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■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
文化行政壁新聞--「かもめ」
(カテゴリー: 自治体学講座
   文化行政壁新聞--「かもめ」

 1977年7月、神奈川県に文化室が新設された。筆者はそこに企画担当として配置された。企画担当の最初の仕事は「文化行政とは何か」「文化行政とは何をすることか」「行政が文化を政策課題にできるのか」を考えることであった。
 文化室の任務は「行政を文化行政と言えるものに改める」ことにある。「職員の仕事の仕方」を変革しなければならない。

(1)壁新聞を着想
 知事の発想で「文化室」は新設されたが、議会の多数会派は長洲知事に得点をさせたくない。そのため、幹部職員は人事権を持つ知事に従うけれども面従腹背であった。文化行政には冷たい空気が庁内に漂っていた。「文化行政の市民権」を庁内に確立しなければならない。「文化行政壁新聞」を刊行しようと考えた。パンフレットの類は直ぐに紙屑になってしまう。「一か月貼り晒し」の壁新聞が良いと思った。ところが、文化室長も県民部長も「一体何を掲載するのか」「掲載する内容があるのか」であった。文化行政は知事の目玉政策であるから反対も出来ない。だが壁新聞の予算要求に(内心では)不賛成であった。
 
(2)予算要求 
 消極的な室長と部長が予算を財政課に要求することが(ようやっと)決まった。
ところが、年休で一日休んで出勤すると何やら雰囲気がおかしい。若い職員に問い質すと、「森さんには言わないようにと言われているのですが、昨日部長室で『壁新聞はDランクで要求する』と県民部として決めた」とのことであった。「Dランク要求」とは「削って結構です」の予算要求である。
 総務部長に会いに行った。原総務部長は副知事になりたいと思っている。だが知事が議会に提案しなければ副知事になれない。副知事は知事の胸三寸である。文化行政は知事の目玉政策である。総務部長は知事に忠誠を示さなくてはならない。
 「森君、壁新聞を毎月出せるのかね」と訊く。「壁新聞だけでなく七項目の文化行政予算を全て知事査定に上げて下さい」と頼んだ。「七項目全てを知事査定に上げて大丈夫かね」「大丈夫です、知事には話してありますから」と言った。(知事には何も言ってはいない)。総務部長査定が終わった直後の県民部総務室で「おかしいなぁ─Dランクがみんな通った」と職員が話しているのを耳にした。
 
 次は知事査定である。1978年1月7日、いつもより早く出勤して秘書室職員に「知事に話があるので査定前に会わせてほしい」と頼んだ。秘書は「文化室の森は知事と特別な関係がある」と錯覚したのか、「知事さんがお出でになりお茶を差し上げ日程を説明した後に一番でお会い頂きます」となった。部屋に入っていくと知事は独りであった。「文化行政予算を全て認めて下さい」「森君、これ全部やれるのかね」「やります」「分かった」になった。
 かくして、文化室の文化行政予算は全て実行可能の予算になった。
  1 文化行政壁新聞の刊行
  2 文化行政推進本部の設置
  3 文化のための1%システムの開発
  4 地方の時代映像祭の開催
  5 行政のデザインポリシーの策定
  6 文化の第三セクターの設立
  7 全国文化行政学会の設立

(3)文化行政壁新聞・ポパール 
 話は少し遡るが、財政課に予算要求をする段階で、壁新聞に名前(表題)をつけることになった。いろいろと考えたが「良い愛称」が浮かばない。当時売れていた雑誌に「ポパイ」「ポスト」があった。「パピリオン」という商品もあった。発音はパ行である。「ポパール」という音が浮かんだ。語感が良い。何度か唱えていると「これで良い」と思った。苦し紛れの命名で特別な意味はない。
 財政課長査定で「ポパールの意味」が訊かれた。筆者はその日は出張で県庁にいなかった。誰も答えられない。出張先に電話がかかってきた。音(オン)で「ポパール」としたのだから意味はない。だが「意味はない」とも言えないので、咄嗟に「ラテン語」で「人々の芸術」という意味です。英語なら「ピープル・アート」ですと返答した。
 翌日、出勤すると「昨日は大変だったのよ」と東京外大卒の女性職員が言う。財政課からポパールの綴り「スペル」を訊かれて、その女性が図書館からラテン語辞典を借りてきて調べたが見つけられなかったとのことであった。「出てなかったかねー、POPALだよ」と苦笑して呟いた。「綴り」なんぞ「どうだって良いではないか」と思った。

(4)「ポパール刊行」の予告記事
 知事査定で壁新聞「ポパール」の発刊は定まった。
 壁新聞の標的は県庁職員である。当時の神奈川県庁には二代前の内山岩太郎知事が「教養月報」と命名した全職員配布の月刊の広報紙があった。壁新聞を注目させるには刊行予告が必要であると考えた。
 その「教養月報」に「論説的予告記事」を掲載しようと考えた。小村喜代子さんという庁内でも有名な女性編集者に会いに行った。快諾を得た。
 役所では、業務に関する原稿を庁内広報紙に書くときには、上司の「事前了解」と「原稿内容の承認」を得るのが通常である。それを知らないわけではない。だが、文化室長は庁内広報紙に掲載することを(自分では)決められないだろう。次長と部長に相談するであろう。そして「時期尚早」などの言い方で掲載は先送りになるであろう。「波紋が庁内に広がる」ことを極力避けたいのが幹部公務員の常套である。そしてまた、「教養月報」に掲載するになったとしても「原稿」は無意味な内容に変質するであろう。そうなれば、壁新聞発刊の「新鮮な衝撃イメージ」は職員に届かない。そこで、誰にも相談しないで原稿を書いて職員課に届けた。

(5)「ポパール」から「かもめ」に
 県民部担当の湯沢副知事から電話で呼び出された。副知事室に入っていくと
 「森君、壁新聞の名前は知事さんに付けてもらったらどうかね」と言われた。「やっとここまで漕ぎつけた」の想いがあったから内心不満であった。だが嫌とは言えない。「そうですか」と言って退室した。自席で「どうしたものか」と思案した。そしてふと思った。この壁新聞は現状維持の庁内文化に異質の価値観を提示するのだから、必ず悶着を起こすであろう。そのとき「知事命名」は役に立つ。そう考えて秘書課に「知事に命名して貰いたい」と電話した。暫くして知事在室の連絡が来た。知事室に入ると「にこやかな笑顔」で迎えられた。「暗夜に松明」の「たいまつ」、「文化を配る」の「トリビューン」も良い名前だね。だが既に使われている。そう言いながら立ちあがり、書棚から事典を出してきた。「森君も考えてごらん」と言うので「私はポパールです」。「人々のアートだそうだが、タイトルは分かり易いのがいいからね」と。
 黙って待っていると「考えるから、君も若い人の意見を聴いてごらん」となって退室した。翌日午前、特命秘書の蔵から「知事が考えてきたよ」と電話がきた。「何という名前?」「かもめだよ」。瞬間「悪くない」と思った。
 「県の鳥」は「かもめ」である。知事がそれを「壁新聞」の名前に付けた。「かもめのイラストも描いてあるよ」と蔵がつけ足した。
 (特命秘書であった蔵さんは現在札幌市内で喫茶店を開業している)
 そのとき「アッ」と気付いた。職員課の「教養月報」に出した原稿のタイトルは「ポパールの発刊」である。大慌てで職員課に電話した。「小村さんは神奈川新聞社の校正室に行っています」。神奈川新聞社に電話した。「最終校正をしています」と小村さん。「タイトルも文章も全て『ポパール』を『かもめ』に訂正して下さい」。危ないところで間に合った。
 かくして「ポパール」は「かもめ」に改名された。

(6)県庁のトイレに
 次の問題は「文化行政壁新聞・かもめ」を何処に貼るかである。県庁内の各課室内の壁面はロッカーが占拠して貼る場所が無い。エレベーター内を考えたが、身体に近すぎて読めない。玄関入口に貼っても県庁職員は早足に通り過ぎるから読まない。そこで「新庁舎のトイレ」に貼ろうと思った。
 だが、庁舎管理は年々厳しくなっていた。革新団体などが要求運動で県庁にやってきて敷地内でビラ配りをするのを規制していたからである。
 トイレに壁新聞を貼るのは容易なことではない。容易ではないが「貼る場所」を確保しなくてはならぬ。
 庁舎管理の責任者である出納長総務課長に会いに行った。
「聞いていられると思いますが、文化室の『壁新聞』の掲示場所の件ですが…」と切り出した。課長は怪訝な表情で「何の話しですか」と言う。「まだお聞きになっていませんか、秘書課から話しはきていませんか」「実は過日、知事と話していたとき『かもめ』の掲示場所の話しになって、新庁舎トイレの洗面場所が良いと言ったら、知事が『それはおもしろいね』となつて、『知事からも庁舎管理課長に言っておいて下さい』ということだったのです」と話した。
 総務課長は「聞いていませんが『トイレ』にですか、一度認めると職員組合もステッカーも貼らせろとなると困るしねー」と。当然ながら「それはダメです」の表情であった。
 ところが、翌月は「定期人事異動」である。部課長クラスの大幅人事異動が噂されている時期である。部課長の人事は知事の専権である。総務課長の脳裡には「職務を無難に」と「昇格への期待」が交錯する。しかし「トイレに壁新聞はねー」と呟く。天秤が脳裡で右と左に傾く。
 そこで「こうしたらどうでしょうか」と提案した。
 「一回だけ試行的に認めて、二回目の『継続するか』『止めるべきか』の判断は『総括管理主幹会議』で行う」「『総括管理主幹会議』の議題にすることは文化室が責任でやりますから」と言った。総務課長は「文化行政壁新聞は知事の肝いりである」「継続して貼るか否かは庁内会議が判断する」と考えたのであろう。「試行的ならいいかな」と呟いた。間をおかず颯と用意してきた「トイレに掲示」の「伺い文書」を差し出した。
 庁舎管理の責任者である出納総務課長のハンコを貰うことに成功した。(知事との過日の話はもとより架空のことである)
 直ちに県民部に戻って県民部長に決裁をお願いした。県民部長は「出納総務課長はよく認めたね─」と言いながらハンコを押した。次は次長決裁である。部長が決裁しているのだから「内心で何と思ったか」は別としてハンコを押した。最後に文化室長の決裁である。役所の通常では手続きが逆である。文化室長も内心に複雑以上のものがあったであろう。普通ならば認めがたいやり方である。だが県民部の幹部にも「翌月の人事異動」が作用していたのかもしれない。しかし「庁内ルールを無視するふるまい」の烙印は確実に吾が身に刻印されていく。しかしながら、通常の手続きでは何もできない。役所文化では「文化行政」を具体化することはできない。もともと「文化」と「行政」は異質である。
 文化室の職員に頼んだ。男性と女性の二組で「今直ぐ、新庁舎地階から十二階までのトイレに貼ってよ」と。トイレに壁新聞を貼るのだから、ボヤボヤしていると「ちょっと待った」がこないとも限らない。県庁の男性トイレには「用を足す目の前」に貼った。(役人意識が脱けているときである)。女性トイレには身だしなみを整えるスペースに貼った。貼り終わったのを見届けてホッとした。文化行政の初期のころは全てが「役所の作法」との「綱渡り競争」であった。
 本庁舎と分庁舎のトイレにも貼った。後は急ぐことはない。順次に掲示場所を確保していった。十二階の職員食堂、屋上の図書室、別館の職員会館、地階の売店にも貼った。


(7)専有掲示場所
 オレンジ色に黒色で「文化行政壁新聞・かもめ」と書いたラベルを「発砲スチロール」に貼りつけて表札を作った。表札の裏面には両面の粘着テープが付着してある。一度貼ると剥がせない。剥がすと「発砲スチロール」が壊れる。 
 出先の職場にこの「表札」を「壁新聞」と一緒に送付した。「教養月報」に予告されていた壁新聞であるから、庶務の職員が適宜な場所に表札を貼りつけその下に掲示した。その瞬間、そこが「かもめ」の専有掲示場所になる。全国の都道府県にも送付した。その話は後で述べる。

(8)編集委員
 壁新聞「かもめ」の狙いは「役所文化への斬り込み」である。編集委員には覚悟と才覚が必要である。そこで委員の選出に工夫を凝らした。
 まず問題意識と感覚の優れた職員と個別に会って同意を得た。その後で「文化室長名の公文書」で所属長に「この職員を推薦して頂きたい」と依頼した。そして、編集委員が腹を括るべく、知事室で「『文化行政壁新聞・かもめ』の編集委員を委嘱する」と墨書した依嘱状を知事から手渡して貰った。編集委員は七名。
 役所の通常では、このやり方は全てがルール違反である。(ここで断っておくが長洲知事と筆者は特別な関係ではない。文化室に異動になる前には会ったこともない。だが知事の目玉政策を現実化するのだから、この程度のことは知事にやって貰ってよいではないかと思っていた)。
 ところで、「毎号の内容」は七人の編集委員で決めるのだが、紙面にその内容を表現する「デザイン力」は素人では難しい。そこで東京芸術大学講師の吉本直貴さんにお願いした。吉本さんは「県庁内に貼り出す壁新聞を珍しい」と思ったからでもあるが、無料で最後まで協力して下さった。
 そこで、紙面づくりは一切を吉本さんにお任せした。「イラスト」も「キャッチコピー」もお任せした。責任は文化室企画担当の筆者である。壁新聞は文化室の予算であるが、文化室長にも事前の了承を得なかった。知事室での「依嘱状の手渡し」は「知事特命の編集」にするための工夫であったのだ。
 ある号で、次長室に呼ばれた。「森君、この文章はこう書くのが良かったのでは」と助言された。「そうだとは思いますがお任せください」と答えた。一度「助言」を受け入れると次第に「事前了承」になってしまうからである。「真に相済みませんが、気づいても助言はしないで下さい」とお願いした。
  
(9)服装は思想
 第一号のタイトルは「服装は思想です」であった。
 役所は形式的で画一的だと批判されている。何事も「前例と規則」である。仕事ぶりは「無難に大過なく」である。公務員の服装は「ドブネズミ」と言われている。みんな同じ色のスーツである。葬式でもあるまいし、個性的な洒落た服装であるべきだ。真夏にネクタイは暑苦しい。開襟シャツを着こなせばよい。「個性のない服装」だから仕事も「無難に大過なく」になるのだ。
 公務員の変身が文化行政には必要である。そこで「服装は思想です」にした。この壁新聞を「県庁舎のトイレ」「全ての県内職場」に貼り出した。新聞各社は写真入りで報道した。
 創刊号「かもめ」は初夏の空に飛翔した。1979年5月15日であった。

(10)神奈川県庁のムダ
 第十一号は「ムダの考現学県庁の場合」である。新聞各紙は「庁内壁新聞『かもめ』が内部告発」、「県庁のムダをヤリ玉に」などの見出しで1980年3月10日の朝刊で一斉に報道した。
 前号で「役所のムダ」についての投稿を募集した内容である。殆どは匿名であったが、投稿者の四割は女性であった。また「無駄とは何か」を課内で討論してまとめた投稿もあった。投稿の内容は「職員配置の不均衡のムダ」「仕事の量・質より職員の数が多ければエライ思い込んでいる所属長のお役人気質」「コピー時代に流されて安易に資料をつくる」「会議が多過ぎる」「多過ぎる役職者」「女子職員のお茶くみ」「議会開催中に五時以降の居残り職員が多過ぎる」などであった。
 新聞とテレビが報道して話題になり県議会でも論議になった。
 議会で話題になるのは良いのだが、自由な紙面づくりが出来なくなることを心配した。県民部幹部の事前決裁(検閲)になっては困る。信頼できる議員に相談して県民環境常任委員会の後部に座して論議を聴いた。「部長が紙面を抑制することはしないだろうな」「文化室から出ていることが良いのだから」などの激励発言であった。
 
 「かもめ」が、議会で論議になって新聞で報道されたので、管理職も読むようになった。800部刷って県の職場だけでなく県内市町村にも配布した。
 全国の都道府県にも先に述べた「発砲スチロールの表札」を付けて送付した。
 文化行政を自治体の全国潮流にしなくてはならない。「かもめ」を「文化行政の全国情報紙」にするためである。後日、他府県の文化行政担当課を訪れると「かもめ」が「発砲スチロールの専有掲示場所」に貼られていた。
 各号の「タイトル」と「内容」は『物語・自治体文化行政史─10年の歩み』(神奈川県文化室・新曜社-1988)に掲載されている。
文化行政の詳細は下記をご覧ください。
https://drive.google.com/file/d/19DUZNtGrN5Z7CerQnVaOhWNMqg-k8e8R/view?usp=sharing
 自治体の文化戦略(開発論集・北海学園大学開発研究所)
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五回講座・市民自治 ―現在日本は民主主義か(Ⅱ)
(カテゴリー: 自治体学講座
五回講座・市民自治 ―現在日本は民主主義か

安部首相の国会答弁は、急所(重要なこと)を質問されると焦り「野次がウルサイ」とイライラして「訊かれていないこと」をベラベラ喋り質問者の持ち時間を浪費する。これが国民の運命をも決する人物であろうか。安部普三はアメリカ-トランプに同調して「北朝鮮への圧力」を言い続けているが、北朝鮮は「圧力」で「参りました-核は止めます」と言う国であろうか。日本のなすべきは、南と北の対話・友好の気運を支援して「東アジアの平和」を求めることである。これが道筋である。日本の人々は賢明にならねばならぬ。本講座はその道筋を吟味し考察する。

●会場 さっぽろ自由学校「遊」(愛生舘ビル5F 501)
●講 師 森 啓(もり けい)
中央大学法学部卒、神奈川県自治総合研究センター研究部長、北海道大学法学部教授、現在・北海学園大学法科大学院講師。主な著作「文化の見えるまち」「自治体学とはどのような学か」『自治体学の二十年・自治体学会の設立経緯』(公人の友社、2006年)。詳細はhttp://jichitaigaku.blog75.fc2.com/ 参照。
●テキスト 森 啓『新自治体学入門』時事通信社

第1回-2018-5月16日(水) [北海道の道州制問題]
1) 3.200を1.700に減らした市町村合併はどうであつたか
2) 道州制の意図(ネライ)は何か
3) 北海道の自立と沖縄の独立―北海道の四島返還と沖縄の米軍基地撤去
4) 北海道の役割―東アジアの友好平和

第2回-6月20日 [住民投票]
1)「当選すればこっちのもの」にさせない市民の制御力と歯止め。
2) 自治体の憲法―市民自治基本条例
3) 代表権限の信託と信託解除権の発動
4) 常備型住民投票条例

第3回-7月18日 [メディアと市民]
(対論) 徃住嘉文(日本ジャーナリスト会議北海道事務局長)
1) 新聞-テレビは真実を報道しているか
2) 原発-基地問題とメディアの現状
3) 安倍政権のメディア操作―NHKニュースと解説員
4) メデイァに騙されない市民の条件

第4回-8月22日 [自治体の政策能力]
1) 自治体の独自政策の歴史(歩み)
2) 議員の政策能力―議員が市民活動に関わらないワケ(理由)
3) 町内会問題と市民自治
4) 市民の学習活動と自治体の政策形成

第5回-9月19日 [行政職員と市民]
1) 市民は行政職員をどう見ているか
2) 市民の側の問題は何か
3) 行政の職員研修の現状―能吏の養成か自治体職員の誕生か
4) 職員と市民の協働―まちづくりの実例
・講座・市民自治 (市民と首長) 」
(カテゴリー: 自治体学講座
     『市民自治-五回講座』 さっぽろ自由学校「遊」

第二回 市民と首長 (レジュメ) 

1 見識のない首長
・首長は当選すると行政職員に迎えられて庁舎に入り役所側の人になる。・首長が常に片足を市民の側に置くよう、市民は連携方策を工夫する。・選挙で「見識の無いやる気のない」人物が首長に当選するときが(多く)ある。当初は役所の慣例に従うが、慣れてくると増長し独断専横になり、利権に堕することもある。・首長の逸脱は地域社会に混乱を齎し職場士気は沈滞し意欲ある職員は無残。 鹿児島県阿久根市の混乱は869日続いた。北海道にも実例がある。

2 公約―市民との約束
・庁外から入った首長は幹部職員に囲まれて(ご説明)を注入される。・首長は孤立し孤独になる。相談相手・政策ブレーンが必要である。・首長の人事権にスリ寄ってくる職員はいる。だが信用できる人物はいない。・市民は「政策提言グループ」を考案し連絡を密にする。  

3 庁内の掌握
・首長がなすべき(第一)は「職員の政策能力」を高めることである。(職員の政策能力とは何かを『新自治体学入門(時事通信社) 116頁』に記述した) ・人事権を掌握することが重要であるが職員は首長の私兵にではない。・橋下(前大阪市長)の誤認識
・年功序列人事とバッテキ人事の兼ね合い 実例―神奈川県知事(長洲)と北海道知事(堀)の(腰の弱さ)
・庁内(行政内)を統括できない首長は、(拍手で迎えてくれる)庁外に出かけるようになる。その実例……

4 首長は(在任中)と(退任後)に言うことが異なる。何故であろうか
・実例
五回講座「市民自治―現在日本は民主主義か」
(カテゴリー: 自治体学講座
五回講座「市民自治―現在日本は民主主義か」 

現在日本は民主主義と言えるであろうか。
いつの時代も、権力の座についた者は「言葉で人々を騙す」
アメリカの(トランプ)と日本の(二枚舌安倍内閣)は同じである。安倍内閣は多数議席で秘密保護法(取材禁圧法)、安保法制(戦争法制)、共謀罪法(言論弾圧法)を強行議決し、メディアは内閣官房の監視干渉で腰の引けた報道を繰り返し、官僚は「文書は廃棄しました」「記憶にありません」を繰り返す。現在日本は民主主義と言えないではないか。
 民主主義とは、選挙で権力の座についた人物が自分勝手なことを(しない-させない) 社会の仕組である。だが、いつの時代も、権力者は二枚舌で人々を騙して自分勝手なことをする。
だから、民主主義は(騙されるか-騙されないか) の絶えざる争いとなる。人々の苦難の原因は、権力者が(ホンモノか-ニセモノか) を見定める民衆の勇気と判断能力の無さにある。
人々が賢明でなければ民主主義は形骸化する。
本講座は、民主主義に不可欠な市民自治の実践理論の習得を目指す。

●開 講 2017年10月18日 5回講座 月1回水曜18:45 ~ 20:45
●会 場 さっぽろ自由学校「遊」(愛生舘ビル5F 501)
●受講料 一般5,000 円 会員4,000 円 ユース2,000 円(単発 1,000 円)
●講 師 森 啓(もり けい)
 中央大学法学部卒、神奈川県自治総合研究センター研究部長、北海道大学法学部教授、
現在・北海学園大学法科大学院講師。主な著作「文化の見えるまち」「自治体学とはどのような学か」『自治体学の二十年・自治体学会の設立経緯』(公人の友社、2006年)
詳細はhttp://jichitaigaku.blog75.fc2.com/ 参照。
●テキスト森 啓『新自治体学入門』 時事通信社


第1回 『自治体』 2017年10月18日
1) 自治体とは役所(行政機構)のことか
2) 自治体と地方公共団体は同じか
3) 省庁は自治体の上級団体か
4) 自治体には独自の立法権・行政権・国法解釈権があるか
5) 自治体の政策能力を高めるにはどうするか

第2回 『市民と首長(知事、市長、町長、村長)』 11月15日
1) 首長は当選すると役所に迎え入れられて役所側の人になる。
2) 首長は選挙のときに言っていたことを次第に実行しなくなる。
3) 首長の考えていることが市民に伝わっているであろうか
4) 首長は庁内(行政内)を統括しているか
5) 首長は(在任中のふるまい)と(退任後に言うこと)が異なるのは何故であろうか

第3回 『市民と議員』 12月20日
1) 議会は信用されているか
2) 議会不信の理由は何か
3) 改めるべき議会改革の問題点は何か
4) 議会の会派とは何か
  -会派の決定と議員の評決権
5) 議会基本条例は議員だけで決定するものか

第4回 『市民と行政職員』 2018年1月24日
1) 市民と住民は同じか
2) 自治体職員と地方公務員は同じか
3) 市民と行政職員との連携・協働は可能か
4) 職員が上司の意向を忖度する)のはなぜか 
5) 役所の人事制度

第5回 『市民自治』 2月21日
1) 現在日本は民主主義か
2) 市民自治と国家統治の違い
3) 国民主権と国家主権の違い
4) 市民と国民の違い
5) 自治基本条例は(首長と議会)だけで制定するものか
-何のために自治基本条例を制定するのか-


自治体学講座・松下圭一「政策型思考と政治」を読む(第二回)
(カテゴリー: 自治体学講座
追悼:松下圭一先生
 松下圭一「政策型思考と政治」を読む(第二回)   
           2016-12-7 さっぽろ自由学校「遊」 
(レジュメ)
第二章 都市型社会の政策
 第1節 大転換としての都市型社会 (第二の大転換)
 ・人類発生時の社会  採取・狩猟
 ・農村型社会  農業技術の発見  第一の大転換  
 ・都市型社会  工業技術の発明  第二の大転換

中世 農村型社会「共同体」を土台とし「身分」によって編成
近代 都市型社会 産業革命-「工業化」 市民革命-「民主化」
 工業化と民主化が 5000年来の「共同体」と 「身分秩序」を掘り崩した

(現代)―都市型社会の成熟
  工業技術の発達 情報技術 都市問題 環境問題    
       
・工業化・民主化が人間・歴史にもつ意義は両義性。
   工業化・民主化を手放し礼賛できない

第2節 工業化・民主化の問題性
・今日の工業化・民主化の問題性
  民主化による工業化の制御は可能か

・発展段階論の見直し
 フリードリッヒ・リストの段階説
  未開状態→牧畜状態→農業状態 →農工状態
 マルクス経済学の段階説
  原始共産制→古代奴隷制→封建社会→資本主義社会
     →共産主義社会

「市場の失敗」
「政府の失敗」 

第3節 都市型社会の政策特性
「歴史必然」とは「社会主義への移行」ではなく、
  「都市型社会の成立」であつた。

・都市型社会の「成立」と「成熟」
   (何を基準とするか)

 生活様式の平準化-社会としての民主化
  政治権利の平等化-政治における民主化 


第4節 生活様式とシビルミニマム
・ シビルミニマムとは「市民生活の最低限保障」
   ミニマムか マキシマムか
松下圭一「政策型思考と政治」を読む (五回講座)
(カテゴリー: 自治体学講座
 松下圭一「政策型思考と政治」を読む (五回講座)

場 所   さっぽろ自由学校「遊」
テキスト  松下圭一「政策型思考と政治」(東大出版会)       
講座内容 本書は「松下市民政治理論」の基本書である。
       第一章から第五章までを熟読して「市民政治理論」の基本論点を理解する。

第一章 政治・政策と市民 (2016年11月2日)
 現代社会は、水道も下水も、道路もバスも電車も、電気もガスも、つまり生活の全てが、(政策と制度) の網の目の中で営まれる。市民生活に直結する政策・制度を政府(官僚)に任せておいたのでは「お上の政治」から脱却することはできない。
 ・「都市型社会」とはどのような社会か。
 ・都市型社会 の「市民と政府の関係」を考える
 
第二章 都市型社会の政策 (12月7日)
 工業文明の発達進展で人々の「生活様式・生活意識」が平準化して、資本主義か社会主義かの(かつての)体制選択が幻想であったことが明瞭になる。論点は官僚主導の政策・制度を如何にして市民制御に転換するかである。
  ・生活様式(暮らし方)の平準化によって人々の政治意識はどう変わるのか
  ・都市型社会と男女平等社会はどのように関連するのか
 
第三章 「近代化」と政策の歴史 (1月11日)
 近代化とは(工業化と民主化)のことである。工業化が進展して前例なき公共課題(大気汚染・河川汚濁・温暖化・都市景観・緑地減少・現代的貧困)が噴出して、[福祉政策・環境政策・都市政策]が不可欠必要になる。
・「シビルミニマム」とは何か、言葉が広がったのはなぜか
・前例なき公共課題の解決には「市民参加」が必要となる論拠を考える 
 
第四章 分権化・国際化・文化化 (2月7日)
都市型社会が成熟して自治・共和型の「市民」が大量に醸成される。
「国家」をめぐる問題状況も一変する。自治体が地方政府として自立する。
 ・住民と市民の違いを考察して討論する
 ・自治体が政府である理由と論拠を学ぶ
   
第五章 日本の政策条件 (3月7日)
ヨーロッパで16~17世紀に始まった近代の「ステート」を、日本では「国家」と翻訳して「国家統治の観念」をつくった。その「国家観念」は (絶対・無謬・包括)の官僚統治であった。しかしながら政府の権限は市民が信託(契約)した権限である。
 ・国家法人理論と政府信託理論の違いを学ぶ。
 ・信託契約解除理論(ロックの革命権理論)を考察する

第四回講座・松下圭一「ロック『市民政府論』を読む」  
(カテゴリー: 自治体学講座
 第四回講座・松下圭一「ロック『市民政府論』を読む」  
        [さっぽろ自由学校・遊」2016-9-7]
(第五章)
(3節) 抵抗権から革命権へ 199p
1 マグナカルタ (中世立憲理論)
イングランド王ジョンが(1215年)封建貴族たちに強制されて承認、調印した文書。国王の徴税権の制限、法による支配などを明文化し、王権を制限、封建貴族の特権を再確認したもの。権利請願・権利章典とともに英国立憲制の発展に重要な役割を果たした。
2 革命権、中世立憲理論の(抵抗権)をロックが近代型に再編した。 
3 抵抗権と革命権の違い 207p
(1) 主体 貴族か人民か
(2) 根拠 抵抗権は貴族の身分特権、革命権は個人の基本権
(3) 形態 抵抗権は過去の基本法への回帰、革命権は未来への政府構築の主権発動
ロックは「革命権」を明示することによって『近代憲法理論』をつくりだした。206p
4 ロックの市民政府理論 (政府信託理論) 
市民が基本権(生命・自由・財産)を守るため政府をつくって権限を信託したのである。政府は市民が作った政治機構である。
民主主義は「市民」が政治主体である。「政府」は人工の道具である。その政府が権限を逸脱したときには「信託契約を解除」して政府を交代する。市民による政府交代が近代型の革命である。
5 政府と国家を混同してはならない。
「国家観念」は擬制である。擬制とは (存在しないものを存在すると言説すること)
「国家」を (国民・領土・統治権)と説明する「国家三要素説」は、質的に異なる「団体概念(国民)」と「機構概念(統治権)」を(意図的に)混同する言説である。それは国家を統治主体と擬制するための言説であった。そして合理的説明ができないから「権力で正統理論である」と弾圧し規制した。
6 民主政治の理論は「国家理論」ではない。「政府理論」である。民主主義は「国家統治」でなくて「市民自治」である。  
論点
 ・憲法学者への質問
   「国家三要素説をどのように講義していますか」 
 ・行政法学者への質問
「行政法は行政を規制する法ですか、市民を規制する法ですか」
「行政概念(の定義)をどのようにお考えですか」
   「公定力理論」「特別権力関係」とは何ですか
   
(4節) 市民政治理論の成立 208p
1 個人自由の観念
 個人自由の観念は、17世紀イギリスという特定地域・特定時期に、歴史所産たる『文化』として成立し、ロックという特定個人によって普遍理論となった観念である。184p 個人自由は一朝にして成立したのではない 181p
・古代地中海(ギリシャ・ローマ)の「共和政治の市民参加」 と 中世立憲理論の「法の支配」という遺産をひきついでいる。だがそれらは、「共和政治に参加する身分自由」であり「中世立憲理論は支配貴族の身分特権」であって「個人自由」ではない。

2 ロック理論の時代的制約
・個人自由の「定位」によってロックは市民政治理論の古典的形成者となった。ロック自身は名誉革命体制を支える通商弁務官としイギリス帝国の建設を進めた。
・だが、その名誉革命体制は、(保守的なトレヴェリアンにすら)「アイルランド抑圧と奴隷貿易に象徴される体制」であると批判された。ロック理論の「魂」である「議会」も腐敗と汚職に満ち満ちていた。
・アメリカ革命の煽動家ペインは「イギリス名誉革命体制」を、人間売買という(最も恐ろしい商売に専念し平然と冷酷に)アフリカ住民を捕獲し売買したと弾劾した。212p
・[名誉革命体制の現実史] と [市民政府論をめぐる理論史] との乖離 これを如何に考えるか 214p

論点
 スポーツ と 国歌
(朝日新聞2016年8月23日13頁 [耕論] )

講座 松下圭一「ロック『市民政府論』を読む」を読む
(カテゴリー: 自治体学講座
講座
松下圭一「ロック『市民政府論』を読む」(岩波現代文庫) を読む

71 年前、日本中が焼け野原になり食べる物も無くなり「二度と戦争はしない」と覚悟して憲法を定めた。憲法は民主主義になったが「民主主義」は根付いていない。国会で安倍首相はデタラメ答弁を繰返すが支持率は急落しない。この講座は「民主主義とは何か」を考える講座です。

6月1日( 水) 第1回 市民政府の理論
 『日本国憲法』を含めて世界各国の憲法は、資本主義・社会主義の体制を問わず、ロックの市民政府理論が原型になっています。「市民政府論」が「アメリカの独立宣言」「フランスの人権宣言」に甚大な影響を及ぼしたのです。市民政府理論が民主主義の政治理論です。
 
7月6日( 水) 第2回 市民政府信託理論
 民主主義は「国家の統治」ではない。「市民の自治・共和」です。市民は国家に統治される被治者ではないのです。民主政治は「市民が政府を選出し制御し交代させる」です。

8月3日( 水) 第3回 市民社会の理論
 すべて政治権力の源泉は 市民(People、Citizen) の同意です。政府の権限は市民が信託した権限です。「国家」は政治権力の主体ではない。「国家統治」は擬制の言説です。「擬制の言説」とは「本当は存在しないものを存在するかの如く主張する」ことです。

9月7日( 水) 第4回 市民自治の理論
 市民自治とは「市民が政府を選出し制御し交代させる」です。選挙は白紙委任ではない、選挙は代表権限の信頼委託契約です。政府が代表権限を逸脱するときは「信託契約」を解除する。これが民主主義の政治理論です。

10月5日( 水) 第5回 理論とは何か
 理論には「説明理論」と「実践理論」の二つがあります。
説明理論は現状を事後的に実証・分析して説明する理論です。
実践理論は「何が課題で何が解決策であるか」を考える理論です。
「知識として知っている」と「本当に分かっている」は同じでない。
「人は経験に学ぶ」という格言の意味は「一歩踏み出し困難に遭遇して真実を知る」です。

  ●6月1日(水)開講 全5回 月1回水曜18:45~20:45
  ●会 場 さっぽろ自由学校「遊」(愛生舘ビル6F)011-252-6752
市民政府の理論
(カテゴリー: 自治体学講座
連続講座「市民自治とは何か」   さっぽろ自由学校「遊」
- 民主主義の理論=松下圭一を読む-

第四回 市民政府の理論            2015-7-29 (水) 
テキスト 岩波新書「市民自治の憲法理論」「日本の自治・分権」  
                        
1. 自治体とは
1) 自治体の概念
 「自治体」の概念をめぐって見解が錯綜する。 
・「自治体」とは「政府」のことであるから「市民」は含まない。
・「自治体」とは「市民」と「政府」の双方を包含する言葉である。
・役場の文書や会議で使う「自治体」は「都道府県庁、市役所、町村役場」のことだ。
・役所だけが「自治体」を僣称することに違和感を覚える。
・自治体とは「まち」のことで、自治体は空間的イメージである。

概念・用語は思考の道具である。
理論的思考力を高めるには基礎概念を曖昧に使用してはならない。

2) 自治体とは、行政機構・役所のことではない。
自治体の主体(主人公)は市民である。
長い間、国民は「国家の一要素」とされ、国家の被治者とされてきた。そのため、憲法が国民主権に転換しても「主権者意識」が希薄で、自治体とは行政(役所)のことだと思ってしまう。

3) 自治体は「地方公共団体」ではない。
「地方公共団体」の言葉は、1946年の憲法制定のとき、旧内務官僚が造った用語である。GHQとの英文=和文のやり取りで、知事公選に抵抗し反感を抱いた旧内務官僚が、全国を画一支配するために造った言葉である。英文はLocal Self-Governmentである。これを地方公共団体と翻訳したのである。(当時のペテン的翻訳は、有斐閣・ジュリスト416号「地方自治20周年号」高木鉦作)

4) 自治体は「市民」と「政府」の二つを包含するコトバ(概念)である。
ところが、「自治体とは役所のこと」だと考える人が多い。松下理論に賛同する人も「自治体とは政府のこと」だと述べる。自治主体である「市民」は出てこない。
「自治体とは」の設問に、いの一番に「市民」が想起されないのはなぜであろうか。
「市民」も「市民自治」も「自治体」も規範概念である。「規範的思考」に習熟していないから「市民」を想起しないのであろう。
例えば、月刊「職員研修」2015-8月号-特集「松下圭一、<自治>へのまなざし」の五人の論稿は「用語も叙述も」松下著作のままである。執筆者が松下著作の「規範概念」をどのように「理解したのか」、松下著作の「規範論理」に「賛成なのか」「不賛成なのか」は語らない。語れないのである。自身の言葉で語れないのは、「松下理論を咀嚼していない・理解していない」ということである。

2 松下理論の骨格
 松下理論の骨格は三つである。
 第一は「市民自治」
 第二は「自治体政府」
 第三は「市民政治」

1) 市民自治
「国家」が統治主体であると擬制する「国家統治」に対して、「市民」が民主政治の主体であるとして「市民自治」を提示した。
市民自治とは「市民(人々=People=Citizen)が公共社会を管理運営するため、政府(首長と議員)を選出し代表権限を信託する」である。
信託は白紙委任ではない。選挙は信頼委託契約である。代表権限の逸脱には信託解除権の発動となる。これが「市民自治」であり「市民政治の理論」である。

2) 自治体政府
科学技術が発達し前例のない解決困難な公共課題が噴出する現代社会では、政府は三層に重層分化する。(多元重層の分節政治理論)
① 地域レベルの公共課題を解決する自治体政府
② 全国レベルの公共課題を解決する中央政府
③ 国際社会の公共課題を解決する国際政府(世界政治機構) 

3) 市民政治 
工業文明が進展して普通の人々が<余暇と教養> を享受し、シビルミニマムの公共整備の要請とあいまって、生活問題の解決が必要なとき、構造必然として市民活動が始動する。現代社会では大衆政治と市民政治の「絶えざる緊張」が繰り返される。

3 松下理論は難解か
松下理論を難解だと言う人が少なくない。文体が馴染めないと言う人もいる。
 問題は「なぜ難解だと思い馴染めないと感じるのか」である。
 松下理論を理解するには、自分自身の「政治イメージ」と「基礎概念」の再吟味が不可欠である。自身の政治イメージを問わず基礎概念の吟味を拒む人は、松下理論を正当に理解することはできないであろう。
誰しも、自身の思考の枠組や基礎概念を問い直すのは緊張感が伴い苦痛である。だから、無意識的に自分を庇い「難解だ」の防御壁をめぐらすのではあるまいか。
 松下理論は通説である国家学理論を転倒するのであるから易しくはない。
松下圭一を読む-「市民自治とは何か」-
(カテゴリー: 自治体学講座
市民自治とは何か
~民主主義の理論・松下圭一を読む~

 市民自治とは民主主義の理論である。国民の運命に関わる重大なことを、政府が秘密にして、それを知ろうとすると「懲役10 年」の刑罰にする「秘密保護法」、日本が攻撃されていなくても、同盟国が戦争を始めると、攻撃されたとして自衛隊を参戦させる「集団的自衛権」など、「安倍内閣の暴走」を止める論拠を見出すために松下圭一を読む。

●5月13日(水)開講 全5回 水曜18:45 ~ 20:45
●会 場 さっぽろ自由学校「遊」(愛生舘ビル6F)
●受講料 一般5,000 円 会員4,000 円 ユース2,000 円
     (単発 一般1,500 円 会員1,000 円 ユース500 円)
●講 師 森 啓(もり けい)
 中央大学法学部卒、神奈川県自治総合研究センター研究部長、北海道大学法学部教授を経て、現在・北海学園大学法科大学院講師。自治体政策研究所理事長。主な著作『文化行政』『自治体の政策形成力』『文化の見えるまち』『新自治体学入門』。(詳細はブログ「自治体学」http://jichitaigaku.blog75.fc2.com/ を参照)
●テキスト
 『市民自治の憲法理論』(岩波新書、1975)、『日本の自治・分権』(岩波新書、1996)、『政治・行政の考え方』(岩波新書、1998)いずれも松下圭一著。
 
●参考書
 『戦後政治の歴史と思想』(ちくま学芸文庫、1994)、『ロック『市民政府論』を読む』(岩波現代文庫、2014)、『政策型思考と政治』(東大出版会、1991)以上、松下圭一著。大塚信一『松下圭一 日本を変える』(トランスビュー、2014)

5月13 日(水) 第1回 「日本の憲法理論」
 憲法は1946 年、天皇主権から国民主権の憲法に変わった。だが「国家統治の憲法理論」は変わらなかった。今も大学では「国家統治」を講義している。なぜであろうか。なぜ戦前の国家理論が続いているのかを考察する。それは憲法前文に「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意して憲法を確定した」私たちの責務である。民主主義は「国家が国民を統治支配する」ではない。
 
6月3日(水) 第2回「国家統治と市民自治」
 「国家」の言葉は、権力の場に在る人達の「隠れ蓑」である。「騙しの言葉」である。「国家が国民を統治支配する」ではなくて、「国民が政府を制御し交代させる」のである。「国民」の語は、曖昧な「国家三要素説」によって「国家の一要素」にされるから、暫くは使わないのが賢明。「国家」でなく「政府」 「国民」でなく「市民」で考える。思考の道具は「言葉」である。

7月1日(水) 第3回「市民の成熟」
 民主主義の政治主体は人々(People) である。自由で平等な「市民」が「政治主体」である。「市民」とは。「市民」と「住民」の違い。皇民・臣民、国民、人民、常民、平民、住民、市民、大衆、民衆。

7月29 日(水) 第4回「市民政府の理論」
 自治体とは役所のことか、札幌市と札幌市役所は同じ意味か。自治体学は「政府」と「市民」の理論、市民自治の「政府信託理論」である。 選挙の翌日、市民は「陳情・請願の立場」に逆転する。国家学は、その「理論と制度」を批判しない。

9月2日(水) 第5回「民主政治の条件」
 人類史の二回目の大転換-都市型社会の成立。市民社会の成熟。「知っている」と「分かっている」の違い。
  ( 講座参加者による討論)

【講座会場】(お申込・お問合せ先)
  NPO法人 さっぽろ自由学校「遊」
〒060-0061 札幌市中央区南1条西5丁目愛生舘ビル6F
TEL.011-252-6753  FAX.011-252-6751
syu@sapporoyu.org/
連続講座「市民自治とは何か」
(カテゴリー: 自治体学講座
    さっぽろ自由学校「遊」 
  連続講座「市民自治とは何か」
 - 民主主義の理論=松下圭一を読む-

 市民自治とは民主主義の理論である。
国民の運命に関わる重大なことを、政府が秘密にして、それを知ろうとすると「懲役10年」の刑罰にする「秘密保護法」、
同盟国が戦争を始めると、日本が攻撃されていなくても、攻撃されたとして自衛隊を参戦させる「集団的自衛権」など、
「安倍内閣の暴走」を止める論拠を見出すために松下圭一を読む。

第一回 (日本の憲法理論)   5月13日
 憲法は1946年、天皇主権から国民主権の憲法に変わった。だが「国家統治の憲法理論」は変わらなかった。今も大学では「国家統治」を講義している。なぜであろうか。なぜ戦前の国家理論が続いているのかを考察する。それは憲法前文に「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意して憲法を確定した」私たちの責務である。
 民主主義は「国家が国民を統治支配する」ではない。 

第二回 (国家統治と市民自治)  6月13日
 「国家」の言葉は、権力の場に在る人達の「隠れ蓑」である。「騙しの言葉」である。
 「国家が国民を統治支配する」ではなくて、「国民が政府を制御し交代させる」のである。
 「国民」の語は、曖昧な「国家三要素説」によって「国家の一要素」にされるから、暫くは使わないのが賢明。
 「国家」でなく「政府」 「国民」でなく「市民」で考える。
 思考の道具は「言葉」である。

第三回 (市民の成熟)   7月1日
 民主主義の政治主体は人々(People)である。
 自由で平等な「市民」が「政治主体」である。
 「市民」とは
  ・古代ギリシャ時代の政治主体   家父長
  ・中世貴族社会の政治主体     貴族
  ・近代啓蒙期の市民         有産名望家
  ・現代都市型社会の市民      普通の人々
 「市民」と「住民」の違い。
  皇民・臣民、国民、人民、常民、平民、住民、市民、大衆、民衆

第四回 (市民政府の理論)  7月29日
 自治体とは役所のことか 札幌市と札幌市役所は同じ意味か
 自治体学は「政府」と「市民」の理論 市民自治の「政府信託理論」である。 
 選挙の翌日、市民は「陳情・請願の立場」に逆転する。
 その「理論と制度」を 国家学は批判しない。
   国家学は「国家統治の国家法人説」
   自治体学は「市民自治の政府信託説」

第五回 (民主政治の条件)
 人類史の二回目の大転換-都市型社会の成立
 市民社会の成熟
 「知っている」と「分かっている」の違い
 (講座参加者による討論)

テキスト 
・「市民自治の憲法理論」岩波新書     
・「日本の自治・分権」岩波新書       
・「政治・行政の考え方」岩波新書      
・「ロック『市民政府論』を読む」岩波現代文庫 

参考書 
・「成熟と洗練-日本再構築ノート」公人の友社
・「戦後政治の歴史と思想」ちくま学芸文庫  
・「政策型思考と政治」東大出版会             
・大塚信一「松下圭一・日本を変える」トランスビュー


 申し込み・問合せ 
札幌市中央区南1条西5丁目愛生舘ビル6F
NPO法人さっぽろ自由学校「遊」
TEL.011-252-6752 FAX.011-252-6751
公開講座 政治不信の解消策を探る
(カテゴリー: 自治体学講座
 公開講座「政治不信の解消策を探る」を開講する。 

開講趣意
   議会不信は投票率の低下に現れており、
   投票率の低下は民主政治が危殆に瀕している兆候である。
   民主政治の蘇方策を考察する。

主 催  NPO法人自治体政策研究所
      自由学校「遊」  
    
場  所  愛生舘ビル6階 愛生舘サロン
      〒060-0061 札幌市中央区南1条西5丁目 

期  日 2013年11月7日・11日・14日 19時 ー 21時 

第1講 「民主政治の蘇生策~課題解決への現実方策」
                   (11月7日)
       秋山 孝二 (北海道市民環境ネットワーク理事長)

第2講 「代表権限逸脱の制御策」  (11月11日)
      森  啓 (自治体政策研究所理事長)

第3講 「政治不信の解消策を探る」 (11月14日)
      Ⅰ 対論   秋山 孝二 VS 森 啓

      Ⅱ 会場討論   (司会・渡辺克生)

 参加自由   

 申込 自由学校「遊」電話011-252-6752 FAX 011-252-6751
     〒060-0061 札幌市中央区南1条西5丁目 愛生舘ビル2階
橋下維新の会と自治体学
(カテゴリー: 自治体学講座
   橋下維新の会と自治体学

 2012年9月19日に
 さっぽろ自由学校「遊」の講座「ハシズムと市民自治」で
 以下の論点を言説する。

 1 橋下勢力の増大
 2 なぜ多くの人が橋下を支持したか
 3 橋下の正体
 4 メディアの問題
 5 橋下を支持する人達の問題

1 橋下勢力の増大
・新党(日本維新の会)を旗揚げして政治勢力になろうとしている。
・7人の国会議員が加わって政党の態を整えた-その7人とは
・橋下維新を政治勢力にまで増幅させたのはメデイアである。
・歴史を顧みれば国を危殆に転落させるのは報道である。
・メディアは今、限りなく・歯止めもなく「人々が穏やかに暮らせなくなる方向へと」傾斜を続けている。
・だがこれはメディアだけの責任ではない。吾々の問題である。
・かほどの悲惨な状態が生じる原発を設置した責任者(個人名)を不問にしている。
 それは中国侵略・無謀な真珠湾攻撃で日本中を焼野原にした責任者を不問にしたと同じである。

2 なぜ多くの人が橋下を支持したか
・橋下維新が大阪(知事・市長)選挙で圧勝した。当票率も上昇した-なぜか
・自民から共産までの「反橋下・総連合」は惨敗した-なぜか

なぜ橋下に投票したのか
・極度の政治不信と役所仕事への積年の不信が堆積していて、
・人々は「とにもかくにも現状が変わる」を求めた。
・有権者には、自民から共産までの「反橋下・総連合」は「現状継続の勢力」に見えた。
・橋下が負けてはならないと投票所に行った。つまり「総連合」が投票率を上げたのだ。
・現職応援にやってきた学者は有権者の心に届く話ができなかった。心に響く話ができないのは、学者自身が「現状継続の側」にいるからである。テレビや新聞では「もっともらしい」ことを言うけれども、現在の自分の地位が危うくなることは決して言わない。
・例えば、アメリカ一辺倒のこと、米軍沖縄基地-普天間基地撤去のこと、莫大な防衛費のムダ、原発責任の個人追及などは、黙過あるいは曖昧に言う。曖昧に言うその自分が見えていないから、人の心に響く話ができない。
・かくして、クルクル発言で一貫性がなくとも、過激に攻撃的に「現状否認」を唱える橋下に投票した。橋下に多少の問題があるとしても「橋下なら何かやるかもしれない」と投票所に出かけたのであろう。
・そして、大阪の人々の心の奥には東京への反発・反感もある。

3 橋下の正体
信用できる人物ではない
・橋下は、過激な攻撃発言をしてテレビ・新聞に報道させる術(すべ)に長けているだけである。その術とはメディアの軽薄さとセットの術である。
・橋下弁舌は「前言撤回の繰り返し」と「すり替え比喩の欺瞞論法」である。一貫性の無い言説である。
・府知事選挙のとき「立候補は200%ありません」と見得を切った。知事になったが実績はない。社会的弱者や文化・教育の経費を削減しただけである。
・「私学助成金をカットしないで」と訴える高校生たちに、親が貧乏なのに私学に通っているのは自己責任だと言った。場馴れした声高の弁舌に反論もできず、高校生たちは涙ぐんだ。これが橋下の正体である。橋下に真摯な政治理念はない。社会的弱者への思いやりもない。あるのは過剰な自負心と自己顕示欲とその裏にある卑小な劣等感である。
・大飯原発再稼動で、最初は「電力不足は嘘だ」と反対したが「夏場に限って」と再稼動への流れをつくった。そしてテレビの前で「負けたんですよ」とあっけらかん言い放った。何の説明にもなっていない。これが橋下弁舌の正体である。
・日本維新会の党首に就任した記者会見で「衆院選には出ません」と言明した。メディアはニュースとして報道した。橋下の計算したメディア利用術である。そして今度は「出馬声明」をメディアに報道させるであろう。
・橋下弁舌は「すり替えの欺瞞論法」である。騙されてはならない。
・到底、信用できる人物ではない。

映像作家の橋下評
 映像作家の相田和弘さんが、岩波・世界7月号の「特集・橋下維新―自治なき『改革』の内実」で評している。「威勢はよいが、強権的で、大した実績もなく、違法意識が低く、発言がコロコロ変わり、ビジョンも稚拙である」。なぜ多くの人がこのような人物を支持するのかが理解できない。支持している人々に共通しているのは「語彙も、論理も、文体も」橋下と同じである。まるで九官鳥のように橋下の「言葉、言い方」で発言する。自分の言葉と論理はない。(世界7月号131頁) 世界の特集「橋下維新」を読まれることを薦めたい。

橋下論法
・スジの異なる比喩を使う欺瞞論法である。
 中島岳志(北大)も、橋下論法を「橋下徹の言論テクニックを解剖する」で「ありえない比喩を駆使し前言撤回を繰り返す」と指摘している。橋下論法に騙されてはならない。かかる欺瞞論法を駆使する者が権力を握れば如何なる事態になるかを想像しておかなくてはなるまい。

橋下ブレーン
 橋下ブレーンに名を連ねている方々にお訊ねしたい。
・行政職員の思想調査を行い回答しない職員を不利益処分にした。入れ墨調査を行い回答しなかった職員も不利益処分にした。橋下氏は職員に絶対服従を強いている。
・首長は選挙で代表権限を信託されているが白紙委任ではない。職員は首長の私兵ではない。職員は市民から雇用されているのである。市民との関係では首長も職員も同等である。これが代表民主政治の基本原理である。「選挙で選ばれた自分が民意だ」は欺瞞論法である。
・代表民主政治の基本原理をも弁えない橋下氏のブレーンを続けることについてのご所見を伺いたい。

自治体学会代表委員でもある中川郁郎氏にお訊ねしたい。
・大阪市(文化行政)参与として橋下ブレーンに加わったが、文楽は大阪だけでなく日本社会の公共財である。その文楽への助成金を削減したことをどう考えていられるか、これから如何に行動されるのか、狡猾な世渡り術ではないとは思うが存念を伺いたい。

橋下ブレーンの所業
・橋下ブレーン(堺屋太一、竹中平蔵、上山信一など)の方々が、これまでに果たしてきた「役割と所業」は如何なるものであったのか。評価出来るものではない。
・橋下ブレーンが18人から26人に増殖した。大なる禍根となることを警戒しなければなるまい。それにしても、橋下ブレーンに馳せ参じる「心性」を哀れにも思う。

4 メディアの問題
メディアが橋下弁舌を「たれ流し」で報道した。
・橋下には若者や社会的弱者よりも管理職や高年齢者の支持が高い。(岩波世界7月号106頁)。これらの有権者が望んでいるのは「現状が変わる」である。
人々は国会や地方議会は自分たちの暮らしとかけ離れていると思っている。白紙委任の如く身勝手に行動していると見切っている。
・政治不信が極度に高くどの政党にも投票したくないのである。
・そのとき、威勢の良い橋下弁舌を、テレビと新聞が連日「たれ流し」報道した。たれ流し報道が橋下への投票行動を支えたのだ。

 記者はなぜ連帯しないのか
・記者会見で毎日新聞の女性記者が、学校での君が代斉唱の問題を質問して、橋下市長から論点をスリ換えた糾弾的な恫喝攻撃を執拗に受けた。そのとき他の記者は「やられている」と眺めているだけであった。異常な記者会見の光景であった。(YouTubeでその状況をご覧あれ)
・記者はなぜ連帯して共同戦線をとらなかったのか。「論理をすり替える欺瞞論法の橋下」と「修羅場経験の少ない新聞記者」とでは、互角の論争はできないであろう。しかしながら「執拗で糾弾的で理不尽な論法」には記者は連帯して反論すべきである。

現場記者を信頼しないデスク
・現在の記者会見の光景は異常である。穏やかに質問し説明する場ではない。「ここは論議する場です」と言い放って都合の悪い質問には論理スリ換えた逆質問で反撃する。反撃・恫喝されないようにと細心の気配りで質問する記者会見になっている。(YouTubeをご覧あれ)。橋下論法に太刀打ちできる記者はいないであろう。
・しかしながら、これは記者全体の問題である。勇気ある真のジャーナリスト記者は不在なりや。橋下と対立して情報がとれなくなることをデスクが心配するからであろうか。

5 橋下を支持する人達の問題
・福島では現在もなお放射性物質が大気中に飛散し海中に流出している。それにも拘らず、首相は「原発輸出」のために「終息宣言」をした。原子力村は活気を取り戻し、官僚は自分の利益のために嘘を言い情報を隠匿する。政党は利権を握るための政局争いに熱中する。どうにもならない閉塞感の充満である。
・マスコミが橋下弁舌を連日報道して橋下勢力の増幅に加担した。そこで人々は「橋下なら何かやるかも知れない」と期待して支持し投票するのであろう。危ういことである。
・だが、橋下弁舌に本心から賛同し支持している人もいるであろう。その方々には、貴方の考えは正しくありませんよ、とは言えない。考え方は人それぞれであるのだから。しかし橋下ブレーンの人には言わなくてはならぬ。
・その人達にはこれまでの「役割と所業」があるからだ。「官から民へ」と構造改革を絶叫し「対抗勢力をぶっ壊す」と叫び、アメリカの対日年次要求の目玉であった郵政民営化を「改革の本丸」として推進した「競争原理主義の小泉改革」の主役が、今度は橋下ブレーンに名を連ねている。あるいはまた、巨大土建会社の利益のため国債を発行し国費を乱費して莫大な借財をつくつた小渕内閣の経済閣僚も橋下ブレーンに名を連ねている。橋下新党を信用することは到底できない。
・小渕内閣も小泉改革も庶民の生活とかけ離れた政治であったではないか。そして今度は、怪しげな名称の「維新八策」なる「国家統治の構造改革案」である。思いつきの羅列文書である。橋下弁舌を支持する方々にも考えて頂きたい。判定するべきは「何をやったか」である。府知事と市長の四年半の実績で考えていだきたいと思う。
「閉塞感の打破」を「威勢の良い攻撃発言をする人」に委ねるのは危ういではないか。

それならどこを支持するか
・それでは「誰に投票すればよいのか」である。悩ましい問題である。
 自民も公明も民主も原発電力会社からの支援金を受取っている。どの政党にも投票したくないのであろうが、巨 悪と繋がりのない(少ない)政党または個人ではあるまいか。
 各人が考える問題である。だがそれは橋下維新ではない。

 問合せ 
  さっぽろ自由学校「遊」
  札幌市中央区南1条 西5丁目愛生ビル2階
  電話 011-252-6752 FAX 011-252-6751
  syu@sapporoyu.org
  http://sapporoyu.org/
 

居住福祉学と自治体学
(カテゴリー: 自治体学講座
  自治体学講座―北海道土曜講座の新展開

居住福祉法学と自治体学―市民の自治力を高める新たな学 
    と き 2012年6月16日(土) 13時~16時半
    ところ 北海道大学・法学部6番講義室
    主 催 自治体政策研究所・居住福祉法研究会
         民法理論研究会 自治体学研究会 

Ⅰ提 起
 居住福祉法学(居住福祉学)     吉田邦彦(北大教授)
 ・居住分野における公共的支援の欠落は、先進諸国の中でわが国は突出している。
  具体的には、ホームレス問題、災害復興問題、原発など嫌忌施設問題、居住差別問題、中山間地問題、地方都市の空洞化、老朽化マンションの建替え問題など。
 ・「居住」は、単なる住居という入れ物だけの問題ではなく、生業・医療介護・教育・交通・消費生活・保養などトータルに捉える必要がある。

 自治体学              森  啓(自治体政策研究所)
 当日は次のようなことが話し合われる。
 1自治体学とはどのような学であるか
  国家学と自治体学の違い

 2理論には二つある。
  (1)「説明理論」と「実践理論」
  (2)「知っている」と「分っている」の違い

 3「国家学の地方自治論」と「自治体学の市民自治論」の講義の違い

 4代表民主制の形骸化
  (1) 政治不信―「橋下維新の会」のメディア報道は危うい
  (2) 議会不信―議会不要論の声すらある-議会を市民の手に取り戻す方策
  (3) 行政不信―管理職はどちらを向いているのか-行政不信の打開方策

 5 自治体学会の現状と課題

 Ⅱ討 論
  司 会 山内亮史(旭川大学)
  討 論 片山健也(ニセコ町長) 佐藤英行(岩内町議員) 市民
       西山泰正(北海道銀行) 利根川徳(労働者協同組合)
       吉田邦彦(北大教授)  森 啓(自治体政策研究所)
       居住福祉学会員 自治体学会員 協同組合関係者 自治体関係者
  聴講自由(無料)
      連絡・自治体政策研究所(090-5071-1274)