■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
大塚信一著「松下圭一 日本を変える」
(カテゴリー: 新刊案内
 
大塚信一著「松下圭一 日本を変える」-市民自治と分権の思想-が刊行された。
 発行所は、㈱トランスビュー)、2014年11月5日、(357頁)
 著者は、元・岩波新書編集部長・岩波書店代表取締役社長。
 本書の随所に、北海道自治体学土曜講座の論点が、提起され解明されている。

以下は引用紹介
(まえがき)
 松下圭一は、政治学者として、20世紀にはじめて誕生した都市型社会とそこに生きる市民についての、自治と分権にかかわる独自の社会理論を作り出した。その社会理論は、20世紀後半から21世紀にかけて、日本の政治状況と社会構造を、ひいては文化のあり方を、大きく変えてきた。私は本書で、なぜこのような政治学者が生まれたのか、その秘密を探ってみたいと思う。 (部分引用)     
(序章17頁)
 松下の『市民自治の憲法理論』(岩波新書、1975年)が、憲法学者にあたえた影響ははかりしれない。当時それは“松下ショック”とよばれた。国家統治の憲法理論ではなく、市民自治の憲法理論を、という松下の主張は、至極もっともと思われるのだが、それから四十年近くたっても、日本の憲法学は根本のところで今でもかわっていない。憲法学は条文の解釈学だけでよいのか、という松下の問いかけに、憲法学者たちはいつ真摯に答えるようになるのだろうか。

(目次)
序 章  松下圭一とは
第一章 出発まで
第二章 ロック研究
第三章 大衆社会論争から構造改革論へ
第四章 自治体改革、シビル・ミニマム、都市政策
第五章 市民自治の憲法理論
第六章 市民文化の可能性
第七章 政策型思考と制度型思考
第八章 市民法学の提起  
終 章  成熟と洗練
 私の仕事 ‥‥‥‥ 松下圭一
  
(あとがき)
 序章で書いたように、「特定秘密保護法」の強行採決や「集団的自衛権」をめぐる恣意的な閣議決定など、安部政権の暴走には目に余るものがある。こうした暴走に対する有効な歯止めとなる論拠はどこに求めることができるのか。  
 私は、松下圭一氏の市民自治と分権にかかわる理論こそ、もっとも有効で適切な論拠になるものだと思う。その具体的根拠を逐一述べたのが、本書であるともいえる。 ‥‥いまだにお上崇拝の色濃い日本の社会・政治風土のなかにあって、松下氏の市民および市民文化の熟成と市民自治の貫徹への問題提起は、21世紀に生きる私たちにとって、もっとも重要な課題といえるであろう。‥‥

   多くの方々にお読み頂きたいと思う。(森 啓)


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書評 「新自治体学入門」 高橋 徹
(カテゴリー: 新刊案内
 高橋 徹さんが、小著「新自治体学入門」の書評を自治体学会の「会報」に書いて下さったので、掲載する。

 とてもキツイ本で、読むと自分が最低の公務員のように思える。
自治体学とは何か、社会を考える羅針盤、理論、実践的批判的思考が残っているか、自己の主体的変革をしているか・・。
 自治体学会の設立の経緯、そして自治基本条例、住民投票条例、市町村合併、研修などを取り上げながら考察している。理論書であり、武芸書、啓発本、思想本だ。
 新しい用語が空虚に踊り、結局何も地方自治体は変わらない。その中で「前に進む」「主体的変革する」のは簡単ではない。そのためには、市民団体や地域のリーダ-に出会い、心から刺激を受け、自分と組織の足りない点を自覚し、自分の仕事を深く考え、文章にまとめ、職場で行動を起こす。
 必要なのは、その繰り返しなのだろう。
 しかし、人の数倍働き、軋轢を恐れず前に進む。そんな超人に、私はなれないでいる。社会理論も組合も憲法の精神も同時進行で衰弱しても尚、同じように前に進めるのか。  
 本当に夫婦で働きながら、子供を育てながらでもそれができるのか。
 職場、地域、市民団体、組合、家庭、自分の心を見つめ、それをこの本の内容と重ね合わせて、30代前半より若い世代にうまく伝え、彼らを育てられているかを、反省点として私自身の中でまとめ、理論を再構築する時期が来ているように思う。
 これからの時代を作る若い人を応援し、前に進みやすい仕組みを作り、可能な限りこの本が指し示す先達の道を受け継いで行きたい。
  森 啓 著『新自治体学入門 -市民力と職員力-』  
 (時事通信出版局 2008年 四六判 194ページ 2415円 (税込))
   (高橋 徹さんは神奈川県庁の職員で自治体学会会員)







書評 「文化の見えるまち」 
(カテゴリー: 新刊案内
 宮本憲一先生が、小著「文化の見えるまち」の書評を書いてくださったので転載する。

 森啓著「文化の見えるまち」(公人の友社・2009年8月刊行)

 本書は、自治体の文化政策の教科書といってよい。
 ここでは73年に大阪府から始まった文化行政の30年を検証している。冒頭において文化の見えるまちとは「住んでいることが誇りに思えるまち」として、自治体の存立意味は「文化の見えるまちをつくる」ことにあると定義している。
 この場合の自治体とは、行政のことではない。自治体の主体は市民である。従って、「文化の見えるまちづくり」は「市民自治のまちづくり」でなければならぬ。これが自治体学理論である。
 彼は、文化行政ではお役所の縦割り行政の弊害が出るとして、「文化のまちづくり」という総合概念にしている。そして「文化の見えるまち」をつくるには、「主体の自己革新」が必要だとしている。
 それは、自治体職員も「省庁政策の支配」から脱皮し、「自治体独自の政策発想」を獲得する可能性を求めることである。このための開発の場として、市民と文化団体と行政職員が同じ地面に立って話し合う「文化の見えるまちづくりフォーラム」が開催されたのである。
 91年に徳島市で「参加から協働へ」をテーマに第1回が開催され、第11 回が「まちに文化の風を」というテーマで池田市の市制70周年記念行事として共催されたのである。

 本書には、自治体の文化戦略という副題がついている。 そして、彼の定義によれば「説明理論」としての「行政の文化化」や「協働」について論じた後、「実践理論」である文化ホールのあり方や地域文化の主体について述べている。彼によれば、すべての行政を文化行政の施策といえるものに組み替えるのが行政の文化化である。文化化された行政政策によって「住んで誇りに思える文化の見えるまち」をつくるのである。
 例えば美術館のような施設をつくるだけでなく、伝統行事を復活させ自然や歴史的景観を市民と共同してつくり出すこと、商店街の再生や地域産業を地域生活に定着させる市民と行政の協働など、すべてが文化行政の施策である。この定義は少し晦渋であるが、文化政策がまちづくりの中心として総合行政でなければならないといっているのである。
 
 この本では、文化ホールと自治体の文化戦略についての松下圭一氏と著者の対談が面白い。バブルから景気政策の過程で、公共事業の一環として文化ホールが各地に建てられ、70年代の450から08年には2192に増えている。公会堂のような多目的ホールから専門ホールまであり、その管理・運営について、採算が取れず、また有効な活用ができていないなどの批判がある。文化ホールをまちづくりの拠点とする森氏は「まだ足らない」とし、松下氏は批判が出ていることに未来を感じている。最近の指定管理者制度も含めて、管理主体の問題やまちづくりへの生かし方は文化行政の重要な論点であろう。
 また文化行政への視角では鶴見和子氏、清成忠男氏と著者の鼎談も興味深い。
         宮本憲一(大阪市立大学名誉教授)
新刊・文化の見えるまちー自治体の文化戦略
(カテゴリー: 新刊案内
新刊・「文化の見えるまち-自治体の文化戦略」(公人の友社)

第一章  文化の見えるまち
第二章  文化ホール 
第三章  対談・自治体の文化戦略
           (松下圭一×森 啓)
第四章  行政の文化化
第五章  協働と行政の文化化
第六章  地域文化の主体 
第七章  鼎談・文化行政への視角
           (鶴見和子×清成忠男×森 啓) 
第八章  文化行政の沿革
第九章  展望
第十章  日本文化行政研究会小史  中村順

文化の見えるまち


 文化の見えるまちとは「住んでいることが誇りに思えるまち」のことである。
 文化は計量化できない価値であり目に見えるものでもない。見えない価値を保存し創出する営為が「文化の見えるまちづくり」である。自治体の存立意味は「文化の見えるまちをつくる」ことにある。
 非文化的な日本列島の現状は省庁政策に従属した結果である。産業基盤の整備に財政を投入し公共事業を肥大化させて地域文化を破壊したのである。自治体財政の軒並み赤字は米国の内需拡大要求で公共事業を強要された結末である。市町村合併を強要し三位一体改革を反故にしたのは省庁官僚である。
 省庁政策に従属してはならない。省庁官僚に服従しては「文化の見えるまち」はつくれない。
 自治体は政策自立しなければならない。政策形成力と政策実行力を高めなくてはならぬ。
 地域を守るのは自治体である。

 「自治体」とは「行政」のことではない。自治体の主体は市民である。
 市民が政府(首長と議会)を選出して政府を制御し政府を交代させるのである。これが「市民自治の政府信託理論」である。信託は白紙委任ではない。四年期限の信頼委託である。重大な背信行為のときには信託解除権の発動となる。
 行政機構は市民自治の事務局であるから政策策定と政策実行を行政機構が独占してはならない。「文化の見えるまちづくり」は「市民自治のまちづくり」でなければならぬ。これが自治体学理論である。
 市民も行政職貝も首長も議員も文化団体の役職員も自治体学理論が必要である。旧来の統治行政の考え方では「文化の見えるまち」にならない。
 現在日本に必要なのは「考える力」である。「批判的思考力」である。

 本書は一九七三年に大阪から始まった文化行政の三〇年を検証し「文化の見えるまち」とはどのようなまちであるかを明らかにした。
 黒田知事が設置した大阪文化振興研究会の提言は、現在からふり返れば「自治体の政策自立」を促す提言であった。文化行政は八〇年代に政策潮流となって全国に広がった。
 文化行政では「行政が文化を仕切る」の誤解が付きまとう。そこで「文化行政」を「文化の見えるまちづくり」と言い換えた。「文化のまちづくり」ならばタテワリ省庁の政策支配から脱し自治体独自の政策発想が可能となる。
 本書は「文化の見えるまちづくりフォーラム」の経緯を検証して自治体の政策自立の可能性を展望した。
 日清日露この方、日本国家は庶民大衆が楽しむ施設にピタ一文支出しなかった。人々が集い楽しむ文化施設の建設から文化行政が始まったのは当然のことであった。ハコモノ批判が噴出したのは、行政職員にも建築家にも文化ホールの何たるかの認識が欠如していたからである。
 そこで、本書は優れた文化ホールの実際例を点検し文化ホールは「文化の見えるまち」の拠点になり得ることを確認した。
 次いで本書は「行政の文化化」と「協働」の言葉の由来を検証し「文化の見えるまち」をつくるには「主体の自己革新」が不可欠であることを論証した。
書評・新自治体学入門
(カテゴリー: 新刊案内
木村修さん (映像プロダクション・マブイシネコープ) が「新自治体学入門」の紹介文を書いて下さったので転記する。

  森啓著『新自治体学入門―市民力と職員力』時事通信社

 著者森啓さんは、冒頭こう切り出している。「本書は『自治体学』の概念を『国家学』との対比で定義し、自治体理論の基礎概念を吟味して『市民自治』の意味を確定した」と。
多くの読者が、私同様、『自治体学』という概念に本書で初めて出会うことだろう。それもそのはず、今日全国幾百の大学で「専門科目として開講しているのは北海学園大学法学部のみ」であるとも付言されている。
 ところで、前記の「『市民自治』の意味を確定する云々」とは、一体いかなる実践的要請にもとづき何を求めての論及なのか。しかし、運動の現場から地方議会と自治体行政のありように向かい合って本書を開けば、読者に大きな視界と、運動の深い基礎となる理論的正当性を与えてくれる。
 以下、私の経験の一端から本書の相貌を紹介する。
 1998年11月18日、神戸市議会は「神戸空港の建設の是非を問う住民投票条例案」(この直接請求署名は市長の得票数を大きく上回り、有権者の3分の1をも越えていた)を”悠々”と賛成少数で否決した。
 主権者市民の直接的主権行使を儀式化された”討論”で否決・圧殺して、その責任が問われることのないこの国の「民主主義」システムは怒りを通り越して不思議でさえあった。こうした主権者市民の決定過程への参加を徹底して忌避・嫌悪しながら「議会制民主主義」とされている現行システムを私たちはどのように意識したらいいのだろうか。
 にもかかわらず、90年代から直接請求運動は国会・政党・大労働組合から自立して全国津々浦々に広がり、04年の大阪市以来26自治体に連続する無防備地域宣言運動もこの新しい波を一段と高くしている。
 ところで、こうした市民の自立した運動の足跡はどのような歴史的意味と必然的根拠を持っているのか。しかもその多くの場合、発言する市民各層が「議会による否決」の壁を重々承知しつつその彼方に視界を広げて立ち上がっているとすれば、この歴史的社会的意味の理論化は間違いなく日本の民主主義の将来を拓く課題である。
 本書の意義は、こうして意識化されないままに来た主権者の直接的主権行使と、国家から自立した自治体の根本的性格の領域を「自治体学」と冠して私たちの批判的・発展的考察の対象にし、そこから「人権・主権・自治」の領域を自立的に考察検証する回転軸を与えてくれているところにある。
 今、日本の市民運動・住民運動は政党や大労働組合の思考停滞のはるか前方を自力で進んでいる。
本書は「自治体学の概念」(第1章)、に始まり、「代表民主制と住民投票」(第6章)に私たちを誘う。「あとがき」には、「自治体学理論は民主主義を実質化し定着させる理論である」との結語が光る。どのページからでも、読者が思うページをまず開いてみることをお勧めする。
新刊紹介 「新自治体学入門」
(カテゴリー: 新刊案内
新刊紹介

 松下圭一教授が、小著「新自治体学入門」(時事通信社刊)の紹介文を月刊・地方自治職員研修(2008-5月号)に書いて下さったので転載する。

   職員が拓く自治体政府の展望   
                      
 芸術家やスポーツマン、政治家やジャーナリストなどは個性ある仕事が課題といえるだろう、サラリーマンや官僚のなかにも、個性ある仕事をする人物がいる。だが、2000年分権改革まで、官治・集権型の「機関委任事務」方式のため、個性ある仕事をしてはいけなかったのが、自治体職員であった。自治体職員に個性ある仕事をさせない官治・集権は、日本という「国の大失敗」だったと、自治・分権の今日、強調せざるをえない。
 
 本書の著者、森啓さんは神奈川県職員のころから、自治体職員のこの禁制を破って、個性ある業績をのこした数少ない自治体職員の一人である。このことは、森さんを知る人なら、誰もが認めるであろう。自伝風でもあるが、本書は現時点での白治体課題を、誰にもわかりやすいリズミカルな文体でまとめている。
 
 私が森さんに出会ったのは、1978年、神奈川県が公務研修所を自治総合研究センターにきりかえた前後だった。この再編の原案は私がつくったのだが、政策研究と政策研修とをむすびつけた日本で最初の白治体研修改革となる。森さんは、このセンターの研究部長にもなっている。その経験もふまえ、第9章「自治体職員の研修」では、自治省公認の旧人事院研修方式を背景にもつ、自治体独自の政策づくりという問題意識が皆無だった、かつての自治体研修を批判している。
 研修は、官治・集権の「歴史と価値意識」がしみこんだ言葉をつかう能吏ではなく、「地域課題」を自治・分権型で解決する自治体職員の、日々の誕生をめざすべきだという。自治体職場では、時代錯誤の、①慣例、②上司、③考え方がはびこり、その改革にとりくめば、今日でも「俄然辛い職場になる」。この実情のなかでは「研修の改革」が不可欠と具体案をのべ、特に現場での出会いにおける職員一人ひとりの「感動」という「衝撃」が必要だと、達意の論点をのべる。
 
 森さんはまた、(1)文化行政の提起、(2)自治体学会の創設にかかわっている。
(1)文化行政では、森さんはそのパイオニア職員として著作をかさねた。とくに『文化ホールがまちをつくる』は、ハコモノをタテ割行政ではなく、市民ついでその自治体の地域づくりとみなす最初の労作となる。第3章「市民力と職員力」がこの論点をとりあげている。
(2)自治体学会の創設については、第10章「自治体学会設立の経緯」が、関連文献の整理をふくめ、くわしい。
 1993年、森さんは北海道大学法学部に移るが、北海道の白治体を一躍有名にした、いわゆる「土曜講座」を自治体の方々とともに、1995年たちあげた。毎年数回の連続講座をひらき、その講義をまとめた公人の友社刊のブックレットは115冊になり、日本全体の自治体にひろく波及力をもつ。受講生のなかから、すでに北海道では10人をこえる長もでていると、本書はいう。
 
 そのほか、白治体改革、市町村合併、道州制、あるいは市民自治基本条例、住民投票などの章をもち、これらの最先端領域を森さんらしい切り口でのべる。「地方公務員から自治体職員へ」「自治体政府と自治体学」「国家法人理論 対 政府信託理論」など、理論レベルにも目配りをする。
「あとがき」に、理論には説明理論と実践理論とがあるとのべているが「一歩前にでる」実践理論の提起が本書の意義である。
 自治体職員の可能性を、私達は本書に具体性をもって発見できる。元気のでる本である。