講演・市民自治の文化戦略 −大阪文化団体連合会30周年総会(2007-5-9)
歴史のある大文連の、しかも第三十回の記念すべき総会で話をさせて頂くことを光栄に思います。
ちょうど22年前の1985年に大文連主催の「文化フオ−ラム」に招いて頂きました。そのときは「文化ホ−ル」の話をして会報「文化の広場( 39号)」に掲載していただきました。今回こちらに参りますので読み返して懐かしく思い起こしました。本日はこの後、文化芸術年鑑出版30周年記念の祝宴がございます。文化芸術年鑑の「毎年の特集テ−マ」はそれ自体が「日本の地域文化の年代史」になっております。
町衆文化の都―大阪
京都は朝廷とお公家さんの都ですが、大阪は近松門左衛門、井原西鶴、淀屋辰五郎などの方々が活躍した町衆の文化の都です。
黒田了一さんが佐藤義詮さんとの知事選挙で、大方の予想を覆して知事に当選なさった。そして、「町衆の文化の都であった大阪が今は地盤沈下している」「大阪が国際文化都市に甦るにはどうしたらよいのか」。
それを考えるために、当代一流の十人の方に委嘱して「大阪文化振興研究会」を設けました。宮本又次、梅棹忠夫、小野十三郎、木村重信、里井達三郎、司馬遼太郎、末次摂子、西川幸治、米花 稔、吉田光邦の方々です。
3年間の研究成果が大阪の出版社の創元社から2冊の本になって刊行されました。「大阪の文化を考える」「都市と文化問題」です。
この二冊の本は文化行政の手引書でした。文化行政担当職員は熟読しました。
文化行政は大阪から始まった。正確に言えば大阪府から始まったのですね。大阪府庁に芸術文化振興室が新設されたのは1973年で、日本で最初のことでした。
次いで1975年に兵庫県の坂井知事、滋賀県の武村知事、埼玉県の畑知事と続き、神奈川県の長洲一二知事は1977年に文化室をつくりました。私は人事異動でそこに行きました。
1979年、「第一回全国文化行政シンポジウム」を横浜で開催しました。43の都道府県と33の市町村が参加しました。
この全国シンポで「文化」が「自治体の重要政策」になっていることを、内外に鮮烈にアピールしたのです。以来、文化行政は時代の潮流となって全国に広がっていきました。自治体に文化行政が始まったのはお金のない時期であったのです。オイルショックの直後です。財政に余裕があったから始まったのではないのです。
文化行政への疑念
さてところが、文化行政に強い疑念が提起されました。
「行政が文化を安易に言い出すのは問題である」「危険ですらある」との批判です。「行政」は安定性と公平性を旨とするが、「文化」は創造であり現状変革であり異端でもある。文化は計量化できない価値の問題である。文化は個人の自由な精神活動の営為であり所産であるのだ。「行政が文化に関わって碌なことはない」。「何事も無難に大過なくの公務員が文化の問題で意味あることはできない」との批判が突きつけられました。
私は新設された文化室の企画担当に人事異動で行きました。企画担当の仕事は「文化行政とは何か」「文化を政策にできるのか」を考えることでした。「文化行政への疑念」に答えなければなりませんでした。
その頃のことです。伊豆からの帰途の松下圭一さんに横浜で下車してもらって「横浜駅西口の東急ホテルの地階レストラン」で逢っていただきました。
「文化行政の本を出したいので協力してほしい」ついては「共編者になってもらいたい」と臆面もなく言いました。その本が、松下圭一・森 啓編著「文化行政―行政の自己革新」学陽書房です。日本で最初の「文化行政の本」です。刊行は1981年です。
私はその本の第三章に「文化行政とは市民と行政との協働の営為である」として「文化行政の展開条件」を書きました。
文化と行政
マッカ−サ−の占領政策は内務官僚を指図する間接統治方式でした。
内務省の幹部は公職追放しましたが、後に東京都知事になった鈴木俊一さんから下の内務官僚を使って占領政策を進めました。でありますから、明治以来の官僚思想は殆んど無傷で戦後も温存されました。例えば、国民は牧場にいる牛や馬のようなもので、エリートである内務官僚が良き方向に導いてやらねばならないという「牧民観の思想」は今も続いています。あるいは、国家が統治権の主体で国民は被治者である。国家官僚が都道府県に命令して市町村に執行させる、などの考え方は、何一つ変わることなく今日に至っているのです。そのため、自治体職員も自らを蔑んで自分の職業名を地方公務員と名乗る習性が長らく続きました。地方公務員では意味ある文化行政になりません。
70年代は、革新団体が活力を持っていました。その頃の労働組合の役員には「自分の不利益を覚悟する献身性」「未来を展望するロマンと純粋性」がありました。今の労働組合と役員は「自分の役職を守る保身団体」になり信頼を失い組織率は急激に低下しています。
70年代の対立軸は「経済体制のイデオロギー」でした。そのころは「賃労働と資本」の学習会なども盛んで、「時代を切り拓く熱気」が社会に存在しました。
ところが今は、社会全体に「状況追随思考」と「主体鈍磨」が広がっています。なぜ、人々はかくも「生活保守主義」に嵌まり込み、公共社会への関心を低下させてしまったのでしょうか。
現在は争点がなくなったと言われます。争点が無くなったのではない。見えていないのですね。思考の座標軸が定まらないから見えないのです。
現在の対抗軸は「国家統治」対「市民自治」です。「利益偏重の経済社会」を「人間らしい地域文化」に組み替えるのが「現代の対抗軸」です。
1973年に大阪から文化行政の旗が上がった。
80年代に「文化活動の条件整備」「文化的な景観・街並み」が自治体政策の重要課題になった。
そのときの命題は「市民自治による市民文化の創出」であったのです。
今こそ「文化」である。この旗を鮮明に掲げなくてならぬと思います。
チャップリンも言っているように「人が生きている意味は働くだけではなく楽しむことにある」のですね。美しいものを美しいと思い、嬉しいことを嬉しいと共感する。「人はパンのみに生くるにあらず」ですね。
行政の役割は文化施設の整備
80年代になると自治体財政が好転しました。それで「あちらにもこちらにも」流行のように文化会館が建設されました。「文化ホールラッシュ」と言われました。全国どこかで毎日のように3つも4つも落成式をやっている時期もあったのですね。そして「ハコモノ批判」が噴き出しました。
日清・日露の戦争以来、日本は公共財政で「人々が楽しむ施設」に「ビタ一文」使わなかったのです。ですから、文化ホールを作っても作り方がわからない、運営がわからないから水準の低い建物になって「ハコモノ批判」が出た。それは「むべなるかな」であったのです。
中之島公会堂も日比谷公会堂も財界人が寄付したものです。税金で役所が建設したのではないのですね。その中之島公会堂が取り壊され建て直すことになった。保存運動をなさった方々がいたからあの優美な姿で残ったのですね。大阪の文化を残すことができたのです。
文化で行政のできることは「施設整備」です。「文化活動の条件整備」が行政の役割です。「ハコモノ批判」がありましたが「文化施設をつくること」で、その次に水準の高い文化ホールが出てくるのですね。メイシアターがそれです。メイシアターは使い勝手もよいから大文連の「花の宴」はいつもそこで開催しているのですね。文化ホールは運営次第、運営は人次第であります。
指定管理者制度―「文化の牙」で検証
現在の問題は「指定管理者制度」です。
これまでは、税金で建てた施設は「行政財産」であるから民間に委託をしてはならない。「公の施設」は「行政が管理するものだ」と言っていたのです。
ところが、議会で管理者を定めるならば「管理も運営も」民間会社に任せてもよいと総務省が言い出しました。ネライは経費節約です。
利用する市民と文化団体のためではないのです。それであっても、「公務員が規則・規則で管理するよりも良いか」という悩ましい問題が付着します。
「しっかりした団体が民間的な感覚で運営するのは良い面も」ある、との意見です。これをどう考えればよいでしょうか。
だが、民間企業が引き受ければ、最初は立派なことを言うでしょうが、そのうちに「利益の上がらない部門は切り捨て」になるのは明白です。あるいは「料金を引き上げ」になる。当然の成り行きです。利用団体も「公務員の管理よりは良いか」では済まない問題です。
大阪市立大学におられた宮本憲一先生が、「大阪をあんじょうする会」をやってらっしゃったころ、原稿をお願いしたことがございます。
文化が人々を幸せにするには、文化に関わる人々が「文化の牙」を持たなくてはならない。「ごまかし はぐらかし たぶらかし」を見抜く力を持たなければならないと言っておられました。それを思い出します。
戦争と文化
日中戦争を始めるとき「音楽や演劇を楽しんでいるやつらから税金を取れ」といって入場税が作られました。藤原義江さんが「わずかの入場料金の大半を税務署に持っていかなければならなかった無念さ」を書いておられました。
戦争になりますと入場税だけでなく「国策文化」という問題が起きます。戦争を知らない人が増えていますから、年配の方は話さなくてはなりません。
現在は、国民保護法が問題です。市町村は「国民保護計画」を作らされています。大阪市も作っています。外国軍隊が入ってきたとき住民を避難させる計画づくりです。実にバカな話です。現代の戦争はミサイル爆弾や劣化ウラン爆弾が見えないところから飛び交う戦争です。
避難計画は「戦争への心の動員」です。国民保護法は戦争協力法です。協力しない国民を罰する法です。事態は遂にここまできているのですね。
盗聴法なのに「通信傍受法」、言論の自由弾圧法なのに「私的情報保護法」、国民総背番号制なのに「住民基本台帳ネットワーク」です。刑法理論で「未遂罪でもない」ことを「共謀罪」で国民を処罰する。改憲のための国民投票法も強行採決しました。
ジョ−ジ・オ−エルが「1984年」で描いた「恐怖の管理社会」が現実化しているのです。
文化の牙が大切です。しっかりと事態を見つめて考える力が必要です。
靖国神社参拝
今日の新聞のトップ記事は、安倍総理が靖国神社に榊を「内閣総理大臣名義」で奉納した記事です。つい先日、中国の温家宝首相が衆・参議院で噛んで含めるように話をなさった直後のことです。
田中角栄さんが日中交渉で中国に行ったとき「ご迷惑をおかけしました」と言った。その言い方は、「通りがかりの人のスカ−トに水がかかったとき」に謝る言葉ですよ、と周恩来さんが言いました。中国人民には日本との無原則な仲直りには賛成できない心情があるので、「中国人民を苦しめたのは日本の一部の軍国主義者」で「日本国民も被害者なのだ」と言い分けて、日中国交を締結した。だから「極東軍事裁判の戦争犯罪人」のところには、せめて内閣総理大臣と外務大臣と内閣官房長官だけは参拝に行かないでもらいたい、と言っているのに、小泉首相は参拝した。安倍首相も温家宝首相の国会演説の直後なのに行ったわけです。
従軍慰安婦問題を「狭義の意味では強制は無かった」と安倍首相が言ったので、アメリカで問題になりました。アメリカ政界では、日本の総理大臣が「拉致問題」を言うのなら「従軍慰安婦問題」を謝るべきではないか、辻褄が合わないではないかと非難が高まっています。
ブッシュ大統領に謝るのではなく、日本とアジアの人にこそ謝るべきではないでしょうか。戦争が文化・芸術・芸能の人達をどれほど不自由にさせて苦しめたことであったか。
文化・芸術・芸能の価値は「銭金ではなくて自由な心で生きている意味を楽しむ」ことにあるのですね。
市民自治基本条例と文化
市民自治基本条例の制定が全国に広がっています。司馬遼太郎さんが「国のかたち」と言いました。市民自治基本条例は自治体の憲法です。「自治体のかたち」と言ってもよいのですね。
大阪は「文化行政発祥の地」です。大阪の市民自治基本条例に「一番大切なことは文化なのだ」と規定して頂きたい。
大阪は「文化の輝くまちをめざすのだ」と「大阪のかたち」のなかに掲げていただきたいと思います。大文連の益々のご発展を祈念いたし
歴史のある大文連の、しかも第三十回の記念すべき総会で話をさせて頂くことを光栄に思います。
ちょうど22年前の1985年に大文連主催の「文化フオ−ラム」に招いて頂きました。そのときは「文化ホ−ル」の話をして会報「文化の広場( 39号)」に掲載していただきました。今回こちらに参りますので読み返して懐かしく思い起こしました。本日はこの後、文化芸術年鑑出版30周年記念の祝宴がございます。文化芸術年鑑の「毎年の特集テ−マ」はそれ自体が「日本の地域文化の年代史」になっております。
町衆文化の都―大阪
京都は朝廷とお公家さんの都ですが、大阪は近松門左衛門、井原西鶴、淀屋辰五郎などの方々が活躍した町衆の文化の都です。
黒田了一さんが佐藤義詮さんとの知事選挙で、大方の予想を覆して知事に当選なさった。そして、「町衆の文化の都であった大阪が今は地盤沈下している」「大阪が国際文化都市に甦るにはどうしたらよいのか」。
それを考えるために、当代一流の十人の方に委嘱して「大阪文化振興研究会」を設けました。宮本又次、梅棹忠夫、小野十三郎、木村重信、里井達三郎、司馬遼太郎、末次摂子、西川幸治、米花 稔、吉田光邦の方々です。
3年間の研究成果が大阪の出版社の創元社から2冊の本になって刊行されました。「大阪の文化を考える」「都市と文化問題」です。
この二冊の本は文化行政の手引書でした。文化行政担当職員は熟読しました。
文化行政は大阪から始まった。正確に言えば大阪府から始まったのですね。大阪府庁に芸術文化振興室が新設されたのは1973年で、日本で最初のことでした。
次いで1975年に兵庫県の坂井知事、滋賀県の武村知事、埼玉県の畑知事と続き、神奈川県の長洲一二知事は1977年に文化室をつくりました。私は人事異動でそこに行きました。
1979年、「第一回全国文化行政シンポジウム」を横浜で開催しました。43の都道府県と33の市町村が参加しました。
この全国シンポで「文化」が「自治体の重要政策」になっていることを、内外に鮮烈にアピールしたのです。以来、文化行政は時代の潮流となって全国に広がっていきました。自治体に文化行政が始まったのはお金のない時期であったのです。オイルショックの直後です。財政に余裕があったから始まったのではないのです。
文化行政への疑念
さてところが、文化行政に強い疑念が提起されました。
「行政が文化を安易に言い出すのは問題である」「危険ですらある」との批判です。「行政」は安定性と公平性を旨とするが、「文化」は創造であり現状変革であり異端でもある。文化は計量化できない価値の問題である。文化は個人の自由な精神活動の営為であり所産であるのだ。「行政が文化に関わって碌なことはない」。「何事も無難に大過なくの公務員が文化の問題で意味あることはできない」との批判が突きつけられました。
私は新設された文化室の企画担当に人事異動で行きました。企画担当の仕事は「文化行政とは何か」「文化を政策にできるのか」を考えることでした。「文化行政への疑念」に答えなければなりませんでした。
その頃のことです。伊豆からの帰途の松下圭一さんに横浜で下車してもらって「横浜駅西口の東急ホテルの地階レストラン」で逢っていただきました。
「文化行政の本を出したいので協力してほしい」ついては「共編者になってもらいたい」と臆面もなく言いました。その本が、松下圭一・森 啓編著「文化行政―行政の自己革新」学陽書房です。日本で最初の「文化行政の本」です。刊行は1981年です。
私はその本の第三章に「文化行政とは市民と行政との協働の営為である」として「文化行政の展開条件」を書きました。
文化と行政
マッカ−サ−の占領政策は内務官僚を指図する間接統治方式でした。
内務省の幹部は公職追放しましたが、後に東京都知事になった鈴木俊一さんから下の内務官僚を使って占領政策を進めました。でありますから、明治以来の官僚思想は殆んど無傷で戦後も温存されました。例えば、国民は牧場にいる牛や馬のようなもので、エリートである内務官僚が良き方向に導いてやらねばならないという「牧民観の思想」は今も続いています。あるいは、国家が統治権の主体で国民は被治者である。国家官僚が都道府県に命令して市町村に執行させる、などの考え方は、何一つ変わることなく今日に至っているのです。そのため、自治体職員も自らを蔑んで自分の職業名を地方公務員と名乗る習性が長らく続きました。地方公務員では意味ある文化行政になりません。
70年代は、革新団体が活力を持っていました。その頃の労働組合の役員には「自分の不利益を覚悟する献身性」「未来を展望するロマンと純粋性」がありました。今の労働組合と役員は「自分の役職を守る保身団体」になり信頼を失い組織率は急激に低下しています。
70年代の対立軸は「経済体制のイデオロギー」でした。そのころは「賃労働と資本」の学習会なども盛んで、「時代を切り拓く熱気」が社会に存在しました。
ところが今は、社会全体に「状況追随思考」と「主体鈍磨」が広がっています。なぜ、人々はかくも「生活保守主義」に嵌まり込み、公共社会への関心を低下させてしまったのでしょうか。
現在は争点がなくなったと言われます。争点が無くなったのではない。見えていないのですね。思考の座標軸が定まらないから見えないのです。
現在の対抗軸は「国家統治」対「市民自治」です。「利益偏重の経済社会」を「人間らしい地域文化」に組み替えるのが「現代の対抗軸」です。
1973年に大阪から文化行政の旗が上がった。
80年代に「文化活動の条件整備」「文化的な景観・街並み」が自治体政策の重要課題になった。
そのときの命題は「市民自治による市民文化の創出」であったのです。
今こそ「文化」である。この旗を鮮明に掲げなくてならぬと思います。
チャップリンも言っているように「人が生きている意味は働くだけではなく楽しむことにある」のですね。美しいものを美しいと思い、嬉しいことを嬉しいと共感する。「人はパンのみに生くるにあらず」ですね。
行政の役割は文化施設の整備
80年代になると自治体財政が好転しました。それで「あちらにもこちらにも」流行のように文化会館が建設されました。「文化ホールラッシュ」と言われました。全国どこかで毎日のように3つも4つも落成式をやっている時期もあったのですね。そして「ハコモノ批判」が噴き出しました。
日清・日露の戦争以来、日本は公共財政で「人々が楽しむ施設」に「ビタ一文」使わなかったのです。ですから、文化ホールを作っても作り方がわからない、運営がわからないから水準の低い建物になって「ハコモノ批判」が出た。それは「むべなるかな」であったのです。
中之島公会堂も日比谷公会堂も財界人が寄付したものです。税金で役所が建設したのではないのですね。その中之島公会堂が取り壊され建て直すことになった。保存運動をなさった方々がいたからあの優美な姿で残ったのですね。大阪の文化を残すことができたのです。
文化で行政のできることは「施設整備」です。「文化活動の条件整備」が行政の役割です。「ハコモノ批判」がありましたが「文化施設をつくること」で、その次に水準の高い文化ホールが出てくるのですね。メイシアターがそれです。メイシアターは使い勝手もよいから大文連の「花の宴」はいつもそこで開催しているのですね。文化ホールは運営次第、運営は人次第であります。
指定管理者制度―「文化の牙」で検証
現在の問題は「指定管理者制度」です。
これまでは、税金で建てた施設は「行政財産」であるから民間に委託をしてはならない。「公の施設」は「行政が管理するものだ」と言っていたのです。
ところが、議会で管理者を定めるならば「管理も運営も」民間会社に任せてもよいと総務省が言い出しました。ネライは経費節約です。
利用する市民と文化団体のためではないのです。それであっても、「公務員が規則・規則で管理するよりも良いか」という悩ましい問題が付着します。
「しっかりした団体が民間的な感覚で運営するのは良い面も」ある、との意見です。これをどう考えればよいでしょうか。
だが、民間企業が引き受ければ、最初は立派なことを言うでしょうが、そのうちに「利益の上がらない部門は切り捨て」になるのは明白です。あるいは「料金を引き上げ」になる。当然の成り行きです。利用団体も「公務員の管理よりは良いか」では済まない問題です。
大阪市立大学におられた宮本憲一先生が、「大阪をあんじょうする会」をやってらっしゃったころ、原稿をお願いしたことがございます。
文化が人々を幸せにするには、文化に関わる人々が「文化の牙」を持たなくてはならない。「ごまかし はぐらかし たぶらかし」を見抜く力を持たなければならないと言っておられました。それを思い出します。
戦争と文化
日中戦争を始めるとき「音楽や演劇を楽しんでいるやつらから税金を取れ」といって入場税が作られました。藤原義江さんが「わずかの入場料金の大半を税務署に持っていかなければならなかった無念さ」を書いておられました。
戦争になりますと入場税だけでなく「国策文化」という問題が起きます。戦争を知らない人が増えていますから、年配の方は話さなくてはなりません。
現在は、国民保護法が問題です。市町村は「国民保護計画」を作らされています。大阪市も作っています。外国軍隊が入ってきたとき住民を避難させる計画づくりです。実にバカな話です。現代の戦争はミサイル爆弾や劣化ウラン爆弾が見えないところから飛び交う戦争です。
避難計画は「戦争への心の動員」です。国民保護法は戦争協力法です。協力しない国民を罰する法です。事態は遂にここまできているのですね。
盗聴法なのに「通信傍受法」、言論の自由弾圧法なのに「私的情報保護法」、国民総背番号制なのに「住民基本台帳ネットワーク」です。刑法理論で「未遂罪でもない」ことを「共謀罪」で国民を処罰する。改憲のための国民投票法も強行採決しました。
ジョ−ジ・オ−エルが「1984年」で描いた「恐怖の管理社会」が現実化しているのです。
文化の牙が大切です。しっかりと事態を見つめて考える力が必要です。
靖国神社参拝
今日の新聞のトップ記事は、安倍総理が靖国神社に榊を「内閣総理大臣名義」で奉納した記事です。つい先日、中国の温家宝首相が衆・参議院で噛んで含めるように話をなさった直後のことです。
田中角栄さんが日中交渉で中国に行ったとき「ご迷惑をおかけしました」と言った。その言い方は、「通りがかりの人のスカ−トに水がかかったとき」に謝る言葉ですよ、と周恩来さんが言いました。中国人民には日本との無原則な仲直りには賛成できない心情があるので、「中国人民を苦しめたのは日本の一部の軍国主義者」で「日本国民も被害者なのだ」と言い分けて、日中国交を締結した。だから「極東軍事裁判の戦争犯罪人」のところには、せめて内閣総理大臣と外務大臣と内閣官房長官だけは参拝に行かないでもらいたい、と言っているのに、小泉首相は参拝した。安倍首相も温家宝首相の国会演説の直後なのに行ったわけです。
従軍慰安婦問題を「狭義の意味では強制は無かった」と安倍首相が言ったので、アメリカで問題になりました。アメリカ政界では、日本の総理大臣が「拉致問題」を言うのなら「従軍慰安婦問題」を謝るべきではないか、辻褄が合わないではないかと非難が高まっています。
ブッシュ大統領に謝るのではなく、日本とアジアの人にこそ謝るべきではないでしょうか。戦争が文化・芸術・芸能の人達をどれほど不自由にさせて苦しめたことであったか。
文化・芸術・芸能の価値は「銭金ではなくて自由な心で生きている意味を楽しむ」ことにあるのですね。
市民自治基本条例と文化
市民自治基本条例の制定が全国に広がっています。司馬遼太郎さんが「国のかたち」と言いました。市民自治基本条例は自治体の憲法です。「自治体のかたち」と言ってもよいのですね。
大阪は「文化行政発祥の地」です。大阪の市民自治基本条例に「一番大切なことは文化なのだ」と規定して頂きたい。
大阪は「文化の輝くまちをめざすのだ」と「大阪のかたち」のなかに掲げていただきたいと思います。大文連の益々のご発展を祈念いたし
文化ホールの文化化
文化ホールへの批判
文化ホールに対して「ハコモノ批判」がある。建設することが目的であったのだとの批判である。財政担当からは、事業費・維持運営費、修理費など、毎年出ていく費用への批判がある。「使用料を値上げせよ」「自主事業を廃止せよ」「貸しホールにせよ」との注文である。
利用する側からは次のような批判がある。
第一は利用時間。利用する側には早朝に午前の行事の準備をしたい場合がある。ところが、所定の時刻まではホール内に入れない。閉館時刻も同様で、たとえばアンコールで会場内が沸騰して感動の坩堝になっていても時間延長は難しい。弾力的運用の工夫がない。これでは、文化ホールの運営に批判が出るのは当然である。本庁の文化室はこれを「見て見ぬふり」をしてはならない。文化室は文化戦略推進室でなければならない。
文化室がこれらを打開できなければ、文化室は総合的文化戦略の推進事務局であると言えない。文化室の才覚が求められている。
条例(規則)で、利用時間や利用料金は定められているのだから「無理だ」ではなくて「どうすれば出来るか」を考える。それが「行政の文化化」である。惰性的慣行の壁を知恵・才覚で変革するのが「行政文化の自己革新」である。
行政文化の革新
文化戦略の重要な意味は「行政文化を革新する」ことにある。
無難に大過無くの行政文化のままで、「地域文化の創造」とか「地域文化の振興」とか「文化行政の推進」などを口にするのはおこがましいのである。
文化ホールを24時間利用出来る仕組みを考案する。そのシクミをつくることが「行政文化の革新」である。「他のホールもみんな同じだから」と、月一回・週一回の休館日を当然視してはならない。
水準の低い文化ホールとは、人事異動で交代する公務員が管理しているホールのことである。であるから「指定管理者制度」が急速に広がるのである。指定管理者制度が広がるのは経済効率だけが原因ではない。運営への批判でもある。管理運営を公募市民に委嘱する。あるいは専門技術を有する市民団体に委託する。委嘱や委託の費用は公務員何人分かの人件費で十分である。公務員給与は年功序列の給与体系であるから管理職一人分でも相当な額である。
市民に委託した方が運営水準も高く経費も少額になる。前例踏襲の公務員は文化ホールの管理運営から撤退すべきであろう。運営管理の監査は公開の市民委員会で行う。
文化ホールへの批判
文化ホールに対して「ハコモノ批判」がある。建設することが目的であったのだとの批判である。財政担当からは、事業費・維持運営費、修理費など、毎年出ていく費用への批判がある。「使用料を値上げせよ」「自主事業を廃止せよ」「貸しホールにせよ」との注文である。
利用する側からは次のような批判がある。
第一は利用時間。利用する側には早朝に午前の行事の準備をしたい場合がある。ところが、所定の時刻まではホール内に入れない。閉館時刻も同様で、たとえばアンコールで会場内が沸騰して感動の坩堝になっていても時間延長は難しい。弾力的運用の工夫がない。これでは、文化ホールの運営に批判が出るのは当然である。本庁の文化室はこれを「見て見ぬふり」をしてはならない。文化室は文化戦略推進室でなければならない。
文化室がこれらを打開できなければ、文化室は総合的文化戦略の推進事務局であると言えない。文化室の才覚が求められている。
条例(規則)で、利用時間や利用料金は定められているのだから「無理だ」ではなくて「どうすれば出来るか」を考える。それが「行政の文化化」である。惰性的慣行の壁を知恵・才覚で変革するのが「行政文化の自己革新」である。
行政文化の革新
文化戦略の重要な意味は「行政文化を革新する」ことにある。
無難に大過無くの行政文化のままで、「地域文化の創造」とか「地域文化の振興」とか「文化行政の推進」などを口にするのはおこがましいのである。
文化ホールを24時間利用出来る仕組みを考案する。そのシクミをつくることが「行政文化の革新」である。「他のホールもみんな同じだから」と、月一回・週一回の休館日を当然視してはならない。
水準の低い文化ホールとは、人事異動で交代する公務員が管理しているホールのことである。であるから「指定管理者制度」が急速に広がるのである。指定管理者制度が広がるのは経済効率だけが原因ではない。運営への批判でもある。管理運営を公募市民に委嘱する。あるいは専門技術を有する市民団体に委託する。委嘱や委託の費用は公務員何人分かの人件費で十分である。公務員給与は年功序列の給与体系であるから管理職一人分でも相当な額である。
市民に委託した方が運営水準も高く経費も少額になる。前例踏襲の公務員は文化ホールの管理運営から撤退すべきであろう。運営管理の監査は公開の市民委員会で行う。
文化ホールがまちを輝かせる
文化施設をつくる目的は何か
文化的なまちとは、住んでいたいと思い住んでいることが誇りに思えるまちである。文化施設がまちを文化的に変容する。文化施設は運営次第、運営は人次第である。
全国各地で、美術館、博物館、資料館、図書館、文化会館などの文化施設が次々と建設された。焼け野原からの戦災復興、虱と栄養失調、食べるものもなかったのである。
生産経済・経済生産と息せきって働き、公害列島の高度経済成長で経済大国、そして「経済動物・働き中毒」と評されるに至ったのだから、人間らしい感性を豊かに開花させる文化施設を建設するのは必要で良いことである。
文化施設をつくることは良いことであるのだが、問題が噴出した。
生産と経済で働きずくめであったから遊ぶこと楽しむことの意味が分からない。楽しむ意味が分からないから文化施設の大切さが分からない。分からないで文化施設をつくるから問題が噴出する。
例えば、“現職館長が公立美術館批判”との見出しの付いた新聞記事には、長い間、国立と公立の美術館の運営に携わってきたお二人の現職公立美術館長が、「美術館の劣悪な環境」を憂えて、単年度予算では数年先の企画展は出来ない、地元作家に限定せよと地元美術家を代弁する議員の圧力などの実態を述べ、美術館の財団法人化、人事の公募制、国・公立間の人事交流を提言していた。
美術館は「人間の心自然」を守るものであるのだから、道路建設や福祉事業とは異質である。だが、今の行政にはそこのところが分からない。分からないで文化施設を役所流でつくり役所流で管理するから問題が噴き出すと語っていた。問題は美術館だけではない。博物館も資料館も図書館も、そして文化会館にも問題が噴出している。
文化会館への批判
文化会館が全国各地に建設された。そして、次のような批判がなされた。
・行政は建物を建てることが目的で運営のことを考えない。
・明確な設置目的がなくて無難に安易につくるから多目的会館になって何に使っても中途半端な無目的会館になる。
・芸術芸能の空間は「大は小を兼ねない」ことが分からない。だから客席数の多い大ホールをつくる。
・舞台の役者の顔が見えない大ホールをつくるのは、成人式や表彰式などの行政行事に使うためで「文化」は付け足しである。
・実際に利用する人の声を聞かない。演劇・演奏についてはまったく何も知らない建築家に設計させてつくる。だから使い勝手の悪い欠陥ホールになる。
・生涯を規則と前例で何事も万事無難に大過なくやってきた行政職員が行政財産とし管理するから閑古鳥が鳴く建物になる。
・館長は行政内の序列で最後の花道として任用され、職員はローテーション人事で異動するから、規則で管理する建物になって地域に文化の種を蒔き育てる文化会館にならない。
なぜ、このようなことになるのか。
文化会館は何のためにつくるのかを真剣に考えないからである。
行政の担当者は「そんなことはない、考えている」と反論するであろう。「文化会館を建てるのは地域の文化振興のためである」のだと。
しかし、文化会館を建てるだけでは文化の振興にはならない。しかも、行政財産として管理したのでは文化会館は地域で呼吸せず地域に文化は育たない。 文化施設は運営が問題である。「文化施設は運営次第であり運営は人次第である」のだ。
行政文化の実情
役所の担当者や首長は言うであろう。「運営も考えているのだ」と。
しかしながら、考えているとはとても思えないのが現状である。建物を建てた後で「館長は誰がよいか」を考えている。それが実情である。
文化施設は、基本設計の前に「誰がこの施設で、何をどうするのか」を見定めて、そのような構造の建物をつくるのが重要である。
だが実態は、「文化施設については何も分かっていない実直な公務員」が「さしたる見識もない首長の意向を伺い」つつ「発注を受けたいだけの建築屋」と「市民不在の場で密かに協議」して「莫大な費用で建物をつくっている」のが文化会館建設の実態である。
だから、文化施設への批判が噴き出すのである。
行政の担当者は「文化振興のために文化会館を建設する」と言う。しからば、その文化振興とは「何をどうすることであるのか」「文化会館がどのような働きをしていかなる文化がどのように変わるのか」との問いに、明確な答えは返ってこない。文化振興という言葉があって中身がない。「文化振興」とは中身のない言葉である。行政には内容空疎な言葉が多い。今の行政のままでは文化施設をつくっても地域に文化を根付かせ花咲かせることは出来ない。行政文化の自己革新が不可欠である。
文化振興とは何か
「地域の文化を振興する」というのは「文化的なまちをつくる」こと。まちが文化的に変容することをめざすのが文化振興である。
しからば「まちが文化的に変容する」とはどのようなことか。
二つである。
一つは、そこに住んでいる人びとが変容する。
住んでいる人びとの感性が豊かになりモノとカネだけでないライフスタイルに次第に変容する。たとえば、子どもを学習塾に通わせるだけが幸福な人生を約束するとは考えない大人がまちに増えることである。人びとの価値観とライフスタイルがそのまちの文化である。文化ホールをつくることによってまちの人びとの価値観とライフスタイルが次第に変容する。文化ホールのつくり方は文化のまちづくりそのものである。
二つは、まちの風景、雰囲気、たたずまいである。
まちが文化的に変容するとは、美しく潤いがあり、華やかで活気があり、落ち着いた風格のあるまちになっていく。まちがそのようになるのは、住んでいる人びとがまちへの愛情を心の内に育み育てるからである。
住んでいる人びとにその心がなければ、美しく潤いのあるまちにはならない。住んでいる人びとにまちへの誇りの感情がなければまちの風格は出てこない。文化ホールのつくり方によって人びとがまちへの愛着・一体感・愛情を育てる。文化ホールのつくり方と運営に関わることによってまちへの誇りの感情を心の内に育てる。
つまりこれが、文化の振興のために文化施設をつくるということの意味であろう。しかしながら、行政の文化施設のつくり方は逆である。伝統的な役所流で計画し発注し行政財産として管理する。
まちを文化的にする絶好の機会を、行政は投げ捨てているのである。
行政の論理
文化会館は公の施設である。公の施設は行政財産である。行政財産は行政の責任で建設し管理する。住民は行政が提供するサービスの受益者である。住民は公共政策の主体ではない。「行政が政策執行の主体で、住民はまちづくりの主体ではない」である。
これら「無難に大過なく」の「行政文化」では「住んでいることが誇りに思えるまち」にならない。まちづくり派の公務員も一皮むけば伝統的な公の施設論者である。統治支配の官庁理論が役所内には根強く浸透しているのである。
だが、公の施設論では文化ホールをつくっても役所が管理する建物になる。地域に文化の種を蒔き育て花を咲かせる文化ホールにはならない。市民文化の拠点にはならない。
首長の役割
文化施設は運営次第、運営は人次第である。
運営する人を探し出すのも文化施設のソフトである。全国各地の文化施設で評判の良いところには人がいる。その人を見出しそこに配置したのは首長である。莫大巨額な文化宮殿をつくるよりも運営する人を見出すことである。
全国の文化施設のなかでトップレベルの運営であると評されている館長は首長が三顧の礼を尽くして迎えたところである。文化施設の運営は首長次第であると言える。
(1)多額の費用で施設をつくるのだから、首長自身がすぐれた文化施設を視察する。すぐれた運営をしている人、文化施設をつくった首長に逢って意見を聴く。地域にどのような影響が出たかを自身の目で眺める。
(2)文化施設の建設を、まちづくりの絶好のチャンスと考えて、政策討論のシカケを工夫する。担当者は行政内の年功で選ばない。市民の成熟が文化のまちづくりであると考える。
(3)文化施設は人次第であるのだから構想の段階から運営する人を選ぶ。
「館長」は行政財産を管理する人のイメージがあるから、呼称は「支配人」がよい。建設前に選任された支配人であるならば、地域の実態と文化施設の関わりを考えるため、すぐれた施設を視察して最適の構造を考えるであろう。
(4)支配人は公務員からでなく人材を外に見出す。「文化」と「行政」は原理が異質である。伝統的な行政内の考え方では文化施設の運営は出来ない。
文化施設の運営は行政財産の管理ではない。
(5)首長は支配人に「この施設で何をなさっても結構です」「いかように運営してもよろしいのです」「一切お任せします」と言えば、素晴らしい文化施設になるであろう。会計制度、財務規則、人事制度、そして「公の施設論」などの「伝統的官庁理論」がせっかくの文化施設を「行政が管理する建物」にする。
「文化施設を例外扱いにする知恵」が必要である。それが「行政の文化化」である。
文化会館は、翌日の明け方まで、感動と興奮でさんざめく交歓の場でなければならない。他の公共施設と横並びで、規則どおりに管理するのでは、地域に文化の芽は育たない。
文化施設をつくる目的は何か
文化的なまちとは、住んでいたいと思い住んでいることが誇りに思えるまちである。文化施設がまちを文化的に変容する。文化施設は運営次第、運営は人次第である。
全国各地で、美術館、博物館、資料館、図書館、文化会館などの文化施設が次々と建設された。焼け野原からの戦災復興、虱と栄養失調、食べるものもなかったのである。
生産経済・経済生産と息せきって働き、公害列島の高度経済成長で経済大国、そして「経済動物・働き中毒」と評されるに至ったのだから、人間らしい感性を豊かに開花させる文化施設を建設するのは必要で良いことである。
文化施設をつくることは良いことであるのだが、問題が噴出した。
生産と経済で働きずくめであったから遊ぶこと楽しむことの意味が分からない。楽しむ意味が分からないから文化施設の大切さが分からない。分からないで文化施設をつくるから問題が噴出する。
例えば、“現職館長が公立美術館批判”との見出しの付いた新聞記事には、長い間、国立と公立の美術館の運営に携わってきたお二人の現職公立美術館長が、「美術館の劣悪な環境」を憂えて、単年度予算では数年先の企画展は出来ない、地元作家に限定せよと地元美術家を代弁する議員の圧力などの実態を述べ、美術館の財団法人化、人事の公募制、国・公立間の人事交流を提言していた。
美術館は「人間の心自然」を守るものであるのだから、道路建設や福祉事業とは異質である。だが、今の行政にはそこのところが分からない。分からないで文化施設を役所流でつくり役所流で管理するから問題が噴き出すと語っていた。問題は美術館だけではない。博物館も資料館も図書館も、そして文化会館にも問題が噴出している。
文化会館への批判
文化会館が全国各地に建設された。そして、次のような批判がなされた。
・行政は建物を建てることが目的で運営のことを考えない。
・明確な設置目的がなくて無難に安易につくるから多目的会館になって何に使っても中途半端な無目的会館になる。
・芸術芸能の空間は「大は小を兼ねない」ことが分からない。だから客席数の多い大ホールをつくる。
・舞台の役者の顔が見えない大ホールをつくるのは、成人式や表彰式などの行政行事に使うためで「文化」は付け足しである。
・実際に利用する人の声を聞かない。演劇・演奏についてはまったく何も知らない建築家に設計させてつくる。だから使い勝手の悪い欠陥ホールになる。
・生涯を規則と前例で何事も万事無難に大過なくやってきた行政職員が行政財産とし管理するから閑古鳥が鳴く建物になる。
・館長は行政内の序列で最後の花道として任用され、職員はローテーション人事で異動するから、規則で管理する建物になって地域に文化の種を蒔き育てる文化会館にならない。
なぜ、このようなことになるのか。
文化会館は何のためにつくるのかを真剣に考えないからである。
行政の担当者は「そんなことはない、考えている」と反論するであろう。「文化会館を建てるのは地域の文化振興のためである」のだと。
しかし、文化会館を建てるだけでは文化の振興にはならない。しかも、行政財産として管理したのでは文化会館は地域で呼吸せず地域に文化は育たない。 文化施設は運営が問題である。「文化施設は運営次第であり運営は人次第である」のだ。
行政文化の実情
役所の担当者や首長は言うであろう。「運営も考えているのだ」と。
しかしながら、考えているとはとても思えないのが現状である。建物を建てた後で「館長は誰がよいか」を考えている。それが実情である。
文化施設は、基本設計の前に「誰がこの施設で、何をどうするのか」を見定めて、そのような構造の建物をつくるのが重要である。
だが実態は、「文化施設については何も分かっていない実直な公務員」が「さしたる見識もない首長の意向を伺い」つつ「発注を受けたいだけの建築屋」と「市民不在の場で密かに協議」して「莫大な費用で建物をつくっている」のが文化会館建設の実態である。
だから、文化施設への批判が噴き出すのである。
行政の担当者は「文化振興のために文化会館を建設する」と言う。しからば、その文化振興とは「何をどうすることであるのか」「文化会館がどのような働きをしていかなる文化がどのように変わるのか」との問いに、明確な答えは返ってこない。文化振興という言葉があって中身がない。「文化振興」とは中身のない言葉である。行政には内容空疎な言葉が多い。今の行政のままでは文化施設をつくっても地域に文化を根付かせ花咲かせることは出来ない。行政文化の自己革新が不可欠である。
文化振興とは何か
「地域の文化を振興する」というのは「文化的なまちをつくる」こと。まちが文化的に変容することをめざすのが文化振興である。
しからば「まちが文化的に変容する」とはどのようなことか。
二つである。
一つは、そこに住んでいる人びとが変容する。
住んでいる人びとの感性が豊かになりモノとカネだけでないライフスタイルに次第に変容する。たとえば、子どもを学習塾に通わせるだけが幸福な人生を約束するとは考えない大人がまちに増えることである。人びとの価値観とライフスタイルがそのまちの文化である。文化ホールをつくることによってまちの人びとの価値観とライフスタイルが次第に変容する。文化ホールのつくり方は文化のまちづくりそのものである。
二つは、まちの風景、雰囲気、たたずまいである。
まちが文化的に変容するとは、美しく潤いがあり、華やかで活気があり、落ち着いた風格のあるまちになっていく。まちがそのようになるのは、住んでいる人びとがまちへの愛情を心の内に育み育てるからである。
住んでいる人びとにその心がなければ、美しく潤いのあるまちにはならない。住んでいる人びとにまちへの誇りの感情がなければまちの風格は出てこない。文化ホールのつくり方によって人びとがまちへの愛着・一体感・愛情を育てる。文化ホールのつくり方と運営に関わることによってまちへの誇りの感情を心の内に育てる。
つまりこれが、文化の振興のために文化施設をつくるということの意味であろう。しかしながら、行政の文化施設のつくり方は逆である。伝統的な役所流で計画し発注し行政財産として管理する。
まちを文化的にする絶好の機会を、行政は投げ捨てているのである。
行政の論理
文化会館は公の施設である。公の施設は行政財産である。行政財産は行政の責任で建設し管理する。住民は行政が提供するサービスの受益者である。住民は公共政策の主体ではない。「行政が政策執行の主体で、住民はまちづくりの主体ではない」である。
これら「無難に大過なく」の「行政文化」では「住んでいることが誇りに思えるまち」にならない。まちづくり派の公務員も一皮むけば伝統的な公の施設論者である。統治支配の官庁理論が役所内には根強く浸透しているのである。
だが、公の施設論では文化ホールをつくっても役所が管理する建物になる。地域に文化の種を蒔き育て花を咲かせる文化ホールにはならない。市民文化の拠点にはならない。
首長の役割
文化施設は運営次第、運営は人次第である。
運営する人を探し出すのも文化施設のソフトである。全国各地の文化施設で評判の良いところには人がいる。その人を見出しそこに配置したのは首長である。莫大巨額な文化宮殿をつくるよりも運営する人を見出すことである。
全国の文化施設のなかでトップレベルの運営であると評されている館長は首長が三顧の礼を尽くして迎えたところである。文化施設の運営は首長次第であると言える。
(1)多額の費用で施設をつくるのだから、首長自身がすぐれた文化施設を視察する。すぐれた運営をしている人、文化施設をつくった首長に逢って意見を聴く。地域にどのような影響が出たかを自身の目で眺める。
(2)文化施設の建設を、まちづくりの絶好のチャンスと考えて、政策討論のシカケを工夫する。担当者は行政内の年功で選ばない。市民の成熟が文化のまちづくりであると考える。
(3)文化施設は人次第であるのだから構想の段階から運営する人を選ぶ。
「館長」は行政財産を管理する人のイメージがあるから、呼称は「支配人」がよい。建設前に選任された支配人であるならば、地域の実態と文化施設の関わりを考えるため、すぐれた施設を視察して最適の構造を考えるであろう。
(4)支配人は公務員からでなく人材を外に見出す。「文化」と「行政」は原理が異質である。伝統的な行政内の考え方では文化施設の運営は出来ない。
文化施設の運営は行政財産の管理ではない。
(5)首長は支配人に「この施設で何をなさっても結構です」「いかように運営してもよろしいのです」「一切お任せします」と言えば、素晴らしい文化施設になるであろう。会計制度、財務規則、人事制度、そして「公の施設論」などの「伝統的官庁理論」がせっかくの文化施設を「行政が管理する建物」にする。
「文化施設を例外扱いにする知恵」が必要である。それが「行政の文化化」である。
文化会館は、翌日の明け方まで、感動と興奮でさんざめく交歓の場でなければならない。他の公共施設と横並びで、規則どおりに管理するのでは、地域に文化の芽は育たない。


