はこうである。
 「札幌市長には自衛隊員の撤退、軍用設備の撤去等の権限がない。権限がないから無防備平和条例を制定しても実効性がない。実効性の無い条例制定には賛成できない」。これが市長の理屈である。
 札幌市長に「自衛隊員の撤退、自衛隊施設の撤去の権限」が無いのは当然のことではないか。「その権限」はないけれども、札幌市長には札幌市民の生命安全を確保する責務があるのだ。その責務を果たす権限を平和条例制定によって創出するのである。それが「市民自治」による「市長権限の創出」であるのだ。 
 市長に「軍隊撤退の権限がない」は「如何にして市民の安全を確保するか」を考える「前提条件」ではないか。その「前提条件」を条例制定に賛成しない理由にするのは奇妙な理屈である。それは「国から届いているマニュアル」どおりの理由である。上田市長はどちらを向いているのか。
 問題は「如何にして札幌市民の安全を確保するか」である。市長には「市民自治的手法」によって予防措置を講じておく責任があるのだ。「無防備平和条例」は予防措置なのだ。そして、不幸にも交戦状態になって札幌市民の生命と安全が危機に瀕するときには、敏速的確に「平和条例による無防備地域宣言」を行い、国あるいは軍司令官に断固として撤去を要求すべきである。
 市長が「要求し抗議し折衝する」その権限は「市民自治の平和条例」に基く法的権限であるのだ。条例制定はそのための備えである。それが無防備平和条例の実効性であるのだ。
 なぜ市長は「無防備平和条例を制定しても実効性がない」などと言うのであろうか。条例の実効性とは「軍の撤退・軍事施設の撤去権限がないこと」ではないのだ。「無防備平和条例を制定する」ことが「法的権限を創り出す」市民自治の実践であるのだ。
 市長の職責は「傍観者的な法律解釈」ではない。中央政府と対等な「地方政府」の首長として「自治行政権」「自治立法権」を実践することにある。市長の職責は日々真剣な「市民自治の実践行動」でなくてはならない。それであってこそ市民の信頼委託(信託)に応える市長であるのだ。

(2) 不賛成理由のもう一つは「国の法令に違反するから」である。
 しからば「どの法令の何条に」違反するのか。
 その条文を市長は示すべきである。
 日本国はジュネーブ条約を批准した。それは「追加議定書」を承認しての批准である。自治体がジュネーブ条約に基く無防備平和条例を制定することを承知しての批准である。法令違反でないのは自明のことではないか。
 なぜ市長は「国の法令に反するから制定できない」などと言うのであろうか。
 そしてまた「市民自治」とは、場合によっては、法律解釈で中央政府と対立することをも辞さぬということである。省庁官僚の法律解釈に従い「市民の生命安全を中央任せにする」のは内務省時代の市長である。自治・分権時代の「自治体首長」ではない。
 上田市長はどちらを向いて職責を果たそうとしているのか。札幌市民は「役人任せにしない市長」を求めているのだ。毅然たる市長であることを望んでいるのである。(上田市長の問題性は「役人任せ」と「リップサービス」にあるとの批判が署名活動をした方々の間に失望と重なって広がっている)
 日本の中央政治は「憲法九条改定のための国民投票法」を強行採決しているのである。集団的自衛権の解釈改憲も白昼堂々と論議しているのである。であるからこそ、自治体首長と議会は「市民の生命・安全」を「中央追随・中央任せ」にしてはならない。「市民自治の地方政府」として「市民生活の安全」を未来に向かって確保する「才覚と工夫」を尽くさなくてはなるまい。
 四万人を超えた「平和への市民意志」を「市長と市議会」はいま少し真剣に受け止めるべきである。「言葉だけのリップサービス」では信頼できないではないか。

3 奇妙な理屈
 奇妙な理屈は「市長意見書」だけではない。
 総務常任委員会と本会議で次のような発言がなされた。
 日本の平和運動を担った歴史を持つ政党の議員発言である。
  ・ 無防備平和条例は「戦時を想定」している。だから条例制定に反対する。
  ・この条例は占領してきた軍隊に抵抗することも否定している。だから反対である。
 まさに唖然とする発言である。「発言内容を即座に理解」することが出来ないほどの「奇妙な理屈」である。署名活動に結集した市民意志は、戦争状態に至らないための(至らせないための)平和への意志である。「戦争を是認しない意志」であることは明瞭ではないか。署名に応じた市民の方々は「戦争状態にならないため」に署名したのである。「発言をした議員」は署名をした市民に尋ねて見るがよい。
 この署名は「平和への市民意思」を結集することによって、中央政治に屈従しない「市民自治政府」の「自治立法権の発動」を促すためである。
 「地方公共団体」から「市民自治政府」へと「自治体の変革」を促すための署名である。「市民署名による条例制定」が市民自治の営為であるのだ。
 無防備平和条例の制定は「戦争に至らせないため」「戦争状態にならないため」の市民政治の実践である。そのことが分からない政党ではあるまい。
 おそらく、分かっていての反対発言であろう。すなわち、平和運動の主導権は「吾が党」が担ってきたのだ。今後とも「吾が党」が主導権を握らなくてはならないのだ。然るに、政党でもない市民が「平和への市民意志」を結集する署名活動を行って「有権者五十分の一の法定数」を超える署名を全国各地で集め始めている。この事態は「吾が党」として許し難きことである。
 「無防備平和条例が制定される事態」は何としても止めなくてはならない、ということであろう。だがそれが「この政党」が市民に見放されつつある所以のものである。
 札幌市長と札幌市議会に欠落しているのは「中央政治に追随しない翻弄されない戦略思考」である。何よりも「市民の信託」に応えるために「自身への様々な圧力」を覚悟する意志である。

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