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■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
松下圭一「市民政治理論の骨格」
(カテゴリー: 自治体学理論
  松下市民政治理論の三つの骨格

 1 市民自治
  ア 「国家統治」と「市民自治」
  イ「市民」と「自治体」
 2 都市型社会
 3 政策型思考

 現在日本は民主主義と言えるであろうか。 
 今の日本社会は(間違っていること)を(間違ている)とハッキリ言わない。
「安倍晋三は前に言ったことと真逆のことを平然と言う」と思っても「人前ではそのことを話さないのが良い」と思っている。これが現在の日本社会である。
 
 市民政治理論は「国家は統治主体ではない」「市民が政治主体である」とする理論である。ところが、国会議員と官僚は国家が統治主体だと思っている。学者も「統治権の主体は国家である」と講義して、国民を国家の一要素とする「国家三要素説」を教説する。
 松下圭一教授は、岩波新書『市民自治の憲法理論』で、民主政治は「国家が国民を統治する」ではない。市民が「政府に権限を信託して政府を制御する」である、と明解に論述した。
 1975年にこの本が出版されたとき憲法学者も行政法学者も政治学者も、誰も反論できなかった。「松下ショック」と言われた。
 ところが、憲法と行政法の学者は明治憲法理論の「国家統治理論」を現在も言説し続けているのである。なぜであろうか。
 これが、「現在日本の民主主義」の根本論点である。

 松下理論は「市民が自治共和の主体である」とする市民政治理論である。
 市民政治理論が民主主義の政治理論である。

詳細は下記をご覧ください
  1 https://www.youtube.com/watch?v=3WJoqoXyLzY

2 https://drive.google.com/file/d/11JJSU1IEdAJwRbH8ilMvhEc8IDOdd349/view?usp=sharing
北海学園大学開発研究所「開発論集103号」・「松下圭一・市民政治理論の骨格

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札幌「市民の風」の方々へ
(カテゴリー: 政策提言
  「市民の風」の方々へ

今日の危機的な政治情勢で自民公明からの支持をも受け入れる(支持を得ようとする)候補者を信頼できるであろうか。(秋元から要請したのではなかった)で(それならばよい)の問題ではない。
かつて、
 東京電力労組の(会社利益・自己利益)の要求で東京都知事選挙で民主党は 「原発再稼働反対」を掲げない舛添候補を支持し支援した。
「市民の風」の方々は、「立憲、国民、社民、市民ネットが秋元を支持したから」ではなくて、自由で自立した市民運動ならば「相乗り」を問題視するべきではないのか。そしてまた、立憲、国民、社民、市民ネットの方々は(目先の自己利益でなくて)、なぜ渡辺候補の統一支援の輪の広がりに向かわなかったのか。

  今重要なのは(将来をも見据えて)の反(自民・公明)の連帯行動を重視することであろう。
 「運動内部の対立拡大を防ぐために」の言辞は (為すべきを為さずして)の遁辞(逃げ向上)に見える。 上田代表世話人は(現に)秋元選挙応援に顔を出している。「上田個人の行動だ」と言い張っても「市民の風」の行動として世間には拡がる。
 上田氏は、真剣マジメに(安倍晋三の邪悪魂胆を阻止する人)に見えない。かくして、市民運動も(相乗り政党と同じ程度の)「所詮そんなもの」になる。
 札幌「市民の風」の方々にお訊ねしたい。
(カテゴリー: 政策提言
 札幌「市民の風」の方々にお訊ねしたい。

 国会では「自民・公明」の多数議席の横暴が続いており、安倍晋三は東アジアの緊張を高める言動を意図的にくり返している。それは、祖父岸信介の墓前に「憲法改変をやり遂げました」 の報告を捧げるための言動である。
 
 安倍晋三の邪悪な意図を阻止しなくてはならない。
 「戦争をしない平和な日本」つくらなくてはならない。
 それには
参議院選挙の前哨戦だと言われている北海道知事と札幌市長の選挙はとても重要です。自民・公明に対決する勢力の結集が必要です。

 沖縄の方々は
  暴力装置そのものと化した日本政府による辺野古新基地建設強行への緊迫した危機感のもと本土の市民運動を見つめています。
 ところが、
  札幌「市民の風」は (道知事選挙では政治勢力の結集に参加したが) 札幌市長選挙は「自民公明が支持する(現職市長)の候補者」に(相乗り)して、反(自民・公明)の勢力結集を避けた。 何故であろうか。
私の友人の説明では
  「市民の風」の主だった方々は代表世話人である上田氏の(現職市長との親密関係を続けたい)の意向を「忖度して反対できないからだ」とのことです。
 これが真実ならば、まことに奇怪であり 自由公正な市民運動と言い得ない。
 「市民の風」と呼称することも辻褄が合わないと思う。
        
   
都市型社会とは
(カテゴリー: 自治体学理論
  「都市型社会」

松下理論の骨格の第二は「都市型社会」である。
都市型社会とは、農村・山村・漁村・僻地にも「工業文明的生活様式」が全般化した社会のことである。「都市型社会」は「都市地域の社会」のことではない。同様に「農村型社会」も農村地域の社会のことではない。
「都市型社会」とは、現代社会を「如何なる社会」であるかを認識するための用語である。理論構成の前提条件である社会構造の変化を認識するための用語である。
 多くの学者は、理論構成の前提である社会構造が「ガラリ変わっている」ことを認識理解しない(理論構成できない)のである。

 人類発生以来、狩猟・採集の社会であった。やがて農業技術を発明して定着農業の社会(農村型社会)になった。人類史上、第一の大転換であった。この農村型社会は数千年続いた。そして16-17世紀のヨーロッパに、産業革命(工業化)・市民革命(民主化)による「近代化」が始まり、農村型社会(身分と共同体の社会)の解体が始まった。
 さらに、20世紀には工業化(情報技術のさらなる発達)・民主化(民主政治の思想と制度の広がり)が進展して、先進地域から順次に「都市型社会」への移行となった。工業化と民主化が進展して数千年続いた〈農村型社会〉が〈都市型社会〉に大転換したのである。
 だが,都市型社会の成熟に伴い新たな問題が生じる。
工業技術の発達は資源浪費・環境破壊・遺伝子操作・人工生命などの深刻事態を生来し、世界各地では民主政治の危機が生じ独裁国家が台頭している。これらは「民主化による工業化の制御は可能なのか」という文明史的問題である。
工業化の進展が不可避とする「市場原理」と、民主化が誘導する「計画原理」との結合を如何に市民制御するかの問題である。しかしながら深刻事態の否定的側面のみを提示せず発展面をも直視せずばなるまい。

 この問題解決のカギは、市民型人間の「醸成可能性」である。すなわち、都市型社会の成熟によって人々は「余暇と教養の増大」を保持する。そして(数世代をかけて)「人間型の変容」が生じる。すなわち、都市型社会の成熟が「市民型人間の大量醸成」の可能性を齎すのである。可能性ではあるがこの可能性が画期的な事態なのである。
都市型社会では、人々の生活条件の整備は〈共同体〉ではなく〈政策・制度〉という公共政策によって整備される。
講座「民主主義と自治」 (札幌月寒公民館・創造学園)
(カテゴリー: 自治体学理論
2019-1-24 札幌月寒公民館

[1] 民主主義と自治
1)自治
・自治とは重要なことを(人任せにしない)(自分たちがしっかりする)である。
・自治の反対語は統治支配である。
・民主主義は「選挙で権力の座」に就いた人物を「身勝手にさせない」である。
・選挙は「白紙委任のお任せ」ではない。信頼委託契約である。
・信託契約に背反するときは契約を解除するである。
・明治憲法時代の日本の人々は「統治される被治者」であつた。
・日本国中が焼け野原になり300萬人の人が死んで民主主義になったのだが……

2)現在日本は民主主義であろうか。
・今の日本は(間違っていること)を(間違ている)とハッキリ言わない。
・国会では重大な(取返しのできない)ことが(自民と公明の多数議席)で強引に決議され法律になつている。
・「安倍晋三は前言と真逆のことを平然と言う」と思っても、人前ではそのことを「話さないのが良い」と思っている。これが現在の日本社会である。
・日本の新聞とテレビは[重要な政治ニュース]よりも[娯楽・スキャンダル・スポーツニュース]を報道する。人々は次第に政治に無知になり無関心になる。
・(官邸のメディア監視班)が「政権批判報道」を監視して、新聞テレビの経営者を警告し自粛させている。
・日本の「報道の自由度」国際ランキングは、主要7カ国(G7)で最下位72位。東アジアでは、台湾が最高45位、韓国63位、日本72位、香港73位、中国176位。世界最下位は北朝鮮。

[2] 民主主義
1)天皇退位と新元号
・人々が「新元号」を予測したり話し合えるのは日本社会が民主主義だからである。
・天皇退位も日本が民主国になっているからである。(だが猛烈に反対する人もいる)
・日本でいちばん民主的なお方は天皇である。
・憲法を大切にされ平和を望んでいらっしゃるのは天皇である。
・安倍晋三は憲法を「占領憲法」と言って蔑視している。(本心は岸信介の墓前に…)

2)沖縄辺野古湾に土砂投入
・普天間基地の代替名目で本格的な米軍基地を辺野古に建設している。
・メディアの扱いは「重大ニュース」ではない。これが現在日本の報道である。
・そしてNHKは「安倍首相が辺野古のサンゴや絶滅危惧種は別の場所に移していると説明した」と報道した。大久保教授(東京経済大学・海洋生物学)が「それは事実と異なる」とコメントした(東京新聞1月9日24面)。
・安倍首相と菅官房長官は「沖縄の人々に寄り添う」と言いながら機動隊に守らせて「問答無用の土砂投入」を強行している。
・天皇は沖縄に11回も訪問され沖縄の人々の心に寄り添われた。地震・台風の災害地にも度々出かけて被災者にお声をかけられ天皇への敬愛を高められた。

3) 行政権力の私物化 (不公正・不公平・不透明)
・国民の七割が「森友問題と加計問題」を納得していない。
・前川喜平さん(元文部事務次官)は、全国各地から講演を依頼されて安倍政権の「行政の私物化」の実情を語っているので下記をご覧あれ。
https://www.youtube.com/watch?v=FBLOAIiMkW4
(前川喜平さん講演会2018.04.08@名古屋)
https://drive.google.com/file/d/0B3ELOI3faDj6Y1pPcld0dTUtN1U/view?usp=sharing 
(前川喜平(前文部科学省事務次官)講演 2017年10月23日(札幌エルプラザ)

[3] 権力は騙す
1) 言葉で騙す
・いつの時代も権力の座についた者は人々を騙す。臆面もなく平然と嘘を語る。
・(トランプのフェイク)と(安倍晋三の二枚舌)は同じである。
・NHKでは政治部が「ニュース原稿」を訂正して政権批判をさせず政権を擁護する。 
・政治部の岩田明子氏が安倍晋三の取巻きであることはつとに有名である(gougleインターネットにも掲載されている)

2) 安倍政権と警察
・官邸と検察・警察との癒着を見せつけたのが、「森友学園、加計学園」と「安倍晋三の取り巻きジャーナリストである山口敬之氏の準強姦事件だった。いずれも検察と警察が、官邸に忖度して処理した。
・ 国会で繰り返された安倍首相の傲慢な態度と官僚らの誠意の欠片もない答弁など、安倍政権をここまで思い上がらせたのは、「官邸の力」である。首相秘書官や官房長官を“仲間”で固め、内閣人事局の持つ人事権で「霞ヶ関」を支配し、検察警察を牛耳ることで“身内”には(恩を売り)“逆らったもの”には(容赦なく対処)しているからである。下記をご覧あれ。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52209
・元TBS報道局の社会部及び政治部の報道記者である山口敬之氏は安倍首相に最も近いジ ャーナリスト。その山口敬之からレイプされたと27歳の女性が訴えた。逮捕状を携えた刑事が成田空港で逮捕すべく待ち構えていた。そこへ中村格(警視庁刑事部長(当時)から「逮捕は取りやめ」と指示がなされ、そして東京地検は嫌疑不十分を理由に不起訴を決定した。指示をした中村刑事部長は2015年3月まで菅義偉官房長官の秘書官であった。

3) 騙されない思考力
・民主主義は人々が「騙されない賢明さ」を保持して成り立つ。
・その賢明さとは「官邸に追従するメディア」に騙されない思考力である。
・70年前、全国の都市が焼け野原になり300萬を超える人が死んだ。そのとき日本の人々は「鬼畜米英・米英撃滅」「打ちてし止まぬ」と大合唱した。そして今、国立筑波大学生の70%超が「平和憲法を改変しようとする安倍内閣」を支持している(筑波大学新聞339号)のである。そして官僚は保身のために「公文書を改竄し」「記憶にありません」と繰り返すのである。

[4] ゴーン氏の逮捕
・ゴーン氏の逮捕拘留の背景には「日産株43%を保有する(フランス・ルノー)が日産を吸収合併する動きがありゴーン氏がそれに加担し始めたからだ」と憶測されてい。
・「日本の警察は逮捕拘留して弁護士にも家族にも面会させない。嫌疑を認めなければ(自白しなければ)保釈せず長期拘留を続けるのは「人質司法である」との批判が国際社会に高まっている。
・この機会に、戦前からの「警察国家」の(悪しき慣習)を改め、ることが大事ではあるまいか。

[5] 隣の国・韓国
・1910年(明治43年)8月29日、大日本帝国は大韓帝国を併合して支配下に置き、筆舌に絶する非道を35年間続けた。
・いま嫌韓を煽っている人々は、テレビで尤もらしく言説している人々は過ぎし過去の非道を如何ほどに知っているのであろうか。
・隣国との友好を(どうすれば築けるか)(どう考えるのが良いのか)が重要ではあるまいか。
政策型思考とは
(カテゴリー: 自治体学理論
   {
「政策型思考」とはどのようなことか 

 松下圭一市民政治理論の方法論は政策型思考である。
 政策型思考とは「予測」すなわち「構想による仮定の未来」を(目的)におき、現在の資源を(手段)として動員・機動して整序する思考である『政策型思考と政治』137頁)
 松下教授は、自身の方法論を次のように説明している。
『私の社会・政治・行政理論の方法論は「歴史の変化のなかに現実の構造変化を見出し現実の構造変化をおしすすめて歴史の変化をつくりだす」という考え方です』と。
 「歴史の変化をつくりだす」は「規範論理の思考」である。即ち、政策型思考とは「規範論理による思考」である。

 松下理論(著作)が難解と言われるのは規範論理で論述されているからである。
 論理には説明論理と規範論理がある。
 「説明論理」は(事象を事後的に考察して説明する思考(実証性と客観性が重要)である。
 「規範論理」は(あるべき未来)を目的に設定して実現方策を考案する思考(予測性と実効性が重要)である。

(あるべき)とは当為である。(かくありたい)(かくあるべき)は「規範意識」である。
(あるべき未来)は構想であって夢想ではない。未来に実現を予測する構想である
(あるべき未来を構想する)とは「規範概念による思考」である。 

 丸山真男氏は『日本の思想』(岩波新書153頁)に、「である」の思考論理と 「する」の思考論理の違いを説明している。そこに説明されている「する」の思考論理が「規範概念による思考」である。政策型思考は規範論理による思考である。

 松下理論(著作)を難解だと思うのは (お読みになるご自身に)実践体験がないからである。
 「規範概念」と「規範論理」の論述を了解し納得するには、(あるべき未来)を目指して一歩踏み出し、困難な状況に遭遇して、困難を切り拓いた(イクバクかの)体験が必要である。
「あるべき未来」を希求するのは「現状に問題あり」の認識があるからである。問題意識のない状況追随思考の人には(あるべき未来)を構想することはない。
 「構想する」とは「何が解決課題であるか」「解決方策は何か」を模索することである。「何が課題で方策は何か」を模索するには経験的直観が不可欠である。その経験的直観は「困難を怖れず一歩踏み出した実践体験」が齎すのである。

 「人は経験に学ぶ」という格言の意味は、一歩踏み出し困難に遭遇して「経験的直観」を自身のものにするということである。
 「経験的直観」とは「実践の概念認識」即ち「実践の言語表現」である。一歩踏み出し困難に遭遇した実践体験の無い人には「経験的直観」は無縁であり不明である。
 (知っている)と(分かっている)には大きな違いがある。その違いは実践体験の有無である。人は体験しないことは分からないのである。

「実践」と「認識」は相関する。
・毛沢東の『実践論』と『矛盾論』は相互補完しているのである。 (矛盾論は認識論である)
・西田幾多郎の『絶対矛盾的自己同一』というのは、西田自身の禅的実践体験によって到達した「直観認識」である。

1980年代に政策研究活動が自治体に台頭した。台頭したのは、自治体に省庁政策の下請従属の位置から脱出する政策自立の動きが広がったからである。
  政策研究には二種類ある。
・一つは、特定政策を事後的に実証的・客観的に調査分析して説明する(費用と便益などの)研究。行政学の政策研究はこちらである。 
・他の一つは、(政策課題を見出し)(解決実現の方策を考案)する研究である。自治体の政策研究はこちらである。(自治体の政策研究の詳細は、北海学園大学開発研究所「開発論集101号」に掲載した)
書評・『新自治体学入門』 高橋悟(自治体政策研究所理事)
(カテゴリー: 研究ノート・書評
高橋悟さん(自治体政策研究所理事)が
『新自治体学入門』の書評を
「地方行政誌」に掲載して下さいました。
下記をご覧下されば幸いです。
https://drive.google.com/file/d/1yHOkceOP8FsphH0dKI5FspZtzAo8J4ix/view?usp=sharing

切れのある文章を書く人は多いが、本書の著者ほど曖昧さを排除し明晰な文章を書く人は少ない。刊行から10年が経つ本書ではあるが、ここに提示されている論点は今なお新しく鮮烈だ。
 機関委任事務制度の廃止などを主な内容とする2000年の分権改革に先立ち、わが国の自治の歴史上特筆すべき2つの出来事があった。
1つは1960年代における松下圭一理論の登場であり、もう1つは1980年代における自治体学会の設立である。
 本書の著者である森啓先生(現在北海学園大学法科大学院講師)は、この自治体学会の設立に深くかかわった一人である。中心的役割を演じたと言ってもよい。その経緯は、本書の第10章に詳しいが、学者・研究者だけではなく自治体職員や市民を交えた学会の設立は、自治の歴史上画期的な出来事であった。
 著者は、元神奈川県職員であり、自治総合研究センター研究部長などを歴任し、退職後、北海道大学に転じた。その後、北海学園大学で日本で初めて専門科目としての「自治体学」の講座を開講する。このように自治の現場を体験し、自治体学会の設立に深くかかわった著者の手になる本書は、自治体学の理論の集大成であるとともに入門書としても最適だ。
 本書で一貫して追求しているのは、わが国の政治・行政の考え方を「国家統治」から「市民自治」に組み替え、住み続けたいまち
を実現することである。     
 その具体的な実践が、かつて全国に大きなうねりとなって波及し自治体のあり方を変えていった文化行政と政策研究であった。
 本書第3章「市民力と職員力」では、文化行政を「住み続けていたいと思い住みつづけることを誇りに思える地域社会をつくる市民と行政職員の協働の営為」と定義している。留意すべきは、ここで言う「協働」の意味が「自己革新」した「市民と行政職員の協力」を指す点にある。学者が訳知り顔に言う「コラボレーションの訳語」ではないのだ。 
 「自己革新」つまり「主体の変革」とは、自らの価値軸を「国家統治」から「市民自治」へと転換することだ。しかし、その前には様々な壁が立ちふさがる。いかに突破していくか。著者は本書のいたるところで読者に対し「一歩前に出る」勇気を鼓舞しているように思われる。
 一方で著者は「状況追随思考」が蔓延する現状に対して警鐘を鳴らす。「自治基本条例」や「町村合併」などの自治体の最重要事項は議会の議決だけで決定するのではなく、住民投票を行うべきとする主張は大いにうなずける。
 自治体理論は、松下圭一教授の民主主義理論を基本前提として、価値軸の転換を促すための実践を自治体レベルで追求した理論とみることができよう。つまり自治体学は、松下教授と自治体職員との「共同創造理論」であるとともに松下理論の「発展型」なのだ。
 誤解を恐れずに言えば、自治体学は「科学」ではない。それは、自治の現場での“実体験”と多くの“まちづくり事例”に裏付けられた「未来の可能性」への「確信」である。 自治の現場で模索を続ける市民、自治体職員にぜひとも読んでいただきたい一書だ。
   (高橋 悟=自治体政策研究所理事) 

NHK政治報道の政権癒着・迎合に抗議する
(カテゴリー: 民主主義
放送法を遵守し“自主・自立”の報道を
~NHK政治報道の政権癒着・迎合に抗議する~
2018年11月16日
NHKとメディアの「今」を考える会

「アベチャンネル」と心ある視聴者・市民から揶揄されているように、最近のNHK政治報道の政権寄り、「政府広報化」は目に余るものがあります。NHKは、優れたドキュメンタリー(毎年8月に集中して放送される、戦争の歴史的事実に目を背けず平和の大切さを訴える特集番組、NHKスペシャル、ETV特集など)、日々放送される教育・福祉番組などで視聴者の高い信頼を得ています。それだけに、政治報道の偏向は公共放送の評価を貶めるもので、受信料を支払うNHKの支え手・視聴者としては残念でなりません。
私たちは、放送法に則り、「何人からも干渉されず、政治的に公平な政治報道」をNHKに強く求めます。

 私たちは、次のような事例を政権寄りに偏向し、政治的公平を欠く報道と受け止めています。
8月26日午後、NHK総合は生中継で、鹿児島県桜島をバックにした安倍首相の自民党総裁選出馬表明を伝えました。そして「今年は明治維新から150年。維新ゆかりの地、鹿児島を発信の地とすることで新しい国づくりへの意欲を示すねらいもあったものと思われます」という、安倍首相の意向を代弁するとも受け取れる政治部記者のコメントも添えました。 
 この放送を見たある民放のTVキャスターは、フェイスブックで「安倍首相総裁選立候補表明のミニ特番をNHKがやってる」と揶揄しました。              
 事実上、首相を選ぶことにつながる自民党総裁選挙ではありますが、一般の有権者には投票権もない一政党の党内の選挙の扱いとしては異常さが際立っています。安倍政権のメディア戦略に安易に追随していると批判されても仕方のないものです。
8月23日、昼のNHKニュースで突然安倍首相が画面に登場し、「台風20号が来るので避難を」と呼びかけ、視聴者を驚かせました。                  
 退職した元NHK報道局幹部は「一言でいえば、この避難呼びかけは気象庁の担当課長が記者会見を開いて行う類のもの。安倍氏が『電波ジャック』をしたようなもの」とフェイスブックに投稿しました。
同様の、安倍政権の災害対応をアピールする戦略に乗せられたも同然の放送は、9月の北海道地震関連で「安倍首相 北海道の停電 8日中にほぼ解消の見込み」、近畿地方を襲った台風関連で「“関西空港の復旧に全力 無電柱化進める考え”首相」と字幕表示するなど数多く見られました。
 私たちは、次のような事例も、政府与党に不都合な事実を報道しない政治的公平を欠く報道と考えています。
10月9日の翁長前知事沖縄県民葬では、安倍首相のメッセージを代読した菅官房長官に、参列者から「帰れ!」「ウソつき!」などのヤジが飛びました。
これをNHKはどう伝えたか民放報道と比較してみます。
テレビ朝日「報道ステーション」は、冒頭のナレーションで「県民葬で怒号」。菅官房長官の代読シーンでは、参列者のヤジを「ウソつき」などの字幕を添えながら数カットで伝えました。
TBS「NEWS23」も参列者のヤジに焦点をあてた報道でした。ナレーションは、「参列者のヤジで会場は騒然」。字幕も「「県民葬でヤジが」。そして菅官房長官の代読と併せて抗議の声をあげる参列者の映像を流しました。
この2番組とは対照的にNHK「ニュースウオッチ9」は、参列者のヤジを全く伝えませんでした。怒号の様子を沖縄の県域ローカルニュースではきちんと放送しましたが、「ニュース7」「ニュースウオッチ9」は玉城デニー知事の式辞と菅官房長官の代読のみで、参列者のヤジには全く触れませんでした。  
政権には不都合な事実ではありますが、首相のメッセージへの沖縄県民の怒りの表明は、それ自体が事件です。それを伝えないのでは政治的公平を欠くと非難されても弁明の余地はないでしょう。
福島在住で沖縄放送局に在職経験のあるNHKOBは、「NHKは、安倍政権にとって気に入らない沖縄や福島など国策にかかわるにニュースを、ローカル(県域)エリアに押し留め、全国放送からはずしている。重要な情報を隠蔽し、国民の知る権利に対し重大な違反行為」と批判しています。
西日本豪雨の際の「赤坂自民亭」パーティ、野田前総務大臣の金融庁への情報漏洩、杉田水脈議員の差別発言などについても、NHKはほとんど報道しませんでした。

 以上、指摘したような政権寄り報道は、視聴者・市民を誤った判断に導きかねません。その責任の重大さは、戦時中、大本営発表を垂れ流して国民を戦争に駆り立てた過ちを例に引くまでもないでしょう。

 事実を正確に伝える客観報道であっても、市民社会の動き、市民団体や野党の主張は伝えず、政府与党のパフォーマンスや、政権に都合のいい一面だけ強調した見解のみを垂れ流すことは、放送法第4条の番組編集準則「政治的に公平であること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」に著しく反する報道と言わねばなりません。
私たちは、改めて放送法の精神を踏まえた「政治的に公平な報道」を求めます。
差し当って以下のような点に留意いただくよう要請するものです。
政権のメディア戦略に安易に便乗せず、政権の政策や主張もファクトチェックし、メディアとしての見識に基づく政治報道を。
「朝鮮半島出身労働者」(戦時中の「旧民間人徴用工」)、「TAG(物品貿易協定)」など、都合の悪い本質を覆い隠して政権が決めた呼称、法案名称などは無批判に使用しない。
政権・与党に不都合な事実も隠さずきちんと伝える。
市民社会や市民団体、野党の動き・見解もきちんと伝える。
政権・与党とは異なる見解、もう一つの見方(専門家・有識者の意見、国際的反響など)も広く伝える
 私たちは、公共放送NHKが、「何人からも干渉されず、政府から自立した政治的公平な報道」に立ち返ることを強く願っています。

<賛同団体>
 アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)
 「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター(VAWW RAC)
 日本ジャーナリスト会議(JCJ)
 放送を語る会
 マスコミ九条の会
 メディアを考える市民の会・ぎふ
北海道自治体学土曜講座・完結講座
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
北海道自治体学土曜講座は 
松下圭一先生追悼『松下理論の今日的意義』 を
主題に2018年10月13日完結しました。

 当日の講義と鼎談を動画でご覧ください。  
1.講 義
「松下圭一 日本を変える」 
    大塚信一(元・岩波書店社長)


「シビルミニマム論と市民参加・職員参加論」
    西尾 勝(東京大学名誉教授)

「松下理論の骨格」       
    森  啓(自治体政策研究所)

2.鼎 談 論 議 
「松下理論の今日的意義」 
    大塚信一、西尾 勝、森 啓(司会)

追悼松下圭一先生ー「松下理論の今日的意義」での論点
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
 北海道自治体学土曜講座(松下理論の今日的意義)での論議
    (2018年10月13日)

 当日の鼎談(大塚信一・西尾勝・森 啓)で、
 (松下先生はゲラ校正を四回目も五回目も真っ赤にして返してくる、なぜであろうか)を話し合った。
 筆者は「北海道自治土曜講の16年」を刊行したときの体験を披露した。(真っ赤になって返ってくる校正)が何回も続いたが、(何処をどうに訂正し補筆したか)をその都度(前回のゲラ)と(今回のゲラ)とを見比べたとき、松下先生の考え(松下理論)が見えてきた。「なるほど・そういうことなんだ」と納得し理解した。その体験を披露した。(本になった文章)だけでは(分からなかった)と思った体験である。であるから、松下理論を研究・理解するには、毎回の真っ赤な校正ゲラはまことに貴重であると思う。
 さて問題は、「なぜ何回も何回も真っ赤に校正するのか」である。解答は松下論稿が「規範概念による政策型思考」だからである。「模索推敲」が不可避だからである。だがこの解説では理解困難であろう。そこで筆者の「松下理論の第三の骨格(松下理論の方法論)」を近日ブログに掲載する。
 当日の論点は
 「なぜ松下先生の本を難解だと多くの人が言うのか」
 「松下理論の方法論はどのようなことか」
 「規範概念、規範論理とはどのようなことか」であった。
 このブログに掲載したいと思う。
 
2018・北海道自治体学土曜講座
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
 北海道自治体学土曜講座(最終講座)

1995年から通算21年をかけて土曜講座がめざしたのは、受講者それ ぞれが「自分の見解を持つ」ことである。その根底に流れているのは、 市民が主体となって社会を管理する「市民自治」であり、それを提唱し た松下理論(=自治体理論)であった。  土曜講座の集大成となる最終回は、参加者自らが未来を切り拓く術を 得られるよう「松下理論の今日的意義」を再考・再確認する場にしたい。 松下理論(自治体理論)を習得し実践することで、中央従属の惰性思考 から脱却していこう。  ついに幕を閉じる土曜講座、ぜひ多くの方々に参加していただきたい。
 この最終講座を、自治体理論を提起され続けた松下圭一先生に捧げる。

主題 松下圭一先生追悼『松下理論の今日的意義』

1.講 義  
  「松下圭一 日本を変える」  大塚信一(元・岩波書店社長)
  「シビルミニマム論と市民参加・職員参加論」
                     西尾 勝(東京大学名誉教授)
  「松下理論の骨格」       森  啓(自治体政策研究所)

2.鼎 談 論 議    「松下理論の今日的意義」  
   大塚信一、西尾 勝、森 啓(司会)

■ 日 時
  10月 13日(土)  13:00 ~ 17:30
■ 参 加 費  無料/申込不要
■ 問い合わせ先   北海道自治体学土曜講座実行委員会  
   (共同代表:森 啓、内田和浩、宮下裕美子)  
    メール  ukazuhir@econ.hokkai-s-u.ac.jp
    電 話  011-841-1161 内線2737(北海学園大学経済学部 内田和浩)  
■ 会 場  北海学園大学 
    教育会館1階AV4番教室 札幌市豊平区旭町4丁目1-40 ※ 駐車場は利用できません
    地下鉄東豊線「学園前駅」下車 3番出口直結

■ 主 催:北海道自治体学土曜講座実行委員会
  共 催:自治体政策研究所/後 援:北海道自治体学会

詳細は下記をご覧ください。
https://drive.google.com/file/d/1Cl2j1iEiNu5lgSWY7uKX__OqTD03LQ5u/view?usp=sharing
追悼松下圭一先生ー「松下理論の今日的意義」
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
2018 北海道自治体学土曜講座  2018-10-13(土)(13.00-17.30)

土曜講座が目指すのは受講者それぞれが「自分の見解」をもつことである。
70年代に「市民自治・地方分権・市民参加」の自治体理論が提起され「情報公開条例」などの市民自治制度の制定が始まった。80年代には「まちづくり」の言葉が広がり、全国各地に参画型の市民運動が様々に展開され、自治体職員の自主研究グループが叢生した。かくして1984年10月18日、第一回「自治体政策研究交流会議」が横浜市内で開催され「自治体学会設立」が発議された。1986年5月22日、自治体理論の研鑽を目指す620人が横浜開港記念会館に参集して自治体学会を設立した。
80年代には自治体の政策自立の熱気が高まったのである。
だが中央従属の惰性思考から脱却するには自治体理論の習得と実践が必要である。
自治体理論を提起され続けた松下圭一先生追悼の研究講座を開催する所以である。

松下圭一先生追悼
  「松下理論の今日的意義」

Ⅰ 講 義
大塚信一「松下圭一 日本を変える」  
西尾 勝「シビルミニマム論と市民参加・職員参加論」  
森 啓 「松下理論の骨格」

Ⅱ 鼎談論議 
 「松下理論の今日的意義」
   大塚信一  (元・岩波書店社長)
   西尾 勝  (東京大学名誉教授)
   森 啓(司会) (自治体政策研究所)

会 場   北海学園大学 教育会館1階AV4番教室(札幌市豊平区旭町4丁目1)
地下鉄東豊線「学園前駅」下車。3番出口直結。
参加費 無料
朝日新聞(1979年10月30日・論壇時評
(カテゴリー: 自治体の文化戦略
 さっぽろ自由学校(遊)2018後期講座
「行政文化の改革は可能か」を開講する。
 https://drive.google.com/file/d/1WmasEJmgqF_Fu3xh2zlaMLrY2vUDsE7u/view?usp=sharing

文化行政は自治体から始まり、
朝日新聞(1979年10月30日の「論壇時評」にも紹介された。
 https://drive.google.com/file/d/1R3KZiejtrXETJ4V6cSLuGUq4fHSeECfu/view?usp=sharing
 
文化行政壁新聞「かもめ」の発刊ー (神奈川県教養月報1979年5月1日号への投稿)
(カテゴリー: 自治体の文化戦略
 前回の(文化行政壁新聞の発行)に記載した「庁内広報誌(教養月報)への投稿」記事です。

神奈川県「教養月報」(1979年5月1日号) への投稿
 -文化のための情報誌-「かもめ」の発刊
                          森 啓  

一 文化の時代
 最近、文化の問題が、各方面で注目されております。
 洋酒会社サントリーは、創業八十周年事業として十五億円を拠出して文化財団を設立しました。関西の財界は文化をテーマにセミナーを開き、大阪商工会議所は文化問題のシンポジウムを開催し、横浜商工会議所も百年記念事業として文化のシンポジゥム現在計画中であります。産業界では、文化産業論が話題を呼んでおり、大平首相も施政方針演説で文化重視を強調し、国の各省庁は八十年代にむけての目玉政策として、こぞって文化を柱にかかげはじめております。新聞や雑誌では、「文化」の活字が見あたらない日はないという状況を呈しており、自治体においても、文化の問題を重要な政策課題としてとりあげ、知事(市長)部局に専管セクションを設置して本格的な文化行政をすすめようとする県や市が急速に増えております。このような状況を評して著名な経済学者は「二十世紀を経済の時代と呼ぶならば、二十一世紀は文化が重視される時代として特色づけられるであろう」と述べております。
 
二 文化行政
 文化行政はタテ系に並んだ一行政部門というものではなくて、すべての行政分野にかかわりのある、横断的な行政課題であると考えられております。
 そして、文化とは人びとの日常生活の総体を意味することばであって、芸術や文化財というような何か特別に格調の高いものだけを意味することばではなく、そして、今日の文化問題とは、日常の生活をより人間らしさのあるものに組みかえていこうとする課題であって、行政がこのような課題意識にもとずいて一定の役割を果たそうとする、さまざまな営みを総称して文化行政とよんでおります。

三 行政の文化化
 行政が文化の問題(人間らしさのある生活にむけての日常生活の問い直し)に参加するには、行政自体が文化的であることが論理的な前提条件であります。 なぜなら、たとえば本県においては「文化のための1%システム」という名前で高校や庁舎、橋や道路などの公共建設に、建設費の1%の予算を上積みして、これらの施設を文化性のあるものにしようとする試みがスタートしております。これは、地域に文化的な環境をつくり出すための公共施策として各方面から注目されており、現段階では一定の評価を得ております。しかし、問題はいかに美しく、しゃれた、工夫された、立派な施設が完成したとしても、その施設の管理・運営が、規則本位で、管理主義で、冷たいものであったとしたらどうでありましょうか。「文化のためのシステム」という名前がはずかしくなるのではないでしょうか。
 いま、ここに、美しく、しゃれた、モダンな施設が完成したとする。しかしやたらと規則づくめで居心地が悪い。他方には、従来からのコンクリートだけの、けっして美しいとは言えない施設がある。しかし、ここには、自然に人が集まってくる。居心地がよい。ここに働く職員は利用者の方に顔をむけて仕事をしている。施設は地域にとけこみ、親しみがある、と想定してみましょう。どちらが文化的でありましょうか。
 知事の言う「ハードにソフトを」とは、けっして外観やデザインだけのことではないと思います。
 したがって、文化のための1%システムという施策は、論理的には(行政の文化化)が前提となります。そして実際には、同時並行的に行政の文化化が自覚的にとりくまれなければならないと考えます。

 行政の文化化には三つの側面があります。
 一つは、すべての事務事業に文化性を投入する。文化的な意味をもたせる(文化アセスメント)
 二つは、庁風、文風、作風といった庁内文化を人間主義的なものに、血の通ったものに組み替えることです。
 三つは、職員の意識(価値に対する考え方や問題意識)が個性的で人間らしさのある方向に絶えず自己革新していくことです。

四 「かもめ」の発刊
 行政の文化性をたかめることを目的として月刊の壁新聞「かもめ」を発刊します。
 「かもめ」は長洲知事の命名によるものでさわやかさ躍動感の意味をこめたものです。
 どうか、各所属では、この文化壁新聞を、よい場所に貼っていただきますようお願いいたします。(かもめ)は行政の文化化の実例や工夫の紹介(情報提供)と自由でオープンな意見交流(ひろば)を目的とします。編集は、全庁的に選任をいただいた七人の委員によって行います。多くの方々からの投稿(問題提起・紙上討論・公開質疑応答)を、待望いたします。誌面は没個性的でなく、できるかぎり個性的で人間臭さのあるものに、そして、できれば少しはシャレていて、あそびがあり、美しいものにしたいとねがっております がさてそれは…

五 行政文化をめざして
 行政が文化を課題とする、すなわち人間らしさのある生活(意識、活動、環境)にむけての問い直しに参加するには、行政がたえず文化的=人間主義的であろうとする意識的な努力が必要であると考え、月刊の壁新聞を発刊することといたしました、(壁新聞)にしたことは、情報と意見がオープンでパブリックなものでありたいと希(ねが)ったからであります。できることなら、毎号が清新な話題を呼び、ときには、ドキッとするような意見も掲載したいものと考えます。一方通行のメディアでなく、紙面を通して連帯と交流の輪がひろがり、神奈川県庁の組織風土がさらに一層さわやかな風のの吹くものになることを、みなさんとともにめざそうはありませんか。 (文化室企画担当)
文化行政壁新聞--「かもめ」
(カテゴリー: 自治体学講座
   文化行政壁新聞--「かもめ」

 1977年7月、神奈川県に文化室が新設された。筆者はそこに企画担当として配置された。企画担当の最初の仕事は「文化行政とは何か」「文化行政とは何をすることか」「行政が文化を政策課題にできるのか」を考えることであった。
 文化室の任務は「行政を文化行政と言えるものに改める」ことにある。「職員の仕事の仕方」を変革しなければならない。

(1)壁新聞を着想
 知事の発想で「文化室」は新設されたが、議会の多数会派は長洲知事に得点をさせたくない。そのため、幹部職員は人事権を持つ知事に従うけれども面従腹背であった。文化行政には冷たい空気が庁内に漂っていた。「文化行政の市民権」を庁内に確立しなければならない。「文化行政壁新聞」を刊行しようと考えた。パンフレットの類は直ぐに紙屑になってしまう。「一か月貼り晒し」の壁新聞が良いと思った。ところが、文化室長も県民部長も「一体何を掲載するのか」「掲載する内容があるのか」であった。文化行政は知事の目玉政策であるから反対も出来ない。だが壁新聞の予算要求に(内心では)不賛成であった。
 
(2)予算要求 
 消極的な室長と部長が予算を財政課に要求することが(ようやっと)決まった。
ところが、年休で一日休んで出勤すると何やら雰囲気がおかしい。若い職員に問い質すと、「森さんには言わないようにと言われているのですが、昨日部長室で『壁新聞はDランクで要求する』と県民部として決めた」とのことであった。「Dランク要求」とは「削って結構です」の予算要求である。
 総務部長に会いに行った。原総務部長は副知事になりたいと思っている。だが知事が議会に提案しなければ副知事になれない。副知事は知事の胸三寸である。文化行政は知事の目玉政策である。総務部長は知事に忠誠を示さなくてはならない。
 「森君、壁新聞を毎月出せるのかね」と訊く。「壁新聞だけでなく七項目の文化行政予算を全て知事査定に上げて下さい」と頼んだ。「七項目全てを知事査定に上げて大丈夫かね」「大丈夫です、知事には話してありますから」と言った。(知事には何も言ってはいない)。総務部長査定が終わった直後の県民部総務室で「おかしいなぁ─Dランクがみんな通った」と職員が話しているのを耳にした。
 
 次は知事査定である。1978年1月7日、いつもより早く出勤して秘書室職員に「知事に話があるので査定前に会わせてほしい」と頼んだ。秘書は「文化室の森は知事と特別な関係がある」と錯覚したのか、「知事さんがお出でになりお茶を差し上げ日程を説明した後に一番でお会い頂きます」となった。部屋に入っていくと知事は独りであった。「文化行政予算を全て認めて下さい」「森君、これ全部やれるのかね」「やります」「分かった」になった。
 かくして、文化室の文化行政予算は全て実行可能の予算になった。
  1 文化行政壁新聞の刊行
  2 文化行政推進本部の設置
  3 文化のための1%システムの開発
  4 地方の時代映像祭の開催
  5 行政のデザインポリシーの策定
  6 文化の第三セクターの設立
  7 全国文化行政学会の設立

(3)文化行政壁新聞・ポパール 
 話は少し遡るが、財政課に予算要求をする段階で、壁新聞に名前(表題)をつけることになった。いろいろと考えたが「良い愛称」が浮かばない。当時売れていた雑誌に「ポパイ」「ポスト」があった。「パピリオン」という商品もあった。発音はパ行である。「ポパール」という音が浮かんだ。語感が良い。何度か唱えていると「これで良い」と思った。苦し紛れの命名で特別な意味はない。
 財政課長査定で「ポパールの意味」が訊かれた。筆者はその日は出張で県庁にいなかった。誰も答えられない。出張先に電話がかかってきた。音(オン)で「ポパール」としたのだから意味はない。だが「意味はない」とも言えないので、咄嗟に「ラテン語」で「人々の芸術」という意味です。英語なら「ピープル・アート」ですと返答した。
 翌日、出勤すると「昨日は大変だったのよ」と東京外大卒の女性職員が言う。財政課からポパールの綴り「スペル」を訊かれて、その女性が図書館からラテン語辞典を借りてきて調べたが見つけられなかったとのことであった。「出てなかったかねー、POPALだよ」と苦笑して呟いた。「綴り」なんぞ「どうだって良いではないか」と思った。

(4)「ポパール刊行」の予告記事
 知事査定で壁新聞「ポパール」の発刊は定まった。
 壁新聞の標的は県庁職員である。当時の神奈川県庁には二代前の内山岩太郎知事が「教養月報」と命名した全職員配布の月刊の広報紙があった。壁新聞を注目させるには刊行予告が必要であると考えた。
 その「教養月報」に「論説的予告記事」を掲載しようと考えた。小村喜代子さんという庁内でも有名な女性編集者に会いに行った。快諾を得た。
 役所では、業務に関する原稿を庁内広報紙に書くときには、上司の「事前了解」と「原稿内容の承認」を得るのが通常である。それを知らないわけではない。だが、文化室長は庁内広報紙に掲載することを(自分では)決められないだろう。次長と部長に相談するであろう。そして「時期尚早」などの言い方で掲載は先送りになるであろう。「波紋が庁内に広がる」ことを極力避けたいのが幹部公務員の常套である。そしてまた、「教養月報」に掲載するになったとしても「原稿」は無意味な内容に変質するであろう。そうなれば、壁新聞発刊の「新鮮な衝撃イメージ」は職員に届かない。そこで、誰にも相談しないで原稿を書いて職員課に届けた。

(5)「ポパール」から「かもめ」に
 県民部担当の湯沢副知事から電話で呼び出された。副知事室に入っていくと
 「森君、壁新聞の名前は知事さんに付けてもらったらどうかね」と言われた。「やっとここまで漕ぎつけた」の想いがあったから内心不満であった。だが嫌とは言えない。「そうですか」と言って退室した。自席で「どうしたものか」と思案した。そしてふと思った。この壁新聞は現状維持の庁内文化に異質の価値観を提示するのだから、必ず悶着を起こすであろう。そのとき「知事命名」は役に立つ。そう考えて秘書課に「知事に命名して貰いたい」と電話した。暫くして知事在室の連絡が来た。知事室に入ると「にこやかな笑顔」で迎えられた。「暗夜に松明」の「たいまつ」、「文化を配る」の「トリビューン」も良い名前だね。だが既に使われている。そう言いながら立ちあがり、書棚から事典を出してきた。「森君も考えてごらん」と言うので「私はポパールです」。「人々のアートだそうだが、タイトルは分かり易いのがいいからね」と。
 黙って待っていると「考えるから、君も若い人の意見を聴いてごらん」となって退室した。翌日午前、特命秘書の蔵から「知事が考えてきたよ」と電話がきた。「何という名前?」「かもめだよ」。瞬間「悪くない」と思った。
 「県の鳥」は「かもめ」である。知事がそれを「壁新聞」の名前に付けた。「かもめのイラストも描いてあるよ」と蔵がつけ足した。
 (特命秘書であった蔵さんは現在札幌市内で喫茶店を開業している)
 そのとき「アッ」と気付いた。職員課の「教養月報」に出した原稿のタイトルは「ポパールの発刊」である。大慌てで職員課に電話した。「小村さんは神奈川新聞社の校正室に行っています」。神奈川新聞社に電話した。「最終校正をしています」と小村さん。「タイトルも文章も全て『ポパール』を『かもめ』に訂正して下さい」。危ないところで間に合った。
 かくして「ポパール」は「かもめ」に改名された。

(6)県庁のトイレに
 次の問題は「文化行政壁新聞・かもめ」を何処に貼るかである。県庁内の各課室内の壁面はロッカーが占拠して貼る場所が無い。エレベーター内を考えたが、身体に近すぎて読めない。玄関入口に貼っても県庁職員は早足に通り過ぎるから読まない。そこで「新庁舎のトイレ」に貼ろうと思った。
 だが、庁舎管理は年々厳しくなっていた。革新団体などが要求運動で県庁にやってきて敷地内でビラ配りをするのを規制していたからである。
 トイレに壁新聞を貼るのは容易なことではない。容易ではないが「貼る場所」を確保しなくてはならぬ。
 庁舎管理の責任者である出納長総務課長に会いに行った。
「聞いていられると思いますが、文化室の『壁新聞』の掲示場所の件ですが…」と切り出した。課長は怪訝な表情で「何の話しですか」と言う。「まだお聞きになっていませんか、秘書課から話しはきていませんか」「実は過日、知事と話していたとき『かもめ』の掲示場所の話しになって、新庁舎トイレの洗面場所が良いと言ったら、知事が『それはおもしろいね』となつて、『知事からも庁舎管理課長に言っておいて下さい』ということだったのです」と話した。
 総務課長は「聞いていませんが『トイレ』にですか、一度認めると職員組合もステッカーも貼らせろとなると困るしねー」と。当然ながら「それはダメです」の表情であった。
 ところが、翌月は「定期人事異動」である。部課長クラスの大幅人事異動が噂されている時期である。部課長の人事は知事の専権である。総務課長の脳裡には「職務を無難に」と「昇格への期待」が交錯する。しかし「トイレに壁新聞はねー」と呟く。天秤が脳裡で右と左に傾く。
 そこで「こうしたらどうでしょうか」と提案した。
 「一回だけ試行的に認めて、二回目の『継続するか』『止めるべきか』の判断は『総括管理主幹会議』で行う」「『総括管理主幹会議』の議題にすることは文化室が責任でやりますから」と言った。総務課長は「文化行政壁新聞は知事の肝いりである」「継続して貼るか否かは庁内会議が判断する」と考えたのであろう。「試行的ならいいかな」と呟いた。間をおかず颯と用意してきた「トイレに掲示」の「伺い文書」を差し出した。
 庁舎管理の責任者である出納総務課長のハンコを貰うことに成功した。(知事との過日の話はもとより架空のことである)
 直ちに県民部に戻って県民部長に決裁をお願いした。県民部長は「出納総務課長はよく認めたね─」と言いながらハンコを押した。次は次長決裁である。部長が決裁しているのだから「内心で何と思ったか」は別としてハンコを押した。最後に文化室長の決裁である。役所の通常では手続きが逆である。文化室長も内心に複雑以上のものがあったであろう。普通ならば認めがたいやり方である。だが県民部の幹部にも「翌月の人事異動」が作用していたのかもしれない。しかし「庁内ルールを無視するふるまい」の烙印は確実に吾が身に刻印されていく。しかしながら、通常の手続きでは何もできない。役所文化では「文化行政」を具体化することはできない。もともと「文化」と「行政」は異質である。
 文化室の職員に頼んだ。男性と女性の二組で「今直ぐ、新庁舎地階から十二階までのトイレに貼ってよ」と。トイレに壁新聞を貼るのだから、ボヤボヤしていると「ちょっと待った」がこないとも限らない。県庁の男性トイレには「用を足す目の前」に貼った。(役人意識が脱けているときである)。女性トイレには身だしなみを整えるスペースに貼った。貼り終わったのを見届けてホッとした。文化行政の初期のころは全てが「役所の作法」との「綱渡り競争」であった。
 本庁舎と分庁舎のトイレにも貼った。後は急ぐことはない。順次に掲示場所を確保していった。十二階の職員食堂、屋上の図書室、別館の職員会館、地階の売店にも貼った。


(7)専有掲示場所
 オレンジ色に黒色で「文化行政壁新聞・かもめ」と書いたラベルを「発砲スチロール」に貼りつけて表札を作った。表札の裏面には両面の粘着テープが付着してある。一度貼ると剥がせない。剥がすと「発砲スチロール」が壊れる。 
 出先の職場にこの「表札」を「壁新聞」と一緒に送付した。「教養月報」に予告されていた壁新聞であるから、庶務の職員が適宜な場所に表札を貼りつけその下に掲示した。その瞬間、そこが「かもめ」の専有掲示場所になる。全国の都道府県にも送付した。その話は後で述べる。

(8)編集委員
 壁新聞「かもめ」の狙いは「役所文化への斬り込み」である。編集委員には覚悟と才覚が必要である。そこで委員の選出に工夫を凝らした。
 まず問題意識と感覚の優れた職員と個別に会って同意を得た。その後で「文化室長名の公文書」で所属長に「この職員を推薦して頂きたい」と依頼した。そして、編集委員が腹を括るべく、知事室で「『文化行政壁新聞・かもめ』の編集委員を委嘱する」と墨書した依嘱状を知事から手渡して貰った。編集委員は七名。
 役所の通常では、このやり方は全てがルール違反である。(ここで断っておくが長洲知事と筆者は特別な関係ではない。文化室に異動になる前には会ったこともない。だが知事の目玉政策を現実化するのだから、この程度のことは知事にやって貰ってよいではないかと思っていた)。
 ところで、「毎号の内容」は七人の編集委員で決めるのだが、紙面にその内容を表現する「デザイン力」は素人では難しい。そこで東京芸術大学講師の吉本直貴さんにお願いした。吉本さんは「県庁内に貼り出す壁新聞を珍しい」と思ったからでもあるが、無料で最後まで協力して下さった。
 そこで、紙面づくりは一切を吉本さんにお任せした。「イラスト」も「キャッチコピー」もお任せした。責任は文化室企画担当の筆者である。壁新聞は文化室の予算であるが、文化室長にも事前の了承を得なかった。知事室での「依嘱状の手渡し」は「知事特命の編集」にするための工夫であったのだ。
 ある号で、次長室に呼ばれた。「森君、この文章はこう書くのが良かったのでは」と助言された。「そうだとは思いますがお任せください」と答えた。一度「助言」を受け入れると次第に「事前了承」になってしまうからである。「真に相済みませんが、気づいても助言はしないで下さい」とお願いした。
  
(9)服装は思想
 第一号のタイトルは「服装は思想です」であった。
 役所は形式的で画一的だと批判されている。何事も「前例と規則」である。仕事ぶりは「無難に大過なく」である。公務員の服装は「ドブネズミ」と言われている。みんな同じ色のスーツである。葬式でもあるまいし、個性的な洒落た服装であるべきだ。真夏にネクタイは暑苦しい。開襟シャツを着こなせばよい。「個性のない服装」だから仕事も「無難に大過なく」になるのだ。
 公務員の変身が文化行政には必要である。そこで「服装は思想です」にした。この壁新聞を「県庁舎のトイレ」「全ての県内職場」に貼り出した。新聞各社は写真入りで報道した。
 創刊号「かもめ」は初夏の空に飛翔した。1979年5月15日であった。

(10)神奈川県庁のムダ
 第十一号は「ムダの考現学県庁の場合」である。新聞各紙は「庁内壁新聞『かもめ』が内部告発」、「県庁のムダをヤリ玉に」などの見出しで1980年3月10日の朝刊で一斉に報道した。
 前号で「役所のムダ」についての投稿を募集した内容である。殆どは匿名であったが、投稿者の四割は女性であった。また「無駄とは何か」を課内で討論してまとめた投稿もあった。投稿の内容は「職員配置の不均衡のムダ」「仕事の量・質より職員の数が多ければエライ思い込んでいる所属長のお役人気質」「コピー時代に流されて安易に資料をつくる」「会議が多過ぎる」「多過ぎる役職者」「女子職員のお茶くみ」「議会開催中に五時以降の居残り職員が多過ぎる」などであった。
 新聞とテレビが報道して話題になり県議会でも論議になった。
 議会で話題になるのは良いのだが、自由な紙面づくりが出来なくなることを心配した。県民部幹部の事前決裁(検閲)になっては困る。信頼できる議員に相談して県民環境常任委員会の後部に座して論議を聴いた。「部長が紙面を抑制することはしないだろうな」「文化室から出ていることが良いのだから」などの激励発言であった。
 
 「かもめ」が、議会で論議になって新聞で報道されたので、管理職も読むようになった。800部刷って県の職場だけでなく県内市町村にも配布した。
 全国の都道府県にも先に述べた「発砲スチロールの表札」を付けて送付した。
 文化行政を自治体の全国潮流にしなくてはならない。「かもめ」を「文化行政の全国情報紙」にするためである。後日、他府県の文化行政担当課を訪れると「かもめ」が「発砲スチロールの専有掲示場所」に貼られていた。
 各号の「タイトル」と「内容」は『物語・自治体文化行政史─10年の歩み』(神奈川県文化室・新曜社-1988)に掲載されている。
文化行政の詳細は下記をご覧ください。
https://drive.google.com/file/d/19DUZNtGrN5Z7CerQnVaOhWNMqg-k8e8R/view?usp=sharing
 自治体の文化戦略(開発論集・北海学園大学開発研究所)
『新自治体学入門』-再読 荒木雅彦 (自治体学研究会幹事)
(カテゴリー: 研究ノート・書評
 荒木雅彦さん (自治体学研究会幹事) が
 『新自治体学入門』のコメントを書いて下さった
 ので掲載する。

   『新自治体学入門』-再読 

 ある自治体の職員から聞いた話である。
 その自治体では、不正使用を防止するため、首長印の押印は法制・文書事務を所管する課の職員が全て行っている。事務・事業の担当者が起案して所属の責任者に決裁された文書を添え、施行する文書を持参し首長印を押してもらうこととなる。
 毎年のルーティンワークとして、ある省庁の外郭団体と業務委託契約を行っており、その契約に当たっては自治体の首長と外郭団体の長の双方押印した契約書を2部作成し、それぞれが1部ずつ保管することとしている。
 その職員は契約書を締結するために、まず、首長印が押印された2部の契約書を外郭団体に送付し、外郭団体の長の印を押印してもらい、1部を返送してもらおうと考えた。
 たまたまその日、その時間帯に首長印を押印する担当だった若手職員から、「契約書への押印ですが、国以外を相手方とする場合は、まずは、相手方に押印してもらって、それを確認してから首長印を押印することにしているので、今回は押印できません」と言われ、その職員は「前任者から先に首長印を2部押してもらって返送するって聞いていたのだけれども、なぜ、うちの首長印を先に押すことはできないのかな?」と聞くと、「当課で定めた内規で、国以外を相手方とする場合は先に押印しないと決めているのです」と回答があった。「省庁の高級官僚が天下りしている外郭団体なので、国と同じじゃないの?」と尋ねると、「それはちょっと…」。また、「なぜ、国との契約だったら、うちの首長印を先に押すのに、民間相手だと、民間に先に押させて、うちが後に押すことになるのかな?国は我々にとって上部機関でおそれ多いってことなのかな?逆に下々の民間には、先に社長のハンコを押して契約させてくださいって持って来いって言っているのかな?、自治・分権の時代なのにねぇ」と伝えると、「私にはちょっと…、内規でそう決まっていますから…」と頭を掻くばかり。その様子に気づいた押印担当の若手職員の上司で、その職員の旧知の職員から「おいおい、あんまりうちの若手をイジるなよ~」の一言で、そのやり取りはお開きとなったという。

 2000年分権改革で機関委任事務は廃止となった。地方自治法は改正され、国と自治体は上下ではなく、水平対等の関係になったと言われている。情報公開、総合計画、政策評価、行政基本条例・議会基本条例・自治基本条例など、明治以来の統治・集権
型行政を自治・分権型に変革しようとする取り組みが全国各地で進められてきた。だが、そうした自治・分権的な仕組みが整えられた自治体であっても、職員一人ひとりにとって、職場の文化は、国や都道府県の職員との仕事の進め方や関係性は、市民との向き合い方は、議会との関係は、つまり、行政の実態は自治・分権的に変わったと言えるであろうか。
 団塊の世代の大量退職を迎えた現在、多くの自治体が新人職員大量採用時代の真っ只中である。国家統治理論の憲法や行政法を学んだ学生を採用したのは2000年までの
はずである。法学部出身でなくても、自治・分権は日本の政治・行政の大きな課題と広く認識されるようになった。例えば、「大阪都構想」のような政治ショーという形であっても、メディアで繰り返し取り上げられてきたように、2000年以降も自治体と国の仕事と
権限・責任の配分をはじめ、自治・分権を巡る課題に対して社会的な関心は高まってきた。そうした中、採用された若手職員が「内規でそう決まっているから」と発言することについて、その「内規」自体が、また、「そう決まっている」ことが、そして、それらに対して無自覚に発言して(させて)しまうことが、まさに「職員力」として問われているのではあるまいか。それは、若手職員というよりも、肝心な部分で変わっていない行政実態を支え、維持してきた若手職員以外の職員の問題なのではなかろうか。

 『新自治体学入門』は、何度読み返しても、チクリと胸に刺さる部分が少なくない。 「たしかに、自治体理論は広がり、政策形成力は高まり、市民自治制度は装備された。画期的な展開である。だが主体鈍磨が生じ、状況追従思考が蔓延している」(P54)
「70年代と対比するならば画期的な展開である。しかしながら、統治行政の実態はほとんど変わっていない。なぜ変わらないのか。自分自身は何も変わらないで新しい言葉を使い、新しい制度を制定すればそれで事態が変わると考えるからである」 (P104)
「保身第一の価値軸を転倒しなければ公務員は自治体職員に成長できない」(P134)
「日常の職場において、間違っていることを間違っていると発言する。その思念が自身の内に生じないのは批判的思考力が衰弱しているからである」 「一歩前に出て壁を越え た体験がないから「思考の座標軸」が定まらないのである。 つまりは、理論視座が欠落しているのである」(P170)

忖度が新語・流行語大賞に選出されたように、生活保守と状況追随思考が蔓延し続けている現在にあって、2008年に刊行された本書は、10年経っても色あせることなく、そしてこれからも自治体職員を厳しく鼓舞する1冊であり続けるであろう。

                   荒木雅彦 (自治体学研究会幹事)   
安部晋三の本心
(カテゴリー: 自治体学理論
 安倍晋三の本心

・安倍晋三の本心は「憲法改変」である。
ミサイル危機を煽り、Jアラートを鳴り響かせ、児童を机の下にもぐらせたのは、「憲法改変」を実現したいからである。憲法九条を骨抜きにし軍備を増強し戦争する国にするには「仮想敵国」と「国際緊張」が必要である。友好平和では困るのである。
 であるから、朝鮮半島の北と南の友好を喜ばず、トランプ・金正恩の会談中止の報に喜び、「北朝鮮との断交」「最大限圧力」を叫び続けたのである。
   安倍晋三の本心は「憲法改変」を実現して祖父岸信介の墓前に報告することである。彼の本心は「世界の平和」ではない。
  
・政治の要諦
 政治は本来、不幸せな境遇の人々に手を差しのべることにある。しかるに、トランプに言われて巨額の兵器(イージス艦は1.000億円など)を購入し、保育・介護・生活保護・障害者・難病者などの福祉予算、山林保護・河川管理の災害予算を切り下げた。彼には総理としての見識も責任感も無い。
 人々が幸せに暮らすには「平和」が不可欠である。武力で平和は保てないのである。
 軍隊は(いざそのとき)国民を守らないのである。「軍備増強は国民の生命と財産を守るためだ」と述べるが、安倍晋三は二枚舌である。平然と虚言を弄するのである。薄ら笑いの国会答弁を観察すれば彼を信頼信用することはできない。騙されてはならない。

・騙されない思考力
 官僚に(公文書を改竄させ)(記憶にありません)と嘘を言わせ、行政を私物化して「腹心の友」に便宜を図り、加計学園理事長が茶番の記者会見をした。
 (憲法違反の議案も国会運営も)公明・自民の多数議席で強行議決する。選挙民を見くびっているのである。
  今、必要なのは「騙されない思考力」と「真相を見抜く洞察力」である。そして、労働組合の「結束力」と「学習活動」と「市民との連携」である。
住民投票 - 市民自治講座 Ⅱ
(カテゴリー: 自治体学理論
講座・『市民自治―Ⅱ』
  現在日本は民主主義か    さっぽろ自由学校・遊 (レジュメ)

第二回 住民投票 (2018-6-20)

1住民投票とは
・選挙は「人を」選び住民投票は「事柄を」選ぶ。共に主権者住民の意思表明である。
・2000年代初頭、合併をめぐって「住民投票条例の制定」を求める署名運動が全国各地に起きた。地方自治法に基づく「条例制定の直接請求」である。
有権者50分の一以上の署名(住所・生年月日・捺印)を集める署名運動である。
・住民投票は「代表民主制度の正常な運営」を求める住民意思の表明であり「信託した代表権限」の制御行動である。住民投票を実施するには、そのための条例や予算などを議会が議決しなければならない。
・だが議会が、住民の条例制定請求の78%を否決し葬った。その理由は、住民投票は“代議制の否定”であり、議会の“専売特許を侵害する”というものであった。
・日本世論調査会の調査では、住民投票の活用に賛成する人が有権者の 86%。朝日新聞の調査でも活用すべきが90%であった。
・住民投票の歩みは[住民の“直接請求”]と[議会の“厚い壁”]との葛藤の歴史であった。
・住民投票には「イニシアティブ(発案の投票)」と「レファレンダム(評決の投票)」がある

2住民投票の実際例
高知県窪川町-日本で最初の住民投票条例を制定ー町長の原発誘致に反対
新潟県巻町―日本で最初に住民投票を実施した-原発反対・町有地売却せず
岐阜県御嵩町―産業廃棄物施設
沖縄県―日米地位協定・基地縮小
名護市―普天間代替基地・辺野古湾埋立
神戸市―空港建設
徳島市―吉野川河口堰―[50%条項]

市町村合併
 2000年代初頭、全国各地で小泉構造改革の市町村合併に反対する「住民投票条例制定」の署名運動が展開された。
  議会が住民投票条例を否決―そのとき「50%条項」が援(悪)用された。 (開票せず焼却した)  
 北海道の典型実例 南幌町・奈井江町・石狩市

 無防備地域宣言条例

団体役員と市民の「思考回路」の違い

3 定住外国人の投票権
・永住外国人に住民投票を認める動きは滋賀県米原町(米原市)から始まった。
 外国人の投票権を認める条例を制定している自治体は北海道増毛町、北海道静内町、北海道三石町、茨城県総和町、埼玉県美里町、埼玉県鳩山町、東京都三鷹市、千葉県我孫子市、神奈川県川崎市、愛知県高浜市、三重県名張市、石川県宝達志水町、広島県広島市、広島県大竹市、岡山県哲西町、香川県三野町[3]。

4 常設型住民投票条例
 岩国市の事例
合併の是非など特の問題に限定しない「常設型」条例に基づき、市長自らの発議で実施できる全国的にも珍しい住民投票。投票できるのは有権者と、20歳以上の永住外国人で3カ月以上の市内在住者のうち投票資格者名簿に登録した人。投票率50%未満の場合は開票しない。

5討論(話し合う)事項
・殆ど総ての住民投票(条例制定請求)を議会が否決したこと
・徳島市議会での「50%条項」は(住民投票不成立)のためのボイコツト戦術である。
・住民投票は議会制民主主義に反する (当時の)自治省見解
・住民投票には法律上の規定が無い 自民党政調会―自治体の基本条例に対して
    https://www.youtube.com/watch?v=2tqXt27Z3tU
・憲法の定める代表民主制は間接民主制であり、住民投票は直接民主制であるから、議会制に反するのか。
・なぜ定住外国人の参政権は認められないのか。
・「住民投票の法的効果」―立法化―住民投票立法フォーラム
    (URL:http://ref-info.net/、e-mail:ref@@clock.ocn.ne.jp)

参考文献
 『住民投票』岩波新書・今井一
 『無防備平和』高文研・谷百合子編
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民主主義には権力(政府)に騙されない自立した思考力が不可欠
(カテゴリー: 自治体学理論
民主主義には権力(政府)に騙されない自立した思考力が不可欠

 安倍晋三の本心は「アジアの平和」ではない。本心は「憲法改変」である。朝鮮半島「北と南の融和」を望んでいない。だから、虚言を言い続け危機を煽っているのだ。現在日本は「間違っていること」を「間違っている」と(言わない・言えない空気)が充満している。

 岩波「世界」六月号(41頁)の『憲法九条は誰が発案したのか 』を、お読みなさるをお薦めします。当時の幣原喜重郎首相の(見識と覚悟)は、安倍晋三首相の(憲法改変の執念)と較べて、人間としても首相としても「天と地の違い」です。

 前川喜平さん(前文部科学省事務次官)の東京大学駒場キャンパスでの下記講演を是非ご覧下さい。
   https://www.youtube.com/watch?v=6pFOa_dqJSM


北海道自治体学土曜講座(2018)
(カテゴリー: 北海道自治土曜講座
北海道自治体学土曜講座(2018) 

(第一回) 2018-5-26
[新聞・テレビは「大切なこと」を報道しているか]
民主主義には権力(政府)に騙されない自立した思考力が不可欠である。だが現在日本は「間違っていること」を「間違っている」と(言わない・言えない空気)が充満している。四月から始まった小学生への「道徳教育」にも(各人の考え)を大切にしない(集団重視教育)の危うさがある。新聞・テレビは真実を報道しているかを吟味し検証する。

1 安倍政権のメディア操作  徃住嘉文(日本ジャーナリスト会議)
2. 放送を巡る問題状況    小滝一志(放送を語る会事務局長)
3. ネット時代の新聞の役割  高橋 悟(自治体政策研究所理事)
4 .報道に騙されない市民の条件 植村 隆(元朝日新聞記者) 
5. 企業記者とフリージャーナリストの違い
                   小笠原淳(フリーライター)
 
(第二回) 2018-10-13
[民主主義の政治理論] 
松下圭一教授の市民政治理論に触発され「市民自治の憲法理論」を学んだ人は全国にあまた居る。だが日本は民主政治とほど遠い状態にある。安倍政権の本心は「アジアの平和」ではない。本心は「憲法改変」である。「北と南の融和」を本心は望んでいない。危機を煽って虚言を言い続けているのが安倍政権である。民主政治でない。松下先生追悼の意をこめて「市民自治の民主主義理論」を検証する。

1 .松下理論が日本を変える 大塚信一(元岩波書店代表)
2 .松下理論と多摩研究会   西尾 勝(多摩研究会)折衝中
3 .松下先生の市民自治理論 土山希美枝(竜谷大学教授)
4. 松下教授の自治体理論  辻山幸宣(地方自治総合研究所所長)

会場 北海学園大学 教育会館1階AV4番教室
    地下鉄東豊線「学園前駅」3番出口直結
 

地域の活性化には自治体理論が必要
(カテゴリー: 自治体学理論
以下は [北海道町村会・政策情報誌「フロンティア180」第13号(1995-4-10)]の論稿である。

  地域の活性化には自治体理論が必要 
 
一 町村職員には自治体理論が必要である
住みつづけていたいと思い住んでいることが誇りに思える地域をつくるには自治体理論が必要である。
地域課題が「量的基盤整備」から「質的まちづくり」に移った。まちづくりは省庁政策の下請けでは出来ない。地域課題を見つけ、その課題の実現方策を考え出し、住民、企業、団体と協働して実行する。そのような能力のある職員が町村役場に育たなければ地域はますます寂れ、ますます衰退するであろう。
まちづくりは役場の職員次第である。まちづくりの時代とは役場職員の能力が試される時代ということであろう。地域に活力が担り、個性と魅力と美しさが地域に育ち、過疎の進行が止まるには、役場にまちづくり能力のある職員が育たなければならない。
例えば、産業構造が変化して情報産業の時代になったから都市に人口が集中するのであって過疎の進行は止めようがないのだ。農村地域が寂れていくのは時代の流れであって役場職員がどんなに頑張ってもどうにもならないのだ、とただ言うだけ嘆くだけの役場職員では地域に活力は穀らない。質の時代のまちづくりは役場だけではできない。役場だけではできないのだが、役場職員が「まちづくりとは何か」「地域に活力が起るとは何をどうすることであるのか」が見えていなければ、「何
から始めればよいのか」がわからなければ、地域は間違いなく衰退する。そのような時代である。
ここ数年、農水省、国土交通省、総務省などの各省庁は「地域づくり」を唱えて、まるで競い合うかのように同じような事業を示して市町村を募ってきた。市町村は申請書を出して省庁指定の事業に自前の金も注ぎ込んでいる。質のまちづくりの時代に変わっても補助金行政のやり方は量の時代と変わらない。
しかしながら、省庁主導の旧来のやり方では質のまちづくりはできない。なぜ出来ないのか。質の時代のまちづくりの課題はすべてが総合行政的な政策手法を必要とする課題だからである。タテワリ省庁が補助金で指示し支配する旧来のやり方では個性と魅力のまちにはならない。施設も、事業も、制度も、その運営も、総合行政としてすすめなければ魅力あるまちにはならない。
例えば、省庁助成で施設をつくるとする。人口も少なく財源も乏しい地元では複合多機能施設をつくりたい。ところがタテワリ省庁は補助目的を理由にこれを認めない。会計検査員がそれをフォローする。
だが、地域事情は千差万別である。地域課題の内容も事業のすすめ方も様々である。それを、地域事情の分からない東京の省庁が画一基準で優越的に指示支配するから地域に魅力が育たない。
さらにまた、住民を行政サービスの受益者とみなし地域を行政施策の客体とする考え方では、人びとのまちへの愛情は育たない。まちに魅力と活力が甦るのは、そこに住んでいる人びとがまちづくりに関わりまちへの愛着を心の内に育てるからである。
計画も実行も市民自治的なやり方ですすめなければ人の心にまちへの愛情は育たない。現在の省庁支配の行政システムでは

市町村職員に「いたし方がないのだ」との惰性的な考え方を続いているからである。これでは誇りに思える魅力あるまちにはならない。
ではどうすればよいのか。自治体理論である。

二 統治理論から自治体理論へ
地域に個性と魅力を担らせるのは自治体理論である。
理論とは、筋道をつけて組み立てた考え方である。過疎が進行している日本列島にいま必要なのは自治体理論である。
「第一次産業を基盤とする社会」からが「情報産業型の社会」に大転換した(1)。価値観・生活様式が変わった。家庭のあり様、地域の人間関係を顧みればその変化は歴然である。一方に異常な過密、他方に深刻な過疎が進行している。何とかしなければならない。地域を燈らせる課題と方策を考え出さなければならない。
考え出さなければならないにもかかわらず、行政のやり方は旧態依然で役所の内側は何も変わっていない。
住民は被治者であって主権者ではない。国家の名目で法律を執行する省庁官僚が統治者である。自治体がそのシステムに従属しているからである。 
しかしながら、地域を甦らせ人間らしい感情と環境を取り戻さなければならない。自治体の政策能力を高めなければならない。中央-地方の行政システムを転換しなければならない。
問題は自治体職員である。仕事の仕方は旧態依然で、無責任で責任回避で形式的公平、年功序列の保身である。何も変わっていない。
社会構造が大転換して地域課題が量から質に変わったにもかかわらず、カタカナ言葉だけで、地域を甦らせる政策課題に挑戦していない。
(住民と手を携えて地域を起らせている町村は存在する。それは承知しているがここでは、文脈上かく記述する)
なぜであるのか。毎年四月、道庁、市役所、町村役場に新採用職員が入る。入ったときは、感覚も心も顔つきも人間らしく初々しい。けれども、数年を経過すると「地方の公務員」になる。首の後部をボンと打つと「チホーコームイン」と音がする、ようになる。言葉づかいも感覚も完全に役所の人になる。目の輝きも次第に薄れる。何故であるのか。
時代の転換に対応する自治体理論がないからである。役所が旧態依然でありつづけるのは明治以来の理論が浸透しているからである。
新採用職員が役所の人に変身するのは国家が統治し支配する理論に取り込まれるからである。移しい法律規則はすべてが国家統治理論で解釈され運用され通達され執行されている。事業・制度・施設・行政機構、そのすべてが国家統治理論で日常的に執行・運用・運営されている。これでは、仕事の仕方・言葉づかい′・顔つき・服装・感覚が次第にお役所の人になるのは当然であろう。
まことに、理論の力は大である。
例えば、文化ホールを建てるとする。官庁理論はこうである。文化ホールは公の施設であり行政財産である。行政財産は行政の責任で建設し管理する。役所が管理運営規則を定め館長を任用する。ホールの利用は申請書を提出し館長の使用許可決定を受け役所が定めた管理規則に従う。住民は行政サービスの受益者である。住民は公共政策の主体ではない。
これが旧来の国家統治の理論である。だから、文化ホールの建設は、ホールについて何も知らない実直な公務員が、さしたる見識もない首長の意向を伺いつつ、発注を受けたいだけの建築屈と、市民不在の場で密かに協議して、莫大な費用の建物をつくる。このような役所のなかで何年かを過ごせば、客席がアンコールで沸いているからと時間延長を求められても、管理規則を盾に所定時間での退出を迫る職員になるであろう。練習場所をもたない地元オーケストラに休館日の練習使用を求められても、館長は条例の規定を理由に断るであろう。そしてまた、現場が柔軟な運用をすれば本庁から官庁理論をふりかざして非難批判の指弾が飛んでくるであろう。だから、全国各地でハコモノ批判が一斉に噴き出している(2)。しかしながら、統治支配の官庁理論の職員には批判の意味すらも分からないであろう。
「文化施設の運営」と「行政財産の管理」とは原理的に異質であることが統治支配の感覚では分からないからである(3)人々の心にまちへの愛情が育たなければ誇りに思えるまちにならない(4)。
住民と協働しなければ美しく魅力あるまちにならない。統治支配のやり方では質の時代のまちづくりは出来ない。地域を起らせるには国家統治理論から自治体理論への転換が不可欠である。

三 自治体理論
自治体理論とは日本の各地域に活力が起る考え方である。住んでいる人が地域に愛着をもち地域への愛情を心の内に育てなければ地城は美しくならない。住んでいる人が地域を良くもするし駄目にもする。他人まかせでは、行政まかせでは、地域は確実に衰退する。そのような時代である。
社会構造が「農村型」から「都市型」に移行した。それまで、社会を繋ぎ支えていた共同体が失われた。だが、共同体に代わるものがいまだ形成されていない。現在はその形成の過渡期にある。農村型社会を支えた共同体に代わるものは何であるのか。それがまさに問題である。それは市民の公共性である。自治体理論は地域を支える主体と主体の関係を
見出す理論である。
自治体理論の形成には既成の考え方の転換が不可欠である。考え方の転換とは基礎概念を吟味して再定義することである。理論とは概念の繋ぎ合わせであるのだから。
例えば、行政の概念である。
行政とは法律の執行である、とこれまで考ぇていた。だが、この定義は誤りである。この定義では地域は起らない。なぜなら、法律には三つの欠陥がある。一つ、法律は全国通用つまり全国画一である。その法律の執行では地域に個性は育たない。二つ、現在の法律は各省庁タテワリである。悪く言えばバラバラ。質のまちづくりは総合行政である。タテヮリの法律ではまちに魅力は生まれない。三っ、都市型社会では前例のない公共政策課題が次々と噴出する。法律の制定改正を待ってはいられない。
つまり、行政は法律の執行ではない。行政とは政策の実行である。地域を美しく誇りに思えるまちにする公共政策を策定し実行するのが自治体行政である。正確に定義すれば、行政とは市民自治的に政策を策定し市民自治的に実行する、である(5)。つまり、地域の課題は何か、その実現方策は何か、を考えることが白油体行政であって、何かと言えば、すぐに法律はどうだ制度がどうだ、と発想しないことである。では法律とは何か。法律とは自治体政策の全国基準=準則である。その全国基準を尊重して地域事情に合った基準を定立するのが自治体立法である(6)。だから最近、政策法務という言葉が言われ始めている。このように考えを組み立てるのが自治体理論である。
自治体とは何か。省庁政策の末端執行団体ではない。住んで誇りに思える地域をつくる政策の主体、つまり政府である。現在の憲法は第八葦でそれを規定している。ところが、明治以来、政府とは中央政府のことであると思わされてきた。国家統治理論である。理論の力はまことに大である。だが、自治体も政府である。中央の政府と地方の政府の協力関
係を考えるのを政府間関係理論と言う(7〉。政策の主体である自治体は政府である。公共政策とは何か。政策とは課題と方策が組み合わされた指針である。だから、政策とは政府だけの言葉ではない。町内会にも農協にも政策はある。公共とは何か。公共とは市民と市民の関係を意味する観念である。公共も政策も国家や役所が独占する言葉ではない。
市民とは何か、市民とは誰のことか、市民と住民とは違うのか。市民概念を住民概念との対比で考えるのが自治体理論である。国家統治理論には市民概念はない。行政サービスの受益者=被治者としての住民あるのみである。住民は自己利益が行動原理。市民とは公共感覚を体得し公共性を行動原理とする人間型である(8)。国家統治理論は国家から出発
する。自治体理論は市民から考え始める。以上は、基礎概念の再定義の一例である。

四 地域が甦るのは職員次第-職員が育つのは町村長次第
地域が起るのは町村職員次第である。地域の事務局である役場の職員が旧態依然では地域は益々寂れていく。全国各地で町村職員の政策研究会が始まっている(9)。そことの交流である。交流して驚き感じ刺戟を受けて人の意識は変わる。役場に座しているだけでは意識は変わらない。行動し困難・壁に直面し苦しんで感動して意識が変わり人は育つ(10)。町村の時代である。町村の時代とは町村間に格差が拡大する時代である。その格差は役場職員の政策能力の差で決まる(11)。そのような時代である。地域は変貌し続けている。
町村は今、運命的な岐れ目にあるとも言える。すなわち、役場職員を育てる才覚・度量のある町長・村長が住民に選ばれているか否かで地域の運命は決まる。例えば、指示に従うだけの従順な地方公務員を良い職員と考える村長・助役は、地域を間違いなく衰退させるであろう。自治
体理論を勉強する職員を生意気だと非難して実務をやっていればよいのだと言う町長・助役は、町の未来の灯を消している町長・助役である。そのような時代である。
町長・村長に申し上げたい。
管理職には「それはそうだが、しかしそうは言っても法律・制度が…」と一切言ってはならぬと命じ、職員には「現行制度上止むを得ない」の論理に呪縛されるなと令を発されてはいかがであろうか。そして、役場内に情報コーナーを設け、自治体関連の月刊誌・季刊誌、出来れば書物も置く。地域づくりの時代であるから、各地の実践・見方・考え方の情報が身近手近にあることが職員の目を開かせる機縁となる。その資料と文献目録は町村会で整理なさってはいかがであろうか。

(注)
(1)松下圭一「政策型思考と政治」東大出版会18頁
(2)森 啓編著「文化ホールがまちをつくる」学陽書房98頁
(3)地方財務95年4月号「これからの文化施設のあり方」
(4)北海道自治研修所調査研究部・報告書「共に地域をつくる」
(5)地方自治センター編「自治体革新の政策と構想」下巻346頁=対談「自治体政策と法」西尾勝/松下圭一
(6)松下圭一「都市型社会の自治」日本評論社25頁
(7)西尾勝「行政学の基礎概念」東大出版会393頁‥政府間関係の概念
(8)松下圭一「戦後政治の歴史と思想」筑暦学芸文庫171頁
(9)自治体職員の政策研究会「政策型思考研究会(道庁職員と町村職員の研究会)、白老町職員政策研究会、道央圏町村職員政策研究会、小樽地域政策研究会、ニセコ町政策研究会など。
(10)「自治体職員の能力」公人の友社ブックレット№10

 
五回講座・市民自治 ―現在日本は民主主義か(Ⅱ)
(カテゴリー: 自治体学講座
五回講座・市民自治 ―現在日本は民主主義か

安部首相の国会答弁は、急所(重要なこと)を質問されると焦り「野次がウルサイ」とイライラして「訊かれていないこと」をベラベラ喋り質問者の持ち時間を浪費する。これが国民の運命をも決する人物であろうか。安部普三はアメリカ-トランプに同調して「北朝鮮への圧力」を言い続けているが、北朝鮮は「圧力」で「参りました-核は止めます」と言う国であろうか。日本のなすべきは、南と北の対話・友好の気運を支援して「東アジアの平和」を求めることである。これが道筋である。日本の人々は賢明にならねばならぬ。本講座はその道筋を吟味し考察する。

●会場 さっぽろ自由学校「遊」(愛生舘ビル5F 501)
●講 師 森 啓(もり けい)
中央大学法学部卒、神奈川県自治総合研究センター研究部長、北海道大学法学部教授、現在・北海学園大学法科大学院講師。主な著作「文化の見えるまち」「自治体学とはどのような学か」『自治体学の二十年・自治体学会の設立経緯』(公人の友社、2006年)。詳細はhttp://jichitaigaku.blog75.fc2.com/ 参照。
●テキスト 森 啓『新自治体学入門』時事通信社

第1回-2018-5月16日(水) [北海道の道州制問題]
1) 3.200を1.700に減らした市町村合併はどうであつたか
2) 道州制の意図(ネライ)は何か
3) 北海道の自立と沖縄の独立―北海道の四島返還と沖縄の米軍基地撤去
4) 北海道の役割―東アジアの友好平和

第2回-6月20日 [住民投票]
1)「当選すればこっちのもの」にさせない市民の制御力と歯止め。
2) 自治体の憲法―市民自治基本条例
3) 代表権限の信託と信託解除権の発動
4) 常備型住民投票条例

第3回-7月18日 [メディアと市民]
(対論) 徃住嘉文(日本ジャーナリスト会議北海道事務局長)
1) 新聞-テレビは真実を報道しているか
2) 原発-基地問題とメディアの現状
3) 安倍政権のメディア操作―NHKニュースと解説員
4) メデイァに騙されない市民の条件

第4回-8月22日 [自治体の政策能力]
1) 自治体の独自政策の歴史(歩み)
2) 議員の政策能力―議員が市民活動に関わらないワケ(理由)
3) 町内会問題と市民自治
4) 市民の学習活動と自治体の政策形成

第5回-9月19日 [行政職員と市民]
1) 市民は行政職員をどう見ているか
2) 市民の側の問題は何か
3) 行政の職員研修の現状―能吏の養成か自治体職員の誕生か
4) 職員と市民の協働―まちづくりの実例
貴ノ花親方問題
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
  貴ノ花親方・問題
・ことの発端は(モンゴルからきている力士たちの問題)であった。
・それが大問題になったのは(大問題にしたのは)貴ノ花親方である。
・(警察への告発は貴ノ花親方の考え方であるが)、貴の岩を(所在不明)(誰にも会わせない)にして、貴の岩本人の(真意・気持ち)を誰にも話させないようにした。だから、(九州場所の最中に)テレビのバラエティ番組で「無責任な発言」が連日飛び交ったのである。
・日馬富士は、暴行を詫びて横綱を(力士も)引退したが、(貴の岩と会えないので)示談ができずに罰金刑になり、相撲協会への復帰は困難になった。(事件の翌日、貴ノ岩が日馬富士に(私も)悪かったと詫びたと伝えられていたのだ)
・貴の岩は(親方と日馬富士)の板挟みになっていたのではあるまいか。貴の岩の故郷モンゴルの人々への立場を辛くさせたのは
 貴ノ花親方ではないのか。
・貴ノ花は相撲協会の発展・改革を真剣に考えているのであろうか。現役時代の実績(22回優勝)と親方としての(今回の)言動は分
 別すべきである。
・貴ノ花が内容のある真面(マトモ)な相撲協会改革案を保持しているとは思えない。貴ノ花の態度(ふるまい)は日本相撲協会の発
 展よりも(八角理事長)への(遺恨)のように思える。
・貴ノ花に、(相撲道)や(協会改革案)なるものが(内容あるものとして)存在するかの如く、深読みするのは慎むべきである。とりわけ
 (落語家と弁護士)の「バラエテイ番組」での発言はまことに疑問である。

北村・横綱審議会委員長の(記者会見の言)
(審議会全員一致の見解)「貴ノ花の行動は非難に値する」

(脳科学者茂木健一郎氏の言)
「貴乃花親方は、日馬富士を警察に告発して横綱引退につながる事態にしながら、貴ノ岩関への協会の事情聴取を拒否するのはフェアではない。「貴乃花親方は、お父さまの貴ノ花関の、あの、おおらかさ、人の痛みを感じるやさしさを、ふりかえっていただきたい」。貴ノ岩への聴き取りを拒否している親方の姿勢は「単なる教条主義であり、敢えていえばカルトにしか見えません。大相撲全体のことを思っていらっしゃるとは思えない」(日刊スポーツ 11月28日)

(スポーツ評論家玉木正之氏の言) 2018年01月11日 05時56分
「相撲をあまり見ず、好きでもなく、よく知りもしない人(テレビのコメンテイター)が、短絡的に無責任な発言を繰り返している」

北朝鮮ロケットと憲法改変
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
   北朝鮮ロケットと憲法改変

日本の若い人は「政治の話」を避ける。ダサイなどと言う。
欧米では、政治の話をしない若者は一人前の大人ではないと言われる。
若者の特権は「正義感」と「情熱」と「行動力」だとされてきたが
 なぜ日本の若者は「政治に無関心」なのか。

ところで、「政治に無関心」なのは若者だけであろうか。
北朝鮮ロケットは(はるか上空)を(はるか彼方の太平洋)に落下したのである。
・国際宇宙ステーションは400キロの上空である。
領空は400キロのはるか下である。
8月29日のロケットは550キロの宇宙空間である。
9月15日のロケットはさらに上空の800キロの宇宙空間であった。
だが、全国各地で(Jアラートは鳴り響き)(児童は机下にもぐった)

・領海(経済水域)は沖合370キロである。
 北朝鮮ロケットは襟裳岬から2.200キロの太平洋に落下したのである。
 しかるに、政府とNHKニュースは 「北朝鮮ミサイルが(わが国の上空)を通過し北海道の沖合に落下したと(意図的に危険を)報道した。Jアラートを(鳴り響かせ)(児童を机の下にもぐらせた)のは、誰か、何のためか。

・1月22日「ミサイル非難訓練」が東京春日駅・後楽園駅・東京ドームシティアトラクションズで行われた。
 「誰が」「何の為に」命じたのか。これを考えるのが「政治への関心」であろう。

・日本の沿岸には(原子力発電所と石油タンク)が林立している。
 「ミサイル飛来」となれば「万事窮す」のオシマイである。「ミサイル非難訓練」どころではない。政府が為すべきは「米朝戦争の回避」である。

・安倍内閣は「憲法改変」をしたいがために、「北朝鮮ロケット」を(利用して)、ことさらに国民に「危険を煽って」いるのである。
 真相を見抜かなくてはならぬ。政府が為すべきは戦争回避である。政府はいつも騙すのである。真相は何かを考えるのが「政治」の関心であろう。フェイク(嘘ツイート)はトランプだけではない。安部晋三の(二枚舌)も同じである。

自治体学の思考論理
(カテゴリー: 自治体学理論
自治体学の思考論理  
思考の道具は「言葉」である。批判的思考力を取り戻すには「道具である概念」を明晰にしなくてはならない。論理的思考には明晰な概念・用語が必要である。状況を突き破り未来を創造するのは「規範的思考力」である。規範的思考には「規範概念」が不可欠である。
 1970年代の対立軸は「経済体制のイデオロギー」であった。現在の対抗軸は「国家統治」対「市民自治」である。すなわち、「中央支配の継続」に対抗する「地域自立の実践」である。「国家学」を「自治体学」に組み替える規範的思考力が緊急の課題である。
 改革はいつの場合にも「主体の変革」が基本である。自分自身は何も変わらないで「目新しい言葉」を述べる風潮が広がっているのではあるまいか。
 例えば、自治基本条例が「自治体の最高規範」であると解説され、流行のように制定されている。良いことである。画期的な自治の進展であると言えよう。しかしながら、『新自治体学入門』第4章「市民自治基本条例」で検証したように、そこには「主体変革」の問題意識が欠落している。「新しい制度」をつくれば「状況が変る」と考えているのではあるまいか。
 「協働」の言葉も流行している。協働とは「自己革新した主体の協力」を意味する造語である。主体双方の自己革新が前提である。行政と住民の関係が現在のままでは協働にならない。「協働」は統治行政の現状況を「市民自治」に転換するための「主体変革」を前提とした言葉である。すなわち、自己革新した「市民」と「自治体職員」の相互信頼に基づく協力関係が地域の自立を創り出すのである。
自治基本条例の制定に住民投票は必要か
(カテゴリー: 市民自治基本条例本条例
    自治基本条例と住民投票

松下圭一教授は1975年刊行の岩波新書「市民自治の憲法理論」で、自治体は30年間の自治の蓄積によって自治行政権、自治立法権、自治解釈権を有する地域政府に成熟した、とする市民政治理論を提示した。
民主政治の基礎概念(市民、自治、分権、参加、政府信託など)の殆どは、松下教授が理論提示をして造語した。それが普遍用語になったのである。
30代40代50代のころの松下教授は「未来を構想し現状を切り拓く」規範理論を精力的に発表して「市民政治理論の時代」を形成された。規範論理(かくあるべきの論理)が状況の壁を切り拓き事態を進展させる(させてきた)のである。すなわち実践論理が「国家統治」を「市民自治」に切り替えるのである。それをアキラメ(そうは言っても)の現状追随では事態は何も変わらない。

 ところが、松下先生の晩年の論稿には「詠嘆調の論述」が目立つようになった。例えば、2012年8月刊行の「成熟と洗練」(公人の友社刊)では、「日本は今日、〈進歩と発展〉の時代は終わって、ついに〈没落と焦燥〉の時代に沈んでいく、という予感をもつ事態に入っている。はたして、日本は自治・分権型の「成熟と洗練」にむけての〈転型〉ができるだろうか」(256頁)
 「日本の市民は、〈市民活動〉の熟成、〈自治体改革〉の展開、〈国会内閣制〉の構築のなかで、市民個々人が多元重層のチャンスをもつ〈市民政治〉の時代をつくりうるのだろうか」(258頁)、と記述される。

 広瀬克哉教授(法政大学)が、「法学志林(松下圭一名誉教授追悼号・2017年3月刊)」で、「自治基本条例の制定に住民投票は必要か」についての松下教授の(見解の変遷)を紹介されている。
「基本条例の制定(成立)に住民投票が必要か」は重要論点であるのだから、広瀬教授ご自身のお考えをそこに記述して頂きたく思った)

 [松下教授の見解の変遷]
 1999年刊行の岩波新書「自治体は変わるか」には、「国の基本法としての憲法、国連の基本法である国連憲章とあいならんで、各自治体には住民投票にもとづく基本条例の策定が問われています」と記述された(258頁)。
 2008年の講演 (なぜ基本条例を制定するのか・武蔵村山市の講演)」では、「主権市民による基本条例の策定には、長・議会ついで職員からなる自治体政府を、市民が自ら設計し設置する道具であると位置づけることが必要です。基本条例は市民による自治体の設計書です」と講演した。

 ところが、2005年刊行の『転型期日本の政治と文化』では、「住民投票は通常の議会手続きによる基本条例制定後でよいのではないか」と記述される。(2002年の公職研臨時増刊号「なぜ今、基本条例なのか」を改訂しての記述)
 さらに、2010年8月刊行の『自治体改革-歴史と対話』では「基本条例は自治体の基本法であるかぎり、いつかは住民投票にかける必要はあるが、20年ほどの時間がたって、条文としても成熟したと判断しうる状態がきたとき、住民投票をおこなえばよいと私は考えています」と(2008年の武蔵村山市での講演を改訂して)論述されている。

 (松下先生がご存命ならば、お逢いして「なぜなのですか」とお尋ねしたいと思う。それができないから、松下先生の著作を検討された広瀬教授にご所見を伺いたいと思う)

 「基本条例の制定と住民投票」についての私の見解は、このブログ右側目次の「市民自治基本条例」をご覧下されば幸甚です。
そして、この論点を北海学園大学開発研究所「開発論集」(2018年3月刊行予定)に詳述する心算である。

・講座・市民自治 (市民と首長) 」
(カテゴリー: 自治体学講座
     『市民自治-五回講座』 さっぽろ自由学校「遊」

第二回 市民と首長 (レジュメ) 

1 見識のない首長
・首長は当選すると行政職員に迎えられて庁舎に入り役所側の人になる。・首長が常に片足を市民の側に置くよう、市民は連携方策を工夫する。・選挙で「見識の無いやる気のない」人物が首長に当選するときが(多く)ある。当初は役所の慣例に従うが、慣れてくると増長し独断専横になり、利権に堕することもある。・首長の逸脱は地域社会に混乱を齎し職場士気は沈滞し意欲ある職員は無残。 鹿児島県阿久根市の混乱は869日続いた。北海道にも実例がある。

2 公約―市民との約束
・庁外から入った首長は幹部職員に囲まれて(ご説明)を注入される。・首長は孤立し孤独になる。相談相手・政策ブレーンが必要である。・首長の人事権にスリ寄ってくる職員はいる。だが信用できる人物はいない。・市民は「政策提言グループ」を考案し連絡を密にする。  

3 庁内の掌握
・首長がなすべき(第一)は「職員の政策能力」を高めることである。(職員の政策能力とは何かを『新自治体学入門(時事通信社) 116頁』に記述した) ・人事権を掌握することが重要であるが職員は首長の私兵にではない。・橋下(前大阪市長)の誤認識
・年功序列人事とバッテキ人事の兼ね合い 実例―神奈川県知事(長洲)と北海道知事(堀)の(腰の弱さ)
・庁内(行政内)を統括できない首長は、(拍手で迎えてくれる)庁外に出かけるようになる。その実例……

4 首長は(在任中)と(退任後)に言うことが異なる。何故であろうか
・実例
議会の重要な役割
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
 2017北海道自治体学土曜講座(第五回)の討論内容を時事通信社・地方行政誌に投稿した。その原稿に「議会の重要な役割-2」が脱落していたので、ここに掲載する。

「議会の重要な役割」
自治体の首長選挙で「見識の無い・やる気のない」人物が当選するときが(実例は)多くある。当初は役所の慣例に従うが、慣れてくると、増長し独断専横になり利権に堕することもある。首長の逸脱は地域社会に混乱と沈滞を齎す。職場士気は沈滞し意欲ある職員は無残である。首長の逸脱を制度的に糺せるのは議会である。
だが、選挙で当選した首長を糺すのは容易ではない。鹿児島県阿久根市の混乱は869日続いた。首長の逸脱を糺すには議会の結束が重要である。見識ある議員の存在が不可欠である。有権者住民は(首長と議会の対決)を不仲・相反と眺めてはならない。
議会改革とは何を改革することか
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
    北海道自治体学土曜講座
   議会改革とは何を改革することか
   ―議会審議への住民参加―

 「自治体の主人公は市民である」を基本に据えた、「自治体学」の理論と実践を目指す「北海道自治体学土曜講座」(第五回)が、2017年10月21 日、 札幌市の北海学園大学で開催された。主題は「議会改革とは何を改革することか」であった。

開催趣旨
現在、全国各地で展開されている議会改革の試みは、分権型社会の実現にとって歓迎するべき動向である。だがその基本認識にいささか問題がある。そこで、その問題点を首長と議員と研究者が会場発言を交えて討論した。

討論者
広瀬重雄(芽室町議会議長)
田村英樹(京極町議会議長)
鳴海清春(福島町町長)
菊池一春(訓子府町町長)
片山健也(ニセコ町町長)
高沖秀宣(三重県地方自治研究センター上席研究員)
(司会者)
森 啓(NPO法人自治体政策研究所理事長)

論点は二つであった。
一つは、二元代表制の基本認識
二つ目は、議会基本条例の制定
(以下は当日の討論を基にした筆者の所見である)

Ⅰ 二元代表制
1 議会改革の現状
首長と議会は対等である。対等であるが役割は異なるのである。
ところが、全国各地で展開されている議会改革の試みには二元代表制の誤認識がある。すなわち、首長との関係で(議会の独自性)を発揮することが議会改革であると考えているようである。そのため、議会改革の取組は活発であるが改革成果は少ない。
例えば[北海道自治研究(2016-6月号)(2017-2月号)]には、
1)議会は首長と政策競争をするべきである。
2)議会は首長の提出議案を審議するだけではなく、対案を提起して審議し議決すべきである
3)議会もまちづくり政策の主体であるから、総合計画条例を提案して議決してよいのである。
4)さらに、当日(2017-10-21日)の討論では、「財政課を議会事務局に移管して予算編成権
限を議会が保有すべきである」との見解が(論議を深める私案として)表明された。

2「強い首長・弱い議会」
明治以来(今日も)、中央省庁によって「強き首長、弱い議会」の制度運営がなされてきた。であるから「議会の存在意義」を高める試みはまことに重要である。しかしながら、議会の存在意義を高めるとは首長と政策競争をすることではない。「議会の審議能力を高める」ことである。「予算編成権限を議会に移管すべきである」の見解は、議会の本来役割を認識しない「議会の対等性」に偏った意見である。しかし問題なのは、議会改革を推進しようとする側にこのような見解が (ときおり)表出されることである。

3 議会改革 
1)議会改革が重要な問題(テーマ)になったのは、
・議会は何をやっているのか分からない。・分からないから無関心になり、議会は有っても無くても同じになり、・議員の数は少なくてよいになり、議会不要論の声すら生じているからである。
・すなわち、議会改革がテーマになったのは議会不信が増大したからである。
・であるから、議会改革の本筋は「議会不信の解消」である。

2)ところが、全国各地の議会改革の実態は
・議員だけの独り善がりの議会改革である。住民には後日に説明する改革である。
・議会の独自性を誇示することに力点がある議会改革である。
・議会改革に熱心なところは、えてして(首長と張り合い不仲である)(首長選挙のしこりがある)と言われている。(もとより全てではあるまい)

3)改革するべきは議会の慣例である
・改革すべきは「長年月に積み重なった議会の慣例」である。
・だが、議会慣例を改める(廃止する)ことに、議員の多くは(内心では)不賛成である。
・議員特権を手放すことに(心底では)賛成しない。そして必ず不賛成のリクツを言い出す。
・議員には(ホンネとタテマエ)を使い分ける習性が身に付いて(しまって)いるのである。
・議員が(住民の面前で話すこと)と(議員だけの場で言うこと)は大きく異なる。真逆のときもある。(これは首長も幹部職員も同じある。だから行政不信が増大している)
・議会改革は議員だけではできない。有権者住民との協働を考案して実行しなければ改革は進まない。
・いつの場合も、改革にはリーダーが必要である。嫉みを覚悟するキーパーソンの勇気と才覚が不可欠である。(栗山町議会と芽室町議会にはそのリーダーが居たのであろう)

4)議会構成の現状
・高年齢の男性ばかりで女性議員が極めて少ない。平日開催であるから家計のために働く住民は議員になら(なれ)ない。いつも同じ顔触れの議会である。議会は地域住民を代表しているとは言えない。
・議員のなり手が居ないのは「議会不信」の結果である。
・そして「選挙無しの議会」が「議会不信」をさらに深めているのである。
・これらの事態を改めることが議会改革の第一歩であろう。

5)議員の定数と報酬
・住民が議員数と議員報酬の縮減を求めるのは(議会と議員)への不信の表明である。
・議員定数の減少に賛成する議員は(議員としてなすべき責務)の逃避者である。
・議員が少なるなることを喜ぶのは議会の審議力低下を希求する執行部である。
・審議力低下のツケは必ず住民に還ってくるのである。
・狡猾と利権と特権が地域を食い物にするからである。

4 二元代表制の誤認識
次のような言説がある。
・自治体議会を議事機関と考えるのは正しくない。議会は立法機関である。
・議会は首長提出の議案審議をするだけでなく、政策案を自ら提起して議決してよいのである。(この考えで議会が総合計画策定条例案を提出して決議した事例がある)
これに対して次のような首長の所見がある。
・「議会が議員提案をして議決をしても議会には執行責任がないから、住民の苦情は首長にくる。(議員提案の条例制定)を(議会本来の役割)と評価し称賛する最近の風潮に疑問を感じている」と。
首長と議会の役割の違いをわきまえた(政策の競い合い)でなくてはなるまい。

5自治体
・自治体とは役所(行政機構と議会)のことではない。
・自治体の主人公(主体)は市民である。
(市民と住民の概念の違い)は『新自治体学入門(時事通信社)』(二章)に詳細記述した。
・主人公である市民が首長と議員を(四年任期で)選出して代表権限を信託するのである。
・首長と議員が信託に背反したときには信託解除権の発動となる。
・これが市民自治の民主主義理論である。後述するが、
・基本条例を制定するのは(当選すればこっちのもの)に(させないため)である。
・すなわち、基本条例は首長と議員を拘束する自治体の最高規範である。
・最高規範が自治体に二つ現存するのは、二元代表制の誤認識の結果である。
・その誤認識が議会改革の道筋を曖昧にしているのである。

6首長と議会
・首長は執行機関の長であり執行責任がある。
・議会は議事機関である。執行責任はないが議会の決議がなければ、政策も制度も予算も執行できない。
・議会改革とは議会の審議能力を高めることである。

7議会の役割
・議会の役割は議案を審議し議決することである。
・提出議案を否決し再提出を求めることが必要な場合もある。
・さらには、議会自らが対案を提起し議決することが不可欠必要なときもある。
(北海道愛別町議会でその実例であった)。しかしながら、それは非常事態である。原則と例外、正常と非常事態を取り違えてはならない。
・議会の本来役割は提出議案を実質的に審議することである。問題は審議能力である。
・議会改革の真っ当な論点は「議員の審議能力を如何にして高めるか」である。
・議員の審議能力を高める工夫と実践が議会改革の本筋である。

8議員の責務
・議員は普段から住民ニーズを把握する機会・場所・通路・方策を持たなくてはならぬ。
・先進地を視察しキーパーソンに出会い、見解交流をして自身の政策水準(優先課題と解決方策の水準)を高めて、議案の政策水準を高める質疑を行う。
・実質審議とは「議案の政策水準を高める質疑を行うこと」である。
・議員の視察は審議能力を高めるためである。
・提出議案の内容を理解せず、(ときには)筋違いの質問もして、議案を承認するだけであってはならない。

9議員間の討論
・(北海道自治研究-2016-6月号12頁)には「議会は言論の場である」「議員間の討論が必要である」と書いてある。そう書くのならば、「重要なことは平場の議論になじまない」「利権が伴うことは平場では決まらない」と思っている議員の思考習性を如何にして
越えるかを書かなければ意味ある記述とは言えない。
・議員は(ホンネとタテマエ)を使い分ける思考習性が身についているのである。重要なことは平場では喋らないのである。
・政策討論とは「優先すべき地域課題は何か-如何なる方策で解決実現するか」の論議である。一定水準の政策能力が必要である。議員間討論の必要を述べるのならば、議員の政策能力が高まる具体方策の提示がなければならない。
・議員間討論が可能になるのは「住民の面前での討論」である。そのやり方を工夫しなければならぬ。議員だけの討論では思考習性を越えた論議にはならない。

10議会審議への住民参加
・いつの場合も「改革論議」を(言葉だけの曖昧な論議)にしてはならない。
・栗山町議会も芽室町議会も「議会改革は住民参加が基本である」と述べている。ところが、両者共に議会基本条例を議会だけで議決して住民には後日の説明であった。
・行政の常套手段は決定後に説明会を開いて協力を求めるである。これを批判して議会改革の旗幟を掲げた先進的議会も同じ事後説明であった。
・栗山町議会も芽室町議会も、議会への住民参加を唱えるのならば、唱えるだけでなく実質的な(ホンモノ)の「議会への住民参加」を考案工夫しなくてはなるまい。
・「議会への住民参加」とは「議会の審議の場に住民が参加する」である。すなわち、審議の場に(傍聴席ではなく)住民席を設けて、審議を聴取し論議の節目に所見を述べる改革である。「市議会を市民の手に取り戻した米国のバーク レイ市」では審議の場に市民が参加して発言している。そのDVDをマブイ・シネコープ(TEL&FAX 06-6786-6485)が市販している
・議会への住民参加を言葉で唱えるだけで、「議会審議の場への住民参加」を決断・実行できないのでは、議会不信は解消しないであろう。

Ⅱ議会基本条例の制定
1自治基本条例と議会基本条例
1)基本条例の制定目的
・自治基本条例とは、選挙で代表権限を託された首長と議員が(当選すればこっちのものだ)に(ならない・させない)ために制定する自治体の最高規範条例である。規範条例とは拘束力のある法規範のことである。
・顧みれば、自治体は七十年の自治の蓄積によって[中央に従属する地方公共団体]から[地域福祉の向上をめざす自治体]へと成熟したのである。すなわち、自治体は最高規範条例を制定する段階に成熟しているのである。学者は最高規範条例を自治体の憲法であると説明した。
2) 栗山町議会基本条例
・2006年、北海道栗山町議会が自治基本条例と別に議会基本条例を制定した。これが話題になり全国に議会基本条例の制定が流行した。だが、最高規範条例が自治体に二つあるのは論理矛盾である。
3)二元代表制と議会基本条例
・筆者は『新自治体学入門』(時事通信社)の(第四章)に論理矛盾であることを論述した。そして『栗山町議会基本条例の根本的欠陥』を時事通信社・地方行政(2010年11月1日号)に掲載した。
・なぜ、「自治基本条例」と別に(首長と張り合うかの如く)議会基本条例を制定するのか。自治体は首長と議会の二元代表制である。基本条例を二つ制定するのは間違いである。
・(議会活力を喚起するためであるとしても)議会基本条例の制定を推奨するのは正当でない。
・さらに憂慮すべき重大問題は「自治基本条例の制定」という「市民自治社会への重大な節目」を一過性の流行現象にする(した)ことである。

2自治基本条例と政策基本条例
1)制定手続きの違い
・土曜講座の討論(2017-10-21)で、全国的にも名前の知られている町長が、福祉基本条例、都市計画基本条例、交通安全基本条例、防災基本条例などの「政策基本条例」と「自治基本条例」との相違を(考えていない)ことに少なからず驚いた。
・自治基本条例は、首長と議員が自分勝手なことを(しない・させない)ための規範条例(立憲制の条例)である。であるから、首長と議会だけでは制定できない。有権者住民の合意・決裁が不可欠である(注)。政策基本条例は(首長の決裁と議会の議決)で制定できるのである。
・平素唱える「住民自治」を言葉だけの「空念仏」にしてはならない。合併のときも(住民は判断力がないからと言って)住民投票を避け、自治基本条例制定のときも住民合意は不要だと言う。(今まさに住民自治の場面)のときに(一歩踏み出さずスルーする)思考と態度が自治体改革を足踏みさせているのである。
2)言葉だけの住民自治
・最高規範条例を制定するということは「住民自治」を地域に創り出す営為である。「現状維持的思考の論理」でなく、現状変革の創造的実践である。
・それは、政権の場にいる人が言葉で(国民の生命安全を)と言いながら真逆の方向に人々を導くのと同じである。即ちそれは、自治の主体である有権者住民を(蒙昧・判断力不足)と心底で考えているのである。


(1) 広瀬克哉(法政大学教授)が、「法学志林」(法政大学研究誌・2017年3月号-112頁)に、松下圭一教授の「自治基本条例と住民投票手続」の(見解の変遷)を紹介している。だがご自身の見解は記述されていない。
(2) 森 啓の「自治基本条例と議会基本条例」の見解は、このブログ「自治体学」:の右欄目次「市民自治基本条例」をご覧頂きたい。
議会審議への住民参加
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
2017年北海道自治体学土曜講座(第五回)

「自治体の主人公は市民である」を基本に据えた、「自治体学」の理論と実践を目指す「北海道自治体学土曜講座」(第五回)が、2017年10月21 日、 札幌市の北海学園大学で開催された。主題は「議会改革とは何を改革することか」であった。

開催趣旨
現在、全国各地で展開されている議会改革への試みは、分権型社会の実現にとって歓迎するべき動向である。だがその基本認識に些か問題がある。そこで、その問題点を首長と議員と研究者が会場発言を交えて討論した。
討論者
広瀬重雄(芽室町議会議長)
田村英樹(京極町議会議長)
鳴海清春(福島町町長)
菊池一春(訓子府町町長)
片山健也(ニセコ町町長)
高沖秀宣(三重県地方自治研究センター上席研究員)
(司会者)
森 啓(NPO法人自治体政策研究所理事長)

論点は二つであった。
一つは、二元代表制の基本認識
二つ目は、議会基本条例の制定

当日の論点と筆者の所見を近日、時事通信社「地方行政」に掲載する。

10 議会審議への住民参加

・いつの場合も「改革論議」を(言葉だけの曖昧な論議)にしてはならない。
・栗山町議会も芽室町議会も「議会改革は住民参加が基本である」と述べている。ところが、両者共に議会基本条例を議会だけで議決して住民には後日の説明であった。
・行政の常套手段は決定後に説明会を開いて協力を求めるである。これを批判して議会改革の旗幟を掲げた先進的議会も同じ事後説明であった。
・栗山町議会も芽室町議会も、議会への住民参加を唱えるのならば、唱えるだけでなく実質的な(ホンモノ)の「議会への住民参加」を考案工夫しなくてはなるまい。
・「議会への住民参加」とは「議会の審議の場に住民が参加する」である。すなわち、審議の場に(傍聴席ではなく)住民席を設けて、審議を聴取し論議の節目に所見を述べる改革である。
・この「議会審議の場への住民参加」を決断・実行できなくて、言葉だけで議会への住民参加を唱えるのでは、議会不信は解消しないであろう。