■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
3・11大震災3周年のメディア報道
(カテゴリー: 原発災害
   3・11大震災三周年のメディア報道

 報道によれば、気仙沼や陸前高田などの海岸一帯に防潮堤を建設するとのことである。防潮堤は海が見えなくなる壁の建設である。
 映画「老人と海」では、老人(スペンサートレイシー)が毎朝、海の色を眺めて「今日の漁獲」を呟いていた。
 漁民だけでなく住民も朝に夕に海を眺めるのである。防潮堤は日常生活と海との遮断壁である。

 現地の方々に申し上げたい。
「遮断壁の建設」を主張している人に注目することです。
「生命(いのち)には代えられない」の言い方で、声高に壁の建設を主張しているのは誰であるのか。莫大な建設事業費(税金)が狙いではないのかと。「後は野となれ山となれ」に騙されてはならない。
 津波は海面の上昇です。巨大な海の力です。次から次と押し寄せる連続波です。次の波が押し上げるから壁では遮断できないのです。
 海岸地帯で暮らすには、遮断壁の建設ではなくて「地震のときには避難する」の習慣です。避難場所と避難経路の整備です。
 今、現地では「巨額復興予算」にハイエナの如く群がり、県行政は省庁から復興予算の執行を迫られ、防潮堤を承認しなければ復興計画はすすみませんと住民に迫っているらしい。

 経済評論家の内橋克人さんが「危機便乗型資本主義が始まっている」と指摘した。戦争や災害などの惨状に便乗して莫大利益を目論む「惨状資本主義が蠢いている」と警告した。
 新聞もテレビも、エピソードを交えて自然災害の津波は報道するが、人災(利権災害)である原発事故はほとんど報道しない。報道しても肝心なことには触れない。原発災害の真の責任者は誰かを考えさせない報道である。
 これほどの悲惨が生じているにも拘わらず、誰ひとりとして責任を問われないのはなぜであるか。
 福島の原発災害の実相は日本のテレビよりも外国のテレビ放送が公正で信頼できる。
 例えば下記をご覧ください。

 ドイツZDF フクシマの嘘
1 http://www.youtube.com/watch?v=mKPpLpam6P0
2 http://www.youtube.com/watch?v=uOgoZDDsRkc

 フクシマ=最悪事故の陰に潜む真実
 1 http://www.youtube.com/watch?v=VjY_55gd9wU
 2 http://www.youtube.com/watch?v=HPPJJyuZ844
 3 http://www.youtube.com/watch?v=GjwQHW78Afs
 4 http://www.youtube.com/watch?v=ammCzi7lcoQ

 ドイツテレビ 犯罪会社東電
 http://www.youtube.com/watch?v=kH00psyB4lc


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ガレキ受け入れの是非
(カテゴリー: 原発災害
    ガレキ受け入れの是非
  -ガレキではなく人の受け入れを-

 安全の根拠を示せ
 北海道の高橋はるみ知事は「国が安全と言ったから信用して受け入れる」と「震災がれきの受け入れ」を表明した。これまで政府と官僚が言ってきたことは「信用できないの連続」であった。「信用できる」と言うのなら「信用できる根拠」を示すべきだ。
 例えば、藤村官房長官は大飯原発を再稼動しようとしたとき「専門家の意見に基づいて判断した」と言った。ところが、その専門家の名前は発表しない。“御用学者”が数多いことは公知の事実である。なぜ、高橋知事は「政府が安全と言ったからそれを信用する」と言えるのか。
 北海道は酪農と農産物の大地である。知事が先頭に立って汚染物質を北海道に招き入れることをやろうとするのは不届き至極である。
「助け合うべきだ」と情緒的に言うけれども、がれき以外にも被災地を助けるやり方は幾らでもある。例えば、海で働きたい水産業の方々には安全な海で働けるよう全国各地で協力することだ。汚染地域の方々は子供の将来を心配しているのだ。子供とその家族の受け入れに協力すべきである。

 莫大な復興資金に群がるゼネコン
 岩手と宮城のがれきは安全だと言う。だが福島と地続きである。汚染の濃度は福島が高いかもしれないが、風向きよっては福島より濃い地域もあるかもしれない。現実に千葉や茨城では農産物や水産物が出荷できない事態になっている。全国に放射性物質を撒き散らしてはならない。福島のがれきは福島で処理をすると言うのだから、宮城も岩手も費用は国費で負担して処理施設を新設し拡充して処理すべきである。
 莫大な復興資金、がれきの処理費、莫大な除染費に、ゼネコンと関連業者がハイエナの如く群がっている。ガレキ運搬費は莫大金額である。莫大費用の搬送契約をすでに約束しているのではあるまいか。他方では地元産業の自立資金は「タテワリのスロー行政」で届かない。莫大資金は本当に必要なところに届かない。これが現実である。

 2011年12月20日のNHK「百年インタビュー」で、経済評論家の内橋克人さんが「危機便乗型資本主義」が始まっていると指摘した。即ち、戦争や災害などの惨状に便乗して莫大利益を目論む資本主義(経済活動の自由主義)を警告された。莫大な災害復興資金の国会決議は衆議院選挙のためではなかったか。

 除染は無意味な無駄
 セシウムは消えないのだ。表土を削っても置き場がない。水で流せば川を汚染し滞留して高濃度の汚染になっている。海に流れて水産業を壊滅させる。
 原発は自然界に存在しなかった放射性物質をまき散らしたのだ。原発に絶対安全は無い。事故になれば手に負えないのだ。セシウムは消えないのだから莫大な金を除染に使うのは止めることだ。「一日も早く帰れるように」と国は言う。ごまかしである。帰れない地域を見極めて、人々の生活が成り立つよう「住まい」と「働く場」の提供に全国民が協力すべきである。
  「がれき」と「除染」の論議は「原発再稼動」から国民の目をそらすためである。




  FaceBook の友達 友利長栄さんから次のコメントを頂いた。

 ブログは読ませて頂きました。全面的に賛同いたします。「ガレキ処理」には大きな利権が絡んでおります。どうして、北海道から沖縄の知事さんまでが、ガレキ受け入れを考えるのだろうか?東京以南にガレキ処分するなら、処分費用が莫大な金額になる事は小学生にも理解できる。敢えて受け入れ検討を実施したり、受け入れを承諾したりしているのは、どんな理由からでしょうか。
 
公開談論「原発と自治体」
(カテゴリー: 原発災害
 
    公開談論「原発と自治体」

   主 催 NPO法人自治体政策研究所
   と き 2012年4月30日  13時~16時
   ところ エルプラザ (札幌駅北口) 4階(男女参画会議室)

 談論事項
1夏場の電力不足を新聞やテレビが宣伝を始めたが、
 その根拠は何か、根拠資料は何処から出たものか。
 原発再稼働のためか。
2知事や市長や町村長は
 「原発は危うい」「原発再稼働を急ぐのは問題だ」となぜハッキリ言わないのか。
3議員も「泊原発は危うい」と言わない。
 なぜ黙っているのか。北海道電力の労組が原発推進だからか、選挙の前と議員になった後で言うことが違うではないか。

4「自治体」とは、
 「首長と議員」のことか、「行政」のことか。
 「市民」は「自治体」と無関係なのか。 
 「自治体学―市民が首長と議員に代表権限を信託(契約)する。

5北海道電力から電気を買わない方法

 参加者全員で談論します。(参加費無料)

 連絡先 自治体政策研究所090-5071-1274
再びの「安全神話」-寺島実郎氏の独演スピーチ
(カテゴリー: 原発災害
   寺島実郎氏、再びの「安全神話」 

 昨夜(2012-3-29)の「報道ステーション」(テレビ朝日)は、寺島実郎氏の「原発安全の独演スピーチ」に、かなりの時間を提供して全国に放映した。語る寺島氏の表情をクローズアップした映像は異常であった。

 寺島氏は、「脱原発」などを言うのは、物事を考えない人の観念論です。日本の日立や東芝の原子力利用の技術は世界最高です。アメリカはスリーマイル島の事故で懲りて、30年も新たな原発を作らなかったから、その間に日本が追い抜いて原発技術で世界最高になったのです。この「日本の技術力の立ち位置」をしっかり考えなくてはなりません、と独演スピーチを行った。再びの「原発安全」の神話である。
 
 2011年6月9日、作家の村上春樹氏が「カタルーニャ国際賞(スペイン)」の受賞スピーチで「原発批判」を、自身の反省をこめて「東京電力と日本政府」を批判し、広告費で買収された「メディア」と、黙認してきた「国民」も、加害者であると述べた。
 そのとき、古館キャスターが「今のスピーチを聞いてどう思いますか」と寺島実郎氏に訊いた。「日本は3万5千人の電子工学卒の技術者を抱えているのです。平和利用の技術で世界に貢献するべきです」と述べた。
古館キャスターは「お言葉を返すようですが、福島で多くの人が現に苦しんでいます。原発安全を言っていたその技術が破綻したのではないですか」と返した。

 テレビ朝日は何故に、寺島氏に「原発安全の独演スピーチ」を再びさせたのであろうか。おそらく、電気事業連合会や経済界などから「原発54基がストップする」「再稼働させなくてはならぬ」の圧力がかかったのであろう。古館キャスターは今回はノーコメントであった。
 
 本日(2012-3-30)の新聞は「福島の米が出荷できない」「宮城の魚が出荷できない」と報じている。大熊町の全域「帰還困難」、双葉町の「避難区域の再編拒否」を報じている。連日報道される日本列島の悲惨を寺島氏はどう考えているのであろうか。生活のために被爆しながら働いている現場作業員の悲惨を考えないのであろうか。多くの人が苦しんでいるのである 
 
 寺島実郎氏の評価する日本の技術者は「安全神話を合唱した」人達である。「万一の事故」を考えず「マニュアル」も作らず、水素爆発に至らしめて放射物質をまき散らした元凶である。現在只今も「熔融落下したウラン燃料」を解決できず、大気・地中・海中への放出を止めることのできない技術者である。人の悲惨不幸を思いやる心の欠けた技術者・御用学者である。この人達を「世界最高」と言うのは何故であるか。原発は機械であるから事故が無いと言えない。事故になれば今日の如き事態になるのである。日本列島は地震帯の上に乗っているのである。

  巨大企業のシンクタンクの所長である寺島氏の「安全神話」と「役どころ」に疑問を持たざるを得ない。 

騙されてはならない
(カテゴリー: 原発災害
 「騙されてはならない」

 報道によれば、気仙沼や陸前高田などの海岸一帯に、高い津波防壁を建設するとのことである。
 海が見えなくなる壁の建設である。
 日常生活と海との遮断壁である。
 先年、奥尻島に行ったとき、海岸一帯の「巨大壁」を目撃して「刑務所の塀」を連想した。
 映画「老人と海」では、老人(スペンサートレイシー)が毎朝、海の色を眺めて「今日の漁獲」を呟いていた。
 朝に夕に漁民は海を眺めるのである。

 現地の方々に申し上げたい。
「遮断壁の建設」を主張している人に注目することです。「生命(いのち)には代えられない」の言い方で、誰が「声高に壁の建設」を主張しているかです。「後は野となれ山となれ」の人に騙されてはならない。
海岸地帯の故郷で暮らすには、海が見えない「遮断壁の建設」ではなくて、「地震のときには避難する」の習慣です。避難場所と避難経路の整備です。
 津波は海面の上昇ですから巨大な力です。壁では停止できないのです。

 被災地の暮らしに「何が最重要か」の論議を為さずして、巨額の復興予算が民主・自民・公明の賛成で決まった。
 だがしかし、巨額予算を決議した政党の何人の議員が、現地を視察したであろうか。国会議員の何人が福島の放射能被災地に赴き「自身の責務」を顧みたであろうか。
 現地では「巨額復興予算」にハイエナの如く群がり熱気が高まっているであろう。これらハイエナと巨額予算を決議した議員の多くは繋がっているのであろう。

 12月20日のNHK「百年インタビュー」で、経済評論家の内橋克人さんが「危機便乗型資本主義」が始まっていると指摘した。即ち、戦争や災害などの惨状に便乗して莫大利益を目論む資本主義(経済活動の自由主義)を警告された。

 「安全」よりも「建設費(コスト)」優先で、原子力発電所を建設させたのは「誰であったか」。今日の惨事を招来させた犯人は誰か。
 NHK・ETV特集「原発事故への道程」を視れば「誰であるか」が判る。(それは三人である)。
 今回の大惨事の責任者は誰か。責任者が居なくて惨事は生じない。
 しかるに、国会もメディアも学者も、政党も労働組合も、「それ」を言わない。
 「テレビ番組」は「自然災害」と「利権災害」を意図的に混同する。混同して「責任者を問う」を意識的に避けている。

 現在日本の「タブー」は「責任者は誰かを問題にしてはならぬ」である。
 科学者はなぜ「地域全体をすべて除染することはできないのです」「自宅には帰れないのです」と真実を語らないのか。語るのが「科学者の良心」ではないか。
 語らないばかりか、電子工学の講座がなくなっては「メシの食いあげだ」と「原発安全」を唱える学者が現にいる。北大工学部にもいる。

 いつの時代にも権力(利権)は人々を騙す。「騙す権力」は邪悪である。
 だが「騙される人々」も愚かである。騙されてはならない。
 内橋克人さんは「百年インタビューの結び」でそのことを強調された。

ザ・討論~原発災害・広がる放射能汚染
(カテゴリー: 原発災害
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  「ザ・討論~原発災害・広がる放射能汚染」

 2011年10月21日、札幌駅前・エルプラザで「原発災害・広がる放射能汚染」をテーマに公開討論会を開催した。
参加者が予想を超えて集まり椅子が足りず立ったまま討論する人もいた。

 論点は四つであった
1 現地は収束に向かっているのか。
・政府は「準備避難地域を解除する」と発表して「除染計画」を言う。だが地域を隅々までも除染するのは不可能である。「費用が莫大」というよりも「事実として」できない。
・それを恰も「除染が可能である」かのように言うのは、「今直ちには身体に被害はありません」と同類の「騙し」である。国民を騙して検査停止中の原発を運転再開させるためである。
・討論会では、福島から札幌に避難してきた「母と子の会」の女性が、私たちは「逃げ出して行った」と言われています。だが危なくて帰れないのですと発言した。

2 泊原発と高橋はるみ知事
・泊原発3号機プルサーマル計画を巡っての「やらせ」が発覚した。第三者委員会は「道庁も関与した」と報告した。だが高橋知事は今に至っても「プルサーマル計画を振り出しに戻す」と言明しない。泊周辺の女性がバス二台に分乗して24日、高橋知事に面談を求めて道庁にやってきたが、知事は日程を理由に面談に応じなかった。
・沈黙を強いられていた泊村の住民も「原発はいのちの代償ですわ」と言い始めている。

3 議員は何処にいるのか。
・高橋知事が泊原発3号機の営業運転を容認すると表明したとき、北海道議会は上辺だけの論議で終始した。議員の多くが「北海道電力と北電労組」に選挙のとき世話になっているからであろう。
・各地で開催される「原発を考え・被災者を支援する集い」に議員は誰も顔を出さない。議員は当選すると別の世界に住む。市民派を名乗って当選した道会議員も心底から原発災害を考えていると思えない。
・国会も「電力会社と電力労連」の利害を代弁する議員が多い。日本政治は「原子力村に加担する政治」である。
・根本問題は、有権者が「義捐金を拠出」し「ボランティアには出かける」が「莫大利権に群がる政治勢力」を減少させないことにある。

4 メディアは真相報道をしない。
・水素爆発のとき、テレビ各局は「大したことではありません」「身体に影響する程のものではないです」と解説する学者ばかりをスタジオに招いた。「原発は危うい」と言い続ける学者は呼ばなかった。原発推進の姿勢は今も変わっていない。
・新聞もテレビも、災害地の「自宅には帰れない現実」に迫らない。電力業界と政府に従属して巧みに真相究明を避ける。
・ドイツテレビは立ち入り禁止区域の内部を取材して「福島原発労働者の実態」は報道した。
ドイツZDFの「動画」を是非ご覧いただきたい。
   http://www.youtube.com/watch?v=aAE-QBmC1VA  
   http://www.youtube.com/watch?v=kH00psyB4lc

 
 
本筋は高橋知事の態度である
(カテゴリー: 原発災害
  本筋は高橋知事の態度である。

 10月17日の新聞各紙は、道が「やらせに関与したか否か」を調査する「第三者検証委員会」を北海道庁が設置したと一斉に報道した。
 しかし、今重要なことは知事の態度である。
 すなわち、「やらせ」を指摘した北電の「第三者委員会報告」が出たのだから、次は高橋知事が「原発3号機プルサーマル計画」に如何に対処するかを答えるべきである。
 道庁職員が「やらせに関与したか否か」よりも、こちらが本筋である。
 これまで、知事は「3号機プルサーマル計画」に、地元の多くは反対ではないのだとして運転再開を容認した。だが今、北電は「やらせ」を指摘されて認めた。道民は「高橋知事はどうするのか」と見守っている。新聞記者は道民に代わって質問する。それが新聞の役割である。高橋知事は「プルサーマル計画を振り出しに戻す」と言明すべきである。
 
 18日、高橋知事は「道の第三者検証委員会」の調査結果を待ちたいと記者会見で述べた。前回は「北電の第三者委員会」の報告を待ちたいと言ったのである。
 なぜ新聞は、「道が第三者検証委員会を設置した」ことをまるで「問題の本筋」であるかのように報道するのであろうか。道職員が「やらせに関与」したか否かよりも、北電の「やらせ」が指摘されたのであるから、新聞は「高橋知事の態度」に迫ることである。知事の「時間稼ぎ」に手を貸してはなるまい。「スジミチをズラス」ことに協力してはならない。

19日の報道(毎日新聞)によれば「道の検証委員会」は道職員が事務方と称して調査を行うのである。外部だけの「北電の第三者委員会」とは異なるのである。人事昇進が第一の公務員が知事に都合の悪い調査を行う筈はないのである。知事は最初から「北電に協力・原発には賛成」と見られているのだから、聴取を受ける道職員が真実を話す筈はないのである。

 
北電「やらせ問題」の調査委員会報告ー北電社長と北海道力知事の責任
(カテゴリー: 原発災害
  北海道電力「やらせ問題」の調査委員会報告
    -北電社長と北海道知事の責任―

 本日(10月15日)の新聞各紙は、北海道電力の泊原発3号機プルサーマル計画をめぐる「やらせ問題」の調査委員会報告を一斉に報じた。
 報告は「北電の組織的関与があつた」「道庁職員が賛成意見を出させる要請をした」と指摘した。
 北電副社長が「関係者を処分する」と語ったのは筋違いである。北電の関係者が勝手に「やらせを画策する」などあり得ないのだ。社長が表に出てきて「北電として誠に申し訳ないことでありました」と「北電の責任」を認めて道民に謝るべきである。
 北海道庁の責任も同じである。高橋知事は「調査をします」と記者会見で語った。何を今さら調査であろう。道庁職員が「やらせに関与した」ことは明白である。高橋はるみ知事が為すべきは、「やらせの賛成意見」を口実に「原発容認」に舵を切ったのだから、「プルサーマル計画」を振り出しに戻すべきである。そして「シンポジュウム」ではなくて、道民が「正当な判断」が出来るよう「学習活動を支援」すべきである。
原発災害を心底から考えない議員
(カテゴリー: 原発災害
 原発災害を真剣に考えない議員と有権者と新聞報道
   をテーマに公開討論集会を開催する

     ザ・討論
  ~原発災害・広がる放射能汚染~
    真剣に考えない有権者
    心底から考えない議員
    肝心なことは報道しない新聞
  
   10月21日(金)  午後6時半~
   札幌エルプラザ 2階 環境研究室 (無料)
   (札幌市北区北8条3丁目  011-728-1222)

 進行司会 谷百合子
 パネラー 布施哲也(元清瀬市議 反原発議員連盟)
       佐藤英行(岩内町議)
       宍戸隆子(福島から札幌市民へ)
       報道関係者
       被災地支援活動の市民
 討論司会  森 啓

  主催  NPO法人自治体政策研究所
      無防備平和のまちをつくる札幌市民の会
      市民自治を創る会
  
鉢呂辞任と新聞報道
(カテゴリー: 原発災害
  鉢呂辞任と新聞報道  

 鉢呂氏の経産大臣辞任を巡る一連の新聞報道を疑問に思う。
 発端は二つの新聞記事であった。
 一つは「まるで死の町のようであった」と被災地の印象を語った。
 二つは、宿舎の玄関前に集まった記者の非公式取材のときに「防災服の放射能をつけるぞ」と言った、との記事である。
 たちまち、「被災者の心情を逆なでにした」「立場を弁えない軽率な言動」の批判と非難の記事が渦巻いた。なぜ渦巻いたかは後に述べる。
 
前者の「死の町のようであった」は、その言葉だけを切取れば、「被災者感情を逆なでする言葉」にもなるであろう。だがしかし、人ひとり居ない無人の被災地は異常で不気味である。「死の町のようであった」の感想のどこが良くないのか。
 後者の「防災服をこすり付けられた」と告発した記者の職業倫理については後日に述べる。

 「取材に同行した記者」と「非難する論評子」にお訊ねしたい。

 まず、同行した記者に訊ねたい。
 鉢呂氏は被災地を視察しているときどのような態度と眼差しであったのか。被災者と言葉を交わすときの鉢呂氏の表情はどうであったか。記者はそれを見ていた筈である。見ていなければ頓馬な記者である。
 現在の国会議員は「口先だけで同情する議員」と「利権に群がり保身を第一にする議員」が大多数であると思う。
 その中にあって、鉢呂氏は生真面目で涙腺も豊かな人間的感性の持ち主であると思う。鉢呂氏が被災地の惨状に寄せる心情は「そこいらに居る国会議員」のレベルをはるかに越えるものだと思う。同行した記者はなぜそれを黙っているのか。いかようにも記事にできるではないか。それが職業ではないのか。

 次に論評子にお訊きしたい。
「如何なる言葉」であれば良かったのか。
「まるで死の町のようであった」に代わる「適切な言葉」を示して頂きたい。
 被災地の方々は、家族と離れ、隣人とも、クラスメーともバラバラになって暮らしているのである。可愛がっていた猫を想って悲嘆にくれる少女もいるのだ。

 一日も早く自宅に帰りたい。帰って農耕畜産をしたいのである。だが「何時になれば帰れるのか」が分からない。
 被災者は現実を認めたくないのである。現実を受け入れられないのである。被災地の現実を語ってもらいたくないのである。
 であるから、如何なる言葉も「心情を逆なでする言葉」になる。
 新聞を読んで鉢呂氏を批判される方々は、自分であれば「どのように語るか」を考えてみてもらいたい。

 新聞は話題になればどのようにでも報道する。大臣を辞任に追い込む記事を書けば勲章ものである。新聞はまことに無責任である。だから新聞記事をそのまま受け取ってはならない。そのまま受け取るから日本は低レベルの民主主義になっているのである。
 
 新聞記者には、本物のジャーナリストもいるが少数である。多くは日和見のサラリーマン記者である。そして風上に置けない悪質非道な記者もいる。それらが「新聞」の名に隠れて「記事」を書いているのである。新聞社ほど官僚的で風通しが悪くて要領のいい人物が昇進する職場はないと言われている。そして幹部になれば「現状の継続に利益を得る勢力」と溶融するのである。
 
読者は賢明でなくてはならない。メディアの背後にいる黒幕に騙されてはならない。これまで「原発安全」の記事に騙されたのだから。

 鉢呂氏が非難されているのは「被災地の現状を率直に語ったから」である。表現の問題ではないのである。考えても見よ。
 長閑に見える無人の風景は不気味で異様で不条理ではないか。「あってはならない光景」ではないか。
 この惨状に衝撃を受けた鉢呂氏が「まるで死の町のようであった」と語ったことを、「冷たく思いやりがない言葉」だと非難する新聞に、加担するのは賢明ではあるまい。
 
 狡賢い保身の政治家であれば、心中に「いつになれば帰れるであろうか」の同情心もなく、「政府として一日も早く帰れるよう努力をします」と語るであろう。現地の感想を訊かれても真摯に語らないであろう。
 なぜ語らないか。「タブー」に触れるからである。

 現在日本の「タブー」とは「被災地の運命を語ってはならない」である。
 チェルノブイルは、25年を経過した今も「住めない地域」が続いているのだ。
 福島被災地の、その運命を語れば、「やっぱり原発は危ういのだ」「原発は事故になれば住めない土地になるのだ」「だから点検中の原発も再稼動してはならないのだ」と人々が考え始めて原発反対の世論が高まる。
 
そうなれば「莫大利権」を損なうことになる。原発は「莫大利権」である。「莫大利権の人達」が「タブーの元凶」であるのだ。
 だから、政治家も学者もメディアも「被災地福島のありのままの現実」を語らないのである。新聞読者は「これはオカシイ」と思わなくてはなるまい。

 本論は「鉢呂氏の擁護」が目的ではない。新聞読者に「死の町のように」なったのは、「何が原因で」「なぜこうなったのか」「住める町になるであろうか」「故郷に帰れるであろうか」を考えることが重要だと言っているのだ。
 論評子も、鉢呂氏の「不用意な感想」を咎めるよりも、現在日本の「タブー」に読者の注目を誘う(いざなう)べきである。ジャーナリストの本来職分は「タブーへの挑戦」ではないのか。現在日本に「タブー」が存在しているではないか。本物のジャーナリストならば挑戦するであろう。
 
鉢呂氏の発言を「不用意」と述べたのは、鉢呂氏は大臣就任の直後から「安全委員会の委員に原発批判の人も入れて委員を差し替える」と言い、「TPPは農業・水産業に大きな影響があるから慎重に」と語った。であれば、罠が自分に近づくことを予想し警戒すべきであった。親しげに近寄ってくる記者が罠を隠していることにも注意をするべきであったのだ。
 
昵懇の月刊誌編集長から、「伝聞の域を出ませんが、記者からの「放射能まみれですね」との軽口に、鉢呂氏が既報のような言動で返したようです。」のメールが届いた。
 その場の真偽は不明であるが、新聞記事を読む側が「一歩前に出た体験のある人」と「常に御身大切な生活態度の人」とでは所見が異なるであろう。前者は「刺されたな」とまず直感する。後者は「大臣ともあろう人が何ということを」と新聞記事に同調するであろう。


 福島原発は未だ収束していない。現在只今も、大気中と海中と地中に放射性物質が飛散し流出が続いている。被災地周辺の子供たちが成長して思春期になったとき「ホルモン異変」の障害が生ずる不安がある。チェルノブイルでは多数の異変が生じたのだ。

 しかるに、その原因者の東電は今もなお「黒く塗り消した情報だけ」を提出する。それを咎める権限を持つ側に「電力会社と電力労連からの支援」を受ける人達がいるからである。北海道民主党は泊原発に関して電力労連から文書で抗議されて「党は原発に反対ではないのです」と弁明に四苦八苦した。

 菅首相が水素爆発の直後に「福島はもう帰れないのではないか」と言ったとき、議員と官僚と新聞が寄って集って(たかって)「その発言を圧殺した」ではないか。
 東電から「第一原発が危険になったから全員撤退したい」と連絡があったときも、経産官僚と海江田経産相は何時間も菅首相に報告しなかったではないか。(TBSスペッシャル「原発攻防180日の真実」)
 
自民にも、公明にも、民主にも「莫大利権に繋がっている人達」がいるのだ。メディアにもいる。だから、これほどの大災害になっても、原発推進派が巻き返すのである。野田首相も原発維持と原発輸出を表明して経団連に歓迎されたではないか。
 これらの人達が、「福島の現実を語る」ことを抑えているのである。だから、誰も「被災地の現実と運命」を語らないのである。
 
これがタブーの構造である。
 この構造にメスを入れるのがジャーナリストであるのだが、なんとも情けない「新聞各紙」であることよ。
 科学者はなぜ「地域全体をすべて除染することはできないのです」「自宅には帰れないのです」と真実を語らないのか。語るのが「科学者の良心」ではないのか。語らないばかりか、電子工学の講座がなくなっては「メシの食いあげだ」と「原発安全」を唱える学者が現にいる。北大工学部にもいる。

 被災地の首長に申し上げる。
 原発立地交付金で財政が潤い、公共施設を整備し地元に働き場所ができたと喜び、「安全な原子力で平和な豊かな町」の看板を掲げたが、今になって考えれば「国策いう名の巨大利権」に「長閑で豊かな故郷」を売り渡したのではあるまいかと自省し、電源三法交付金で潤った自治体が軒並み財政窮迫になっている現実を顧みる。それが被災地首長の責務である。

「住民全員で元の生活に戻れることを切実に希求する」のは尤も至極なことである。だが同時に「元の生活に戻ることができるであろうか」を冷静に考えるのも地域のリーダーの責務である。チェルノブイルの実情を苦しくとも直視するのがリーダーの役割である。
 
電力会社は今になっても平然と黒く塗り消した情報を提出しているのである。それを咎めない政府とメディアである。「これは何故か」を洞察するのが被災地首長の責任である。
 鉢呂氏の発言を「被災地住民の感情を逆なでした」と怒るのではなく「冷静に現実を直視する」ことだ。敵を見誤ってはならない。口先だけの災害復興に再び騙されてはなるまい。

 原子力発電は機械であるから「絶対安全」はない。原発は事故になれば手に負えない。日本の技術は原子力村に身を寄せ「自己の保身」を第一にする「科学者の良心を失った」人達の技術である。「安全神話」で「万一の備え」もせず「事故マニュアル」もない技術である。
 
放射能収束には10万年を超える年月を要する。日本は地震帯の上にある。使用済み核燃料の処理技術はない。その危険な使用済み核燃料を原発建屋内に大量に保管し続けているのである。狂気の沙汰ではないか。

 それでも「原子力発電は必要なのでは」と思う方には、経済同友会終身幹事の品川正治氏が岩波「世界」5月号に寄稿した「原子力と損害保険(ブレーキをかける矜持と見識)」と伊東光晴氏の「経済学からみた原子力発電」岩波「世界8月号」を薦めたい。

原発災害ー村上春樹と寺島実郎
(カテゴリー: 原発災害
 原発災害―村上春樹と寺島実郎

 作家の村上春樹さんが6月9日、「カタルーニャ国際賞(スペイン)」の受賞スピーチで「原発批判」を、自身への反省をこめて語った。
 「東京電力と日本政府」を批判し、広告費で買収された「メディア」と黙認してきた「国民」も、加害者であると述べた。
 YouTubeは「ノーカット動画」を世界に配信した。http://www.youtube.com/watch?v=Ov_eqERdKi4 (参照されたし) NHKは翌日午後七時の全国ニュースで「村上スピーチ」を放映した。報道ステーションも「スピーチ映像」を紹介した。問題は「そのとき」である。

 古館キャスターが「今のスピーチを聞いてどう思いますか」と寺島実郎氏に訊いた。「原爆]と「原発」を同じ「核」だと語った作家の言葉は重いと思うが、私は立場を異にする。日本は3万5千人の電子工学卒の技術者を抱えている。平和利用の技術で世界に貢献するべきです、と持論を述べた。
 古館「お言葉を返すようですが、福島で多くの人が現に苦しんでいます。安全と言ったその技術が破綻したのではないですか」と返した。
 寺島「日本が原発を止めても中国は8千万キロWの原発計画です。日本は技術で国際社会に貢献するべきです」と繰返した。
 古館は視線を正面に戻して「私は到底そうは思えないです」と呟いた。

 人の内心は表情に現れる。番組司会のキャスターに「私は到底そうは思えないです」と呟かれたとき、寺島氏の「内心」が表情に現れた。そこには「識者の矜持」は無かった。そして古館の表情には「正当性の自負心」があった。
 村上春樹氏は賞金930万円を被災地に寄付する。

 原子力発電は事故になれば手に負えない。使用済み核燃料の処理技術はない。その危険な使用済燃料を原発建屋内に大量に置き続けている。狂気の沙汰である。
 だが「利権と保身」が「原発容認派」を存続させるのだ。
 寺島氏が言う東大電子工学卒は「原子力村に身を寄せて安全神話を合唱した保身の人々」である。科学者の良心と勇気を放棄した人々である。福島水素爆発のときにはテレビスタジオに現れて「心配ありません」と言った人達である。
 経済同友会終身幹事の品川正治氏が岩波「世界」5月号に寄稿した「原子力と損害保険(ブレーキをかける矜持と見識)」を、寺島氏には是非お読み頂きたいと思う。

 北海道の高橋知事は8月17日、泊原発3号機の運転容認を表明した。
 その理由は「国の安全宣言を信頼する」「3号機を運転しないと冬場の電力需要に対応できない」であった。
「何を根拠に国の安全宣言を信頼するのか」「何を根拠に電力不足を言うのか」「正確詳細な資料を北電に要求し提出させたのか」。それを訊きたい。
 高橋知事は最初から泊原発の運転再開に賛成であったと思う。

 北海道議会は「抽象的な言葉で質問」し「抽象的な言い回しの答弁」で終始した。「泊村の近くに活断層が判明した」「道民の生命安全を守るのが議会の責務だ」と、心底から真剣に考える道議会議員は唯の一人もいないように思えた。
 議員は「自分は知事表明に賛成ではないのだが、会派の見解がそうではないから」などと弁明するのでもあろう。
 議員は選挙が終われば「言葉だけで行動は別」になる。
 市民派を名乗っている二人の道会議員も同じである。

 9月4日の新聞各紙は、北海道電力泊原発3号機のプルサーマル計画を巡るシンポジウムの「やらせ」問題で、「北海道電力は事実関係を調査する第三者委員会を設置したと発表した」と報じた。この新聞報道を疑問に思う。
 記事の見出しは「第三者委員会」である。だが委員の人選は北電である。これは「北電の調査委員会」である。
 なぜ、何の注釈もつけずに「第三者委員会」と報道するのか。
 「第三者を装う北電の意図」を黙過する報道感覚を疑問に思う。これでは北電意図のお先棒担ぎではないか。
 この記事には、これまで(今日の重大な事態に至るまで)「安全神話」を報道し続けたメディアであったことへの反省がない。
 考えてもみよ! 北電が委嘱する委員会が、重要で微妙なこの時期に、「やらせの有無」と「行政判断への影響」を、的確公正に調査し報告するとは思えないではないか。
 新聞は、北電発表記事と同時に「高橋知事と北海道議会」の責務を質す記事を報ずべきである。即ち「調査委員会の設置」は、北海道民が代表権限を信託した北海道政府の責務であるのだから。北電委員会は偽委員会であるのだから。