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■■■  自治体学  ■■■

 既成の学問は「国家」を理論前提とする「国家学」です。
 自治体学は「国家統治を市民自治へ」「中央集権を地方分権へ」「行政支配を市民参加へ」組替える実践理論です。「実践を理論化し理論が実践を普遍化する」市民自治の理論です。
文化資源としての「霧多布湿原」
(カテゴリー: 地域文化の保存再生
  文化資源としての「霧多布湿原」
―地域文化の保存方策ー

1.文化資源の保存と再生
 なぜ「文化」がことさらに言われるのか。
 地域文化が盛んに言われるのは、地域社会が文化的でなくなったからである。 日本各地の文化状況は激変した。
第一次産業に従事する人口は極端に減少した。第二次産業も減少した。

情報が価値である情報産業社会に入ったからである。そのため日本列島は異常に人口が都市に集中する過密都市と人口減少で絶望的な思いに陥る過疎地域に分極化した。そして都市地域も過疎地域も共に工業技術文明的な生活様式に一変した。社会構造がいわゆる「農村型社会」から「都市型社会」に変わったのである。「文化」が問題になるのは社会構造が急激に変化したからである。

 つまり今、「文化」という言葉で求められているのは、都市型社会に対応するための価値体系、行動様式、制度、それらをつくり出す技術である。長い歳月のなかで蓄積されてきた「農村型社会の文化」が、壊され、捨てられ、喪われた。つまり、共同体に支えられていた文化に代わる都市型社会の文化がいまだ形成されていないからである。

 文化の定義は問題認識によって様々になされる。
今、問題になっている文化は、工業技術文明の発達によって出現した都市型社会に相応しい「人間らしい価値と技術」の模索である。すなわち、機能と効率の工業技術文明がもたらした利便性と引き換えに失ってきたさまざまな価値、例えば、のんびりとした時間、真の闇夜と静寂、大銀河の夜空、岸辺のある川の流れ、芸術芸能のたのしみ、家族団欒の食卓である。すなわち、心を満たし感性を豊かにする人間として不可欠な価値のことである。
その価値とそれをもたらす技術がいま「文化」という言葉で求められているのである。

 地域文化の保存とは、そのような価値と技術を地域社会のなかにつくり出すことである。人間らしい感情を育て感性を豊かに花開かせる装置と制度をつくり、人間が育つ条件を整備し、人間らしい文化的な地域社会をつくり出す営為を、「地域文化の保存・再生」という言葉で求めているのである。
 
2.今の行政では文化資源の保存と再生はできない。
 自治体に文化行政が始まったのは1970年代の初頭であった。当初のころは、文化行政に対して疑念と批判が行政の内側と外部にあった。行政内側での疑念は、文化活動の支援や文化団体への助成は、教育委員会の社会教育で既にやっているではないか。こと新しく文化行政などと言い出すのはいかなる意図か、との批判であった。
 
外部からの批判は、行政が文化を言い出して碌なことはない、終身雇用で万事無難で、法律規則で大過なくの公務員が文化で意味あることは出来ない。文化の営みは市民の自由の領域の問題である、行政が文化に手を出すのは危険ですらある、との批判であった。
このころ、建設省、農水省、文部省、国土庁などは競い合うかのように、「文化・まちづくり」のモデル事業を示して下請け自治体を募集した。
 例えば、文化庁は「地方の文化ホールや劇場の人材養成と芸術団体のネットワーク化」を言い、文部省は生涯学習地域整備計画を掲げた。自治省は「文化施設の有効利用のネットワーク化と人材養成」に乗り出すと言い、国土庁は「地方の文化施設のマネージャーの人材養成と自治体の文化担当者の企画・運営能力の向上」に取り組むと競い合った。
農水省は地域の文化を守り育てる宿泊体験交流施設を整備する「グリーン・ツーリズム」を打ち上げ、当時の郵政省は地域文化活動のための施設づくりに乗り出すと言い、通産省は「産業に感性を」と打ち上げ「地域伝統芸能を活用した商工業振興」に取り組むと言い、建設省は地域の文化・歴史の都市づくりを進めると言った。 

 戦災復興から五十年、地域の政策課題が量的な基盤整備事業から質的なまちづくりに移行したからである。しかしながら、省庁主導の旧来のやり方では文化のまちづくりは出来ない。なぜ出来ないのか。
 
 文化のまちづくりとは「住み続けていたいと思い住んでいることを誇りに思う魅力のある地域」をつくる営為である。
 住民を行政サービスの受益者と見做し、地域を行政施策の対象とする旧来の行政手法では地域は甦らない。住むまちへの愛情が人びとの心の内に育たなければ魅力あるまちにはならないのである。言葉で「住民主体のまちづくり」と言っても、旧来のお役所流儀では、人びとが地域づくりの主体にならない。行政主導の文化振興では地域の文化資源の保存と再生はできない。

3.文化資源の保存再生の方策
 伝統芸能の復活や芸術芸能の奨励支援だけが文化資源の保存再生ではない。
 人間らしい感情が育つことを目指す文化施設は地域文化の振興であるのだが、生活環境が人間的な潤いと美しさを取り戻さなければ、地域が文化的になったと言えない。

 文化資源の保存再生の課題は二つである。
 一つは人々の感性・感情、価値観、ライフスタイル、が豊かになることである。
 二つは地域社会の環境である。潤いある美しさ、魅力である。

 文化イベントも文化施設も、地域に活力を甦らせる契機になるのだが、問題はそのすすめ方である。旧来の行政手法では地域文化の再生はできない。トル

4 霧多布湿原の保存再生
 現在、霧多布湿原は
 NPO法人 霧多布湿原ナショナルトラスを2000年1月に結成し、「霧多布湿原ファンクラブ」を組織して様々な活動を行っている。
 [NPO法人 霧多布湿原ナショナルトラススト] https://kessai.canpan.info/org/trust/
・〒 088-1532 北海道厚岸郡浜中町琵琶瀬60番地 ・メール trust@kiritappu.or.jp
  [霧多布湿原ファンクラブ] http://kiritappu-mate.com/

 霧多布湿原の保存再生が成果を挙げたのは、住民と団体と企業と行政が連携したからである。連携しなければ地域文化は甦らない。
 霧多布湿原の再生は、東京の食品会社を辞めて霧多布を永住の地と定めた伊東俊和さんの呼びかけで始まった。伊東さんの呼びかけに集まった浜中町の人びとが「霧多布湿原にほれた会」をつくった。伊東さんの最初の行動は仲間づくりであった。仲間づくりが、霧多布湿原保存の始まりであった。
 横浜市舞岡川の「水とみどりの保存運動」も、十文字修さんが一人で会報を発行しつづけて、次第に仲間が増えていった。
地域環境が美しく魅力的に変容するのは人々の価値観と行動様式が変わることである。

<地域再生の主役は「よそ者」>
 他所からやってきた人には地域の魅力の違いが見える。よそ者には問題が見えて、何とかしなければと思えて、行動を起こすことができる。
その土地に住んでいるだけの人には、漠然とした危機感はあっても、地域のしがらみのなかで地域再生の行動を起こせない。地域が疲弊していくのを嘆くだけである。地域再生の主役は殆どが「よそ者」である。

<ことばの力>
 文化資源の再生に共通しているのは「ことば」である。
「ユニークな発想・あそび感覚・面白がり楽しむ心」を伝えるのは <ことば> である。
例えば、「アイドルは湿原」「ありがとう方式」「秘境の探検」「こすり出し」「ルネッサンス運動」「嫁さんよろこぶ農家住宅」「コスモスの里3300の会」「田んぼ結の会」などの ことばである。
ことばが、見えていない価値と意味を伝えて人々の心を弾ませて仲間が増える。
 仲間づくりは人と人の出会いである。仲間が増えて、ユニークな運動が発明されて、意味が見えて、メンバーも自身を変容する。   、トル
 
<人との出会い>
 霧多布湿原の保存再生は「よそ者である伊藤さん」が「地元の信用ある住職」との出会いによって事態が進展した。初期のころ伊藤さんは孤立して東京に帰ったこともあった。 
 住職さんの尽力で行政首長が湿原開発の行政計画を見直し「霧多布湿原の現状保持」が確保されたのである。そして専門家との出会いで湿原利用の方策が見出され湿原再生の膠着状態を突破し、企業家との出会いで資金援助の方途が見出され、新聞記者との出会いで霧多布湿原保存が全国に報道されて会員が増加して霧多布湿原保存再生の体制が整った。まちづくりの成否は人と人との出会いにある。 

 人と人の出会いは偶然のように見える。けれども実利と関係のないことに執着するキーパーソンのロマンが人の心を繋ぐのである。ロマンがなければ擦れ違うだけである。そして、人は出会いで自身をも変容させる。生き方が変わるのは人に出会うからである。
 地域づくりの人々に共通する明るさは 人との出会いによって獲得したものであろう。

 (このころ筆者は北海道地域文化選奨懇談会委員を委嘱されていて、第四回選奨選考委員
会(平成8年)の席上で「文化には映画・演劇・舞踊などの(時間の文化)と美的環境の(空間の文化)がある。霧多布湿原保存は北海道の地域文化であると発言して選奨が決まった)

<文化資源再生の壁>
 大勢順応に生きていれば人間関係は和やかである。だが、地域で意味ある何かを為そうとすれば、必ず壁が出現し不協和音に取り囲まれて四面楚歌になる。
 旭川駅前の大通り買い物公園も、小樽運河保存運動のときも、「法制度上不可能だ、私有地だ、利権が絡んで難しい、合意が得られない、人手がない資金がない、役所も消防も警察も認めていない、経済発展を阻害する」などの壁が出現した。

成果を挙げて輝いている地域も、最初は「制度上不可能・法律的に無理」と言われたのである。その壁を突破して現在があるのである。今から眺めれば当時の人々が無理・不可能と思ったということである。
地域づくりの障害は様々で一義的ではないが、障害の最たるものは「人の心」である。無関心・無理解・冷やかな視線、嫉み、足のひっぱり合いが壁である。壁は人の心である。

<資金・経費の問題>
 何をするにも運動資金が必要である。自費自弁のボランティア運動には限界がある。
印刷費、連絡費、事務所費などの経費は嵩む。だが費用一切を役所丸抱えの地域づくりでは地域に魅力は産まれない。
 会員の会費、賛同者の寄付、行政の委託・助成、企業の協賛・寄付・助成、イベント事
業の収入、講演講師での謝金報酬、研究提案の賞金。
 地域づくりは多種多様であるから経費の費目と額は様々である。だが何れも苦労し工夫している。

<文化資源再生運動に共通する問題>
 地域再生の運動に共通する問題は人々が次第に疲労することである。やっているのはいつも同じ人で、地域の人々は参加するだけになる。最初の感激も薄れていく。メンバーは高齢化し世代交代は難しい。運動資金が枯渇し自弁持ち出しは限界になり、寄付も当初ほどに集まらなくなる。
 行政は人員と資金は豊富だから役所との提携が必要だが、行政との間のとり方が難しい。 
 行政は所謂役所流である。役所流では地域に見えない意味や文化は育たない。
 役所は主導権を握りたがる。握ると離さない。役所の下請けでは人々の熱気は萎える。さらに加えて、役所職員は首長の次の選挙のために「まちづくり」を口にする。だから、行政の下請けはやりたくない。
 
<先進地域との交流>.
次々と生起してくる障害と状況に対応し解決している文化運動も存在している。
役所との折り合いをうまくつけているまちづくりもある。だが成果を挙げている地域文化再生活動も、年月が経過するとメンバーが固定し高齢化する。
 そこで、勉強会、研究会、討論会、視察交流、会報の発行、音楽祭、ワークショップを企画して活力を補填している。

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『北海道自治土曜講座の16年』(まえがき) ㈱公人の友社刊行
(カテゴリー: 北海道自治土曜講座
  『北海道自治土曜講座の16年』

まえがき
 本書は「北海道土曜講座の16年」は何であったか、を顧みる書である。 [2011年㈱公人の友社刊行]

 解明するべき自治体課題は次々と生起する。土曜講座の役割が終わった訳ではない。市民自治の実践理論の研鑽と行政の責任回避の構造究明が終わる訳はないのである。
 土曜講座が目指したのは「自治体理論の習得」であった。

理論には「説明理論」と「実践理論」の二つがある。
 説明理論は事象を事後的に客観的実証的に分析して説明する認識理論である。実践理論は現在の課題を未来に向かって解決する理論である。丸山真男教授はこの違いを岩波新書『日本の思想』153ページで、「である」の論理と、「する」の論理として説明している。

「課題は何か」「如何なる方策で解決するか」を考えるには「経験的直観」が不可欠である。経験的直観は一歩前に出る実践によって得られる。自己保身の状況追随思考では経験的直観は身に付かない。実践理論は歴史の一回性である実践を普遍認識に至らしめる理論である。

「知っている」と「分かっている」は同じでない。そのことは、本書刊行の準備をしている現在、すなわち2011年3月、東北関東大震災による「福島原発・爆発」をめぐっての「官房長官・経産省保安院の説明」と「テレビスタジオの学者の解説態度」が物語っている。
「知っている人」と「分かっている人」の相違は、困難を覚悟して一歩前に出た「実践体験の有無」にある。自治体学理論にも同様の問題がある。(その詳細は次の動画https://www.youtube.com/watch?v=3WJoqoXyLzY をご覧頂きたい。「自治体学理論」については『自治体学とはどのような学か』(公人の友社2014年)を参照されたい。

 本書は三部構成になっている。
 第一部は、自治体改革をめざす土曜講座第二幕を展望する論述である。
すなわち、都市型社会の構造特性を明示し2000年代の自治体改革の基本論点を提示し、次いで自治体改革の課題と解決方策を見究めるには実践理論が重要であることを論証し、土曜講座十六年間の経過を詳細に検証した。第二幕を展望するためである。

 第二部は、講師を務めて下さった先生方、講座を報道して下さった記者の方々、裏方として運営事務を担ったスタッフ、そして受講者の方々による土曜講座への「愛着と感慨」の文章である。
 第三部は資料である。
 新聞等に報道された記事、全92回の講座のタイトルと講師一覧、実行委員とスタッフの一覧である。詳細に記録したのは、自治体理論の研鑽習得をめざす自治講座が北海道のみならず全国各地で開講することを希求するためである。

 本書刊行に際し、全講座の講師の先生に深甚なる感謝の意を表したい。
 特に、最終回講座の講師としてご教授を頂いた松下圭一先生と宮本憲一先生に厚く御礼を申し上げたい。
 松下先生は当初より一貫して土曜講座の運営を励まし助言して下さいました。講師としても通算6回、自治体理論の講義のために札幌にお出で下さいました。

 宮本先生も講師として通算3回に亘って出講してくださいました。そして最終回の「日本社会の可能性」の講義では「市民の自治力は継続した学習で培われる」として土曜講座の再開を繰り返し勧めて下さいました。(2002年に「北海道自治体学土曜講座」の名称で再開)

 本書が自治体改革の進展と改革主体の誕生になんらかの役割を果たすことを心より祈念する。  
 2011年5月20日
          森  啓  (北海道土曜講座実行委員長)
 
自治体学会の設立経緯
(カテゴリー: 自治体学会の設立経緯
   自治体学会の設立経緯 

政策交流会議から自治体学会へ
 自治体学会とは自治体職員が中心になって設立した学会である。
 一九八六年五月二三日、横浜開港記念会館で設立大会を開いた。前日の発起人会議には一三五人、当日の出席者は六二〇人。自治体職員、市民、研究者、首長、議員、研究機関の職員、労組役員、ジャーナリスト、コンサルタント、文化団体役員など、およそ学会の設立とは思えない多彩な顔ぶれであった。会員は二〇〇六年現在で二〇〇〇人。活動内容と事務局は「ホームページ」を参照。

 自治体学会は「自治体政策研究交流会議」から生まれた。
 その政策研究交流会議は次のような経緯で開催された。
一九七〇年代に公害問題と社会資本不足で都市地域に住民運動が激発して革新自治体が群生した。革新自治体は「省庁政策の下請団体」から「地域独自の政策を実行する地方政府」への脱皮を目指していた。
 これらの情勢を背景に自治体職員の「自主研究グループ」が叢生した。そして一九八四年五月、東京中野サンプラザで「自主研・全国交流集会」を開催した。この自主研究活動の広がりが政策研究交流会議を開催するに至る要因の一つであった。

もう一つの要因は「政策研究を時代の潮流にするため」であった。
 神奈川県が七八年に「公務研修所」を「神奈川県自治総合研究センター」に改組して「研究部」を設けた。その研究部の「神奈川の韓国・朝鮮人の研究」が朝日新聞の論壇時評で「本年度の最高の成果」と評され「自治体の政策研究」が注目を集めた(注1)。
 この動向を敏感に洞察した自治体首長が「政策研究の組織と体制」を自治体内に設けた。例えば、政策研究室(愛媛)、政策研究班(福井)の設置、シンクタンクの設立(静岡、埼玉)、地域の研究所や大学との連携(兵庫、三鷹市)、政策研究誌の発刊(神奈川、兵庫、徳島、埼玉)などである(注2)。
 かくて、神奈川県の「研究部設置」が引き金になって「自治体の政策研究」が潮流になりつつあった。ところが、本庁の課長は所管業務に関連する政策研究を嫌った。知事のいないところで「若い職員が勝手な夢物語を描いている」と冷淡に言い放って水をさしていた。これが当時(八三年前後) の先進自治体の状況であった。
 この状況を突き破るには「全国交流会議」を開催して「政策研究が時代の潮流になっている」ことを内外に鮮明に印象づける必要があった。

自治体学会の設立動議
 一九八四年一〇月一八日、神奈川県民ホールの六階会議室で「自治体政策研究交流会議」が開催された。北海道から九州までの各地から一四〇団体・三五二人の自治体職員と市民と研究者が参加した。
 この交流会議の場で「二つの動議」が提出された。

 一つは「交流会議の継続開催」。他の一つは「自治体学会の設立」。
 前者は「全国持ち回り開催」を確認して次回は埼玉で開くことが決まった。後者の「学会設立の提案」は、参会者全員が地域と職場で「学会設立の意義と可能性」の論議を起こし、その結論を次回埼玉会議に持ち寄ることを約定した。
 このような経緯で「政策研究交流会議」から「自治体学会」が誕生した(注3)。だが、設立大会に至るまでには「壁と曲折」があった。その詳細は横浜で二〇〇六年八月に開催された第二〇回自治体学会の「自治体学の二〇年」の分科会に提出した「自治体学会の設立経緯」(公人の友社)を参照されたい(注4)。

自治体学
 自治体学という専門の学問があるわけではない。
 学会設立時には、自治体学を「自治体関連の諸学の総称の学」と仮定義した。
 (以下の叙述は、神奈川県の研究部員が「学会設立発起人」を求めて「全国行脚」の旅に出かけた際に携行した「自治体学に関する研究」の一部である)

 日本の社会科学は「輸入学」として出発した。「国家」「国民社会」を理論枠とする「国家学」であった。国家学では現代の都市型社会が生起する、医療、資源、福祉、文化、環境などの「前例なき公共課題」に対して、部分的な問題点の指摘は出来ても、全容解明は出来ない。とりわけ、既成の学問にはこれら課題を生活の場で自治の問題として解決する「市民自治の視点」が根本的に欠落している。このため市民運動が提起する論点に回答が出来ない状況がつづいている。

なぜ自治体職員が学会設立を考えたか
 「自治体の政策自立」には「自治体職員の政策水準の高まり」が不可欠である。自治体職員が政策能力を高めるには「前例に従って何事も無難に」の行政文化を超えなくてはならない。行政文化を超えるとは、一歩前に出て「才覚と勇気」で職務を実践し「地域課題を解決する」ことである。だが、職務実践だけでは政策能力は身につかない。歴史の一回性である「実践体験の知見」を「普遍認識」にまで高めなければならない。そうでなければ、前例なき公共課題を解決する政策形成力は身につかない。実践を理論化しなければならない。

 「実践体験の知見」を「普遍認識」に高めるには「文章に書く」ことである。「文章に書く」とは「概念で実践を再構成する」ことである。その「再構成」が「普遍認識力」を高め「実践的思考力」を自身のものにするのである。
 「政策形成力と政策実行力」には実践的思考力が不可欠である。 

 「実践を再構成する」には理論が重要になる。そこで「実務と理論の出会いの場」として「学会設立」を考えたのであった。 
 しかしながら、「実務と理論の出会い」は「自身の内において」である。学者の会員がいることが「実務と理論の出会い」ではない。なぜなら、「既存の学問」と「自治体の政策研究」とは「思考の方向」が異なるのである。
 例えば、「行政学の政策研究」は「政策・政策過程」を事後的・実証的・分析的に研究する学である。「自治体の政策研究」は現実を未来に向かって「課題設定し解決方策を考え出す」営為である。

 すなわち、行政学の政策研究は「政策の実証研究」であるが、自治体の政策研究は「政策の研究開発」である。それは未来を構想する「規範的創造的な政策開発」の営みである。
 自治体学会は「実践的思考力」を「自身のものにする場」である。そのように運営されなくてはならない。

北海道自治体学会と地方自治土曜講座
 一九九五年七月八日、北海道在住の自治体学会員が中心となって「北海道自治体学会」を設立した。都道府県単位としては全国で最初であった。以来、「総会・政策フォーラム」と「政策シンポジウム」を毎年一回ずつ開催して今日に至っている。
北海道地方自治土曜講座も九五年から毎年開講され、講義を記録したブックレットは二〇〇六年現在で一〇〇冊を超えた。

 (注)
 (1)神奈川県自治総合研究センターの「ホームページ」を開けば当時から今日に至るまでの「自治体の政策研究の内容」が一覧できる。「ダウンロード」もできる。
 (2)当時の政策研究の動向は「自治体の政策形成力」(時事通信社)の第二章に記した。
 (3)自治体学会の設立経緯の掲載誌は「自治体の政策形成力・第六章」(時事通信社)に詳記した。交流会議の内容は「時事通信社・地方行政(八四年一一月一〇日号)」と「地方自治通信(八五年二月号、八六年二月号)」に掲載された。
 (4)「自治体学の二〇年・(公人の友社)」に「設立時の特集誌」も記した。

自治体の人事政策
(カテゴリー: 自治体学理論
自治体の人事政策

1 人事政策の改革
自治体の人事政策には根底的な改革が必要である。
自治体の位置が変わったからである。
自治体は長い間、機関委任事務制度によって中央省庁の政策を末端で執行する地方公共団体であった。だが自前で政策を策定し実行する自治体政府をめざさなくてはならない。
自治分権は工業文明国に共通する世界的な潮流である。
自治体が政府になるには、政策自立を高めて統治行政から自治行政に変革しなければならない。自治体の政策水準を高めるには、自治体職員が省庁政策に追従する地方公務員から、市民と協働して政策を策定し実行する自治体政府職員に成長しなくてはならぬ。それには「人事政策の改革」が不可欠である。
職員を採用し、業績と能力を評価し、昇格させ、退職させる人事制度の改革が必要である。

2 公務員の問題状況
公務員に対する批判は根強い。
前例にないことは極力避けて何事も無難に大過なくの消極的な執務態度である。公務員は失敗を恐れ規則遵守と前例踏襲の責任回避である。
公務員の職場はぬるま湯である。やってもやらなくても同じ組織風土である。
地域社会に噴出している公共課題に積極的に対処していない。自分の職務に関連する公共課題であっても自身の考えを抑制し上司の意向を忖度する。
上司の意向が不合理なものであっても従順に従い、住民には「現行制度上やむを得ないのです」と応答する。であるから「どちらを向いて仕事をしているのか」の批判がある。
公務員はなぜ上司に迎合するのか。
人事が最大の関心事になっているからである。
公務員の管理職は(例外はあるが)現状維持的安定の保身である。言葉は前向きであるが常に責任回避である。部下職員が問題を起こし「上司としての責任」を問われることを常に恐れている。「責任は取ってやるからやってみろ」とは言わない。なぜそうなるのか。
管理職の多くは、自分に特別な能力があって現在の地位に昇進したとは思っていない。役所の慣行を遵守し自己を抑制してひたすら上司に忠実に仕えて現在の地位に至ったことを知っている。であるから、現状維持的安定の保身になる。
管理職年齢は50歳前後で定年が前方に見え始める。リスクを覚悟して前例なき課題に能動的に取り組むことはしない。管理職の責任を問われることを常に回避する。であるから、課題解決に積極的に取り組む職員よりも自分の意向に従順な職員を評価する。
公務員はそれを知っている。管理職に従順な職員だと思われることが昇進に最も有利であることを知っているのである。
であるから、公務員は仕事に情熱をかけるよりも上司に迎合するのである。
昇進すれば、給与も多くなり退職金も年金の額も多くなる。退職のときの地位が外郭団体に行けるかどうかの分かれ目にもなる。
これが公務員の問題状況である。

このような観察に反論もある。
公務員の多くは勤勉である。職務に真剣に取り組んでいる。仕事に関係のある知識の獲得にも熱心である。怠惰で消極的な公務員ばかりではない。
管理職は人事考課によって能力ありと評価されて現在の職位にいるのである。勤勉でバランス感覚があり部下の掌握力にも優れている。管理職の全てが自己保身であるかの如く批判するのは誤りである、と。
たしかに、勤勉で事務処理能力の優れた公務員は多い。教養もあり学歴もあり趣味も豊かである。人間的で誠実な公務員も多い。公務員は概して組織規範に忠実である。たしかに、怠惰な公務員や不正な職務執行をする行政職員は少数であろう。
しかしながら、ではなぜ公務員に対する手厳しい批判が噴出するのであろうか。
なぜ、行政への不信が根強くあるのか。
行政が社会の激変に対応出来ていないらである。

3 行政劣化の構造
個々の公務員は勤勉で事務処理能力も高い。それがなぜ、役所機構となると能率が悪く質が劣るのか。それは、人事政策に根本的な誤りがあるからである。
このことを[日常的な事例]で考えてみよう。
職員が前例のない公共課題に対処するために上司の了解を得ようとしたとき、上司の考えが自分の考えと違うことを知ったとする。
そのときどうするか。多くの公務員は自分の考えを抑制して上司の意向を忖度するであろう。
しからば、上司の考えは正当ではないと思ったときはどうか。多少の意見は具申するが上司の考えに従うであろう。
さらにしからば、上司の考え方が消極的で妥当ではない、自分の考えが正当である。自分のやり方で課題を解決するべきだと思ったときにはどうか。
意欲的で能動的な公務員であればあるほど悩むであろう。それはその公務員の職業倫理が問われている場面である。けれども多くの公務員は、結局は上司の考えに従うであろう。これが公務員倫理崩壊の場面である。この場面が少なからず存在するのが公務員の職場である。
かくして、公務員が屍になり行政劣化が進行するのである。 
人事政策の根本的な欠陥は、上司が常に優秀で公正であると擬制するところにある。ありもしないそのその擬制が「統治行政の人事政策」である。
市民自治の人事政策に転換しなければ、(行政劣化)と(行政不信)を止めることはできない。
 以下は 
「自治体の人事政策」岩波書店『自治体の構想(第四巻・機構)』所収

一 分権型社会の人事政策
1 人事政策の改革
2 公務員の問題状況
3 行政劣化の構造

二 改革の基本視座
1 国家統治から市民自治へ
2 終身雇用制
3 職業倫理観

三 人事制度の改革
1 採用制度
(1) 人材の確保
(2) 経歴者の採用   
(3) 外国人の採用
(4)公開募集
(5)採用試験
2 人事異動
(1)定時異動
(2)昇格異動
3 人事評価
(1)評価と組織活性化
(2)評価と処遇
(3)双方向評価
4 人事昇格   
5 人事の停滞  

四 人事への市民参加
1 人事政策協議会の設置
2 人事政策協議会の協議事項 
3 首長の人事権と人事政策協議会
4 終身雇用制の是正
   
松下圭一・市民政治理論の骨格
(カテゴリー: 自治体学理論
 松下圭一・市民政治理論の骨格

1 松下理論の三つの骨格
 1)市民自治
 2)都市型社会
 3)政策型思考

2 松下教授の見解の変遷
1)規範論理
2)自治基本条例と住民投票

はじめに
 現在日本は民主主義と言えるであろうか。 
 今の日本社会は(間違っていること)を(間違ている)とハッキリ言わない。「安倍晋三は前に言ったことと真逆のことを平然と言う」と思っても「人前ではそのことを話さないのが良い」と思っている。これが現在の日本社会である。
 
 市民政治理論は「国家は統治主体ではない」「市民が政治主体である」とする理論である。ところが、国会議員と官僚は国家が統治主体だと思っている。学者も「統治権の主体は国家である」と講義して、国民を国家の一要素とする「国家三要素説」を教説する。
 松下圭一教授は、岩波新書『市民自治の憲法理論』で、民主政治は「国家が国民を統治する」ではない。市民が「政府に権限を信託して政府を制御する」である、と明解に論述した。
 1975年にこの本が出版されたとき憲法学者も行政法学者も政治学者も、誰も反論できなかった。「松下ショック」と言われた。
 ところが、憲法と行政法の学者は明治憲法理論の「国家統治理論」を現在も言説し続けているのである。なぜであろうか。
 これが、「現在日本の民主主義」の根本論点である。

 松下理論は「市民が自治共和の主体である」とする市民政治理論である。 市民政治理論が民主主義の政治理論である。
  以下、松下教授の市民政治理論を検証する。
   (北海学園大学[開発論集103号に所収)

動画は下記
 https://www.youtube.com/watch?v=3WJoqoXyLzY
 https://www.youtube.com/watch?v=qxktaO9SBVk


コロナ災禍と自治体の責務
(カテゴリー: 新型コロナウイルス
コロナ災禍と自治体の責務
 
1. 日本政府のコロナ対策はすべてが後手後手である。
安部首相にはリーダー力も総理職責の自覚も無い。
書かれた官僚文書をただ読むだけである。(記者会見のときの目線)
ドイツのメルケル首相の見識・気概とは雲泥の違いがある。
日本政府は国民に自粛を要請するだけで、中央政府が担うべき役割を果たしていない。

医療現場は防護マスクも防護服も枯渇して医療崩壊が迫っている。
感染拡大を防ぐには、
自分が感染していることを知らない(無症状の感染者)を発見し隔離することである。外国はみんなそうやっている。やっていないのは日本だけである。
それにはPCR検査が必要である。(韓国はPCR用品を輸出できると言っているのだ)
 これらを緊急調達して配布するのは中央政府の役割である。
安部首相はマスクを「6憶枚用意 いや7憶枚用意した」と言ったが、いつも言うだけで、政権支持率はいずれ回復すると思っているのである。

2.民主政治の思考論理 
重要なのは「民主政治の思考論理」である。
国の指示や了解なしに自治体が独自に勝手に「やつてよいのか」の逡巡を、克服する思考論理である。
「統治・集権」から「自治・分権」へ 
 これが21世紀の民主主義理論である。

3. 自治体本来の責務
住民の(いのち・くらし)を守るのは自治体本来の責務である
日本各地の地域事情は同じでない。
地域事情に合った敏速で適正な対策は自治体でなければできない。  
「やってよいのだろうか」ではなく、
「やってよいのだ」「やるべきなのだ」である。
 その法的理論根拠を http://jichitaigaku.blog75.fc2.com/ に
 近日掲載する。
  
国(中央政府)の基準は全国基準である。
最大公約数の基準である。
地域の個別事情に対応できない基準であり政策である。
 であるから
自治体独自にコロナ対策を「やるべき」なのである。
地域住民の(いのち・くらし)を守るのが自治体本来の責務である。
すなわち
・自治体独自に「緊急事態宣言」を住民に呼びかける。
・自治体独自に自主的に「外出自粛・営業自粛」を住民に要
 請する。 
・外出自粛・営業自粛の解除も(大阪府モデルを参考に)基準設
 定して住民に呼びかける。
・そして、地域の専門知識ある方々の参加を得て「コロナ対
 策専門委員会」を設ける。

・さらに、姉妹都市提携の外国都市に「防護マスク・医療防
 護服・PCRキツト」などの支援提供を求めて住民のいのち
 を守る。
すなわち
「自治体外交・民際外交」である。
 外交は中央政府の専権ではないのである。

4. 自治体首長の責務
・和歌山県知事は、曖昧な厚生省基準に従わず、PCR検査を積極的に行い、感染拡大を防いだ。
世界から「中央政府の指針に従わなかった勝利」と賞賛された。米紙(ワシントン・ポスト)は「知事の強力なリーダーシップで(迅速なPCR検査)を徹底してコロナ封じ込めに成功した」と報道した。

・大阪府吉村洋文知事は、率先前面に出て外出自粛・営業自粛を府民に呼びかけ、コロナ専門病院を設け、自粛解除の「大阪モデル」を策定し、2020年5月17日「新たな感染者ゼロ」を達成して「通天閣に鮮やかなグリーン色の府民合図を輝かせた。
 (安倍首相の無能)と(吉村知事の才覚)の違いは歴然である。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2778381325618051&set=p.2778381325618051&type=3&theater
問題は、
住民が (見識と決断力ある)首長を選んでいるか、である。
中央政府の首相も同じく有権者国民の問題である

かくの如き安倍政権が「コロナ対策」を担っているのである
(カテゴリー: 安倍晋三の正体

かくの如き安倍政権が「コロナ対策」を担っているのである 

 安倍晋三と側近による暴政を、明快に公然指摘した投稿が朝日新聞に掲載された。(2020年5月2日号11頁)。

投稿は、現在日本の権力中枢の「脱法厭わぬ法秩序破壊の暴政」を、明晰に、論理的に指摘している。
この勇気ある投稿者は蟻川恒正(日大教授)である。

論稿の前段は、「ある国のお伽話」である。
 アンデルセンの童話「はだかの王様」に似た話であるが、重要な違いのあるお伽話である。
このお伽話が「安倍政権の暴政」を明晰に理解させてくれる。
 
後段は、「安倍晋三と側近による法秩序破壊の暴政」である。
1. 2014年7月、歴代の内閣法制局答弁により確立した「集団的自衛権の政府解釈」を閣議決定のみで解釈変更した。
2. 2020年1月、39年間続いていた検察庁法22条を、政府見解で変更した。

このことは、お伽話の「法ができないと言っていることを、法を変えもしないで、できることに」したのである。

 この二つの法解釈変更は、単なる違憲や違法の法運用ではない。「政治権力を法で拘束する立憲主義それ自体」を骨抜きにする暴政である。

 それだけではない。
 一方で内閣法制局の人事慣行を破って、法制局長官の首を集団的自衛権行使容認論者にすげ変え、
 他方で 
①「一強」となった首相が法務大臣の、
②事実上首相の息のかかった内閣人事局が法務省幹部職員の、
  それぞれ首根っこを摑んだ。
それにより、内閣法制局と法務省が長年とってきた立場とは矛盾する法解釈変更を迫り、各々の「国の法をつかさどる機関の責任者」が、唯々諾々とこれに従ったのである。かくして、法の秩序は、ほとんど破壊されたのである。

 そして、政権中枢から無茶な法解釈変更を求められ、身体的にも精神的にも疲弊の底に突き落とされた「配下の者」たちもまた、その代償として人事上の利益を暗黙に期待した限りで、結果的に政権中枢との間に不純な共犯関係を築いているのである。
 これら根元は、自民公明の議員が国会で絶対多数の勢力だからである。

 かかる政権が「コロナ対策」を担っているのである。 
 
 朝日新聞5月2日-11頁をぜひご覧あれかし
なぜ、世界で日本だけが、PCR検査を今もやりたがらないのか
(カテゴリー: 新型コロナウイルス
世界で日本だけが、PCR検査を今もやりたがらない


下記をクリックしてご覧ください。
なぜ、世界で日本だけが、PCR検査を今もやりたがらないのか、を考えることができます。
https://lite-ra.com/2020/04/post-5396.html?fbclid=IwAR05lk-LrpPidIdaEzUHmrMvgUMDa0Z7jre0uA_g_n_oF8dcJy5E_sxZ2ys

安倍政権の代弁人である田崎史郎(元時事通信社)は、肺炎で死亡した人も「PCR検査をやっていますよ」と、羽鳥モーニングショーで断言した。だが、断言が事実でないことが理解できます。

外国で出来ていることがなぜ日本でできないのか。
1 最初は「検査キッドが足りないからだ」と言い
2 次は、検査して感染者が見つかると「病院のベットが足ら
  なくなるからだ」と言い
3 日本の死者が少ないのは「PCR検査をしないからだ」と
  専門家会議のメンバーも言う。今も言っている専門家が
  いる。

韓国も、台湾も、中国も、ドイツも、PCR検査を積極的に行って、無症状の感染者が(検査しなければ自分が感染していると知らないから)出歩いてコロナをバラ撒く。だから外国は隔離して(自宅でなくて施設を造って)、感染拡大を防止している。 
そして今では、感染者が少なくなり、終息に向かっている。

 なぜ日本はそれができないのか。

日本は感染者が増加して死者も増えるのではあるまいか。
世界の先進工業国で<日本だけが「奇妙な理屈」でPCR検査を制限して(無症状の感染者を発見せず) 市中感染を増やしているのである。

現在只今も、医師が検査必要と診断しても「検査して貰えない多くの事例が続いている。ところが「そんなことはなくなったハズです」と厚生大臣も首相も言うだけである。

そして
(無症状の感染者)による感染者増大を見えなくするために、(検査数を公表しないで)「本日の感染者数」を発表しているのである。
これでは日本だけが「コロナ災禍」は終息せず続くであろう

終息せず続くのは
日本にリーダー(司令塔)が居ないからである。
つまり、安倍晋三が((己が責務)を自覚しないからである。
自覚する能力が安倍晋三には無いのである。
そしてまた
専門家会議のメンバーも入れ替えることだ。
もはや専門家会議とは言えない。とても信頼できない。



安倍首相が習近平主席に電話する
(カテゴリー: 新型コロナウイルス

安倍首相が習近平主席に電話する

 今夕(2020-4-21)の TBSテレビ(BS-1930)を視聴して医療現場にはマスクも防護服も枯渇して医療崩壊が迫っているとのこと。

1. 安倍首相が為すべきは、習近平中国主席に電話して、 「医療用具の応援(輸出)」を直接依頼する」ことである。
それが首相の役割である。

韓国の大統領は「コロナ対策」の前面に出て指揮した。そして、新たな感染者は(10人以下)になり「院内感染」も「医療崩壊」の不安もなくなった。

安倍首相はなぜ前面に出てテキバキ指図をしないのか。
その能力がないのならば「コロナ対策本部長の職責」を能力ある人物に委嘱すべきである。(関東大震災のとき後藤新平に帝都復興を託したように)

2. 首相が「外出自粛」を呼びかけても「8割にならない」のはなぜであるか。

(1) 言葉だけの「自粛要請」だからである。
  (財政支出が伴っていないからである)

(2) 安倍首相本人が国民に信頼されていないからである。
   (妻を説得できず、外出自粛も協力してもらえない首相の呼び掛けだからである)
   (サクラを見る会の逃げ答弁) や (解釈で法律を変更して検事長の定年延長をゴリ押しする安倍晋三だからだ)

(3) 安倍晋三自身に危機感がないからである。
  (自宅ソフアで愛犬を抱いて寛ぐ動画をアップする感覚の
  安倍の呼掛けだからである)

3. 自営業は (今月の家賃)(働く人の給料)が払えない、悲鳴を上げている。

今夕の番組では「スピード」が論点であった。
 しからば、
「補正予算が成立してからの申請手続き」ではなくて、
「補正予算の成立前に申請手続きを受付けて(簡略化した書類審査を済ませて)おいて、予算成立の日に口座に振込む。

 そのとき、役人の形式論理 (できない理屈) に囚われな

 いー突破するのである。
   その論理構成力が才覚である。

それができて国民の側に立った政府である。(できないことはないのである)
それを行うことが、「安倍晋三も安倍内閣も口先だけである」との (正当な批判)が少しく緩和されるのである。
世界の物笑いになっている日本
(カテゴリー: 新型コロナウイルス
世界の物笑いになっている日本

1.本日(2020-4-16)の「テレビ朝日・羽鳥モーニングショー」では、
日本では、「医師が検査必要」と診断しても「PCR検査をして貰えない」事例が今も続いている。だから感染者は日ごとに増大して「院内感染」が全国各地で頻発して、 「医療崩壊」が既に始まっているとのこと。

2.昨夕の「TBSテレビ・BS報道1930」では、(この番組がいちばん信用できる) 
韓国では、新たな感染者は27人に減り、「院内感染」も「医療崩壊の不安」も無くなり、「コロナウイルス」は収束に向かっているとのことである。ドイツやオーストラリアは「韓国の効果的な感染予防対策」を導入した。

3.日本と韓国の違いは何か。
・韓国は、大統領が前面先頭に出て、本気になって感染拡大を防いだ。
・日本の首相は「自分の言葉で国民に呼びかけない」 だから人々の心に届かない。(自分の言葉で呼びかける能力が無い
 のである)
 書いて貰った文章を読むだけである。(映像を注意して見れば目線を下にするのですぐ判る)、記者会見もしない。会見をしても質問する記者を選んで早々と打ち切って、自宅に帰る。
本気になっているとは到底思えない。日本には、コロナ対策の司令塔が居ないのである。
 だからPCR検査の拒否が続いているのである。

4.ドイツと日本の違い
・ドイツのメルケル首相は「コロナウィルスは未曽有の災禍であるからコロナ対策予算に上限は無い」と決断した。
 かくして、ドイツの致死率は世界一の最少である。

 これが国民の生命を守る首相である。これに比べて

・日本の安倍首相は「外出自粛8割」と言いながら「東京都の休業自粛をやりすぎ」と斥け、各県知事の休業要請のための保障予算を明言しない。いつも口先だけである。
 
・安倍首相は秘書官から (マスクを全世帯に配れば国民の不安はすっ飛びます) と進言されて、「効果の殆ど無い 寸足らずの布製マスク」を2枚づつ配布した。
  費用は466億円ー 無駄な愚策 ー 現場を知らない秘書官の 進言を採用する愚かな首相 
 
5.野党議員、
 平気で虚言を言う人物が現在日本の首相であり、信頼できない人物が国民の命運を握っているのだから、野党議員には{「論理的で迫力ある質疑をしてもらいたい。
 「辻本清美議員や福島みずほ議員」のように「ゴマカシ答弁を許さない追及質疑」をしてもらいたい。
 テレビ中継を観ていて(とても) 物足りなく思う。国民の代表としての気迫が乏しいと思う。
 平素日常を真剣に生きていないからだと思ってしまう。 

6.ハッキリ発言しないテレビの解説者
・テレビに出演する解説者は、(かかる事態に至っている)のは、「トップである安倍首相が決断しないからです」と、 (けっして) 言わない。
(かかる事態の打開・回避)は「安倍首相の責務である」とも言わない。
「やっていかなければならないですよネ」などと、 「主体ヌキの曖昧な言い方」をする。

「TBS報道1930(2020-4-15)」に解説者として出演した医師も「日本は韓国の検査のようにはできませんよ」と、(擁護するかの如き) 曖昧発言を繰り返した。 
なぜ「安倍首相の責務です」とハッキリ発言しないのであろうか。
これが現在日本の重大問題である。 これを近日、http://jichitaigaku.blog75.fc2.com/ に掲載する

7. 世界の物笑いになっている日本
 物笑いになっているのは「安倍首相だけ」ではない。
 日本の人々(吾々も)物笑いになっているのである。

司令塔・国立感染研究所に“検査拡大”妨害疑惑
(カテゴリー: 新型コロナウイルス

司令塔・国立感染研究所に“検査拡大”妨害疑惑

専門家会議の座長は感染研所長(右)/(C)共同通信社

なぜ、医師が必要と判断した患者の検査まで拒否するのか――。いつまで経っても、新型コロナウイルスの検査態勢が整わないことへの批判は強まる一方だ。安倍政権の方針も二転三転。安倍首相と加藤厚労相の国会答弁まで食い違うありさまだ。

 ついに、感染症対策の“司令塔”である「国立感染症研究所」(感染研)に疑惑の目が向けられ始めている。

 衝撃だったのは、感染研の研究員だった岡田晴恵白鴎大教授の告発だ。先月27日、テレビ朝日系の番組で、「国立感染症研究所のOBがデータを独占したがっていることが背景にある」と暴露したのだ。

 岡田教授は「論文がどうだ、業績がどうだということよりも、人命を取るもともとの感染研の方針に返っていただきたい。一部のOBのせいで、人命にかかわってくるのは怖いことです」と涙ながらに訴えていた。
  
さらに、国会でも野党議員が感染研の対応を問題視。北海道に派遣された感染研職員の“指導”の結果、「北海道の道庁の職員や保健所の職員は、検査をあまりしちゃいけないのかと思ってしまっている」と実情を明かしている。

 感染研のトップである脇田隆字所長は、政府の「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」の座長も務めている。専門家会議のメンバー12人中、感染研から“3人”が選ばれている。事実上、感染研が安倍政権の“コロナ対策”の方針を決めている状況だ。もし、その感染研が“検査拡大”を妨害しているとしたら、恐ろしいことだ。

 感染研は厚労省に所属する研究機関。1947年に設立されている。歴代所長や幹部には戦前、人体実験をしていた「731部隊」の軍医が就任していると報じられている。感染研に「白鴎大の岡田教授の発言内容は事実か」「職員の天下り先は」など、8項目の質問状を送ったが、締め切りまでに回答がなかった。

 政治評論家の本澤二郎氏がこう言う。
「新型コロナウイルスのデータは、非常に貴重なものです。独占できれば、ワクチン開発や特効薬の開発など、巨額な利益を生む可能性があります。もし、感染研と民間の製薬会社に癒着があれば大問題です。はたして天下りがあるのかどうか。国会で徹底的に追及すべきです」
コロナの感染爆発を防ぐには
(カテゴリー: 新型コロナウイルス

コロナの感染爆発を防ぐには

1.
ドイツの感染者数が多いのは積極的にPCR検査を行ったからである。 ドイツの致死率が少ないのは早期に検査して感染者を見つけて感染者を隔離したからである。

2.
外国で出来ていることが、日本でなぜできないのか。   外国でやっていることを、日本はなぜやらないのか。 それは

3.
国立感染研究所の関係者(医師)が「PCR検査を積極的にやる必要はないのです」と熱心に発言するからである。 なぜ熱心に発言するのか=これが「問題の肝」である (コロナウイルスのデータを独占掌握する為であるー前回書いた)

4.
今、重要なことは「感染爆発を防ぐ」ことである。それは 「感染していて無症状の人」(自身は感染していると知らない 人)に感染者を増やさせないことである (コロナウイルスをばらまかせないことである)。  日本政府はドイツのようになぜそれをやらないのか。見識ある司令塔が不在だからである。安倍晋三にはその能力はないのである。

5.
3月29日の(TBSサンデーモーニング)に出席した医師が「感染拡大を防ぐ方法は二つありまして、日本のやり方がド イ ツよりも良いのです」と発言した。 だが、日本の方法がドイツの方法よりも「なぜ良いのか」 は説明しなかった(出来ないのである)。 関口キャスターも他の出席者も、医師の発言であるから  黙っていた。

6.
日本の方法は「重症にならなければ検査しないのである」 ドイツは感染者を早期に発見して感染拡大を防ぐのであ  る。そして致死率はドイツが日本よりもはるかに低いのである。 政府と国立感染研究所の関係者は、日本の死亡者数の少な いことを(根拠もなく)拠り所にしてPCR検査の抑制を唱える  のである。

7.
外国はPCR検査で感染者の早期発見を積極的行っているの だが、日本だけがPCR検査を(奇妙な理屈で) 抑制してい   るのである。 東京の感染者は日毎に増大している。 日本列島に感染が広がり(手が付けられなくなったとき) この医師は「如何なる言明をするのであろうか。
「外国でできているPCR検査が、なぜ日本ではできないのか」
(カテゴリー: 新型コロナウイルス
「外国でできているPCR検査が、なぜ日本ではできないのか」(Ⅱ)

朝日新聞(2020-3-25)28頁の「PCR検査の記事」に驚いた。
聖路加国際病院QIセンターの坂本史衣看護師(感染管理室)のインタビュー記事である。
  
 以下に疑問を列記する

1. 「感染拡大をなんとか防げないものか」の重要なこの時期に、朝日新聞科学医療部が如何なる意図で「このインタビュー記事」を掲載したのであろうか。

2. 坂本看護師は、「PCR検査は正確ではないのです」「偽陰性、偽陽性を避けられないのです」「不確実性が高い検査をうけるために病院へ行く意味は非常に薄いのです」「弊害もあります」と答える。
では(検査はしないのが良いのですか)と問えば(そうは言ってません)と言うのであろうが、「完全な検査ではないが、それを弁えての検査は、したほうが良い」とは言わない。
インタビューの答えは、その全てが、PCR検査の否定的・消極的見解である。

3. 外国では、感染拡大を防ぐためにPCR検査を積極的に実施している。
だが日本では、医師がPCR検査を必要と診断しても、検査を拒否される事例が今も続いている。なぜであろうか。朝日新聞のこの記事は「検査を断られても意味ある検査ではないのですよ」と言っているように思える。

4. 坂本看護師は「PCR検査で感染を早く見つけても重症化を防げるわけではないのです」「つらくなければ自宅で療養して下さい」「高熱が続き苦しくなれば 、(帰国者・接触者相談センターに電話したうえで) 医療機関を受診して下さい」答える。これは(重症者になれば検査します)である。
 [外国で出来ていることが、日本でなぜできないのか]
 そのカラクリが次項の「問題の肝」である。

5. 問題の肝は、なぜ(帰国者・接触者相談センターに電話したうえで) なのかである。
 (帰国者・接触者相談センターに電話したうえでなければ、PCR検査をやらない) のは「PCR検査数を抑制・制限して、国立感染研究所が「新型コロナウイルスのデーター」を独占掌握するためである。(データー独占は莫大利権に繋がる)
 莫大利権に繋がるこの手続き(仕掛け)を安倍晋三政権が(やめさせない) から検査数が少ないのである。少ないのは日本だけである。

6. かくして今は、(検査されなかった感染者による感染拡大) が潜行しているのである。
 朝日新聞科学医療部はその企み(タクラミ)を承知しての記事掲載であるのか、を疑う。

 日本の感染者が少ないのは、看護師や医師や学者の方々が熱心に「検査はさして意味がないのです」と「尤もらしい奇妙な理屈」を述べるからである。なぜ検査を抑制するのか。検査を制限すれば感染者が少ないのは道理ではないか。
 オリンピックの前に「感染者が増大したらどうするんだ」と発言した読売新聞系のテレビの辛坊司会者も居るのである。
外国で出来ているPCR検査がなぜ日本でできないのか
(カテゴリー: 安倍晋三の正体

外国で出来ているPCR検査がなぜ日本でできないのか。

検査を遅らせているのは、国立感染研究所が新型コロナウイルスの貴重データーを独占(独占は莫大利権につながる)をするがためであろう。
「専門家会議」の座長は国立感染研究所長であり会議メンバーには研究所員が三人入っているのである。そして莫大利権であるから安倍周辺も黙認しているのである。

 韓国大統領は自ら前面に出て検査体制を構築したが、
 日本の首相(安倍晋三) の意識と関心は、(サクラを見る会のウソ)と(自身への刑事事件の展開)を防ぐために「解釈で法律を変更」して、(官邸お庭番の)検事長の定年を延長することにある。であるから、コロナ対策は後手後手の思い付きである。

 かくして「検査をされない感染者による感染拡大」が、日本列島に始まるであろう。

 平然とウソをつき官僚にゴマカシ答弁をさせる安倍政権を国民は信頼できないではないか。ウソを平気で述べる安倍晋三が本部長のコロナ対策本部も信頼できない。もっと国民の健康を真剣に考える、見識ある誠実な人物が、コロナ対策本部長になってもらいたい。

 このことを、自民・公明に投票した有権者の方々に考えて頂きたく思う。もはや自民党と公明党には期待できないではないか。両党は安倍晋三と同じ「言葉だけの前向き」であるのだから。


NHK経営委員会、森下俊三委員長の速やかな辞任を求める  放送を語る会
(カテゴリー: 民主主義
 放送を語る会の「森下俊三NHK経営委員長の辞任」を
 求める申入れに賛同する。


NHK経営委員会 委員長 森下俊三 殿
経営委員 各位
                             
 NHK経営委員会、森下俊三委員長の速やかな辞任を求めます。

  2020年3月8日
   放送を語る会
 
2018年、かんぽ-生命保険の不正を追及したNHK番組に対し、当時NHK経営委員長代行だった森下俊三氏ほか複数の経営委員が、番組の制作手法について批判していたことが明らかになりました。
 2018年10月23日の経営委員会で、同年4月24日放送の「クローズアップ現代+」に関する議論があり、上田良一会長に厳重注意処分が行われました。
この会議で、森下氏はじめ複数の経営委員が、「作り方に問題がある」など、番組の制作手法について批判したと報じられています。
この森下氏をはじめとした経営委員の行為は、NHK経営委員会のあり方を大きく毀損するものであり、議論を主導した森下氏が現在経営委員長の職にあることをとうてい認めることができません。
 当会は、以下に列記する理由によって、森下俊三委員長が自ら辞任するよう強く求めるとともに、当時、経営委員会でどのような議論があったのか、詳細な議事録の公開を要求します。
 
1)問題とされた経営委員会の議論について、森下委員長もNHKも、メディアの取材に対し、番組の自主・自律を損なうものではなかった、と回答しています。
 しかし、経営委員会で、個別の番組について批判する発言があったこと自体が大きな問題です。
それだけにとどまらず、こうした経営委員会の姿勢は、郵政グループに対して会長を謝罪させ、2018年中に「かんぽ-不正」問題の番組の続編が事実上できなくなるという事態を招きました。当時、森下氏は、会長への厳重注意を積極的に主張したとも伝えられています。
この間も全国で被害者が増え続けました。経営委員会の責任は重大です。
  放送法は、第3条で、「放送番組は……何人からも干渉され、規律されることがない」と規定し、第32条で「委員は個別の放送番組の編集について、第3条に抵触する行為をしてはならない」と規定しています。
森下現経営委員長ほか当時の経営委員の行為は、この規定に明確に違反しています。

2)森下委員長は、これまで、「経営委員会で放送の中身は話していない」と説明してきましたが、これが虚偽であることが明らかになりました。
視聴者に責任を負うべき経営委員会の議事内容について、ウソを公言したことになります。この点でも森下氏は、経営委員・経営委員長の資格はないと考えます。
この点を明確にするためにも、かんぽ-報道問題での経営委員会の議事内容を公開することは必須であり、NHKが視聴者への情報公開の責任を果たすうえでも欠かせない義務と考えます。

3)NHKかんぽ-不正報道問題の事実経過を全体として見るとき、経営委員会が、郵政グループと、副社長だった元総務省事務次官の圧力、干渉に屈服あるいは同調したことは明らかです。
外部からの理不尽な圧力にたいして、本来、経営委員会はNHKの番組制作の自主自律を守ることが任務であったはずです。しかし、森下委員長はじめ複数の経営委員は、当時、この任務の自覚を欠き、不正を暴く番組制作現場の努力をないがしろにしたことになります。

以上のことを踏まえ、責任ある立場の森下俊三氏の委員長の辞任・経営委員の辞任を重ねて求めるものです。

福島瑞穂議員の国会質疑
(カテゴリー: 民主主義
福島瑞穂議員の国会質疑

3月6日、福島みずほ議員が「戦後初めての認証官の定年延長問題」を問い質した。
 森まさこ法務大臣は、些細なことも、後ろを振り返り指示を求めて「答えられません」をくり返した。安倍晋三を守るだけの無能な答弁ぶりであった。

(黒川検事長の定年延長が重大問題であるのは、森友、加計獣医学部、サクラを見る会などでの、公文書の廃棄・改竄・作成等々が、後日に、安倍晋三の刑事事件になることを避けるために、検察庁法の明文を解釈変更して、無理矢理に(官邸のお庭番と呼ばれている)黒川弘務検事長を検事総長するための定年延長だと噂されている問題だからである)

この日の論点は「検察庁法を解釈で変更する」重大問題である。法務大臣の職責に関わる問題である。
森まさこ法相の答弁は、国民代表議会を愚弄するものである。不真面目な答弁は法務大臣の資格なしを証明するものであった。

これまで、「質問に答えない」「無内容な繰り返し答弁」に、質問者は、「苦笑して」「次の問題に」と「不真面目答弁」が続くことを容認していたのだ。
(質問者に本気で追及する迫力が無かった)

 福島みずほ議員は「質問に答えていない」「質問に答えて下さい」と繰り返し追及した。
国会審議を正常に戻すには、福島議員の「これが必要」である。
不真面目答弁を容認してはならないのである。

 下記をご覧あれ
 福島みずほVS森まさこ壊れたレコーダー「黒川氏の勤務延長同意書は誰の前で書いたのか」「受領したのは誰か」「発案は誰か」森「個別の人事(ry」100?連発で戦後初めての認証官定年延長を説明せず委員会紛糾 52,672 回視聴 •2020/03/06
 https://www.youtube.com/watch?v=rZilR1LqY7g
 https://dot.asahi.com/wa/2020030300042.html
 https://mainichi.jp/articles/20200307/k00/00m/010/011000c
驚くべき「日テレの司会者」-コロナウイルス感染討論
(カテゴリー: 対論
  驚くべき「日テレの司会者」

3月2日、BS日テレ (読売新聞系)の「深層ニュース」(午後10時―11時)で「コロナウイルスの感染」をめぐっての討論が放映された。
 討論者は
 ・中谷 元(自民党議員)
 ・武藤正敏(元駐韓大使)
 ・上 昌宏(医療ガバナンス理事長)

討論で
「感染者を早期に発見して人に移さないよう注意してもらう」「四日間の自宅待機は重症者にしてしまうことになる」「とくに高齢者に四日間の自宅待機はさせてはならない」 などの意見が開陳された。

すると
司会の辛坊治郎キャスターが「熱が出ているのに検査をして貰えない」とか、「検査を拒否された」と言うけれども、検査をして多数の感染者が発見されたとき、日本が国際社会からどう見られるか、を考えなくてはならない、と言った。

 驚くべき司会者である。
 ホントに「こう言った」のである。


FNNテレビ(産経新聞系)も、 「検査はさほど重要でない」と放映している。
 下記をご覧あれ。 
https://www.youtube.com/watch?v=8xuooE1T9nU

 なぜであろうか 
 何のためのキャンペーン放映であろうか

国会の質疑
(カテゴリー: 安倍晋三の正体
現在日本の国会答弁

1. 安倍晋三の「はぐらかし答弁」には

 質問していないコトを(饒舌に)(同じことを)(繰り返す)答弁には 「訊いていないことを喋らないでください」「質問時間を浪費するためにやってるのですか」 と言う。
 そして、「訊いたことに返答してください」  [「いいですね」 と言い「その返答」を求める。

 再びの饒舌答弁のときには (直ちに・寸時に)、 [ピシャリ]とやる。
 ここが質問者の [気迫と才覚]の場面である。 

失礼ながら、 [気迫・才覚]の乏しい野党議員の質問が、(ときおり・しばしば)ある。
寸時に、ピシャリの言葉が、出るか出ないかは、(質問者が本気であるかないか)の違いである。

 大きな声も時と場面で必要だが、「大きな声」よりも、「気迫と才覚」である。

2. 質問者は
  (用意してきたコト)(勉強してきたコト)を、長く喋らない。
  [短く、簡明に、ずばり訊ねる] 自分の所見を披歴する場ではない。(質問に演説は不要)

3. 辻本清美議員の2月18日の質問はとても良かった。  
 
これが現在日本の国会答弁である
(カテゴリー: 安倍晋三の正体

    現在日本の国会審議

安倍晋三は、辻本清美議員の質問に答えることができず、冗長な文章を繰り返し読み、ひたすら質問時間を失わせた。
 この安部晋三の無責任な答弁術を、小泉進次郎(環境大臣) が真似る。

新型コロナウィルス対策会議を休んで地元で新年会パーティに興じていた小泉進次郎は、宮本徹議員の質問に答えることができず、安倍晋三の答弁術を真似て、無内容な官僚作文を繰り返し繰り返し読むだけであった。(2020年2月18日衆議院予算委員会)

かくの如き「経綸・才覚」無く、「純粋心・正義感覚」も無い「卑小人物」を、次の総理大臣と噂するは面妖至極なり。

 今では、安倍内閣の各閣僚は、安倍晋三の「はぐらかし答弁」を真似て、平気で無意味な答弁を繰り返し、国会答弁の倫理感を著しく低下させている。 「総理がやっている」のだから、「これでよいのだ」が、安倍内閣の大臣に広がっているのである。

 行政を指示する責務の大臣と上層官僚は、安倍晋三の答弁を守ることに神経を集中して「コロナウイルスから国民を守る責務」は言葉だけになっている。

 大臣と官僚がこうだから、行政の緊張感は低下し、「コロナウイルス対策」は後手後手になり、ウイルスが日本列島に蔓延し始めており、世界から「日本は何をしているのか」と言われている。

 総理大臣たるものは道義心を保持し身をもって国会尊重の範を示すのが主権者国民に対する責務である。しかるに、安倍晋三の言動は真逆である。 

   安倍晋三は史上最低の総理大臣である。

竹中 労著 『降臨-美空ひばり-昭和を奏でた天才歌姫』 晩聲社刊行
(カテゴリー: 新刊案内
 竹中 労著 『降臨-美空ひばり-昭和を奏でた天才歌姫』

学校同窓で弁護士の友人から、
竹中労 著「降臨 美空ひばり」晩聲社刊行を贈られた。
まことに面白く一晩で読み終えた。

竹中 労ならではの「美空ひばり論」であった。
とりわけ、「美空ひばりの歌唱は民衆芸術である」「美空ひばりと田岡一雄の友情」などの話は竹中労氏ならではの所見である。

 「美空ひばり論」は数多く出版されているが、これほどのものはない。多くの方々に読んで貰いたいと思った。
 
先日放送されたNHKの「AI 美空ひばり」のAI 映像は、少しく不自然ではあったが、美空ひばりの歌声が「何故に人の心に伝わるのか」の、AI 製作の説明と、この本の竹中氏の言説で、「ああそうなんだ」と、納得できた。

多くの方々に、竹中労 著「降臨 美空ひばり」晩聲社刊行をお薦めしたい。
対談「情報化社会における民主主義の可能性」
(カテゴリー: 民主主義
   対談「メディアと自治の未来」

 外岡秀俊氏(元朝日新聞編集局長)と対談しました。 

 日 時  12月8日(日)
 対 論    13時~15時
 会場討論  15時~16時 
 会 場  札幌市中央区北4条西6丁目 ポールスター札幌
       3階多目的ホールAプレリュード
 主題は「情報化社会における民主主義の可能性」です。
 対談内容は
1 日本は民主主義が危うくなっているのではないか。
民主主義の継続維持には人々の批判的思考力が不可欠である。だが、現在日本には「間違っていること」を「間違っている」と言わない風潮が蔓延している。蔓延するのはなぜであろうか。 

2 民主主義の政治理論 - 「市民自治」と 「国家統治」
「市民自治」とは、市民(People)が政府を選出して制御するである。「国家統治」とは、政府が(国家観念を隠れ蓑にして)国民を支配するである。
岩波新書「市民自治の憲法理論」松下圭一
だが大学の講義は「国民主権」を「国家主権」と言い換えて「国家統治理論」を今も教説している。 なぜであろうか。
 
3 メディアの現状
  テレビ 
  新聞
  SNS
  映画『新聞記者』― 内閣情報調査室  
  NHKの現状

4 隣国との友好平和
現在の日韓問題ー 学校で教えないから「知らない」 知らな いから安部政権の嫌韓宣伝に同調する。

5 安部晋三の正体  
なぜ安部政権の支持率が急落しないのか

 下記映像をご覧下されば幸いです。 
 https://www.youtube.com/watch?v=djCrsoLZ74U
 https://www.youtube.com/watch?v=VKjH84fzAKU
【判決報告集会】伊藤詩織さんの民事訴訟判決  2019-12-18
(カテゴリー: 民主主義
ご覧あれ
https://www.youtube.com/watch?v=522UGZd_jj0&t=851s
伊藤詩織さんの民事訴訟判決報告集会

最後まで全てを視聴なされば、
 胸中に熱きもの満ち、
 純粋な心になり
 身勝手な不正に怒りが高まります。

イギリスBBC放送番組「日本の秘められた恥」で、伊藤詩織さんレイプ事件が放映された!特に凄いのが、詩織さんの家に盗聴器が仕掛けられており、外に(日本)公安の車が常駐して監視していた様子が映像として出て来ます。※大沼安史さんツィッター又は「シャンティフーラ・ブログ」(今年12月19日)記事より、上記BBC番組(日本語字幕付き)が観れます❗【青森次郎]
必ず出てくる「いつもの論法」
(カテゴリー: 民主主義
必ず出てくる「いつもの論法」

 国政執行の不正問題が生じたときに、必ず出てくる論法は、『他に重要な国政課題が山積しているにも拘わらず、野党はそのことばかりを言っている』『だから、野党はダメなんだ』の論法である。

例えば、
2019-12-11 (TBS報道特集19.30)に出席した伊吹文明自民議員
      の論法
2019-12-8 (読売新聞「社説」冒頭の文章)

そして「テレビワイドショー番組」の(多くの)解説者
 
いずれも、(安倍政権の不正から) 国民の目を逸らさせる論法である。これらの言い方に騙されてはならない。

1.国政課題の審議が進展しないのは、当事者である安倍晋三本人が、逃げ回って正直に説明しないからである(不正言動を行ったから説明できないのである)。国政課題の審議が進展しないのは安部晋三が原因である。

 野党は「他の国政課題をも審議するために、40日の会期延長」を提起したのである。だが自民と公明は、安倍晋三を「一問一答の場に出さないために」即ち(安倍晋三を守るために) 国会閉会を強行したのである。伊吹文明議員は何ゆえにそのことに言及しないのか。
 公正らしく振舞いながらも、内心では、自分も中曽根のように(非公認の詰め腹) になるを恐れての言説であったのか。

2.そもそも、公文書は「行政執行が適正であったか否かを検証する主権者の重要財産」である。安倍晋三政権の所有物ではないのである。政権の「公文書廃棄・改竄」は 主権者国民の信託に対する重大な背信である。憲法違反の所業である。
 
公文書を「廃棄しました」「復元はてきないと聞いています」と無責任に答弁する安倍首相と菅官房長官の態度は、国民を裏切る犯罪である。

3.さらには、官僚に「廃棄しました」「分かりません」と言わせて「官僚の心を蝕み(むしばみ)続けている」現状は、有権者国民には「ゆるがせにできない」重大事態である。
 
4.有権者国民は、野党が結束して安倍政権を批判追及する行動を、支持せずばなるまい。自民と公明は、公文書をも廃棄し改竄する安倍晋三を批判できないのだから、公明と自民は安倍晋三と同じ穴の貉(ムジナ)であるのだから。
 
 「サクラを見る会」の問題は、
今では、単なる「税金で開催する観桜会」の公私混同の問題から、『公文書廃棄問題』と『官僚の心を蝕む』重大問題に転換しているのである。通常国会で追及するべき重要事態である。

安倍政権の支持率が急落しないのはなぜであろうか
(カテゴリー: 民主主義

「これほどのこと」が起きても
安倍政権の支持率が急落しないのはなぜであろうか

「重要な公文書を廃棄し」「後になって書き換える」などの重大事態を引き起こしても、
 安倍政権の支持率が急落しないのは、なぜであろうか。

① ニュース原稿を政治部記者が書き直して安倍政権を一切批
判しないNHKのニュース
②「日本会議」系の安倍政権を支える発行部数最大のY新聞
③ 歴史的事実を教科書から抹消して「知らない」若者を量産
 した「安倍首相直属の教育再生会議」が、安倍政権を支え
  ているからであろう。

 だがそれよりも、何があっても結局は安倍を支える「公
 明」が存在するからであろう。

「公明」は
① アメリカの戦争に参戦するための集団自衛権のときも、 
② 取材禁止(取材に来るな)の秘密保護法のときも
③ 森友問題の公文書改竄のときも
④ 今回の「サクラを見る会」の安倍疑惑を隠すため、安部首
  相を「一問一答の場」出させないために「会期延長」
  を拒否するときも、いつも結局は「安倍自民に手を貸
  す」のが「公明」である。

 つまりは、
 安倍政権の支持率が急落しない一番は「公明」ではなかろ
 うか。
民主主義には「騙されない思考力」が不可欠
(カテゴリー: 民主主義
民主主義には「騙されない思考力」が不可欠

 民主主義には「人々の考える力 (騙されない思考力)」が不可欠重要です。「批判的思考力」を高めるには「岩波月刊誌・世界」を読むのが一番です。

『世界』は毎号「現在日本の重要問題」を鮮明に鋭く特集しています。とくに連載の「メディア批評」が良いです。真相を「明確な視点で明晰に解説」しています。とても良いですお薦めします。自治体政策研究所は「世界読書研究会」を8年続けています。 
 
 いつの時代も権力者は人々を騙します。安倍晋三はトランプと同様の、その場その場の虚言です。総理総裁としての見識も倫理観も無い人物です。憲政史上の最長政権となった記念の日に「桜を見る会の疑惑」が噴出したのは安倍晋三の平素の実態からです。

 その12月2日の本会議答弁は「答弁ではない」「質問に答えない」「無意味なハグラカシ」でした。正々堂々と「疑惑を晴らす答弁」をしないのは、自民・公明が多数議席で守るからです。自民と公明に「国会の権威」を守る議員が居ないからです。

 そして今や国会に「多数議席であれば怖くない」が横行蔓延しているのです。「資料は廃棄しました」「記憶にありません」と言わせて、官僚の心を蝕むから、例えば、教育現場は困憊し「生徒の学力は年々低下する」のです。
「よくもまあ、そんなことが言えるよ」ー安部晋三の二枚舌
(カテゴリー: 民主主義

 「よくもまあ、そんなことが言えるよ」ー安部晋三の二枚舌

 庶民の会話で「よく言うよ」の言い方がある。
だが、安部晋三は「よくもまあ、そんなことが言えるよ」である。先刻の発言と真逆のことを平気で言うのである。 長期政権のおごりか、それとも通用すると思っているのであろうか。
 
 本年(2019年)11月、ローマ教皇が来日して長崎、広島を訪れ「核廃絶」を世界に強く訴えた。そして安部首相と会談し「原爆によってもたらされた破壊が二度と繰り返されぬよう、阻止するために必要なあらゆる仲介を推進して下さい」と述べた。
安部首相は「唯一の被爆国として核兵器のない世界の実現を主導していく使命を持つ国、これは私の揺るぎない信念です、日本政府の確固たる方針です」と答えた。

 だがしかし  
 2017年国連で「核兵器禁止条約」が採択されたとき、賛成しなかったのは日本とアメリカの二か国であつた。世界の人々は、教皇と会談後の日本首相の言明をどのように聴いたであろうか。
 そしてまた、日本の人々は「サクラを見る会の一連の疑惑」を説明しないで逃げる安部晋三政権を支持し続けるのであろうか。
対談『メディアと自治の未来』  ~情報化社会における民主主義の可能性~
(カテゴリー: 対論
対 論『メディアと自治の未来』 
~情報化社会における民主主義の可能性~

 外岡秀俊 (元朝日新聞編集局長)
 森 啓  (元自治体政策研究所理事長)
論 点
1 日本は民主主義が危うくなっているのではないか。
民主主義の継続維持には人々の批判的思考力が不可欠である。だが、現在日本には「間違っていること」を「間違っている」と言わない風潮が蔓延している。蔓延するのはなぜであろうか。
 
2 民主主義の政治理論 - 「市民自治」と 「国家統治」
「市民自治」とは、市民(People)が政府を選出して制御するである。「国家統治」とは、政府が(国家観念を隠れ蓑にして)国民を支配するである。
岩波新書「市民自治の憲法理論」松下圭一
だが大学の講義は「国民主権」を「国家主権」と言い換えて「国家統治理論」を今も教説している。
 なぜであろうか。
 
3 メディアの現状
テレビ 
新聞
SNS
映画『新聞記者』― 内閣情報調査室  
NHKの現状

4 隣国との友好平和
現在の日韓問題ー 学校で教えないから「知らない」 知らな いから安部政権の嫌韓宣伝に同調する

安部晋三の正体  
なぜ安部政権の支持率が急落しないのか

日 時  12月8日(日)
対 論    13時~15時
会場討論  15時~16時 
会 場  札幌市中央区北4条西6丁目 ポールスター札幌
       3階多目的ホールAプレリュード
        参加 無料

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NHK経営委員会委員に長谷川三千子氏を再任することに抗議する声明
(カテゴリー: 民主主義
 「放送を語る会」の声明に賛成する

NHK経営委員会委員に長谷川三千子氏を再任することに抗議する声明 
   2019年11月25日 放送を語る会

 来る12月10日、NHKの最高意思決定機関である経営委員会の3名の委員の任期が終了する。
伝えられるところによれば、政府が国会に提示した後任の委員候補の中に、現在2期目の長谷川三千子氏の再任が含まれていることが明らかになった。この国会同意人事の方針に、当会として強く抗議し、撤回を求める。また、衆参国会議員各位には、長谷川委員の再任に同意されないよう要請するものである。

2014年初頭から、当会を含む全国の視聴者団体、市民団体が、籾井会長の罷免要求と共に、当時の百田尚樹委員と、長谷川委員の罷免を要求して署名運動を展開した。署名は数万筆規模に達したが、この市民要求は無視され、長谷川氏は2期6年にわたって経営委員を務めた。今回再任されれば異例の3期9年間、NHK経営委員会に留まることになる。

 かつて、視聴者団体が長谷川氏の罷免を求めたのは、氏の経営委員としての適格性につよい疑念を抱き、放送法の精神からいって、経営委員にふさわしくないと判断したからであった。この状況は基本的に変わっていない。
 長谷川氏の典型的な政治的主張は要旨つぎのようなものであった。
 「日本の国柄というのは、本来、国民が天皇のために命を捧げる、そういう国体である。(「三島由紀夫・森田必勝両烈士四十三年祭」講演より。2013年12月2日 動画サイト「チャンネル桜」)

「天皇が国民の安寧を願って、そのために全力を尽すという、日本型民主主義はそういう国体の形で支えられている。帝国憲法(明治憲法)がこんなにいいものなんだ、日本国憲法なんていうものに変える必要がないんだと思えてきた。」(2012年2月16日「チャンネル桜」) 極右的な姿勢の哲学者として知られる長谷川氏が、思想信条の自由に基づいて、どのような言論・表現活動を行おうとも、それは自由である。しかし、いかなる政治信条の持ち主が経営委員にふさわしいか、ふさわしくないかは、独自に判断され、視聴者市民の批判と検証にさらされる必要がある。

 放送法は、その目的を、「放送に携わる者の職責を明らかにすることによって、放送が健全な民主主義の発達に資するようにする」(第1条)と定めた。「放送に携わる者」である経営委員も、健全な民主主義の発達に資するべき人間でなければならない、ということがここから導かれる。そう考えたとき、「日本の国柄は、国民が天皇のために命を捧げる国体」と公言し、現行憲法の国民主権を否定する人物が、「健全な民主主義の発達」に資する人物かどうか、重大な疑念がある。

 また、放送法は、もう一つの目的として、「放送の不偏不党と自律を保障して、放送による表現の自由を確保すること」をあげている。特定の政治勢力の放送への影響、圧力を防ぐのも、この法律が目指していることである。ところが、長谷川氏は、経営委員に就任したとき「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」の代表幹事であった。就任直後のある院内集会では、NHK経営委員であることを明らかにしたうえで、「私は安倍晋三応援団です」と公言している。

 放送法が保障するとした放送の不偏不党性にとって、こうした人物が今後一つの脅威となる可能性は否定できない。

 2013年に任命された。長谷川氏を含む4人の経営委員は、いずれも安倍総理大臣に近い人物と報じられた。それ以後も、経営委員会には政権に近いとみられる人物が次々と送り込まれてきている。長谷川氏の再再任は、安倍政権のNHK経営委員会に対する永年の姿勢を典型的に示し、強化するものと言わなければならない。

 以上のことから、氏があと3年間NHK経営委員会にとどまる再任人事には、改めて強く反対の意思を表明するものである。
北海道での25年
(カテゴリー: 北海道での25年
 私の北海道での25年  

町内会役員の堀川さんから「北海道での25年の話をサロンで」と言われて、最初は「話すこともありませんから」と辞退したが、自分を顧みるよい機会だと思い話をさせて頂きました。(以下は当日の二丁目町内会「サロンえいと」での話です)

 北海道に来たのは1993年です。
 北大学長から長洲神奈川県知事に「私の割愛依頼」の文書が届いて北海道に来ました。北大で5年、北海学園大で10年、北海学園の非常勤講師で10年の歳月でした。北海道の25年を振り返って「良かった」と思う第一は、「自治体学理論」を人前で話せるようになったことです。

 自治体学理論
 北海学園大学で「自治体学」(専門科目・四単位)の講義をしました。そして『自治体学入門』『自治体学とはどような学か』の書物を刊行しました。コレがその本です
 「市民自治の理論」は松下圭一先生から教わりました。松下先生は私には学問の恩人です。ですから「松下先生追悼の集い」を自治労会館で、「松下理論の今日的意味」の公開講座を北海学園大学で開催できたことが「とても良かった」と思っています。
 
  北海道自治土曜講座
 第二は、1995年から北海道自治土曜講座を21年継続したことです。実行委員長を21年勤めました。北大会場で(16年)、北海学園で(5年)開催しました。最初の16年間は年5回-月1回(第三土曜) 受講料 1万円でした。
 北海道新聞の(卓上四季)は「公務員が自腹で勉強を始めた」と書きました。土曜講座の人気が高くなり、私は事務局(北海道町村会)に「受講申込を断らないでください」と言い、事務局は「会場に這入れないと責任問題になります」の返答でした。
 二年目は872人の受講者でした。会場を厚生年金会館にして、翌日からは二会場に分けて講師は同じ講義を二回しました。
毎回の講義をブックレットにして刊行し(115冊)、『北海道自治土曜講座の16年』を出版頒布しました
 (公人の友社-1.600円)  コレがその本です。 私の北海道での25年は殆どが自治土曜講座の開催でした。

  無防備都市宣言条例の署名運動 
 大学で学生に講義する職業が終わったら、次は無報酬で「反戦平和の市民運動」をやろうと思っていましたから、KKRホテル二階のレストランで「無防備平和地域宣言」の署名運動の代表人を頼まれ引き受けました。札幌を無防備平和都市にする宣言条例制定の署名運動です。条例制定の署名運動は「姓名・住所・生年月日・捺印」の署名を集めるのです。一か月(60日)で有権者数の2%の署名を集めるのです
 札幌市の有権者数は155万9千557人(2.007年)でしたから、その2%は(31.192人)です。最初は(できない・無理)だと思っていました。だが、多くの人々が本気になり、私も本気になって、4万1千619筆の署名を集めて成功しました。
 (団体の役員)と(市民運動の人)は、「発想」と「思考回路」が異なります。
 団体や労組の役員は「組織決定して組織動員」です。そして「失敗したときの責任」を常に考えます。ですから「やりましょう」にならない。時期尚早と言います。決断しないのです。
 市民運動の人は「自分の考えで決断します」「やってみよう」です。失敗したときの責任よりも「やらなくては、やってみようよ」と発想します。
 署名がはじまると、「お前はアカだ」「お前の講義を聴く学生は哀れだ」「ヤメロ」のメールが毎日何百通も届きました。その一部を(パソコンに保存してあります)
 当初のころの大学の用務で何もできなかった日のことです。札幌エルプラザでの夕刻の「署名獲得数の報告会」で、(代表人でありながら自分は今日何もしなかった)と、その場に居たたまれぬ辛い思いになりました。でその翌日から足を棒にして、最高は一日で179筆の署名を獲得しました。(この数は今も全国トップで破られていません) 
 署名運動での感動的な体験を『無防備平和』の本に書きました。この本です。後日、中国の延安に行ったとき、延安大学で講演を頼まれて「日本の近代化」のタイトルで話しました。近代化とは「経済の工業化」と「政治の民主化」であると述べ、日本の人々はアメリカに従属する日本政府に抗して「無防備平和の市民運動」を展開していますと説明し、この本(無防備平和)を延安大学に寄贈しました。
 この「DVDビデオの箱の写真は」、4萬1千619筆の署名を集めた最終日の感動の場面です。 私の顔も写っています。
 無防備平和の署名運動は北海道生活での感動的な思い出です。
 書物-『無防備平和』(高文研-1.600円)  ビデオ-『無防備地域宣言-平和なまちをつくる』

  市町村合併の反対運動
 25年を振り返って良かったことの四つ目は、小泉構造改革の「地方切捨ての市町村合併」を批判し反対したことです。
 合併は22兆円の地方交付税の削減が狙いです。北海道の町村は面積は広大ですが人口は減少しています。人口1萬人まで一律に合併させるのは住民自治の侵害です。
 北海道だけでなく、全国各地で「住民の意見を聴け」の声がおきました。住民投票条例制定の署名運動が始まりました。だが議会が住民投票条例制定の住民の声を否決しました。否決する根拠に「50%条項」が援用されました。
 「50%条項」とは(徳島市議会で「吉野川河口堰の住民投票を葬るため」「投票率が50%を超えない」ときは「住民投票が成立しなかったのだ」として「投票箱を開かず焼き捨てる」という条例をつくりました。この(50%条項)が「合併の住民投票を葬るため」に全国各地で悪用援用されたのです。 北海道での典型的な事例をお話します。
 石狩市 
 南幌町 
 奈井江町 

 国会から「合併促進の法改正」に対するで意見を求められて、反対意見を衆議院総務委員会で陳述しました。その動画が今もインターネットに流れています。その動画をパソコンでちょっと見て頂きます。
 https://www.youtube.com/watch?v=2tqXt27Z3tU
 そして、全国各地から「合併反対の講演」を依頼されました。神奈川県での文化行政のときの講演依頼と合わせると、47都道府県のすべての地域に出かけました。「自分は今この世の中に生きているのだ」をそのとき実感しました。

  原発民衆法廷  
 原発の事故は「人間には手に負えない」のです。そして「絶対安全は無い」のです。現に福島では、今も自宅に帰れない何万人もの人が「避難住宅で自殺と神経症」で苦しんでいます。一部の人の利権のために多数の人が犠牲になっているのです。そしてゼネコンは莫大な復興基金で潤っているのです。
札幌の民衆法廷は、泊り原発の危険極まるプルサーマル計画に賛成した高橋はるみ知事と奈良林直(北大教授・元東電社員)の責任」を弾劾する民衆の法廷です。民衆法廷での私の発言が インターネットに流れていますので、それを(ちょっと)見て頂きます)
 https://www.youtube.com/watch?v=9CToAeO175Y
 
 北海道が大好きになりました。冬の雪景色がとてもスキです。いつまでも札幌に住んでいたいと思います。だが、大学で講義をする職業が終わって、いつまでも家族と離れているワケにはいかないので、この秋に横浜に帰ることにしました。
森 啓 もり けい  1935年徳島県生まれ・中央大学法学部法律学科卒業・神奈川県自治総合研究センター研究部長・北海道大学法学部教授 (公共政策論)・北海学園大学法学部教授 (自治体学)・北海道地方自治土曜講座実行委員長
<現在>北海学園大学法科大学院講師・NPO法人自治体政策研究所理事長
ブログ「自治体学」 http://jichitaigaku.blog75.fc2.com/
「NHKから国民を守る党」を批判する『放送を語る会』 の見解
(カテゴリー: 民主主義
放送を語る会の見解に賛同し
下記を掲載する。
 
「NHKから国民を守る党」の主張を批判する
  2019年8月14日 放送を語る会

 第25回参議院選挙で、「NHKから国民を守る党」は、比例で1議席を確保し、選挙区 の得票率が3パーセントを超えたことで政党要件を満たす存在となった。 一般にあるNHKへの批判、不満を集票に利用し、地方自治体の議員や、国会議員の職 を得た同党にたいし、有権者からは批判の声が強まっている。 同党のさまざまなふるまいには道義的に重大な問題があると当会は考えているが、ここ では同党の「NHKをぶっ壊す」というスローガンと「NHKの放送をスクランブル化す る」という主張に限定して批判することとしたい。

1)問題はスクランブル放送が是か非かではない
N国党は、党の目的を「NHKの放送をスクランブル放送にすること」ただ一つだとし、 実現すれば解党するとまで公言している。 スクランブル放送にして、視聴する人だけが料金を払えばいい、という主張は、一見合 理的であるかに見える。しかし、もしNHKの地上波放送がスクランブル放送になれば、 受信料収入は激減し、現在のような規模の放送企業体としてのNHKはとうてい維持でき ない。同党の主張通り、NHKは「ぶっ壊れる」ことになる。 したがって、N国党の政策については、スクランブル放送にすべきかどうか、という問 題ではなく、NHKのような公共放送機関が日本で必要かどうか、という問題ととらえて 検証する必要がある。

2)公共的放送機関をなくしてはいけない
N国党は周知のように「NHKをぶっ壊す」と繰り返し叫んでいる。しかし、NHKの ような公共的放送機関は「壊して」いいのだろうか。 たしかに、現在のNHKは、政権寄りの政治報道をはじめ、そのあり方がさまざまな批 判を浴びている存在である。しかし、そのことと、将来にわたってわが国でNHKのよう な公共的放送機関が必要かどうかは分けて考える必要がある。 放送法は、NHKを、国費でもCM収入でもなく、視聴者の受信料だけで運営する放送 機関とした。国家権力からも企業の支配からも自由に、独立して自律的に放送事業を行う ことを可能にするための制度である。

 この制度に基づく「公共放送」によって、視聴者の多様な要求に応える多様な放送が実 現できることになった。NHKでは、マイノリティのための番組、教育現場への教材を提 供する学校放送番組、文化の継承のための古典芸能番組など、視聴率に左右されない放送 を実施できている。 当放送を語る会は、このような、市場原理の影響からも自由でありうる公共的な放送機 関は、日本の民主主義と文化にとって重要な存在であると考えている。その認識の上で、 現在のNHKが、その理想にふさわしい状態にあるかどうかを監視し、必要な抗議・要求 行動を行う、というスタンスで活動してきた。 ところがN国党は、NHKを壊す=破壊する理由として、週刊誌が報道したというNH K職員の「不倫」の事件をNHKが説明しないからだ、という驚くべき主張を政見放送で展開してきた。

 これまで受信料で形成されてきた、国民の共有財産とも言える公共放送機 関を、このような理由で破壊するという主張は到底容認できない。 いまNHK問題に取り組む視聴者団体に、「N国党とはちがうのか」という問い合わせが あると聞いている。この際、当会のような視聴者団体とN国党とはいかなる点ても接点は なく、むしろ反対の立場に立つものであることを明らかにし、同時にN国党と全国の視聴 者団体とは厳しく区別されるべきだと主張したい。

3)スクランブル放送とは何か。
実施すればNHKはどうなるか 私たちは、前述のように、スクランブル放送にすればNHKは壊れる、と考える。では なぜそうなるのか。 スクランブル放送とは、放送内容を暗号化し、電気的に撹拌して放送する方式である。 視聴者が放送を見るためには、このスクランブルを解除する手段を入手しなければなら ない。そのために視聴者はNHKと契約が必要になる、というシステムである。 これをNHKの総合・Eテレの地上波で実施したらどうなるか。 正確には予測できないが、NHKにとって最悪のシナリオはつぎのような事態である。
 
 テレビは無料の民放を見れば間に合うと考え、できれば受信料の出費を控えたい、とい う視聴者は多いと思われる。 現在受信料契約をしている視聴者のうち大半がスクランブル放送の解除をしない、つま りNHKと契約しない可能性がある。受信料収入が激減することは避けられない。 受信料でつくられた東京はじめ各地の放送会館、設備は維持できず、売却するほかなく なる。また、放送文化研究所や放送技術研究所のような社会に貢献すべき研究所は、スク ランブル解除に役に立たないということで閉鎖に追い込まれると予想できる。
 
 放送内容では、「ETV特集」や「NHKスペシャル」など時間と経費のかかるドキュメ ンタリーは制作が困難になる。また、スクランブルを解除してもらうために、いわゆる大 衆受けのする娯楽番組が主流になり、少数の視聴者を対象にする福祉、教育、文化・教養 番組などは消滅する可能性がある。 そうなればNHKは小さな有料放送局として残るしかないことになる。 日本の放送界は実質的に商業放送が支配すことになり、NHK、民放の二元体制をとる 現行放送法体系は根底から崩壊せざるを得ない。このような状況では、放送の分野で視聴 者市民の知る権利が大きく損なわれる恐れがある。

4)いまNHKに求められるもの
N国党の主張に問題があるにもかかわらず、選挙区で 150万票、比例代表で98万票が同 党に投じられた事実を、NHKは深刻に受け止める必要がある。NHKは、現状が真に「視 聴者に支持される公共放送」となっているかを厳しく問い直すべきである。

・ 公共放送のあり方から逸脱する政権広報のような政治報道を改めること、
・ 会長の公募制 など、NHKの経営への視聴者の参加の方策を案出すること、
・ 番組やニュースに関する視 聴者の意見や批判に丁寧に答えること、
・委託法人等による暴力的な受信料契約強制をやめ ること、
・ さらに、ニュース、番組制作者と市民が交流するようなイベントを企画し、対話 を進めること、などを強く要求したい。

「放送法では受信料を払うことになっている」といった解説的広報番組を流せば済むと いうものではない。公共放送の本来のすがたに立ち返る具体的な行動と努力が必要である ことを、N国党の伸長という事態を受けてあらためて強調しておきたい。