■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
講座 市民自治の憲法理論
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
松下圭一『市民自治の憲法理論』( 岩波新書) を読む

 本書は「憲法は、国家のものか市民のものか」と問い、「国家統治の観念」に 「市民自治の理念」を対置して「憲法は市民自治の基本法であるのだ」と明快に論述した。本書が1975 年9 月に刊行されたとき「松下ショック」と言われた。
かくて憲法理論と行政法理論は180 度 の転換が必要になった。だが長い間、学者は「国家観念」に疑念を抱くことも厳しく禁圧されていたから「市民自治」の松下理論が理解できなかった。さりとて正面きって松下理論に反論もできなかった。しかし市民は「ここに書いてあるとおりだ」と 快哉して理解した。本書は松下市民政治理論の入門書である。

●5月24日(水)開講 全5回 月1回水曜18:45 ~ 20:45
●会 場 さっぽろ自由学校「遊」(愛生舘ビル5F 501)
●テキスト 松下圭一『市民自治の憲法理論』岩波新書
●参考書 森 啓 『新自治体学入門』時事通信社
       大塚信一『松下圭一日本を変える』トランスビュー

スポンサーサイト
抗議を呼びかける市民の趣旨文
(カテゴリー: 民主主義
準強姦(ごうかん)罪で告訴され逮捕状も出ていた山口敬之・元TBS記者を「逮捕せず」「不起訴処分」にした権力政治に抗議を呼びかける市民の趣旨文 

私たちは準強姦事件不起訴に対し、検察審査会に不服申し立てをした詩織さんを応援します!
 5月29日、準強姦(ごうかん)罪で告訴されたジャーナリストの山口敬之氏が不起訴処分となったことを不服として、ジャーナリストの詩織さんが、検察審査会に審査を申し立て、素顔を出して記者会見をおこないました。
 2015年4月3日。当時、ジャーナリスト志望だった詩織さんは、TBS在職中の山口氏と飲食中に意識を失い、山口氏の宿泊先ホテルに連れていかれ、準強姦の被害にあいます。 準強姦とは、女性の心神喪失・抗拒不能に乗じた強姦をさし、3年以上20年以下の有期懲役が課される重罪です。(刑法177条、178条2項)
 被害にあった詩織さんはこの件を警察(高輪署)に告発し、ホテル入口の防犯カメラ映像などの検証の上、逮捕状が発付されました。しかし6月8日、帰国する山口氏を成田空港で逮捕しようとした寸前で、中村格・警視庁刑事部長(当時)の指示により
逮捕状の執行が取り止められました。
 中村格氏は2015年3月まで菅義偉官房長官 の秘書官も務めており、現警察庁刑事局組織犯罪対策部長です。自分が逮捕状の執行を止めたことを、中村氏は週刊新潮の取材で認めています。その時、捜査員は詩織さんに電話でこう話したそうです。
『いま、(山口氏が)目の前を通過していきましたが、上からの指示があり、逮捕をすることはできませんでした』『私も捜査を離れます』 その後、事件は高輪署から、逮捕状の執行を止めた中村刑事部長(当時)のいる警視庁捜査一課に移され、8月に書類送検されましたが、東京地検は16年7月、東京地検が嫌疑不十分を理由に不起訴を決定しました。
 その間、TBSを退社していた山口敬之氏は 幻冬舎から、安倍総理の写真が表紙を飾る『総理』を、2016年6月9日に出版しています。
 東京地検の不起訴を受け、詩織さんは17年5月29日に検察審議会に不服申請をし、素顔を隠さずに記者会見に臨みました。
 詩織さんは言います。「不起訴処分後は暫く塞ぎこんでいました。そこから気持ちを前向きにし、検察審査会に向けて調査を続け、証拠開示にも時間を要したのです」

 この詩織さんの事件については、2日の衆院本会議で、民進党と共産党の議員が取りあげ、捜査の経緯についての検証が求められましたが、松本純国家公安委員長は「検証することは考えていない」と拒否しました。

 山口敬之氏は、詩織さんをホテルに連れて行き性行為に及んだことは認めていますが、自身のフェイスブックで「私は法に触れることは一切していません」と述べ、詩織さんがまるで売名行為で不服申請を行っているかのように述べています。

 私たちは女性の人権を軽視する準強姦事件不起訴に強く抗議し、 検察審査会に不服申し立てをした詩織さんを応援します!
 また、逮捕状が執行されなかった経緯を明らかにすることを求めます。  山口たか(市民自治を創る会)                              
松下圭一理論の骨格
(カテゴリー: 自治体学理論
  松下圭一理論の骨格

  本稿は2017年5月21日、札幌市内で開催した「松下圭一先生追悼の集い」での報告である。 
 
1 松下理論の三つの骨格を話します。
 第一は、1975年刊行の 岩波新書『市民自治の憲法理論』で、民主主義は「国家が国民を統治する」ではない、「市民が政府を選出し制御し交替させる」であると明快に論述したことです。松下理論は民主主義の政治理論です。
 民主主義は「国家統治」ではなくて「市民自治」です。国家は統治主体ではないのです。「国家」は擬制の観念です。人々(市民=Citizen=People)が自治共和の主体です。
 この自明なことを、なぜことさらに言わなくてはならないのか、これが問題です。
 
 明治初年に「国権か民権か」の自由民権運動が起こり伊藤博文はドイツに赴いた。そのドイツは、イギリス市民革命・アメリカ独立革命・フランス市民革命に驚愕したドイツ皇帝が「立憲君主制の憲法」で専制支配を続けていた。立憲君主制は「国家観念」を隠れ蓑にする偽民主主義制度である。
 伊藤はドイツから「国家理論」と「立憲君主制」を持ち帰り「立憲君主憲法」をつくった。そして渡辺洪基・東京帝国大学総長に「国家学ノ研究ヲ振興シ、普ク国民ヲシテ立憲ノ本義ト其運用トヲ知ラシムルコト(国家の観念を教え込むこと)ガ極メテ必要」と助言し、1887年2月、東京帝国大学内に「国家学会」を設立し「国家学会雑誌」を発行して「国家学」を正統学とした。そして天皇機関説事件などを経て「国家統治」に疑念を抱くことも禁圧した。以来(今日に至るまで)大学教育は「国家が国民を統治支配する」の教説であった。

 1945年日本は焼け野原になってポツダム宣言を受諾した。1946年に「天皇統治(国家主権)の明治憲法」から「国民主権の憲法」に180度転換した。1948〜1950年に京帝国大学の学者14人が「註解日本国憲法」なる逐条解説書(上・中・下)を分担執筆して刊行した。しかしながら、戦前に「私立法律学校特別監督条規」を定めて(現在の主要私大法学部の前身である)私立法律学校を東大法学部の統制下におき、つい直前まで「国家統治」に疑念を抱くことも禁圧していた帝国大学の学者が、「国家統治の観念」から自由になることはできる筈もなかった。
 逐条解説の分担執筆を提案した田中二郎は、その後も「国家の優越的地位の論理」を自身の著作に書き続けた。例えば、行政法の標準的教科書とされた1964年刊行の『新版行政法』(弘文堂)には、「行政法は、支配権者としての国・公共団体等の行政主体とこれに服すべき人民との間の法律関係の定めであることを本則とする」「行政法は、支配権者たる行政主体の組織に関する法、及び、原則として、かような行政主体と私人との間の命令・支配に関する法であり、公共の福祉を目的として、国又は公共団体が一方的に規制することを建前とする点に特色が認められる」と叙述した。

 すなわち、行政が「公」を独占し、国民は行政執行の客体であり「私人」であった。この基本認識が「日本公法学会」「憲法学会」を主導したから「憲法は変われども国家統治は変わらず」が存続しているのです。
 1975年に『市民自治の憲法理論』が刊行されたとき、憲法学者も行政法学者も政治学者も誰も反論できなかった。「松下ショック」と言われた。(大塚信一『松下圭一 日本を変える』トランスビュー2014年刊、 序章17頁)
 学者は反論できないので「学会」をつくり「国民主権」を「国家主権」と言い換えて「国家が統治権の主体である」と講義して現在に至っているのです。そして毎年その教育を受けた学生が社会人になっているのです。でありますから、民主主義は「国家統治」ではない。「市民の自治共和」であると言い続けなくてはならないのです。「市民が政府を選出し制御し交替させる」のです

 「国家」の語は (オカミ)(オオヤケ)を連想させて国民を丸ごと包括し絶対・無謬をイメージさせる言葉です。権力の座に在る者の「隠れ蓑」の言葉です。
しかしながら「国家三要素説」は二重概念の非論理的な曖昧説明です。「国家法人論」は国家を統治主体と擬制する理論です。
民主主義の理論は市民が代表権限を政府に信託する「政府信託理論」です。
 選挙は白紙委任ではない。選挙は「信頼委託契約」です。政府が代表権限を逸脱するときは「信託契約」を解除する。市民自治は「市民が政府を選出し制御し交代させる」です。
 これが松下理論の骨格の第一です。


2 松下理論の骨格の第二は「市民」と「自治体」です。
 「市民」と「自治体」が、現代社会(都市型社会)の政策主体であるとの理論を提示しました。(『市民自治の憲法理論』50頁 )
① 市民
 松下さんは北海道地方自治研究所の講演で(2007年6月20日)、市民とは市民型規範を自覚して考え・活動する「人間型」です。民主政治は (自由・平等)という生活感覚、(自治・共和)という政治文脈をもつ〈人間型〉としての「市民」を前提としないかぎり成り立たない。市民政治が実質可能となるには、その主体の個々の人々が「市民」という人間型を規範として設定せざるを得ないのです、と説明しました。(北海道自治研ブックレット「再論・人間型としての市民」)
「市民」は規範概念です。「規範概念」「規範論理」「規範意識」は(骨格の三)で話します。

 日本語の「市民」はイギリス市民革命の「Citizen」の訳語です。明治啓蒙期に福沢諭吉が翻訳したと言われています。「イチミン」と発音します。だが、戦前も戦後も「市民」の言葉は使われなかった。国家統治の時代は「皇民」「臣民」「国民」であった。
 日本が「都市型社会に移行を始めた1960年前後に「住宅・交通・公害・環境」などの都市問題が発生し「市民運動」が激発して「市民」の言葉がマスコミで使われるようになった。 
 1966年の松下圭一『〈市民〉的人間型の現代的可能性』(思想504号)で、ロックの《近代市民》に対して「都市型社会の《現代市民》」の可能性を理論提示しました。都市型社会の《現代市民》が「松下市民政治理論」の中核概念です。
《近代市民》と《現代市民》の違いは、前記「北海道自治研ブックレット」の78頁をご覧ください。このブックレットは松下理論の理解にはとても良い本です。

 「市民」の概念を理解するには「市民と住民」の違いを考えることです。
[市民と住民]
 市民とは、自由で平等な公共性の価値観を持つ「普通の人」です。普通の人とは「特権や身分を持つ特別な人」ではないという意味です。
 「市民」は、近代西欧の「Citizen」の翻訳語です。近代イギリス市民革命の担い手で「所有権の観念」を闘いとり「契約自由の原則」を確立した「市民社会の主体」です。
 だが、福沢諭吉が期待をこめて翻訳した「市民」は使われなかった。
 明治政府はドイツの国家理論を手本にして「帝国憲法」をつくり「教育勅語」で忠君愛国の「臣民」を国民道徳として教えこんだのです。臣民とは天皇の家来です。自立して社会を担う「市民」はタブーでした。
 1945年の戦後も使われなかった。弾圧から蘇った社会主義の人々が「市民」を「所有者階級」と考えたからです。リンカーンのPeopleも「人民の、人民による、人民のための政府」と訳されました。
 都市的生活様式が日本列島に全般化した1980年代に至って、ようやく福沢が期待をこめて訳語した「市民」が使われるようになった。「普通の人々」によるまちづくりの実践が全国に広がったからです。
 近代市民革命の市民は「有産の名望家」でした。しかしながら、「現代の市民」は公共性の感覚を持ち行動する普通の人々です。 社会が成熟して普通の人々が市民である条件が整ったからです。「市民」とは「公共社会を管理する自治主体」です。

「住民」とは、村民、町民、市民、道民などの行政区割りに「住んでいる人」のことです。
 「住民」は、住民登録・住民台帳・住民税という具合に行政の側から捉えた言葉です。行政の統治客体が「住民」です。住民は被治者であり行政サービスの受益者です。「住民」の言葉には上下意識が染み付いています。
 「住民」を「市民」との対比で定義するならば、「住民」は自己利益・目先利害で行動し行政に依存する(陰で不満を言う)人です。行政サ―ビスの受益者とされる人です。そして「市民」は、公共性の感覚を体得し全体利益をも考えて行動することのできる人です。政策の策定と実行で自治体職員と協働することもできる人です。

 しかしながら、「市民」も「住民」も理念の言葉です。理性がつくった概念です。実際には、常に目先利害だけで行動する「住民」はいない。完璧に理想的な「市民」も現実には存在しません。実在するのは「住民的度合いの強い人」と「市民的要素の多い人」の流動的混在です。だが人は学習し交流し実践することによって「住民」から「市民」へと自己を変容する。人は成長しあるいは頽廃するのです。
 都市型社会が成熟し「生活が平準化し政治参加が平等化」して、福沢の「市民」は甦ったのです。

② 「自治体」
 自治体は市民の自治機構です。国の政策を執行する地方の行政組織ではないのです。
 「地方公共団体」の語は、憲法制定時に内務官僚が「全国一律統制」を継続する意図で、GHQ 原案のLocal self-government(地方政府)を「地方の公共団体」と訳語したのです。
 内務官僚は「知事公選」に猛反対しました。だがGHQに押し切られて反感を抱き、原案の文意を様々にスリ換えました。スリ換えた内容は、岩波新書『日本の地方自治』(辻清明-1976年) の72-81頁に詳しく記されています。
 
 松下理論は「多元重層の分節政治理論」です。
 1975年の『市民自治の憲法理論』(112頁)で、自治体が「シビルミニマムの策定」や「公害規制基準の制定」などの「自治体主導の政策」を既に実行している事例を示して、自治体は憲法機構であり「自治立法権」「自治行政権」「自治解釈権」を保有している、と理論提起しました。この理論提起が「自治体の発見」と評されたのです。
 1980年代、工業文明が進展して「前例無き公共課題」が噴出増大しました。これらの公共課題は、ⅰ国際間で基準を約定して解決する課題、ⅱ国レベルの政府で全国基準を制定して解決する課題、ⅲ自治体で解決方策を策定して解決する課題に三分類できます。そして政府も国際機構、国、自治体の三つに分化します。自治体は公共課題を解決する政府です。

 橋本竜太郎内閣のとき、菅直人議員が衆議院予算委員会で「憲法65条の内閣の行政権は(どこからどこまでか)」と質問しました(1996年12月6日)。大森内閣法制局長官が総理大臣に代わって「内閣の(つまり国の)行政権限は憲法第八章の地方公共団体の権限を除いたものです」と答弁しました。これが公式政府答弁です。 
 つまり、自治体は独自の行政権限を有しており、自治体行政を行うに必要な法規範を制定する権限を憲法によって保持しているのです。国の法律を解釈する権限も有しているのです。自治体は憲法機構です。

 ところが、「国家統治の伝統理論」から脱却できない学者は、自治体の(政策自立-政策先導)が現出しているにも拘らず、自治体を憲法理論に位置付けることができない(定位できない)のです。
 例えば、小林直樹教授は『憲法講義(1975年改訂版)』で「国民とは法的に定義づければ国家に所属し国の支配権に属人的に服する人間である」(憲法講義上23頁)。「自治体は国家の統一的主権の下で、国家によって承認されるものとして成り立つ」(憲法講義下767頁)と述べています。小林教授は「市民」と「自治体」を憲法理論に位置付ける(定位する)ことができないのです。
 樋口陽一教授は、『近代立憲主義と現代国家』で「国民主権の形骸化の現実」を説明するために「国民主権の実質化・活性化」への理論構築を放棄しています。そして「国民主権」を「権力の所在を示すものでしかないものだ」とする論理を述べます。この論理は「国民主権による政治体制の構成」という憲法理論の中枢課題自体を実質的に放棄しているのです。
 なぜそうなるのか。お二人は「国家統治」と「国家法人論」を憲法理論の基軸にしているからです。だが「国家法人論」は国家を統治主体に擬制する理論です。民主政治は市民が代表権限を政府に信託する「政府信託論」です。
 以上の指摘の詳細は、松下圭一『市民自治の憲法理論』(117頁-123頁)をご覧ください。

3 「都市型社会」と「政策型思考」
松下理論の骨格の第三は「都市型社会」と「政策型思考」です。
 「都市型社会」は「近代社会」がいかにして「現代社会」に構造変化したかを認識する概念です。「政策型思考」は松下理論の思考の方法論です。

都市型社会とは、都市地域だけではなくて、山村・漁村・僻地にも工業文明的生活様式が全般化した社会のことです。
 人類発生以来、採取・狩猟の社会であった。やがて農業技術を発明して定着農業の社会(農村型社会)になった。{人類史上、第一の大転換}  やがて16-17世紀ヨーロッパに、産業革命・市民革命による工業化・民主化=(近代化)が始まり、数千年続いた農村型社会(身分と共同体の社会)の解体が始まる。20世紀に、工業化(情報技術のさらなる発達)・民主化(民主政治の思想と制度の広がり)が進展して、先進地域から順次に「都市型社会」への移行となった。{人類史の第二の大転換} 

〈都市型社会〉の論点は、現代社会を「如何なる社会と認識するか」です。つまり、工業化と民主化が進展して数千年続いた〈農村型社会〉が〈都市型社会〉に大転換した、の「認識の有無」の問題です。
 (多くの)学者の理論は「現代社会の構造変化」を認識しない理論です。つまり理論前提が「ガラリ変わっている」ことを認識しない「農村型社会」の理論です。
 都市型社会では、人々の生活条件の整備は〈共同体〉ではなく〈政策・制度〉という公共政策によって整備されます。 
 「都市型社会」の詳細説明は松下理論の主著『政策型思考と政治』の18頁(大転換としての都市型社会)をお読みください。
 
② 政策型思考
 論理には説明論理と規範論理があります。
 「説明論理」は、事象を事後的に考察して説明する思考です(実証性と客観性)が重要です。
「規範論理」は、(あるべき未来)を目的に設定して実現方策を考案する思考です(予測性と実効性)が重要です。
 政策型思考とは規範論理による思考のことです。松下市民政治理論の方法論です。

1) (あるべき)とは当為です。(かくありたい)(かくあるべき)は「規範意識」です。
2) (あるべき未来)は構想です。夢想ではありません。未来に実現を予測する構想です。
3) (あるべき未来を構想する)のは「規範概念による思考」です。 

 松下理論(著作)を難解だと思うのは「規範論理」で論述されているからです。
「規範概念」と「規範論理」を了解納得するには、(あるべき未来)を目指して一歩踏み出し、困難な状況に遭遇して、自ら困難を切り拓いた(いくらかの)体験が必要です。
 (あるべき未来を希求する)のは、「現状に問題あり」の認識があるからです。問題意識のない状況追随思考の人には(あるべき未来)を構想することはありません。
 構想するとは「何が解決課題であるか」「解決方策は何か」を模索することです。
「何が課題で方策は何か」を模索するのは経験的直観です。その経験的直観は「困難を怖れず一歩踏み出した実践体験」が齎します。「人は経験に学ぶ」という格言の意味は、一歩踏み出し困難に遭遇して「経験的直観」を自身のものにすることです。実践と認識は相関するのです。実践の概念認識が「経験的直観」です。
(知っている)と(分かっている)には大きな違いがあります。違いは実践体験の有無です。 人は体験しないことは分からないのです。


 本日の案内ビラにも転載されておりますが、松下先生はご自身の方法論を次のように説明しています。(大塚信一『松下圭一 日本を変える』338頁「私の仕事」)
『私の社会・政治・行政理論の〈方法論〉は「歴史の変化のなかに現実の構造変化を見出し」、「現実の構造変化をおしすすめて歴史の変化をつくりだす」という考え方です』
 (歴史の構造変化を見出す) (歴史の変化をつくり出す) とはどのようなことか、
本日後半の討論で考えたいと思います。  (森 啓)

■松下圭一先生追悼の集い
■日時  2017年5月21日(日)13:00~16:00(開場12:30)
■会場  北海道自治労会館(3階)第1会議室(北6西7)
■プログラム
 ・講演:森啓「松下理論とは」
 ・論点提起:政策型思考研究会会員などからの発言
 ・会場討論:「松下理論」から学んだこと
■会場討論
・学者が「松下先生の著作を読まないことにしている」のはなぜであろうか。
・松下理論の著作が難解だと言われるのは何故か
・憲法は「天皇主権」から「国民主権」の憲法に変わった。
だが大学では「憲法とは国家統治の基本法であると講義(教説)している。なぜであろうか。


追悼松下圭一先生 「松下理論」検証討論の集い
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
 追悼:松下圭一先生 
  「松下理論を検証する」  北海道自治体学土曜講座
  
開催趣旨
 現在日本には、国家統治の明治憲法を郷愁する「国家主義」の動きが増大しており、 国民主権・基本人権・平和主義の憲法を改変する風潮が強まっている。
 松下理論(著作)が多くの方々に伝わることが、松下先生への何よりの追悼である。併せて、吾々は「松下理論」を正当に理解しているであろうか、を自身に問う。

日時 {2017-7-22 13.00-17.30
場所 北海学園大学(22番教室)
  
[論点]
1 憲法学者・行政法学者はなぜ松下理論(著作)を読まないのか
2 松下理論の著作が難解だと言われるのは何故であろうか
3 憲法は「天皇主権」から「国民主権」の憲法に変わったが、大学では「憲法とは国家統治の基本法である」と講義(教説)しているのは何故であろうか。
4 松下理論における『市民自治の憲法理論』の意義
5 松下理論における『政策型思考と政治』の意義
6 「政策型思考」とはどのようなことか
討論・松下圭一市民政治理論 (2017北海道自治体学土曜講座)
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
 2017-北海道自治体学土曜講座
  第三回(2017-7-22)

 主題 追悼松下圭一先生
     「討論・松下市民政治理論」

 討論に参加くださる方は、このブログ最下段の「コメント」をクリックして「メールアドレス」をご記入ください。
  (アドレスは漏洩しません)。
 当日の時間配分などの詳細をメール通信いたします。
    北海道自治体学土曜講座・共同代表 森 啓

開催趣旨
松下理論(著作)が多くの方々に伝わることが、松下先生への何よりの追悼である。
併せて、吾々は「松下理論」を正当に理解しているであろうか、を自身に問う。

午前10.00-12.30 論点提起 (25分×5人) 
(例示です)
1 松下理論における『市民自治の憲法理論』の意義と位置
2 松下理論における『政策型思考と政治』の意義と位置
3 憲法学者・行政法学者はなぜ松下理論(著作)を読まないのか
4 松下理論の著作が難解だと言われるのは何故であろうか
5 「政策型思考」とはどのようなことか
6 憲法は「天皇主権」から「国民主権」の憲法に変わったが、大学では「憲法とは国家統治の基本法である」と講義(教説)している。何故であろうか。
7 自治体学会は会則(二条)に「自治体学の研鑽を目指す」と定めているが、1986年設立から40年を経過した自治体学会は「自治体学の研鑽を目指している」であろうか。
8 松下理論(著作)から学んだこと

午後 13.30-14.30 松下理論から学んだこと (10分×5人)

    14.45-17.30  討論 

因みに
 2017-北海道自治体学土曜講座の概要は
  (日程と主題・企画中)

  5月(6月3日) トランプ現象-そして日本は
  6月17日   韓国の市民運動から学ぶもの
  7月22日   討論・松下圭一市民政治理論 
  9月30日   北海道のJR問題
  10月21日   議会改革とは何を改革することか    
  

 
自治体学の概念 (開発論集93号)
(カテゴリー: 自治体学の基礎概念
  自治体学の概念 (開発論集93号)

自治体学とは、国家学の「国家統治の観念」に「市民自治の理念」を対置して国家学を克服する学である。

1) 国家学と自治体学
国家学は「国家」を統治主体と擬制する。しかし、その「国家」の観念は曖昧である。国家を「国民・領土・統治権」と説明するが、その「国家三要素説」なるものは、性質の異なる(団体概念)と(機構概念)をないまぜにした曖昧な説明である。

「国家」は、政府、官僚、議員など、権力の場に在る人達の「権力行使の隠れ蓑」の言葉である。そして、少し注意してそれら権力者の言動を観察すれば「国民主権」を「国家主権」と巧みに(狡猾に)言い換える場面を目撃するであろう。
権力の場に在る人たちには「国家が統治主体であり国民は被治者である」の観念が抜き難く存在するのである。(統治支配がやり易いからである)

 明治の時、「State」を「国家」と翻訳した。しかしながら、「ステート」は「全国規模の政治・行政機構」の意味であって、今風に言えば「中央政府=セントラルガバメント」である。「幽玄の国家」ではないのである。

 「言葉」は「思考の道具」である。思考を明瞭にするには「概念」を明晰にしなくてはならない。福田歓一氏(元日本政治学会理事長)は、一九八五年パリにおいて開催された政治学世界会議での報告で「われわれ政治学者は国家という言葉を使うことを慎むべきである」「規模と射程に応じて、地方政府、地域政府、全国政府と使いわけるのがよい」「人類の政治秩序の諸概念を再構築することが切実に必要であると信じる者として、過度に一九世紀の用語に囚われていることを告白しないではいられない」と述べた。

 だが、現在日本の憲法学、政治学、行政法学、行政学の大勢は、国家統治の国家学である。
例えば、憲法学で国家試験の最適教科書と評される芦部信喜「憲法」(岩波書店)の第一頁第一行は「国家統治」であり「国家三要素説」であり「国家法人理論」である。
そして、国会議員と官僚は「国家観念」を言説し、「政治主体である市民」を「国家統治の客体」に置き換え、「国家」を隠れ蓑にして「統治論理」を振り回すのである。

 「国家の観念」に「国民」を包含させるから(国家三要素説)、「国家責任」は「国民自身の責任」のような曖昧論理になって、国民の「政府責任」「官僚責任」追及の矛先をはぐらかすのである。権力の座に「曖昧論理の手助け」をしているのが国家学の学者である。国家法人理論は「国民主権」と「国家主権」を曖昧に混同し「政府」と「国家」の区別を混同させる理論である。

国家学は「国家統治」の「国家法人理論」である。
自治体学は「市民自治」の「政府信託理論」である。

2) 信託理論
自民党がインターネットに掲載している「チョット待て! 自治基本条例」を一読すれば権力の座に在る者には「国家統治の観念」が現在も強固に存続していることが判る。しかしながら、国民は国家に統治される被治者ではない。民主主義は「国家の統治」で
なくて「市民の自治」である。

政府と議会の権限は選挙によって国民が信託した権限である。選挙は「白紙委任」ではないのである。「代表権限の信頼委託契約」である。身勝手な代表権限の行使と運営は「信託契約の違反」であるのだ。選挙の翌日も主権者は国民であって国家ではないのである。信託契約の著しい逸脱には「信託解除権の発動」となる。

自治体学は「国家」を「市民と政府」に分解して、「市民と政府の理論」を構成する。すなわち、「市民」が「政府」を選出し制御し交代させるのである。民主主義の政治理論は「市民と政府の理論」「政府制御の理論」「政府交代の理論」でなくてはならない。
自治体学が民主主義の理論である。

3) 実践理論
 理論には「説明理論」と「実践理論」の二つがある。
「説明理論」とは、事象を事後的に客観的・実証的・分析的に考察して説明する理論である。「実践理論」は未来に向かって課題を設定し解決方策を考え出す理論である。
実践理論は「何が課題であり、何が解決策であるか」を言葉で述べるのである。言葉で述べるとは「経験的直観を言語化する」ことである。

「経験的直観の言語化」は、困難を覚悟して一歩前に出た実践によって可能となる。大勢順応の自己保身者には経験的直観を言語化することはできない。人は体験しないことは分らないのである。

「一歩踏み出した実践」による「自身の変革」なくして「課題と方策の言語叙述」はできない。すなわち、歴史の一回性である実践の言語叙述によって普遍認識に至るのである。「実践」と「認識」は相関するのである。

4) 市民自治
市民自治とは、「市民が公共社会の主体であり、公共社会を管理するために政府をつくる」という意味である。

「市民自治」は規範概念であるから「市民自治」の意味を理解するには「国家統治」に対する自身の所見が明瞭でなければならない。例えば、「自治とは自己統治のことである」と説明されているが、この説明は「自治」が規範概念であることを理解していないのである。
「統治」とは「統治者と被治者」を前提にした観念である。「自治」を説明するときに「統治」の言葉を用いるのは、「統治」に対置した「自治」の意味が理解できていないからである。

市民自治を要綱的に説明すれば
① 市民は公共社会を管理するために政府(首長と議会)を選出して代表権限を信託する。選挙は信頼委託契約であって白紙委任ではない。政府の権限は信託された範囲内での権限である。
② 市民は政府の権限を市民活動によって日常的に制御する。
全有権者投票は政府の代表権限を正常な軌道に戻らせる市民の制御活動である。 (「住民投票」の言葉には「国家学の貶め」が付き纏っているので「全有権者投票」の用語が良い)
③ 市民は代表権限の行使運営が信頼委託の範囲を著しく逸脱したときには「信託解除
権」を発動する。信託解除とは解職または選挙である。 

自治体学の概念
(カテゴリー: 自治体学の基礎概念
  『自治体学とはどのような学か』
    自治体学の概念

 自治体学会は1986年5月23日、横浜で設立された。
 発起人会議には135人、設立総会には620人が出席した。出席者の顔触れは、自治体職員、市民、学者、シンクタンク職員、コンサルタント、ジャーナリスト、団体役員、自治体首長など、およそ学会の設立総会とは思えないほどに多彩な顔触れであった。
 発起人会議の提案で「自治体学の創造と研鑽」を会則第2条に定めた。

 北海学園大学法学部は2006年4月「自治体学」(専門科目・四単位〕の講義を開講した。日本の大学で最初であった。ところが、2016年度の講義担当者の「講義計画(シュラバス)には「自治体学の概念・定義」が存在しない。その講義計画は(自治体学会設立以前の)「地方自治論」である。
 「自治体学」を履修した学生は、(自治体学は聞きなれない言葉であるから) 講義の冒頭で「自治体学とは何か」「どのような学であるか」の説明が聴けると思うであろう。
 「自治体学の概念」を説明しない「自治体学の講義」とは、一体何であるのか。諺に羊頭狗肉の言葉もある。面妖なことである。もしかすると担当教員は「自治体学の概念」が分からないのではあるまいか。

 筆者の所見は『新自治体学入門』時事通信社(2008年)第一章に叙述した。
 『自治体学とはどのような学か』公人の友社(2014年5月)第一章に再叙述した。
なお、このブログ http://jichitaigaku.blog75.fc2.com/ の2012-6-18「自治体学の基礎概念」にも記述した。
自治体学会の運営
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
  自治体学会の運営
 
1 自治体学会の現状    
 1986年5月23日、「自治体学会」が横浜で誕生した。
 近代日本の夜明けを象徴する横浜開港記念会館で「発起人会議」と「設立総会」を開いた。発起人会議には135人、設立総会には620人が出席した。
 出席者の顔触れは、自治体職員、市民、学者、シンクタンク職員、コンサルタント、ジャーナリスト、団体役員、自治体首長など、 およそ学会の設立総会とは思えないほどに多彩な顔触れであった。発起人会議の提案で「自治体学の創造と研鑽」を会則第2条に定めた。

 ・自治体学会は設立時の理念を保持しているであろうか。
 ・自治体学の研鑽を継続しているであろうか。
 ・会員数は増えているか。魅力を失ってはいないか。
 ・会費は自治体職員中心の学会として妥当な額であろうか。
 ・全国大会の参会者は充実感に満ちて帰途についているか。
 ・同窓会的な状況になってはいないか

2 運営委員会
 運営委員会は会員の理論水準を高める「研究討論会」と「政策シンポジゥム」を適格に企画し開催しているであろうか。
例えば、
1 北国のある自治体学会の運営委員会で、「原発問題を次回政策シンポのテーマに」と運営委員が提案した。代表委員が「それは政治問題だから」「重たい問題であるから」と消極意見を表明した。他の運営委員は沈黙した。「原発問題は政策シンポのテーマ」にならなかった。
 
なぜ他の運営委員は沈黙したのか。代表委員が消極意見を述べたからか。それとも代表委員と同じ考えであったからなのか。運営委員会に自由闊達の雰囲気が消失しているのではあるまいか。   

 「原発問題」は現在日本の最大の問題である。「原発は国のエネルギー政策の問題であって自治体の問題ではない」との見解表明がよくなされる。だがそれは(原子力村の人たちの)意図的言説である。現に何万人という人が自宅に帰れない深刻な地域問題であるのだ。自治体の政策問題である。

 自治体学会は研究団体である。運動団体ではない。運動団体ではないが自治体学会は会員それぞれが「自身の思考の座標軸」をより確かなものにする場である。「沖縄問題」と「原発問題」は、現在日本の最大の政策問題である。最大の政策問題について会員が自由率直な政策意見を交流しないなら自治体学会ではない。運営委員会の役割は自由闊達な研究討論の場を設営することである。「政治問題だから」の理由で政策討論を避けるのは正当な運営委員会ではない。

 避けるのは(もしかして)代表委員が「行政当局によく思われたいから」の私心が働いたからかもしれない。とすれば自治体学会の代表委員としてはまことにふさわしくない。とかくに任期を重ねた長期在任の代表委員にはその傾向がありがちである。その傾向とは「自治体学会の在り方」よりも「自分に対する行政当局の評価」を優先する傾向である。 
 
 因みに、この自治体学会は会員相互の情報共有に必要な「メーリング」を中断しており、再開を求める会員の声も封じているとのことである。そして運営委員会のメーリングも会員は見ることができない。運営を「会員に知られたくない」ということである。そのためか「会費未納会員」が増えているとのことである。
 全国の自治体学会にも(運営委員会と代表委員に)同様の問題が生じているのではあるまいか。

2 交付税削減の兵糧攻で市町村合併が促進されたとき、「長と議会の合併決定」に対して、「住民の意思を聴いてからにせよ」と「住民投票条例制定を求める署名運動」が全国各地に起きた。この署名運動を「代表民主制度への問題提起」と見るか、「代表民主制度への介入」と考えるか、代表民主制度の重要論点であった)。
 
 このとき、学者会員の多くは「合併促進の側の委員」に就任した。そして「私は合併には中立です」と言明した。「特例債と兵糧攻」で3200の市町村が1700に減少したのである。
 自治体学会が、公開の「研究討論会」を企画開催したならば、あるいは「合併は何であったのか」の検証討論会を開催するならば、自治体学会の存在意味が高まったであろう。

3.自治基本条例の制定が全国に広がった。地方分権が現実化し始めた証左である。だが 「制定手続き」をめぐって見解が分かれている。基本条例制定手続の「見解の違い」をテーマにした「公開研究討論会」を開催するならば、自治体学会の求心力は高まったであろう。 

 自治体学会の活力源泉は自由闊達な論議にある。
 自治体学会の活力低下は運営委員会の問題意識に因があるのではあるまいか。   


自治体の政策研究ー「政策研究」のことば
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
 自治体の政策研究ー「政策研究の用語」の由来

北海道自治体学土曜講座(2016-第五回)が2016年10月22日、「自治体活力を取り戻す」をテーマに北海学園大学で開催された。
開催趣旨は、
機関委任事務を廃止した地方分権改革は進展したであろうか。
首長と議員と職員のまちづくり能力は高まっているか、
職員は「自治体職員」から「地方公務員」に後戻りしたのではあるまいか、
議会は何をやっているのか分からないから「議会不信」が広がり「議会不要論」の声さえも生じている。自治体活力は後退しているのではあるまいか。
 現状打開の道筋を見出すため首長と議員と職員と研究者が討論した。討論者の氏名は(注1)

討論の柱は二つであった。
 一つは、自治体活力を高めるには何が必要か
 二つは、議会不信を解消する方策は何か
  (二つ目の論点は、時事通信社「地方行政」2017年2月2日号に記述した)

一 自治体活力
自治体職員の政策能力 
仕事をするのは職員である。
自治体活力を高めるには職員の政策能力が不可欠である。
政策能力とは担当する職務の「何が問題か」を考える能力である。考えて「どう改めるか」を思案し実行する能力である。
その政策能力は如何にすれば身に附くか。

職員を先進地域に派遣して交流体験をさせて政策能力を高めている首長もいる。先進地域との交流体験は重要である。だが、派遣され交流しても、自分自身の内部に問題意識が無ければ「触発のヒラメキ」は生じない。事例を「知っている」だけである。「知っている」と「分かった」との間には大きな距離がある。

90年代の自治体職員には熱気があった。1995年に開始した北海道自治土曜講座の二年目には872人の職員・議員・市民が「政策能力の向上」を目ざして受講した。その経緯を『北海道土曜講座の16年(公人の友社)』25頁に詳述した。
自治体活力が低下したのは、2001年の小泉構造改革が兵糧攻めで合併促進を強要したからである。そして今、職員は「自治体職員」から「地方公務員」に後戻りして意見を述べなくなっている。

しかしながら、職員の政策発言が低下したのは自治体だけではない。NHKを筆頭に新聞もテレビも政権批判を自己抑制して社会全体が保守的・保身的になっているのである。 
以下、自治体活力を展望するため80年代の熱気の高まりを検証する。

二 自治体職員の政策研究
1 政策研究の波
 1980年代に職員の政策研究が波となって広がった。この波は自治体が地方政府への転換を目指す胎動であった。  
戦後40年、ようやくにして自治体に省庁が定めた政策の「末端執行機関」の位置から、自前政策を策定し推進する「地方政府」へと転換するうごきが始まった。そのような「志」をもち自らの能力を高める自治体職員が全国各地に胎動しはじめた。即ち、自主的な研究グループが全国各地に叢生した。研究グループの数は全国で2.000とも3.000とも言われた。これらの研究グループは連絡をとり合い1984年5月、「全国交流集会」を東京中野サンプラザで開催した。

 政策研究は職員の自主研究だけではない。
  政策研究の「組織と制度」を設置する自治体が増えていた。
例えば、政策研究室(愛媛)、政策研究班(福井)、職員研修所を拡充して研究部の設置(神奈川)、地域独自の政策課題を調査し解決方策を探求するシンクタンクの設立(静岡、埼玉)も増えた。大学や市民団体と連携して地域課題を研究するうごきも始まった(兵庫、東京三多摩)。さらには「政策情報の交流」と「研究成果の発表」のための「研究誌」を発刊する自治体も増加した(神奈川、兵庫、徳島、埼玉)。政策研究の「制度」は新設していないが、多くの自治体で組織を見直すうごきが始まっていた。

1984年7月、(社)行財政制度調査会が実施した「政策研究の動向調査」によれば、全都道府県を含む175の調査対象自治体のうち、155の自治体(89%)がなんらかの形態で政策研究を始めていた。
①自治体が直面している課題の解決方策を見出すためのプロジエクト研究は128団体(73%)、②職員による研究チーム制度を設けた自治体は23(22%)、③政策研究のための専任組織を設置したもの19(11%)、④外部のシンクタンクとの提携をはかっているもの75(43%)、⑤職員の自主研究グループを奨励し支援しているもの67(38%)、⑥その他の形態で政策研究をすすめているもの64(37%)となっていた。(重複回答)。
そして、調査票に付記された意見には、自治体をとりまく環境条件の変化に対応するために「自治体独自の政策研究の必要性が高まっている」「従来の外部委託のあり方を見直す必要がある」と指摘していた。

三 政策研究の概念
1  政策研究
政策研究とはどのようなことであろうか。
一見ありふれた言葉である。だが自治体に「政策研究」という言葉の用法はなかった。「調査研究」の言葉はあったが「政策研究」の用語は無かった。「政策」の言葉も使われていなかった。使われなかったのは「政策を自ら策定する」の観念が乏しかったからである。「政策」は中央省庁が策定するもの、地方公共団体は中央から下降してくる政策を執行する、の考え方に馴らされていたのである。
しかしながら、政策とは「課題」と「方策」をセットにした「政府の指針」である。「政策を策定する」の言葉には「政策課題」と「実現方策」を主体的に選択する「政府の思想」が含意されているのである。「政策策定の観念」が希薄であるというのは「政策の主体」つまり「政府の思想」が欠落していたということである。

だから「政策」と言わずに「施策」とか「事務事業」と言っていたのである。だが80年代の後半に、都市政策室、産業政策課、政策推進室など、室・課の名前に政策のことばを使う自治体がふえた。それは「他治体」から「自治体」への転換がはじまったことを意味していた。だが「政策研究」の用語はなかった。

 省庁では「政策」は目常用語である。政策づくりが省庁官僚のしごとである。だが彼等もまた「政策研究」とは言わない。「研究」は実力のない者がやることであって「俺たちは政策そのものをやっているのだ」である。政策の研究は現実の問題処理に直接関係のない人がやることだと思っていたであろう。
  しからば、波となって高まった自治体の政策研究をどう定義すればよいのか。

2 行政学の「政策研究」 
 行政学に「Policy Studies」つまり「特定政策の実証研究」の用語がある。
だが、それでは、「自治体の政策研究」は「特定政策を対象にした事後的な実証的分析的な研究」の意味になる。事実として、行政学者は研修所などで自治体の政策研究とは「政策の調査研究のことである」と意味不明な説明をしていた。そして内心では(地方公務員がなぜ政策研究をするのだろうか)と思っていた。

1987年6月、徳島で第一回自治体学会を開催したときのことである。帰途、徳島空港の待合室で人事院の研修担当官に声をかけられた。「私は府県の研修所から(自治体職員の政策研究のテーマ)で講師を依頼されているのですが、地方公務員に(政策研究の研修)がなぜ必要なのか理解できないで困っているのです」「なぜですか」と尋ねられた。
そしてまた、そのころ自治体問題の第一人者であると自負していた東京大学の0教授は、有斐閣の法律実務セミナーに「吾々学者には政策研究は珍しい言葉ではない。アメリカには「Policy Studies」という学会もある。地方公務員が政策研究を始めたから話題になっているのである」と解説していた。
お二人には、地域に起きている「時代変革の意味」すなわち「自治体の政策自立への胎動」が理解できなかったのである。
 
しかしながら、自治体に始まった「政策課題研究」は、その内容に即して表現すれば、「政策研究」の語よりも「政策開発」あるいは「政策提案活動」の言葉の方が適切であった。それがなぜ「政策研究」という用語になったのか。
 ( この経緯を説明するため 私的叙述になることを了とされたい )

3 「政策研究」の言葉
1) 「政策研究」を自治体に広げる
筆者は1983年5月1日、神奈川県自治総合研究センター研究部長に赴任した。職務は「職員の研究活動」を盛んにすることであった。研究活動を盛んにするには「政策研究とは何か」を明晰にしなくてはならない。だが自治体に「政策」の用語は無かった。使われていたのは「事務事業」であった。「政策研究」ではなくて「調査研究」であった。「政策」は省庁の言葉だと思っていたからである。そこで「政策研究」の用語を自治体内に広げることを考えた。

 そのころ自治体を対象に刊行されていた月刊誌の編集長に電話をした。
 「自治体に政策研究の波が起きています」「特集されては如何ですか」「誌面企画に協力します」と提案した。
 月刊『晨』(1984年9月号)の「特集・政策研究へのプロローグ」が日本で最初の「自治体の政策研究特集」であった。
・巻頭対談「政策研究の意味と可能性」松下圭一・田村明
・自治体の政策研究の現状と課題   森 啓
・動き出した政策研究への大きな流れ 五十嵐富秀

続いて、『月刊・職員研修』も「自治体職員の政策研究」を特集した。 
 こうして「政策研究」が「旬の言葉」になり、自治省の自治大学校から「自治体の政策研究」の講演を依頼された。府県の研修所長が集まっていた。次のような話をした。
  神奈川県では「公務研修所」を「自治総合研究センター」に改組して「研究部」を新設しました。「職員の政策能力」を高めるには「政策研究」が必要であると考えたからです。政策研究が研修所の重要な役割になっていると思います、と話した。
  そして自治大学校の教務担当に、「政策研究の全国動向を調査されては如何ですか」と提案した。自治大学校から「政策研究の実態調査用紙」が届けば、回答を求められた自治体は「政策研究」が時代の潮流になっていると思うであろう。政策研究の言葉を広めるためである。

2) 自治体政策研究交流会議 
 政策研究への関心が高まって、全国各地から筆者の研究部に視察が来るようになった。この関心の高まりを「自治体の潮流」にするため、政策研究の「全国交流会議の開催」を考えた。
 所長も賛成して準備が進んでいたころ、所長室に呼ばれた。名称を「研究交流会議」にしてはどうかと言われた。「なぜですか」と訊くと、「地方公共団体が政策を言うのはどうだろうか」「神奈川県が偉そうなことを言っていることにもなるから」と言う。
 所長と研究部長の関係である。「ここで結論を出さないことにしなくては」と思った。「言われている意味は分かりますが、削ってしまうのもどうかと思います。考えてみます……」と言って所長室を出てきた。
  そして、研究部の人たちに「森研究部長は名称を変えると言っていたか」と、所長に訊かれたら、『知事に政策研究交流会議の名称が良いねと言われた』と言っていました、と答えるように頼んでおいた。 
 もとより知事と話をした訳ではないが、そのようなときには、知事の名前をよく使ったものである(自治体職員が何か意味あることをしたいと思ったときには「首長の意向である」と言うのがよい。選挙で出てきた首長は概ね現状変革を求めるものである。役所内で改革を遮るのは現状維持の管理職である。そして部課長は首長に「本当にそう言ったのですか」と尋ねないのである)。   
 
 「政策研究の言葉」を広めるための交流会議である。「政策」の言葉を削ることはできない。さりとて所長の意向を無視することもできない。そこで、懇意にしていた横浜市企画財政局都市科学研究室、川崎市企画調査部、埼玉県県民部自治文化振興課に赴いて「政策研究交流会議」の共同開催を提案した。「経費負担は不要、当日主催者の席に座していただく」ことで賛同を得た。共同開催であるから所長の一存で名称変更はできないことになった。
 
 こうして、全国への案内文書も、当日のパンフレットにも「自治体政策研究交流会議」と印刷した。「第一回自治体政策研究交流会議」と書いた看板も出した。そして、会場入口に次の「メッセージ」を張り出した。

  自治体に政策研究の波が高まっている。
  この波は、自治体が自立的な政策主体になった
  ことを示すものである。

  戦後四十年、いまや「政策の質」が問われ、
  自治体では総合的な観点からの政策研究が必然に
  なっている。

  自治体は現代社会の難問に挑み問題解決をはかる
  現場であり、仕事を通して議論をたたかわせる論壇
  である。

  自治体を舞台に「自治体学」の研究がすすみ、
  新しい理論が確立されることを
  「時代」と「地域社会」が求めている。

 参加者は立ち止まってこの「メッセージ」を読んでいた。カメラに写す人もいた。 
  1984年10月18日、横浜港を眼下に眺望する神奈川県民ホール六階会議室で「第一回・自治体政策研究交流会議」を開催した。北海道から九州までの全国から、一四〇団体・三五二人の自治体職員と市民と研究者が参加した。この「政策研究交流会議」から「自治体学会」が誕生したのである。
  政策研究交流会議から自治体学会が誕生するに至る経緯は『新自治体学入門』(時事通信社)第10章「自治体学会設立の経緯」に詳述した。第一回政策研究交流会議の詳細は時事通信社の「地方行政(84年11月10日号)」と「地方自治通信(85年2月号)」に掲載されている。

3) 曖昧さと誤解
 「政策研究」の言葉には曖昧さと誤解が伴う。
 だがその曖昧さが大事であると考えた。
その意味は次のとおりである。
  科学技術が発達して都市的生活様式が全般化した。「前例のない公共課題」が噴出した。自治体はこれらを「政策課題と設定して解決方策を考案」しなければならない。ところが、当時の部課長は省庁政策への従属が習い性になっていたから「自治体の政策自立」が展望できない。前例なき公共課題を解決実現する政策を構想することができない。しかしそれでは、省庁政策の下請団体の位置から脱することはできない。

 「地方公共団体」が「自治体(地方政府)」に成熟するには「政策形成システム」を自治体内に構築しなければならない。そのシステムは「政策立案」の前段階に様々な主体による「課題発見」と「方策開発」の営為を位置づけて「政策の質を高める」仕組みである。そして、「その仕組み」を部課長に容認させなければならない。 
   ところが、所管の業務に外から政策提案される(言われる)ことを極度に嫌がるのが部課長である。部課長が容認せざるを得ない状況にするには、様々な主体による「課題発見」と「方策開発」の研究成果を多様に積み上げることである。
 だが、「政策開発」や「政策提案」と言えば部課長は一斉に嫌悪反発するから、当分の間は「政策研究」なる「曖昧なことば」を使いながら、「課題発見」と「方策開発」の成果物を自治体内に蓄積し慣行化することである。
  それが、やがては「政策研究」の言葉を「明晰な概念」にして「輝くイメージ」を有するに至らせるであろう、と考えた。

  かくして現在、「政策研究」の言葉は行政内文書の用語になり、著作や論文も多数刊行され、「政策研究の概念」が熟成し定着した。
 すなわち、
行政学の政策研究は「特定政策の実証的分析的な事後的研究」である。
自治体の政策研究は「課題を設定し解決方策を開発する創造的研究」である。
 「政策研究」なる用語の選択は正解であったと思う。 

(注)討論者
  高橋正夫(本別町長)  谷 一之(下川町長)
  池田達雄(北斗市議長) 田村英樹(京極町議長)
  三浦和枝(自治労北海道本部書記長)
神原 勝(北海道大名誉教授)
   〈司会者〉 森    啓(NPO法人自治体政策研究所理事長)


自治体学講座・松下圭一「政策型思考と政治」を読む(第二回)
(カテゴリー: 自治体学講座
追悼:松下圭一先生
 松下圭一「政策型思考と政治」を読む(第二回)   
           2016-12-7 さっぽろ自由学校「遊」 
(レジュメ)
第二章 都市型社会の政策
 第1節 大転換としての都市型社会 (第二の大転換)
 ・人類発生時の社会  採取・狩猟
 ・農村型社会  農業技術の発見  第一の大転換  
 ・都市型社会  工業技術の発明  第二の大転換

中世 農村型社会「共同体」を土台とし「身分」によって編成
近代 都市型社会 産業革命-「工業化」 市民革命-「民主化」
 工業化と民主化が 5000年来の「共同体」と 「身分秩序」を掘り崩した

(現代)―都市型社会の成熟
  工業技術の発達 情報技術 都市問題 環境問題    
       
・工業化・民主化が人間・歴史にもつ意義は両義性。
   工業化・民主化を手放し礼賛できない

第2節 工業化・民主化の問題性
・今日の工業化・民主化の問題性
  民主化による工業化の制御は可能か

・発展段階論の見直し
 フリードリッヒ・リストの段階説
  未開状態→牧畜状態→農業状態 →農工状態
 マルクス経済学の段階説
  原始共産制→古代奴隷制→封建社会→資本主義社会
     →共産主義社会

「市場の失敗」
「政府の失敗」 

第3節 都市型社会の政策特性
「歴史必然」とは「社会主義への移行」ではなく、
  「都市型社会の成立」であつた。

・都市型社会の「成立」と「成熟」
   (何を基準とするか)

 生活様式の平準化-社会としての民主化
  政治権利の平等化-政治における民主化 


第4節 生活様式とシビルミニマム
・ シビルミニマムとは「市民生活の最低限保障」
   ミニマムか マキシマムか
自治体学 北海道自治体学土曜講座(第五回) 
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
自治体学 
北海道自治体学土曜講座(第五回)
自治体問題~首長と議員と職員のホンネ討論~
  日時 2016年10月22日
  場所 北海学園大学22番教室
  (詳細を「地方行政」(時事通信社)に近日掲載)

開催趣旨
1993年の機関委任事務制度を廃止した地方分権改革は進展したであろうか。
首長と議員と職員のまちづくり能力は高まっているか。 
職員は「地方公務員」に後戻りしたのではあるまいか。
議会は何をやっているのかが分からない、分からないから「議会不信」が広がり「議会不要論」の声も生じている。
自治体活力は後退しているのではあるまいか。
そこで、首長と議員と職員が、会場発言を交えて、現状打開の道筋を討論した。 
  高橋正夫(本別町長)
  谷 一之(下川町長)
 池田達雄(北斗市議長)
  田村英樹(京極町議長)
 三浦和枝 (自治労北海道本部書記長)
  神原 勝 (北海道大学名誉教授)
(司会) 森 啓 (土曜講座実行委員)

討論の柱
 ①職員の政策能力を高めるには何が必要か
 ②議会改革の道筋は何か 

Ⅰ 職員の政策能力
1 政策能力
2 職員の政策能力 
3 首長の役割   
4 管理職の能力評価制度   
5 市長会・町村会・議長会の責務
6 自治体職員の「政策研究」

Ⅱ 議会改革への道筋
1 議会改革とは何を改革することか。
2 議員だけで議会改革ができるであろうか。
3 議会基本条例を制定することが議会改革であろうか。
4 議員本来の役割は何か
5 議会改革と議会基本条例

Ⅲ議会改革の論点
 1 多くの議員は抽象的な議会改革には賛成する。だが具体的なことになると「そこまでの改革は」「時期尚早ではないか」「順序を踏んで考えるべきことだ」「住民はそこまでは望んでいない」などの結果としては反対意見になる。なぜそうなるのか。その思
考回路を改めることが議会改革の第一歩である。
 2 誠実で見識ある立派な議員もいる。今の「議会の在り方で良いであろうか」を真剣に考えている議員もいる。だが (残念ながら)「言っていること」と「腹にあること」が正反対の議員が多い。議員自身の「在り方・考え方」を改めることなくして「議会改革論議」は意味をなさない。
 3 なぜ議会改革が全国各地で問題(テーマ)になったのか。議会は何をやっているのか分からない。分からないから「無関心」になり「議会は有っても無くても」になり「議会不要論」になっているのである。であるならば、それを打開解決することが「議会改革の第一歩」である。
 4 議員の多くは小手先の改革で住民の「議会不信」をかわせると思っているのではあるまいか。「吾々も真剣に議会改革に取り組んでいるのだ」「議会基本条例を制定するのはそのためだ」と言う。だがしかし、議会改革は基本条例を制定することであろうか。「紙に書いた文章の議決」と「議会が変わる」は別物である。
 5 「議会は立法機関である」との所見がある。果たしてそうであろうか。「執行部と政策を競い合う」のが「二元代表制の議会の在り方」であるとの所見表明もある。しかしながら「議会が条例案を提案して条例制定をする」のが「議会本来の役割」ではあるまい。「議員提案による条例制定」が必要な場合がある。不可欠な場面もある。だが此処の論点は「長と議会の本来役割」である。
 6 二元代表制は「長も議会も有権者住民から代表権限を直接信託されている」という意味である。そして内務省支配時代の「強い首長」と「弱い議会」を打開し克服しなくてはならぬ。北海道芽室町議会の取組みはその先進事例として評価できる。しかしながら、長と議会は対等ではあるが「長と議会の本来役割は異なる」のである。
「役割が異なる」ことを弁えての「政策の競い合い」でなくてはなるまい。(北海道自治研究・2016年6月号)
 7 議会が議員提案でいろいろな議決をしても、議会には執行責任がないから、住民の苦情は役場に(首長に)くる。「議員提案の条例制定」を「議会本来の役割だ」として評価し賞賛する最近の風潮に疑問を感じている、との首長の所見もある。
 8 議員本来の役割は何か
議員の本来役割は執行部提出の議案を審議することである。質疑は議案の政策水準を高めることにある。そのために議員は「まちの重大問題は何か」「地域の課題は何か」を常に考え、住民意見を聴取する場と通路を保有し、先進地域を視察してキーパーソンと出逢い交流して自身の政策(課題と方策)水準を高めるのである。政策能力とは自身の政策意見を言葉で表明し伝える能力である。

 詳細は近日、時事通信社「地方行政」に掲載する



2016北海道自治体学土曜講座
第一回 5月 「沖 縄 問 題」
第二回 6月 「ゴミとどう向き合っていくか」
第三回 7月 「TPPから北海道を守るために」
第四回 9月 「自治体がつくるワーキングプア」
第五回 10月 「自治体問題」

講座・松下圭一「政策型思考と政治」
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
追悼 松下圭一先生
 講座・松下圭一「政策型思考と政治」を読む  
                   [さっぽろ自由学校・遊」 

第一回 (2016-11-2)
・本書『政策型思考と政治』は著者の「市民政治理論」の基本書である。
・著者は、本文の扉に「政治景観は一変した。新しい政治状況には、新しい政治理論が必要である。本書は『分節政治』の構想、ついで『政策型思考』の定位にともなう、国家観念との別れの書である」と記している。
・政策型思考とは「解決するべき課題は何か」「解決実現の方策は何か」の考察である。これまでの政治理論は、政治現象を実証分析する事後的な説明理論であった。政策型政治理論は、未来を展望して現在に課題を見出し実現方策を考える実践理論である。

(第一章) 政治・政策と市民
 政治・政策の主体は市民である。国家ではない。
  ・政治とは 4p 2行
  ・政策とは 10p 
  ・市民とは  
  ・市民と住民の違い → (末尾に資料)
  ・国家とは

1) 都市型社会 の日常生活
 ・現代社会では、人々の生活は(政策・制度)の網の目の中で営まれる。
   (都市型社会の意味は第二章で説明される)
 ・人々の日常生活 - 朝起きてまず顔を洗う 4p  
・地域規模から地球規模までの政策・制度のネットワークが不可欠となる。5p
 
2) 政治化と組織・制御技術  
・政治(争点)の日常化・全般化によって公共課題が広がり、市民活動、企業・団体、政党が政策形成に参入し、
政府は①自治 体レベルの政府、②国レベルの政府、③国際機構レベルの政府に三分化 する。
これを(政治の多元化)、(政 府の重層化)と言う。
 ・政治は政策・制度ないし政府の選択をめぐる市民の組織・制   御の技術となる。
 ・都市型社会では、政治は「君主や国家の観念」と結びつく聖性  を失い(社会工学)となる。

3) 政策の定義とレベル  
・政策とは問題解決の手法
・公共課題・公共政策    10p
(1)個人の解決能力をこえる「問題領域」で
(2)資源の集中効果を発揮できる解決手法があって
(3)ミニマムの政策・制度保障として「市民合意」が得られる
  ・公共政策と政府政策の区別が重要  → 13p 図1-1    
・政治主体と制度主体
    市民が政治主体で、政府は制度主体である。
 (政府は市民から権限を信託された機構である)
(政治権力と言われているものは、天空からぶら下がっているのではない。
   ・政策は全て個人思考の産物である。団体や機構は思考しないのである。

4) 日本における政策研究
・政策研究とは (二つの意味がある)
政策の事後的調査研究  政策の模索形成開発
・明治体制はもちろん、戦後の1960年代まで、日本における政策研究は、市民レベルでの自立した問題領域になっていなかった。変革期の明治維新前後をのぞけば、1960年代まで、政策形成はオカミないし政府の特権とみなされてきた。その政府政策も欧米先発国モデルの政策輸入であった。
・そのうえ、戦前の日本では、支配中枢すら天皇制幻想に自己陶酔する現実ばなれであった。 14p~15p
・当然、社会科学の自立も困難であった。旧帝大教授らがつくった『註解日本国憲法』も「国体」「国家統治」の『帝国憲法』の微修正であった。
・現在も社会科学者は「政策自体の構想」ではなく「政策過程の実証」に留まっている。
・日本の政策型・制度型思考の熟成には「三つの失敗17p」の検証が必要である。
• 前提転換の失敗 (農村型社会から都市型社会への転換
• 主体設定の失敗 (国家ではなく 市民である。 国家統治ではなく市民自治  
• 思考方法の失敗 (事後的説明ではなく 模索開発の政策型思考 

・ようやく政治について‥‥  17p (末尾の三行)  

資料・市民と住民の違い
[市民]
 市民とは、自由で平等な公共性の価値観を持つ「普通の人」である。普通の人とは「特権や身分を持つ特別な人」ではないという意味である(注2)。 「市民」は、近代西欧の「Citizen」の翻訳語である。福沢諭吉が「社会を担う主体的な個人」の成熟を念願し期待して翻訳した言葉である。 シティズンは、近代イギリス市民革命の担い手で「所有権の観念」を闘いとり「契約自由の原則」を確立した「市民社会の主体」である。
 福沢は「一身の独立なくしては」と唱え、自由と平等の精神を持つ自立した人間が開国日本に育つことを希求したのであろう。「シティズン」が有している自由と平等の考え方を導入しなければと考えたに違いない。 自己の才覚で利益も損失も判断していきいきと市(いち)で働く庶民こそが「シティズン」の訳語にふさわしいと考えたのであろう。「市民」(いちみん)と翻訳した。だが、福沢が期待をこめて翻訳した「市民」は使われなかった。
 明治政府は、皇帝が君臨していた後進国ドイツの国家理論を手本にして「帝国憲法」をつくり「教育勅語」によって忠君愛国の「臣民」を国民道徳として教えこんだ。臣民とは天皇の家来である。絶対服従の家来である。自立して社会を担う主体の観念はタブーであった。
 1945年の戦後も使われなかった。弾圧されていた社会主義の思想が甦り、「市民」は「所有者階級」と考えられたからである。使われた用語は「人民」であった。リンカーンのPeopleも「人民の、人民による、人民のための政府」と翻訳された。
 都市的生活様式が日本列島に全般化し地方分権たらざるを得ない1980年代に至って、ようやく、福沢が期待をこめて訳語した「市民」が使われるようになった。「普通の人々」によるまちづくりの実践が全国に広がったからである。
 しかしながら、人間は誰しも自分が体験しないことは分からない。国家統治の官庁理論の人々には「住民」と「市民」の違いが分からない。
 行政機構の内側に身を置いて官庁理論でやってきた公務員には、市民運動の人達は目先利害で行動する身勝手な人たちに見えるのであろう。そしてまた、公共課題の解決のために地域の人達と連帯して行動し、感動を共有した体験のない学者や評論家は「合理主義・個人思想・人権革命の歴史を持たない日本では市民などはいないのだ」などと言うのである。
 近代市民革命の時の市民は「有産の名望家」であった。しかしながら、現代の「市民」は公共性の感覚を持ち行動する普通の人々である。
 都市型社会が成熟して、普通の人々が市民である条件が整ったのである。
 「市民」とは「公共社会を管理する自治主体」である。

[住民]
 「住民」とは、村民、町民、市民、県民など、行政区割りに「住んでいる人」のことである。そして「住民」という言葉は、住民登録・住民台帳・住民税というように、行政の側から捉えた言葉である。
 行政が統治し支配する客体が「住民」である。住民は被治者で行政サービスの受益者である。「住民」という言葉には上下意識が染み付いている。その上下意識は住民の側にも根強く存続しているのである。
 長い間、行政法学は「行政」を優越的主体と理論構成した。そして「住民」は行政執行の客体で被治者であった。「住民」という言葉には「自治主体」の観念は希薄である。そこで、「住民」を「市民」との対比で定義するならば、「住民」は自己利益・目先利害で行動し行政に依存する(陰で不満を言う)人で、行政サ―ビスの受益者とされる人である。
 「市民」は、公共性の感覚を体得し全体利益をも考えて行動することのできる人。政策の策定と実行で自治体職員と協働することもできる人である。しかしながら、「市民」も「住民」も理念の言葉である。理性がつくった概念である。実際には、常に目先利害だけで行動する「住民」はいない。完璧に理想的な「市民」も現実には存在しない。
 実在するのは「住民的度合いの強い人」と「市民的要素の多い人」の流動的混在である。だが人は学習し交流し実践することによって「住民」から「市民」へと自己を変容する。人は成長しあるいは頽廃するのである。
 都市型社会が成熟して、生活が平準化し政治参加が日常化して、福沢の「市民」は甦ったのである。


松下圭一「政策型思考と政治」(東大出版会)を読む (五回講座)
(カテゴリー: 自治体学理論
(追悼・松下圭一先生)
 松下圭一「政策型思考と政治」を読む (五回講座)

  さっぽろ自由学校「遊」(愛生舘ビル六階 604)            
  テキスト 松下圭一「政策型思考と政治」(東大出版会)       
  講座内容 本書は「松下市民政治理論」の基本書である。
  第一章から第五章までを熟読して「市民政治理論」の基本論     点を理解する。

  第一章 政治・政策と市民 (11月2日)
 現代社会は、水道も下水も、道路もバスも電車も、電気もガスも、つまり生活の全てが、(政策と制度) の網の目の中で営まれる。市民生活に直結する政策・制度を政府(官僚)に任せておいたのでは「お上の政治」から脱却することはできない。
 ・「都市型社会」とはどのような社会か。
 ・都市型社会 の「市民と政府の関係」を考える
 
  第二章 都市型社会の政策 (12月7日)
 工業文明の発達進展で人々の「生活様式・生活意識」が平準化して、資本主義か社会主義かの(かつての)体制選択が幻想であったことが明瞭になる。論点は官僚主導の政策・制度を如何にして市民制御に転換するかである。
 ・生活様式(暮らし方)の平準化によって人々の政治意識はどう変わるのか
 ・都市型社会と男女平等社会はどのように関連するのか
 
  第三章 「近代化」と政策の歴史 (2017年1月11日)
 近代化とは(工業化と民主化)のことである。工業化が進展して前例なき公共課題(大気汚染・河川汚濁・温暖化・都市景観・緑地減少・現代的貧困)が噴出して、[福祉政策・環境政策・都市政策]が不可欠必要になる。
 ・「シビルミニマム」とは何か、言葉が広がったのはなぜか
 ・前例なき公共課題の解決には「市民参加」が必要となる論拠を考える 
 
  第四章 分権化・国際化・文化化 (2月7日)
 都市型社会が成熟して自治・共和型の「市民」が大量に醸成される。「国家」をめぐる問題状況も一変する。自治体が地方政府として自立する。
 ・住民と市民の違いを考察して討論する
 ・自治体が政府である理由と論拠を学ぶ
   
  第五章 日本の政策条件 (3月7日)
 ヨーロッパで16~17世紀に始まった近代の「ステート」を、日本では「国家」と翻訳して「国家統治の観念」をつくった。その「国家観念」は (絶対・無謬・包括)の官僚統治であった。しかしながら政府の権限は市民が信託(契約)した権限である。
 ・国家法人理論と政府信託理論の違いを学ぶ。
 ・信託契約解除理論(ロックの革命権理論)を考察する
講座・松下圭一「ロック『市民政府論』を読む」 (第五回)
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
講座・松下圭一「ロック『市民政府論』を読む」
 第五回 (最終回) 《官治集権》の日本とロック (岩波現代文庫版あとがき)

Ⅰテキストを読んで考える 
268p 「もし、日本国憲法をめぐって‥‥

272p 「だが1959年、二十歳末の前述拙著『市民政治理論』の形成‥‥

278p 「だが、すでに、当時は‥‥

Ⅱ市民政府論―論点
1) 「個人」の設定(発想) は画期的なことであった。
 現在では「何のこともない当然なこと」であるが、当時は身分社会・宗教社会の共同体の秩序社会であって、「自由な個人」の発想は無かった。

2) 市民政府信託論
個人の合意 (社会契約) で「市民社会」をつくり、基本権を守るため「政府」をつくり権限を信託する。政府権限は人々が信託した権限であるから信託違反には「信託解除となる。

3) 市民政治 市民政府 
 市民が政治主体である。(国家ではない)
 市民かけ政府を構築(つくり)して「政府」に権限を信託して(白紙委任ではない)、政府を日常的に制御する(批判と参画)。

4) 「国家観念」の擬制 「立憲君主制」
民主政治の後進国(ドイツ)は、君主政治(皇帝専制)を継続するため、「国家観念」を擬制し、偽憲法を制定して「立憲君主制」を主張した。いつの時代も「御用学者」が存在する。「国家観念」は擬制である。「国家三要素説」は団体概念(国民)と機構概念(統治権)をないまぜにした概念矛盾である。にも 拘わらず、日本では(現在も)「国家統
治」「国家三要素」が言説されている(言われている) なぜであろうか。
 

Ⅱ 論点を話し合う
1) なぜ、「国家」ではよくないのか (272p 1行目)
統治主体は「国家」ではない。「国家統治」ではない。「市民自治」である。 市民による「政府」の『構築・制御』である。
ロックは「統治」から「政府」へというかたちで「ガバメント」という言葉の用法の革命をおこなった‥‥

2) なぜ、「国家」を統治主体だとする「国家理論」が現在も続いているのか。
「国家」は擬制の観念であり、「国家三要素説」は論理矛盾である。 なぜ、良識ある(と思われる)学者までもが「国家理論」を講義するのか

3) 理論の普遍性
理論は、時々刻々に発生し到来する(具体場面で問題を)思考の座標軸を見定め、決断と実行を導く。

松下圭一「政策型思考と政治」を読む (五回講座)
(カテゴリー: 自治体学講座
 松下圭一「政策型思考と政治」を読む (五回講座)

場 所   さっぽろ自由学校「遊」
テキスト  松下圭一「政策型思考と政治」(東大出版会)       
講座内容 本書は「松下市民政治理論」の基本書である。
       第一章から第五章までを熟読して「市民政治理論」の基本論点を理解する。

第一章 政治・政策と市民 (2016年11月2日)
 現代社会は、水道も下水も、道路もバスも電車も、電気もガスも、つまり生活の全てが、(政策と制度) の網の目の中で営まれる。市民生活に直結する政策・制度を政府(官僚)に任せておいたのでは「お上の政治」から脱却することはできない。
 ・「都市型社会」とはどのような社会か。
 ・都市型社会 の「市民と政府の関係」を考える
 
第二章 都市型社会の政策 (12月7日)
 工業文明の発達進展で人々の「生活様式・生活意識」が平準化して、資本主義か社会主義かの(かつての)体制選択が幻想であったことが明瞭になる。論点は官僚主導の政策・制度を如何にして市民制御に転換するかである。
  ・生活様式(暮らし方)の平準化によって人々の政治意識はどう変わるのか
  ・都市型社会と男女平等社会はどのように関連するのか
 
第三章 「近代化」と政策の歴史 (1月11日)
 近代化とは(工業化と民主化)のことである。工業化が進展して前例なき公共課題(大気汚染・河川汚濁・温暖化・都市景観・緑地減少・現代的貧困)が噴出して、[福祉政策・環境政策・都市政策]が不可欠必要になる。
・「シビルミニマム」とは何か、言葉が広がったのはなぜか
・前例なき公共課題の解決には「市民参加」が必要となる論拠を考える 
 
第四章 分権化・国際化・文化化 (2月7日)
都市型社会が成熟して自治・共和型の「市民」が大量に醸成される。
「国家」をめぐる問題状況も一変する。自治体が地方政府として自立する。
 ・住民と市民の違いを考察して討論する
 ・自治体が政府である理由と論拠を学ぶ
   
第五章 日本の政策条件 (3月7日)
ヨーロッパで16~17世紀に始まった近代の「ステート」を、日本では「国家」と翻訳して「国家統治の観念」をつくった。その「国家観念」は (絶対・無謬・包括)の官僚統治であった。しかしながら政府の権限は市民が信託(契約)した権限である。
 ・国家法人理論と政府信託理論の違いを学ぶ。
 ・信託契約解除理論(ロックの革命権理論)を考察する

第四回講座・松下圭一「ロック『市民政府論』を読む」  
(カテゴリー: 自治体学講座
 第四回講座・松下圭一「ロック『市民政府論』を読む」  
        [さっぽろ自由学校・遊」2016-9-7]
(第五章)
(3節) 抵抗権から革命権へ 199p
1 マグナカルタ (中世立憲理論)
イングランド王ジョンが(1215年)封建貴族たちに強制されて承認、調印した文書。国王の徴税権の制限、法による支配などを明文化し、王権を制限、封建貴族の特権を再確認したもの。権利請願・権利章典とともに英国立憲制の発展に重要な役割を果たした。
2 革命権、中世立憲理論の(抵抗権)をロックが近代型に再編した。 
3 抵抗権と革命権の違い 207p
(1) 主体 貴族か人民か
(2) 根拠 抵抗権は貴族の身分特権、革命権は個人の基本権
(3) 形態 抵抗権は過去の基本法への回帰、革命権は未来への政府構築の主権発動
ロックは「革命権」を明示することによって『近代憲法理論』をつくりだした。206p
4 ロックの市民政府理論 (政府信託理論) 
市民が基本権(生命・自由・財産)を守るため政府をつくって権限を信託したのである。政府は市民が作った政治機構である。
民主主義は「市民」が政治主体である。「政府」は人工の道具である。その政府が権限を逸脱したときには「信託契約を解除」して政府を交代する。市民による政府交代が近代型の革命である。
5 政府と国家を混同してはならない。
「国家観念」は擬制である。擬制とは (存在しないものを存在すると言説すること)
「国家」を (国民・領土・統治権)と説明する「国家三要素説」は、質的に異なる「団体概念(国民)」と「機構概念(統治権)」を(意図的に)混同する言説である。それは国家を統治主体と擬制するための言説であった。そして合理的説明ができないから「権力で正統理論である」と弾圧し規制した。
6 民主政治の理論は「国家理論」ではない。「政府理論」である。民主主義は「国家統治」でなくて「市民自治」である。  
論点
 ・憲法学者への質問
   「国家三要素説をどのように講義していますか」 
 ・行政法学者への質問
「行政法は行政を規制する法ですか、市民を規制する法ですか」
「行政概念(の定義)をどのようにお考えですか」
   「公定力理論」「特別権力関係」とは何ですか
   
(4節) 市民政治理論の成立 208p
1 個人自由の観念
 個人自由の観念は、17世紀イギリスという特定地域・特定時期に、歴史所産たる『文化』として成立し、ロックという特定個人によって普遍理論となった観念である。184p 個人自由は一朝にして成立したのではない 181p
・古代地中海(ギリシャ・ローマ)の「共和政治の市民参加」 と 中世立憲理論の「法の支配」という遺産をひきついでいる。だがそれらは、「共和政治に参加する身分自由」であり「中世立憲理論は支配貴族の身分特権」であって「個人自由」ではない。

2 ロック理論の時代的制約
・個人自由の「定位」によってロックは市民政治理論の古典的形成者となった。ロック自身は名誉革命体制を支える通商弁務官としイギリス帝国の建設を進めた。
・だが、その名誉革命体制は、(保守的なトレヴェリアンにすら)「アイルランド抑圧と奴隷貿易に象徴される体制」であると批判された。ロック理論の「魂」である「議会」も腐敗と汚職に満ち満ちていた。
・アメリカ革命の煽動家ペインは「イギリス名誉革命体制」を、人間売買という(最も恐ろしい商売に専念し平然と冷酷に)アフリカ住民を捕獲し売買したと弾劾した。212p
・[名誉革命体制の現実史] と [市民政府論をめぐる理論史] との乖離 これを如何に考えるか 214p

論点
 スポーツ と 国歌
(朝日新聞2016年8月23日13頁 [耕論] )

「住民」と「市民」
(カテゴリー: 自治体学理論
「住民」と「市民」

[市民]
 市民とは、自由で平等な公共性の価値観を持つ「普通の人」である。普通の人とは「特権や身分を持つ特別な人」ではないという意味である(注2)。
 「市民」は、近代西欧の「Citizen」の翻訳語で福沢諭吉が「社会を担う主体的な個人」の成熟を念願し期待して翻訳した言葉である。シティズンは、近代イギリス市民革命の担い手で「所有権の観念」を闘いとり「契約自由の原則」を確立した「市民社会の主体」である。福沢は「一身の独立なくしては」と唱え、自由と平等の精神を持つ自立した人間が開国日本に育つことを希求したのであろう。「シティズン」が有している自由と平等の考え方を導入しなければと考えたに違いない。自己の才覚で利益も損失も判断していきいきと市(いち)で働く庶民こそが「シティズン」の訳語にふさわしいと考えたのであろう。「市民」(いちみん)と翻訳した。だが、福沢が期待をこめて翻訳した「市民」は使われなかった。

 明治政府は、皇帝が君臨していた後進国ドイツの国家理論を手本にして「帝国憲法」をつくり「教育勅語」によって忠君愛国の「臣民」を国民道徳として教えこんだ。臣民とは天皇の家来である。絶対服従の家来である。自立して社会を担う主体の観念はタブーであった。1945年の戦後も使われなかった。弾圧されていた社会主義の思想が甦り、「市民」は「所有者階級」と考えられた。使われた用語は「人民」であった。リンカーンのPeopleも「人民の、人民による、人民のための政府」と訳された。

 都市的生活様式が日本列島に全般化し地方分権たらざるを得ない1980年代に至って、ようやく、福沢が期待をこめて訳語した「市民」が使われるようになった。「普通の人々」によるまちづくりの実践が全国に広がったからである。しかしながら、国家統治の官庁理論の人々には「住民」と「市民」の違いが分からない。行政機構の内側に身を置いて官庁理論でやってきた公務員には、市民運動の人達は目先利害で行動する身勝手な人たちに見えるのであろう。そしてまた、公共課題の解決のために地域の人達と連帯して行動し、感動を共有した体験のない学者や評論家は「合理主義・個人思想・人権革命の歴史を持たない日本では市民などはいないのだ」などと言うのである。近代市民革命の時の市民は「有産の名望家」であった。しかしながら、現代の「市民」は公共性の感覚を持ち行動する普通の人々である。都市型社会が成熟して、普通の人々が市民である条件が整ったのである。
 

[住民]
 「住民」とは、村民、町民、市民、県民など、行政区割りに「住んでいる人」のことである。そして「住民」という言葉は、住民登録・住民台帳・住民税というように、行政の側から捉えた言葉である。行政が統治し支配する客体が「住民」である。住民は被治者で行政サービスの受益者である。「住民」という言葉には上下意識が染み付いている。その上下意識は住民の側にも根強く存続しているのである。長い間、行政法学は「行政」を優越的主体と理論構成した。そして「住民」は行政執行の客体で被治者であった。「住民」という言葉には「自治主体」の観念は希薄である。

「住民」と「市民」
「住民」を「市民」との対比で定義すれば、「住民」は自己利益・目先利害で行動し行政に依存する(陰で不満を言う)人で、行政サ―ビスの受益者とされる人である。「市民」は、公共性の感覚を体得し全体利益をも考えて行動することのできる人。政策の策定と実行で自治体職員と協働することもできる人である。
 しかしながら、「市民」も「住民」も理念の言葉である。理性がつくった概念である。実際には、常に目先利害だけで行動する「住民」はいない。完璧に理想的な「市民」も現実には存在しない。実在するのは「住民的度合いの強い人」と「市民的要素の多い人」の流動的混在である。人は学習し交流し実践することによって「住民」から「市民」へと自己を変容する。人は成長しあるいは頽廃するのである。都市型社会が成熟して、生活が平準化し政治参加が日常化して、福沢の「市民」は甦ったのである。 (「新自治体学入門」時事通信社 112頁)

「市民」の出現
心の原風景を共有する歴史的な建物を保存する運動する人達、障害者に優しいまちをつくる運動を進める人々が日本の各地に現れた。新聞やテレビは、公共感覚で行動する人達を「市民」という言葉で報道するようになった。運河保存の運動を続けた小樽の方々はまさに市民であった。普通の人々が情報と余暇を持つことができるようになったからである。かつては、特権階級だけが自由な時間・経済的なゆとり・情報と教養を独占していた。近代化が進展し工業化と民主化が一般化して都市型社会と言われる社会構造の変化が起きた。普通の一般大衆が余暇と教養と情報を享受することができるようになった。身分や特権を持たない普通の人々が「市民」になる条件が整ってきた。
古代の都市国家の市民も、中世の都市貴族も、近代市民革命のときの市民も、すべて、特権をもつあるいは財産をもつ一部の人達であった。古代都市国家には奴隷、中世には農奴、近代には下層労働者・農民が多数いた。多数の人々は社会を担う主役ではなかった。都市型社会が成熟して普通の人々が「住民」から「市民」に成熟する条件が整ってきた。地域文化の主体としての「市民」は、夢想の理想イメージではなく、現代社会に登場している。

 人間は体験しないことは分からない。行政機構の内側にいて官庁理論でやってきた管理職の公務員は市民運動の人達は自己利益で行動する身勝手な人達にみえる。学者や評論家もまちづくり運動で苦心する人達と連帯し共に感動した体験のない人は「市民」は合理主義・個人思想・人権革命の歴史をもたない日本には難しいと言う。
 未来を構想し現在に問題を見出し、解決方策を模索し行動を始めた人でなければ、問題意識をもって行動した体験がなければ、現在に未来の予兆を見ることは出来ない。「主体イメージ」はいつも漠然である。


講座・松下圭一「ロック『市民政府論』を読む」(第三回)  
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
   講座・松下圭一「ロック『市民政府論』を読む」  
    第三回 (第六章・政治理論を現代へ)

(1節) 市民政治理論の構造転換         
 ロックの「市民社会」は、市民が(社会契約)で「社会」を形成し、基本権(固有券)を守るために「政府」をつくって権限を信託する『公共社会』である。 
1) その「市民社会」が、工業技術の発達進展によって「大衆社会」に変容する。さらに工業化・情報化が進展して「工業文明的生活様式」が (都市地域だけでなく農村・漁村・山村地域にも) 全般化して「都市型社会」に変容する。「都市型社会」は、農業人口が30%を切って成立、10%を切って成熟  
2) 大衆社会 
五千年来続いた農業社会(第一次産業社会)が、工業技術の発達によって、工業社会(第二次製造業)になり、情報技術の開発進展で情報産業社会(第三次産業)になる。これまで「個人」をつないでいた「共同体・身分」が崩壊し、社会を管理する官僚機
構が肥大して(大衆社会)となる。大衆社会(マス・ソサエテイ)の語は、マンハイムが造語して(現代社会の基本用語)になった。 
3) 大衆社会論争(1950年代)
大量生産・大量消費・大量情報の社会では「生活様式が平準化」し「生活意識も平準化」して、人々は賃金生活者になり官僚機構に管理され操作される対象(大衆)になる。つまり、体制外存在であった労働者階級は「生産の社会化・労働の商品化」によって(新
たに生じてきた新中間層を含めて)体制内存在としての「大衆」になる。

(2節) 19世紀ヨーロッパの思想状況
1) 「歴史」からの批判 
フランス革命の反動として展開された「反啓蒙の思想運動」が「ロックの(理性市民)は啓蒙哲学の理性である」と批判した。それは「後発型ドイツ」の国家理論(立憲君主制)であった。このドイツ理論を伊藤博文が日本に持ち帰り「天皇(官僚)統治の国家理論」として正統化して現在に至っている。
2)「階級」からの批判 
  市民社会内部に「階層分裂」→ ブルジョアジー対プロレタリアート
  ・ブルードン  ・ジョン・スチャート・ミル  
  ・カール・マルクス ― マルクスは「市民社会」主義者 
  何れもロック理論の枠内での論議であった
[論点]
マルクス理論の影響が (ドイツ・日本) (ロシア・中国)でなぜ強かったのか。 
・マルクスの予測 外れた  237頁
・マルクスは「革命」(窮乏化論―歴史の必然)
・ウエーバーは「官僚機構」

・「現代の問題」  (資本主義国も社会主義国も膨大な官僚機構を形成)  
   官僚機構が必要であるかぎり‥‥  238頁

(3節) 社会の平準化 政治の分節化   
1) 大衆社会(都市型社会)では、工業化―大量生産技術・大量伝達技術で、殆どの人々が賃金生活者になって官僚機構に管理操作される対象(大衆)になる。
2) 大衆社会では官僚機構がなければ生産から生活まで維持できない。 
都市型社会では「所得」だけでなく、「シビルミニマム」の公共整備が不可欠。 
シビルミニマムの整備とは「社会保障(福祉政策)・社会資本(都市政策)・社会保健(環境政策)」

[論点]
 なぜ「シビルミニマム」の公共整備が不可欠必要なのか
 都市型社会-前例なき公共課題が噴出する
 大気汚染 河川汚濁 温暖化 都市景観 緑地減少 都市砂漠  幸福追求権 生存権 現代的貧困
公共課題の三分類
政府三分化  
  国際社会で基準を約定して解決  世界政治機構     
  全国レベルでの解決       中央政府 
  地域ごとに解決         地方政府―自治体政府 
都市型社会の「新しい可能性」
・市民の成熟条件 (246頁)  教養と余暇の平準化 政治訓練の蓄積  
・分節政治理論 (247頁) 新たな可能性を追求するシクミ(自治・共和の制度)
・分節政治理論の課題 (250頁)    自治分権型政治体制の創出 241頁

(4節) ロック理論の今日的意義  251頁
1) 市民を(人間型)として定型化した=(提起して説明した)。
2) 社会(=市民)と政府を区別する二層論を提起した。
3) 政府理論を構成した
政府正統論―市民合意による政府の創出
政府機構論―政府は市民が基本権を守る権限を信託した機構(道具)
政府変動論―市民は政府が信託(契約)に反するときは交代させる(信託解除権の発動)  
[さっぽろ自由学校・遊」2016-8-3]
日本ジャーナリスト会議北海道支部講演会
(カテゴリー: 講演会
日本ジャーナリスト会議北海道支部講演会

・演題:われわれはどこへ行くのか
・講師:野田正彰氏・元関西学院大学教授(比較文化精神医学)、
・日時:2016年7月30日(土)午前10時~12時(予定)
・会場:札幌市教育文化会館(札幌市中央区北1条西13丁目)
・参加費:500円 ・事前申し込み不要

講師紹介
野田さんは新聞労連で「ジャーナリズム学習会」の講師を務めるなど、
新聞界やテレビ界にも詳しい。
野田正彰医師は硬骨の精神科医として知られ、
大阪府知事当時の橋下徹氏を「新潮45」(2011年11月号)で
「自己顕示欲型精神病質者」「演技性人格障害」と診断。

それが名誉毀損に当たるとして損害賠償請求訴訟となり、
一審大阪地裁は一部認容の判決となったが、
2016年4月21日大阪高裁で逆転判決、橋下徹の請求は全部棄却された。
2016・北海道自治体学土曜講座 プログラム
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
2016・北海道自治体学土曜講座 プログラム

第1回 5月7日(土)
沖 縄 問 題 ~沖縄の人々の苦難は他人事ではない~
  宮本憲一 (大阪市立大学名誉教授)  
  松元 剛 (琉球新報編集局次長兼報道本部長)
  徃住嘉文 (北海道ジャーナリスト会議)   
  森 啓 (土曜講座実行委員)

第2回 6月18日(土)
私たちはゴミとどう向き合っていくのか ~迷惑施設問題が提起するもの~
  押谷 一(酪農学園大学教授) 
  久世薫嗣(核廃棄物誘致に反対する道北連絡協議会代表)  
  高橋 悟(日本文化行政研究会会員) 
  小坂 直人(北海学園大学経済学部教授)

第3回 7月23日(土)
北海道の持続可能な発展と自治の力 ~TPPから北海道を守るために~
  久田徳二(北海道新聞編集員・北海道大学客員教授)
  菊池一春(訓子府町長)  
  荒谷明子(メノビレッジ長沼共同代表)
  山口敏文(北海道生活協同組合連合会専務理事) 
  内田和浩(北海学園大学経済学部教授)

第4回 9月3日(土)
自治体がつくるワーキングプア ~その実態、背景と克服策を考える~
  川村雅則(北海学園大学経済学部教授)
  自治労単組関係者2名(※交渉中)
  稲葉典昭(帯広市議会議員) 
  鈴木 一(札幌地域労組副委員長)

第5回 10月22日(土)
北海道の自治体問題 ~首長と議員と職員のホンネ討論~
  高橋正夫(本別町長)  
  谷 一之(下川町長)  
  池田達雄(北斗市議長) 
  田村英樹(京極町議長)  
  三浦和枝 (自治労北海道本部書記長)
  神原 勝 (北海道大学名誉教授)   
  森  啓 (土曜講座実行委員)

会 場   北海学園大学3号館22番教室(札幌市豊平区旭町4 丁目1-40)
地下鉄東豊線「学園前駅」下車。3番出口直結。
参加費  全5回前納:5,000円  1回分:1,500円 (学生無料)
AKB総選挙に棲みついた魔物
(カテゴリー: AKB
AKB総選挙に棲みついた魔物
(秋元康氏への手紙)

2016・AKB総選挙は、ファンが「身銭で推しメンに投票する」選挙から、巨額の金で「投票権を買い取る」選挙へと変質したと思う。
「ダントツ1位の24万票」の背後に「多額のテレビ出演とプロダクションの商業取引(メカニズム)」が作動していると考えざるを得ない。指原さんは、「テレビでのバラエティ能力」はすぐれているが、アイドルとしての「可愛さ」「ひたむきな純粋さ」「ハニカム笑顔の清潔感」「狡さのない美しさ」の魅力不足は否めない。2位と7万票差の「ダントツ1位24万票」に相当するとはとても思えない。

 かつて、前田敦子さんと大島優子さんが1位・2位を争ったとき、二人のスピーチにはアイドルとしての「美しさ」「ひたむき」「優しさ」があった。今回の「1位とったよー」と叫んで躍り上がる姿には「アイドルとしての慎み」「思いやりの優しさ」は無かった。
 「1位に返り咲きます」と言い続けて7万票差で引き離された渡辺麻友さんの面前での姿には、前田・大島との違いが歴然であった。
 アイドル集団AKBの選挙は、今や「ファンが身銭で投票する総選挙」では無くなっていると思う。AKBの創設者である秋元康氏はこの変質を如何に考えているであろうか。
2016・北海道自治体学土曜講座・第一回「沖縄問題」  
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
2016・北海道自治体学土曜講座
第一回「沖縄問題」  
日時 2016年5月7日
会場 北海学園大学3号館
主題 沖縄の人々の苦難は他人事でない
 宮本憲一 (大阪市立大学名誉教授)
 松元 剛 (琉球新報編集局次長兼報道本部長)
 徃住嘉文 (日本ジャーナリスト会議)  
 森 啓 (自治体学土曜講座実行委員)

問題提起   
Ⅰ沖縄の自治と軍事基地 宮本憲一 (大阪市立大学名誉教授)
Ⅱ安倍政権の非情な強権発動 松元 剛 (琉球新報編集局次長)

討 論
以下は当日の論点を基にした筆者の所見である。
民主主義社会を維持継続するには批判的思考力の切磋琢磨が不可欠である。

沖縄の人々の苦難は他人事でない 
日本の人々は「沖縄は気の毒だ」と他人事のように思っているのではあるまいか。
米軍施設の74%が沖縄本島に集中しているのである。深夜も轟く爆音で眠れず、人家周辺に軍用ヘリが墜落し、女性暴行事件が繰り返され、山林破壊が日常化しているのである。少女暴行の米兵は早々とアメリカ本国に帰っていったのである。
これは「治外法権」である。明治のときは、政府は「不平等条約撤廃」に全力を尽くした。だか「日米地位協定」は1960年以来一言一句改定されていない。
ドイツ・イタリアなみの地位協定に改める交渉申入れさえもしない。そして日本の人々はその政府を支持し加担しているのである。

沖縄の米軍基地
沖縄の米軍基地は日本を守るためか。アメリカの世界戦略のためではないのか。基地の米軍兵士は日本の人々を守ろうと思っているであろうか。司令官も兵士も日本を守るための基地だと思ってはいないであろう。
では何のための基地なのか。米軍にとっては、沖縄の米軍基地は「母国では望めないほど快適ですばらしい」のである(米政治学者C.ジョンソン)。 
沖縄に米軍基地が集中したのは、内灘闘争(1952)、砂川闘争(1955)など基地反対闘争が全国に伝播し始め、岸信介が急きょワシントンに出向き「基地反対が反米感情に発展する」とアイク(大統領)に伝えて「沖縄ならばよい」となったからである。

米軍基地は必要か
問題は、米軍が「それなら、基地を全て引き上げる」と言い出したら「コマルのか」である。「それは困る」と(直ちに)言い始めるのは誰であろうか。誰が言い始めるかの見定めが重要である。
困るのは「隣国との友好平和を望まず、安全保障環境の緊迫を声高に言説する人達である。国際緊張が薄れ友好親善になっては(実は)困る人達である。武器輸出の解禁を喜ぶ財界人も「適度の国際緊張」を望み、沖縄の基地存続は必要と言説する。
しかしながら、米軍基地を日本防衛のため必要だと漠然と考えてはなるまい。
クリントン政権で普天間飛行場返還の日米合意を主導したジョセフ・ナイ元国防次官補(現ハーバード大教授)は、朝日新聞掲載のインタビュー記事で、「沖縄の人々の支持が得られないなら、われわれはおそらく辺野古移設を再検討しなければならないだろう」(2014年12月8日付)と述べた。
 駐日米大使として米海兵隊員の少女暴行事件(1995年)に対応したモンデール氏(元副大統領)は、米国務省系の研究機関の外交研究・研修協会「退任後インタビュー」で、「沖縄の米軍駐留継続を日本側が求めていた」と証言した。
 
戦争は殺戮と破壊
戦争は殺戮と破壊である。「国を守る」「国民の生命を守る」は口実である。軍隊は国民を守らないのである。沖縄地上戦がそれを証した。戦争開始を命令する地位・立場に居る人達は、危うい処には(けっして)出ていかない。「元海軍軍令部400時間討論テープ」がそれを証している。
戦争には莫大利益を手にする人が常に居る。イラク侵攻でチェ副大統領の会社は莫大利益を得たと報道された。軍産複合体制は「戦争開始を画策する企業」をも造り出す。戦争開始の元凶は「莫大利益」である。
「戦争を始めるのは金持ち、戦争で死ぬのは貧乏人」とはサルトルの言である。
「沖縄の民意」を一顧だにせず、警視庁機動隊を常駐させ、暴力的に辺野古に本格基地を建設する日本政府に、沖縄の人々は怒りを募らせている。そして、沖縄の人々の苦悩を他人事に思う(ヤマト)の人々にも怒りの情が萌している。

経済的徴兵制
 給付型奨学金(返済しなくてよい奨学金)を(言を弄して)創らないのは「経済的徴兵制」を目論んでいるからであろう。
「経済協力開発機構(OECD)に加盟する34カ国のうち、給付型がないのは日本とアイスランドだけ。だがアイスランドは「大学授業料が無料」だから、日本だけである。日本の若者は300万円から500万円の借金を背負って卒業している。そして多くは「派遣労働」か「飲食業就職」だから、返済できない、結婚できない、結婚しても子供を育てられない。
若者を貧困にしておいての軍隊勧誘が「アメリカの志願兵制度」である。日本にも「奨学金返済免除」を目の前に吊らす「経済的徴兵制」が始まるのではあるまいか。給付型奨学金制度を創らない意図を洞察しなくてはなるまい。
 
沖縄差別
 安倍首相も菅官房長官も沖縄を差別している。辺野古の基地建設を「沖縄県民の負担軽減だ」と言う。「負担軽減」と言うのなら、そして「米軍基地が日本の防衛に必要」と言うのならば、沖縄県外に (日本の何処かに) 建設すべきである。「オール沖縄の民意」は新基地反対である。「空港・軍港・爆弾庫」の本格基地を沖縄に押し付けるのは「沖縄差別」である。
安倍首相も菅官房長官も沖縄県民を差別しているではないか。「権力者は言説で人々を騙す」「政府は常に嘘を言う」は古今の真実である。

NHKの変貌
現在日本のテレビ・新聞は自粛・自主規制して「報道機関の使命」を果たしていない。世界180の国と地域を対象とする報道の自由度ランキング(2016年)で日本は72位である。(見識と気骨ある報道人が年ごとに少なくなる)
とりわけ、NHKの変貌はすさまじい。籾井勝人会長になってから、政治部が「ニュース原稿」「ナレーション原稿」を(安倍官邸から文句を言われないように)訂正している。番組も「安倍首相を刺激する内容はどんどん削られ」「ディレクターが書いた原案をプロューサーが(安倍路線を刺激しないよう)書き換えている。(小滝一志(放送を語る会事務局長)「マスコミ市民」2015-3月号 )
 
 自治体学土曜講座は受講者それぞれが「自身の思考力」を高める場である。問題提起と討論は「思考の座標軸」を確かなものにするためである。
1995年に開講し16年間開催した「北海道地方自治土曜講座」の内容は http://sky.geocities.jp/utopia2036/doyokoza/
2014年に名称を「北海道自治体学土曜講座」に改めて再開した講座内容は http://jititai.net/hokkaido/?p=527 を参照されたい。
憲法学者の思考論理
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
   憲法学者の追随思考

 朝日新聞(2016-5-24.)11頁(オピニオン欄)「砂川判決の呪縛」掲載の南野森(九州大学教授)の所見を読み「このような思考論理の学者が増えているのだ」とまことに残念に思った。
  南野氏は憲法学者であるのだが「裁判所の違憲審査権」を重大視しない。いとも簡易にスルーする現状追随型の思考論理である。その論理は「前段に尤もらしいことを書き、後段で現状を是認する」思考論理である。
 例えば、『いま、目的のためなら、長年積み上げてきた法の論理でも踏みにじろうとする傾向が顕著です。法の秩序を保ち、法の支配を安定させるには、為政者に憲法を守らせ、司法の判断を尊重させなければなりません』と尤もらしく書く。だが後段で、『でも最高裁には後ろ盾もなく思い切った決断をしづらい、最高裁が(憲法の番人)として振る舞うことはできないのです』と書く。
 これが憲法学者南野氏の所見である。(詳細は朝日新聞(2016-5-24.) をご覧あれ)
 昨今の現状追随思考の蔓延は身分保障ある大学教師にも及んでいるのだ。
 他のお二人(吉永満夫氏、春名幹男氏)のご所見は「まことになるほど」である。
 オピニオン欄編集者は「朝日新聞偏向」の批判を避けるため、執筆依頼の配慮をしたのであろうか。それにしても憲法学者の驚きの所見である。

オバマ大統領の迎え方
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
塩野七生さんの「オバマ大統領の迎え方」に賛成
 
「静かに無言で大統領を迎え、静かに無言で送り出す」
「謝罪を求める声」も、「星条旗の小旗をふる歓声」も無い
もし私が日本の新聞の編集者だったら
『無言で立ち尽くす米国大統領オバマ』の写真一枚だけ
「頭を下げる姿の大統領は(もし、そうしたとしても) 絶対に載せない。
 それが日本の品位を高めます

         (朝日新聞(2016-5-25)16頁・インタビュー)
福島みずほ議員は貴重な本物の国会議員である。
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
 貴重な本物の国会議員
昨夕(2016-5-15) 札幌駅前で
福島みずほ(参議院議員)の街頭演説を聴いた。
現在日本が直面している政治課題を次々と熱情こめて語った。
心に響く演説であった。
福島議員は数少ない本物の国会議員である。
「積極的平和主義」は「積極的戦争主義」であると
国会質疑で安倍普三の正体を見破ったのも福島議員であった。
国会議員の知性と倫理が低下しているなかで福島議員は貴重な存在である。
環境・人権・女性・平和の四本柱政策を掲げて全国を巡っている。
 http://www.mizuhoto.org/ 参照
現代語訳で読む日本の憲法
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯

現代語訳で読む日本の憲法

朝日新聞(2016-5-12の13頁)はとても良かった。
翻訳家の柴田元幸さんの「現代語訳でよむ 日本の憲法」の紹介である。紹介の視点が良い。
例えば、憲法前文の出だしは「日本国民」であるが、柴田訳は「私たち日本の人びとは」で、主語は「私たち」である。
65条の「行政権は内閣に属する」は、柴田訳は「内閣には、法律に従い国政を執行する権限を与える」である。内閣に「権限を与える」存在が別にいる、つまり主権者(私たち)が与えるのである。これは「市民自治の政府信託理論」である。
1975年に岩波新書「市民自治の憲法理論」(松下圭一)が刊行されたとき、「国家統治の憲法学者」は誰一人反論できなかった。反論できないので「学会」をつくり「国家学理論」を(みんなで渡れば怖くない)と講義して現在に至っている。札幌「自由学校・遊」で
 「松下圭一『ロック・市民政府論を読む』を読む」(五回講座)を6月1日に開講する。

「現代語訳で読む日本の憲法」(アルク・刊)を
 池内紀さんが紹介しています。
 時宜に合ったとても良い紹介なので「紹介」します。

「戦後70年」の意味深い成果

 ほとんど知られていないことだが、日本国憲法は二つある。一つは日本語、もう一つは英語でつづられていて、ともに一九四六年十一月三日に公布された。

 「英語でつづられ」とくれば、すぐさまGHQ(連合国軍総司令部)作成の憲法草案をいわれそうだが、ちがうのだ。GHQ草案をたたき台にして日本国憲法が完成した。当時、日本はGHQ占領下にあり、官報は日本語と英語で出されていた。おのずと新憲法は英訳されて英文官報に載せられた。HIROHITO(天皇)につづいて吉田茂ほか、田中耕太郎、石橋湛山(たんざん)、金森(かなもり)徳次郎など、戦後の代表的な知性が英語のつづりで連署している。

 訳者が「はじめに」で述べている。

 「この本は、それを現代日本語に訳したものです」

 おおかたの人はアッケにとられるかもしれない。日本国憲法は現代日本語で書かれている。英訳されたものを日本語に訳すと、元の日本国憲法にもどるのではないのか?

 日本国憲法と「現代語訳日本の憲法」とは同じものだが、しかし違っている。たしかに日本国憲法に書かれているが、すぐには見えないものが現代語訳を通して見えてくる。ひそかに隠されたかもしれないものが明るみに出てくる。現憲法の語りの特性、これをつづった人たちの語感、感情の高ぶりまでもが見えてくる。

 なぜそのようなフシギが生じたのか。柴田元幸という得がたい翻訳者の力である。彼は原文のもつ「観念」を、過不足なくつたえる役をつとめた。より多からず、より少なからずつたえる。それはとてもとても難しいことなのだ。個性的に、独創的に訳すことがどんなにラクであるか。現代アメリカ文学で数々の修羅場をくぐってきた人だからこそできたことだろう。

 法律にはうとい訳者のために、憲法学者の木村草太が監修をつとめた。両者の対談「英語からみた『日本の憲法』」が収録されていて、そのなかで柴田元幸は述べている。憲法だから全体的には「法律の文章」だが、「前文」と(戦争の放棄を明記した)「第9条」と(基本的人権にかかわる)「第97条」は、「英文の質」「気合いの入り方」があきらかに違っている。主語がきちんと明示され、誤解の余地のない言葉が使われている。ためしに現代語訳第9条前半。

 「正義と秩序にもとづく国際平和を心から希(ねが)って、日本の人びとは永久に戦争を放棄する。国として戦争を行なう権利を放棄し、国同士の争いに決着をつける手段として武力で威嚇すること、また武力を行使することを放棄するのである」

 つねづね日本国憲法は悪文として槍玉(やりだま)にあげられてきた。とりわけ改憲派は声高く、憲法正文の和文脈と欧文脈がゴッタになった文体を、それこそGHQに「押しつけられた」ことの証拠であるように言い立てる。

 風変わりな仕事を引き受けたばかりに、訳者は一つの「法律の文章」が成長していく過程をつぶさに知った。人類の希望を一段と輝かせる条項を盛りこもうとしたのである。日本語がねじれ、ぎこちないのは当然だ。

 「日本国憲法英文版は、全体としては非常に明快だし、日本語の正文も十分口語的で明快です。そもそもこの英文版から、正文とはかけ離れた、ものすごく分かりやすくくだいた日本語が出てくるべきではないと思うんです」

 言葉を尊重する人のこの上なく誠実な見方である。「戦後70年」のカラ騒ぎのなかにはじめて、まさに今、とりわけ意味深い成果がもたらされた。 (池内紀)
安倍政権の沖縄差別
(カテゴリー: 自治体学理論
安倍政権の沖縄差別

安倍政権は沖縄県民を差別している。
普天間基地の代替だと称して「辺野古に軍港をも備えた本格基地」の建設を強行している。
安倍首相も菅官房長官も「沖縄県民の負担軽減」だと言う。
「負担軽減」と言うのなら、そして「米軍基地が日本の防衛に必要」と言うのなら、沖縄県外に (日本の何処かに) 建設すべきである。 なぜ沖縄に「空港・軍港・爆弾庫」の本格基地を押し付けるのか。沖縄県民を差別しているではないか。
そして安倍政権を存続させている吾吾も「沖縄差別」に加担しているのである。

2016・北海道自治体学土曜講座 
  第一回(5月7日)
   沖 縄 問 題 ~沖縄の人々の苦難は他人事ではない~
「沖縄問題」と「福島問題」は現在日本の最大の緊急課題である。警視庁機動隊を常駐させて、軍港をも備えた本格基地の建設を暴力的に強行している実態を、日本の人々はどれくらい知っているか。日本政府が、沖縄の人々に「危険な米軍基地」を押し付け続ける理由は何か。日本の人々は「明治の琉球処分」から「現在の米軍基地」までの、再三再四の「沖縄差別の歴史」をどう考えているのか。本土(ヤマト)のメディアは、NHKを筆頭に沖縄差別に加担しているではないか。「沖縄の米軍基地」と「北海道の北方領土」は共通の問題である。これらを討論する。 
   宮本憲一 (大阪市立大学名誉教授) 
   松元 剛 (琉球新報編集局次長兼報道本部長)
   徃住嘉文 (北海道ジャーナリスト会議)  
   森  啓 (土曜講座実行委員)

会 場 北海学園大学3号館22番教室(札幌市豊平区旭町 4 丁目1-40)
地下鉄東豊線「学園前駅」下車。3番出口直結。
参加費 全5回前納:5,000円 1回分:1,500円 (学生無料)
お問合せ メール jichidoyo2016@yahoo.co.jp
電話 011-841-1161 内線 2737(北海学園大学経済学部 内田研究室)

2016・北海道自治体学土曜講座
(カテゴリー: 自治体学講座ー土曜講座の新展開
     2016・北海道自治体学土曜講座

第一回(5月7日)
   沖 縄 問 題 ~沖縄の人々の苦難は他人事ではない~
 「沖縄問題」と「福島問題」は現在日本の最大の緊急課題である。警視庁機動隊を常駐させて、軍港をも備えた本格基地の建設を暴力的に強行している実態を、日本の人々はどれくらい知っているか。日本政府が、沖縄の人々に「危険な米軍基地」を押し付け続ける理由は何か。日本の人々は「明治の琉球処分」から「現在の米軍基地」までの、再三再四の「沖縄差別の歴史」をどう考えているのか。本土(ヤマト)のメディアは、NHKを筆頭に沖縄差別に加担しているではないか。「沖縄の米軍基地」と「北海道の北方領土」は共通の問題である。これらを討論する。 
 宮本憲一 (大阪市立大学名誉教授) 
 松元 剛 (琉球新報編集局次長兼報道本部長)
 徃住嘉文 (北海道ジャーナリスト会議)  
 森 啓 (土曜講座実行委員)

第二回(6月18日)
私たちはゴミとどう向き合っていくのか
~迷惑施設問題が提起するもの~
ある日突然、あなたの家の近くにゴミの処理施設がつくられるとしたら、あなたは、それをどう受け止め、どう行動するでしょうか。ゴミには一般廃棄物、産業廃棄物、放射性廃棄物があり、その種類により、影響は大きく異なります。今回は、現代社会における最も重要な政策課題の1つであるゴミの処理に関連して、「迷惑施設」としての廃棄物関係施設の設置に着目し、市民と行政の両方の視点から公共政策とは何か・まちづくりとは何かを考える。
 押谷 一(酪農学園大学教授) 
 久世薫嗣(核廃棄物誘致に反対する道北連絡協議会代表)  
 高橋 悟(日本文化行政研究会会員) 
 小坂 直人(北海学園大学経済学部教授)

第三回(7月23日)
  北海道の持続可能な発展と自治の力
  ~TPPから北海道を守るために~
「大筋合意」されたとはいえ、TPPは多くの問題点をはらんでおり、北海道に暮らす私たちはそのまま受け入れることは到底できない。しかし、新たなグローバリゼーション強化の波は確実に進行してきており、私たちは持続可能な北海道の地域社会発展のために、守るべきもの守らなければならないものをしっかりと見据え、自治の力で守り発展させていかなければならないのだ。本講では、今私たちはTPPから何を守り、どのような未来を見据えて発展させていかなければならないのか。そして、基礎自治体は何をしていかなければならないのかを議論していきたい。
 久田徳二(北海道新聞編集委員・北海道大学客員教授) 
 菊池一春(訓子府町長) 
 荒谷明子(メノビレッジ長沼共同代表)
 山口敏文(北海道生活協同組合連合会専務理事)
 内田和浩(北海学園大学経済学部教授)

第四回(9月3日)
 自治体がつくるワーキングプア
~その実態、背景と克服策を考える~
貧困をなくす役割が自治体に期待されているその一方で、自治体そのものが貧困をうみだしている。官製ワーキングプア問題である。自治体に雇われて働く臨時・非常勤職員は、短時間・短期間勤務者を除く総務省の調査でも全国で約60万人にのぼる。彼らの多くは女性で、年収は200万円に満たない。民間労働者ではないからと労働条件決定における労使対等原則は採用されず、一方で、地方公務員法では彼らが長期で基幹的な業務に従事することを前提としていない。法の狭間に落ちた存在である。他方で、自治体は多くの業務を民間事業者に委ねている。財政難や入札制度における競争政策がそこに拍車をかけている。結果、公共事業・委託事業・指定管理者分野などで貧困が生み出されている。しかし、発注者側である当の自治体は、発注後のことに関心は薄い。2013年秋に札幌市議会で否決された公契約条例はそこに歯止めをかけようとするものであった。だが、札幌市で否決された後、道内自治体で、公契約条例の制定を目指す動きは聞かない。こうした問題状況を確認して是正に向けた各地の取り組みに学ぶ。
 川村雅則(北海学園大学経済学部教授) 
 自治労単組関係者2名(※交渉中)
 稲葉典昭(帯広市議会議員)      
 鈴木 一(札幌地域労組副委員長)

第五回(10月22日)
 北海道の自治体問題
~首長と議員と職員のホンネ討論~
 1995年の地方分権改革は進展したであろうか。後退しているのではないか。自治体首長と行政職員のまちづくり能力は高まっているか。「議会は何をやっているのかが分からない」から、「無関心」と「不信感」が増大して「議会は必要か」の声すらある。議員のなり手がいなくて「選挙しない議会」が増えている。自治体の「議会不信」と「行政不信」が、「国政と政権」を監視する批判思考力を衰退させ、民主主義を衰弱させているのではあるまいか。首長・議員・職員(労組)が(ホンネ)を出し合い、現状打開の道筋を討論する。 
 高橋正夫(本別町長) 
 谷 一之(下川町長) 
 池田達雄(北斗市議長) 
 田村英樹(京極町議長) 
 三浦和枝 (自治労北海道本部書記長)
 神原 勝 (北海道大学名誉教授)  
 森  啓 (土曜講座実行委員)

会  場   北海学園大学3号館22番教室
        (札幌市豊平区旭町4 丁目1-40)
参加費  全5回前納:5,000円  1回分:1,500円 (学生無料)
問合せ メール jichidoyo2016@yahoo.co.jp  
  電 話 011-841-1161内線2737(北海学園大学 内田研究室)
自治体学-市民政府信託理論
(カテゴリー: 自治体学理論
自治体学-市民政府信託理論

民主主義は「国家の統治」ではない。
「市民の自治・共和」である。
民主政治は「市民が政府を選出し制御し交代させる」である。
政府の権限は市民が信託した範囲の権限である。

序 説
1 代表民主制と日本の憲法理論
(1) 日本の憲法理論は特殊である
(2) 註解日本国憲法
(3) 学者の憲法理論  
(4) 学者は自由に発想できない
(5) ジョン・ロックの主著「市民政府論」

2 代表民主制と市民自治
(1) 市民自治と自治体改革
(2) 市民自治と自治基本条例 
(3) 自由民主党の政策パンフ

3 代表民主制と行政文化 
(1) 行政文化
(2) 思考の座標軸
(3) 行政文化の改革
(4) 掛川市の「ルームクーラー問題」
(5) 自治体職員の職業倫理
(6) 想像力の衰弱

4 代表民主制と市町村合併
(1) 合併とは何か
(2) 合併促進の経緯
(3) 市町村の対応
(4) さらなる合併促進策
(5) 合併と住民投票
(6) 市町村合併の検証
(7) 市町村合併の論点

5 市民自治の政府信託理論
(1) 政府信託理論
(2) 市民が直観する「行政不信」
(3) 実践理論

上記内容の『市民政府信託理論-(代表民主制の理論)』を執筆刊行した。 (北海学園大学開発研究所「開発論集」011-841-1161)
講座 松下圭一「ロック『市民政府論』を読む」を読む
(カテゴリー: 自治体学講座
講座
松下圭一「ロック『市民政府論』を読む」(岩波現代文庫) を読む

71 年前、日本中が焼け野原になり食べる物も無くなり「二度と戦争はしない」と覚悟して憲法を定めた。憲法は民主主義になったが「民主主義」は根付いていない。国会で安倍首相はデタラメ答弁を繰返すが支持率は急落しない。この講座は「民主主義とは何か」を考える講座です。

6月1日( 水) 第1回 市民政府の理論
 『日本国憲法』を含めて世界各国の憲法は、資本主義・社会主義の体制を問わず、ロックの市民政府理論が原型になっています。「市民政府論」が「アメリカの独立宣言」「フランスの人権宣言」に甚大な影響を及ぼしたのです。市民政府理論が民主主義の政治理論です。
 
7月6日( 水) 第2回 市民政府信託理論
 民主主義は「国家の統治」ではない。「市民の自治・共和」です。市民は国家に統治される被治者ではないのです。民主政治は「市民が政府を選出し制御し交代させる」です。

8月3日( 水) 第3回 市民社会の理論
 すべて政治権力の源泉は 市民(People、Citizen) の同意です。政府の権限は市民が信託した権限です。「国家」は政治権力の主体ではない。「国家統治」は擬制の言説です。「擬制の言説」とは「本当は存在しないものを存在するかの如く主張する」ことです。

9月7日( 水) 第4回 市民自治の理論
 市民自治とは「市民が政府を選出し制御し交代させる」です。選挙は白紙委任ではない、選挙は代表権限の信頼委託契約です。政府が代表権限を逸脱するときは「信託契約」を解除する。これが民主主義の政治理論です。

10月5日( 水) 第5回 理論とは何か
 理論には「説明理論」と「実践理論」の二つがあります。
説明理論は現状を事後的に実証・分析して説明する理論です。
実践理論は「何が課題で何が解決策であるか」を考える理論です。
「知識として知っている」と「本当に分かっている」は同じでない。
「人は経験に学ぶ」という格言の意味は「一歩踏み出し困難に遭遇して真実を知る」です。

  ●6月1日(水)開講 全5回 月1回水曜18:45~20:45
  ●会 場 さっぽろ自由学校「遊」(愛生舘ビル6F)011-252-6752