■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
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2017北海道自治体学土曜講座(第三回) 現在日本は民主主義か
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
 2017・北海道自治体学土曜講座 第3回 7月22日(土)
 主題 現在日本は民主主義か ~松下圭一理論を検証する~

以下は当日の論点である。
1 憲法が180度転換をしたにも拘らず、明治憲法理論の「国家」「国家統治」の観念が存続するのはなぜか
2 学者は松下理論(著作)」を「読まないことにしている」のはなぜであろうか

71年前(1945年)、日本中が焼け野原になりポツダム宣言(無条件降伏)を受諾した。
食べる物も無くなり「二度と戦争はしない」と覚悟して憲法を定めた。憲法は「国家主権」から「国民主権」の憲法に180度転換したのである。ところが、多数の学者は「国家主権」「国家統治」を現在も言説している。なぜ「偽民主主義の理論」が続いているのであろうか。

民主主義は「市民の自治・共和」である。「国家の統治」ではない。
民主政治は「市民が政府を選出し制御し交代させる」である。
民主主義の政治理論は「市民と政府の理論」「政府信託の理論」「政府制御の理論」「信託解除権の理論」でなくてはならない。
市民は国家に統治される被治者ではない。
 [(注)「国民」の語は、長年の(国家三要素説)の弊害で、国籍の有無によって(生活権や政治参加などの)基本人権を否認されるから、「人々=People=Citizen」の「市民」の語を使用するのが良い]

(1) 明治初年に「国権か民権か」の自由民権運動が起こり、伊藤博文はドイツに赴いた
そのドイツは、イギリス市民革命・アメリカ独立革命・フランス市民革命に驚愕したドイツ皇帝が「立憲君主制の憲法」で専制支配を続けていた。「立憲君主制」は「国家」を隠れ蓑にする皇帝専制の偽民主政治制度である。
 伊藤はドイツから「国家理論」と「立憲君主制」を持ち帰って「立憲君主憲法」をつくり、渡辺洪基・東京帝国大学総長に「国家学ノ研究ヲ振興シ、普ク国民ヲシテ立憲ノ本義ト其運用トヲ知ラシムルコト(国家の観念を教え込むこと)ガ極メテ必要」と助言して、1887年2月、東京帝国大学内に「国家学会」を設立し「国家学会雑誌」を発行して「国家学」を正統学とした。
 さらに『私立法律学校特別監督条規』をつくって、今日の主要私大法学部の前身である私立法律学校を東京帝国大学法学部の統制下においた。そして天皇機関説事件などを経て「国家統治」に疑念を抱くことも禁圧した。
以来、大学の講義は「国家が国民を統治支配する国家学」であった。
かくして、現在も「憲法は国家統治の基本法である」「国家が国民を統治する」の講義が続いている。なぜ続いているのか。

(2) 註解日本国憲法
 1947〜1949年、東京帝国大学の学者12人が「註解日本国憲法」なる逐条解説書(上・中・下)を分担執筆して刊行した。
 つい直前まで「国家統治」に疑念を抱くことすら厳しく禁圧されていたのであるから、帝国大学の学者が「国家統治」の観念から自由になることはできる筈もなかった。
 分担執筆を提案した田中二郎は、その後も「国家の優越的地位の論理」を自身の著作に書き続けた。例えば、行政法の標準的教科書とされた1964年刊行の『新版行政法』(弘文堂)には、「行政法は、支配権者としての国・公共団体等の行政主体とこれに服すべき人民との間の法律関係の定めであることを本則とする」「行政法は、支配権者たる行政主体の組織に関する法、及び、原則として、かような行政主体と私人との間の命令・支配に関する法であり、公共の福祉を目的として、国又は公共団体が一方的に規制することを建前とする点に特色が認められる」と叙述した。驚くべき反民主主義の国家統治の見解である。

 この見解が「註解日本国憲法」の基本認識である。
すなわち、行政が「公」であり、国民は「行政客体」の「私人」であった。この基本認識が「日本公法学会」「憲法学会」を主導したのである。かくして「憲法は変われども国家統治は変わらず」が存続しているのである。

(3) 学者は自由に発想できない
国家官僚への公務員試験も、法曹界への司法試験も、「国家統治の国家学の答案」でなければ合格できない(させない)シクミになっているから、憲法学者は自由に発想できないのである。松下理論の「市民自治」「市民政府」「政府信託理論」に賛同すると、長年習得し自分も講義している「国家統治の憲法理論」の根幹が崩れる。だから(憲法学者は松下理論の著作を読まないことにしている) のである。
「学会の通説に従わない少数意見になり」「国家試験の出題委員にもなれなくなる」からである。学者は市民自治の民主主義理論に反論出来なくても「みんなで渡れば怖くない」である。
 だがしかし、
「国家」は、権力の座に在る者の「隠れ蓑」の言葉である。「国家」は擬制の言葉である。
「国家三要素説」は「団体概念」と「機構概念」をないまぜにした非論理的説明である。「国家」を統治主体にするための言説である。国家法人論」は美濃部達吉の明治憲法時代の「国家統治理論」である。

(4) 学者の憲法理論  
 NPO法人さっぽろ自由学校「遊」が2014年5月に開講した「民主主義講座」の(第三回講座)は「立憲制と民主主義」であった。
憲法学者の90分の講義には「市民」「政府」「市民自治」の言葉は一語も出なかった。用語は「国家」「国家統治」「国家主権」「国家三要素」であった。
受講者の「国民主権と国家主権はどう違うのか」の質問には答え(られ)ず曖昧にはぐらかした。受講者の質問は、「立法・司法・行政の権限」は「国家の権限」なのか、国民が信託した「政府」の「代表権限」であるのか、を質したのである。
国家試験の最適教科書と評される芦部信喜「憲法(岩波書店)」の、第1頁第1行は「国家統治」であり「国家三要素説」であり「国家法人理論」である。最近刊行の若手学者の憲法教科書も同様である。

 2004年4月、イラクで3人の日本人が拘束されたとき、中東の衛星テレビ局アルジャジーラ放送が伝えた現地声明は、「日本の人々には友情すらも抱いている。だが日本の政府のリーダーは米国のブッシュ大統領と手を組んで軍隊をイラクに出動させた。3日以内に撤退を始めなければ、拘束した3人を焼き殺す」であった。日本のテレビは「アルジャジーラ放送」をそのまま報道した。肉親家族はもとより日本の人々は大いに驚愕した。ところが、翌朝の新聞・テレビは、「政府のリーダーは」の部分を削除して「あなたがたの国は」に改めた。マスメディアに「足並みそろえて」改竄させたのは誰であるか、その改竄は何を意味していたか。国民の「政府責任追及」をはぐらかすためである。

民主政治の主体は「国家」ではない。国家は意思主体ではない。擬制の言葉である。民主主義の主体は「市民と政府」である。主権者である市民が代表権限を政府に信託するのである。政府の権限は「国家の統治権」ではない。市民が信託した代表権限である。

(5) 松下理論
1975年に岩波新書「市民自治の憲法理論(松下圭一)」が刊行されたとき、憲法学者も行政法学者も政治学者も誰も反論できなかった。「松下ショック」と言われた。(大塚信一『松下圭一 日本を変える』トランスビュー2014年刊-序章17頁)
 「市民自治の憲法理論」には、民主主義は「国家が市民を統治する」ではない。人々(=市民=People=Citizen)が民主社会の主人公である。政治主体は「国家」ではない。「市民」である。民主主義は「国家統治」ではない。「市民自治」である、と明快に叙述されていた。
市民自治とは「市民が政府を選出し制御し交代させる」である。選挙は白紙委任ではない、選挙は「信頼委託契約」である。政府が代表権限を逸脱するときは「信託契約」を解除する。これが国民主権であると明快に書かれていた。
学者は「松下理論」に反論できないので「学会」をつくり「国民主権」を「国家主権」と言い換えて「国家が統治権の主体である」と講義して現在に至っている。そして毎年、その教育を受けた学生が社会人になっている。

松下圭一氏は東京大学の学部在学中に、イギリス市民革命を理論化した「ジョン・ロック」を研究して、岩波書店から「市民政治理論の形成」を刊行した。岩波新書「市民自治の憲法理論」「日本の自治・分権」「政治・行政の考え方」の編集担当であり、後に岩波書店の代表取締役社長を務めた大塚信一氏は、2014年11月、松下理論の主要著作を検証して『松下圭一日本を変える』(357頁)を刊行した。 

2015年の大河ドラマ「花燃ゆ」でNHKは、吉田松陰の「松下村塾」に脚光を当てた。その意図を問題なしとはしないが、それはさておき、現在日本には「二つの松下村塾」がある。一つは、松下幸之助氏の「松下政経塾」である。おびただしい輩出議員の数である。だが、その議員は「国家統治」を信奉し推進する人たちである。
もう一つは、松下理論の「市民自治」に賛同し自身の「思考の座標軸」を見定める人々である。全国各地に多数の方々がいる。

2017・北海道自治体学土曜講座 第3回 7月22日(土)
現在日本は民主主義か 
~松下圭一理論を検証する~

山内亮史(旭川大学学長) 
内田和浩(北海学園大学教授)
池田賢太(弁護士)
河上暁弘(広島市立大学准教授) 
村上 昇(元自治労北海道書記局) 
高橋 悟(日本文化行政研究会会員) 
森 啓(自治体政策研究所)
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討論・松下圭一市民政治理論 (2017北海道自治体学土曜講座)
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
 2017-北海道自治体学土曜講座
  第三回(2017-7-22)

 主題 追悼松下圭一先生
     「討論・松下市民政治理論」

 討論に参加くださる方は、このブログ最下段の「コメント」をクリックして「メールアドレス」をご記入ください。
  (アドレスは漏洩しません)。
 当日の時間配分などの詳細をメール通信いたします。
    北海道自治体学土曜講座・共同代表 森 啓

開催趣旨
松下理論(著作)が多くの方々に伝わることが、松下先生への何よりの追悼である。
併せて、吾々は「松下理論」を正当に理解しているであろうか、を自身に問う。

午前10.00-12.30 論点提起 (25分×5人) 
(例示です)
1 松下理論における『市民自治の憲法理論』の意義と位置
2 松下理論における『政策型思考と政治』の意義と位置
3 憲法学者・行政法学者はなぜ松下理論(著作)を読まないのか
4 松下理論の著作が難解だと言われるのは何故であろうか
5 「政策型思考」とはどのようなことか
6 憲法は「天皇主権」から「国民主権」の憲法に変わったが、大学では「憲法とは国家統治の基本法である」と講義(教説)している。何故であろうか。
7 自治体学会は会則(二条)に「自治体学の研鑽を目指す」と定めているが、1986年設立から40年を経過した自治体学会は「自治体学の研鑽を目指している」であろうか。
8 松下理論(著作)から学んだこと

午後 13.30-14.30 松下理論から学んだこと (10分×5人)

    14.45-17.30  討論 

因みに
 2017-北海道自治体学土曜講座の概要は
  (日程と主題・企画中)

  5月(6月3日) トランプ現象-そして日本は
  6月17日   韓国の市民運動から学ぶもの
  7月22日   討論・松下圭一市民政治理論 
  9月30日   北海道のJR問題
  10月21日   議会改革とは何を改革することか    
  

 
自治体学 北海道自治体学土曜講座(第五回) 
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
自治体学 
北海道自治体学土曜講座(第五回)
自治体問題~首長と議員と職員のホンネ討論~
  日時 2016年10月22日
  場所 北海学園大学22番教室
  (詳細を「地方行政」(時事通信社)に近日掲載)

開催趣旨
1993年の機関委任事務制度を廃止した地方分権改革は進展したであろうか。
首長と議員と職員のまちづくり能力は高まっているか。 
職員は「地方公務員」に後戻りしたのではあるまいか。
議会は何をやっているのかが分からない、分からないから「議会不信」が広がり「議会不要論」の声も生じている。
自治体活力は後退しているのではあるまいか。
そこで、首長と議員と職員が、会場発言を交えて、現状打開の道筋を討論した。 
  高橋正夫(本別町長)
  谷 一之(下川町長)
 池田達雄(北斗市議長)
  田村英樹(京極町議長)
 三浦和枝 (自治労北海道本部書記長)
  神原 勝 (北海道大学名誉教授)
(司会) 森 啓 (土曜講座実行委員)

討論の柱
 ①職員の政策能力を高めるには何が必要か
 ②議会改革の道筋は何か 

Ⅰ 職員の政策能力
1 政策能力
2 職員の政策能力 
3 首長の役割   
4 管理職の能力評価制度   
5 市長会・町村会・議長会の責務
6 自治体職員の「政策研究」

Ⅱ 議会改革への道筋
1 議会改革とは何を改革することか。
2 議員だけで議会改革ができるであろうか。
3 議会基本条例を制定することが議会改革であろうか。
4 議員本来の役割は何か
5 議会改革と議会基本条例

Ⅲ議会改革の論点
 1 多くの議員は抽象的な議会改革には賛成する。だが具体的なことになると「そこまでの改革は」「時期尚早ではないか」「順序を踏んで考えるべきことだ」「住民はそこまでは望んでいない」などの結果としては反対意見になる。なぜそうなるのか。その思
考回路を改めることが議会改革の第一歩である。
 2 誠実で見識ある立派な議員もいる。今の「議会の在り方で良いであろうか」を真剣に考えている議員もいる。だが (残念ながら)「言っていること」と「腹にあること」が正反対の議員が多い。議員自身の「在り方・考え方」を改めることなくして「議会改革論議」は意味をなさない。
 3 なぜ議会改革が全国各地で問題(テーマ)になったのか。議会は何をやっているのか分からない。分からないから「無関心」になり「議会は有っても無くても」になり「議会不要論」になっているのである。であるならば、それを打開解決することが「議会改革の第一歩」である。
 4 議員の多くは小手先の改革で住民の「議会不信」をかわせると思っているのではあるまいか。「吾々も真剣に議会改革に取り組んでいるのだ」「議会基本条例を制定するのはそのためだ」と言う。だがしかし、議会改革は基本条例を制定することであろうか。「紙に書いた文章の議決」と「議会が変わる」は別物である。
 5 「議会は立法機関である」との所見がある。果たしてそうであろうか。「執行部と政策を競い合う」のが「二元代表制の議会の在り方」であるとの所見表明もある。しかしながら「議会が条例案を提案して条例制定をする」のが「議会本来の役割」ではあるまい。「議員提案による条例制定」が必要な場合がある。不可欠な場面もある。だが此処の論点は「長と議会の本来役割」である。
 6 二元代表制は「長も議会も有権者住民から代表権限を直接信託されている」という意味である。そして内務省支配時代の「強い首長」と「弱い議会」を打開し克服しなくてはならぬ。北海道芽室町議会の取組みはその先進事例として評価できる。しかしながら、長と議会は対等ではあるが「長と議会の本来役割は異なる」のである。
「役割が異なる」ことを弁えての「政策の競い合い」でなくてはなるまい。(北海道自治研究・2016年6月号)
 7 議会が議員提案でいろいろな議決をしても、議会には執行責任がないから、住民の苦情は役場に(首長に)くる。「議員提案の条例制定」を「議会本来の役割だ」として評価し賞賛する最近の風潮に疑問を感じている、との首長の所見もある。
 8 議員本来の役割は何か
議員の本来役割は執行部提出の議案を審議することである。質疑は議案の政策水準を高めることにある。そのために議員は「まちの重大問題は何か」「地域の課題は何か」を常に考え、住民意見を聴取する場と通路を保有し、先進地域を視察してキーパーソンと出逢い交流して自身の政策(課題と方策)水準を高めるのである。政策能力とは自身の政策意見を言葉で表明し伝える能力である。

 詳細は近日、時事通信社「地方行政」に掲載する



2016北海道自治体学土曜講座
第一回 5月 「沖 縄 問 題」
第二回 6月 「ゴミとどう向き合っていくか」
第三回 7月 「TPPから北海道を守るために」
第四回 9月 「自治体がつくるワーキングプア」
第五回 10月 「自治体問題」

2016・北海道自治体学土曜講座 プログラム
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
2016・北海道自治体学土曜講座 プログラム

第1回 5月7日(土)
沖 縄 問 題 ~沖縄の人々の苦難は他人事ではない~
  宮本憲一 (大阪市立大学名誉教授)  
  松元 剛 (琉球新報編集局次長兼報道本部長)
  徃住嘉文 (北海道ジャーナリスト会議)   
  森 啓 (土曜講座実行委員)

第2回 6月18日(土)
私たちはゴミとどう向き合っていくのか ~迷惑施設問題が提起するもの~
  押谷 一(酪農学園大学教授) 
  久世薫嗣(核廃棄物誘致に反対する道北連絡協議会代表)  
  高橋 悟(日本文化行政研究会会員) 
  小坂 直人(北海学園大学経済学部教授)

第3回 7月23日(土)
北海道の持続可能な発展と自治の力 ~TPPから北海道を守るために~
  久田徳二(北海道新聞編集員・北海道大学客員教授)
  菊池一春(訓子府町長)  
  荒谷明子(メノビレッジ長沼共同代表)
  山口敏文(北海道生活協同組合連合会専務理事) 
  内田和浩(北海学園大学経済学部教授)

第4回 9月3日(土)
自治体がつくるワーキングプア ~その実態、背景と克服策を考える~
  川村雅則(北海学園大学経済学部教授)
  自治労単組関係者2名(※交渉中)
  稲葉典昭(帯広市議会議員) 
  鈴木 一(札幌地域労組副委員長)

第5回 10月22日(土)
北海道の自治体問題 ~首長と議員と職員のホンネ討論~
  高橋正夫(本別町長)  
  谷 一之(下川町長)  
  池田達雄(北斗市議長) 
  田村英樹(京極町議長)  
  三浦和枝 (自治労北海道本部書記長)
  神原 勝 (北海道大学名誉教授)   
  森  啓 (土曜講座実行委員)

会 場   北海学園大学3号館22番教室(札幌市豊平区旭町4 丁目1-40)
地下鉄東豊線「学園前駅」下車。3番出口直結。
参加費  全5回前納:5,000円  1回分:1,500円 (学生無料)
2016・北海道自治体学土曜講座・第一回「沖縄問題」  
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
2016・北海道自治体学土曜講座
第一回「沖縄問題」  
日時 2016年5月7日
会場 北海学園大学3号館
主題 沖縄の人々の苦難は他人事でない
 宮本憲一 (大阪市立大学名誉教授)
 松元 剛 (琉球新報編集局次長兼報道本部長)
 徃住嘉文 (日本ジャーナリスト会議)  
 森 啓 (自治体学土曜講座実行委員)

問題提起   
Ⅰ沖縄の自治と軍事基地 宮本憲一 (大阪市立大学名誉教授)
Ⅱ安倍政権の非情な強権発動 松元 剛 (琉球新報編集局次長)

討 論
以下は当日の論点を基にした筆者の所見である。
民主主義社会を維持継続するには批判的思考力の切磋琢磨が不可欠である。

沖縄の人々の苦難は他人事でない 
日本の人々は「沖縄は気の毒だ」と他人事のように思っているのではあるまいか。
米軍施設の74%が沖縄本島に集中しているのである。深夜も轟く爆音で眠れず、人家周辺に軍用ヘリが墜落し、女性暴行事件が繰り返され、山林破壊が日常化しているのである。少女暴行の米兵は早々とアメリカ本国に帰っていったのである。
これは「治外法権」である。明治のときは、政府は「不平等条約撤廃」に全力を尽くした。だか「日米地位協定」は1960年以来一言一句改定されていない。
ドイツ・イタリアなみの地位協定に改める交渉申入れさえもしない。そして日本の人々はその政府を支持し加担しているのである。

沖縄の米軍基地
沖縄の米軍基地は日本を守るためか。アメリカの世界戦略のためではないのか。基地の米軍兵士は日本の人々を守ろうと思っているであろうか。司令官も兵士も日本を守るための基地だと思ってはいないであろう。
では何のための基地なのか。米軍にとっては、沖縄の米軍基地は「母国では望めないほど快適ですばらしい」のである(米政治学者C.ジョンソン)。 
沖縄に米軍基地が集中したのは、内灘闘争(1952)、砂川闘争(1955)など基地反対闘争が全国に伝播し始め、岸信介が急きょワシントンに出向き「基地反対が反米感情に発展する」とアイク(大統領)に伝えて「沖縄ならばよい」となったからである。

米軍基地は必要か
問題は、米軍が「それなら、基地を全て引き上げる」と言い出したら「コマルのか」である。「それは困る」と(直ちに)言い始めるのは誰であろうか。誰が言い始めるかの見定めが重要である。
困るのは「隣国との友好平和を望まず、安全保障環境の緊迫を声高に言説する人達である。国際緊張が薄れ友好親善になっては(実は)困る人達である。武器輸出の解禁を喜ぶ財界人も「適度の国際緊張」を望み、沖縄の基地存続は必要と言説する。
しかしながら、米軍基地を日本防衛のため必要だと漠然と考えてはなるまい。
クリントン政権で普天間飛行場返還の日米合意を主導したジョセフ・ナイ元国防次官補(現ハーバード大教授)は、朝日新聞掲載のインタビュー記事で、「沖縄の人々の支持が得られないなら、われわれはおそらく辺野古移設を再検討しなければならないだろう」(2014年12月8日付)と述べた。
 駐日米大使として米海兵隊員の少女暴行事件(1995年)に対応したモンデール氏(元副大統領)は、米国務省系の研究機関の外交研究・研修協会「退任後インタビュー」で、「沖縄の米軍駐留継続を日本側が求めていた」と証言した。
 
戦争は殺戮と破壊
戦争は殺戮と破壊である。「国を守る」「国民の生命を守る」は口実である。軍隊は国民を守らないのである。沖縄地上戦がそれを証した。戦争開始を命令する地位・立場に居る人達は、危うい処には(けっして)出ていかない。「元海軍軍令部400時間討論テープ」がそれを証している。
戦争には莫大利益を手にする人が常に居る。イラク侵攻でチェ副大統領の会社は莫大利益を得たと報道された。軍産複合体制は「戦争開始を画策する企業」をも造り出す。戦争開始の元凶は「莫大利益」である。
「戦争を始めるのは金持ち、戦争で死ぬのは貧乏人」とはサルトルの言である。
「沖縄の民意」を一顧だにせず、警視庁機動隊を常駐させ、暴力的に辺野古に本格基地を建設する日本政府に、沖縄の人々は怒りを募らせている。そして、沖縄の人々の苦悩を他人事に思う(ヤマト)の人々にも怒りの情が萌している。

経済的徴兵制
 給付型奨学金(返済しなくてよい奨学金)を(言を弄して)創らないのは「経済的徴兵制」を目論んでいるからであろう。
「経済協力開発機構(OECD)に加盟する34カ国のうち、給付型がないのは日本とアイスランドだけ。だがアイスランドは「大学授業料が無料」だから、日本だけである。日本の若者は300万円から500万円の借金を背負って卒業している。そして多くは「派遣労働」か「飲食業就職」だから、返済できない、結婚できない、結婚しても子供を育てられない。
若者を貧困にしておいての軍隊勧誘が「アメリカの志願兵制度」である。日本にも「奨学金返済免除」を目の前に吊らす「経済的徴兵制」が始まるのではあるまいか。給付型奨学金制度を創らない意図を洞察しなくてはなるまい。
 
沖縄差別
 安倍首相も菅官房長官も沖縄を差別している。辺野古の基地建設を「沖縄県民の負担軽減だ」と言う。「負担軽減」と言うのなら、そして「米軍基地が日本の防衛に必要」と言うのならば、沖縄県外に (日本の何処かに) 建設すべきである。「オール沖縄の民意」は新基地反対である。「空港・軍港・爆弾庫」の本格基地を沖縄に押し付けるのは「沖縄差別」である。
安倍首相も菅官房長官も沖縄県民を差別しているではないか。「権力者は言説で人々を騙す」「政府は常に嘘を言う」は古今の真実である。

NHKの変貌
現在日本のテレビ・新聞は自粛・自主規制して「報道機関の使命」を果たしていない。世界180の国と地域を対象とする報道の自由度ランキング(2016年)で日本は72位である。(見識と気骨ある報道人が年ごとに少なくなる)
とりわけ、NHKの変貌はすさまじい。籾井勝人会長になってから、政治部が「ニュース原稿」「ナレーション原稿」を(安倍官邸から文句を言われないように)訂正している。番組も「安倍首相を刺激する内容はどんどん削られ」「ディレクターが書いた原案をプロューサーが(安倍路線を刺激しないよう)書き換えている。(小滝一志(放送を語る会事務局長)「マスコミ市民」2015-3月号 )
 
 自治体学土曜講座は受講者それぞれが「自身の思考力」を高める場である。問題提起と討論は「思考の座標軸」を確かなものにするためである。
1995年に開講し16年間開催した「北海道地方自治土曜講座」の内容は http://sky.geocities.jp/utopia2036/doyokoza/
2014年に名称を「北海道自治体学土曜講座」に改めて再開した講座内容は http://jititai.net/hokkaido/?p=527 を参照されたい。
自治体議会の権能と議員の責務
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
2015-北海道自治体学土曜講座   
第四講 議会の権能と議員の責務  2015-9-12

1 議会と議員の問題現状 ― 討論するべき問題は何か
・住民は、議会と議員を、どう見ているか
・議会は、信用されているか 議員は信頼されているか
・議会は何をやっているのか - よく分からない
・住民は、投票した議員が四年間、どんな議案に賛成したのか、何の議案に反対したのかを知らない。 
・投票は頼まれてしている。 
・議会と議員の実態が「分からない」→「関心がない」
・無関心→不信感→議員定数減に賛成―議会不要論の声すらもある。定数に満たない立候補で「選挙無し」が増加しているー議会制度の危機である。
・信頼されている議会、尊敬評価されている議員もいる。だが少数である
  
2 議会本来の役割は何か
・首長提出の「総合計画案 予算案 重要議案など」の審議・決議 
・住民提出の「陳情・請願」の審議・採決

論点 
・議会は首長が提出する議案の審議・採決だけでなく、能動的に議会みずから議案を立案して審議・決議をするべきだ。
・この見解に対して、議会は執行に責任を持たないのだから賛同できない。それよりも、議会は実質的な討論・審議をしているか、議案内容を理解していない議員がいるのではないか。との見解がある。 どう考えるのが良いか。

3 選挙の翌日には、住民は陳情・請願の立場に逆転し、(殆どの)議員は白紙委任を受けたかのような身勝手な言動をしている。
・なぜそうなるのか ・どう考えたらよいのか 
・殆どの議員は当選すると、地域住民の切実な活動の場に姿を見せず、「行政への交渉申入れ」や「陳情・請願」にも助力せず関与もしない。
・「議会改革」は議員だけでできるであろうか

4 陳情と請願  
「陳情と請願」の違い ― (ほぼ同一の扱い)
実態 
 多くの議会では、委員会で案件に対する執行部の意見を訊き、担当部局が(それはちょっと)と言うと、「継続審議」になる。そして毎議会「継続審議」を繰り返して、「議員任期」の終了時に「一括(審議未了)であるとして、陳情・請願者に「廃案通告」をしている。(各地の議会によって取り扱いに少し違いあり)

論点 
1 実質審議をせずに継続審議にして、任期終了時に法的根拠も無く「滞貨一掃」にしている。しかしながら、選挙で議員の顔ぶれが変わっても、議会責任は継続するのだから、「審議未了・一括廃案」の通告処分は「違憲-違法」であろう。
2 そもそも、「陳情」「請願」は「お願い」なのか、
 主権者住民の「政策参加」と考えるべきではないのか。
 現在の事態は国民主権に反する違憲の慣例処理である。議会は主権者住民の上位ではない。議会の権限は有権者住民から信託された権限である。現在の慣例処理は旧内務官僚の指導によって行われいてるのである。早急に改めるべき慣例である。
 
  以上の四項目を討論していただきたい。
北海道自治体学土曜講座・第一日目の論点 (3)
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  北海道自治体学土曜講座
    第一日目の論点 (3)

 3.市民と学者の違い
 会場討論の三つ目の論点は「市民と学者の違い」であった。
 例えば、岩波新書「市民自治の憲法理論」、岩波現代文庫「ロック『市民政府論』を読む」(共に松下圭一著)を読んだ市民は「ここに書いてあることが本当の民主政治の理論だ」と言う。「当たり前のことが書いてある」とも言う。
 ところが、多くの学者は「読んだがよく分からない」と言う。そして「読まないことにしている」と述べる。
 「どうして学者は分からないと言うのですか」と、筆者は読書会などで幾度も尋ねられた。そこで、「市民の感想」と「学者の所見」が違うのは「何故なのか」を討論した。
 以下は当日の討論を基にした筆者の所見である。

国家学
 学者が「分からない」「読まない」と言うのは、「市民自治の憲法理論」と「市民政府論」が「市民自治の政治理論」だからである。
 学者は「国家統治の国家学」である。だから「市民自治の政治理論」に賛同しない。さりとて、反論もできないから、「よく分からない」「読まないことにしている」と言うのである。
 長い間、東京帝国大学を頂点とした日本の大学は、国家が国民を統治する国家学であった。国家統治に疑念を抱くことを許さない国家学であった。

国家学会
 伊藤博文は、自由民権運動を弾圧し民権家を捕え国事犯として酷寒の蝦夷地に送り、自らドイツに赴き「立憲君主制の国家理論」を持ち帰り憲法草案を作成した。そして、渡辺洪基・東京帝国大学総長に「国家学ヲ振興シ、国民ニ知ラシムルガ必要」と助言し、1887年2月、東京帝国大学内に「国家学会」を設立し「国家学会雑誌」を発行して「国家統治の国家学」を官学の正統学とした。

市民政府論
 イギリス革命を理論総括したロックの「市民政府論」がアメリカ独立革命に甚大な影響を及ぼし、「独立宣言文」は市民政府論の文章もそのままに書かれている。アメリカ独立に衝撃を受けたフランス市民は「王権統治から市民政治へ」と歴史を回転させた。イギリス市民革命・アメリカ独立革命・フランス市民革命に驚愕したドイツ皇帝は、市民運動家を逮捕殺戮し、「国家」を隠れみのにする「立憲君主制の憲法」で皇帝支配を続けた。立憲君主制は「国家」を隠れみのとする偽民主政治制度である。
伊藤(博文)はドイツの「国家理論」と「立憲君主制」の発見を喜び、故国の岩倉具視に「良い物を見つけた」と喜躍の手紙を送った。帰国して「立憲君主憲法」つくり「国家を統治主体と擬制する国家学」を正統学にしたのである。

市民と学者
 日本は1946年、「天皇主権の明治憲法」から「国民主権の憲法」に百八十度転換した。だが「憲法は変われども国家統治の理論は変わらず」であった。
 学者は、「市民自治」「市民政府」「政府信託理論」を認めると、長年習得してきた「国家理論の根幹」が崩れる。だから「よく分からない」「読まないことにしている」と述べるのである。自分一人では「国家統治」から「市民自治」に理論転換できないと思っているのである。実は、学者も自由ではないのである。
 国家官僚への公務員試験も、法曹界への司法試験も、「国家統治の国家学の答案」でなければ合格させない(国家承認をしない)シクミになっているのである。そして、学会の主要メンバーは国家学である。学者は学会で相手にされなくなるのをなによりも怖れるのである。
 かくして、学者は「国家が国民を統治する国家学」を現在も大学で講義するのである。そして「国家統治学」が民主政治の理論だと思っているのである。
 だが市民は、70年間の憲法感覚で「市民自治の憲法理論」「ロック『市民政府論』を読む」に共感する。これが市民と学者の違いである。

自治体学
 自治体学は「国家」を「市民と政府」に分別して「市民と政府の理論」を構成する。すなわち、市民が政府を「構成し制御し交代させる」のである。民主主義の政治理論は「市民と政府の理論」「政府制御の理論」「政府交代の理論」でなくてはならない。
 国家学の「国家」は擬制の観念である。曖昧な二重概念である。
市民は国家に統治される被治者ではない。民主主義は「国家の統治」ではなくて「市民の自治・共和」である。
 2014年6月21日、北海道大公共政策大学院が開催した「人口急減ショック『縮小社会』をどう生き抜くか」のシンポジウムで、発言席の学者は現在日本をもっともらしく分析するが「国家政策の根幹」に触れる発言はしない。
米国の言語学者ノーム・チョムスキーがアメリカのエスタブリシュメント(Establishment)は「根幹に触れる発言をしない」と述べるのと同根である。
 自治体学は、「国家統治の観念」に「市民自治の理念」を対置して、国家学を克服する学である。「自治体学の概念」「市民政治」「市民議会」「市民行政」「自治体学の実践」「自治体学会の運営」を、「自治体学とはどのような学か」に詳述した。
 詳細は「http://jichitaigaku.blog75.fc2.com/ 」を参照。

北海道自治体学土曜講座第一日目の論点 (2)
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
北海道自治体学土曜講座
   第一日目の論点 (2)

2.現在日本の状況認識
 現在日本には「状況追随思考」が蔓延している。自身の考えを表明しない人々が増えている。自分の考えを表明しなければ、思考力が低下し自分で考えなくなる。そしていつしか、テレビが言っていること、新聞が報道することが自身の意見になる。
 第1回土曜講座で、これらの「問題状況」を提起して「なぜであろうか」を討論しようと考えた。ところが、「現在日本の状況認識」で見解が分岐した。「批判的思考力が低下していると思わない」との意見が出た。討論が入り口で止まって、「なぜであろうか」の討論に入れなかった。これはどうしたことであろうか。

 このことは、北海道の革新団体が発行する月刊研究誌(2014年4月号)の巻頭言に、「日本は『右傾化』しているか」のタイトルで「右傾化していると一概に言えないのではないか」と書いてあったことに通じる。つまり「現状を認識する思考力」が「低下している」のである。
 巻頭言の執筆者は「著名な国立大学大学院」の准教授である。だが書いてある内容は形式論理である。「価値が多元化した現代社会」であるから「右傾化の基準」を示さなければ「日本が右傾化している」とは言えない。どの主体が、どのようにして、なぜ右傾化しているのかを把握して「左派的価値」を再定義しなければ、「日本は右傾化している」と言えないと書いてある。
すなわち、形式論理を得々と述べるだけで、自分自身の見解は表明しない。
 研究誌の編集者は「貴方の見解を書いてください」と執筆者に注文すべきではなかったか。自身の見解を述べない巻頭言に「如何なる意味」があるであろうか。
 安倍普三首相が「集団的自衛権の行使容認を国会で決議する」と言明し、傍若無人に立憲制を真正面から否認しているのである。そしてこの言動を阻止する勢力は少数である。これが日本の現状である。「貴方は右傾化していると思わないのですか」と執筆者に尋ねたい。

 そしてまた、自治基本条例の急速な広がりに対して、自民党が「チョット待て‼ 自治基本条例」のパンフレットをインターネットに掲載(アップ)した。
 自治基本条例を批判し非難する内容である。国家が国民を統治する考え方での非難である。ところが、全国各地には「自治基本条例の制定」に委員として関わり、あるいは助言者として関与した学者が多数いるにもかかわらず、自民党パンフを批判する発言者は現れない。
 これはどうしたことであろうか。
 自分に矛先が向かないときには立派なことを言うけれども、まさにそのことが問題になると、沈黙し形式論理を述べる。学者もまた「発言をしない世渡り術」に沈潜しているのであろうか。これらの学者には「自治体学の実践」の意味理解は難しいであろう。「何が問題か」「打開の手だては何か」を考えるのが「自治体学」である。考えて実践するのが「自治体学の実践」である。
 名著として古典になっている論稿の第1稿は、集会で配布された「パンフレット」であったのだ。
現状認識は「自治体学とはどのような学であるか」を考える論点である。
北海道自治体学土曜講座第一日の概要報告
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
 
  北海道自治体学土曜講座第一日の概要
   会場討論 (1)

1.桶川市のルームクーラー撤去
 1994年の夏は暑かった。
 その夏、桶川市の担当職員が生活保護で暮らす老婦人に、「ルームクーラーを撤去しないと来年度から生活保護費が出せなくなります」と「クーラー撤去を迫った」の新聞報道が全国に流れた。「何と冷酷な行政であるか」の声が全国に広がった。
 生活保護法は厚生省(現厚生労働省)の所管である。だが機関委任で保護手当の支給業務は市が担っている。厚生省は保護所帯の認定基準を「クーラー等は60%以上の家庭に普及」と定めている。
  桶川市は「冷酷な行政と非難をされても、国の委任事務であるから厚生省基準に従わざるを得ない」である。
  これは「実践理論である自治体学」の課題である。

 パネリストに「どう考えればよいか」「どう対処すればよいか」の見解を求めた。明快な見解が出ないので、「皆さんはどう考えますか」と会場にも意見を求めた。

 筆者はかつて(1994年)、北海道庁の係長研修で同様の質問をした。
 「気持ちとしては何とかしたいが、機関委任事務であるから厚生省基準に従わざるを得ないのでは……」が返答であった。そこで、自治体職員として「それでよいのですか」とさらに尋ねると、「講師ならどうしますか」と逆に質問をされた。

 筆者の所見を記述する。
(1)生活保護の受給者は、世間並みを超える暮らし方を一切してはならないのか。世間を気にしながら生活をせよと言うのであろうか。ルームクーラーを設置しても、電気代などが生活保護費に加算されるわけではない。そうであっても、60%以上の家庭に普及していなければ使えないのか。
(2)少額の生活保護手当で「どのような生計を営むか」は各人の自由の問題である。生計費をヤリクリして「オペラを見るのも、美味な料理を楽しむのも、洒落れた服装で出かけるのも」人の暮らし方である。「如何なる暮らし方をするか」は人の自由である。
(3)「暮らし方は自由であるが、人の税金で暮らしているのだから(世間から助けて貰もらっているのだから)、地域の60%の家庭に普及していないクーラーは、やはり感情としては……」の思考と論理は、人権感覚の希薄・人倫思考の欠如である。
(4) 憲法25条は社会権であり生存権である。福祉は「慈善・施し」ではない、「権利」である、と講義をする方々が、実践問題に直面すると、途端に「機関委任事務」「通達」「省庁基準」などの「国家統治の用語」に絡め取られた思考になる。
これが「知っている」と「分かっている」の場面である。
(5)この事例で見解を求められたとき、「人権の問題」だと考えない、思いがそこに至らないのは、「人権」という言葉を「知っているだけ」で、本当は「分かっていない」のである。自分自身を常に安全な立場に置き、困難を覚悟して一歩前に出た実践体験がなければ、人権感覚は身に付かない。
(6)そもそも、通達や行政基準は官僚の法律解釈である。法律解釈は国家を隠れみのにする省庁官僚が独占するものではない。市民も自治体職員も法律を解釈してよいのである。そして解釈相互に齟 齬があるときは司法の場で解決・決着するのである。
(7)「桶川市のルームクーラー撤去」の事例は、「自治体学とはどのような学か」を、了解し認識する実践理論の事例である。

 ところで、担当職員が課長に「ルームクーラーを使っていても、生活保護額を加算するワケではないのだから、認定を続けてもよいのでは……」と相談(具申)したとする。課長は「機関委任業務だから厚生省基準を無視できない」と答えるであろう。ここからが「自治体学の実践」である。

 以下は、1994年の秋、北海道庁の係長研修での逆質問への返答である。
首長も議員も「市民と共にまちを創る」「安心して暮らせる明るいまちづくり」などを政策公約に掲げている。そして「60%の厚生省基準に合理性は無い」のである。そこで、この二つを公衆の場で(市民の面前で)結び付ける。結び付けて市民の共感を獲得する。つまり「世論」をつくる。
(2)まず、小人数の研究会で討論して下記の共通認識を得る。
 ①厚生省の認定基準に合理性・妥当性は無い。
 ② 老婦人のルームクーラー使用は生活保護の所帯認定の支障にならない。
 ③ クーラー撤去の問題は「まちづくりの問題である」。
 ④ 機関委任の業務であっても「自治体としての見解」を持たなくてはならない。
 ⑤ 「議会が自治体見解を確認する」ことが「厚生省基準に向かい合う論拠」になる。
(3)次に、地域の有志に呼び掛けて、これらの論点を討論する公開討論会を開催する。「冷酷な行政だ」と全国に報道されているから、それを逆手に取って「明るい桶川のまちづくり」への参加を市民・議員に働き掛ける。
(4)公開討論会の事前取材を新聞・テレビに働き掛ける。
報道されて地域の話題になる。それが「世論」になって「議会での論議」になる。
(5)新聞・テレビで公開討論が報道される状況を、先取りする「市広報の特集」を首長に提案する。すなわち、首長の「先取りしたい思惑」を手助けする。
 これらは「機関委任事務だから厚生省基準に従わなければ」の思考習慣(国家学の論理)を打ち崩す実践である。その論理と才覚が自治体職員には必要である。これが自治体学の実践である。
だが国家学の方々には「自治体学の実践」の意味理解は難しいであろう。
 「自治体学の実践」の実例(10項目)を、「自治体学とはどのような学か」( 公人の友社・2014年5月刊)の第5章に記述した。
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