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■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
北海道での25年
(カテゴリー: 北海道での25年
 私の北海道での25年  

町内会役員から「北海道での25年」の話をサロンでと言われて、最初は「話すこともありませんから」と辞退したが、自分を顧みるよい機会だと思い話をさせて頂きました。(以下は当日の二丁目町内会「サロンえいと」での話です)

 北海道に来たのは1993年です。
 北大学長から長洲神奈川県知事に「私の割愛依頼」の文書が届いて北海道に来ました。北大で5年、北海学園大で10年、北海学園の非常勤講師で10年の歳月でした。北海道の25年を振り返って「良かった」と思う第一は、「自治体学理論」を人前で話せるようになったことです。

 自治体学理論
 北海学園大学で「自治体学」(専門科目・四単位)の講義をしました。そして『自治体学入門』『自治体学とはどような学か』の書物を刊行しました。コレがその本です
 「市民自治の理論」は松下圭一先生から教わりました。松下先生は私には学問の恩人です。ですから「松下先生追悼の集い」を自治労会館で、「松下理論の今日的意味」の公開講座を北海学園大学で開催できたことが「とても良かった」と思っています。
 
  北海道自治土曜講座
 第二は、1995年から北海道自治土曜講座を21年継続したことです。実行委員長を21年勤めました。北大会場で(16年)、北海学園で(5年)開催しました。最初の16年間は年5回-月1回(第三土曜) 受講料 1万円でした。
 北海道新聞の(卓上四季)は「公務員が自腹で勉強を始めた」と書きました。土曜講座の人気が高くなり、私は事務局(北海道町村会)に「受講申込を断らないでください」と言い、事務局は「会場に這入れないと責任問題になります」の返答でした。
 二年目は872人の受講者でした。会場を厚生年金会館にして、翌日からは二会場に分けて講師は同じ講義を二回しました。
毎回の講義をブックレットにして刊行し(115冊)、『北海道自治土曜講座の16年』を出版頒布しました
 (公人の友社-1.600円)  コレがその本です。 私の北海道での25年は殆どが自治土曜講座の開催でした。

  無防備都市宣言条例の署名運動 
 大学で学生に講義する職業が終わったら、次は無報酬で「反戦平和の市民運動」をやろうと思っていましたから、KKRホテル二階のレストランで「無防備平和地域宣言」の署名運動の代表人を頼まれ引き受けました。札幌を無防備平和都市にする宣言条例制定の署名運動です。条例制定の署名運動は「姓名・住所・生年月日・捺印」の署名を集めるのです。一か月(60日)で有権者数の2%の署名を集めるのです
 札幌市の有権者数は155万9千557人(2.007年)でしたから、その2%は(31.192人)です。最初は(できない・無理)だと思っていました。だが、多くの人々が本気になり、私も本気になって、4万1千619筆の署名を集めて成功しました。
 (団体の役員)と(市民運動の人)は、「発想」と「思考回路」が異なります。
 団体や労組の役員は「組織決定して組織動員」です。そして「失敗したときの責任」を常に考えます。ですから「やりましょう」にならない。時期尚早と言います。決断しないのです。
 市民運動の人は「自分の考えで決断します」「やってみよう」です。失敗したときの責任よりも「やらなくては、やってみようよ」と発想します。
 署名がはじまると、「お前はアカだ」「お前の講義を聴く学生は哀れだ」「ヤメロ」のメールが毎日何百通も届きました。その一部を(パソコンに保存してあります)
 当初のころの大学の用務で何もできなかった日のことです。札幌エルプラザでの夕刻の「署名獲得数の報告会」で、(代表人でありながら自分は今日何もしなかった)と、その場に居たたまれぬ辛い思いになりました。でその翌日から足を棒にして、最高は一日で179筆の署名を獲得しました。(この数は今も全国トップで破られていません) 
 署名運動での感動的な体験を『無防備平和』の本に書きました。この本です。後日、中国の延安に行ったとき、延安大学で講演を頼まれて「日本の近代化」のタイトルで話しました。近代化とは「経済の工業化」と「政治の民主化」であると述べ、日本の人々はアメリカに従属する日本政府に抗して「無防備平和の市民運動」を展開していますと説明し、この本(谷百合子編・無防備平和)を延安大学に寄贈しました。
 この「DVDビデオの箱の写真は」、4萬1千619筆の署名を集めた最終日の感動の場面です。 私の顔も写っています。
 無防備平和の署名運動は北海道生活での感動的な思い出です。
 書物-『無防備平和』(高文研-1.600円)  ビデオ-『無防備地域宣言-平和なまちをつくる』

  市町村合併の反対運動
 25年を振り返って良かったことの四つ目は、小泉構造改革の「地方切捨ての市町村合併」を批判し反対したことです。
 合併は22兆円の地方交付税の削減が狙いです。北海道の町村は面積は広大ですが人口は減少しています。人口1萬人まで一律に合併させるのは住民自治の侵害です。
 北海道だけでなく、全国各地で「住民の意見を聴け」の声がおきました。住民投票条例制定の署名運動が始まりました。だが議会が住民投票条例制定の住民の声を否決しました。否決する根拠に「50%条項」が援用されました。
 「50%条項」とは(徳島市議会で「吉野川河口堰の住民投票を葬るため」「投票率が50%を超えない」ときは「住民投票が成立しなかったのだ」として「投票箱を開かず焼き捨てる」という条例をつくりました。この(50%条項)が「合併の住民投票を葬るため」に全国各地で悪用援用されたのです。 北海道での典型的な事例をお話します。
 石狩市 
 南幌町 
 奈井江町 

 国会から「合併促進の法改正」に対するで意見を求められて、反対意見を衆議院総務委員会で陳述しました。その動画が今もインターネットに流れています。その動画をパソコンでちょっと見て頂きます。
 https://www.youtube.com/watch?v=2tqXt27Z3tU
 そして、全国各地から「合併反対の講演」を依頼されました。神奈川県での文化行政のときの講演依頼と合わせると、47都道府県のすべての地域に出かけました。「自分は今この世の中に生きているのだ」をそのとき実感しました。

  原発民衆法廷  
 原発の事故は「人間には手に負えない」のです。そして「絶対安全は無い」のです。現に福島では、今も自宅に帰れない何万人もの人が「避難住宅で自殺と神経症」で苦しんでいます。一部の人の利権のために多数の人が犠牲になっているのです。そしてゼネコンは莫大な復興基金で潤っているのです。
札幌の民衆法廷は、泊り原発の危険極まるプルサーマル計画に賛成した高橋はるみ知事と奈良林直(北大教授・元東電社員)の責任」を弾劾する民衆の法廷です。民衆法廷での私の発言が インターネットに流れていますので、それを(ちょっと)見て頂きます)
 https://www.youtube.com/watch?v=9CToAeO175Y
 
 北海道が大好きになりました。冬の雪景色がとてもスキです。いつまでも札幌に住んでいたいと思います。だが、大学で講義をする職業が終わって、いつまでも家族と離れているワケにはいかないので、この秋に横浜に帰ることにしました。
森 啓 もり けい  1935年徳島県生まれ・中央大学法学部法律学科卒業・神奈川県自治総合研究センター研究部長・北海道大学法学部教授 (公共政策論)・北海学園大学法学部教授 (自治体学)・北海道地方自治土曜講座実行委員長
<現在>北海学園大学法科大学院講師・NPO法人自治体政策研究所理事長
ブログ「自治体学」 http://jichitaigaku.blog75.fc2.com/
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「NHKから国民を守る党」を批判する『放送を語る会』 の見解
(カテゴリー: 民主主義
放送を語る会の見解に賛同し
下記を掲載する。
 
「NHKから国民を守る党」の主張を批判する
  2019年8月14日 放送を語る会

 第25回参議院選挙で、「NHKから国民を守る党」は、比例で1議席を確保し、選挙区 の得票率が3パーセントを超えたことで政党要件を満たす存在となった。 一般にあるNHKへの批判、不満を集票に利用し、地方自治体の議員や、国会議員の職 を得た同党にたいし、有権者からは批判の声が強まっている。 同党のさまざまなふるまいには道義的に重大な問題があると当会は考えているが、ここ では同党の「NHKをぶっ壊す」というスローガンと「NHKの放送をスクランブル化す る」という主張に限定して批判することとしたい。

1)問題はスクランブル放送が是か非かではない
N国党は、党の目的を「NHKの放送をスクランブル放送にすること」ただ一つだとし、 実現すれば解党するとまで公言している。 スクランブル放送にして、視聴する人だけが料金を払えばいい、という主張は、一見合 理的であるかに見える。しかし、もしNHKの地上波放送がスクランブル放送になれば、 受信料収入は激減し、現在のような規模の放送企業体としてのNHKはとうてい維持でき ない。同党の主張通り、NHKは「ぶっ壊れる」ことになる。 したがって、N国党の政策については、スクランブル放送にすべきかどうか、という問 題ではなく、NHKのような公共放送機関が日本で必要かどうか、という問題ととらえて 検証する必要がある。

2)公共的放送機関をなくしてはいけない
N国党は周知のように「NHKをぶっ壊す」と繰り返し叫んでいる。しかし、NHKの ような公共的放送機関は「壊して」いいのだろうか。 たしかに、現在のNHKは、政権寄りの政治報道をはじめ、そのあり方がさまざまな批 判を浴びている存在である。しかし、そのことと、将来にわたってわが国でNHKのよう な公共的放送機関が必要かどうかは分けて考える必要がある。 放送法は、NHKを、国費でもCM収入でもなく、視聴者の受信料だけで運営する放送 機関とした。国家権力からも企業の支配からも自由に、独立して自律的に放送事業を行う ことを可能にするための制度である。

 この制度に基づく「公共放送」によって、視聴者の多様な要求に応える多様な放送が実 現できることになった。NHKでは、マイノリティのための番組、教育現場への教材を提 供する学校放送番組、文化の継承のための古典芸能番組など、視聴率に左右されない放送 を実施できている。 当放送を語る会は、このような、市場原理の影響からも自由でありうる公共的な放送機 関は、日本の民主主義と文化にとって重要な存在であると考えている。その認識の上で、 現在のNHKが、その理想にふさわしい状態にあるかどうかを監視し、必要な抗議・要求 行動を行う、というスタンスで活動してきた。 ところがN国党は、NHKを壊す=破壊する理由として、週刊誌が報道したというNH K職員の「不倫」の事件をNHKが説明しないからだ、という驚くべき主張を政見放送で展開してきた。

 これまで受信料で形成されてきた、国民の共有財産とも言える公共放送機 関を、このような理由で破壊するという主張は到底容認できない。 いまNHK問題に取り組む視聴者団体に、「N国党とはちがうのか」という問い合わせが あると聞いている。この際、当会のような視聴者団体とN国党とはいかなる点ても接点は なく、むしろ反対の立場に立つものであることを明らかにし、同時にN国党と全国の視聴 者団体とは厳しく区別されるべきだと主張したい。

3)スクランブル放送とは何か。
実施すればNHKはどうなるか 私たちは、前述のように、スクランブル放送にすればNHKは壊れる、と考える。では なぜそうなるのか。 スクランブル放送とは、放送内容を暗号化し、電気的に撹拌して放送する方式である。 視聴者が放送を見るためには、このスクランブルを解除する手段を入手しなければなら ない。そのために視聴者はNHKと契約が必要になる、というシステムである。 これをNHKの総合・Eテレの地上波で実施したらどうなるか。 正確には予測できないが、NHKにとって最悪のシナリオはつぎのような事態である。
 
 テレビは無料の民放を見れば間に合うと考え、できれば受信料の出費を控えたい、とい う視聴者は多いと思われる。 現在受信料契約をしている視聴者のうち大半がスクランブル放送の解除をしない、つま りNHKと契約しない可能性がある。受信料収入が激減することは避けられない。 受信料でつくられた東京はじめ各地の放送会館、設備は維持できず、売却するほかなく なる。また、放送文化研究所や放送技術研究所のような社会に貢献すべき研究所は、スク ランブル解除に役に立たないということで閉鎖に追い込まれると予想できる。
 
 放送内容では、「ETV特集」や「NHKスペシャル」など時間と経費のかかるドキュメ ンタリーは制作が困難になる。また、スクランブルを解除してもらうために、いわゆる大 衆受けのする娯楽番組が主流になり、少数の視聴者を対象にする福祉、教育、文化・教養 番組などは消滅する可能性がある。 そうなればNHKは小さな有料放送局として残るしかないことになる。 日本の放送界は実質的に商業放送が支配すことになり、NHK、民放の二元体制をとる 現行放送法体系は根底から崩壊せざるを得ない。このような状況では、放送の分野で視聴 者市民の知る権利が大きく損なわれる恐れがある。

4)いまNHKに求められるもの
N国党の主張に問題があるにもかかわらず、選挙区で 150万票、比例代表で98万票が同 党に投じられた事実を、NHKは深刻に受け止める必要がある。NHKは、現状が真に「視 聴者に支持される公共放送」となっているかを厳しく問い直すべきである。

・ 公共放送のあり方から逸脱する政権広報のような政治報道を改めること、
・ 会長の公募制 など、NHKの経営への視聴者の参加の方策を案出すること、
・ 番組やニュースに関する視 聴者の意見や批判に丁寧に答えること、
・委託法人等による暴力的な受信料契約強制をやめ ること、
・ さらに、ニュース、番組制作者と市民が交流するようなイベントを企画し、対話 を進めること、などを強く要求したい。

「放送法では受信料を払うことになっている」といった解説的広報番組を流せば済むと いうものではない。公共放送の本来のすがたに立ち返る具体的な行動と努力が必要である ことを、N国党の伸長という事態を受けてあらためて強調しておきたい。
韓国への輸出規制強化
(カテゴリー: 民主主義
 「韓国への輸出規制強化」について

NHKはもとよりのこと、民放テレビのコメンテーターも、安倍政権の形式論理=「徴用工問題は解決済(朴独裁政権と合意済)である」「韓国政府の対応で信頼関係が失われた」を是認し前提にして論じている。「信頼関係」を言うのならば、韓国には(日韓併合による36年間の侵略非道の歴史認識)が根強くあるのだ。そして信頼関係を壊しているのは二枚舌の安倍政権の言動ではないか。 安倍晋三は、韓国の人々の反日感情が高まって日本のナショナリズムが高まることを(内心で)望んでいるのである。参議院選挙のために「嫌韓感情」を煽っているのである。 テレビのコメンテーターは「東アジアの安定友好」を基本にした未来志向の解説をなすべきである。「それは別問題だ」ではないのである。
今回の輸出規制強化は「トランプと同じ報復制裁である」は明白ではないか。 現在日本には安倍晋三の「平然二枚舌」を批判しない・批判できない風潮が(批判すればテレビ出演が出来なくなる)が蔓延している。日本メディアの重大問題である。
 日本のコメンテーターは外国メディアの日本政府批判を報道関係者として見習うことだ。
 安倍晋三の意図は「日本人のナショナリズムを煽り」「参院選挙で勝利し憲法改変を強行して」、祖父岸信介の墓前に「憲法九条を廃棄しました」を捧げることにある。韓国との善隣友好は口先だけである。二枚舌言動を見ていれば分かるではないか。

2019年6月21日の北海道新聞16頁の[署名取材記事]は奇怪
(カテゴリー: 自治体議会
北海道新聞の[署名記事]は奇怪

2019年6月21日の北海道新聞の16頁の[取材記事]には重要論議が(意図的に)書かれていない。実に奇怪である。
当日の論議に参加した方々は同じ思いであろう。

[公開討論・札幌市議会の除名問題]
6月20日(札幌クリスチャンセンター)の論議は、

(1)冒頭で主催者から「議員除名について総務省担当課に質した回答が」報告説明された。総務省担当者は「議員を除名するにはその自治体の議会規則の懲罰規定に「除名項目」が無ければ除名は法規範違反です」との回答であった。そして札幌市議会の懲罰規定には「除名項目」は規定されていないのである。

(2)会場討論では元市議会議員の方からも、松浦議員(臨時議長)の言動に問題有りとしても、「選挙で選出された議員資格を剥奪する除名に相当する」とは思えない。さらには、先ほど主催者から説明された「札幌市の議会規則には(除名の定め)が無い」のだから除名はできない、との発言がなされたのである。

(3)さらには
 議場を退場した多数派議員こそが「議会規則の懲罰規定」に違反したのだの発言に拍手が起 きたのである。 ところが、北海道新聞の記事には(これらの論議)も(論議の雰囲気)も記されていない。 なぜであろうか。

(4)6月18日までは「札幌市議会規則」はネットで公開されていた(読むことができた)のである。ところが、突然ネツト公開が消えた(読めなくなった)ことを討論会場で話し合われた。ところが、この報告も論議も北海道新聞の取材記事には書かれていない。

(5)そして、当日の論議では「松浦議員を除名して白石区の次点(自民党)候補を繰り上げ当選にするために水面下で策謀があった」との会場発言が複数回なされたのである。

(6) さらに、21日の「新聞記事の書き出し」は [札幌市議会の5月の臨時会で、臨時議長として議会を空転させた松浦忠市議(79)への懲罰で…… ] である。
 だが、(市議会が8時間空転したのは多数の議員が(手招きし合って)議場から出て行ったからである)との見解もあるのだから、この「記事の書き出し」も執筆記者の意図的作文に見えてくるではないか。

 執筆記者は公開討論の論議を正確に報道すれば「21日の本会議での除名決議の妨げになる」と多数会派の思惑 (白石区の次点(自民党)候補の繰り上げ当選)を忖度したのであろう。

・現在日本は (多数議席なら如何なることも議決できる)かの風潮が蔓延している。
・メディアも、この風潮に(今この場面がまさにジャーナリストの役割のときに) 権力に靡いているのではあるまいか。
・なぜ公開討論の会場取材をした記者が(論議の肝)を意図的に省略したのであろうか。
・北海道新聞社内では(論議の肝)を省略することで(多数会派を忖度することが)人事昇進になるのであろうか。
・加計問題で経済産業省の官僚が「記憶に御座いません」を繰り返した光景が覗われる

公開討論・札幌市議会の除名問題
(カテゴリー: 自治体学理論
  公開討論「札幌市議会の除名問題」

Ⅰ なぜ、多数派議員は
  「立候補方式の議長選出」を嫌がったのか
・臨時議長提案の立候補方式に賛成しても「多数派で約定していたとおりの結果」になって、臨時議会は短時間で終了して、「8時間の空転」はなかったのである。
・一斉退場してまで嫌がったのはなぜであろうか
・立候補方式の議長選出では「コマル理由」があるのだろうか
・多数派議員が主張した「議会慣例」は、(二人の議員を除外した) 「会派交渉会の約定」である。議会の外での約定である。
 
Ⅱ 議会不信
・議会は信頼されていない。議会は(あっても無くても)同じだと言われている。
・議会不要論の声さえもある。
・議会不信の根源は、長年続けている「議会慣例の踏襲」である。
・新人議員は議会慣例を「良くない」「オカシイ」と(最初は)思うのだが (諦めて慣れて) 『議員』に化身する。

Ⅲ 議会の会派
・会派とは「議会の役職」を獲得するための集まりである。政策研鑽は空虚な美辞である。
・会派弊害の第一は(会派のリーダー)=(会派ボス)か、「会派決定」の名で個々の議員の「議案評決権」をも拘束することにある。
・今回の「慣例」に固執したのは、「会派交渉会の約定」で「議会運営を取り仕切る」の慣行が(崩れる=揺らぐ)を怖れたからである。会派ボスの権限が揺らぐからである。

Ⅳ 議員の除名
・除名は (有権者市民が選出し信託した議員)の資格を多数の議員が剥奪することであるから明白な理由が無くてはならない。議席多数なら(何でもできる)かのごとき今日の風潮は厳に正さなくてはならぬ。
・議員の取替は信託契約解舒権を有する有権者市民のみである。
・であるから、議会は除名相当の客観的で明証な事情を公表して、「資格剥奪の判断は有権者市民に委ねるべきである。 
・今回の札幌市議会の事態で咎められるべきは「一斉退場して臨時本会議を空転させた多数派議員である。
民主主義と自治体議会
(カテゴリー: 自治体学理論
「民主主義と自治体議会」 (公開研究会)
      と き 2019年6月20日 13.00-15.00 
      ところ クリスチャンセンター504号室
      主 催 自治体政策研究所

  研究主題
   ・議会慣例と議会運営
   ・議会会派と議員の評決権
   ・民主的議会運営と議員除名(議員資格剥奪)
   ・事例研究-札幌市議会の除名問題

 現在の日本社会は民主主義と言えるであろうか、議会は議席多数なら何事でも議決できるのか、を公開討論する。
NHKの「さらなる安倍チャンネル化」
(カテゴリー: メディア批評
   NHKのさらなる「安倍チャンネル化」

「NHKとメディアの「今」を考える会」などの諸団体が「NHKのさらなる安倍チャンネル化」に反対する下記文書をNHKに提出する。

                        2019年6月25日 
  NHK会長 上田良一様
  NHK経営委員会 経営委員各位

 NHK上田良一会長、並びに経営委員会委員のみなさま。
 私たちは先般、4月22日に、「板野裕爾氏をNHK専務理事に任命する決定の撤回を要求します」と題した文書をお届けし、板野裕爾氏の専務理事への任命を撤回するよう多くの団体、個人とともに要求しました。
 籾井勝人会長時代に放送総局長だった人物を再び専務理事に復帰させる人事に対しては、全国から抗議や批判がNHKに多数寄せられたと承知しています。
 しかし、4月25日、こうした声を顧慮することなく任命人事が強行されました。まずこのことに強く抗議します。上田会長には板野専務理事を解任されるよう求めるとともに、経営委員会には、任命の同意を見直し、板野氏を解任するよう会長に勧告するなどの措置をとられるよう要求します。 この要求は、次の二点の理由によります。

1) 板野氏に関するメディアの報道は、ほとんど一致して板野氏が官邸とパイプを持つ人物だと評しました。「官邸と太いパイプを持ち、政権の意向を番組に反映させたと言われる」(「毎日新聞」4月9日)「『官邸に近い人物』(NHK幹部)との評価がある」(「朝日新聞」4月10日)「板野氏が杉田和博官房副長官と極めて親しいことは周知の事実」(雑誌『選択』19年5月号)などはその代表的な例です。こうした報道について、NHKは公式に否定していません。政権とパイプを持つ、と一致して評される人物が執行部で重要な地位を占める事態は、政府からの独立を求められるNHKにとって重大な障害となります。
 また、一部報道に、この人事は板野氏が次期会長になるための布石だという指摘があります。もしそうであれば、かつて籾井会長を支えた人物がNHK会長になることになり、論外です。
板野氏が専務理事にとどまること自体が危険であり、警戒せざるをえません。

2)板野氏が執行部の一員であることによって、NHKの政治報道の政権広報的な傾向がさらに強まる恐れあります。
  板野氏が放送総局長を務めた2014年4月からの2年間の報道については、「政権の意向を忖度したのではないか」などの厳しい批判が相次ぎました。
 2014年の集団的自衛権閣議決定に関する報道では、磯崎陽輔首相補佐官、公明党山口那津男代表、高村正彦自民党副総裁の政府与党側の3人をスタジオ生出演させるなど、政府与党の主張や動きを長時間伝えました。
 その一方、批判的な議論や反対運動はほとんどとりあげないといった政府寄りの異様な報道に終始しました。同じく14年の総選挙報道では、投票日前に予定されていたNHKスペシャル「子どもの未来を救え~貧困の連鎖を断ち切るために~」の放送が選挙後に延期されました。局内では、政権批判につながるのを恐れて延期した、という批判の声がありました。
 2015年の安保法国会審議報道では、「わが国への攻撃の意思のない国も攻撃できる」「核兵器の運搬も可能」「ISへの攻撃の後方支援も可能」といった法案の重要な問題点の審議を伝えず、必ず安倍首相の答弁で終わる放送で、事実上政権の宣伝に貢献しました。

 以上は板野放送総局長時代の一部の事例にすぎません。このような一連の報道姿勢は、「NHKはアベチャンネル」という市民の批判を招き、2015年8月にはおよそ1000人の市民が放送センターを包囲し抗議の声を上げる、というNHKの歴史上前代未聞の事態も生まれています。
 また、「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスターを、現場がすべて続投を提案していたにもかかわらず降板させたのは当時の板野放送総局長でした。
  理事会での板野氏の担務は、直接放送内容にかかわるものではない、とされています。しかし、籾井会長時代の政治報道を主導した人物が執行部に存在することの影響を懸念せざるを得ません。
 板野氏の専務理事就任は、NHKへの視聴者の期待と要求に逆行するものであり、この人事でNHKの報道が政権広報の傾向を強めることになれば、視聴者の知る権利をさらに侵害する結果を招きます。
 私たちは、以上の理由から板野専務理事の解任を強く求めるものです。
札幌市議会を傍聴した市民が全議員に公開質問状
(カテゴリー: 自治体学理論
     札幌市議会を傍聴した市民が全議員に公開質問状

「8時間空転」の札幌市議会本会議を傍聴していた市民の方々が、(議会のあり方)と(議員の態度)に驚愕して、議員全員に下記の質問状を提出して回答を求めた。

                      令和元年6月4日
札幌市議会議員各位
     
        議会運営に対する質問状       

5月13日に、初めて議会の傍聴をして、ひどく衝撃を受けました。
令和元年第一回臨時会が混乱した理由は、松浦議員だけが問題のように報道されていますが、お互いが自分の主張を通すことだけに固執し、解決に向けて建設的に話し合われなかったことだと考えます。そして、松浦議員以外の議員が全員無断で退出し、議会をボイコットしたことは問題にならないのかと疑問に思いました。
そして、再開された議会は真剣な議論を交わすものではなく、質問は数回で打ち切られ、淡々と採決が行われ、時間通りに終わることにも驚きました。会議の前に事前の打ち合わせが行われているとしか考えられず、市議会とは結論ありきの議会なのかととても不思議でした。このままでは議会不信、政治不信は募るばかりです。
質問1:臨時議長が提案した立候補方式を頑なに拒否し、臨時議長を解任してまで議長選出方式にこだわった理由を、分かりやすく回答をお願いします。
質問2:議会混乱の時に発言をしなかった議員は、この場をどうすれば解決できると考えていたのか、発言をしなかった理由も合わせて回答をお願いします。
質問3:市民が政治に期待できるように、議会改革をどのように進めていくのか、具体的に回答をお願いします。

  以上、6月15日までに書面にて回答をお願いします。

        札幌市●●●●●★★★★
         札幌市民傍聴チーム 〇〇〇〇  印

自治体議会の改革ー会派の弊害
(カテゴリー: 自治体議会の改革
  自治体議会の改革  

1議会不信
選挙の翌日に、有権者は「陳情・請願の立場」に逆転して、首長と議員は「白紙委任」の如く身勝手にふるまう。そのため、行政と議会に対する市民の不信は高まり、代表民主制度が形骸化し「議会不要論」の声さえも生じている。
選挙は「信頼委託契約」であって「白紙委任」ではない。身勝手な代表権限の行使運営は「信託契約違反」である。
 北海道議会では「質問と答弁」を事前にスリ合わせる「答弁調整」を本会議でも委員会でも続けており、世間から「まるで学芸会だ」と批判されている。
 北海道議会も札幌市議会も議員の年間収入は2000万円を超えており「金額にふさわしい議員活動をしているのか」の批判がある。 行政不信も根強く存在する。
 例えば、北海道庁も札幌市役所も「職務よりも昇進」の人事制度になっており、課長以上の幹部職員は2年で異動する。腰を据えて職務に専念する人事制度になっていない。だが、知事も市長もその状態を改めようとしない。
職員も「上役の意向」を忖度して仕事をしているから「どちらを向いて仕事しているのか」との批判が根強くある。
 これらが行政不信・議会不信の根源にある。

2 議会改革の論点
①議員不信と議員特権
議員不信の主要な原因は「何をやっているのか」が分らないことである。議員は当選したその日から「異なる世界」の人になる。新人議員も次第に『議員』に化身する。議員になる前に「改めるべきだ」と言っていた「議会改革の問題点」も「二枚舌の思考回路」で正当化して自己弁護するようになる。初心を堅持する議員も存在するが例外的少数である。大抵の議員は有形無形の不利益・圧力に妥協して『議員』に変身する。『議員』に変身するのは、(議員になってみれば分かることのようだが) 積年の慣例が形成してきた「議員特権」に捕り込まれるからである。
「議員を稼業とする人は必要なのか」「市民感覚のある普通の市民でよいではないか」「殆ど何も活動しない議員が世間並み以上の年所得を得ているのは妥当なのか」との批判と疑問がある。これが改革の論点である。

②議会開催日
 日本の殆どの自治体議員は高齢の男性議員である。女性議員は極めて少ない。年齢も性別も職業も、議会は地域を代表していない。住民代表議会とは言えないのが実態である。子育て中の年代の人は、議会開催日が平日だから当選しても議員は勤まらない。家計を担う立場の人は「議会開催が夕刻と休日」に改まらなければ立候補できない。家計収入の働きの後の時間で議員活動が出来る制度に改めなくてはなるまい。この制度改正は現在の議会で決議すれば出来るのだが、現在の議員が特権を守るために改めない。改めないから「議会不信」は高まり「議会不要論」が増大するのである。
女性議員を増やすには、女性有権者の全員が(暫くの間は) 女性候補者に投票すれば全員がダントツで当選する。そうすれば、次の選挙には女性候補者が増えて再び全員が上位当選する。かくして「フィンランド議会」や「ルワンダの議会」のように「半数は女性議員」になる。

③議員の数と報酬
現在、全国的に「痛みを共にして」の言い方で、議会が議員定数を減らしている。だが「議員の数を減らす」のではなくて「議会不信と議員特権を改める」ことである。議員の数が減るのを喜ぶのは首長と幹部職員である。定数減は議会の監視力を弱める。監視力低下のツケは住民に還ってくるのだ。住民が定数減に賛同するのは「議会不信」が根底にあるからだが、それは浅慮である。経費のことを言うのならば「議員報酬を日当制」に改めることである。この意見に議員からは「日当制では人材が集まらない」「成り手がいなくなる」との反論がある。
 北海道議会は定数106名である。札幌市内選出の道会議員は 28 名である。この現状に対して「政令市は府県並の権限だから札幌区域は各区一名くらいでよい」「人口割定数に合理性はないのだ」「その分を過疎地域に割り振るのもよい」との意見がある。
現代社会は「NPO活動の市民感覚」が「議員特権の議員感覚」を超えているのだから「職業議員が必要であろうか」「市民感覚のあるアマチュア議員がよい」の意見もある。

④政務調査費
 政務調査費を「全員に同額を前渡する」のは「公金詐欺取得」になりかねない(現になっている)。「調査活動の実費」が必要であるのなら、使途明細と証票を添付して「事後に請求する制度」に改めることである。事後請求を「面倒だ」の理由で改正を拒む議員は「公金への感覚麻痺」である。それが「議会不信」の原因であり「議会不要論」の遠因である。

3 議会の会派
会派とは、議長、副議長、常任委員長などの役職配分を獲得するための「集まり」である。「政策会派」は名ばかりで、実態は「便宜と利害」の集まりである。会派害悪の第一は、(密室取引のボス議員)が「会派決定」の名目で議員の評決権を拘束することである。議員の評決権は議員固有の権利であり責務である。議員はそれぞれが選挙で所見を披歴し有権者と信託契約を結んだのであるから「会派決定に縛られる議員」は有権者に対する背信である。「会派決定」を「評決権」の上位と考える議員は失格議員である。議案ごとに会派を超えて連携して評決するのが議員本来の責務である。 

4与党と野党
中央政治の政党系列を自治体議会に持ち込むのは間違いである。自治体議会は「議院内閣制の国会」とは制度原理が異なるのである。自治体は二元代表制の「機関対立制度」であるから、自治体議会に与党・野党が存在してはならない。議会の全体が執行部と向かい合うのが自治体議会である。「与党だから批判質問をしない」という議員は「制度無智」であり「有権者への背信」である。
「オール与党の馴合い」も「感情的に対立する」のも、議会制度の自殺行為である。最近「機関対立制度」を誤認して(意図的に誤認して)、「議会基本条例の制定」が急速に広がっている。
 
5議会の慣例
諸悪の根源は因循姑息の議会慣例にある。「密室取引の慣例」が不透明議会(議会不信)の根源である。
今や自治体議会は「不信」の代名詞になっているのである。「議会ほど信用されていないものはない」と言われている。
 今回(2019-5-13)の、札幌市議会本会議空転の真相は密室取引の(会派交渉)にある。

「まちを愛する普通の市民」が議員になれる制度に改めなくてはならぬ。議会開催を「休日と平日の夕刻」にして「普通の人が立候補できる制度」に改める。これが議会改革の第一歩である。有権者も「目先利益の住民」から「公共性の意識で行動する市民」へと自身を成熟させねばなるまい。





札幌市議会九時間空転の真相 (2019年5月13日)
(カテゴリー: 自治体学理論
  札幌市議会九時間空転の真相

 2019年5月13日、札幌市議会本会議が「議長選出を巡って9時間空転した」とのニュース報道がなされた。
5月14日のANNニュースは、この混乱は(多数議員の慣例による議長選出方式)と(松浦臨時議長の立候補による選出方式)との対立であると解説して報道した。
 この解説報道は「何が真の論点なのか」を正当に伝えていない。
 議長の提案は本会議場での「正規な提案」である。
他方の「多数議員の動議案」は(二人の議員を除外しての会派代表による約定案)である。しかも(議会の外での約定)である。議長選出方式の正当な対立とは言えない。

「混乱の真相」は、多数議員がなぜ「立候補方式による選出方式」を「嫌がったのか」である。

[本会議空転の真相を: http://jichitaigaku.blog75.fc2.com/ に掲載したのでご覧下されば幸甚です]
 そして下記の「本会議録画映像」をぜひご覧頂きたい。
 http://www.sapporo-city.stream.jfit.co.jp/…

1 問題は、多数議員はなぜ「立候補による議長選出方式」を嫌がったのか。なぜ臨時議長の立候補方式の提案に賛同しないのかである。賛同しても結果は「会派の約定」どおりになったのではあるまいか。それを(議場を退場してでも「立候補方式での議長選出」を嫌がったのはなぜであるか。
   
 これが「九時間空転の真相」である。

・当日議会を傍聴された市民の方々に「なぜ立候補方式を嫌
 がるのか」を考えて頂きたい。
・テレビ・新聞の記者の方々は真相を洞察して報道して頂き
 たい。
  
2、本会議空転の原因(責任)は、
(立候補方式を提案した松浦議長にある)のではなく、
(手招きし合って退席した多数議員にある)のではあるまいか。 前記の(札幌市議会公開映像)をご覧頂きたい。
(自民会派内で内定している議員が立候補すれば)臨時議会は短時間に終了したのである。臨時議会は空転しなかったのである。

 5月15日のテレビニュースは、札幌市議会の各会派が松浦議員の懲罰動議を提出したと報道した。
 (懲罰云々を言うのならば)、本会議進行中に(濫りに)退場した多数議員こそが(咎められること)ではあるまいか。明白な議会規則違反行為であるのだから。

そしてさらに
・慣例と称する「会派交渉会」の約定(取り決め)は、選挙前の前任任期の議員による約定である。そしてその「会派交渉会」には松浦議員と石川議員は除外されているのである。
 交渉会を仕切っている飯島議員に、松浦議員が「私も加わった場での約定ならば従いますが、そうでないのだから、法律どおりに臨時議会を運びますよ)と本会議前に言ってあったとのことである。

 多数議員が声高に唱える「慣例」は「会派交渉会の約定」である。すなわち
  多数第一会派が 議長を
    第二会派が 副議長を
    第三会派  監査委員
    第四会派  監査委員 である。
ところで、
 公明も共産も議員10名の同数であるから
 (慣例では)監査委員は公明と共産である。
  ところが (市長が多数会派と協議し忖度して)
  監査委員は公明と自民に定まった。
  (議会慣例とは所詮はこのようなものである)

 そもそも会派とは何か。
会派とは「議会の役職を(獲得)する」ための集まりである。
 (政策研鑽のため)は空虚な美辞である。実態は(密室取引をするボス議員)が「会派決定の名目で議員の評決権」を拘束する集まりである。
 「会派の弊害」を「ブログ・自治体学」に近日掲載する。

3 議会不信ー前例・慣例の見直し
今日、国会も地方議会も「議会不信」が広がり、「代表民主制の危機」と言われている。「議会改革の勘所」は「慣例踏襲の見直し」である。
 であるから、新人議員だけでなく古参議員さえも (選挙のときには)「議会改革」を唱える。市民は「議会は何をやっているのか」と「議会不信」を嘆息するが 嘆くのでなく「慣例踏襲の真相」を見抜く思考力を高めなくてはならぬ。

この世は今、(議員多数ならば) [何でも押し通せる] ご時勢である。
安倍晋三は祖父岸信介の墓前に「憲法は改めました」と報告を捧げる事態にあり、有権者の多数がこれを支持し、メディアの人々は政権に靡き自粛抑制し、NHK内部の人事は(かつての会長を超える安倍政権よりの人物)になり、官僚は「記憶にありません」で世渡りする。見識と気骨ある議員は国会にも自治体にも見当たらず、行政職員の委縮が広がっている。かつての自治体学会設立時の活気が乏しいのではあるまいか。
 
(1)多数議員が「立候補方式」を嫌がったのはなぜか
(なぜ嫌がるのか)
(2)そもそも議会会派とは何か、会派の弊害は何か、を
  筆者ブログ「: http://jichitaigaku.blog75.fc2.com/」に近日掲載する。
 
松下圭一著『政策型思考と政治』を読む
(カテゴリー: 研究ノート・書評
 『政策型思考と政治』を読む
    (政策型思考研究会)

松下圭一著『政策型思考と政治』は「市民政治理論の体系書」である。
本稿は北海道の市町村職員と北海道庁職員が「政策型思考研究会」の名称で開始した読書研究会の『論集』」に掲載した筆者の所見である。

全頁を2年9月で完読した。
 この書物が出版されて以来、全国各地でこの本をテキストにした読書会が数多く開かれたが「扉のことば」から「あとがき」までを完読した読書会は少ないであろう。
 この書物は「政治・政策と市民」の理論体系書である。完読するには集中力の持続が必要である。大抵の読書会は息切れして途中で終息する。
 月一回(毎回一章)での進行と定めた。勤務後の短い時間で一章を討論して理解するのは困難である。困難ではあるが、そうしなければ完読できない。理論体系書であるから完読しなければ意味がない。だが理論体系書であるからどの章も他の章と密接につながっている。次の章で前章の意味と用語が判然としてくること屡々であった。
 目次に付けられている※印は、体系理論の区分であるから、その区切りで論議をして咀嚼理解を助け合った。また、巻末の用語索引も重宝した。索引に示されているページを開いて横に読めば用語の意味が判然とする。
語句に付けられている四種の括弧「」『』<>《》の意味もその都度話し合った。

論議するべき点を見出すため毎回、報告者を定めた。報告者は何回も読み返してメモ
を作成した。だが、「テキストの用語と文章」で「このようなことが書いてある」の説明は不可とした。全員が読んできているのだからテキストの復唱報告は時間の浪費である。そしてまた、自分の言葉で言えなければ真に分かったにならない。 
研究会であるから、報告者が「成るほどと思ったこと」「意味が分からない用語」「このような理解でよいだろうか」を話し合った。

松下教授の本を難解だと言う人が少なくない。文体が馴染めないと言う人もいる。問題は「なぜ難解だと思い馴染めないと感じるか」である。難解だと思うのは「規範概念」と「規範論理」で論述されているからである。
 この書物を納得し理解するには、読む人自身の「基礎概念」の再吟味が不可欠である。
だが、人は誰しも自身の「思考の基本枠組」や「基礎概念」の問い直しは苦痛である。無意識的に「難解の防御壁」をめぐらすのである。そして基礎概念の再吟味を拒む人には本書の理解は困難である。
 戦争前も戦争中も戦後も「国家統治」「国家統治の国家学」が正統学であった。この本は(目次の扉に書かれているように「国家観念との別れの書である」。国家学理論を転倒する「市民自治の理論書」であるから、易しい筈はないのである。
問題は「読んで成る程と納得するか否か」である。「確かにそうだと思うかどうか」である。納得すれば次第に難解と思わなくなる。そしていつの間にか分かりやすい書物になる。
 例えば、実際の話として、松下教授の書物が刊行されるたびに学習会を続けている大阪の市民文化団体の人達は「松下さんの本はどれも分かりやすくて読みやすいですな」と言う。明治以来の国家学理論に呪縛されていないからである。自立した市民だからである。

研究会の人達は、いつの間にか、当初は難解だと言っていた概念・用語で語り合うようになった。そして例えば、岩波新書「日本の自治・分権」「政治・行政の考え方」を、分かりやすいと言うようになった。それは、漠然とした理解のままではあっても毎回一章を読
んだ悪戦苦闘の手探りの読書研究会の成果であった。そしてなによりの成果は、自治体職員が自身の仕事を市民の立場で考えるようになったことである。
 「政府間関係理論」や「政府信託理論」で「道庁と市役所・役場のあるべき関係」を語り合い、自治体をめぐる様々な現実の問題を「政策情報・市民自治・政策開発・参加手続・市民と住民」の概念を使って考えるようになった。つまり、研究会メンバーが「考察する視座」を持ったのである。それは「国家統治の官庁理論」の呪縛から自らを解き放ち、「市民自治の自治体理論」の考え方を確立したと言えるであろう。地方公務員から自治体職員への自己変革である。

筆者はこの書物を北大大学院で政治学演習のテキストに使用した。北海学園大学院でもテキストにした。「思考の座標軸」を形成するに最適の書であると考えたからである。すなわち、現在日本は「都市的生活様式が全般化した社会」である。山村、僻地、離島にも工業文明的生活様式・情報産業的生活スタイルが広がっている。そして「前例のない公共課題」が噴出している。前例のない課題であるから政策課題として設定できないでいる。前例なき課題であるから、これまでの手法は役に立たない。「何が課題で何が方策か」を考えるには思考の座標軸が不可欠必要である。
 学問も理論構成の前提条件がガラリ変わっているのだから「思考枠組み」と「基礎概念」の再吟味が不可欠である。
 この書物は「思考の座標軸」を形成するに最適の書である。 (1998年8月)
松下圭一「市民政治理論の骨格」
(カテゴリー: 自治体学理論
  松下市民政治理論の三つの骨格

 1 市民自治
  ア 「国家統治」と「市民自治」
  イ「市民」と「自治体」
 2 都市型社会
 3 政策型思考

 現在日本は民主主義と言えるであろうか。 
 今の日本社会は(間違っていること)を(間違ている)とハッキリ言わない。
「安倍晋三は前に言ったことと真逆のことを平然と言う」と思っても「人前ではそのことを話さないのが良い」と思っている。これが現在の日本社会である。
 
 市民政治理論は「国家は統治主体ではない」「市民が政治主体である」とする理論である。ところが、国会議員と官僚は国家が統治主体だと思っている。学者も「統治権の主体は国家である」と講義して、国民を国家の一要素とする「国家三要素説」を教説する。
 松下圭一教授は、岩波新書『市民自治の憲法理論』で、民主政治は「国家が国民を統治する」ではない。市民が「政府に権限を信託して政府を制御する」である、と明解に論述した。
 1975年にこの本が出版されたとき憲法学者も行政法学者も政治学者も、誰も反論できなかった。「松下ショック」と言われた。
 ところが、憲法と行政法の学者は明治憲法理論の「国家統治理論」を現在も言説し続けているのである。なぜであろうか。
 これが、「現在日本の民主主義」の根本論点である。

 松下理論は「市民が自治共和の主体である」とする市民政治理論である。
 市民政治理論が民主主義の政治理論である。

詳細は下記をご覧ください
  1 https://www.youtube.com/watch?v=3WJoqoXyLzY

2 https://drive.google.com/file/d/11JJSU1IEdAJwRbH8ilMvhEc8IDOdd349/view?usp=sharing
北海学園大学開発研究所「開発論集103号」・「松下圭一・市民政治理論の骨格

札幌「市民の風」の方々へ
(カテゴリー: 政策提言
  「市民の風」の方々へ

今日の危機的な政治情勢で自民公明からの支持をも受け入れる(支持を得ようとする)候補者を信頼できるであろうか。(秋元から要請したのではなかった)で(それならばよい)の問題ではない。
かつて、
 東京電力労組の(会社利益・自己利益)の要求で東京都知事選挙で民主党は 「原発再稼働反対」を掲げない舛添候補を支持し支援した。
「市民の風」の方々は、「立憲、国民、社民、市民ネットが秋元を支持したから」ではなくて、自由で自立した市民運動ならば「相乗り」を問題視するべきではないのか。そしてまた、立憲、国民、社民、市民ネットの方々は(目先の自己利益でなくて)、なぜ渡辺候補の統一支援の輪の広がりに向かわなかったのか。

  今重要なのは(将来をも見据えて)の反(自民・公明)の連帯行動を重視することであろう。
 「運動内部の対立拡大を防ぐために」の言辞は (為すべきを為さずして)の遁辞(逃げ向上)に見える。 上田代表世話人は(現に)秋元選挙応援に顔を出している。「上田個人の行動だ」と言い張っても「市民の風」の行動として世間には拡がる。
 上田氏は、真剣マジメに(安倍晋三の邪悪魂胆を阻止する人)に見えない。かくして、市民運動も(相乗り政党と同じ程度の)「所詮そんなもの」になる。
 札幌「市民の風」の方々にお訊ねしたい。
(カテゴリー: 政策提言
 札幌「市民の風」の方々にお訊ねしたい。

 国会では「自民・公明」の多数議席の横暴が続いており、安倍晋三は東アジアの緊張を高める言動を意図的にくり返している。それは、祖父岸信介の墓前に「憲法改変をやり遂げました」 の報告を捧げるための言動である。
 
 安倍晋三の邪悪な意図を阻止しなくてはならない。
 「戦争をしない平和な日本」つくらなくてはならない。
 それには
参議院選挙の前哨戦だと言われている北海道知事と札幌市長の選挙はとても重要です。自民・公明に対決する勢力の結集が必要です。

 沖縄の方々は
  暴力装置そのものと化した日本政府による辺野古新基地建設強行への緊迫した危機感のもと本土の市民運動を見つめています。
 ところが、
  札幌「市民の風」は (道知事選挙では政治勢力の結集に参加したが) 札幌市長選挙は「自民公明が支持する(現職市長)の候補者」に(相乗り)して、反(自民・公明)の勢力結集を避けた。 何故であろうか。
私の友人の説明では
  「市民の風」の主だった方々は代表世話人である上田氏の(現職市長との親密関係を続けたい)の意向を「忖度して反対できないからだ」とのことです。
 これが真実ならば、まことに奇怪であり 自由公正な市民運動と言い得ない。
 「市民の風」と呼称することも辻褄が合わないと思う。
        
   
都市型社会とは
(カテゴリー: 自治体学理論
  「都市型社会」

松下理論の骨格の第二は「都市型社会」である。
都市型社会とは、農村・山村・漁村・僻地にも「工業文明的生活様式」が全般化した社会のことである。「都市型社会」は「都市地域の社会」のことではない。同様に「農村型社会」も農村地域の社会のことではない。
「都市型社会」とは、現代社会を「如何なる社会」であるかを認識するための用語である。理論構成の前提条件である社会構造の変化を認識するための用語である。
 多くの学者は、理論構成の前提である社会構造が「ガラリ変わっている」ことを認識理解しない(理論構成できない)のである。

 人類発生以来、狩猟・採集の社会であった。やがて農業技術を発明して定着農業の社会(農村型社会)になった。人類史上、第一の大転換であった。この農村型社会は数千年続いた。そして16-17世紀のヨーロッパに、産業革命(工業化)・市民革命(民主化)による「近代化」が始まり、農村型社会(身分と共同体の社会)の解体が始まった。
 さらに、20世紀には工業化(情報技術のさらなる発達)・民主化(民主政治の思想と制度の広がり)が進展して、先進地域から順次に「都市型社会」への移行となった。工業化と民主化が進展して数千年続いた〈農村型社会〉が〈都市型社会〉に大転換したのである。
 だが,都市型社会の成熟に伴い新たな問題が生じる。
工業技術の発達は資源浪費・環境破壊・遺伝子操作・人工生命などの深刻事態を生来し、世界各地では民主政治の危機が生じ独裁国家が台頭している。これらは「民主化による工業化の制御は可能なのか」という文明史的問題である。
工業化の進展が不可避とする「市場原理」と、民主化が誘導する「計画原理」との結合を如何に市民制御するかの問題である。しかしながら深刻事態の否定的側面のみを提示せず発展面をも直視せずばなるまい。

 この問題解決のカギは、市民型人間の「醸成可能性」である。すなわち、都市型社会の成熟によって人々は「余暇と教養の増大」を保持する。そして(数世代をかけて)「人間型の変容」が生じる。すなわち、都市型社会の成熟が「市民型人間の大量醸成」の可能性を齎すのである。可能性ではあるがこの可能性が画期的な事態なのである。
都市型社会では、人々の生活条件の整備は〈共同体〉ではなく〈政策・制度〉という公共政策によって整備される。
講座「民主主義と自治」 (札幌月寒公民館・創造学園)
(カテゴリー: 自治体学理論
2019-1-24 札幌月寒公民館

[1] 民主主義と自治
1)自治
・自治とは重要なことを(人任せにしない)(自分たちがしっかりする)である。
・自治の反対語は統治支配である。
・民主主義は「選挙で権力の座」に就いた人物を「身勝手にさせない」である。
・選挙は「白紙委任のお任せ」ではない。信頼委託契約である。
・信託契約に背反するときは契約を解除するである。
・明治憲法時代の日本の人々は「統治される被治者」であつた。
・日本国中が焼け野原になり300萬人の人が死んで民主主義になったのだが……

2)現在日本は民主主義であろうか。
・今の日本は(間違っていること)を(間違ている)とハッキリ言わない。
・国会では重大な(取返しのできない)ことが(自民と公明の多数議席)で強引に決議され法律になつている。
・「安倍晋三は前言と真逆のことを平然と言う」と思っても、人前ではそのことを「話さないのが良い」と思っている。これが現在の日本社会である。
・日本の新聞とテレビは[重要な政治ニュース]よりも[娯楽・スキャンダル・スポーツニュース]を報道する。人々は次第に政治に無知になり無関心になる。
・(官邸のメディア監視班)が「政権批判報道」を監視して、新聞テレビの経営者を警告し自粛させている。
・日本の「報道の自由度」国際ランキングは、主要7カ国(G7)で最下位72位。東アジアでは、台湾が最高45位、韓国63位、日本72位、香港73位、中国176位。世界最下位は北朝鮮。

[2] 民主主義
1)天皇退位と新元号
・人々が「新元号」を予測したり話し合えるのは日本社会が民主主義だからである。
・天皇退位も日本が民主国になっているからである。(だが猛烈に反対する人もいる)
・日本でいちばん民主的なお方は天皇である。
・憲法を大切にされ平和を望んでいらっしゃるのは天皇である。
・安倍晋三は憲法を「占領憲法」と言って蔑視している。(本心は岸信介の墓前に…)

2)沖縄辺野古湾に土砂投入
・普天間基地の代替名目で本格的な米軍基地を辺野古に建設している。
・メディアの扱いは「重大ニュース」ではない。これが現在日本の報道である。
・そしてNHKは「安倍首相が辺野古のサンゴや絶滅危惧種は別の場所に移していると説明した」と報道した。大久保教授(東京経済大学・海洋生物学)が「それは事実と異なる」とコメントした(東京新聞1月9日24面)。
・安倍首相と菅官房長官は「沖縄の人々に寄り添う」と言いながら機動隊に守らせて「問答無用の土砂投入」を強行している。
・天皇は沖縄に11回も訪問され沖縄の人々の心に寄り添われた。地震・台風の災害地にも度々出かけて被災者にお声をかけられ天皇への敬愛を高められた。

3) 行政権力の私物化 (不公正・不公平・不透明)
・国民の七割が「森友問題と加計問題」を納得していない。
・前川喜平さん(元文部事務次官)は、全国各地から講演を依頼されて安倍政権の「行政の私物化」の実情を語っているので下記をご覧あれ。
https://www.youtube.com/watch?v=FBLOAIiMkW4
(前川喜平さん講演会2018.04.08@名古屋)
https://drive.google.com/file/d/0B3ELOI3faDj6Y1pPcld0dTUtN1U/view?usp=sharing 
(前川喜平(前文部科学省事務次官)講演 2017年10月23日(札幌エルプラザ)

[3] 権力は騙す
1) 言葉で騙す
・いつの時代も権力の座についた者は人々を騙す。臆面もなく平然と嘘を語る。
・(トランプのフェイク)と(安倍晋三の二枚舌)は同じである。
・NHKでは政治部が「ニュース原稿」を訂正して政権批判をさせず政権を擁護する。 
・政治部の岩田明子氏が安倍晋三の取巻きであることはつとに有名である(gougleインターネットにも掲載されている)

2) 安倍政権と警察
・官邸と検察・警察との癒着を見せつけたのが、「森友学園、加計学園」と「安倍晋三の取り巻きジャーナリストである山口敬之氏の準強姦事件だった。いずれも検察と警察が、官邸に忖度して処理した。
・ 国会で繰り返された安倍首相の傲慢な態度と官僚らの誠意の欠片もない答弁など、安倍政権をここまで思い上がらせたのは、「官邸の力」である。首相秘書官や官房長官を“仲間”で固め、内閣人事局の持つ人事権で「霞ヶ関」を支配し、検察警察を牛耳ることで“身内”には(恩を売り)“逆らったもの”には(容赦なく対処)しているからである。下記をご覧あれ。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52209
・元TBS報道局の社会部及び政治部の報道記者である山口敬之氏は安倍首相に最も近いジ ャーナリスト。その山口敬之からレイプされたと27歳の女性が訴えた。逮捕状を携えた刑事が成田空港で逮捕すべく待ち構えていた。そこへ中村格(警視庁刑事部長(当時)から「逮捕は取りやめ」と指示がなされ、そして東京地検は嫌疑不十分を理由に不起訴を決定した。指示をした中村刑事部長は2015年3月まで菅義偉官房長官の秘書官であった。

3) 騙されない思考力
・民主主義は人々が「騙されない賢明さ」を保持して成り立つ。
・その賢明さとは「官邸に追従するメディア」に騙されない思考力である。
・70年前、全国の都市が焼け野原になり300萬を超える人が死んだ。そのとき日本の人々は「鬼畜米英・米英撃滅」「打ちてし止まぬ」と大合唱した。そして今、国立筑波大学生の70%超が「平和憲法を改変しようとする安倍内閣」を支持している(筑波大学新聞339号)のである。そして官僚は保身のために「公文書を改竄し」「記憶にありません」と繰り返すのである。

[4] ゴーン氏の逮捕
・ゴーン氏の逮捕拘留の背景には「日産株43%を保有する(フランス・ルノー)が日産を吸収合併する動きがありゴーン氏がそれに加担し始めたからだ」と憶測されてい。
・「日本の警察は逮捕拘留して弁護士にも家族にも面会させない。嫌疑を認めなければ(自白しなければ)保釈せず長期拘留を続けるのは「人質司法である」との批判が国際社会に高まっている。
・この機会に、戦前からの「警察国家」の(悪しき慣習)を改め、ることが大事ではあるまいか。

[5] 隣の国・韓国
・1910年(明治43年)8月29日、大日本帝国は大韓帝国を併合して支配下に置き、筆舌に絶する非道を35年間続けた。
・いま嫌韓を煽っている人々は、テレビで尤もらしく言説している人々は過ぎし過去の非道を如何ほどに知っているのであろうか。
・隣国との友好を(どうすれば築けるか)(どう考えるのが良いのか)が重要ではあるまいか。
政策型思考とは
(カテゴリー: 自治体学理論
   {
「政策型思考」とはどのようなことか 

 松下圭一市民政治理論の方法論は政策型思考である。
 政策型思考とは「予測」すなわち「構想による仮定の未来」を(目的)におき、現在の資源を(手段)として動員・機動して整序する思考である『政策型思考と政治』137頁)
 松下教授は、自身の方法論を次のように説明している。
『私の社会・政治・行政理論の方法論は「歴史の変化のなかに現実の構造変化を見出し現実の構造変化をおしすすめて歴史の変化をつくりだす」という考え方です』と。
 「歴史の変化をつくりだす」は「規範論理の思考」である。即ち、政策型思考とは「規範論理による思考」である。

 松下理論(著作)が難解と言われるのは規範論理で論述されているからである。
 論理には説明論理と規範論理がある。
 「説明論理」は(事象を事後的に考察して説明する思考(実証性と客観性が重要)である。
 「規範論理」は(あるべき未来)を目的に設定して実現方策を考案する思考(予測性と実効性が重要)である。

(あるべき)とは当為である。(かくありたい)(かくあるべき)は「規範意識」である。
(あるべき未来)は構想であって夢想ではない。未来に実現を予測する構想である
(あるべき未来を構想する)とは「規範概念による思考」である。 

 丸山真男氏は『日本の思想』(岩波新書153頁)に、「である」の思考論理と 「する」の思考論理の違いを説明している。そこに説明されている「する」の思考論理が「規範概念による思考」である。政策型思考は規範論理による思考である。

 松下理論(著作)を難解だと思うのは (お読みになるご自身に)実践体験がないからである。
 「規範概念」と「規範論理」の論述を了解し納得するには、(あるべき未来)を目指して一歩踏み出し、困難な状況に遭遇して、困難を切り拓いた(イクバクかの)体験が必要である。
「あるべき未来」を希求するのは「現状に問題あり」の認識があるからである。問題意識のない状況追随思考の人には(あるべき未来)を構想することはない。
 「構想する」とは「何が解決課題であるか」「解決方策は何か」を模索することである。「何が課題で方策は何か」を模索するには経験的直観が不可欠である。その経験的直観は「困難を怖れず一歩踏み出した実践体験」が齎すのである。

 「人は経験に学ぶ」という格言の意味は、一歩踏み出し困難に遭遇して「経験的直観」を自身のものにするということである。
 「経験的直観」とは「実践の概念認識」即ち「実践の言語表現」である。一歩踏み出し困難に遭遇した実践体験の無い人には「経験的直観」は無縁であり不明である。
 (知っている)と(分かっている)には大きな違いがある。その違いは実践体験の有無である。人は体験しないことは分からないのである。

「実践」と「認識」は相関する。
・毛沢東の『実践論』と『矛盾論』は相互補完しているのである。 (矛盾論は認識論である)
・西田幾多郎の『絶対矛盾的自己同一』というのは、西田自身の禅的実践体験によって到達した「直観認識」である。

1980年代に政策研究活動が自治体に台頭した。台頭したのは、自治体に省庁政策の下請従属の位置から脱出する政策自立の動きが広がったからである。
  政策研究には二種類ある。
・一つは、特定政策を事後的に実証的・客観的に調査分析して説明する(費用と便益などの)研究。行政学の政策研究はこちらである。 
・他の一つは、(政策課題を見出し)(解決実現の方策を考案)する研究である。自治体の政策研究はこちらである。(自治体の政策研究の詳細は、北海学園大学開発研究所「開発論集101号」に掲載した)
書評・『新自治体学入門』 高橋悟(自治体政策研究所理事)
(カテゴリー: 研究ノート・書評
高橋悟さん(自治体政策研究所理事)が
『新自治体学入門』の書評を
「地方行政誌」に掲載して下さいました。
下記をご覧下されば幸いです。
https://drive.google.com/file/d/1yHOkceOP8FsphH0dKI5FspZtzAo8J4ix/view?usp=sharing

切れのある文章を書く人は多いが、本書の著者ほど曖昧さを排除し明晰な文章を書く人は少ない。刊行から10年が経つ本書ではあるが、ここに提示されている論点は今なお新しく鮮烈だ。
 機関委任事務制度の廃止などを主な内容とする2000年の分権改革に先立ち、わが国の自治の歴史上特筆すべき2つの出来事があった。
1つは1960年代における松下圭一理論の登場であり、もう1つは1980年代における自治体学会の設立である。
 本書の著者である森啓先生(現在北海学園大学法科大学院講師)は、この自治体学会の設立に深くかかわった一人である。中心的役割を演じたと言ってもよい。その経緯は、本書の第10章に詳しいが、学者・研究者だけではなく自治体職員や市民を交えた学会の設立は、自治の歴史上画期的な出来事であった。
 著者は、元神奈川県職員であり、自治総合研究センター研究部長などを歴任し、退職後、北海道大学に転じた。その後、北海学園大学で日本で初めて専門科目としての「自治体学」の講座を開講する。このように自治の現場を体験し、自治体学会の設立に深くかかわった著者の手になる本書は、自治体学の理論の集大成であるとともに入門書としても最適だ。
 本書で一貫して追求しているのは、わが国の政治・行政の考え方を「国家統治」から「市民自治」に組み替え、住み続けたいまち
を実現することである。     
 その具体的な実践が、かつて全国に大きなうねりとなって波及し自治体のあり方を変えていった文化行政と政策研究であった。
 本書第3章「市民力と職員力」では、文化行政を「住み続けていたいと思い住みつづけることを誇りに思える地域社会をつくる市民と行政職員の協働の営為」と定義している。留意すべきは、ここで言う「協働」の意味が「自己革新」した「市民と行政職員の協力」を指す点にある。学者が訳知り顔に言う「コラボレーションの訳語」ではないのだ。 
 「自己革新」つまり「主体の変革」とは、自らの価値軸を「国家統治」から「市民自治」へと転換することだ。しかし、その前には様々な壁が立ちふさがる。いかに突破していくか。著者は本書のいたるところで読者に対し「一歩前に出る」勇気を鼓舞しているように思われる。
 一方で著者は「状況追随思考」が蔓延する現状に対して警鐘を鳴らす。「自治基本条例」や「町村合併」などの自治体の最重要事項は議会の議決だけで決定するのではなく、住民投票を行うべきとする主張は大いにうなずける。
 自治体理論は、松下圭一教授の民主主義理論を基本前提として、価値軸の転換を促すための実践を自治体レベルで追求した理論とみることができよう。つまり自治体学は、松下教授と自治体職員との「共同創造理論」であるとともに松下理論の「発展型」なのだ。
 誤解を恐れずに言えば、自治体学は「科学」ではない。それは、自治の現場での“実体験”と多くの“まちづくり事例”に裏付けられた「未来の可能性」への「確信」である。 自治の現場で模索を続ける市民、自治体職員にぜひとも読んでいただきたい一書だ。
   (高橋 悟=自治体政策研究所理事) 

NHK政治報道の政権癒着・迎合に抗議する
(カテゴリー: 民主主義
放送法を遵守し“自主・自立”の報道を
~NHK政治報道の政権癒着・迎合に抗議する~
2018年11月16日
NHKとメディアの「今」を考える会

「アベチャンネル」と心ある視聴者・市民から揶揄されているように、最近のNHK政治報道の政権寄り、「政府広報化」は目に余るものがあります。NHKは、優れたドキュメンタリー(毎年8月に集中して放送される、戦争の歴史的事実に目を背けず平和の大切さを訴える特集番組、NHKスペシャル、ETV特集など)、日々放送される教育・福祉番組などで視聴者の高い信頼を得ています。それだけに、政治報道の偏向は公共放送の評価を貶めるもので、受信料を支払うNHKの支え手・視聴者としては残念でなりません。
私たちは、放送法に則り、「何人からも干渉されず、政治的に公平な政治報道」をNHKに強く求めます。

 私たちは、次のような事例を政権寄りに偏向し、政治的公平を欠く報道と受け止めています。
8月26日午後、NHK総合は生中継で、鹿児島県桜島をバックにした安倍首相の自民党総裁選出馬表明を伝えました。そして「今年は明治維新から150年。維新ゆかりの地、鹿児島を発信の地とすることで新しい国づくりへの意欲を示すねらいもあったものと思われます」という、安倍首相の意向を代弁するとも受け取れる政治部記者のコメントも添えました。 
 この放送を見たある民放のTVキャスターは、フェイスブックで「安倍首相総裁選立候補表明のミニ特番をNHKがやってる」と揶揄しました。              
 事実上、首相を選ぶことにつながる自民党総裁選挙ではありますが、一般の有権者には投票権もない一政党の党内の選挙の扱いとしては異常さが際立っています。安倍政権のメディア戦略に安易に追随していると批判されても仕方のないものです。
8月23日、昼のNHKニュースで突然安倍首相が画面に登場し、「台風20号が来るので避難を」と呼びかけ、視聴者を驚かせました。                  
 退職した元NHK報道局幹部は「一言でいえば、この避難呼びかけは気象庁の担当課長が記者会見を開いて行う類のもの。安倍氏が『電波ジャック』をしたようなもの」とフェイスブックに投稿しました。
同様の、安倍政権の災害対応をアピールする戦略に乗せられたも同然の放送は、9月の北海道地震関連で「安倍首相 北海道の停電 8日中にほぼ解消の見込み」、近畿地方を襲った台風関連で「“関西空港の復旧に全力 無電柱化進める考え”首相」と字幕表示するなど数多く見られました。
 私たちは、次のような事例も、政府与党に不都合な事実を報道しない政治的公平を欠く報道と考えています。
10月9日の翁長前知事沖縄県民葬では、安倍首相のメッセージを代読した菅官房長官に、参列者から「帰れ!」「ウソつき!」などのヤジが飛びました。
これをNHKはどう伝えたか民放報道と比較してみます。
テレビ朝日「報道ステーション」は、冒頭のナレーションで「県民葬で怒号」。菅官房長官の代読シーンでは、参列者のヤジを「ウソつき」などの字幕を添えながら数カットで伝えました。
TBS「NEWS23」も参列者のヤジに焦点をあてた報道でした。ナレーションは、「参列者のヤジで会場は騒然」。字幕も「「県民葬でヤジが」。そして菅官房長官の代読と併せて抗議の声をあげる参列者の映像を流しました。
この2番組とは対照的にNHK「ニュースウオッチ9」は、参列者のヤジを全く伝えませんでした。怒号の様子を沖縄の県域ローカルニュースではきちんと放送しましたが、「ニュース7」「ニュースウオッチ9」は玉城デニー知事の式辞と菅官房長官の代読のみで、参列者のヤジには全く触れませんでした。  
政権には不都合な事実ではありますが、首相のメッセージへの沖縄県民の怒りの表明は、それ自体が事件です。それを伝えないのでは政治的公平を欠くと非難されても弁明の余地はないでしょう。
福島在住で沖縄放送局に在職経験のあるNHKOBは、「NHKは、安倍政権にとって気に入らない沖縄や福島など国策にかかわるにニュースを、ローカル(県域)エリアに押し留め、全国放送からはずしている。重要な情報を隠蔽し、国民の知る権利に対し重大な違反行為」と批判しています。
西日本豪雨の際の「赤坂自民亭」パーティ、野田前総務大臣の金融庁への情報漏洩、杉田水脈議員の差別発言などについても、NHKはほとんど報道しませんでした。

 以上、指摘したような政権寄り報道は、視聴者・市民を誤った判断に導きかねません。その責任の重大さは、戦時中、大本営発表を垂れ流して国民を戦争に駆り立てた過ちを例に引くまでもないでしょう。

 事実を正確に伝える客観報道であっても、市民社会の動き、市民団体や野党の主張は伝えず、政府与党のパフォーマンスや、政権に都合のいい一面だけ強調した見解のみを垂れ流すことは、放送法第4条の番組編集準則「政治的に公平であること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」に著しく反する報道と言わねばなりません。
私たちは、改めて放送法の精神を踏まえた「政治的に公平な報道」を求めます。
差し当って以下のような点に留意いただくよう要請するものです。
政権のメディア戦略に安易に便乗せず、政権の政策や主張もファクトチェックし、メディアとしての見識に基づく政治報道を。
「朝鮮半島出身労働者」(戦時中の「旧民間人徴用工」)、「TAG(物品貿易協定)」など、都合の悪い本質を覆い隠して政権が決めた呼称、法案名称などは無批判に使用しない。
政権・与党に不都合な事実も隠さずきちんと伝える。
市民社会や市民団体、野党の動き・見解もきちんと伝える。
政権・与党とは異なる見解、もう一つの見方(専門家・有識者の意見、国際的反響など)も広く伝える
 私たちは、公共放送NHKが、「何人からも干渉されず、政府から自立した政治的公平な報道」に立ち返ることを強く願っています。

<賛同団体>
 アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)
 「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター(VAWW RAC)
 日本ジャーナリスト会議(JCJ)
 放送を語る会
 マスコミ九条の会
 メディアを考える市民の会・ぎふ
北海道自治体学土曜講座・完結講座
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
北海道自治体学土曜講座は 
松下圭一先生追悼『松下理論の今日的意義』 を
主題に2018年10月13日完結しました。

 当日の講義と鼎談を動画でご覧ください。  
1.講 義
「松下圭一 日本を変える」 
    大塚信一(元・岩波書店社長)


「シビルミニマム論と市民参加・職員参加論」
    西尾 勝(東京大学名誉教授)

「松下理論の骨格」       
    森  啓(自治体政策研究所)

2.鼎 談 論 議 
「松下理論の今日的意義」 
    大塚信一、西尾 勝、森 啓(司会)

追悼松下圭一先生ー「松下理論の今日的意義」での論点
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
 北海道自治体学土曜講座(松下理論の今日的意義)での論議
    (2018年10月13日)

 当日の鼎談(大塚信一・西尾勝・森 啓)で、
 (松下先生はゲラ校正を四回目も五回目も真っ赤にして返してくる、なぜであろうか)を話し合った。
 筆者は「北海道自治土曜講の16年」を刊行したときの体験を披露した。(真っ赤になって返ってくる校正)が何回も続いたが、(何処をどうに訂正し補筆したか)をその都度(前回のゲラ)と(今回のゲラ)とを見比べたとき、松下先生の考え(松下理論)が見えてきた。「なるほど・そういうことなんだ」と納得し理解した。その体験を披露した。(本になった文章)だけでは(分からなかった)と思った体験である。であるから、松下理論を研究・理解するには、毎回の真っ赤な校正ゲラはまことに貴重であると思う。
 さて問題は、「なぜ何回も何回も真っ赤に校正するのか」である。解答は松下論稿が「規範概念による政策型思考」だからである。「模索推敲」が不可避だからである。だがこの解説では理解困難であろう。そこで筆者の「松下理論の第三の骨格(松下理論の方法論)」を近日ブログに掲載する。
 当日の論点は
 「なぜ松下先生の本を難解だと多くの人が言うのか」
 「松下理論の方法論はどのようなことか」
 「規範概念、規範論理とはどのようなことか」であった。
 このブログに掲載したいと思う。
 
2018・北海道自治体学土曜講座
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
 北海道自治体学土曜講座(最終講座)

1995年から通算21年をかけて土曜講座がめざしたのは、受講者それ ぞれが「自分の見解を持つ」ことである。その根底に流れているのは、 市民が主体となって社会を管理する「市民自治」であり、それを提唱し た松下理論(=自治体理論)であった。  土曜講座の集大成となる最終回は、参加者自らが未来を切り拓く術を 得られるよう「松下理論の今日的意義」を再考・再確認する場にしたい。 松下理論(自治体理論)を習得し実践することで、中央従属の惰性思考 から脱却していこう。  ついに幕を閉じる土曜講座、ぜひ多くの方々に参加していただきたい。
 この最終講座を、自治体理論を提起され続けた松下圭一先生に捧げる。

主題 松下圭一先生追悼『松下理論の今日的意義』

1.講 義  
  「松下圭一 日本を変える」  大塚信一(元・岩波書店社長)
  「シビルミニマム論と市民参加・職員参加論」
                     西尾 勝(東京大学名誉教授)
  「松下理論の骨格」       森  啓(自治体政策研究所)

2.鼎 談 論 議    「松下理論の今日的意義」  
   大塚信一、西尾 勝、森 啓(司会)

■ 日 時
  10月 13日(土)  13:00 ~ 17:30
■ 参 加 費  無料/申込不要
■ 問い合わせ先   北海道自治体学土曜講座実行委員会  
   (共同代表:森 啓、内田和浩、宮下裕美子)  
    メール  ukazuhir@econ.hokkai-s-u.ac.jp
    電 話  011-841-1161 内線2737(北海学園大学経済学部 内田和浩)  
■ 会 場  北海学園大学 
    教育会館1階AV4番教室 札幌市豊平区旭町4丁目1-40 ※ 駐車場は利用できません
    地下鉄東豊線「学園前駅」下車 3番出口直結

■ 主 催:北海道自治体学土曜講座実行委員会
  共 催:自治体政策研究所/後 援:北海道自治体学会

詳細は下記をご覧ください。
https://drive.google.com/file/d/1Cl2j1iEiNu5lgSWY7uKX__OqTD03LQ5u/view?usp=sharing
追悼松下圭一先生ー「松下理論の今日的意義」
(カテゴリー: 北海道自治体学土曜講座
2018 北海道自治体学土曜講座  2018-10-13(土)(13.00-17.30)

土曜講座が目指すのは受講者それぞれが「自分の見解」をもつことである。
70年代に「市民自治・地方分権・市民参加」の自治体理論が提起され「情報公開条例」などの市民自治制度の制定が始まった。80年代には「まちづくり」の言葉が広がり、全国各地に参画型の市民運動が様々に展開され、自治体職員の自主研究グループが叢生した。かくして1984年10月18日、第一回「自治体政策研究交流会議」が横浜市内で開催され「自治体学会設立」が発議された。1986年5月22日、自治体理論の研鑽を目指す620人が横浜開港記念会館に参集して自治体学会を設立した。
80年代には自治体の政策自立の熱気が高まったのである。
だが中央従属の惰性思考から脱却するには自治体理論の習得と実践が必要である。
自治体理論を提起され続けた松下圭一先生追悼の研究講座を開催する所以である。

松下圭一先生追悼
  「松下理論の今日的意義」

Ⅰ 講 義
大塚信一「松下圭一 日本を変える」  
西尾 勝「シビルミニマム論と市民参加・職員参加論」  
森 啓 「松下理論の骨格」

Ⅱ 鼎談論議 
 「松下理論の今日的意義」
   大塚信一  (元・岩波書店社長)
   西尾 勝  (東京大学名誉教授)
   森 啓(司会) (自治体政策研究所)

会 場   北海学園大学 教育会館1階AV4番教室(札幌市豊平区旭町4丁目1)
地下鉄東豊線「学園前駅」下車。3番出口直結。
参加費 無料
朝日新聞(1979年10月30日・論壇時評
(カテゴリー: 自治体の文化戦略
 さっぽろ自由学校(遊)2018後期講座
「行政文化の改革は可能か」を開講する。
 https://drive.google.com/file/d/1WmasEJmgqF_Fu3xh2zlaMLrY2vUDsE7u/view?usp=sharing

文化行政は自治体から始まり、
朝日新聞(1979年10月30日の「論壇時評」にも紹介された。
 https://drive.google.com/file/d/1R3KZiejtrXETJ4V6cSLuGUq4fHSeECfu/view?usp=sharing
 
文化行政壁新聞「かもめ」の発刊ー (神奈川県教養月報1979年5月1日号への投稿)
(カテゴリー: 自治体の文化戦略
 前回の(文化行政壁新聞の発行)に記載した「庁内広報誌(教養月報)への投稿」記事です。

神奈川県「教養月報」(1979年5月1日号) への投稿
 -文化のための情報誌-「かもめ」の発刊
                          森 啓  

一 文化の時代
 最近、文化の問題が、各方面で注目されております。
 洋酒会社サントリーは、創業八十周年事業として十五億円を拠出して文化財団を設立しました。関西の財界は文化をテーマにセミナーを開き、大阪商工会議所は文化問題のシンポジウムを開催し、横浜商工会議所も百年記念事業として文化のシンポジゥム現在計画中であります。産業界では、文化産業論が話題を呼んでおり、大平首相も施政方針演説で文化重視を強調し、国の各省庁は八十年代にむけての目玉政策として、こぞって文化を柱にかかげはじめております。新聞や雑誌では、「文化」の活字が見あたらない日はないという状況を呈しており、自治体においても、文化の問題を重要な政策課題としてとりあげ、知事(市長)部局に専管セクションを設置して本格的な文化行政をすすめようとする県や市が急速に増えております。このような状況を評して著名な経済学者は「二十世紀を経済の時代と呼ぶならば、二十一世紀は文化が重視される時代として特色づけられるであろう」と述べております。
 
二 文化行政
 文化行政はタテ系に並んだ一行政部門というものではなくて、すべての行政分野にかかわりのある、横断的な行政課題であると考えられております。
 そして、文化とは人びとの日常生活の総体を意味することばであって、芸術や文化財というような何か特別に格調の高いものだけを意味することばではなく、そして、今日の文化問題とは、日常の生活をより人間らしさのあるものに組みかえていこうとする課題であって、行政がこのような課題意識にもとずいて一定の役割を果たそうとする、さまざまな営みを総称して文化行政とよんでおります。

三 行政の文化化
 行政が文化の問題(人間らしさのある生活にむけての日常生活の問い直し)に参加するには、行政自体が文化的であることが論理的な前提条件であります。 なぜなら、たとえば本県においては「文化のための1%システム」という名前で高校や庁舎、橋や道路などの公共建設に、建設費の1%の予算を上積みして、これらの施設を文化性のあるものにしようとする試みがスタートしております。これは、地域に文化的な環境をつくり出すための公共施策として各方面から注目されており、現段階では一定の評価を得ております。しかし、問題はいかに美しく、しゃれた、工夫された、立派な施設が完成したとしても、その施設の管理・運営が、規則本位で、管理主義で、冷たいものであったとしたらどうでありましょうか。「文化のためのシステム」という名前がはずかしくなるのではないでしょうか。
 いま、ここに、美しく、しゃれた、モダンな施設が完成したとする。しかしやたらと規則づくめで居心地が悪い。他方には、従来からのコンクリートだけの、けっして美しいとは言えない施設がある。しかし、ここには、自然に人が集まってくる。居心地がよい。ここに働く職員は利用者の方に顔をむけて仕事をしている。施設は地域にとけこみ、親しみがある、と想定してみましょう。どちらが文化的でありましょうか。
 知事の言う「ハードにソフトを」とは、けっして外観やデザインだけのことではないと思います。
 したがって、文化のための1%システムという施策は、論理的には(行政の文化化)が前提となります。そして実際には、同時並行的に行政の文化化が自覚的にとりくまれなければならないと考えます。

 行政の文化化には三つの側面があります。
 一つは、すべての事務事業に文化性を投入する。文化的な意味をもたせる(文化アセスメント)
 二つは、庁風、文風、作風といった庁内文化を人間主義的なものに、血の通ったものに組み替えることです。
 三つは、職員の意識(価値に対する考え方や問題意識)が個性的で人間らしさのある方向に絶えず自己革新していくことです。

四 「かもめ」の発刊
 行政の文化性をたかめることを目的として月刊の壁新聞「かもめ」を発刊します。
 「かもめ」は長洲知事の命名によるものでさわやかさ躍動感の意味をこめたものです。
 どうか、各所属では、この文化壁新聞を、よい場所に貼っていただきますようお願いいたします。(かもめ)は行政の文化化の実例や工夫の紹介(情報提供)と自由でオープンな意見交流(ひろば)を目的とします。編集は、全庁的に選任をいただいた七人の委員によって行います。多くの方々からの投稿(問題提起・紙上討論・公開質疑応答)を、待望いたします。誌面は没個性的でなく、できるかぎり個性的で人間臭さのあるものに、そして、できれば少しはシャレていて、あそびがあり、美しいものにしたいとねがっております がさてそれは…

五 行政文化をめざして
 行政が文化を課題とする、すなわち人間らしさのある生活(意識、活動、環境)にむけての問い直しに参加するには、行政がたえず文化的=人間主義的であろうとする意識的な努力が必要であると考え、月刊の壁新聞を発刊することといたしました、(壁新聞)にしたことは、情報と意見がオープンでパブリックなものでありたいと希(ねが)ったからであります。できることなら、毎号が清新な話題を呼び、ときには、ドキッとするような意見も掲載したいものと考えます。一方通行のメディアでなく、紙面を通して連帯と交流の輪がひろがり、神奈川県庁の組織風土がさらに一層さわやかな風のの吹くものになることを、みなさんとともにめざそうはありませんか。 (文化室企画担当)
文化行政壁新聞--「かもめ」
(カテゴリー: 自治体学講座
   文化行政壁新聞--「かもめ」

 1977年7月、神奈川県に文化室が新設された。筆者はそこに企画担当として配置された。企画担当の最初の仕事は「文化行政とは何か」「文化行政とは何をすることか」「行政が文化を政策課題にできるのか」を考えることであった。
 文化室の任務は「行政を文化行政と言えるものに改める」ことにある。「職員の仕事の仕方」を変革しなければならない。

(1)壁新聞を着想
 知事の発想で「文化室」は新設されたが、議会の多数会派は長洲知事に得点をさせたくない。そのため、幹部職員は人事権を持つ知事に従うけれども面従腹背であった。文化行政には冷たい空気が庁内に漂っていた。「文化行政の市民権」を庁内に確立しなければならない。「文化行政壁新聞」を刊行しようと考えた。パンフレットの類は直ぐに紙屑になってしまう。「一か月貼り晒し」の壁新聞が良いと思った。ところが、文化室長も県民部長も「一体何を掲載するのか」「掲載する内容があるのか」であった。文化行政は知事の目玉政策であるから反対も出来ない。だが壁新聞の予算要求に(内心では)不賛成であった。
 
(2)予算要求 
 消極的な室長と部長が予算を財政課に要求することが(ようやっと)決まった。
ところが、年休で一日休んで出勤すると何やら雰囲気がおかしい。若い職員に問い質すと、「森さんには言わないようにと言われているのですが、昨日部長室で『壁新聞はDランクで要求する』と県民部として決めた」とのことであった。「Dランク要求」とは「削って結構です」の予算要求である。
 総務部長に会いに行った。原総務部長は副知事になりたいと思っている。だが知事が議会に提案しなければ副知事になれない。副知事は知事の胸三寸である。文化行政は知事の目玉政策である。総務部長は知事に忠誠を示さなくてはならない。
 「森君、壁新聞を毎月出せるのかね」と訊く。「壁新聞だけでなく七項目の文化行政予算を全て知事査定に上げて下さい」と頼んだ。「七項目全てを知事査定に上げて大丈夫かね」「大丈夫です、知事には話してありますから」と言った。(知事には何も言ってはいない)。総務部長査定が終わった直後の県民部総務室で「おかしいなぁ─Dランクがみんな通った」と職員が話しているのを耳にした。
 
 次は知事査定である。1978年1月7日、いつもより早く出勤して秘書室職員に「知事に話があるので査定前に会わせてほしい」と頼んだ。秘書は「文化室の森は知事と特別な関係がある」と錯覚したのか、「知事さんがお出でになりお茶を差し上げ日程を説明した後に一番でお会い頂きます」となった。部屋に入っていくと知事は独りであった。「文化行政予算を全て認めて下さい」「森君、これ全部やれるのかね」「やります」「分かった」になった。
 かくして、文化室の文化行政予算は全て実行可能の予算になった。
  1 文化行政壁新聞の刊行
  2 文化行政推進本部の設置
  3 文化のための1%システムの開発
  4 地方の時代映像祭の開催
  5 行政のデザインポリシーの策定
  6 文化の第三セクターの設立
  7 全国文化行政学会の設立

(3)文化行政壁新聞・ポパール 
 話は少し遡るが、財政課に予算要求をする段階で、壁新聞に名前(表題)をつけることになった。いろいろと考えたが「良い愛称」が浮かばない。当時売れていた雑誌に「ポパイ」「ポスト」があった。「パピリオン」という商品もあった。発音はパ行である。「ポパール」という音が浮かんだ。語感が良い。何度か唱えていると「これで良い」と思った。苦し紛れの命名で特別な意味はない。
 財政課長査定で「ポパールの意味」が訊かれた。筆者はその日は出張で県庁にいなかった。誰も答えられない。出張先に電話がかかってきた。音(オン)で「ポパール」としたのだから意味はない。だが「意味はない」とも言えないので、咄嗟に「ラテン語」で「人々の芸術」という意味です。英語なら「ピープル・アート」ですと返答した。
 翌日、出勤すると「昨日は大変だったのよ」と東京外大卒の女性職員が言う。財政課からポパールの綴り「スペル」を訊かれて、その女性が図書館からラテン語辞典を借りてきて調べたが見つけられなかったとのことであった。「出てなかったかねー、POPALだよ」と苦笑して呟いた。「綴り」なんぞ「どうだって良いではないか」と思った。

(4)「ポパール刊行」の予告記事
 知事査定で壁新聞「ポパール」の発刊は定まった。
 壁新聞の標的は県庁職員である。当時の神奈川県庁には二代前の内山岩太郎知事が「教養月報」と命名した全職員配布の月刊の広報紙があった。壁新聞を注目させるには刊行予告が必要であると考えた。
 その「教養月報」に「論説的予告記事」を掲載しようと考えた。小村喜代子さんという庁内でも有名な女性編集者に会いに行った。快諾を得た。
 役所では、業務に関する原稿を庁内広報紙に書くときには、上司の「事前了解」と「原稿内容の承認」を得るのが通常である。それを知らないわけではない。だが、文化室長は庁内広報紙に掲載することを(自分では)決められないだろう。次長と部長に相談するであろう。そして「時期尚早」などの言い方で掲載は先送りになるであろう。「波紋が庁内に広がる」ことを極力避けたいのが幹部公務員の常套である。そしてまた、「教養月報」に掲載するになったとしても「原稿」は無意味な内容に変質するであろう。そうなれば、壁新聞発刊の「新鮮な衝撃イメージ」は職員に届かない。そこで、誰にも相談しないで原稿を書いて職員課に届けた。

(5)「ポパール」から「かもめ」に
 県民部担当の湯沢副知事から電話で呼び出された。副知事室に入っていくと
 「森君、壁新聞の名前は知事さんに付けてもらったらどうかね」と言われた。「やっとここまで漕ぎつけた」の想いがあったから内心不満であった。だが嫌とは言えない。「そうですか」と言って退室した。自席で「どうしたものか」と思案した。そしてふと思った。この壁新聞は現状維持の庁内文化に異質の価値観を提示するのだから、必ず悶着を起こすであろう。そのとき「知事命名」は役に立つ。そう考えて秘書課に「知事に命名して貰いたい」と電話した。暫くして知事在室の連絡が来た。知事室に入ると「にこやかな笑顔」で迎えられた。「暗夜に松明」の「たいまつ」、「文化を配る」の「トリビューン」も良い名前だね。だが既に使われている。そう言いながら立ちあがり、書棚から事典を出してきた。「森君も考えてごらん」と言うので「私はポパールです」。「人々のアートだそうだが、タイトルは分かり易いのがいいからね」と。
 黙って待っていると「考えるから、君も若い人の意見を聴いてごらん」となって退室した。翌日午前、特命秘書の蔵から「知事が考えてきたよ」と電話がきた。「何という名前?」「かもめだよ」。瞬間「悪くない」と思った。
 「県の鳥」は「かもめ」である。知事がそれを「壁新聞」の名前に付けた。「かもめのイラストも描いてあるよ」と蔵がつけ足した。
 (特命秘書であった蔵さんは現在札幌市内で喫茶店を開業している)
 そのとき「アッ」と気付いた。職員課の「教養月報」に出した原稿のタイトルは「ポパールの発刊」である。大慌てで職員課に電話した。「小村さんは神奈川新聞社の校正室に行っています」。神奈川新聞社に電話した。「最終校正をしています」と小村さん。「タイトルも文章も全て『ポパール』を『かもめ』に訂正して下さい」。危ないところで間に合った。
 かくして「ポパール」は「かもめ」に改名された。

(6)県庁のトイレに
 次の問題は「文化行政壁新聞・かもめ」を何処に貼るかである。県庁内の各課室内の壁面はロッカーが占拠して貼る場所が無い。エレベーター内を考えたが、身体に近すぎて読めない。玄関入口に貼っても県庁職員は早足に通り過ぎるから読まない。そこで「新庁舎のトイレ」に貼ろうと思った。
 だが、庁舎管理は年々厳しくなっていた。革新団体などが要求運動で県庁にやってきて敷地内でビラ配りをするのを規制していたからである。
 トイレに壁新聞を貼るのは容易なことではない。容易ではないが「貼る場所」を確保しなくてはならぬ。
 庁舎管理の責任者である出納長総務課長に会いに行った。
「聞いていられると思いますが、文化室の『壁新聞』の掲示場所の件ですが…」と切り出した。課長は怪訝な表情で「何の話しですか」と言う。「まだお聞きになっていませんか、秘書課から話しはきていませんか」「実は過日、知事と話していたとき『かもめ』の掲示場所の話しになって、新庁舎トイレの洗面場所が良いと言ったら、知事が『それはおもしろいね』となつて、『知事からも庁舎管理課長に言っておいて下さい』ということだったのです」と話した。
 総務課長は「聞いていませんが『トイレ』にですか、一度認めると職員組合もステッカーも貼らせろとなると困るしねー」と。当然ながら「それはダメです」の表情であった。
 ところが、翌月は「定期人事異動」である。部課長クラスの大幅人事異動が噂されている時期である。部課長の人事は知事の専権である。総務課長の脳裡には「職務を無難に」と「昇格への期待」が交錯する。しかし「トイレに壁新聞はねー」と呟く。天秤が脳裡で右と左に傾く。
 そこで「こうしたらどうでしょうか」と提案した。
 「一回だけ試行的に認めて、二回目の『継続するか』『止めるべきか』の判断は『総括管理主幹会議』で行う」「『総括管理主幹会議』の議題にすることは文化室が責任でやりますから」と言った。総務課長は「文化行政壁新聞は知事の肝いりである」「継続して貼るか否かは庁内会議が判断する」と考えたのであろう。「試行的ならいいかな」と呟いた。間をおかず颯と用意してきた「トイレに掲示」の「伺い文書」を差し出した。
 庁舎管理の責任者である出納総務課長のハンコを貰うことに成功した。(知事との過日の話はもとより架空のことである)
 直ちに県民部に戻って県民部長に決裁をお願いした。県民部長は「出納総務課長はよく認めたね─」と言いながらハンコを押した。次は次長決裁である。部長が決裁しているのだから「内心で何と思ったか」は別としてハンコを押した。最後に文化室長の決裁である。役所の通常では手続きが逆である。文化室長も内心に複雑以上のものがあったであろう。普通ならば認めがたいやり方である。だが県民部の幹部にも「翌月の人事異動」が作用していたのかもしれない。しかし「庁内ルールを無視するふるまい」の烙印は確実に吾が身に刻印されていく。しかしながら、通常の手続きでは何もできない。役所文化では「文化行政」を具体化することはできない。もともと「文化」と「行政」は異質である。
 文化室の職員に頼んだ。男性と女性の二組で「今直ぐ、新庁舎地階から十二階までのトイレに貼ってよ」と。トイレに壁新聞を貼るのだから、ボヤボヤしていると「ちょっと待った」がこないとも限らない。県庁の男性トイレには「用を足す目の前」に貼った。(役人意識が脱けているときである)。女性トイレには身だしなみを整えるスペースに貼った。貼り終わったのを見届けてホッとした。文化行政の初期のころは全てが「役所の作法」との「綱渡り競争」であった。
 本庁舎と分庁舎のトイレにも貼った。後は急ぐことはない。順次に掲示場所を確保していった。十二階の職員食堂、屋上の図書室、別館の職員会館、地階の売店にも貼った。


(7)専有掲示場所
 オレンジ色に黒色で「文化行政壁新聞・かもめ」と書いたラベルを「発砲スチロール」に貼りつけて表札を作った。表札の裏面には両面の粘着テープが付着してある。一度貼ると剥がせない。剥がすと「発砲スチロール」が壊れる。 
 出先の職場にこの「表札」を「壁新聞」と一緒に送付した。「教養月報」に予告されていた壁新聞であるから、庶務の職員が適宜な場所に表札を貼りつけその下に掲示した。その瞬間、そこが「かもめ」の専有掲示場所になる。全国の都道府県にも送付した。その話は後で述べる。

(8)編集委員
 壁新聞「かもめ」の狙いは「役所文化への斬り込み」である。編集委員には覚悟と才覚が必要である。そこで委員の選出に工夫を凝らした。
 まず問題意識と感覚の優れた職員と個別に会って同意を得た。その後で「文化室長名の公文書」で所属長に「この職員を推薦して頂きたい」と依頼した。そして、編集委員が腹を括るべく、知事室で「『文化行政壁新聞・かもめ』の編集委員を委嘱する」と墨書した依嘱状を知事から手渡して貰った。編集委員は七名。
 役所の通常では、このやり方は全てがルール違反である。(ここで断っておくが長洲知事と筆者は特別な関係ではない。文化室に異動になる前には会ったこともない。だが知事の目玉政策を現実化するのだから、この程度のことは知事にやって貰ってよいではないかと思っていた)。
 ところで、「毎号の内容」は七人の編集委員で決めるのだが、紙面にその内容を表現する「デザイン力」は素人では難しい。そこで東京芸術大学講師の吉本直貴さんにお願いした。吉本さんは「県庁内に貼り出す壁新聞を珍しい」と思ったからでもあるが、無料で最後まで協力して下さった。
 そこで、紙面づくりは一切を吉本さんにお任せした。「イラスト」も「キャッチコピー」もお任せした。責任は文化室企画担当の筆者である。壁新聞は文化室の予算であるが、文化室長にも事前の了承を得なかった。知事室での「依嘱状の手渡し」は「知事特命の編集」にするための工夫であったのだ。
 ある号で、次長室に呼ばれた。「森君、この文章はこう書くのが良かったのでは」と助言された。「そうだとは思いますがお任せください」と答えた。一度「助言」を受け入れると次第に「事前了承」になってしまうからである。「真に相済みませんが、気づいても助言はしないで下さい」とお願いした。
  
(9)服装は思想
 第一号のタイトルは「服装は思想です」であった。
 役所は形式的で画一的だと批判されている。何事も「前例と規則」である。仕事ぶりは「無難に大過なく」である。公務員の服装は「ドブネズミ」と言われている。みんな同じ色のスーツである。葬式でもあるまいし、個性的な洒落た服装であるべきだ。真夏にネクタイは暑苦しい。開襟シャツを着こなせばよい。「個性のない服装」だから仕事も「無難に大過なく」になるのだ。
 公務員の変身が文化行政には必要である。そこで「服装は思想です」にした。この壁新聞を「県庁舎のトイレ」「全ての県内職場」に貼り出した。新聞各社は写真入りで報道した。
 創刊号「かもめ」は初夏の空に飛翔した。1979年5月15日であった。

(10)神奈川県庁のムダ
 第十一号は「ムダの考現学県庁の場合」である。新聞各紙は「庁内壁新聞『かもめ』が内部告発」、「県庁のムダをヤリ玉に」などの見出しで1980年3月10日の朝刊で一斉に報道した。
 前号で「役所のムダ」についての投稿を募集した内容である。殆どは匿名であったが、投稿者の四割は女性であった。また「無駄とは何か」を課内で討論してまとめた投稿もあった。投稿の内容は「職員配置の不均衡のムダ」「仕事の量・質より職員の数が多ければエライ思い込んでいる所属長のお役人気質」「コピー時代に流されて安易に資料をつくる」「会議が多過ぎる」「多過ぎる役職者」「女子職員のお茶くみ」「議会開催中に五時以降の居残り職員が多過ぎる」などであった。
 新聞とテレビが報道して話題になり県議会でも論議になった。
 議会で話題になるのは良いのだが、自由な紙面づくりが出来なくなることを心配した。県民部幹部の事前決裁(検閲)になっては困る。信頼できる議員に相談して県民環境常任委員会の後部に座して論議を聴いた。「部長が紙面を抑制することはしないだろうな」「文化室から出ていることが良いのだから」などの激励発言であった。
 
 「かもめ」が、議会で論議になって新聞で報道されたので、管理職も読むようになった。800部刷って県の職場だけでなく県内市町村にも配布した。
 全国の都道府県にも先に述べた「発砲スチロールの表札」を付けて送付した。
 文化行政を自治体の全国潮流にしなくてはならない。「かもめ」を「文化行政の全国情報紙」にするためである。後日、他府県の文化行政担当課を訪れると「かもめ」が「発砲スチロールの専有掲示場所」に貼られていた。
 各号の「タイトル」と「内容」は『物語・自治体文化行政史─10年の歩み』(神奈川県文化室・新曜社-1988)に掲載されている。
文化行政の詳細は下記をご覧ください。
https://drive.google.com/file/d/19DUZNtGrN5Z7CerQnVaOhWNMqg-k8e8R/view?usp=sharing
 自治体の文化戦略(開発論集・北海学園大学開発研究所)
『新自治体学入門』-再読 荒木雅彦 (自治体学研究会幹事)
(カテゴリー: 研究ノート・書評
 荒木雅彦さん (自治体学研究会幹事) が
 『新自治体学入門』のコメントを書いて下さった
 ので掲載する。

   『新自治体学入門』-再読 

 ある自治体の職員から聞いた話である。
 その自治体では、不正使用を防止するため、首長印の押印は法制・文書事務を所管する課の職員が全て行っている。事務・事業の担当者が起案して所属の責任者に決裁された文書を添え、施行する文書を持参し首長印を押してもらうこととなる。
 毎年のルーティンワークとして、ある省庁の外郭団体と業務委託契約を行っており、その契約に当たっては自治体の首長と外郭団体の長の双方押印した契約書を2部作成し、それぞれが1部ずつ保管することとしている。
 その職員は契約書を締結するために、まず、首長印が押印された2部の契約書を外郭団体に送付し、外郭団体の長の印を押印してもらい、1部を返送してもらおうと考えた。
 たまたまその日、その時間帯に首長印を押印する担当だった若手職員から、「契約書への押印ですが、国以外を相手方とする場合は、まずは、相手方に押印してもらって、それを確認してから首長印を押印することにしているので、今回は押印できません」と言われ、その職員は「前任者から先に首長印を2部押してもらって返送するって聞いていたのだけれども、なぜ、うちの首長印を先に押すことはできないのかな?」と聞くと、「当課で定めた内規で、国以外を相手方とする場合は先に押印しないと決めているのです」と回答があった。「省庁の高級官僚が天下りしている外郭団体なので、国と同じじゃないの?」と尋ねると、「それはちょっと…」。また、「なぜ、国との契約だったら、うちの首長印を先に押すのに、民間相手だと、民間に先に押させて、うちが後に押すことになるのかな?国は我々にとって上部機関でおそれ多いってことなのかな?逆に下々の民間には、先に社長のハンコを押して契約させてくださいって持って来いって言っているのかな?、自治・分権の時代なのにねぇ」と伝えると、「私にはちょっと…、内規でそう決まっていますから…」と頭を掻くばかり。その様子に気づいた押印担当の若手職員の上司で、その職員の旧知の職員から「おいおい、あんまりうちの若手をイジるなよ~」の一言で、そのやり取りはお開きとなったという。

 2000年分権改革で機関委任事務は廃止となった。地方自治法は改正され、国と自治体は上下ではなく、水平対等の関係になったと言われている。情報公開、総合計画、政策評価、行政基本条例・議会基本条例・自治基本条例など、明治以来の統治・集権
型行政を自治・分権型に変革しようとする取り組みが全国各地で進められてきた。だが、そうした自治・分権的な仕組みが整えられた自治体であっても、職員一人ひとりにとって、職場の文化は、国や都道府県の職員との仕事の進め方や関係性は、市民との向き合い方は、議会との関係は、つまり、行政の実態は自治・分権的に変わったと言えるであろうか。
 団塊の世代の大量退職を迎えた現在、多くの自治体が新人職員大量採用時代の真っ只中である。国家統治理論の憲法や行政法を学んだ学生を採用したのは2000年までの
はずである。法学部出身でなくても、自治・分権は日本の政治・行政の大きな課題と広く認識されるようになった。例えば、「大阪都構想」のような政治ショーという形であっても、メディアで繰り返し取り上げられてきたように、2000年以降も自治体と国の仕事と
権限・責任の配分をはじめ、自治・分権を巡る課題に対して社会的な関心は高まってきた。そうした中、採用された若手職員が「内規でそう決まっているから」と発言することについて、その「内規」自体が、また、「そう決まっている」ことが、そして、それらに対して無自覚に発言して(させて)しまうことが、まさに「職員力」として問われているのではあるまいか。それは、若手職員というよりも、肝心な部分で変わっていない行政実態を支え、維持してきた若手職員以外の職員の問題なのではなかろうか。

 『新自治体学入門』は、何度読み返しても、チクリと胸に刺さる部分が少なくない。 「たしかに、自治体理論は広がり、政策形成力は高まり、市民自治制度は装備された。画期的な展開である。だが主体鈍磨が生じ、状況追従思考が蔓延している」(P54)
「70年代と対比するならば画期的な展開である。しかしながら、統治行政の実態はほとんど変わっていない。なぜ変わらないのか。自分自身は何も変わらないで新しい言葉を使い、新しい制度を制定すればそれで事態が変わると考えるからである」 (P104)
「保身第一の価値軸を転倒しなければ公務員は自治体職員に成長できない」(P134)
「日常の職場において、間違っていることを間違っていると発言する。その思念が自身の内に生じないのは批判的思考力が衰弱しているからである」 「一歩前に出て壁を越え た体験がないから「思考の座標軸」が定まらないのである。 つまりは、理論視座が欠落しているのである」(P170)

忖度が新語・流行語大賞に選出されたように、生活保守と状況追随思考が蔓延し続けている現在にあって、2008年に刊行された本書は、10年経っても色あせることなく、そしてこれからも自治体職員を厳しく鼓舞する1冊であり続けるであろう。

                   荒木雅彦 (自治体学研究会幹事)   
安部晋三の本心
(カテゴリー: 自治体学理論
 安倍晋三の本心

・安倍晋三の本心は「憲法改変」である。
ミサイル危機を煽り、Jアラートを鳴り響かせ、児童を机の下にもぐらせたのは、「憲法改変」を実現したいからである。憲法九条を骨抜きにし軍備を増強し戦争する国にするには「仮想敵国」と「国際緊張」が必要である。友好平和では困るのである。
 であるから、朝鮮半島の北と南の友好を喜ばず、トランプ・金正恩の会談中止の報に喜び、「北朝鮮との断交」「最大限圧力」を叫び続けたのである。
   安倍晋三の本心は「憲法改変」を実現して祖父岸信介の墓前に報告することである。彼の本心は「世界の平和」ではない。
  
・政治の要諦
 政治は本来、不幸せな境遇の人々に手を差しのべることにある。しかるに、トランプに言われて巨額の兵器(イージス艦は1.000億円など)を購入し、保育・介護・生活保護・障害者・難病者などの福祉予算、山林保護・河川管理の災害予算を切り下げた。彼には総理としての見識も責任感も無い。
 人々が幸せに暮らすには「平和」が不可欠である。武力で平和は保てないのである。
 軍隊は(いざそのとき)国民を守らないのである。「軍備増強は国民の生命と財産を守るためだ」と述べるが、安倍晋三は二枚舌である。平然と虚言を弄するのである。薄ら笑いの国会答弁を観察すれば彼を信頼信用することはできない。騙されてはならない。

・騙されない思考力
 官僚に(公文書を改竄させ)(記憶にありません)と嘘を言わせ、行政を私物化して「腹心の友」に便宜を図り、加計学園理事長が茶番の記者会見をした。
 (憲法違反の議案も国会運営も)公明・自民の多数議席で強行議決する。選挙民を見くびっているのである。
  今、必要なのは「騙されない思考力」と「真相を見抜く洞察力」である。そして、労働組合の「結束力」と「学習活動」と「市民との連携」である。
住民投票 - 市民自治講座 Ⅱ
(カテゴリー: 自治体学理論
講座・『市民自治―Ⅱ』
  現在日本は民主主義か    さっぽろ自由学校・遊 (レジュメ)

第二回 住民投票 (2018-6-20)

1住民投票とは
・選挙は「人を」選び住民投票は「事柄を」選ぶ。共に主権者住民の意思表明である。
・2000年代初頭、合併をめぐって「住民投票条例の制定」を求める署名運動が全国各地に起きた。地方自治法に基づく「条例制定の直接請求」である。
有権者50分の一以上の署名(住所・生年月日・捺印)を集める署名運動である。
・住民投票は「代表民主制度の正常な運営」を求める住民意思の表明であり「信託した代表権限」の制御行動である。住民投票を実施するには、そのための条例や予算などを議会が議決しなければならない。
・だが議会が、住民の条例制定請求の78%を否決し葬った。その理由は、住民投票は“代議制の否定”であり、議会の“専売特許を侵害する”というものであった。
・日本世論調査会の調査では、住民投票の活用に賛成する人が有権者の 86%。朝日新聞の調査でも活用すべきが90%であった。
・住民投票の歩みは[住民の“直接請求”]と[議会の“厚い壁”]との葛藤の歴史であった。
・住民投票には「イニシアティブ(発案の投票)」と「レファレンダム(評決の投票)」がある

2住民投票の実際例
高知県窪川町-日本で最初の住民投票条例を制定ー町長の原発誘致に反対
新潟県巻町―日本で最初に住民投票を実施した-原発反対・町有地売却せず
岐阜県御嵩町―産業廃棄物施設
沖縄県―日米地位協定・基地縮小
名護市―普天間代替基地・辺野古湾埋立
神戸市―空港建設
徳島市―吉野川河口堰―[50%条項]

市町村合併
 2000年代初頭、全国各地で小泉構造改革の市町村合併に反対する「住民投票条例制定」の署名運動が展開された。
  議会が住民投票条例を否決―そのとき「50%条項」が援(悪)用された。 (開票せず焼却した)  
 北海道の典型実例 南幌町・奈井江町・石狩市

 無防備地域宣言条例

団体役員と市民の「思考回路」の違い

3 定住外国人の投票権
・永住外国人に住民投票を認める動きは滋賀県米原町(米原市)から始まった。
 外国人の投票権を認める条例を制定している自治体は北海道増毛町、北海道静内町、北海道三石町、茨城県総和町、埼玉県美里町、埼玉県鳩山町、東京都三鷹市、千葉県我孫子市、神奈川県川崎市、愛知県高浜市、三重県名張市、石川県宝達志水町、広島県広島市、広島県大竹市、岡山県哲西町、香川県三野町[3]。

4 常設型住民投票条例
 岩国市の事例
合併の是非など特の問題に限定しない「常設型」条例に基づき、市長自らの発議で実施できる全国的にも珍しい住民投票。投票できるのは有権者と、20歳以上の永住外国人で3カ月以上の市内在住者のうち投票資格者名簿に登録した人。投票率50%未満の場合は開票しない。

5討論(話し合う)事項
・殆ど総ての住民投票(条例制定請求)を議会が否決したこと
・徳島市議会での「50%条項」は(住民投票不成立)のためのボイコツト戦術である。
・住民投票は議会制民主主義に反する (当時の)自治省見解
・住民投票には法律上の規定が無い 自民党政調会―自治体の基本条例に対して
    https://www.youtube.com/watch?v=2tqXt27Z3tU
・憲法の定める代表民主制は間接民主制であり、住民投票は直接民主制であるから、議会制に反するのか。
・なぜ定住外国人の参政権は認められないのか。
・「住民投票の法的効果」―立法化―住民投票立法フォーラム
    (URL:http://ref-info.net/、e-mail:ref@@clock.ocn.ne.jp)

参考文献
 『住民投票』岩波新書・今井一
 『無防備平和』高文研・谷百合子編
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民主主義には権力(政府)に騙されない自立した思考力が不可欠
(カテゴリー: 自治体学理論
民主主義には権力(政府)に騙されない自立した思考力が不可欠

 安倍晋三の本心は「アジアの平和」ではない。本心は「憲法改変」である。朝鮮半島「北と南の融和」を望んでいない。だから、虚言を言い続け危機を煽っているのだ。現在日本は「間違っていること」を「間違っている」と(言わない・言えない空気)が充満している。

 岩波「世界」六月号(41頁)の『憲法九条は誰が発案したのか 』を、お読みなさるをお薦めします。当時の幣原喜重郎首相の(見識と覚悟)は、安倍晋三首相の(憲法改変の執念)と較べて、人間としても首相としても「天と地の違い」です。

 前川喜平さん(前文部科学省事務次官)の東京大学駒場キャンパスでの下記講演を是非ご覧下さい。
   https://www.youtube.com/watch?v=6pFOa_dqJSM